PR

×

お気に入りブログ

まだ登録されていません

コメント新着

コメントに書き込みはありません。

フリーページ

プロフィール

うさぎ仙人

うさぎ仙人

2006年01月15日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
・・・雨がやみ少しは暖かくなるようだ。

 世界に唯一の神話にも通ずる日本の天皇家。有象無象すべてに影響を与え続けてきた日本固有の天皇の存在。

 その数千年単位で継承してきた固有の存在を、どこが有識者なのかわからないが一年足らずで皇室典範改正を拙速しようとする目的が解らない。

 稚拙、拙速と言われるも当然で、有識者と言われる方々が開かれた状況で意を尽くし結論を出したのならよいが、開かれた皇室を目指すと言いつつ日本の根源たる『皇室典範』改正については、密室の中で拙速で得られた結論をいきなり提出されても、誰も納得できるはずがないだろう。

 日本にとっての最重要課題の議論が、開かれていない状況で結論を出そうなどというこの有識者会議なるものこそ、ナニモノダ??? 


◇【寛仁さま ご発言要旨】

 天皇さまというご存在は、神代の神武天皇から125代、万世一系で続いてきた日本最古のファミリーであり、神道の祭官長とでも言うべき伝統、
さらに和歌などの文化的なものなど、さまざまなものが天皇さまを通じて


世界に類を見ない日本固有の伝統、それがまさに天皇の存在です。

 その最大の意味は国にとっての振り子の原点のようなものだと私は
考えています。国の形が右へ左へ、さまざまに揺れ動く、しかし、いつも
その原点に天子様がいてくださるから国が崩壊せずにここまで続いたのでは
ないか。

 (有識者)会議の構成に私が口を挟むわけにはいきませんが、わずか17回、三十数時間の会議でこれほどの歴史と伝統を大改革してしまうことが果たして認められるのでしょうか、あまりに拙速に過ぎませんかと強く申し上げたい。




「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成18年(2006年)1月15日(日曜日)
         通巻1354号 臨時増刊号

女帝容認反対、皇室典範改悪阻止
 あの嵐と冷雨の日比谷野外音楽堂に豪雨をついて数千の“熱衆”




開場前に「熱衆」は、すでに1500人。

傘、傘、傘。炊き出しの豚汁や、ほっかほっかカイロ差し入れ。あの豪雨のなかを女帝反対デモもおこなわれ、ずぶぬれになりながらもデモにも1000人以上が参加した。カンパ箱にも浄財が多くあつまり、この熱狂は、冬の寒さを吹き飛ばす勢いだった。

スピーカーも予告通り、ほぼ全員が揃った。

井尻千男、伊藤哲夫、伊藤玲子、遠藤浩一、大高未貴、小田村四郎、加瀬英明、河内屋蒼湖堂、小堀桂一郎、田久保忠衛、中西輝政、名越二荒之助、西尾幹ニ、西村幸祐、荻野貞樹、宮崎正弘、三輪和雄、百地章、八木秀次、渡部昇一の各氏。一時からはじめて、一人二分という制限(守れるわけないでしょ)。

それでも合計21人の弁士は100分で演説会を終えた。



満場一致で決議。会の最後には「天皇陛下万歳」を全員で三唱、そのまま参加者はデモ行進に出発、会場から銀座、東京駅まで二キロを行進し、女帝容認がいかに危険かを街ゆく人々にも訴えた。

伝統重視の国民が、いよいよ立ち上がったという騎虎の勢いがあった。
 ◎


(当日の宮崎正弘の発言は以下の通りです)

「昭和42年に文豪・三島由紀夫はバンコックに長期滞在しています。タイを拠点にラオス、カンボジアに足を延ばしています。

 テレビ報道もされた東大全共闘との対決のときに三島さんは、
 「諸君らが天皇を守ると言ってくれたら共闘する」と発言しましたが、文化概念としての天皇制の重要性を主張した三島に対して、左翼の学生達は冷笑しただけでした。

 当時、ラオスもタイも王室尊敬の念は変わらず、とくに、パテト・ラオという共産主義ゲリラさえ、国王を推戴する「王政共産制度」なるものを模索しているように見えた、と三島さんは『文化防衛論』の最後の箇所で言っております。

