『街場の戦争論』(内田樹 ミシマ社)の第一章「過去についての想像力」を読み終わる。
著者は、「1942年時点(ミッドウェー敗戦)で降伏していれば」という仮説を立てる。概略を紹介する。
満州国も、台湾も、朝鮮半島も手放さなければならなかっただろう。しかし、江戸時代に隣国から日本領土として認知されていた領土はそのまま残っていただろう。つまり、沖縄に米軍基地がおかれることもなく、ソ連に千島列島を占領されることもなかった。日本は主権国家であり続け、大正生まれはほとんど生き残って大日本帝国臣民として、敗戦責任を追及し、戦後日本の復興を担う有為な人材となっただろう。
しかしそうはならなかった。
日本は「敗戦の原因を自力で検証できないくらい徹底的に敗戦した」。
もしも42年段階で降伏していれば、
「なぜ日本はこのような無謀な戦争に突き進んでしまったのか。その政策決定過程についての証人がおり、証言があり、証拠文書が残っている段階で、それを当事者の立場で冷静に検証することができたら、そのあと再建された統治システムは今とは全く違ったものとなっていたはずです」(p48)
しかしそうはならなかった。その結果、「不愉快な現実を直視するだけの精神力も体力も残らないほど徹底的に負け」、「アメリカの従属国である」という事態、つまり「日本は主権国家ではない」という事実さえも直視できていない国となった。
「ミッドウェーの敗戦の後、大本営は敗戦の原因を指揮官一名の属人的無能に帰して、惨敗をもたらした原因を組織的に点検するという作業をネグレクトしました。『これから起こること』については最大限楽観的な見通しを採用する。『もう起きてしまったこと』については、スケープゴートにすべてを押し付け、遡及的な原因解明をしない。日本官僚制の最悪の傾向がすでにこの海戦で露呈されていた」(p40~41)
見苦しいほどの身内に対するかばいあいがこののち続く。作戦失敗の責任を命で償わされたのは最前線の兵士たちであり、大本営の参謀、高級将校たちはのうのうと生き残ったのである。
最高機密文書を失い、敵の手に渡すという大失策を行った「海軍乙事件」(詳しくは吉村昭氏の同名の作品を読まれたい)。福留参謀は、いったん捕虜になりながら自決もせずに、のこのこ帰って来た。その後、処刑もされずに第二航空艦隊司令長官に栄転している。
特攻隊の若者に、「私も君たちに続く!」と言っておきながら敵前逃亡した富永恭次。敵前逃亡という重罪を犯しながら処刑もされていない。
無謀な作戦を立てて徒に兵を餓死させた牟田口廉也。戦後まで生き残っている。
そして、「戦陣訓」の家元、ピストル自殺に失敗し、「虜囚の恥」を受けた東条。この男を「英霊」、「昭和殉難者」として祀る靖国神社と、そこへ参拝する議員たち、その議員たちを選ぶ選挙民。
「『歴史の必然』を重視しすぎたり、『歴史にイフは禁物である』とする歴史観に私は同調することはできない。天皇から組閣の大命を受けた宇垣の内閣組織が初めから挫折を運命づけられていたと断定するのは、『できなかったものはできなかった』と言っているにすぎない。」と記したのは坂野潤治氏であるが、
「イフ」を設定することで、「なぜ日本はこんな国になってしまったのか」を考えることができる。
そして、こんな若者たちが死なずに済んでいたら...という事も痛切に考えた。
「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩という事を軽んじすぎた。私的な潔癖や徳義にこだわって真の進歩を忘れていた。敗れて目覚める。それ以外にどうして日本が救われるか。今日目覚めずしていつ救われるか。俺たちはその先導になるのだ。日本の新生にさきがけて散る。正に本望じゃないか」『戦艦大和』吉田満 角川文庫 p33~34
必敗論が圧倒的な中で、青年士官たちは、「何のために死ぬのか」の議論を始める。「君国のために散る、それでいいじゃないか」という論に対して、「それは分る、しかしその事は何につながっているのだ、何かもっと普遍的な価値につなげたいのだ」という激論を制したのは、上に引いた臼淵大尉の言葉だったと著者は記している。この人が生きていたら・・・と思ってしまう。
日本国憲法を蛇蝎のごとく嫌う人士は、内田氏の論に賛同すべきではないのか。そして、「親米右翼」という鵺のごとき存在を脱するのが筋というものではないか。参拝先を千鳥ヶ淵に変え、「なぜ負けたか」を事実に基づいて究明し、「都合の悪い真実」から目をそらさないことである。
さて、第二章にかかろう。
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MoMo太郎009さん
つるひめ2004さんComments