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日曜日朝、看護助手さんがおしぼりをもってきてくれる。「されませんか?」と言われる。私に、母の顔拭きをしないかという事。ちょっと恥かしい気もしたが、前日、看護助手さんがしたような感じ見様見真似で、母の顔を拭いた。気持ち良さそうな顔をする母「気持ち良い?」と聞くと 「うん」と静かに言ってうなずいた。長女の持ってきたたい焼きがあり「ちょっと食べる?」と母に聞くと「うん」と言って 一口食べる。「美味しい?」と聞くと 「うん」と答える母。栄養食品のアイスやゼリーは1口~2口食べる程度。すっかり痩せた母だった。一週間前とは全然違う。一週間前は会話もできていたのに。母の妹、みいさんが来てくれた。みいさんは、痛いという母の身体を優しくさすっていた。母が珍しく「お風呂に入りたい」と言った。とてもびっくりして正直 とても嬉しい気持ちにもなった。ここ、約1か月 そんな事言うことなかった。逆に、「その言葉に深い意味があるの?」とも思った。最後に綺麗にして・・・・・・なのか?と母の想いを尊重したいと思って母に「今日は急に言っても、準備とかできてなくて無理かもしれないから聞いてみるね」と言った。母は 「うん」とほほ笑んで答えた。痛いと訴え、私は身体をさする。薬が少しずつ増える。しばらくすると、母は スースーと寝息を立て休んでいく。長女が来た時 みいさんは「私も泊まれる日は泊まるから、皆で交替しよう」 と言ってくれた。が、姉は、きっぱり 「いいよ、大丈夫、私も明日は泊まれるし、次女も泊まれる日は泊まって私達で交替して泊まるから・・・」と言った。私は、正直 みいさんの好意に甘えてもいいんじゃない?みいさんだってそうしたいんじゃない?と思ったが、姉がそうゆう想いなら、それが良いのかも と、言葉を飲んだ。病棟には、家族が泊まれる部屋があったが、そこは随分寂しくてそこで、休む気にはなれなかった。私は、デイルームや 病室のソファーのあるスペースで横になっていた。ソファーのスペースは、横の母の寝息が聞こえていた。
2017年11月08日
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泊り3日目 日曜日長女の次女が来てくれた。 母からしたら孫。彼女は臨月、今日、明日産まれてもおかしくない頃だった。お腹の子は男の子とわかっていた。子供、孫に女が多い女系の母には、はじめての男の子、ひ孫だ。母は、とても楽しみにしていた。彼女は、母に「もうすぐ、産まれるよ~楽しみにしてね~」 と話しかけた。うん とうなずいた母だが、返す言葉は出なかった。市外に嫁いだ彼女は地元のお菓子を持ってきてくれた。「またね~」 と優しく声をかけて彼女は帰って行った。母は、優しくうなずいて微かにほほ笑んで見送った。その後も、母は 時折痛いと言った。その度私は、痛いという母の身体をさすって過ごした。辛そうだった。さすることしかできなかった。痛いという事が、徐々に頻繁になり 少しづつ 薬の量も増やしていった。病気に侵される、病気に体が蝕んでいく と聞いたことはあったが今、母が こうゆう状態なのか? と感じた。夕方は、お土産にもらったお菓子を「ちょっと食べる?」と母に聞くと うん と小さく言って小1口~2口 食べて 「もういいよ」 と言った。「美味しい?」と聞くと 「美味しい」とほほ笑んで、小さく言った。 夕方、仕事を終えて姉達が来る。その間、どちらかの車を借りて私は家に帰り シャワーを浴びていた。「ゆっくりして来ていいよ~」と姉達は言ってくれていたが私がいない間に、何かあったら嫌だと思い なるべく早く病院へ戻っていた。
2017年11月06日
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土曜日 泊り2日目朝は、看護助手さんらしき人が 洗面用のおしぼりを持ってきてくれる。そして、母の顔、手を拭いてくれる。母は、とても気持ち良さそうな顔をしていた。 母の兄妹が来てくれた。会話はできないと思っていたが、お兄さんに会話ができたか聞いてみたら会話は、できたと言っていた。妹のみいさんは、元看護師。「痛い~」「家に帰る~」と言う母に体をさすりながら 「痛みが治まったら帰ろうね~」と優しく言ってた。「嘘でもいいから、帰るって言ったら、帰ろうね~と言ってあげた方がいいよ~」と教えてくれた。妹のみいさんを見て母は「あら~○×△先生~」と言った。誰なのだろう。みいさんが○×△先生に見えたのだろう。母が会いたい人なのか? 会わせてあげたいな~と思ったが知らない名前だった。姉の長女も来てくれた。彼女は、カラオケに行った時はとても面白く、いつも笑わせてくれてた。この日は、楽しくも、つまらなくもない たわいのない話をしてくれた。妹のみいさんと、病室でお昼を食べた。食堂のランチがえび天そば、ちらし寿司セットだった。母の好物だった。母に少しあげると おそばとえび天を 小1口ずつ食べた。「美味しい?」と聞いたら 「美味しい」と少しほほ笑んで小さく言った。 母は私のこと分かってるのかな~?と気になっていた。妹さんが帰ってから、私は母に「私は誰か分かる?」と聞いてみた。母は、優しく 小さく 「しっぽちゃん」 と言った。すごく嬉しかった。ちゃんなんて言ってもらった記憶もないしなによりも、名前を呼んでくれた事が 素直に純粋に嬉しかった。
2017年10月29日
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金曜日私は、早朝の飛行機で鹿児島に向かった。緩和ケア病棟に移った母は、4日前に別れた時とははるかに変わっていた。会話はしっかり 出来なかった。ベッドに寝た状態で、医療用麻薬を点滴していた。時に「痛い~~痛い~~」と言ってた。「帰るよ~家に帰るよ~」と凄い顔で 眉間にしわを寄せて言う事もあった。前日に姉からの説明で緩和ケア病棟に移ったら、今食事がほぼ出来ていない為ゼリーとかアイスとか、そうゆうものから始めていきましょう と言われたとのことだった。食事は、1口、2口、3口くらいしか食べてなかったからそれは、仕方ないのかもしれない と感じたが食事をしなくなったら 終わりじゃないの? という思いもあった。が、無理強いはしないように という事だったのだろう。その時の母には、食事云々なんてレベルじゃなかったのだろう。その時は、痛みを和らげてあげる 1にも2にも、それだけだったのだろう。その日は、次女が病院に泊まっていた。何があるか分からない為家族が泊まってた方が良いとのことだった。看護師長さんともお会いした。痛い~~と言う母の体をさすってあげてた。こうゆうのも、ケアになる と教えてくれた。早速真似して、母の体をさすってあげた。涙が出て止まらなかった。泣き顔なんて母には見せられないから、涙を拭いて笑顔で母を見た。大丈夫だよ~痛みが和らいだら家に帰ろうね~必死に涙をこらえて、母に言った。この日から、本格的な看取りケアというものと向き合うことになった。姉達は、仕事をしてる為、私が泊まり泊まれる時には どちらか姉が代わって泊まろうね。と話し合った。その夜、ゆりちゃんが来てくれた。ゆりちゃんは、ご両親の看取りをしてて、色々詳しく色んな話をしてくれたり、母の痛みを和らげてあげられるように、看護師さんに薬のこともお願いしてくれていた。夜は、薬が効いてるのか、スヤスヤと休んでいた。寝息があるだけで安心できた。
2017年10月27日
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6/16 木 夕方、姉からのTEL「あれからすぐ緩和ケア病棟に移ることができて翌日病院で行ってきたんだけど朝方4時ごろに私の携帯に母ちゃんから電話がかかってきて『早く迎えに来て~駐車場に車を持ってきて 私を連れて帰らんね~ここに居たら殺される~~ウゥ~~~~』って泣いて電話してきたのよ~」とのことだった。姉は、すぐ病院へ行き「大丈夫だよ~」と付き添っていたそうだ。ここ2~3日でかなりの状況変化していて聞いた私の頭の中は整理ができなかった。病院では、膀胱瘻にしないことになったこと血液検査の結果がちょっと前より 随分悪化している。一旦落ち着いて下がった腫瘍マーカー値が とても高くなっていること。「会わせたい人や身内、親戚達に会っていたほうがよいかもしれません」とDrに言われたこと。色んなことが一気にきたような気がした。これから、体調が落ち着いたりするのかな~って考えてたせいか私は2~3日後に帰省しようかな~と考えていたが飛行機のチケットを変更してもらい翌日に帰省することにした。とっさに というのか、無意識にというのか 主人に、「喪服準備して、送って」と言った記憶はある。どこかで、私も覚悟をしていたのかもしれない。
2017年10月26日
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6/14私達は、親戚、知人に母の状態を話した方がいいか何度か話し合った。私は初めに話し合った時に 「いいんじゃないか」と言ってたが 前から母は、周りに心配かけたくないと言っていた為話さずにいたと思う。でも、時期が来たのか今回 話し合った時には姉は母の兄妹・知人に今の母の状態を話をした。その日の姉とのメールで・膀胱瘻ができるかの検査に家族1人で病院に連れて行けるかの確認と・余命が聞けたら聞いてて とメールした。この日姉から連絡のあった ゆりちゃんゆりちゃんは 母とは30年以来の友人親子くらいの年の差はあるが、パチンコ友達でもあった。後から聞いた話 ゆりちゃんはゆりちゃんの次男さんと この日の夜 母の見舞いに行ったという。母は、ゆりちゃんの次男さんが東京に行くことを覚えていて次男さんの顔を見るなり「いつ東京に行くの~」と言ったという。そしてゆりちゃんの手を握り「百合ちゃん、こんなはずじゃなかったんだよーすぐ治るはずだったんだよー」 と涙ながらに話したという。私達には、言わなかった 母の弱音 本音だったのだろう。子供達には言えなかった弱音、言いたかっただろう。ゆりちゃんが見舞いに行ったことで、心の叫びを少しでも吐き出せたかな~と思った。もっと早く、心の叫びや不安を吐き出せてあげれたらよかったのにな~と思った。ゆりちゃん親子は、母の足の浮腫みを見てそう長くはないだろう と感じたらしい。ゆりちゃんは、ご両親の介護、看取りをして母の薬、医療用麻薬、処方箋を見て察したのだと思う。ゆりちゃんは、その日から 続けて 母の見舞いに行ったという。
2017年10月24日
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私の予想では母の状態は、少し良くなたりして緩和ケア病棟に移って時に、外出や自宅に外泊できるようになったりしてパウチの交換も皆 出来るようになってたりしてなんて考えていた。それは、大きな間違いだった。 もしかしたら、Drや看護師さん達は そんなことないよ とサインを送っていたのかもしれない。外出の勧めもそうだったのかもしれない。だけど、私達は、気づいてなかったのかもしれない しほんとに急変だったのかもしれない。それは分からないし、なんとも言い表せない気持ち翌日 長女とのメールで母の膀胱瘻ができるか近くの病院に診察に行くとのことだった。一人で大丈夫?と聞くと 大丈夫だよ!とのことだった。大丈夫?って聞いたところで何にも出来ないのに なんて思い悔しかった。その日は、長女も自分の病院に行ったとのこと。歳を取れば、チラホラ ガタがくるだろう。長女まで倒れたら と思うと心配になった。よろしくとメールを返し 無事でありますように と祈った。
2017年09月27日
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月曜日 私は、母に不妊治療の再開のことを告げると「卵ちゃんを入れるのね、がんばってね~」と クックッ と笑って言った。卵ちゃんってお茶目な言い方。そしてお茶目に笑う母が可愛く感じた。私は、母に 頑張ってね とは、言いずらく「無理しないでね~頑張って」と言ったようだった。頑張っては小さくだった。いつか、誰かが 頑張ってって言ったとき頑張ってる!って言ったような記憶があったし痛いのを無理して頑張ってほしくないし、そもそも、無理なんてできないと思ったし でも さっさと死んでほしくなく複雑な気持ちの 頑張って だった。人生で一番重い 頑張って だっただろう。落ち着いたらすぐ帰ってくるからね。待っててね。と伝えた。帰った私は、翌日だったか、病院に行き 胚移植の計画をしていただき予約をした。 母ちゃん どうしてるかな~ 遠くに暮らしてることを悔やんだ。少しでも時間ができたら、すぐにでも帰るつもりだった。
2017年09月25日
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2016年6月13日 早朝におむつの交換をしてもらえないと母から、電話があってすぐに病院に向かった。病院に着いたら、母は うっすら寝ていた。すぐに 私に気づき起きた母は「きてくれたの~」とほほ笑んだ。「替えてもらった?」と聞くと「うん、さっき替えてもらった」と言った。家だったら、すぐにしてあげれるのに病院は、たくさん患者さんがいるから仕方がない。分かってはいるけど くやしく思った。丁度朝食の時間になった。相変わらず 朝食も ほぼ食べれてない。10分の1 食べたか?というレベルだ。その日は、次女は仕事が休みのため次女も来ることになっている。母は分かっている為「次女は?」と聞く。「まだ早いから、一旦私だけ来たのよ。卵焼き作ってお昼にはくるよ~」と答える。朝食を持ってきた看護師さんが「今日は早いですね~」と言う。「おむつを替えてもらいないって電話があったものですから~」 と本当は言いたかったが言った後から嫌な対応をされたら困ると思い「今日、私帰るので、早めに来ました」と告げた。
2017年07月25日
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2016年6月13日 私が一旦家に帰る日の朝 7時過ぎ 母からTELが来た。「おむつを替えてもらえないの、もうびっしょりなのに」と「ナースコールならしてみた?」と聞くと「ちょっと待ってって言ってまだこないのー」と言う。母は2~3日前に完全おむつになった。おそらく、朝の7時過ぎだと夜勤の看護師さんは忙しい時間帯だろう。「すぐ行くから、ナースコールまた鳴らしてみて、すぐ行くからね」と言って電話を切った。母からこんな電話が来ることは初めてで 私は、かなり動揺していた。どうしたのかなー?ぼけたのかなー?とも思った。でも、こんな電話をしてくるのは初めてで珍しくきっと自分ではどうしようもないから、私に電話してきたのだから すぐ行くことにした。仕事をしてない、母の世話をするために帰省してる私だからこそ、できることと思った。すぐに次女が起きてきた。一部始終を話すと「私も行こうか」と言った。「うん」と答えると化粧をしようとした為 「一旦、先に行くわ」と伝えすぐに家を出た。化粧を待ってる時間はないよ 正直思った。
2017年07月25日
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私は、中止していた不妊治療の再開、病院受診の為に 一旦自宅に帰ることにした。飛行機チケットを購入し、翌日帰る前に母の病院に寄って空港に向かうことにした。翌日は、次女は仕事が休みなので一緒に病院へ行く。卵焼きが好きな母のために 卵焼きを作って行く。それを予定して 母に伝える。近々、緩和ケア病棟に移ったら、ちょっと先が安定するような気がした。看護師さんの対応もとても優しいイメージもあったし 安心だった。そんなことを考えながら眠りについた。といっても、いつ緊急な電話がかかってくるかな~と寝れてはいなかったが。
2017年06月14日
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翌日、母は相変わらず痛い痛い とベッドに横たわっている。リハビリは気持ち良いらしい。清拭も気持ち良いらしい。だが、陰部に触れると痛みが強く薬を塗っての清拭だ。今の母の状態は 精神的にも、身体的にも 痛み という それと戦っている。というよりは、侵されている。というのか見ているのが辛い現状だった。だけど私が不安顔になっても 母をも不安にさせるだろうし緩和ケア病棟に移って病状が安定すれば外泊や外出ができるんだ ということを まだ信じていた。近々 私は中断した自分の不妊治療の再開の病院受診の為に帰る。そのことを、母には言えずにいた。食事も2~3口しか食べなかった。それでも、私が持っていく おそばを2~3口食べてくれた。母と膀胱瘻について話した。「おしっこをするのが痛いと難儀だから管を通すようにしようか~?」と聞くと「うん~」と答えた。看護師さんに「膀胱瘻をする方向でお願いします と先生に伝えてください」と話した。分かりました。と看護師さんが言った。そして「外出されたんですね~お昼のお寿司が美味しかった~てお母さんおっしゃってましたよ~よかったですね~~」と看護師さんも喜んで話してくれた。嬉しかった。色んな看護師さんがそう言ってくださった。外出して良かった~~とほんとに思った。
2017年06月08日
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6月11日先生のお話は、皆揃って来てくださいってことではなかった為 私一人で聞いた。今、外陰部の痛みが強い為、排尿が困難な状態。尿意があってトイレに行っても出たり、出なかったり。朝、下半身清拭では、痛みを訴える。その為 薬を飲む。痛みが続けば 神経ブロックを注射したほうが良いかもしれないかもしれないが痛みの有無を聞くと、痛いという時と、痛くないということがある。神経ブロックをした場合、人工肛門はすでにしているから問題ないが膀胱瘻もした方が良い可能性もある。外陰部が腫れて 尿道も判らない。もし、おしっこが膀胱に溜まっってパンパンに腫れて針でおしっこを取りましょう。となったとき それができない。という事だった。丁寧に説明してくださるので、なんとなくは理解できた。先生は母にも優しく説明して話しかけてくださるが「私はよく分かりませんので、先生に従います」って母は言う。痛みは、どうですか?ありますか?と先生が聞く。どっちの痛みですか?あんまりないです。痛い時や痛くないときがあるらしい。シクシク シクシク と泣いてしまう母。おしっこに行くか寝てる一日だから、先生に任せます。って言う。痛みがあって続くようなら、神経ブロックを勧めるが、痛みの有無がはっきり判らずいずれ、今後の事を考えれば 膀胱瘻をした方が良い可能性もある。そうゆう事も選択肢に入れてもらって また家族で話し合ってほしい。後、ここには今、泌尿器科がないので、近隣の病院に受診という事になる。今後 どのように過ごすのかって事を考えたら、膀胱瘻にしたら生活の幅が広がってくる。1泊することもできる可能性もある。等々、丁寧に説明してくださった。なんか大変そうだな~って思った。けど 痛い痛いってゆう生活よりは膀胱瘻にした方がいいのかな~?とも思った。病室に戻った母は、やっとの思いでベッドに横たわって目を閉じた。自宅に戻った私は、姉達と話し合った。膀胱瘻にした方がいいのかもね~って皆同意見だった。
2017年05月17日
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お昼ご飯を食べた 私達は どこに寄ることもなく 病院へ向かった。車を降りて 病室までの移動 歩行器を使ってはいるが看護師さんに 支えられて やっと動けるような感じだった。やっとの思いで病室に着いて すぐ横になった母。下半身行為してもらい、ぐったりして目を閉じる。15時のおやつ(栄養補助食のアイス)も食べずに スースー寝息をたてた。疲れたね~体力使ったね~今日は ゆっくり休んでね~ と言って病室を出る。パウチが外れないで良かったね~なんて姉達と話した。次の外出の時には、防水シーツを敷いて行ったらいいかもね~なんて話し合った。翌日、母に会いに行く。 スースー寝息をたててる。昨日の夕飯は 食べずに寝てたよ~って言った母。相当体力を消耗したのだろう。また行こうね。と言うと 「うん、また行こう」と満面の笑顔で言った。嬉しくて、涙が出た。話す声も弱々しくなってるのに満面の笑みを浮かべ また行こう と言う母を愛おしく思った。今、思い出しても 泣けてくる。看護師さんが「先生から お話があるので、また都合のいい日を教えてくださいね」と言う。まただ、最近 「お話があります」の間隔が近くなってきてる。そろそろなのか? 外出も出来たのに? 色々頭をよぎった。姉達に連絡して日程を調整する。
2017年05月10日
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外出前の準備車の後部座席はフラットにできる為 そこに寝てもらっての移動下に敷くものは、シーツと長い座布団を用意していたが長女の指摘により、敷布団を敷くことにした。車は最近のものだが、振動による ダメージがかなりあるだろう とのことだった。さすが現役の介護スタッフだと脱帽した。ましては、外陰部とその周辺の痛みが強い母だし、車いすも使用できない状態だから、それが良い。念には念を食事は、私が用意。皆が好きな 豆ごはんとちゃんぽん。ちゃんぽんは 母がよく作っていた。が、食事は いつの間にか 回転ずしを食べたいってことになっていた。皆で母を迎えに行く。 AM9:00体調は決して 良くはなさそうだが外出する という気持ちが満面の笑顔にさせていたようだ。「行く前に、先生からお話があります」と看護師さんどきどきしながら先生の元へ向かう。「何があってもおかしくない状態ですので、気を付けていってください。何かあったら すぐ帰ってきてくださいね。外は久々なので楽しんできてください無理のないように気を付けて行って来てくださいね」 のようなことだった。行ってきます~と看護師さんに見送られ 先生には、「生もの食べていいですか~?」と母本人から聞いていた。「病院では、生ものは出ないので、好きなもの、美味しいものを食べていいですよ~」とおっしゃった。病室から玄関を出るまで 車いすは使えないために歩行器での移動 それだけでも辛そうだった。また車に乗るのも一苦労。なんとか乗って寝てもらい出発した。車で40分程掛かる、お墓参り兼外出。案の定、お墓までは行けず 車の中から手を合わせた。途中、コンビニでアイスを買って食べた。半分くらい食べたかな?何か口に入れてくれるだけで喜ばしいことだった。お昼ご飯はどうするか お店に入れない。というか、母は動ける様子じゃなかった。回転ずしを お持ち帰りにして、どこかで食べよう。ってことになった。回転寿司でお持ち帰りにして、帰り際の 道の駅に車を停めて 皆で食べた。母は、いつもより 良く食べた。珍しくよく食べた。好きなものは良く食べれたようだ。久々というのもあったのか良くたべた。 トイレに行きたいとも言ったが、行けない、動けない、間に合わない。と言った。病院で、紙おむつとパッドをしてるから もういい このままする といった。いいよ、いいよ、無理しないでいいよ と言った。外は暑い。車は冷房を入れる。そんな中 長女は窓を開ける。母の独特な臭いがこもるのだ。分かるけど~~それはないよ~~と心の中でつぶやいた。しばらくして、病院へ向かう。緩和ケア病棟に移ったら、ちょっと落ち着くかな~と考えた私は一旦 帰って 延期してた不妊治療を再開しようと思った。
2017年05月02日
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緩和ケア病棟を見学、面談をした翌日母の様子は 相変わらず良くはなかった。前日、緩和ケア病棟の見学、面談してきたことを話をした。どんな返事が返ってくるのか不安だった。「なんで?退院できないの?帰れないの?ずっとこのまま入院してるのね?私は死ぬのね?」なんて言うような気がしていた。 としたらなんて答えればいいのか?等々考えていた。そんなことはないよ。そんな思ってないよ。という気持ちが本心だから素直な気持ちを伝えよう。取り繕った言い方をしたら、逆に不安を招くだろう。と心の整理をしていた。そしたら母は 「あっそうね うん」 とあっさりだった。緩和ケア病棟に移る とか、そんな事より 今の母には体の痛みで いっぱいいっぱいだったのだろうと思う。 翌日は外出のため 今日は輸血をする。別部屋で輸血をすろのかと思いきや 部屋でした。相変わらず 母は食欲はない。私が 持っていった煮物の野菜を1口~2口食べる程度だ。3時の 栄養補助食みたいなアイスみたいなのは結構 喉を通るみたいで4~5口は食べるかな明日は 外出 楽しみましょうね~~
2017年04月07日
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私たちは、明後日に外出することにした。看護師さんに話して、先生にも伝わってる。また先生のお話がある。今後の治療法は痛みを和らげていく方向で緩和ケアをメインにしていって緩和ケア病棟に移る。今緩和ケア病棟は、いっぱいで すぐには移れない。見学して、面談をする。分からないことを聞く。入院って90日じゃないんですか?と聞くと、そうではないとのこと。外出したり、外泊したり、入退院を繰り返しながら在宅生活をしてる人もいる。仮に退院した時のその後のサポートもしてくれる。等々説明をしてくれた。介護申請してるなら、訪問診療、訪問看護を利用しながら在宅生活もできる。ととても安心できた。目の前に光が見えた気持ちになった。先が見えた気分がした。 それと、明後日外出のため 明日輸血をしましょう。とのこと貧血は疲れやすいため輸血をして少しでも元気をつけて外出した方が良いでしょうとのこと。その日次女のちょっと強引な「今日緩和ケア病棟の見学できますか?」の発言に看護師さんは「予約をしないと急には」と言ったが丁度緩和ケア病棟の方がいらして「いいですよ、どうぞ」とおっしゃってくださった。私達は、すぐ見学をした。とてもいい感じなとこだった。患者を患者扱いじゃないな~って感じた。ここなら良いかなあ~母が入院しても安心だな~任せられる感じがした。担当医にも面談ができるということで担当医先生にも面談した。スムーズに事が進んでいった。今は空きがないため、すぐには移れないが、空きができ次第 緩和ケア病棟に移れるとのことだった。
2017年02月27日
