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随分かっこいいタイトルをつけたが、
今のもがいている自分にとって、
これが 最善の防御策 かと思われるからで、
決して、至高な思いからなんかではない、
自己中心に飽きたとは言いつつ、
自分にとって、
自己中心は自分の性質であるが故、
放っておくと、
自己中心、自己主張が、
遠慮なく、鎌首をもたげてくる、
その結果は、
不安であり、恐怖、怒りへと連鎖する、
* 続)不安の対処 by Bob Jones、Christ-Centered
ところが、ウソでもいいから、
他者のために生きる、とか、他者中心的考えにすると、
スーーッと、
さまざまな、どす黒い思いが引いていくのがわかる
あの人のため、この人のため、
オレは生きるのだ、
と宣言してしまう、
それだけ、
マッ、ウソとはいえ、
宣言をするようになること自体が、
成長と言えば成長、
しかし、真剣に言うのではなくて、
手段として言うあたりが、苦労人のきわみ(?)、
*神のために生きる、と言うのもあるけど、
チョッと、漠然としているので、
とりあえず、他者のために生きる、だな、
その昔、
こちらの特攻隊の写真を拝見して、
なぜ、彼らは、こんな若くして、明日の特攻を目前に控え、
笑顔なのか、よくわからんかった、
しかし、今なら、
なんとなくわかる、
自己中心が心にまるでない、
国のため、親のため、
それだけが心を占めていたーー、
(以下、以前の日記「 長生きを考える 」から、)
20歳そこ そこの青年が、250k爆弾を積み、
明日の出撃 を前にして、この笑顔は何か?
彼らの前にあったのは、使命感、充実感、
彼ら に、死を云々する隙間(時間、余裕)は、
微塵もなかったのではないだろうか、と推測、
そして、これこそが、
長生きを考えるヒントになるのでは(と思った)、
即ち、人生を考える時、
長さを尺度にすると、ドーもかみ合わない、
長い短い ではなく、
今をドー生きているか、生きるか、
そうしている内に、
死なんて、勝手にやってくるわけだし、
人は、いつから人生を長さで、
考えるようになったのだろう?
いや、正しくは 、
長さで、考えさせられているのだろうか、
(参考)
自己中心の結末、
横浜国大名誉教授、妻と口論し殴られ死亡
(2013年8月26日11時57分 読売新聞)
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