 三島由紀夫が取材した当時の東南アジアはいずれも政情不安とベトナム戦争の悪影響がもろにふりかかり、共産主義が猛威を振るっていました。

 その後、ベトナムは共産化され、カンボジアではポルポトの二百万虐殺があった。

 カンボジアは国王制度こそ存続したが、国土は荒廃し、いまのカンボジアは嘗ての歴史的文化的伝統は残っていない。荒廃の土地です。

 ラオスでは巧妙に国王制度が廃止され、いまや旧国王の親族と末裔は古都のブルンパパンに生活しているだけ、その現場を筆者はみてきたばかりです。

 それが現実、もし日本が女帝を認めると、そして数十年後にもし、配偶者が共産主義者であったり、外国人であったりしたら、私たちは今日のカンボジアを、あるいはラオスを笑えるのでしょうか?

『文化防衛論』のなかで、三島さんは、次のように言い残しました。

 「タイの共産系愛国戦線が国王讃歌を歌って団結を固め、ラオスの三分の二を占拠する共産勢力、パテト・ラオが国王へ変わらぬ敬愛を捧げるなど、共産主義の分極化と土着化の実例を見聞した。

(中略)象徴天皇制を支持する国民が、代議制民主主義を通じて平和裡に、『天皇制下の共産政体』を容認するかも知れない。

およそ言論の自由の反対概念である共産政権が、文化の連続性を破壊することは言うまでもない。

文化概念としての天皇は崩壊して、狡猾な政治的象徴として利用されるか、のちに捨てられるか、その命運は決まっている。

このような事態を防ぐには、天皇と軍隊を栄誉の絆で繋いでおくことが急務だ。その他に確実な防止策はない」。

 この四十年ちかく前になされた三島さんの預言は、なんと慧眼であったことでしょうか。
日本が崩壊しかねない危機は目の前にあります!」
  ● ◎ ●


参考文献:
産経ネットによる
>寛仁親王殿下「短期間で結論、拙速」 女系天皇容認改めて批判

 「皇室典範に関する有識者会議」が女性・女系天皇を容認したことに関連し、寛仁親王殿下が10日発売の月刊「文芸春秋」2月号で、現在の男系維持のために旧皇族の復帰など「さまざまな選択肢があることを認識し、今すぐ決める必要はない」と発言し、同会議の結論を拙速と批判されていることが8日、分かった。

同会議の議論では皇族からの意見を求めておらず、今回のご発言は、次期国会での典範改正審議に微妙な影響を与える可能性もある。

 「天皇さまその血の重み-なぜ私は女系天皇に反対なのか」の見出しで
、ジャーナリストの櫻井よしこさんと対談されている。

 この中で寛仁さまは皇室の伝統を「神話の時代から延々と男系、父方の血統で続いてきた」と位置付け「この血の重みには誰も逆らえなかった」と強調。国民にも「血統に対する暗黙の了解、尊崇の念」があると主張された。

 史上8人いた女性天皇と女系天皇の違いを指摘した上で、民間人が女性天皇の夫になることが続くと「一般の家と変わらなくなる」との危機感を表明。

女系天皇の容認は「日本という国の終わりの始まりではないか」とし、男系維持のため、戦後に皇籍離脱した旧皇族の子孫が、断絶した秩父宮家や高松宮家の祭祀(さいし)を継ぐ形で養子として皇室に入るという方法も示されている。

 寛仁さまは昨年、自身が会長を務める福祉団体の会報で、私見として女系天皇に異論を唱えるエッセーを寄せられていた。



 ・・・今この時期に日本の根幹を揺るがす『皇室典範』の制度改革を拙速にもしようと画策する背景はなんだろうか?

 穿った見方は様々でてきている。思想信条に絡まった話も背景に混然としてあることも確かだろう。

 しかし、他国の伝統の衰退、光芒の前例が現前にある事を考えて、他山の石、とすることは四十年もまえの三島由紀夫氏の洞察からでも知恵を得ることはできるはずだ。

 日本の伝統、祖先を否定するような改悪を許してはならないと思う。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2006年01月15日 08時16分59秒
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: