座 禅 猫

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支倉常長

支倉常長~スーザンへの手紙から~



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支倉常長の墓(仙台光明寺)
常長の強がり芋のへの字口


『Dear Susan,

お元気ですか?ミシガンは、今年は雨が多いとのことですが、蒸し暑いですか?長期にわたって、ハチとナナの世話、どうもありがとうございます。2匹ともわがまま猫なので困らせているのではないかとちょっと心配です。7日にミシガンに戻りますので、その後、再び日本に帰るまでの二週間は、猫から離れてゆっくりしてもらえると思います。

さて、仙台は梅雨だというのに、すっきりしたいい天気が続いています。海からでしょうか、いつも風が吹いていて肌寒いくらいです。


先日、支倉常長の墓を訪ねてきました。この間お話した、伊達政宗に命じられてメキシコ~スペイン~ローマに行った下級武士です。彼はセビリヤで大歓迎を受け、マドリードでクリスチャンになっています。王侯貴族と接し、ついにはローマで教皇にもあうのですが、政宗に命じられた通商条約はかなわず、失意のうちに帰国します。おりしも将軍家光がキリシタン弾圧を強化、帰国後の彼は不遇のうちに2年を過ごし、病没。一説には処刑された、とも伝わっています。

彼については、伊達家の文書に「常長の説(報告)、はなはだ奇なり」という一文の後、何も記録されていないそうです。

私が訪ねた墓も、常長の墓だと伝わる3つのうちの一つです。光明寺という禅寺に、ひっそりとそのお墓はありました。

仙台市博物館にあるヨーロッパで描かれた肖像画のおかげで、常長の顔は容易に思い描くことが出来ます。(この間送った絵葉書の侍です。)真面目で意志の強そうな常長。役目に忠実であっただろうに、時代のために不遇な晩年を過ごさざるをえなかったことが悲しく感じられます。

彼については、棄教したという説もありますが、没後、家人からキリシタンが数名出て処刑されていること、子どもがその責で切腹させられていることなどから、生涯、信仰を持っていたのではないでしょうか。


キリシタンというと、長崎や、平戸など九州を思い浮かべますが、東北にもいろいろな話があることを知りました。資料や本をたくさん手に入れたので、会ったときに、またお話できると思います。

7日のお昼にはミシガンに着きます。その日は時差ぼけでしょうから、8日辺りに電話しますね。お時間のあるとき、ぜひいらしてください。

それでは、会えるのを楽しみにしています。   いう
(2004/7/6)

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