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2ヶ月近くもご無沙汰してしまいました。皆様お元気にお過ごしでいらっしゃいますか?というより、もう忘れられちゃってる可能性大ですかねwパソコンの調子は相変わらず悪くて、書き込みするには忍耐が必要なのですが、最近はmixiの方で主に日記を書いております。携帯からの更新が多いのですけれど。ここ2日ほど風邪で熱出したりのどが痛かったりしましたが、無事に復活して昨日27日、45歳の誕生日を迎えることが出来ました。(ガガさん、素敵なお城をありがとう!! 誕生日、忘れずにいてもらえて嬉しいです。チューしたいですw)仕事の方は相変わらずの自転車操業で、今月は長期にわたってうにくろさんの検品に追われています。罰金もまた払いました(号泣)。時間に追われてゴスペルの練習もひと月まるまる休んでしまいました。コンサートに向けて覚えなくちゃいけない曲は多いのになぁ・・・特筆すべきことは特にないのですが、あ、そうそう、中学時代の同級生に29年ぶりに会うという機会に恵まれました。今年は結構いろんな意味で長らくあっていなかった人との再会が叶っています。そんなめぐり合わせの時期なのかなあ。父鮭もあちこちガタがきてはいるものの、なんとか元気にはやってくれています。今年は二人で花見にも行きました。なんだか取り留めのない近況報告でしたが、元気でやっていますの一報をお届けしました。良い週末を & 楽しいGWをお過ごしくださいませ。
2007.04.27
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ここのところずーっとパソコンの機嫌が悪いです。今日は、本当に久しぶりに、奇跡的に書き込みができる状態になってくれましたが、ここひと月ほどは、ウインドウズを立ち上げるまでに一苦労。そして何とか立ち上がっても、カーソルキーを書き込みスペースに合わせたとたんに////・・・ とスラッシュキーが暴走して、一切書き込みが出来ない状態が続いているのです。以前、楽天のブログを携帯から書いたことがあったはずなのですが、携帯のアドレス登録を解除してしまっているので、やり方も思い出せず、更新がままなりませんでした。その間に、友人から誘いを受けたmixiにはまってしまい、今はそちらで携帯更新しています。何か書いてな気が済まんのやねきっとw前回の日記に書き洩れたことですが、1月のジャズ発表会には、楽天ブログ仲間のたまにんさんにお越し頂き、少しですがお話もさせて頂きました。ゴージャスなバンドの演奏で歌わせて頂ける至福の時を過ごさせて頂き、本人は至って満足していたのですが、はたしてその喜びが、聴きにきて下さったみなさんに伝わりましたかどうか(^^ゞそして、今日はゴスペルの練習日。今練習しているのは、6月末の定期ライブに向けての新曲ばかりなのですが、なんとまあ、言い回しが早口言葉並の、音数・言葉数の多いこと!口が回らない鮭、歌うまでいかず、つぶやいている始末でございます。春ということで、お約束のヒノキによる卍固め(ヒノキの花粉症)も喰らい、ついでに黄砂も吸い込み、つい先日は、長年放置していた親知らずの虫歯による口中一揆に七転八倒し、なかなかにご機嫌斜めな日々を過ごしております。皆様には心地よい春が訪れていますか?今日は書き込みできたものの、一度電源を落とせば次はどうなることやら。せっかくコメントを頂いてもろくにお返事が出来ないかも知れませんことを、予めお詫び申し上げておきます。グリーンジャンボが当たったら、地デジの見れるパソコン欲しいなあ。
2007.03.08
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ご無沙汰しています。ようやく外付けキーボードを新しく購入し、エンターキーが有効な環境になりました。今日2月6日は、母鮭の命日でした。早いもので、もう1年が過ぎました。1周忌の法要は日曜日に済ませ、形見分けをし、ちかしい人に母鮭の思い出の品を貰って頂きました。ひとしきり思い出話に花を咲かせ、ちょっぴりしんみりしながら、一日を過ごしました。ひょとして、何か気配でも感じさせてくれるかしら と思って、母鮭が彼岸へ旅立った頃かなあ と思われる時間まで起きてみましたが、それらしき現象は無く、今朝は目覚ましを止めて2度寝をしてしまい、重役出勤してしまいましたw 何をやってるんだか(^^ゞ落ち込んだ鮭を励まして下さった皆様。その節は本当に有難うございました。皆様の暖かいお言葉は、鮭の心の杖になりました。これからもよろしくお願いいたします。
2007.02.06
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一ヶ月のご無沙汰です。今年はずっとこんな調子だったような(^^ゞ メールチェックもろくにせずにいたら、またしても外付けキーボードがマウスとストライキ。よって、本日は改行がワケワカメです。おそらく読みにくいことこの上なしなので、クリスマスコンサートの告知のみさせていただきます。 クィーンズベリーの最新情報2006 クリスマスコンサートを開催します!開催日:2006年12月16日(土)場所:ゲンキープ大阪(大阪府立健康科学センター) 1Fロビー (JR環状線、または地下鉄「森之宮」駅下車。徒歩2分)時間:開場午後2時30分 開演午後3時(4時半くらいまでの予定です)開 場 : 午後 2時30分 開 演 : 午後 3時 (4時半くらいまでの予定です)出演者 : Queensberry Gospel Choir & Cherubin Ledies Choir演奏曲目 (12曲)Holy Holy Holy~ Total PraiseMy Life Is in Your HandsIt's Rainin'Hail Holy QueenLean on MeBless MeJesus Is the Reason for the SeasonWinter WonderlandThe Night That Christ Was BornJoy to the worldGod,Great GodI Need You to Survive お時間、ご興味有る方は、是非是非お越しくださいませ。クリスマスソングでは鮭、ネタをしこみます。お楽しみに~
2006.12.13
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毎日のように報道される、いじめによる自殺者のニュース。自分の親に虐げられ、あげくに殺される、年端も行かない子供達。生まれてきて無駄な命なんて、この世にひとつだってありはしないのに・・・見ず知らずの人達の、悲しい最後を聞くたび、悔しくて、切なくてたまらない。命の大切さを、言葉で説くのは難しいのかもしれない。でも、体感する悲しみで、いくらかの学習はできるように思う。最近は、おじいちゃん、おばちゃん達も元気でご長寿という家族が多いから、初めてちかしい人の死に触れる という経験をする年齢が、どんどん上がっていっているように思う。そうでないにしても、小さい子どもは火葬場には連れて行かない という人も居る。でもね、鮭は思うんだよ。小さい子供にこそ、誰かが死んだ ということに対して、そこで大人たちが見せる悲しみの様子を、しっかり見せておくべきなんじゃないかな って。火葬のあと、骨になって出てくる遺体をみせて、お骨拾いもさせてやって、人間が死ぬってこういうことなんだ っていうことを、経験させてやれる場があるならさせてあげる方がいいと思うんだよね。まあ、あまりにも感受性の強い子だと、逆に怖がりすぎる心配はあるだろうけれど・・・。それでも、テレビやゲームの画面の中ではない、現実の世界で、誰かを失うことに伴う悲しみというのは、とても深いものなんだってことを、本人に自覚するだけの感情が育っていない時期であっても、その空気感を感じさせてあげることは、とても大切な気がする。会社の隣のお宅では、最近子犬を飼い始めた。タロウと名づけられたミニチュアダックスの子供は大層愛らしく、おねだりをした幼稚園児の子供も構いたくっている様子。見ていて微笑ましい。どれだけ面倒をみてあげられるのかはわからないけれど、守ってあげなくちゃいけない と思える生き物の存在は、必ず、優しさを生むと思う。そういえば、最近の小学校でも、兎とか鳥なんかの小動物を飼ってるんだろうか?思い出すのは、鮭が小学5年生の時のこと。学校で兎を飼っていて、高学年になると順番に小屋の掃除や餌やりをするきまりになっていて、丁度その時は鮭のクラスが担当だったんだけれど、ある朝登校してみると、兎たちがみんな死んでたんだよね。多分イタチにやられたんだと思うんだけど、見つけた鮭たちはそれは大ショックで、とにかく早く先生に知らせなくちゃ! って大騒ぎになったんです。小学校の頃って、鮭の時代はみんな、授業が始まるかなり前に登校してたので、先生の方が遅かったりしたんだよね。その日も、学校から近いところに住んでた担任はまだ登校してきてなかったの。それを知って、鮭と数人の女子が代表で、先生の家まで走っていったんだよね。丁度途中で出勤途中の先生と会えたんで、それはもう、意気込んで「先生、えらい事やねん、兎が、兎がみんな死んでしもてんねん」と、我先に報告しましたですよ。そのときの先生の言葉は「そんなしょうもない事でわざわざ家まで来るな!」でしたさ。40代の、学年主任の男の先生だったんだけどね。鮭たち子供にしてみれば、けっして「しょうもないこと」ではなかったんだけれど、先生にすれば、兎が死んだぐらいのことで俺のプライベートの範囲まで来やがって って言う部分と、例え近いとはいえ、児童が登校後に学校を出てきた ってことに対して、何かあった時に自分がどこまで責任とらされるか みたいな部分があったんやろうと思います。だってね、ホンマに鮭らは必死で事情を話したわけですやん?えらいこっちゃー! やったから。どうしたらいいのかわからんかったから、先生が来るのを待つのももどかしかったわけです。そやからね、それを「しょうもないこと」の一言で否定されて、気持ちの持って行き場がなくなったんです。少なくとも、一番頼りになる大人やった担任の先生には、違う言葉をかけて欲しかったわけやから。走って行ったみんな、その場でシュン太郎ですわ。その時から、鮭は先生を信用しなくなりました。6年の時にも担任やない女の先生と、用務員室で大げんかしたこともありましたw あることで呼び出された鮭の主張を、頭ごなしに「そんなん屁理屈やわ」とぬかしやがったので、「それやったら、先生が言うてる事が屁理屈やないいう証拠見せてみい」 って。それこそわけわからん主張でしたけどw 大人やからって言いくるめられて従うつもりなんてさらさらなかったですね。煙たい子やったやろうなwでもね、子供にとって、学校の先生、特に担任って、やっぱり大きな存在やと思うんですよ。親の次ぐらいに身近で、毎日のように接してるわけやから。そんな、自分にとって味方になってもらいたい存在の大人に、自分が持ってるつらい気持ちやら、親には言われへんけど誰かには聞いて欲しい っていうような心の叫びを、大人の価値観であっさり否定されたら、心や気持ちが孤立無援になってしまうと思うんですよ。現に、自殺報道された児童や生徒たちの何割かは、担任に相談してるわけで、そこで「親身になってとりあってもらえなかった」っていう絶望感を感じた子も少なくないとおもうんですよね。もちろん、憶測でもの言っていい問題ではないとは思うんですけど、否定しきれない事実ではあると思います。自殺した児童や生徒の担任の先生だけやなく、先生みんなに考えて欲しいです。特に、小学生の先生に。大人の考えを基準に子供達の訴えに是非をつける前に、それがどんなに「しょうもない」と思えることでも、ちゃんと子供達の言うことを最後まできいてあげてやってますか?「子供達のためにしなけらばいけない仕事」で忙しいのはわからなくはないけれど、そこでストレスを溜め込んで、子供を犠牲にするのは本末転倒ですやん。まずは子供の主張をちゃんと聞いてあげなあきませんやん。頭ごなしに否定したり、子供の主張を「子供のいうこと」と軽んじたらあきませんやん。中学受験ささなあかんから、どんどん勉強前に進めてもらわな困ります なんてぬかすアホなPTAにも声を大にして言いたいね。小学校いうのは、勉強教えるだけのとこと違うで。大体、そんな親に限って、きっと「学校楽しいか?」って問うてやることすらしてへんのやろうと思いますね。子供らにとって学校は、楽しい所やないとアカンのよ。これはもう、絶対よ。そうやない というやつ かかってきなさいw
