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昔のたとえ話にこんなのがあった、
国道の脇で、
自分の車を見せている青年がいた、

イロイロ聞いてくる人には、丁寧に説明もしていた、
で、日も暮れてきて、
その青年は、帰ろうとして、 車を押し始めた、通りがかりの人が聞いた、
A:青年、 B:通りがかり、
B: 「何をしているんですか?」
A: 「イヤ、精一杯押しているんです、」
B: 「乗らないんですか?」
A: 「イヤ--、おじからもらった大切な車なんで、
大事にしようと、」通りがかりの人が車の中を覗き込む、
B: 「この車、すごいですね、フルオートじゃないですか、
しかも4000馬力って、半端じゃないですね、」A: 「ええ、すばらしくいいスペックですよ、」
青年は得意そうに、
ボンネットもあけ、5分ほど解説してあげた、B: 「チョッと乗らせてもらえますか?」
A: 「ドーぞ、ドーぞ、」
B: 「じゃ、ご一緒にいかがですか、」
青年が助手席に、 彼が運転席に座って、
エンジンをかけると、 豪快なエンジン音と共に、
車は2人を乗せ、一気に走り出した、B: 「ウワー、すごく快適じゃありませんか、
このまま、乗って帰られたらいかがですか、」A: 「イヤー、 ちょっとそれは--、
せっかく、ただでもらったのに、
何もしないと、 何か申し訳なくて、」車から降りると、
青年は、又、車を押して帰途に着いた、
車は、福音 (神のいのち) を表し、
青年は、自力キリスト者を表す、この青年は昔の自分の姿でもある、
(今もソーかも?)車についての知識習得や、
人へのアピールは人一倍強い、が、乗車体験がほとんどない、
それ故、ことごとく理屈っぽい、
自力信仰者(自分)のなれの姿である、
ところで、他力本願って、
自力で生きてきた人には結構難しく、
どっかでブレークさせる必要がある、そのブレークって、
往々にして、 痛い目に会わないと 起こらない 、
と言うのが、ナンと言うか--、特にトラブル時や、
何かで悩む時の対応にすごい違いが出る、自力(キリスト者)は、
徹底的に自分で考え、自分で悩む、
他力(キリスト者)は、
さっさっとあきらめ、他人(神)に悩んでもらって、
自分で悩まない、 <--- ここキモ!マッ、一度体験すると、分かるんだけどね、

そのラクチンさ、
おっと、又、理屈っぽくなってきた、
この辺で、
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