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先日看護師さんに聞かれる。「先生から、緩和ケア病棟の話はありましたか?」と「いいえ、ないです」と答える。ってどうゆうこと?緩和ケア病棟ってそっちに移るってことって、どうゆうこと一生そこで過ごすってこと?退院できないってこと?もう命がないよってこと? 色んなことが頭の中をぐるぐる回って目が回りそうになる。母はお風呂には入らず今は清拭をしてもらっている。陰部は特に痛いらしく 陰部清拭をしてもらっている。痛いだけに、清拭は気持ち良いらしい。すっきりすると言う。が、患部なだけに、お湯があたるだけでも痛みが酷い時もある。痛みが酷いこともあることが多く聞かれるようになれば、看護師さんが心配する。「お母さんが いいっておっしゃったら陰部を見てみます?」と聞く。はいと答える。母に聞く看護師さん。「今から清拭をしますけど、娘さん達に見てもらっていいですか?」と「はいはい、いいよ」と意外とあっさり答えた。陰部ということもあって、ちょっと難しいかな~?と思ったがそれどころじゃなかったのかもしれない。陰部を見た。とても衝撃的だった。大きい明太子が2個分くらいの腫れがあった。これじゃ、痛いだろう、擦れて歩き辛いだろうと納得できた。頑張ってるんだね~痛みと戦ってるのだね~ こっちが涙が止まらなくなる。看護師さんが言う。「また、先生から話があるそうですので、近いうち時間をとってくださいね」とえ~~この間 2~3日前にお話しがあっったじゃないですかと思ったが変動があるのだるうからそんなもんなのか?間隔がせまくなっていくのが普通なのかそろそろなのか?色々頭の中を回る。すぐ、姉達に連絡して、予定を聞く。家に帰って、緩和ケア、緩和ケア病棟の検索をする。今、どのレベルなのか分からない。モヤモヤ、モヤモヤモヤしていた。
2017年02月13日
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2016年 6月6日母の体調は良くはならない。弱ってきているのが 明らかに 見てわかる。歯磨きも苦痛になってきてるようだ。洗面所にいくのが辛そうだ。でも、歯磨きをしたいという気持ちがあるのがすごいと思った。ベッド上で歯磨きを手伝うこともあった。こんなこと手伝っていいのかな?と、頭をよぎったりもしたが、そんなレベルじゃないのかもしれないとも思って手伝っってた。トイレに行くのも苦痛のようだ。行っても出なっかったりするようだ。そのために座ったり、立ったりするのがキツいという。陰部が痛いようだ。トイレに向かう母の後ろ姿に「弱々しくなっちゃって、それでも頑張ってるんだな~」と思うと、涙が出る。看護師さんが 最近よく言う。「たまには、外出されたら?」と「そうだね~入院して 1か月経ったし、退院はまだ先みたいだしね~気分転換に外出しようか~?また、外出して家に帰ったら、早く退院して帰ってきたいって思うかもね~」なんて話をしていた。「う~~ん、キツいよね~墓参りに行っても歩けないしね~」出掛けたいけど、体がキツくて行けそうにないという。複雑な気持ちだ。「車に乗って、お墓まで行って、お墓までは坂なのでお墓の前まではいかなくても、車の中から、手を合わせればいいが~それで、家に帰って皆でご飯を食べよ~」って話をした。「うん うん」って母が笑顔でうなずいた。少し楽しみができた。 ウキウキしてきた。まだ退院は出来そうにないんだね~って思った。この時もまだ いつか退院できるんだって信じていた。私がいる間、姉達の休みが合う日に外出しようと計画をたてた。
2017年01月31日
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病室に行くと、母は眠ってることが多い。 10分もしないうちに目が覚める。 「来てたね〜」と優しく微笑む。 「うん」と洗濯物の整理をする。 ご飯は、相変わらずほぼ食べない。 水分もほぼ摂らない。 私は、以前母が良く食べてた焼きオニギリとタコ焼きを持っていった。病院食はトータル1口〜2口食べて、焼きオニギリを1口〜2口食べる。「タコ焼きは❓」と聞くと「似たような味だがね」と1口程食べて言う。 一瞬 ムッとするが、食べるだけ有難い、文句言うだけ有難いと感じる。 午後は、看護師さんがパウチ交換 「三女さんも習っておきますか?」にお願いします と、私のパウチ交換が始まる。 最初は、スムーズに出来るが、徐々に難しくなっていく。結局看護師さんが手伝うこととなる。 「外出、外泊、退院した時に出来てれば安心だからね」と看護師さんが言う。 退院は、まだ出来ないんだね〜と思う。 まだ、この時も退院出来ると信じていた。 私達は、どこに向かってるんだろうとも思った。 母は、退院した後の在宅生活の為に自分でパウチの処置、排泄の処理も頑張ってやってる。 私達も頑張らないといけない、パウチ交換が出来るようになってないといけない。と感じた。 去年の今頃は、家で母とコタツでテレビを見ていた。 あんなに元気だったのにな〜と目頭が熱くなる。
2016年12月09日
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母の洗濯物は、そんなに出ないよ。と聞いていたが、そんなことはなく毎日、洗濯物は出てた。入浴はしなかった。できなかったのだろう。以前はお風呂嫌いではなかったが、その時の母には、清潔第一 よりも、痛みで いっぱいいっぱいだったのだと思う。毎日の清拭と、なにより出血の漏れが多いように思えた。リハパン、パッドを使用しているが、ズボンやシーツに出血が見られた。毎日のシーツ交換は気が引けたため、バスタオルを敷いていたがそのうちフラットが敷かれていた。リハパン、パッド、フラットシートを使うようになったんだね。なんとなく複雑な気持ちになった。障碍者手帳が交付されるということで、姉が申請等していた。手続きのため役所に行った。タクシー券がもらえるみたいだからもらってきて。と言われていた為、役所の人に聞いてみるとタクシー券は出ないが、バス、電車の乗車券は使えるとのことだった。それと、障碍者マークのステッカーが申請するともらえる。ということだったので県庁に申請に行った。が、人工肛門の4級では対象ではないとのことだった。それは、私には、身体を使って勉強になったが、できることなら役所の人がしっかり把握していただいてたら、無駄な時間が省けたのかな~と感じた。後日、姉は役所に行って、バスや電車には乗れるレベルじゃないんです。とやかましく言ったらしい。決まりがあるのでできないことはできないで分かってはいるが市民の声、当事者、当事者家族の生の声として、伝えてもいいのかな~と思った。同感だった。ほとんど、歩けないのに、バス、電車には乗れません。母は、洗面所での歯磨きも困難になっていった。看護師さんから、うがい受けを買ってきてほしい。と言われ買いに行った。母のために、何かすることが、できることが心地良かったような気がする。どうなっていくのだろう~ という気持ちが常にあった。
2016年11月15日
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6月4日病室を覗くと、母はリハビリ中 マッサージを受けている。足の浮腫みが、見てはっきりわかる。浮腫んでる部分に触れたり、当たったりすると「痛い」と言う。マッサージは良いみたいで、楽しみの一つになっている。お昼は、蕎麦を湯がいて持っていく。好物の一つだ。病院食は、相変わらず2~3口しか食べない。持っていった蕎麦も2~4口食べる。食前薬と食事を持ってきた看護師さんが「ご飯ですよ、食べれますか?」と聞くと「食べたくない・・・・・けど食べないと帰れないですよね・・・・・頑張って食べます」と言った。涙が出た。泣けてきた。頑張ってるんだね!母は、母なりに頑張ってるんだもんね!帰りたいもんね、少しでも良くなって帰ろう!って心の中で言った。この日は、今後について、Drの話があるということで姉妹3人揃って聞く日。Drの話は、今後は痛みが強くなれば、医療用麻薬を増やしていく方向と神経ブロック注射をすることが良いかもしれない日が来るかもしれないそうなったら、排せつ障害が出てくると思うので、人工肛門はしているからいいが膀胱瘻も必要になるかもしれない、そうなったら、うちは、泌尿科がない為大学病院か、近くの病院に一旦入院して、検査、後手術、と言うこと。母に痛みを聞くと「おしっこはしづらい、トイレに行くのに時間は掛かるし、座っても出ない立って、座ってと繰り返して、少し出るか、出ないこともある」とのこと。看護師さん曰く、外陰部が腫れてカチカチになってるという。尿道もわからないという。今は、入浴はなかなか出来ず、清拭をしてもらっている。その際に「痛い、痛い」と訴えが多くなってきたために、神経ブロック注射等早めた方が良いのではないか?と、看護師さんがDrに報告したようだ。次から次に問題は出てくる。とりあえず、その時に「そんなに痛みはないよ」と母が言って、神経ブロック注射は、今すぐでなくても良いのかもしれませんね。という話になった。この頃は、歩行器を使用するようになっていた。