2006.11.14
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梅田に出るたび覗くヨドバシカメラで、いつも売り切れ状態の携帯ゲーム機「ニンテンドーDSライト」一家に一台くらい行き当たらないと手に入らないのかなあ と、入手を半ば諦めていたのですが、今日、タイミング良く入荷したばかりの時刻に遭遇できて、5色の中から買うならこの色! と決めていた黒をゲッチュしましたヽ(^o^)丿先日、電車の中で、鮭の向かいに座った小学校低学年の姉弟が、それぞれのマイDSでゲームをしていたのですが、二人のゲーム機を見ると、お姉ちゃんはラブ&ベリー(だったっけか?)、弟はポケモンのシールが貼りたくってありましたw以前、他の人のDSライトで遊ばせてもらったことがあったので、その質感は覚えていたのですが、アクリルとエナメルって感じの照りの強い光沢があって、手にいれたらなるべく傷つけたくないなあ ってタイプの材質なんです。でも、子供達にとってはそんな質感なんてどうでもいいみたいでw 考えたら「おもちゃ」なんだもんね。大人にすれば遊ぶための「ツール」ってイメージだったので、自由気ままにカスタマイズしている子供達のDSは、目からウロコだったわけです。なので、もし手に入れたら、好きにしよう! って決めてました。ゲーム売り場から携帯電話売り場に直行して、デコレーション用のシールを物色。気に入ったものがあったので数種類買って(シール代2000円も使っちゃったよw)帰りました。帰宅して早速デコレーション。蒔絵シールで純和調にカスタマイズしました!難点は、黒だから指紋がえら目立ちすること。この上から透明シート貼ったほうがよさげ。ピントがきてないのでわかりにくいですが、風神・雷神に桜の花を散らしています。やることはゲームですが、見た目は「大人~」な仕上がりに大満足です。とはいうものの、流石に、40半ばのオバハンが電車や街中でゲーム←たとえそれが必要に迫られた と言ってもいい「脳トレーニング」のソフトであっても ってのには抵抗があるので、もっぱら家で眺めて楽しむ用 なんですけれどね(●^o^●)本体だけがあっても仕方ないので、1本ソフトを購入しました。ベストセラー化している脳や常識トレーニング系のソフトにも興味あったのですが、音楽系のあるソフトのキャッチに惹かれてそれを購入しました。どんなキャッチなんだって?「マイクに向かって鼻歌を歌うだけで楽譜が作れる」これですよ、これ。クィーンズの皆は知ってるんだけど、以前皆に歌ってもらったオリジナル曲の楽譜なんて、おたまじゃくし出てきてないんだからねw 全部「カタカナ」でっせヽ(^o^)丿ミソソーミソミラーみたいなw言い訳させてもらえば、書こうとおもったら書けるんです! ただ、面倒くさいのよ。裏拍とか休符始まりの付点音符多用な曲ばっかり作るもんで、自分で小節またがるスラーの計算とかが、だんだんわけ解からんようになってくるの。あまりにもキッチリ書こうとするから。メンバーのKやんなんかは、パソコンソフトを上手く使って、パート譜とかちゃんと作ってやるんよね。さすがA型さん。ワシには無理だ・・・でも、作った曲は記譜したいそこでジレンマが発生するわけです。MIDとかで鍵盤入力すればいいんやろうけど、それもパソコン絡みで面倒くさいし・・・だから飛びつきましたね。鼻歌で楽譜が出来るなんてブラボーじゃん!! って。でも、甘かったw所詮、4000円ほどのゲームソフト。そういや、脳年齢チェックやらしてもらった時に「チョキ」を何回も無視されたんだったよ(T_T)考えてみりゃあんなにちっちゃい内臓マイクの性能なんて知れてるよね。ならば自分で打ち込みする方法で・・・ と意気込んだら、ゲームで一定の演奏レベルをクリアしないと使えない機能になってました。そうなんです。もともとはボタンをタイミング良く押して音を奏でる系の音楽ゲームなんですよ。昔PSで流行った「パラッパラッパー」みたいなやつやね。ただ、楽器の種類が8種類あって、最大8人でセッション出来るようになってんの。これはメンバーたちとやってみたいかもです。そんなわけで、付点音符だらけの自作曲を鼻歌で楽譜化 という、鮭の野望はあっけなく潰えましたw 地道にやれっちゅうことやね。先日の日記にも書いた、中村 中(あたる)さんの曲を聴くうちに、自分の中で詩ができたのですが、一部メロディーも一緒に出てきたので、少し時間をかけて仕上げてみようかな と思っています。まあ、素人なんで、オリジナルって言っても、多分に「どこかで聞いたことのあるメロディー」があるはずなんですよね。パクリ疑惑アリアリやんw それに、偉そうにオリジナル曲とか言ってますけど、実際は作曲の勉強したことないから、曲のサイズとかもメチャクチャで、コードもようわからんから、コード進行?何それ? な低レベルなんです(^^ゞ 鼻歌に毛ぇ生えたようなもんですわヽ(^o^)丿スー様もそれは流暢に、しかもさらっとピアノ弾きはるし、先に書いた中村中さんもかなりオールマイティに楽器をこなす方。音楽のミューズに愛されてる人は、色んな才能を持っていらして、そこらへんがやっぱり素人とプロフェッショナルの大きな違いなんやろうな と、指を咥えている鮭です。1人に1人、もれなく神様をつけてもらえるならw 鮭は「言葉」の神様に愛されたいかな。今のところ「風邪の神様」くらいしか普段は縁ないけどね~w言葉といえば、中村中さんがらみでリンクさせて頂いているakaboshiさんという方のブログにも詩のカテゴリがあるのですが、鮭の波長にとてもしっくりくる作品が多くて、沢山あるのでちょっとずつ楽しみに読ませてもらっているところです。詩が好きなかたは是非覗いてみて下さい。柔らかくて優しい言葉が、心をほっこりさせてくれます。鮭が好きになる詩人さん(シンガーソングライターも含め)は、基本的に、言葉が持つ棘の痛みを、強く体感したことが有る人なんだろうなあ と思える人が多いです。そこから派生する柔らかい、優しい、でも弱くない部分にシンクロするんだろうな。時間ができたら、昔書いた詩を、別のHP作って載せようかな。
2006.11.12
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またしても一ヶ月のブランク。これって継続のうちに入っているのかなあ(^^ゞ前回の日記の続きを書こうとするたび、考えがまとまらずにいつも途中で書き込みギブアップ ということが数回ありました。結局たどりついたのは「何言ってんだか」ええ。自分に対するツッコミですねw 日々の暮らしの中で、自分の小ささを思い知らされる出来事が続いて、いろんなことがめんどくさかったり、行動を起こすのが大儀だったり、ルーティンワークのごとくただ生きてる自分に、嫌気がさしつつも改める努力をするでもない。・・・立派に鬱の領域じゃん(T_T)外に向けた発信機が故障してしまっているのかも知れません。パソコンは、メールのチェックに開くものの、皆さんのブログのチェックはおろか、自分のページもほとんど見ていませんでした。ついさっき何件かにお邪魔して、みなさんまめに更新していらっしゃるのを拝見し、やっぱりブログはこうでなきゃいかんよな としみじみ思った鮭でございます。ここん所の鮭は・・・まず、髪を切りました。紹介してもらった美容院は梅田にある、いかにも若者向けな店だったのですが、たまたま担当してくださったのが店長さん(後で名刺?をもらってわかった)で、希望の長さやら髪質のことやらやりとりしながら、最終的にはお任せでカットしてもらったところ、年齢相応のコンサバ系に仕上げてくださいました。パーマかけようかな とも思っていたのですが、結局はカットのみ。代りに白髪染めをしてもらいました。で、毎回そうなんだけど、次の日にシャンプーしたら、悲しいかな別人なんよねw当日のブローは、アイロンを使ってストレート風に仕上げてくれていたので「コンサバ」だったのですが、シャンプーして一夜明けたら見事に「ザンバラ」にw いや、すんごい癖毛なのよ実は。右に左に跳ねまくりで、なんじゃそら な頭になりはててます。矯正パーマでストレートにしてもらった方が良かったかも(T_T) 切ったのとすいてもらったのとで、床に散らばった髪の量はハンパではなく、掃きにきてくれたスタッフに店長さんが思わず「掃くな!」と指示を飛ばしてはりました。カットが終わって席を移動する際に見せてもらったその髪の量ときたら・・・ カツラ3人前くらい作れそうでしたw 再度掃きに来てくれたスタッフの人も「正直この量初めてですわ」 だってw でもなあ、父鮭に似ても母鮭に似ても、結局禿げるんだよねwしまった、捨てずにとっといて自分のヅラにすりゃよかったか!それから、4日の昼間に、ちーこっこが2年の寿命をまっとうして旅立ちました。父鮭の入院の時に実家から引き取ってきて鮭の部屋で飼っていたのですが、最後の二ヶ月ほどは、皮膚病の悪化で目も完全に塞がってしまって、見ているのが不憫なほどでした。ここ2週間ほどは、毎朝、生きていることを確認して「おぼっちゃま」のセリフよろしく、「今日も頑張って生きよ~」と声をかけ、帰宅したときも「生きとるか~」と声をかけていたのです。朝、出かけるときはまだ生きてましたが、午後2時ごろ帰宅した折にケージを覗いて違和感を抱き、つついてみたら死んでいました。まだ少し暖かかったから、手にのせてちょっとの間撫でてました。そのあと父鮭に報告の電話をしたら、母鮭の花壇に埋めてやるから持ってきて とのことだったので、実家に帰る予定にしていた翌日の日曜に連れていきました。母鮭が大事にしていた白い紫陽花の根元に埋めました。玄関先にケージを置いていることが多かったので、今朝もついつい、行ってくるわな と声を出しそうになりました。小さい生き物だったけど、それなりに情が移っていたので、やはり寂しさは拭えません。ここ数日、同じ曲を何度も聴いています。ほんというと、クリスマスライブの新曲の音トリができてないのでそっちをメインに聞かなくちゃいけないんですけども(^^ゞ 聞いているのは中村中(なかむら あたる)さんという人が歌っている「友達の詩(うた)」という曲。最近よく流れているので聞いたことある方も多いんじゃないかな。すごく透明感のある、伸びの在るファルセットで、心にすーっとしみこんでくるメロディラインの曲です。トランスジェンダーがテーマのドラマの主題歌として使われていたのを聞いて、いい曲だなあ と思っていたのですが、作中で、役名は違うものの、実際に、彼女自身もトランスジェンダーであり、カミングアウトしてデビューするという、ご自身をなぞらえた役で出演して歌っておられました。