PR
Calendar
もっちん4476さんComments
Keyword Search
Freepage List

明治10年(1877年)2月、西南戦争が勃発すると、すぐさま鹿児島征討の任にあたりたいと希望した。また大久保利通は、西郷への鎮撫使として勅使の派遣を希望した。明治政府の瓦解を恐れた伊藤博文が、これらに反対し、結局、徴兵令による国軍が出動し、木戸は明治天皇とともに京都へ出張する。
かねてから重病化していた脳発作が悪化し、明治天皇の見舞いも受けるが、5月26日、朦朧状態の中、大久保の手を握り締め、「西郷もいいかげんにしないか」と明治政府と西郷の両方を案じる言葉を発したのを最後にこの世を去った。享年45。

墓所は多くの勤王志士たちと同じく、京都霊山護国神社にある。また、長州正義派政権時代に山口の居宅だった場所(山口市糸米(いとよね))に木戸神社がある。
晩年、木戸は現在の東京都文京区本駒込5丁目、豊島区駒込1丁目の別宅で親しい友人を招き過したと言われている。当時の庭園が今も維持されている。JR山手線駒込駅から別邸までの間に木戸坂と命名された坂が残されている。

家系
・妻 松子(木戸の死後、翠香院と名乗って出家生活に入り、明治20年死去)
・養子 木戸正次郎(孝允の実妹治子と来原良蔵との間の次男、インド洋航海中に病死)
・養子 木戸孝正(孝允の実妹治子と来原の子で正次郎の兄、東宮侍従長を務めた。)
・木戸幸一(孝允長男。内大臣を務め、昭和戦前の重要歴史資料である「木戸幸一日記」の著者)
・木戸孝彦(幸一次男。弁護士。東京裁判では父の弁護人を務めた)
・和田子六(元東京大学教授、理化学研究所ゲノム科学総合研究センター所長)
・都留正子(小六の娘。経済学者都留重人の妻)
・池田直子(木戸幸一、和田小六の従妹。内閣総理大臣池田勇人の最初の妻)

四賢堂
伊藤博文は、自分が大いなる薫陶を受け、賢いと感嘆し、尊敬し続けた4人の人物(三条実美・岩倉具視・木戸孝允・大久保利通)を讃え、肝に銘じ、恥じることのないようにするため、大磯の自宅の庭先に四賢堂を建立した。
この四賢堂は、現在、更に伊藤、西園寺公望、吉田茂の三人を加えて七賢堂とされ、同じく大磯の旧吉田茂邸に転座されている。