2016年10月19日
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翌日は、少し早めに病院へ行った。病室を覗くと、母がいない。母がいないというより、荷物も何もない。一瞬、頭の中が 真っ白になった。何があったの?この十数時間の間に・・・緊急事態?急変?何の連絡もなかったけど・・・色んなことが、頭の中をぐるぐる回っていた。すると昨日お会いした、看護師さんに廊下で会った。「あら、娘さん、お母さん夕べ睡眠薬を飲んで寝て、夜に転倒して病室を移ったんですよ~」と言って、病室を案内してくれた。転倒といっても、確認はできていないが、前の患者さんが言うには、ベッド横に倒れていた。とのことだった。幸い怪我や骨折はないとのこと。それだけは、一安心だった。ナースステーションに1番近い部屋だ。危険人物だ。てんとう虫の紐がクリップにつながれてる。クリップを服に挟んで、動くとナースコールがなるシステムだ。なんか、見るのも 胸が痛い。母は、要注意人物となってる。「大丈夫だったの?怪我はしなかった?ご飯は食べた?」といっぺんに聞く。「うん、昨日は、寝れなくて、睡眠薬をもらって飲んだら、夜中に転んで、この部屋に移ったみたい」睡眠薬を飲んだまでは、覚えてるみたいだが、その後は全く覚えてないようだ。睡眠薬は効きすぎるから、飲まない方がいいのに何で飲んだかというと、寝れなかったと言う。寝ぼけて看護師さんに暴言っぽいことを言うこともある。と聞いた。それを聞いた時、私は とうとうどうにかなったのか?と思ったりもしたが冷静に考えると、不安と妄想が混ざって、おまけに寝ぼけも重なって暴言っぽいっ事を言ってしまったのではないかと勝手ながら解釈をした。お昼は、やはり病院食は3~4口食べただろうか。持っていった煮物の野菜は食べた。以前は、肉も魚も食べていたが今は、肉も魚も食べなくなった。水分もあまり摂れてない。飲めれそうな飲み物をもっていくことにした。
2016年10月18日
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この日は、午後から長女がストーマのパウチ交換やり方を教えてもらう日だった。昼食を終えた母と私は、ウトウト、ゆっくりと過ごしていた。2時ごろだったか長女が来て看護師さんを待つが、看護師さんも仕事があるらしく、まぁまぁ待った。「もうちょっと待ってってくださいね~」って何度か言われた。1時間以上経って看護師さんが来た。長女は看護師さんに説明を受けながら、案外スムーズに出来てたように思える。「私は、多分下手なんだろうな~上手にできないはず」なんて思っていた。私は、初めて人工肛門というものを見た。まさか母が人工肛門になるなんて想像もしてなかった。正直、グロいな~って感じた。母は、独特な臭いがする。便臭でも尿臭でもない。この人工肛門の独特の臭いなのか、内臓の臭いなのかな~なんて考えていた。近いうち、私もパウチ交換をさせてもらうことにした。いつでも、母が家に帰ってきてもいいように、私も教えてもらっててもいいだろうと思ったから。次女はタイミングが悪いらしく、休みの日に病院に行くと、午前中に漏れがあってパウチ交換してることがあったようだ。私は、しばらくは、毎日病院へ通うつもりなので、何回か交換をさせてもらって、プロ級になってたら、安心できるな~って思った。
2016年10月17日
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6月1日 この日から母と私のお昼ごはんを共にする日が13日程続く。この日は、長女は仕事が休みのため「一緒に病院に行こうね」と話をしていた。午後から人工肛門のパウチの交換の練習をさせてもらうということだった。私は、前日に 母と一緒にお昼ご飯を食べようと計画していたので、昼前に行くことにした。まず、初日はそうめんかな~? そうめんなら間違いないだろうと思ったから家でそうめんを湯がき、おにぎりを握って、車がないので電車と徒歩で行った。病室を覗くと、母は眠っていた。起きて私を見ると「はら~来てたのね~」と変わらない様子で言った。それから、あの看護師さんは、あーだ、こーだets 色々話をしてくれた。痩せた感じがした。お昼になった。病院食は、思ったより随分少なかったが、母は、それもほとんど食べれてなかった。持っていったそうめんは、2~3口食べた。「美味しい」って言った。「後は、食べなさい」と病院食を勧めた。ご飯は、小さいおにぎりが2つあったが、1コを2口程しか食べてない。おかずは、2~3口食べただろうか?という量だった。「もうちょっと、食べたら?」って言うと「うん食べた。 無理して食べたらムカムカするから、吐いたらいけない」と言った。無理強いはできなかった。
2016年10月15日
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久々に帰ってきて母に会った私は、ちょっぴり距離感を感じた。「また、明日来るね」と言ったものの、会話があるのか、話が続くのか、沈黙が続くのではないかと気になってた。何時ごろ病院へ行ってるのか、何かすることがあるのか、洗濯物はどうしてるのかets次女に聞いてみた。「洗濯物は、少ないから病院でしてるよ、乾燥までするから、2~3時間いるかな、もう帰るの~ってすぐ言うからね~なかなか帰り辛い、後はウトウトしてることが多いからその時は、ゲームをしてるよ~それと、この間はお昼御飯を一緒に食べたよ~卵焼きが食べたい~~って言ってたからね~」と教えてくれた。お昼御飯を一緒って それイイね~!!とビビっときた。食事量も減ってるみたいだし、好きなもの、食べれそうなものを少し持っていけがイイかな? とそうだ、明日から、お昼御飯を一緒に食べることにしよう。と思い年末年始に「そうめんなら、ペロっと食べれるのよ~」と言ってたことを思い出し明日は、そうめんを湯がいて持っていくことにした。
2016年10月12日
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5月31日 久々に私は鹿児島に帰ってきた。 2ヶ月ちょいぶりだった。 空港には、姉が迎えに来てくれた。 車の中で、母の最近の状態を教えてくれた。 化学療法ができなくなって間も無く、お尻の痛みがよく聞かれるようになり、出血がある。排便が後ろから前から出ると言ってた。病院受診の際、状態を伝え検査、直腸病変が増大し、子宮へ浸潤している。その為後ろから前からも便が出てるらしい。そうゆう事もあってか人工肛門にした方が良いだろうということで、人工肛門の手術をした。術後は、傷口の治りが悪いらしく退院のめどがつかない。今は、在宅生活ができるよう、パウチの交換を本人も習い練習するところ、家族もできるよう教えてもらい練習をしていくところ。 痛みの方は、医療用麻薬を使用している段階で 夕方後の記憶がなくなった事もあった。とのこと 食事の量は、随分減って病院の食事量も少ないが それも、少ししか食べないとのこと。 私は、入院で とうとう呆けたのかな❓とふと思った。 早速、そのまま病院へ行き母に会った。 母は、医療用麻薬の副作用か、記憶がなくなった時の話しを姉に話していた。なんだか、気のせいか 私は、母との間に距離があるな〜と思った。 やっぱり呆けたのかな〜❓と思った。 だか、少しずつだが話しをするようになったが また少し距離があるように感じた。 正直どう接したらいいのか迷ってしまっていた。 「また、明日来るね」と明るく言って帰った。 帰り際、姉と「今後どうなるんだろうね〜」みたいな話しをしていた。 全く先が見えない気がした。先が見えない。 2、3日以内に姉妹揃ってDr.の話しを聞く予定を組む。
2016年10月07日
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5月末私は、次の胚移植の準備等の為受診した。 次回の受診まで、10日程あったため実家に帰るよう 飛行機チケットを取った。次女にメールした。 その夜だったか、長女から電話が入る。 「元気❓今度は、いつ来れそう❓」と 「明日には、行けるよ。どうかした❓」と随分冷静を装う。長女からの電話なんて滅多にない事だから、ドキドキしていた。 「母ちゃんね、痛みが酷くて医療用麻薬をしてるの、で、昨日の夜の事が記憶なかったり、先生から今後の事を家族で話し合ってください。って言われて〜無理ならいいんだけど、来れそうだったら来てくれたらな〜って思って」って言った。 訳分からなかった。医療用麻薬って❓どうゆうレベルなのか、どの段階なのか❓今後の事って❓ 聞き覚えのない言葉を頭で消化、理解できない。 それでも、冷静を装った。 「明日行くよ〜そっかびっくりするほど体調が悪くなってるね、みんなで話し合おう」と告げた。 空港まで迎えに来てくれるとの事だった。 助かる〜ありがとう😊
