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もっちん4476さんComments
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劉邦はとりあえず韓信を治栗都尉としたが、韓信に対してさほど興味は示さなかった。この頃の漢軍では、辺境の漢中に居ることを嫌って将軍や兵士の逃亡が相次いでいた。そんな中、韓信も逃亡を図った。しかし、韓信のような人物は国士無双で、漢中にずっと留まるつもりならば韓信は必要ありませんが、漢中を出て天下を争おうと考えるのならば韓信がいなくてはなりません。との進言を受け、劉邦は、ついに韓信の才を信じ、全軍を指揮する大将軍の地位にまで引き上げた。

韓信はこの厚遇に応え、劉邦に漢中の北の関中を手に入れる策を述べた。即ち項羽の強さは弱めやすいものである(婦人の仁、匹夫の勇~本人は情があり勇敢だが部下を重んじず恩賞を与えない)。劉邦は項羽の逆を行えば天下を手に入れられる。関中の三秦の王は20万の兵士を見殺しにした元将軍達であり人心は離れている。その逆に劉邦は以前或陽で略奪を行わなかったなどの理由で人気があるため、関中はたやすく落ちる。劉邦はこれを聞き大いに喜び、諸将もこの大抜擢に納得した。

劉邦はこの年の八月に関中攻略に出兵し、これに成功。関中を本拠地として項羽との対決に臨む。その頃、各地で項羽の政策に反発する諸侯による反乱が相次ぎ、項羽はその対応(特に斉)に手を焼いていた。紀元前205年、その隙を突いて、劉邦は諸侯との連合軍56万を率いて親征し、項羽の本拠地を陥落させる。しかし、斉から引き返して来た項羽の軍に大敗し、命からがら栄陽に逃走した。韓信は劉邦に同行していたが、途中で兵をまとめると追撃してきた楚軍を迎撃し、劉邦の撤退を助けた。