検索で行き当たったある方のブログで、試聴出来るところやら、インタビュー記事やらも紹介されていて他の曲も聞いてみましたが、「友達~」とは結構なギャップがあるんですよね。CDシングルでカップリングになってる「冗談なんかじゃないからネ」という曲や、デビュー曲の「汚れた下着」という曲などは、何ていうか、鮭のイメージ的には「場末のキャバレー」が浮かんでくるような、ジャズやらブルースの匂いもさせつつも、実はノンジャンルな歌謡曲 という感じで面白いです。友達~みたいな、万人に受け入れられやすい曲ではないと思うけれど、鮭には嵌った。久しぶりに追っかけて聴いてみよう という気になったアーティストさんです。 でも、まだ21歳なんだって!鮭の半分以下だよヽ(^o^)丿 早めに結婚して子供産んでたら・・・ まさにそのあたりの年代だよなあ。でも、年数とか世代とかって正直関係ないですね。歌も含めて音楽は、魂の部分で共鳴するかどうかって所だと思います。鮭なんか、彼女が「聴いて震えた」曲としてあげているリストの中に森田童子の曲があったってだけで、応援したげる! って気になってるしw先にも書いたある方のブログ(ブックマークに入れておきました)で、中村さんの情報はかなり入手できますので、気になったかたはチェックしてみてくださいね。試聴も色々できます。取りあえず、「友達の詩」は、彼女の声の魅力ともあいまって、聞いて損のない曲だと思います。ちなみにこの曲は、彼女が15歳の時に初めてつくった曲だそうです。歌詞全般は著作権のことがあるからここでは紹介できませんが、鮭がノックアウト喰らった一文だけ紹介させてもらうと 忘れた頃に もう一度会えたら 仲良くしてね泣けちゃったからね この1行で。もちろん、前後の歌詞とのつながりがあってこそなんだけれど、鮭にはこの一文の中に、彼女(曲を作った当時は男の子)が託したかった未来への自分に対する思いが凝縮されてる気がしました。ま、勝手に深読みしてるだけかもしれないけれどw でも、少なくとも鮭にとっては、この一文があるから、この曲が体裁の良い綺麗事ではなく、嘘でない歌として入ってきました。最近、美輪さんとか江原さんとかの影響で、自分の前世っていうものについてぼんやりと考えてみることあるんだけど、性的なところでいうとほぼ間違いなく、前世のどこかで鮭は、マイノリティグループに属してたと思うんだよね。現世である今はマジョリティにいながら、そこに居ることに疑問を持つわけじゃないけど、正直なんだか居心地はよろしくないw という部分の説明が、そう考えるとすごく納得できてしまうわけです。 って、他人さんにとってはどうでもええ話やわなw失礼しました(^^ゞ何年たってもチリメンビブラートが改善できず、伸びのあるファルセットを作り出す喉用のコルセットが欲しいぜ な鮭にとって、中村中さんの「友達の詩」は、聞いていて本当に気持ちの良い曲なので、ちょっとみなさんにも押し付けてみようかなとヽ(^o^)丿 地声の男の子っぽい声との境界線が解かり易いのも共感できる所だったりします。ご本人には不本意かもだけど。次の日記はいつになるやらwお気楽にやっていきます。けど、会社が結構な大ピンチなので、カテゴリから「社長」系が外れる日はあまり遠くないかも・・・ 50手前で路頭に迷うはめになるのか・・・ どうする、ワシ 続くぅっ!
2006.11.06
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文部省の人事交代で、小学校でも必須になりかけていた英語教育に、その必要なしの御触れが回ったようで、現場の混乱をまねいているらしい。文部省がそれを必須とするならば、小学生にとっての英語は、勉強するべきひとつの科目になる。すなわち、修得すべき語学ということだ。けれど、必須撤回に素早く反対の旗を掲げているらしい、教育熱心な親たちが覚えさせたいと思っているのは、恐らく英語という「語学」ではなくて、英会話 という、意思疎通の手段なんだろうと思う。小泉元首相が必須にしたがったのも狙いはそっちだよね。確かに、外国人との会話が必要な場面は、日常生活の中で、一昔前とは比べ物にならないくらい増えてきているのだと思う。特にビジネスの場に於いては、アメリカ人に限らず、アジア近隣諸国、ヨーロッパ等々、様々な文化圏の人との会話が必要となっている。外資系企業なら自分以外は皆外国人 なんていう部署も珍しくないのだろうし。そういう場での共通語は、恐らく英語なんだろうな。ここでみなさんに質問です。なんで英語が、グローバルな会話言葉として、ここまで世界で浸透しているのかって思いますか?鮭が出した答えはこれ。「簡単だから」だってね、もしも英語の文法やら、発音やら、言い回しやらがとっても複雑だとしたら、母国語以外の言葉を、これだけたくさんの国の人が習得できるはずがないと思いませんか? それらが、例えば本場?イギリス人から文法的に見て「それはどうなのよ」な使われ方をしていても、アメリカ英語なんかは、伝わるためのハードルが結構低いと思うんですよね。同じ欧米系でも他の言語は、女性名詞とか男性名詞とかあって、使う名詞によって、それにひっついてくる助詞とか副詞とか(はっきり知りません。間違っていたらお許しを)かえなくちゃいけなっかたり、発音も喉で息を震わせなくちゃいけなかったりとか、手間かけなくちゃいけない部分が多いですよね。日本人の多くは、自分が学校で長い時間かけて習った英語で組み立てる文章は、いわゆる話し言葉とは遠いところに在る っていうことを自覚してると思うんだけれど、結局、けっして間違っているわけではないのに、意思疎通のツールとして使いこなせない自分の英語 にジレンマ感じて、自分は英語が話せない というふうに思い込んでいるんだと思う。あ、ここで誤解をといておきますが、鮭は英会話が得意な人ではありません。今まで外国人の人とサシで話さなくちゃな状況に身を置いたこともないし、ダーリンは外国人 ってなわけでもありません。え、ダーリン居るのかって? すまんね、四十路半ばでまだ独身で!いや、話ずれましたが、世間の多くの人達と同じように、できるものなら習得したいぜ英会話 な、ほとんど会話できない人間です。まあ、強気なことを言わせてもらえば、会話に見合うだけの単語を知ってれば、それなりに話せるとは思うんですけどね(^^ゞ いや、強気最上級ですがwじゃあなんで、タイトルの主張になっちゃうわけ?とのご指摘があるかと思われますが、そこについての鮭の考え方は他人と、会話で上手く意思疎通するために必要な、自分側の技術って何? っていう質問に対しての自分の答えなんですよ。皆さんならどんな答えを出されますか?鮭にとってのそれは、自分が伝えたいと思うことを、言葉のかたまりとして伝わり易いように、順番も含めて「纏めること」です。勿論会話の中で成立させる事ですから、前日の晩から考える というような時間は無いわけですw たとえ、スパイスとして大阪人的な、ここはツッコミ入れて頂戴よ な、おちょくりを入れるとしても、瞬時に判断して適所に入れなければ、大阪人としての面子が立たないわけで、やはり、伝えたいように伝えるためには、テクニックがいると思うのです。 と、此処まで書いたところで、もうこんな時間になってしまいました。明日に備えてそろそろ寝ることにします。ディープインパクト、残念だったね。続きはまた、明日以降に。
2006.10.01
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つい今しがたまで、知らん間にできるようになっていたらしい リンクス ちゅうやつを覗いてました。けどこれ、ついこの前まで要紹介とかじゃなかったっけ?どんどん遅れてきてるがなワシ(T_T)話は全然かわりますが、27日の晩、大阪ミナミのジャズバーに、スー様こと鈴木央紹さんの演奏を聴きに行きました。最近のスー様は、ルパンバンドなるユニットで更に知名度があがってきているようです。今月の初旬に放送されたアニメ、ルパン3世の作中で、ルパンが訪れたライブハウスで演奏しているバンドメンバーの一員として、アニメーションのキャラになって出演もされていたそうな。27日はセント・ジェームスっていう老舗のジャズバーで、そこのオーナーの田中さん(pf)に、鮭にとってのお馴染みのメンバーである、鈴木、佐藤、時安のトリオが加わってのカルテットだったのですが、めっちゃ良かったんです~。もうね、何とも言えない高揚感があって、聴く耳は素人さんの鮭ですら、どんどん引き込まれてゆきました。隣のテーブルにいらした、40代後半と思しき男性2人連れも、ノリノリでした。その後にやってきた、こちらは30代後半位のサラリーマンズもノリノリ。鮭がよく行く場所では、客はスー様目当ての若い女性のほうが多いんだけれど、流石に老舗のバーだけあって、いかにも「JAZZ語れます」な感じの音楽ファンが多かったです。だから余計に心地よかったのかな。考えてみれば、鮭、2年前までは正直、歌のない音楽を長時間飽きずに聴ける日がくるなんて思ってもみませんでした。普段クラシックとかもまず聴かないしね。バンド系の音楽でも、ドラムソロなんてやられた日にゃ、3分しないうちに「早ソロ終われよ~」と心の中で叫びたおす位、インストの音楽には興味なかったです。それが今では、ボーカル要らんしwドラムソロ5分でも聴けるしw変わればかわるもんやなあ と思います。出合ったのが本物で良かったなあ。いい音が聴ける幸せを堪能した日でした。そういえば、12月だったかに、コルトレーン・ナイトなる、カバー企画が実現するようです。鮭は全然勉強不足で、コルトレーンの凄さとかについては何も語れないのですが、スー様いわく、意外にも「コルトレーン・ナイト」は初めての企画なんだそうです。あと、ホーンプロジェクトなるユニット企画もあるそうで、数種類の吹奏系楽器のコラボなのだとか。めっちゃカッコええよ と、我が師匠が感想を述べておられました。どっちも聴きにいきたい・・・ ゲイジツの秋は財布から、羽を生やした諭吉さんがきっと飛ぶ飛ぶwそういえば、無冠に終わったスポニチのコンテストは、もうすっかり過去の話ですなあw次は、天保山でのゴスペルのコンテスト、先生の発表会でのミニステージ、ゲンキープでのクリスマスコンサートと続きます。そのほかにも、詩吟の秋季大会、JAZZの発表会等、向こう3ヶ月はまた、声だしまくりの日々になりそうw取りあえず、ここ数ヶ月、大幅な売り上げ不足で、給料日のその日に、給料未払いが続くが我が身のトホホさをかき消すべく、デカイ声だしていくか!好きといえばもう一つ。東京でやっている、マリアの心臓という展示会があって、球体関節人形好きの鮭は、行きたくて仕方がありません。でも、今月もしばらく給料未払いの身に、遊びだけで東京~大阪を往復するのは贅沢の極み。でも何かしらの空気を、せめてもの贅沢として感じたくて、参加者のひとりである、山本タカトさんという方の本をネットで購入しました。ご存知ですか?この方のこと。その大昔、鮭は現在のペンネーム「海苔茶漬 鮭太朗」という、ワサビはついててもワビサビとは縁がない系ご陽気あらえっさっさ~ な名とはかけ離れた世界で、ちまちまと言葉遊びをしておりました。が、実は今でも、鮭を裏返すと、妖しげな薫り漂うものが大好きという、マイノリティ嗜好な人格が現れますw 今回取り寄せた本を見て、山本タカト氏の作品は、モロに鮭のフェイバリットのど真ん中的中であることが判明しましたw ソッコウで半ば封印していた言葉遊びを復活させて、一作書き上げてしまうほどに。自分にとっての本物は、確かに、新しい力を生み出すパワーの源となりうるものだなあ と、大好きな音楽と絵からもらったエネルギーを、有り余る脂肪に刷り込んだここ数日の鮭でしたwみんさんにとっての「本物」はなんでしょう?