2016年10月05日
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5月下旬 私の誕生日だった。 普段なら、母から電話がきたり、姉達からメールがくる。が、今年は、母からの電話はこなかった。 姉からは、メールがきた。が、母の様子の話題になる。きっと母は、私に電話する余裕がないのだろうと感じた。穏やかではないんだ。と感じた。 母の体調は、人工肛門の手術後の傷口が治り難いようで、退院の目処がつかないという。 なんだか、ガンガン体調が悪くなっていくようだ。 気持ちがついていかない。 月末、受診後 時間が出来ると思うので、帰ろうと強く思った。
2016年10月03日
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母は、入院し 手術前日にまた、私は電話する。 頑張ってね👍 これ以外に言葉が見つからない。 当日無事終わったみたいで 姉からメールが入る。 「手術無事終わったよ」って 数時間後に母に電話するが出ない。 手術終わったばかりだからかな〜❓と少し心配になる。着信があったのを見て、折り返し電話してくるかな❓思いつつ かなり待ってる私だった。 2、3日経っただろうか。母から電話が入る。 その時は、私は病院受診で 慌てて 携帯電話通話可能エリアを探して小走りになった。 「どう❓大丈夫❓」と聞くと 「うん、大丈夫だよ、あんた声ちっちゃいね」と いつもと変わらない様子だった。声を聞くまで 凄く心配だった。とても安心した。 「時間が出来たらまた、行くからね〜」と言うと 「そんな行ったり来たりしたら、お金が掛かるから来なくていいよ〜」って言った。 そんな言っても、親が子を心配するように、子も親を心配するんだよ と言わなかったが、心で呟いた。 今回の受診後、時間が出来たら帰ろうと決めていた。
2016年09月29日
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4月は、帰れずに過ぎた。 5月 私は、次の胚移植の為の準備を始めた。 多分5月も帰れないのかな〜時間が出来たら帰ろう と考えていた。 そんな中 長女からの電話 「母ちゃんね〜まだ化学療法できなくて、排便の時痛いらしいの、で 前からも後ろからも便が出るみたい、それで病院で人工肛門にした方が良いみたいって言われて、そうする事にしたよ〜」って事だった。とうとうきた。以前 Dr.から2、3回話しがあったことだ。段々症状が変わっていく。 気持ちがついていかない。っていうか、心の準備ができないうちに進んでいく。 姉達は、仕事をしてるので、動けるのは私なのに 行けない状況に腹ただしく思った。 「行けなくてごめんね」って言う。 「大丈夫だよ、心配しないで」って聞いて ほっとする。 入院前日に母に電話する 「無理しないでね。大変だけど 頑張ってね」と 母は、「うん、大丈夫よ あんたも頑張ってね」 と変わりない調子で言った。
2016年09月27日
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4月 血液検査の結果が悪かったらしく、母の化学療法は中止になった。 私は、次の胚移植の準備や採血がある為に1ヶ月は、実家に帰れないだろうと予想する。 自宅にいる間は、芸能人や有名人の方々が がん と報道があると気になった。 ビクビクした。母は、どうしてるかな〜と考えた。 たまに、姉達とメールはした。 たいして変わらないようではあった。 ただ、次女から 「なんか最近、メンタル面が弱ってる感じだよ〜」とは聞いていた。 近かったらすぐ行けるのにな〜と遠方を悔んだ。 冷凍できるおかず等作り、食材等と送ったりした。 実家からお礼の電話があった。 母ちゃんは、元気かと尋ねると 「元気だよ〜手足のピリピリは、あるけど 食欲はあってね〜口だけは卑しいよ〜」と母が言い 「だけどね〜お尻がヒリヒリするって言ってるよ 出血があるんだと思うよ」と次女が付け加えた。 そっか、行けそうな日が決まりそうになったらまた連絡するね と伝えた。 がん宣告、化学療法を始めて半年 6ヶ月が経った。
2016年09月14日
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母、化学療法6コースから、薬が 朝、夕5錠から4錠に変更になっていた。7コースも4錠。はっきり把握はしていないが、血液検査の結果があまり良くなかったのか骨髄抑制というのが出てきてるようだ。治療ダイアリーには、血便・出血の所にチェックが入ってるから、排便の際に出血があったのかと思う。血圧もしっかり、記入してある。珍しい。「血圧は毎日測ってますか?」と言われたらしい。だからだ。私は、肺移植の為しばらく帰ってこれないよ と母に言ったら「卵ちゃんをいれるの?頑張ってね。オホホ」と笑って言ってた。卵ちゃんってかわいい言い方。約1か月は帰れないかもな~と寂しくなった。まあ大丈夫だよな~って思った。それから、帰った私は、体をやすめたり、病院に行ったりしいて日が過ぎていった。3月30日 初胚移植を無事終えた。その日はお祝いにと すき焼きを食べた。2日後、1週間後 病院 採血結果 異状なし。2週間後、妊娠判定日。 結果は 残念でした。前日に 妊娠検査薬で検査していたから、多少の心の準備はできていた。が、泣けてきた。頑張ったもんねと慰めたら、また泣けてきた。次週病院、次の胚移植は、どうしますか?すぐ始めるか、一旦休んではじめるか?すぐ始めますと答えた。
2016年09月06日
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2月 母の化学療法6コースは、CVポート手術、入院のためか中止になっていた。私は、自分の不妊治療の病院受診の為、実家と自宅を行ったり来たりしていた。私の診察結果は、子宮の状態も問題なく、婦人科のDrから不妊治療して良いですよ。とOKがでた。不妊外来にて胚移植の予定を話しをして、おおよその予定が決まった。ピルを飲んで、生理になって、飲み薬、貼薬膣座薬を入れる。胚移植日が近づくと週1ペースで病院へ行く。と忙しくなるために実家に居れる日が少なくなってくるしばらく行けなくなる。今回も許される範囲で滞在するつもりでいた。その間 母の化学療法6コースがはじまっていた。3月 いちご狩りに行った。母、長女親と私で行った。3人は前にも行ったことがあるらしい。行った農園はお休み なハプニングもあった。がすぐ探していちご狩りを楽しんだ。これが最後の私達のいちご狩りになった。昼食は韓国料理 以前と比べると随分、母は 食が細くなった。数日して、お墓参りに行った。実家から車で40~50分 車に乗るとお尻が痛い母にとっては苦痛だったろう。お墓をどうしようって前から気にしていた。私(母)が死んだら、お墓参りも大変でしょう。と言ってたらしい。「お墓どうすんの?」って聞いたら、「う~ん、そんなこと考えてたら、怖くなって寝れなくなるよ~」って言った。そうだね、寝れないってキツいよね~「また考えたら教えて」と言った。母は、「私は散骨でいいんだけどね~」って言ってた。本人はいいかもしれないけど、する方は多分勇気いると思うんだよね。そして、これが、母の最後のお墓参りになった。
2016年09月02日
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2月上旬 前から「また、白蛇のいる神社に行こう」って言っていた為、6コースの治療が始まる前に行きました。その日は、白蛇がいる神社は休み?らしく閉まっていて、上の方にも神社があるから、折角来たんだからお参りして行こう。と次女が言ったので行くことにした。だけど かなり階段があり私達でも行く気が失せるほどの段数、みただけでうんざりした。母は登り切るのか?後期高齢者だぞ~~「母ちゃん、行ける~?」って聞くと「う~ん、折角だから行かないとね~」とは言うも ハーハ~ゼーゼ~ なってる。私でさえ途中リタイアしたかったのに、母は休み休み、登り切った。「やったね~頑張ったね~」って母に言いつつ自分にも褒めた。そこからの景色は最高で 神が宿る的な言葉があてはまる感じがした。写真もたくさん撮った。が 1番のお気に入りが 母が、私の肩に首を傾けてる写真だ。こんな写真 今まであっただろうか?無いよ。こんな写真 私達の人生で初めてだよ。私は、写真を見ながら、とてもこっぱずかしい気持ちで照れた。とても照れた。その日は、みんな疲れただろう。みんな熟睡したようだ。翌日は、節分。母の助手をして恵方巻を作って食べた。そして、化学療法6コースに入る。血液検査は 少し良くないようで骨髄抑制ががでてるようだ。
