やれやれ。どうも私はフラれてしまったようですね。モテる男というのもどうやら昔憧れていたようないいものではないらしい。
他人への批判というものは基本おもしろいものだと思っていたのだけど、今日ばかりはそうではなかった。というか私に対する皮肉ではないかと思うぐらい身につまされた。大いに反省しよう。
近所のスーパー『やよい』で美人の店員さんを発見。ファンになったのでこれから通うことにします。なぜか顔を真っ赤にしてましたが(笑)
私はどうも自分が好きでたまらないらしい。実験で使う心理尺度を気まぐれに自分でやってみたら「劣等感」が最低点の8点。ほとんどの学生が最高点である24点近くの20点前後だというのに・・・。また何の気なしに人に「俺ってナルシストかな?」って聞いてみたら迷わず「うん。」て言われた。2人に。でも「顔が好きっていうより自分が好きでたまらない感じ」らしい。
でも、昔は自分が嫌いでしかたなかったのですよね。周りにいる人すべての優秀な所、すばらしい所ばかりが目に入って自分に自信などまったくもてなかった。それがこの変わりようはなんだろうと。
今考えるときっかけは塾講師をしたことだろうなと思います。そういえば塾講師している時、私はいつもこんなことを思って授業をしていたような気がしますから。
「どうだ、中学生のSEIJI。お前はこういう男、好きだろう? こんな先生に授業を教えてもらいたいとずーっと思っていただろう?」
私は受験先進国の関西出身で、まぁいいところのお坊ちゃんと言われても仕方ないぐらい教育にはお金をかけてもらいました。だからバイトの兄ちゃんが片手間にやっているのとはレベルが違う、「これぞ、プロの講師!」という人の授業をたくさん受けてきました。というかあの人たちは生徒からの人気で給料どころか明日クビになるかもしれないという激烈な世界を生き抜いているわけですから私が身をおいていたぬるま湯のような世界と次元が違うわけです。
しかし、教えるのがうまい先生っていうのは私にとってそう大きなアドバンテージじゃありませんでした。私が好きだったのは、ただひたすら「おもしろく」、ただひたすら「熱く」、そして知らない間に成績があがっている。そんな先生でした。その人たちはまったく授業と関係ない話をしてくれました。彼女と同棲中の家に帰ってきたら中からあえぎ声が聞こえてきた話、六甲山を攻めすぎた話、岩石の研究サンプルにハナクソつけたら世紀の大発見か!と大騒ぎになったお話。また、日本史の先生は、男の生き様を教えてくれました。私がエラソーに人によく話をする石田三成の話も、土方歳三の話も、阿南惟幾の話も、全部一番の大本はその先生に教えてもらったことだったりします。
物理の法則より、日本史の年号より、あの先生たちは子どもの私が知らないコトを教えてくれる。それは受験に出る、出ないに関係なく、私たちより一歩先を歩く大人として、いろんなことを教えてくれる。そんな先生に憧れてました。そしてあの時教えてもらった「世界」や「社会」がとてつもなく魅力的で「もっと知りたい!」と思わせるには十分だったからこそ未だにまだまだ「知りたい!」が止まないのかもしれません。
言うなればその人たちにあこがれて私は講師の仕事を選んだのです。
「熱さ」も「おもしろさ」もあの人たちには決して及ばない。でも私はあの人たちのように「世の中」を教える先生になりたい。で、何年かが経ち、少しはあの人たちのようにできるようになったかな?と思ったとき、授業に立つときはいつも中学生だったころの私を意識していました。
「どうだ? 俺はお前が憧れていた先生に、少しは近づけただろうか。」
いやー 講師してるときは散々文句と陰口言われました。「授業と関係ない話すんな。」とか「授業と関係ないところで人気をとってる」とか。でも、私は一向に気にしませんでした。「中学生の頃の私はきっと私を大好きになってくれるハズ。そして今の私の教え子もきっと・・・」 少なくてもそのあたりから評価基準は他人ではなく自分になりました。「私が他人だったら、私を好きになるか?」それがすべての基準になりました。
昔はホントに女の子と話ができず、女の子相手に軽口をたたいて、笑いをとって、サっとデートの約束をできるような男に心底、あこがれてました。
私はそうなれましたでしょうか。
つらい時、落ち込んだとき、言葉で慰めてくれる優しい人が一緒にいてくれるとうれしい。でも本当にほしいのは、押し付けではなく本当に自分の考えから言葉を発してくれる友人。私が間違っているときはどんなに落ち込んでいても「それはアンタが悪い。」とハッキリ言ってくれる友達。
私はそんな友達でしょうか。
ダラしなく、普段はのほほんとしているくせに、たまに世の中の本質を見据え、他人がハッと息を飲むようなとんでもない正論を吐き、信じられない成果を出す”ひろゆき”みたいな男。
自分が「正しい」と信じたら何があってもあきらめない、全世界を敵にまわしてもひるまない、狂人だ変人だと言われても意に介さない。そんな小泉さんのような男。
私は少しでも近づけたでしょうか。
すべての行動基準は「私が他人であったら、私は私を好きになるか?」 だから他人の批判や嫌われることは意に介さなくなってきました。そして逆に自分の期待にこたえられなかったとき、自分が自分を見損なったとき、心底落ち込むようになりました。
何かの本で読んだ「自分を味方につけた時、恐れるものはなくなる。」という言葉。まだまだその境地には至っていませんが、なんとなくわかるようになってきました。
ということでナルシストのよくわからない文章でした。
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