2006.09.29
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先日組合の旅行で訪れた広島では、原爆資料館と大和ミュージアムいう、戦争に深いかかわりのある施設を見学した。昨年オープンしたばかりの大和ミュージアムはさておき、これまで国内旅行も数えるほどしかしてこなかった鮭は、原爆資料館も初見学だった。実は修学旅行でも行ってないのよ広島は。靖国問題が頻繁に取りざたされる昨今、東京裁判について書かれた著書も多く発行されているようだし、何かにつけてデリケートな問題なので、ここでその辺のことを語るつもりはないのだけれど、先に書いた広島の2施設についての鮭の個人的な意見は、じぶんが日本人であるということをどうしても否定したい という人以外の日本人は、なるべくなら機会を作って見学しておくほうがいいんじゃないかな だ。戦争を体験していない世代の人は特にね。まあ、大和ミュージアムの場合は、戦争そのものではなく、あくまでも戦艦大和についての資料館なので、展示内容については賛否両論あるみたいだけれど、鮭は人間魚雷とゼロ戦の展示資料(特に人間魚雷の方。出撃前の軍人の1人が、録音スタジオで内緒で録音したという肉声が再現されてます。まだ死にたくないという言葉もはっきりと残されています。それでも最後は国のために って結ばれてるんです)には長らく見入ったよ。 今年で戦後何十年毎年八月がくると新聞やテレビでその言葉を目や耳にするから、一応その時期には戦争について意識はするのだけれど、戦争を知らない世代の鮭の場合、イメージ的には「終戦」すなわち、戦争が終わってから何年が経ちましたって感覚しかなかったんだよね。勿論、戦争がすごく悲惨なものだったっていう認識はあるんだけど。でも、今回2つの資料館を見学して、認識改めました。日本って、戦争に負けた国なんだよね。終戦っていうのは、負けたことを受け入れて終わりにしたってことなんだよね。だから、戦後っていう言葉の前にはふたつの意味がある。今の日本は、間違いなく、敗戦っていう大きな大きなダメージを受けた上で成り立っている国。沖縄、広島、長崎 そして空襲を受けた沢山の地域で、大勢の人が犠牲になった。大和ミュージアムの展示資料の中に、いわゆる「特攻作戦」について上層部で賛否両論分かれる中、臼井大尉という人の、自分たちが日本という国のためにどういう位置づけであるべきなのか っていう考えが、最終的に特攻作戦を是とする方向にした っていう意味合いの表記があって、実際の大尉の言葉が書かれてました。写し書きする時間がなかったので、忘れっぽい鳥頭の鮭の頭の中に残っている大よその意味しか再現できないのだけれど、この戦争で日本は負ける。日本はこれまで、本当の意味での敗北を知らずに来た。日本が本当の意味で進化していくためには、本当の敗北を知る必要がある。日本の本当の進化のための先駆者に我々はなるのだ。まあ、こういった感じなんですけれども・・・ ああ、ちゃんとメモっとけば良かったよ(T_T)今、鮭たちが歴史として振り返ると、明らかに彼らも戦争の犠牲者だと思うんだけど、当事者である彼らの口から語られている「国のために」っていう言葉には、自らの命がせめて、海に沈む鉄屑ではなく「近い将来に在る日本が手に入れるべき尊いもの」 との引き換えであってくれ という切なる願望が込められているのだと感じました。結局そこに至るまでには沢山の犠牲者が出てしまったわけだけれど、当時はまだ生き神様だった、日本という国においては絶対の、天皇という唯一無二の存在が「敗戦」を認めるという、「一国家としての敗北」を体験することになるわけですよね。おそらくその辺が、中国とか韓国とかと根本的に違うとこなんだろうなあ。彼らは「日本に敗北したのではない」わけだから。現在の国家が成立する以前の長い長い歴史の中で、自らが他国に対する侵略者であった時代があったことは、あくまでも国家成立以前の、関係ないっちゃあ関係ない時代のことなんだろうね、多分。特に中国については、最近ちょっと嫌中気味の鮭的には、どこまでも日本という愚かな侵略国の犠牲者であり続けることが国益の一部になってる部分あるんじゃないの? って感じがなきにしもあらずです。まだ要りますか?一握りの裕福層を更に肥やすために大半が使われてる気がしてならないODAみたいな。そもそも何で、日本からの、国としての正式な謝罪が、彼の国の国民には伝わらないんだろうか。って前々から思ってはいたけれど、考えてみれば、一億人に近い「無国籍(戸籍)」の自国民を抱える国なんだよね、中国って。国の内部に対する不満に目隠しするために、やっぱり仮想敵国的な存在が必要なんだろうか。だとしたら、国家として悲し過ぎるぞ中国! って感じです。って、思いっきりナイーブな部分に突っ込んでるやんワシw 願わくば今日の日記があまり極端な方向にピースフルな方々の目に触れませんように(^^ゞ絵空事、綺麗事、偽善とののしられるのを覚悟で最後に鮭の願いを一発。世界中の全ての人々が、平和のもとに自らの国を愛せる日々がきますように。そして出来ることなら、更にその上に、世界の国を愛する心を、地球という星を愛する心を、全ての人々が持てる日が来ますように。そんなことを、日本という世界の東の端と称される国から祈りたいと思います。でもやっぱり一番には、人の心根も、景色も、全てに於いて、日本がいつまでも、美しい国でありますように。爆笑問題の太田光さんと、人類学者中沢新一さんの対談集(集英社新書)「憲法九条を世界遺産に」を購入した日に。あ、まだ読んでないんだけどねw 追記。今、中国で、日本から輸入した高級化粧品(SK-2という、日本でも有名なマックスファクターの1ブランド)から、重金属系の毒素が検出されたとして、猛烈な抗議がなされているらしい。ところで、SK-2といえば、日本でも高価な部類に属する化粧品である。日本人の中でもかのシリーズを基礎化粧品などに使っている人は、正直、化粧品に対してかなりお金をかけている人だと思う。化粧品消費大国日本で、確固としたブランド価値を持つ化粧品が、輸入化粧品として中国に入っているのだとしたら、文字通りそれは、大層高価な品物であるはずだ。駆けつけた抗議者によってガラス戸が破壊されたのどうだの っていう記事やら、結果として販売停止になって、他の日本製品に対する検査も強化していく って話になってる とかいうのを読んで、何ていうか「はあ?」って感じでした。そういう抗議をしたたくさんの中国人って、やっぱり金持ちなんだよね?その後、いくつか訪問した楽天ブログの中でのコメントに、問題になってるのは、実際は偽物大国中国で作られたものなんじゃないのか という意見があって、大きく頷いてしまった。そういえば数年前、中国産の「やせ薬」で、何人かの死亡者が出てたよな。かなり話題にはなったけれど、そこで中国産の薬の不買運動が起こったという記憶は鮭にはないんだけどどうだったんだろう。そのあたりの商品に対して、日本人って基本的に安全性に対しては自己責任って部分で判断してるんだと思う。貧しい地域の自国民が、食という、命をつなぐために一番大切な要素においても安全性の低いものを摂取している事を棚にあげての、一部の富める層における贅沢品への抗議は、鮭の目には滑稽以外の何者にも映らない。やっぱり悲しいぜ、中国。
2006.09.23
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最近のパチンコ台は、アニメ・芸能人・ゲーム が題材になったものが大半をしめている。今日、仕事を終えてから、行きつけのパチンコ屋に新台を打ちにいったのだけれど、鮭のお目当てだった「ピンク・パンサー」も、もとは映画であっても、そこから独立した、アニメーションキャラのパンサーが主人公だし、もうひとつの新台は「小柳ルミ子」だった。少し前に導入されたのは「松浦あや」や「中森明菜」だし、テレビでは「美空ひばり」の台が宣伝されている。過去を振り返っても、ここ5年(そう、鮭には20年ほど振り返れる歴史があるのよw)程の間にとりあげられてきた芸能人は何十人にのぼるんじゃないかと思えるほどだ。どんどん進化するパチンコ台に於いても、音楽的な要素が重視される比重が大きくなってきているからだろうか、同じ芸能人台でも最近は特に、歌手にスポットが当たったものが多いようだ。中森明菜の台はまだ打ったことがないのだけれど、比較的最近の台なら、八代亜紀のは何度か打ったし、新台の松浦あやの台にもチャレンジ済みだ。少し古いところでは、北島さぶちゃんとか、ピンクレディーなんかもあった。それらの「歌手もの」の台に共通しているのは、リーチ時や大当たり時に、彼らのヒット曲が流れること。中には、数曲のレパートリーの中から、自分が聞きたいをチョイス出来る台もある。パチンコ台は、機種によって大当たり確率が違うことが多いのだけれど、軍資金の少ない時の鮭は、一回の大当たりで得られる出玉は少ないけれど、大当たりをひける確率が高いから少ない投資金額でそこそこ遊べる という、激甘スペックなどといわれる種類の台で遊ぶことが多い。そんな中のひとつに「テレサ・テン」の台がある。今の若い人はご存知ないだろうが、30代以上くらいの年齢層の人なら、たいてい名前は知ってるんじゃないかな。日本でも人気が高かったし、「つぐない」「時の流れに身をまかせ」あたりは、未だにカラオケで歌う人が多いと思う。鮭も「時の~」は時々歌うしねwそのテレサのパチンコ台も、リーチ時、大当たり時に、数曲の彼女のヒット曲が流れるようになっている。大声を張上げて ということはないけれど、両隣に人が座っていないときなどは、一緒になって歌っている。キーは少々高めなので、曲によっては、ファルセットの練習をしているようなもんであるw テレサの台で聞ける中で、鮭が一番好きな曲は「別れの予感」という曲。実はこの台を打つようになるまでタイトルを知らなくて、カラオケで歌ったこともなかったのだけれど、メロディーラインが大好きな曲なのだ。だから、リーチや大当たりでその歌が流れると、カラオケのつもりで結構本気wで歌ったりしている。でも、最近、その曲を超えるくらい好きになっているのが、「時の流れに身をまかせ」の『イントロ』なのだ。音源は多分、オリジナルに基づいたものだと思うんだけれど、パチンコ台のスピーカーを通して聴くと、ちょっとキンキンした感じが加わって、大正琴チックというか、チェンバロチックな音質になって、ヤバイくらいに郷愁を誘う音色になるんだよ。レソラシ~レシ~ ドシラ~♪(移動ドでよろしくw) と聴こえてくると、鮭の涙腺はほぼ反射的に、ちびっとばかし緩んでしまうのだ。特に最初の4音が「来る」聴くと必ずといっていいほど涙腺が緩む曲 ってのは、誰しも持っておられるだろうし、鮭にもそんな曲があるけど、まさか、イントロだけで、しかもパチンコ台から流れる それ で、ウルウルする日がやってこようとは思わなんだヽ(^o^)丿歌詞と結びついてるわけじゃなく、単純に、音色と音の並びだけで涙腺緩むんだよ。すごいよね。たった数秒の音の流れだけで感情の琴線が振るえるってのは、やっぱり人間の遺伝子に、音楽との長~い関わりがちゃんと情報として組み込まれてるからなんだろうなあ と 鮭は勝手に結論づけてます。文句のある人、かかってきなさいwちなみに、鮭が、聞きながら歌うとかなりの確率でウルウルしてしまう曲は、伊勢さんの「君と歩いた青春」という曲です。
2006.09.21
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冬のコンサート用 というわけでもないのですが、オリジナル曲を作りました。アンケートで「日本語の曲も聴きたいです」という回答を下さる方も結構いらっしゃるんです。ただ、英語の歌詞の内容をそのまま日本語に直訳すると、どうしても宗教色が全面にでてきますよね。鮭たちの歌を聴きに来てくださる方皆さんが、クリスチャンでいらっしゃるなら、そして歌っている鮭たち自身が洗礼を受けたクリスチャンなら、歌い手側と聴衆側が、宗教という共通項でくくられるわけですが、クィーンズの場合はそうではないので、というか、鮭自身については基本的にキリスト教徒でないので、歌詞がそのままの意味としか響かない日本語への直訳曲を歌うのには、結構な抵抗があったりもするのです。勿論、キリスト教を否定するつもりなどさらさらなく、自身が身を置く宗教上の解釈に、無理に当てはめようという気もないんです。鮭的には、ゴスペルは、誰かを思う気持ちから派生する歌 という解釈なので、GODやLORDという言葉も、鮭の心の中では、神様であって神様でない という部分があるというだけで。それが歌う時の感情表現に差し支えをきたすことは特にないのですが、日本語の直訳になると神様は神様になってしまうので、ちょっとツライんです。鮭の場合。なので、日本語で歌うなら、救って下さったことに感謝します 的な歌ではなく、自分の心の向かう先がどんな所であるのか という部分に気持ちを置いた歌を歌いたいなあ ということになってきて、じゃあ、自分の言葉で表現するのが一番気持ちも入りやすいよね ってwそんなわけで、フリーページにアップしてますので、興味ある方は覗いてみてくださいね~。一応、ゴスペルというジャンル分けに引っかかるよう、最低限での宗教的表現は入っていますw セコイ?