2016年09月01日
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年末に化学療法4コースを無事終え、クリスマス、年末年始を過ごしました。温泉旅行を楽しんで、ゆっくり過ごしてしばらくして 1月中旬 化学療法5コースが始まった。CT評価も良く、効果あり、継続とのこと。母は、血管が出にくく 漏れることも度々あった。Drの提案で、CVポートをしたほうが良いのではないか。とのこと。そうすると、血管を何度も刺さなくてすむ、薬がもれたらいけないので このほうがよいのではないか、とのこと。比較的、これをしてる方は少なくない等説明をうけ同意しました。数日して、CVポート造設手術 1時間程で終わりました。術後問題なく 数日後 退院しました。化学療法を受ける説明の時から、「いずれは人工肛門になることもあるだろう。状態によっては。」って話があった。その後も2~3回 話があった。一難去ってまた一難 だな~って思った。母の体調は 元気、食欲もある。陽気だ。手足のピリピリ感と、味覚障害はある。相変わらず食事には「味がない、美味しくない」と言ってる。
2016年08月30日
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年が明けました。 無事に。私の彼は、2泊して仕事も始まるため、帰って行きました。 いつもありがとう。数日が経って、私達は 1泊温泉旅行に行きました。母は、車に乗ってるのは、お尻が痛くなる為に困難 なので近場にしようって事で車で40~50分位かな?向かいました。途中道に迷ったりと小さなハプニングはあったものの着いて、お部屋に入ると とっても素敵な部屋。オーシャンビューってやつしばらくして 温泉に入る。1月だったため、とても寒かったですが、温泉に入って体はポカポカになりました。夕食もお上品な感じで、1品1品出てくるやつ。母は「こんな ちょこっとづつじゃなくていっぺんに、バッとでてきてほしい」なんて文句は言いつつ、しっかり、ちょこっとづつ食べてました。「美味しい」とも言った。そして、お部屋でゆっくり テレビをみたりして過ごした。疲れたのか、母は 少し早め寝ちゃいました。次女と私は、「また来たいね、まさかこれが最初で最後の旅行になったりして?」と話ししました。以前、7~8年前、父が脳腫瘍手術、治療後、退院、しばらくして 要介護5の状態で 父母、私達の4人で旅行に行った。多分それが、最初で最後の旅行だった。その後1年しないうちに父は亡くなった。なので、それもあってか 私は もしかして、今回も私達3人の最初で最後の旅行になったりしないか?と、頭をよぎった。が、また行こうね~って3人で話しながら家に帰った。楽しかったね。
2016年08月26日
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年末が来た。母の体調は、目立った異常はない。母と私は、お正月用の食事、煮物や揚げ物、おせち料理的なものを作った。かぶをいただいたので、私は初めての菊花かぶに挑戦した。見た目は・・・・・なんとも言えないが始めてということで、良しとする。彼は、休みが少ないながらも来てくれた。彼がいる為、私達は ホテルで過ごした。料理を食べて年を越す。初日の出は、次女が教えてくれた穴場スポットに行くことにして、私は彼と、次女は母と行くことにした。次女「母ちゃんと行くから~そこでね~」 穴場スポットで落ち合いましょう。ってことで良いお年を~~朝が来た。あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。私達は、初日の出を拝みに 穴場スポットに向かった。次女にメール「母ちゃんがね、まだ寝てるの~」ってことだった。そっか、キツいのかな? しんどいのかな? 無理しないほうが良いね。私は、初日の出を見ながら 母には来年が来るのか、また初日の出を見れるのか?そればっかりを思っていた。少ししてから実家に行く。年始の挨拶母は起きていた。いつも通り元気な様子だった。数日後は旅行に行こう。近場の1泊だけど。
2016年08月25日
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母 12月上旬 化学療法3コース目私は、不妊治療の採卵のため帰る。採卵、顕微授精して、無事 卵は2つできた。凍結保存をして次回の受診は、翌年の2月。それまで時間を空けるのは、子宮筋腫の手術をした為に時間を空けないとならないとのこと。手術していただいた婦人科の先生に診てもらいもらい Goサインが出る流れ。その間、気兼ねなく実家で過ごせる。数日して、実家に帰る。母は変わりはないが、手足のピリピリ感と、味覚症状がでてるのが分かる。次女からの電話で「ごはんを作っても美味しくないって食べないだよ~」って言ってたのが納得できた。体に良いものを というより、本人が食べたいって思うものを出してあげようと思い作った。失敗だったのは、テレビ番組でやってる 創作料理とか、おしゃれな みたいなものは母には、好まれなかったようだ。馴染みのものがいいらしい。普段の生活は変わらない様子だった。やはり、好きなパチンコは たまに行くようだ。年末に近づいてきていたため、お節料理はどうしようか、買おうか?煮物だけでも作ろうか?みたいな話をした。母は、手足のピリピリ感があるので、作れるかな~?って心配をしており、私が助手をするよ~って話した。次女とは、年が明けたら旅行に行こうか?と話しをしていた。といっても遠方は無理なので、近場でね~って楽天トラベルを検索していた。
2016年08月24日
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12月上旬 母 化学療法3コース 治療ダイアリーに 足、くるぶしに浮腫みがあり、気になることを書く。手足の痛み、ピリピリ感あり。それと、味覚障害が出てきている。食事に 味がない、美味しくない。とちょいちょい言ってる。血液検査は、特に目立った異常はない。CT検査の画像では、肝臓、肺に転移したがんは半分位に減少してるってことだ。「凄いね~もしかしたら無くなるかもしれないね~奇跡が起きたりして~~そしてテレビ取材がきたりして~」なんてみんなで話した。もしかしたら、ほんとに奇跡が起きたりして~がんが無くなったりしてって思った。きっと母も そう思ったのかもしれない。同居の次女は、12月いっぱいで退職するため、今後 どうすればいいか迷っていた。母の体調がどうなっていくのか、先が見えなくてどうすればいいのか迷っていた。私は、帰ってきたい気持ちはあったものの 不妊治療をすることになったため、行き来することにした。そして、私は、不妊治療、採卵がある為 一旦 帰る。そして、採卵を終えてまた帰ってくる。年末年始は、実家で過ごしたい。今年は絶対。 の気持ちが強かった。
2016年08月23日
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11月中旬 母 化学療法2コース目 採血の結果は 特に目立った異常はなし。少しづつ 手先に ピリピリ感が出てきだしたようだ。それ以外は 変わらず韓国ドラマを見ては、ぶつぶついってる。日常生活に異常はない。たまに、大好きなパチンコにも行ってる。感心だな~って思ったのは、お酒とたばこは止めたんだ。がん宣告受けた日から止めたんだ。私達は、これを食べてがんが治った みたいな本を買って見た。100% そうしよう ってことではなく、やれるものはやってみよう いたいな感じで挑戦することにした。と言っても、その本には、2本足のものはいいと書かれてた。鶏肉。母は嫌いだから食べない。野菜ジュースは、始めて、継続してたかな。私は、術後の診察をして、不妊治療をして良いですよ。とDrのお許しをいただき翌月には、採卵をすることになる。そのため また一旦帰る
2016年08月18日
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直腸がんと宣告された母は、化学療法をすることになった。10月中旬 入院して、初日 1日の数時間 点滴したそうだ。食欲もあり。特に変わったことはなく過ごしたようだ。副作用に 手先がビリビリすると聞いていたので、様子を見に行くって言った姉に手袋を買っていってもらったが、必要はないようだった。それから、1週間程で退院して、化学療法初回 1コースを終えた。これといった、副作用はないようだった。私は、10日位 滞在しただろうか? 翌月は 子宮筋腫手術後の診察のため 一旦 家に帰る。年末年始は、実家で過ごそうって思った。 もう次があるかわかんないもんね。
2016年08月17日
