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もっちん4476さんComments
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竹内巨麿(明治8年?-昭和40年)
・明治43年秋、皇祖皇太神宮を復興。天津教の開祖となる。
・「明治奇人今義鞍馬修行実歴譚」
竹内巨麿の口述書であるが、これにはまだ、竹内文書も平群真鳥についても述べられていない。
・大正10年頃、「長慶天皇御真筆」、「後醍醐天皇御真筆」、「日蓮上人御真筆」などを所有しtりると公開。
・昭和4年8月14日、戸籍の名を巨麿に改名。
・昭和11~12年頃、不敬罪で起訴される。
山崎鉄丸
山崎鉄丸は、川浦操の竹内文書紹介論文「長慶天皇の山陵に就いて」を見た後「竹内家の記録に就いて」において文献批判を行った。
狩野亨吉
狩野亨吉は昭和3年5月に、天津教信者2名から7枚の写真の鑑定依頼を受けたが断わった。昭和10年「日本医事新報」から鑑定を依頼され、7枚中5枚を鑑定し、偽造と回答した。翌、昭和11年6月、岩波書店の「思想」誌上に発表した「天津教古文書の批判」により偽書と証明した。なお、鑑定したのは以下の5文書の写真である。
・「長慶太神宮御由来」、「長慶天皇御真筆」、「後醍醐天皇御真筆」、「大日本天皇同太古上々代御皇統譜神代文字之巻 大臣紀氏竹内平群真鳥宿禰書字真筆」、「大日本国太古代上々代神代文字之巻」
の狩野亨吉は、昭和17年に検察側証人として言語学者の橋本進吉とともに出廷証言する。
熊沢天皇
南朝の熊沢天皇と名乗った熊沢寛道は、明治39年ごろ南朝方の寺院から盗まれた宝が古物商を経て天津教が買いとったと推測し、返還を要求した。

天津教弾圧事件
第一次
・昭和5年12月7日~19日、「東京日日新聞」に批判記事。警視庁が詐欺罪容儀で竹内巨麿、前田常蔵、高畠康寿を取り調べする。不起訴。
・昭和7年内務省特高警察が竹内巨麿を拘引、不敬の言動により同6月、神宝拝観禁止、神社の鳥居を撤去。
第二次
・昭和10年12月28日神宝が秦真次(皇道派の実質リーダーの真崎甚三郎の腹心でもあった)の手により東京市・靖国神社の遊就館の松田常太館長にたくされた。
・昭和11年2月13日朝、茨城県多賀郡磯原町にて竹内巨麿と磯原館という旅館の吉田謙吉が不敬罪、文書偽造行使罪、詐欺罪容疑で逮捕された。同年、4月17日検察書類送致、同月30日、竹内巨麿、神宝を水戸地方裁判所に移す旨の受託書を書く。
・昭和17年3月16日一審不敬罪有罪判決。上告。上告代理人弁護士は田多井四郎治、宮本正美、特別弁護人鵜沢総明(後の極東国際軍事裁判の日本弁護団長)
・昭和19年12月12日、大審院(現最高裁判所)無罪判決、結審。
解散指定
・昭和25年1月連合軍最高司令官総司令部から天津教は解散指定される。
焼失と疑惑
この裁判にあたり、皇祖皇太神宮から「神宮神祠不敬被告事件上告趣意書」が、神宝を含む竹内文書約4,000点と史跡の現地調査の報告書などとともに、提出された。無罪判決となるも、提出物は裁判が終了してもすぐに返還がかなわず、それら原本は太平洋戦争中の空襲により「吉備津彦命兵法之巻」などを焼失したとされている。戦後、巨麿の子、竹内義宮がその写本を伝えている。
一説には、竹内文書は焼失しておらず、「アメリカ国立公文書記録管理局」または「国立公文書館(旧内閣文庫)」に保管されているのではないかとも言われているが、真偽は不明である。
その他
・「旧約聖書」などの古代文献に出てくる人物や乗り物らしきものと、竹内文書に出てくる人物や乗り物らしきものとが何らかの関連性があるかのような記述がされることもある。