2006.09.20
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土日は組合の旅行で広島にいてきたのですが、幹事長ということで、大した仕事はしていないのに、なんだか気疲れしました。そして明けた今日18日は、スポニチのゴスペルコンテスト。付けまつげをつけて、三段腹を揺らして歌ってきましたが、今回我らがクィーンズは、残念ながら無冠に終わりました。自分たちのパフォーマンスが、他チームに比べてたくさんの部分で劣っていたとは思っていません(何で強気?w)が、鮭たちを上回るチームがあったことは事実で、自分たちに足りなかった部分が何か、メンバー同志でまたいろいろ見つけて、克服していきたいと思います。まあ、勝ちぬけの最優秀賞でなかったので、取りあえず来年も又出場権はあるということでwで、結成に於いてはお姉さんチームのクィーンズに、追いつけ追い越せと、熱心に練習を重ねてこられた、チェラビンチームが、クィーンズに代って、初出場でいきなり2等賞である「優秀賞」をゲッチュされました! パチパチパチ! うちらは3年もかかったのに、凄いよね。チェラビンチームのみなさん、先生、おめでとうございます~。打ち上げの一杯は格別でしたでしょうねw なにを隠そう、チェラビンさんには酒豪が多いのですw 楽しく歌って美酒に酔いしれる・・・ 最高の一日でしたね。今回のチェラビンチームの受賞で、先生は、初回から5回連続で、指導者として受賞されたことになり、これはアウォーズでは唯一だし、断トツトップです。すごいぞ先生!取りあえずいま、打ち込みながら半分目蓋がおりてくるくらい眠いです。3日間の疲れが一気にきて、おつかれちゃん状態。広島旅行の話もふくめ、明日以降にまた。
2006.09.18
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ゴスペルの練習を終えてのいつものお茶タイム。モモちゃん所有のDSで、脳年齢チェックをやらせてもらいました。やったのは「連続引き算」画面にでてきた最初の数字から、指定された一つの数字を連続してひいていく というやつでした。鮭はラッキーだったのでしょう。指示された数字は9。始まりの数字はこれまたわかりやすい100でした。途中、数字の書き癖で、4を9と判断されたりして、結構時間がかかったように自分では思ったのですが、出てきた結果は、予想を上回る出来。あなたの脳年齢は・・・と、画面に出てきたときは妙にドキドキしましたさwで、結果は「31才」実年齢44才なんだから、上出来じゃーーーんヽ(^o^)丿他にもいろんな種類のトレーニング項目があるみたいで面白そうだった。ひとしきり脳年齢チェックをした後に、どうぶつの森というゲームもやって見せてもらったんだけど、キャラクターが癒し系で、登場人物や、会話の内容とか、大人でも楽しめそうなもので、居合わせた3人は声を揃えて「DS欲しい~」「これやりた~い」と、子供返りしてましたw未だに品薄でなかなか手にはいらないみたいですね。DS。秋には次世代ゲーム機といわれる、高性能&多機能なゲーム機が揃って発売になるようだし。かなり高額みたいですけど、すんなり買ってもらえる「子供」もいるんだろうなあ と思うと、ちょっと複雑な気もしないでもないなあ。多分、5万円以上するんですよ。5万っていうと、普通のサラリーマンなら、1週間は働かなくちゃならない金額ですよね。ブランドのカバンとかでもそうだけど、買い与えるなら、ちゃんとその代価として費やされる物事について子供に話して聞かせてからにして欲しいですよね。だれか、鮭にもPS3買ってヽ(^o^)丿お金の価値は充分理解してるからw
2006.09.14
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ご無沙汰いたしております。ずるずると書かずにいましたら、あっという間にひと月が過ぎてゆきました。その間、色々あったような無かったようなwまあ、書かなかった主な理由というのは、仕事の行き詰まりから来る、一気の意気下落ってやつですか。前回の日記の頃から既に、結構な精神的ダメージを喰らってはいたのですが、八月になってからは地底深くもぐりこんでました。なんていうか、これが長くつづくと、鬱になってしまのだろうな という予感めいたものを感じながら、日々過ごしておりました。久しぶりにキーボードを叩く気になったのは、今日出来上がった歌の歌詞を、さっきワードで清書したからで。考えながらのそれではないにしろ、書くという行為は鮭(久しぶりだよこの名前も)にとって、やはり気持ちが高揚する、お脳みそに心地よい刺激を与えてくれるものなのだなあと、体が感じたからだと思います。思いを目に見える形にするのはやっぱ正解だよな。そんなわけで、またぼちぼち、スローペースかもですが、日々を綴ってゆこうかと思います。って、大げさに言うほどのもんでもないねんけどねw先日、組合の協力事業?の一環でやっている、献血キャンペーンなるものに参加してきました。難波は高島屋前のタクシー乗り場の前で、プラカードを掲げての「呼び込み」です。非常にお恥ずかしい話ながら、鮭は今まで献血をしたことがありませんでした。高島屋の前というのは、大阪人には馴染の献血スポットなんですが、そっち方面に出かけるときは、母親や友人と一緒のことが多く、呼びかけの声が耳にはいっても、多少の後ろめたさを感じながら心で「ゴメン、今忙しいねん」「ごめん、ワシ、高脂血症やねん」ってかんじで通り過ごしていました。人間って傲慢なんだなあ と、主に自分を省みて思うのは、仕事でもなんでも、自分がお願いする立場になって初めて、やってもらえる事に「感謝」の気持ちを素直に持てる部分が出てくるってこと。今回、街中で、献血にご協力をお願いしたのは3時間。ほとんど休憩なしでずっと立って、プラカード持ったまま何度も頭下げました。声も出しっぱなしでした。でも、面倒くさいとか、恥ずかしいとかっていう思いは全然なくて、あっという間に3時間経ったって感じでした。目が合って、更に深く頭を下げてお願いした人の姿が、少し離れた所にとまっている献血車の受付に在るのが見えた時は、本当にありがたかったな。いかにも体育会系って感じの若いお兄ちゃんの二人連れのうちのひとりが、鮭の前を通り過ぎたところで、献血車をあごで示して「寄っていこか」みたいな感じで連れを誘って、連れのお兄ちゃんも「おう、ええで」的なりアクションで応えて車まで行ってくれたのを見た時や、オレンジ色の髪の「パンクな感じ」のお兄ちゃんが、テントで順番待ちをしてくれてるのが見えた時は、思わずその背中に向かって「あんたらがしっかり日本を背負って行ってくれ」と合掌付きでエールを送りました。勿論心の中でだけどねwで、鮭も献血初体験だ!と張り切って申し込み用紙を書いて問診の所にいったんですが、タイミング悪く、過去3週間以内に・・・ っていうチェック項目で、鬼の霍乱で久しぶりに39度の熱を伴う風邪を引いてたことが引っかかってしまって、献血できずじまい。なんともお粗末な結果となりました。臓器の一部や、肢体は、技術の進化もあってちゃんと機能する人工のものが出来てきているけれど、血液そのものって、未だに人工で作り出すことが出来ないんだってね。鮭も、父鮭の手術の時、同意書にある、出血が多量に及んだ場合は、生命の維持のために輸血をする って項目に署名したんだけど、改めて、献血という無償の厚意は、間違いなく「命綱」として、今日も明日も誰かの生命を繋ぐ役割を果たしてるんだなあ と思いました。健康な皆さん、レッツ献血でっせ! 鮭も次回は見事パスしてみせますぜ。24時間テレビへの募金も、勿論、たくさんの人の助けになる立派なボランティアだけれど、献血は、ある意味ダイレクトに人の命を救うボランティアだよね。さて、今度の連休はみなさん何か計画おありですか?鮭は、16~17と組合の旅行で広島に行きます。初めてなので楽しみです。先日、車中で開催するビンゴ大会(いや、30名のささやかな会ですけど)の賞品の買出しをしてきました。きっちり決められた予算内で買い物をする というシチュエーションは、鮭の頭に、あるキャッチフレーズを蘇らせました。ヒントは関西・買い物・いとこい師匠ですwそして、18日。今年も出ます。スポニチゴスペル・アウォーズ。しっとりバラードと明るく軽快なテンポの曲、という組み合わせは昨年同様ですが、今回は部門チェンジ後2組目と出演順が早いので、客席の盛り上がりという追い風が吹くかどうかは微妙かもしれません。でも逆に、それで結果が出せれば、みんなのおおきな自信に繋がると思います。部門チェンジと言えば、チェラビンチームが今回、フレッシャーズ部門に初出場されるのですが、くじ運バッチリで、部門のトリをゲッチュされました!ご健闘をお祈りしています。表彰式では壇上で是非お会いしましょう!で、間際のお知らせで意味ないじゃん なのですが、クィーンズ、チェラビン両チームでチケット入用なメンバーさん、並びに当ブログでゴスペル・アウォーズに興味を持ったぜよ、タダなら見にいってもいいぜよという背中に後光を背負ったみなさん(何を隠そう、現在メゾパート主力メンバーの「モモ」ちゃんは、この手でゲッチュしたのだw) 鮭の分2枚、丸々余ってますので、入用でしたらお声がけ下さい。早いモン勝ちですw 毎年来てくれてた母鮭には、もうチケットが必要ないし(なんてったって、いつでもどこでも出入り自由の身だw) 声をかけていた叔母が二人とも間際になって都合が悪くなってしまったので。話はまるで変わります。最近中国について書かれた本をいくつか読んだんだけど・・・何にでもすぐに感化されてしまう単純な鮭は、どんどん中国が嫌いになっていってます。これってヤバイ?最近、久しぶりにジグソーパズルにはまりかけています。知人から一時預かりしてたニンテンドーDSについてたソフトがジグソーパズルで、暫く遊ばせてもらいました。よくやったんだよね~ジグソー。取りあえず、開運だるまがいっぱいの縁起物のを買ってやりました。血が騒いじゃったよw ただね、組み上げたパズルの置き場所に困るんだよね。飾り易いピースの少ないのはやりがいないし、そこそこ手ごたえのあるピース数になってくると、大きい。最近は小さいのが売りのもあるみたい。ピンセットで組むらしい。そっちにトライしてみるかなw