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検査の結果 直腸がんの告知を受けた母治療法は化学療法 化学療法といえば副作用 Drは、がんのひと昔のイメージ、化学療法と副作用のことを、やさしく、わかりやすく説明してくださった。ひと昔前は、がんというと、家族に告知していた。が今は、本人にも告知する。今後の治療の説明や同意も必要のため今の医療は進んでいて、薬が合えば 数年、5年、10年 生きる方もいらっしゃるんですよ~ってDrがおっしゃってた。 そんな聞いたら 先が明るいね~ 長生きするかもしれないね~って私達は 話した。 なんだかそんか気もしてきた。母も明るく、前向きだった。ちょっと前までは、具合が悪い原因が分からなくてもやもやしていたみたいだったが、原因が分かったことで 少しすっきりした感じだった。ただ、それが がん だとは・・・本人、家族 そう思ってただろう。その後、化学療法開始のため、1週間程 入院することになる。 去年の 10月中旬
2016年08月04日
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去年の出来事。10月上旬 母の MRIとペット検査に同行する。結果は、先日姉が説明してくれた通り、直腸がん、肺、肝臓、膣」に転移あり。腫瘍マーカー値 CA19-9 938.6 CEA 523.1腫瘍マーカー値だけでも、凄い感じがする。手術はできない。治療法は化学療法、副作用も人によって出る、出ないもある。薬によっても違いがある。聞き慣れない言葉がたくさん出てきたが、Drはなるべく、分かりやすく説明してくださったような気がする。化学療法には、3通りあるとのこと。今決めてくださいってことではなく、色々考えて次回受診の時に教えてくださいってこと。色々 びっくりすることばかりだったが 当の本人 母は見た目は 元気であった。まさか この人が ステージ4 なんて誰が見ても思わないだろう。
2016年08月03日
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去年の出来事。がんの疑いが見つかり 病院を紹介してもらい、姉に連れられて検査に行った 母。連絡待ちの私に電話が入る。がんであるだろう、治療法は、化学療法しかないだろう、(転移があり手術はできない)MRIと ペット検査も必要だとのこと。 うんうん、そっかそっか 分かったふりか、分かったつもりかよく分からないけど、頭の中は ???マークでいっぱいだった。この日、大きな花火大会だったけど、とても迫力あったはずだけど、こんだけ ぼんやりした花火は なかったかもしれない。数日後に、MRIとペット検査らしいため、その日に 間に合うよう帰ることにした。
2016年08月02日
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去年の出来事私は、9月下旬に 子宮筋腫の手術を無事終え、5日程入院生活後 退院しました。姉親子は、プチ観光を満喫して帰ったようです。「母ちゃんによろしく言ってて、落ち着いたらゆっくり帰るから~」なんて言ったようなその後、家でゆっくりしてました。しばらく病院に行かなくてよくなれば 実家にか帰ってみよう~そんな思っていたある日 姉からの電話 「その後 元気?~~~~」元気と伝えると「母ちゃんがね~ がん らしいの・・・ets」 が~~ん!!って頭によぎった。頭が真っ白になるっていうのがこうゆうことなのか? 意味が分からないというのか?予想もしてなかったし、そんなそぶりもなかったというのか。最近 本当に体調がよくなかったらしく、食欲がなく、胃がむかむかしてたらしい。自分から病院に連れてってって言ったらしい。あの病院嫌いの母のことだから、相当だったのだろう。検査の結果 肺、肝臓に影があるらしいそれが、がんではないかとゆうこと。病院紹介と、検査を勧められたとのこと。ハードな内容で すぐには 頭の整理はつかなかったが、近々 帰るということを告げて電話を切った。それから、数日だろうか、頭の中はパニクッていた。
2016年07月29日
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去年の 私達の出来事。 9月の下旬に 私の子宮筋腫摘出手術の日程も決まり、10か月ぶりに帰省し母の料理を食べながら、たわいのない話をして過ごしました。そして 9月下旬、私の手術日前後には、観光がてらお見舞いに来ることを約束して帰りました。入院準備を済ませ、準備 OK 入院しました。翌日には手術です。それなりに不安や緊張はありました。母たちが来る予定でした。彼が空港に迎えに行きました。随分時間が掛かったようだ。来たのは、姉と姪だった。母は来なかった。バタバタしてて、ちゃんと話す時間もなかったのか 「母ちゃんは?」と聞いた。「朝、体がだるくて起きれないんだって、ほら~あれ、年寄りの病気よ~」って姉が言った。いやいやいや、私も数年 仕事で、高齢者と関わってきたけど、そんなの聞いたことないわよ~って思った。が、私も手術前で、自分のことで いっぱいいっぱいだったかもしれない。翌日、手術も無事終えた。姉達は、プチ観光を満喫してたようだ。その後、母が がん と知らされる。私達は予想だにしていなかった。
2016年07月27日
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去年5月 不正出血で受診し 子宮筋腫と診断され、年齢が高いこともあり不妊治療を勧められ紹介状を書いていただき 大きな病院の不妊外来を受診しました。不妊治療の説明を聞く。ある程度 歳をいった女性は妊娠しにくいのだと痛感する。まずは、検査をしないといけないと。なにか1つでも クリアできないと治療はできない。とおっしゃったような。その頃は、仕事をしていたが辞めることを決めていた。 それから、仕事と病院で忙しくなった。そして、不妊治療をするか、しないかの選択はなく、検査一色だった。そんなこんなで、5月~7月、8月は過ぎていった。子宮筋腫の摘出手術日も決まりつつあった。母に、筋腫のことは、言うべきか、言うほどでもないのではないか?と悩んだ為 姉達に話してみた。同居してる姉は、「いっつも、暇して韓国ドラマばっか見て、テレビに向かって文句ばっかり言ってるから観光がてら、そっちにいっても良いんじゃな~い?」って言った。長女にも話し 仕事を辞めたら帰省することを告げた私は、仕事を始めて数か月 帰省してなかった。母は、1年位 肩こりや手が浮腫んだりしていたらしい。9月中旬 10か月位ぶりに帰省した。母は、私の好物の料理を振舞ってくれた。その頃は、全く体調が悪いなんて思いもしなかったし、見えなかった。
2016年07月14日
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こんにちは、お久しぶりです。去年の話になります。去年の5月に、不正出血があり 2~3年前に流産してたこともあって、病院受診しました。その際 子宮筋腫が見つかりました。とは言っても大きいものではなく、摘出するほどでもないとのこと。次回、MRIをとります と。 子宮筋腫って最近よく聞く。知人も手術したっていってた。まさか、私が? 子宮筋腫? って言うのが正直な気持ちでした。後日 MRIをとり診察 摘出するほどでもない。経過観察でいいと・・・子宮筋腫と分かってから、ネットで検索 妊娠しにくいこと。年齢的に とても言いにくかったが Drに話す。「子供は諦めてないんですが・・・」するとDr 「年齢からして自然妊娠は難しいと思います であれば、摘出と不妊治療という選択肢もありますね」とのこと。不妊治療って今更? この歳で今から? やっぱり子供はあきらめようか~?と頭の中で考えがぐるぐる回ってた。彼も一緒に話はきいてもらっていた。その日から 話し合いは続いた。今更 不妊治療?の考えの私。やってみようと言う彼。話は、まとまらないまま 病院受診 Dr 子供を諦めてないと言ったからか 不妊治療をを勧める。「うちじゃ、専門はないので紹介しますよ。話だけでも聞いてみては?」という流れで、紹介していただくことになる
2016年07月14日
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ミィクが いなくなって もうすぐ 6か月になります帰ってこないんだろうな~~て諦めもありつつもしかして・・・・・まさかの奇跡ってあるのかな~~って思いながらそんな日々を過ごしてます。ジュンは 相変わらず 自己中ってゆうか わがままになったかな~とも感じ一緒に生きて行こう。って ナデナデします。
2011年08月04日
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