2006.09.12
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サマーライブの後、一週間の休みを挟んで、ゴスペルアウォーズ2007に向けての練習再開の今日は、スポニチさんの取材日でした。過去3回はいずれも、ご自身もゴスペルをやっていらっしゃる女性記者の方が取材をして下さっていたのですが、4回目の今日は、男性の記者の方がインタビュー?w して下さいました。初年度が「ベストドレッサー賞」、翌年が「ムードメーカー賞」、昨年が「優秀賞」と、3年連続でなんらかの受賞をしてきた我らがクィーンズベリー。記者の方からも当然といえば当然な質問が出ました。今年は何を狙われるのですか?勿論最優秀賞 の声が先生からもメンバーからも出ました。そりゃあね、戴けるもんなら戴いてみたいですよ。一等賞ですから。でもね、でもね、でもねーーーーーーーーーーーっ!!!この前も言ったけどさ、ホンマに欲しいのは、毎年出場権なのよーーーっ!いや、勿論、鮭的にはって話しなんだけど(●^o^●)他のコンテストのことはあまり知らないけれど、スポニチアウォーズに関しては、いわゆる「勝ち抜け」なんだよね。最優秀賞を取ったチームは、翌年の大会で特別ステージ枠をもらえる という特典があるんだけれど、翌々年からは出場できないんです。今回で4回目のクィーンズにとって、アウォーズ出場は、夏の定例行事になっていて、メンバーみんな、すんごい楽しみにしてるんだよね~。なんてったって、大きいキャパのちゃんとした舞台で、大勢の観客(出演者中心ではあるけれど)の前で、生バンドバックに(ウチらはMDなんだけどw)、照明にガンガン照らされながら、完全燃焼できちゃう場を与えてもらえるなんて、本当に、「素人さん」にとっては貴重なんですよ。勿論、参加費用は何がしかかかるんですけれど、気持的にはペイしてお釣りあるよ って感じなんです。お祭り騒ぎって部分でも楽しめるしね。今日も、レッスンのあとのお茶タイムに話してたんだけれど、ウチらの人数は、今、ギリギリ参加資格アリ の10人なわけで、みんなそこそこ地声のボリュームは大きかったりするんだけれど、やっぱり、10人分の声量にはそれなりの限界があるんですよね。どう頑張ったって、30人の声量には及ばない。勿論、少ない人数なりの特徴を出すことは可能なわけで、ウチはそこの所に磨きをかけるよう頑張ってはいるんだけれど、いわゆるマスクワイヤという、大きな塊としての声を発することはできないんですよね。でね、アウォーズの舞台では、その、「マス」クワイヤーとしての醍醐味を得ることが可能なんですよ。というのは、オープニングでは参加者全員、受賞セレモニー後も受賞チーム全員で舞台に上がって歌う(入賞を逃したチームも勿論客席から熱唱ですが)ことが出来るから。200名を超える人数ですから、気持ちいいっす~ って感じなんですよね。去年の曲は、個人的には残念ながら、っちうか、努力不足で歌詞が覚えられず、不完全燃焼だったのですが、今年の曲は同じフレーズの繰り返しが多い曲なので、何とか熱唱パターンに持ち込めるのでは・・・ と密かに思っています。思いっきり歌えたら気持ちええやろな~(●^o^●)話をトップに戻しますがw取材の時に結構リキ入れて「永久出場権が欲しいです。そういうの設立してほしいです」といったら、記者の方が「社交辞令」みえみえではありますがw 「掛け合ってみます」と言ってくださいました。スポニチ ゴスペルアウォーズにクィーンズあり!そんな記事で紙面を飾れる日が来たらいいのになあヽ(^o^)丿って、やっぱり厚かましすぎ?ええのよ。大阪のオバハンやねんから!!最後に記事告知だけですが・・・来る9月2日(土)午後3時~4時大阪は梅田の曽根崎警察署地下一階のコミュニティスペースで、チェラビンチームとの合同ミニコンサートをやります。生ピアノ伴奏での歌もあります。当日梅田に繰り出すご予定のある方は、無料ですので是非、覗いてみてやって下さい。
2006.07.27
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クィーンズ&チェラビンの合同ライブ、本日(あ、もう昨日か)無事終了致しました~(●^o^●)両チームのみなさん、お疲れ様でした! そして、先生、有難うございました!! 先生ズダーリン様も、撮影部隊を務めて頂き、メンバー一同感謝いたしております!!お越しくださった皆様にも、皆の気持ちを代弁して、鮭が代理で、熱烈なチュウを贈らせていただきます。え、何、迷惑メール扱い? けっ。そのうち価値が上がっても知らねえぞw今日は、素人音楽評論家の「たまにん先生」にもお越し頂きました。チェラビンチームのハーモニーがとても美しかったというご感想を開口一番に頂きましたので、打ち上げの席でみなさんにお伝えしておきました。実はクィーンズの面々も、リハの時に、チェラビンチーム声綺麗~ コーラス上手い~声質揃ってるよね~ などと、いっぱしの感想を語ってたんですよ。先生も打ち上げ席で決意表明しておられましたが、アウォーズでの入賞、是非狙って下さいね!今回、クィーンズもアウォーズ用の曲をお披露目させていただいたのですが、回収したアンケートへの回答で、なかなか好感触を得られて、ちょっと安心しました。元メンバーで、クィーンズ専属評論家のAっきー(いつもありがとね!後日又、アンケート全曲への感想とアドバイス読ませてもらいます!)と、同じく元メンバーで、今日もADとして縁の下の力持ちをしてくれたHっちーからも「この曲なら良し」のお墨付きをもらえたようなのでw あとひと月半、磨きをかけて頑張ります。メンバーみんなも気に入っている曲なので、クィーンズといえば BLESS ME とIF I TEL GOD と結びつけてもらえるくらいに、代表曲にできればいいなあと思います。でも、何故だかアウォーズ1等賞を狙いにいく! って声はあまり出ないんだよね(^^ゞ 何だろう。鮭的には、1等賞はいらんから、毎回出さしてw みたいな、シード枠ってのでもなく、マスコットチーム的な扱いにしてくれると嬉しいなあと思ったりします。で、お客さんが、「今年のクィーンズはどんな曲歌うんやろう?」と、純粋に楽しみにして下さる声が聞こえて来るくらいまでになれればな~ と思います。そうなったらアレだよ、鮭も、ビジュアルの評価を下げないようにキッチリダイエットするよ!聴きに来てくれた父方の叔母が、鮭のかけた御礼の電話で、聴いてる途中で母鮭のこと思い出して涙がぼろぼろ出た って言ってました。叔母は、認知症が出てからの母鮭と、数回クィーンズのライブに来てくれていたのです。去年のクリスマスコンサートにも二人で来てくれていたので、今日、隣に母鮭の姿がないのが凄く寂しかった って。それ聞いたら鮭も、久しぶりにめっちゃ寂しくなっちゃった。実は鮭の部屋に飾ってある母鮭の写真は、まだ認知症の影が忍び寄っていない頃、父鮭と二人でライブに来てくれた時のポラロイド写真なんですよ。当時はまだ、音専のオープンクラスだった時で、学校主催のコンサートだったのだけれど、受付で、其々のお客さんに、撮影したポラの余白にメッセージを書き込んでもらう ということをしてくれていたんですよね。だから、部屋にある写真は、母鮭「鮭、ガンバッテ」という直筆メッセージ付きなのですよ。ライブが始まる前、ゲンキープのコンサートにはいつも来てくださる、得意先の社長が、大きな花束を持ってきてくださいました。今日は仕事で聴けなくて残念です という言葉を聞いて、え、ってことはわざわざお花だけ届けに来てくださったの? と気付き、有難さに、その背中を拝みそうになりました。鮭よりは20歳近く年上の方なのですが、デザイナーさんなので、洋服のセンスもよくてとってもダンディ。クィーンズの皆にも、ダンディな社長さん で通ってますwたっぷりの、淡いピンクの百合とオレンジのバラは、とってもいい香り。いつも本当に有難うございます。お仕事頂戴してる側なのに素敵なプレゼントを頂いて恐縮しちゃいますが、そこは鮭も一応「女」。花の贈り物はとれも嬉しい。K社長、有難うございました。そして文頭の方にも書きましたが、いつもここでコメントを下さる、たまにんさん。前回も、ちょうど去年の今頃いらしてくださったのですが、その時は、アンケートに痕跡を残してくださったものの、お顔は見せずに帰ってしまわれたので、今日、初めてお顔を拝見して、直接お話をさせて頂きました。モモちゃんと3人、楽天ブロガーでのプチオフ会でしたw 今日は、おうちの用事でお忙しい中、最初から最後まで聴いて下さって有難うございました! 気にいっていただける曲はありましたか? 褒めてもらうのもクィーンズの成長には欠かせませんが、厳しいご意見にもめげることなく、更なる上昇を目指す根性娘が多いチームでございますので、歯に衣着せぬご意見もお待ちいたしておりますヽ(^o^)丿更に、今日も足を運んでくれた、元アルトメンバーのNちゃんの、結婚、妊娠というおめでた報告も聞けて、幸せな時間の締めくくり。HAPPY DAYを満喫した鮭でした。明日はソウルのコンサート。忙しいなか駆けつけてくれた、浪速の歌姫・新井っちと、専属マネージャーになる日も近いと噂のRぴょん、今日はおみやげ有難うでした! 明日は素晴らしいステージで皆を感動ざせて下さいね!楽しみにしてます。Sちゃんも頑張れ~!
2006.07.15
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何て言うんでしょう、アレ。ルーターとパソコンを繋いでるやつが、どうも接触悪いみたいで、立ち上げても立ち上げても断線状態になっちゃうんですよ。何回も、プラグを抜き差しして再起動させて、ようやくつながるという状態が続いております。これって、正直めっちゃストレスなのよ。もう、平気で1週間パソコン開かんでもええ! と思うぐらいに。そんなわけで、ライブの告知をしようと思いつつも、もーーーいやっ! 何で5回も6回も再起動さしてまでパソコン開かんとあかんのじゃーーーっ! と、半ばヒステリー状態でしたw 今日は優秀なほうですが、それでも3回再起動させました。ので、やや、イラッとしています。漫画チックに表現すれば、コメカミに小さくカットした膏薬が貼られた状態やねwもう、今日になってしまったのですが、一応、クィーンズベリー並びにチェラビンの合同ライブのお知らせをば。 今日、7月15日土曜日午後3時より、森之宮成人病センター西隣にある、ゲンキープ大阪の1階ロビーにて、ゴスペルのライブをやります。出演は、鮭の所属する、クィーンズベリー・ゴスペル・クワイヤと、姉妹チームのチェラビン・レディス・クワイヤです。演奏曲目は以下のとおり チェラビンさんの曲目を把握しきれていないので、メンバーのみなさん、よろしければコメントで訂正してください。っていってももう、今日なんだけどさwDEEPER LOVE(Q)I WILL FOLLW HIM(C)AIN'T NO MOUNTAIN HIGH ENOUGH(Q)チェラビンチームの曲FREE(Q)SHAKE YOURSWLF LOOSE(Q)HE REIGNS(Q)THE NIGHT CHRIST WAS BORN(C)GOD ・・・(C)BLESS MED(Q)IF I TELL GOD(Q)OH, HAPPY DAY(Q&C)クィーンズに関しては、フリー以外は新曲です。早口の歌詞が多くて苦労しました(T_T) ホント、物にするまで時間かかるのよ ワシ。で、鮭は名前によく似たSHAKE YOUR・・・ という曲で、綺麗どころ2人と一緒に、トリオパートを歌わせてもらいます。やる人がやったらセクシーポーズなんだけどよぉ~ な振り付け付きなんだけど、ま、鮭のこった。腹を揺らして踊るわさw締めは両チームとも、ある意味今年の勝負曲です。今回は親戚筋と、ピアノの先生が初めて聞きにきてくれるので、感想が楽しみです。ピアノの先生といえば、今年も8月の第1週目に、鮭にとっての、楽しみではあるけれど、実情は恒例の夏の恥かき行事である、ピアノの先生の所の発表会があるのですが、毎年コンビを組んでる相方が、今年は20年ぶりの大学の同窓会に出席するため不参加なんですよ。楽譜は一応いつものように連弾曲のものをもらってたんですが、M-1wには参戦できなくなったため、急遽、んじゃ弾き語りは? という、打診があって、うおおおお とパニックになっているところ。取りあえず今日のライブが終わるまでは何も手がつけられない(いや、歌詞がさ・・・w)ので、真剣に悩むのは明日からってことで。弾き語りは前に大失敗してるし、しかも今回はピンでってことで、誰もかばーしてくれないんだよね。やれるのか? ワシ・・・ つづくぅ~ とジョーなセリフを口にしてしまいそうです。ポロンポロンとコード弾きして茶を濁す。 うん、それがいいなw明後日の祝日は、JAZZの先生のライブ。勿論、with スー様&トッキー&佐藤さん。スタッフを任命されているので、当日は会場設営やら、受付やら何かと大忙しになりそうです。たぶん、ゆっったり落ち着いては演奏聴けないだろうけれど、たっぷりと耳のご馳走にはありつけるには変わりないので、とても楽しみにしています。てなわけで、森之宮近辺にお住まいの皆さん、土曜の昼間に暇をもてあましている学生諸君、ぜひとも今日(15日)の午後3時、環状線森之宮駅徒歩1分のゲンキープ大阪へ、GO!
2006.07.14
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ご報告が少し遅れましたが、父鮭、14日に無事退院しました。皆様にもご心配頂き、また、励ましを頂戴しましたこと、心より御礼申し上げます。約40日の入院生活の終わりも、先生への「お願い」で終わった父鮭(^^ゞ実は先生は13日に退院しましょう とおっしゃったらしいのですが、父鮭は「その日は仏滅なので、翌日14日(大安)にして下さい」 とおねだり?したらしいのです。先生は、多分、父鮭に対しては「お決まり」になっていたのであろう、極上の苦笑い(迷惑そうなそぶりは全く無いんだけどw)を浮かべて「いいですよ」と許可してくださったそうです。入院を待っている患者さんは沢山いらっしゃるのだし、病院側からすれば1日でも早く退院して欲しいところなんだろうけれど、おねだり上手な父鮭の最後っ屁?は、先生には効力あったようですねw術後もしばらくは絶食状態の父鮭でしたが、退院日前には、粥ではなく普通のご飯を食べていました。退院後について食事制限も特に必要ないとのことで、基本的には食べたいものを食べてもいいと言われて退院したんです。で、退院当日は叔母が病院まで行ってくれたのですが、鮭も仕事を少し早めに上がらせてもらって、夕方実家に帰りました。洗濯物が袋2つ分あったので、取りあえず1袋分洗濯機を回して干し、片付けをしていたらあっという間に時間がたってしまい、晩ご飯の時間になりました。冷蔵庫は空っぽに近かったし、久しぶりにおいしいものが食べたいというので、車で5分ほどで行ける和食系のファミレスに二人で食べに行きました。父鮭は車の中で、退院したばかりの人らしく「消化にええもんの方がええな。うどん食べよかな」と言ってました。母鮭が生きている時分、彼女の定番注文メニューが、鍋焼きうどんか五穀粥だったので、そう言やお母ちゃん、いつもうどんかおかいさん(お粥のことを、大阪ではよく「おかいさん」とさん付けでいいます)やったな と思い出話などしていたのですが、席に案内されていざメニューのページを繰り出すと、鮭のあらかたの予想通りw、うどんのページはずっ飛ばしてましたヽ(^o^)丿実は父鮭は大の揚げ物好き。病気の大きな要因でもあったのだろうその食生活は「わし、毎日天ぷらでもええわ」 くらいの勢いでした。鮭が実家にいる時分でも、流石に母鮭も毎日揚げ物では自分もたまったものではないと、時折は野菜の煮物や魚の煮付けなどをメインにしたりもしていましたが、そうすると父鮭が不服そうにするので、揚げ物・炒め物8割、魚・野菜2割くらいのバランスの悪いものだったんです。母鮭が亡くなってからの食生活も、鮭がほとんどタッチしていなかったこともあり、あまり褒められたバランスのものではなかったのだと思います。で、退院当日の父鮭が頼んだのは「おろしとんかつ、具沢山の味噌汁」という、ボリュームたっぷりの定食メニューでしたw 味噌汁茶碗なんて、すし屋で出てくるようなどえらいデカイ物だったし、いくら大根おろしが消化を助けるとは言え、言うても「とんかつ」ですわ。いきなりそんな油モンで大丈夫なんかいな?との鮭の心配を他所に、本人は久しぶりの揚げ物に心躍らせている様子でした。でも、腸は勿論のこと、一ヶ月もの間絶食していた胃にしたって、ようやくお粥から普通のご飯に主食が戻っていたとは言え、いきなり油攻撃ではたまったものではなかったのでしょう。2切れほど口にしただけで、「あかんわ。胸焼けしてきた」とすぐにリタイヤ。そこで鮭がうどんを注文していれば、交換もしてあげられたのでしょうが、そのへんは容赦なかったりなんかしてw 結局、白身魚のおろしポン酢定食を頼んでいた鮭が事後処理にあたることになり、4切れ残ったとんかつを胃に納めたのでした。ちゃんちゃん。そして今日は、父の日のプレゼントを提げての実家帰り。押入れの荷物の整理をしました。先週の日曜帰ったときも結構咲いていたのですが、今日、母鮭が生前手入れをしていた花壇で、白いアジサイの花が満開になっていました。これは先週の写真これは今日、切花にして持って帰った分の写真母鮭は大の花好きでした。住まいである団地の建物の裏側に、皆が其々にこしらえている花壇があるのですが、母鮭の花壇は、花仲間の中でも、珍しい花が咲いている花壇 として結構有名?だったようです。このアジサイも、今ではわりと多く目にするようになりましたが、母鮭は出回りだした当初に、河内長野の方にある大きな花屋まで出かけて(運転手は父鮭w)手に入れてきていて、珍しがって挿し木の希望者が沢山でたそうです。鮭も今日切ってきた枝でチャレンジしてみようかな。鮭の部屋のベランダでは、今、種まきしたプチトマトとラディッシュの発芽ラッシュです。水栽培していたサツマイモも、大きな鉢に植えてやったら、青々と葉っぱが繁ってきました。プチトマトとラディッシュは、100均で買った、ココナッツだかの繊維でこしらえたちいさなポットに土を入れて栽培するキットで、説明書きには「観賞用としてお楽しみください」と書いてあったのですが、元気よく発芽してくれている様子を見て、俄然、育てちゃるーーー! という育成欲が出てきました。ので、これまた100均で土やら肥料やらプランターやらを買い込んできて、日没後のベランダで、蚊に食われながら株分け?して植え替えました。上手く育ったら、今年の夏は冷麺用のプチトマトは自給自足です。楽しみ~(●^o^●)ところで、鮭、今、あることに向かって鋭意努力中です。お披露目できるときがきたら、楽天フリマデビュー予定です。小さなことからこつこつと・・・ですね。明日、カナダ人と結婚して、現地の永住権を無事得た、チャキリーズK嬢が渡加します。今度に帰国するのは、免許書き換えのために戻る約8ヶ月後。メンバーが減るので少しさびしくなります。ところで、今、チャキリーズの3人には、先出の鮭のたくらみを含んで、其々に、成し遂げたい目標があります。示し合わせたわけでもないのに、其々が、結構に高い目標を掲げていることが、渡加前の、K嬢送り出し食事会の際に発覚しました。まあ、それなりにサインは出し合ってた部分あるんだけど、鮭の計画なんて本当に突然降って湧いたようなものだったので、二人に追いつけとばかりの天からの啓示だったのか? と思えるほどのタイミング。なので、8ヶ月後、どれだけ目標に近づけているか、経過報告をするのが当座の目標となりました。いずれにせよ、3人とも、大人しく主婦の座(K嬢以外は未婚sなのよ)に座るつもりがないことは確かなようです。お互いを刺激しあえる友人が居てくれることに感謝。
2006.06.18
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よく、ペットに対して、飼い主の身代わりになってくれたんやわ みたいな表現されてるのを聞きませんか?今、父鮭の心の友「ちーこっこ」が、可愛そうなことになってしまっています。トップページの写真を撮ったと時は、右顔面はどうもなくて左側だけが皮膚病みたいになって、眼球に幕が張ったみたいになって、どうやら目がみえてないみたいな風だったのですが、今朝起きて餌をやろうと、ケージに掛けてある布を、めくって見たら、可愛そうに、右側の目まで同じようなことになってしまっていました。歩く様子もよれよれしています。思えば、父鮭が検査で引っかかったあたりから、症状が現れていたのです。そして、父鮭が退院間近になった今、死期を感じさせるような状態になってしまっています。毎朝、自分のベッドの上で朝の散歩をさせてやり、小まめに浴び砂もかえてやり、色んな餌をためして、ちーこっこのお気に入りの餌を探しあてたりと、母鮭がなくなってからは余計に、ネズミだけど猫可愛いがりしていた父鮭だったので、ひょっとするとちーこっこが、今回の父鮭の病気を軽いものにすべく、神様や仏様と、テレパシーで交信してくれて、身代わりになってくれたのかもなあ とふと思ったりしています。これが、犬や猫なら、動物病院にも連れていくんだけれど、自然にしてても寿命は平均2年のネズミです。買ってきたのが一昨年の秋だから、寿命が近いといえば近くもあるのです。目に見える衰弱の様子は哀しいけれど、見守るくらいしかできないです。ペットって、可愛ければ可愛いほど、死んだ時の喪失感大きいですよね。そういや、そういう症候群もあるんですよね。取りあえず、父鮭が退院するまでは生きててくれよ、ちーこっこ!明日は母鮭の月命日。もう、4ヶ月になります。今日、病院の父鮭から、退院の日取りのことで電話がかかってきたので、明日お母ちゃんの月命日やな というと、つい先週、お母さんの命日あたりに帰れるかなあ と自分から日にちを確認していたにもかかわらず、うっかりすっかり忘れてしまっていた様子で、あ、そうか。明日やったな とのたまう始末w 叔母にも頼んでいないので、明日は、昨日供えた御飯とお花と供え物で我慢してもらおう。ちょっとシュンとしてしまった電話の向こうの父鮭に、人生師匠みたいに、家の方向いて「母ちゃんゴメン!」って謝っときいな というと、気を取り直したように「そやな」と明るい口調で返事が返ってきました。入院中に、物事は前向きに考えた方がいい という思いが強くなったようです。代わりに、鮭の部屋の写真の前に、花と果物を供えておきました。たまには娘の所にも遊びにおいでよ ってかw
2006.06.05
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日曜日の鮭は、正直グウタラです。大抵は、土曜の晩に夜更かしした流れで、どうしてもの用事がなければ、10時前に起きることはほとんどありません。今日は、父鮭の見舞いに、母方の叔母が来てくれるということで、昨日も来てくれていた父方の叔母(鮭はこの叔母に瓜二つといわれていますw)も誘って、叔母二人と姪っ子鮭の3人で、見舞いの後ご飯を食べようという話になっていました。父鮭が入院してからの鮭の日曜のスケジュールは、昼過ぎに家を出て実家に寄り、仏さんの世話と部屋の空気の入れ替え、メダカのえさやりといった、こまごまとした用事を済ませ、父鮭からの頼まれものを抱えて病院に行きます。父鮭が入院している病院は、平日と土曜の午前中、つまりは外来の診察のある日は、10人ほど乗れる送迎のワゴンカーが、二つのルートを無料で巡回してくれています。ひとつはJRの駅が始発になっているルートです。そしてもう一つが、鮭の実家地区のルートです。鮭の実家は、築30年を超える、府営の中規模の団地(17棟あります)で、高齢者の割合がかなり高いため、病院にとっての「お客様」が沢山います。ですので、2つのうちの1つのルートは、団地と病院を結ぶものになっているのです。いつも世話になっている父方の叔母が来てくれる時は、JR駅からのルートを利用してもらうのですが、週半ばに一日、平日行けない鮭の代わりに仏壇の世話をお願いする日は、病院を拠点に、JR駅→病院→実家→病院→JR駅 という具合に、ある意味遠回りではあるけれど、無料だから許せるもんね~ な、送迎車をフル活用して貰っています。でも、鮭が行く日曜は、送迎車は運休。実家に寄らない平日は、実家行きのバスルートとは違う、JRの最寄り駅まで電車に乗り、そこから10分弱歩いて病院に行くので、電車の往復運賃だけで済むのですが、実家に立ち寄る時はバス路線上のJR駅からA社のバス→実家→病院最寄のバス停までB社のバスという行き方になるため、毎回電車賃とバス代で¥1080かかります。結構な額でしょ? 回数かさむと痛いんだよね。で、今日は、母方の叔母が車で来院するのがわかっていたので、食事の後、帰りに鮭を実家にほりこんでもらうよう頼もうと思っていたのです。そしたらJR駅から歩きでいけるからバス代は帰りの実家~JR駅間の¥250だけでいいので、ちょっとお得 と思っていたのですが、8時過ぎに父鮭からかかってきた、日曜の鮭の惰眠を妨げる電話のコール音とともに、¥250節約計画はパアになってしまいました。起きぬけのだみ声で返答する鮭に父鮭は「鮭、悪いけど家寄ってズボン持ってきて欲しいねん」とのたまいました。叔母から電話で父鮭の手元にスラックスとズボン届けた旨聞いていた鮭は首をひねりました。「え、なんで? 一昨日おばちゃんが持っていってくれたんやろ?」の質問に返ってきた答えは「ん? あれな。 あかんかってん・・・」という、否定プラス、音にはなってないけど、その間から察するに漏らされたのであろう小さなため息でした。前回の日記で、父鮭がスラックスとベルトを持ってきて と鮭~叔母に頼んだということを書いたのを覚えてくださっていますでしょうか。父鮭の頼みに、鮭同様腹の中では「何考えとんじゃ、このおっさん」だった(笑)叔母は、ここ数日の暑さに気をきかせて、回転ハンガーにかかったものの中から、夏物のスラックスを選んで病院に持っていってくれたのですが、自分的には「6キロも痩せたんだから、以前のズボンも楽々履けるさ~」で受け取ったそのスラックスは、哀しいかな、母鮭の葬儀の折の轍をキッチリ踏んで、チャックがあがらない状態だったらしいのです(>_
2006.06.04
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おかげ様で、父鮭、順調に回復しております。食事も主食が七分粥にまでレベルアップし、点滴も二日ほど前にはずれました。うまくいけば来週あたり退院許可がおりるかもしれません。本人も至ってご陽気でw点滴が外れた日の昼、鮭の携帯に電話してきて「パジャマでないズボン持ってきて欲しいねん」とリクエストしました。その日の晩、会社が終わってからスーパーに立ち寄り、トレーニングウエアの上下セットが安かったので買って持っていきました。濃い色だと気分も重くなりそうだし、夏も近いことなので、明るいグレーを選んで買ったのですが、そこそこは気にいってくれたようで、なかなかええやんか とコメントが返ってきました。が・・・ 次の一言で鮭はカッチーンwズボンを持ってきて欲しい と電話で言ってた時に、ウエストはゴムの方がええんやろう? と鮭が確認すると、「そやそや。まだお腹締めるのかなんしな」と同意していたにも拘らず、ず、ですよ、そんな事ワシ言うてへんもんね~ なそぶりで「できたら普通のズボンとバンドも持ってきて欲しかってん」とぬかしやがりました。お腹締めるのかなん(いやだ)言うてたのは、その口とちゃうんけーー! 腹の中では「病人ちゃうかったら後ろ頭はたいて突っ込みいれたる!!」と毒づきつつ、明日叔母ちゃん家に行ってくれる(週に一回、仏壇の世話と空気の入れ替えに行ってくれているのです)んやろ? その帰りに持ってきてもらうように頼んだら? と投げやりに答えておきましたwで、次の日、叔母から鮭に電話が入り・・・苦笑いの声で「あのおっさんなに考えとんねん」と苦情?が(^^ゞ ズボンとベルトを持ってきて欲しいといわれて、叔母は、なんでそんなん要るの?と聞いたそうです。普通のリアクションですよね?だって、入院患者じゃないですか。田舎の病院のこと、周りに繁華街もなく、徒歩3分のコンビニに行くのにもほとんどの人が、パジャマ、もしくはジャージといった入院患者スタイルですよ。ちなみにその辺を歩いている住民の方々も、ジャージスタイルが大半といった感じののんびりした地域なんです。なのに何故、スラックスが、しかもベルトをして穿くようなちゃんとしたものが要るわけ?って思いますよねえ。叔母が、アニメチックに言えば「こめかみに四角い絆創膏」な状態で鮭に電話してきたのにはもう一つ理由がありました。鮭の時はズボンとベルトだけだったのに、叔母にお願い のときはそれにヘアムースと化粧水が加わったらしいのですw 叔母いわく「つける毛、ろくにあらへんくせにw」鮭もそれ聞いて、思わず椅子の上でのけぞりましたがなヽ(^o^)丿「おっさん、病人のくせに、めかしこんでどこまで遠征する気なんじゃーーー!!」日曜に又病院に行くのですが、なんだかベッド周りに荷物がてんこ盛りになってるんじゃないだろうか・・・半分くらい家に持って帰ってやるwでもね、元気になってくれている様子を目の当たりにすると、ま、しゃあないな、退院するまでは大目にみといたるか と思えるんですよね。退院したら、近場の温泉にでも連れて行くかな。
2006.06.02
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父鮭の件では、沢山の方々から励ましのメッセージを頂戴しまして、有難うございました。手術の成功は、前回の日記でもお知らせしておりましたが、早いもので、術後2週間が経ちました。回復具合については、年齢的なこともあり、本人の予想以上に時間はかかっています。何せ本人は、入院前に受けた説明時に先生が仰られた、最短なら術後2週間くらいで退院できる というのを、まんま自分のパターンと思い込んでいる節があって、1ヶ月で退院できたら御の字 と思う鮭たちとは結構なギャップを感じていたようなのです。実際、70も過ぎ、大きな疾病経験も持病もある、逆立ちしても「超健康体」とはいえない父鮭の体です。鮭からすれば、皆さんに送って頂いた「気」にも大いに助けて頂きながら、長時間の手術に耐えてくれただけでも有難かったので、贅沢を言う気など毛頭ないのですが、周囲の感覚以上に本人は自分の回復力にもどかしさを感じている様でした。はい。そうです。過去形です。おかげ様で、術後は、合併症や癒着などの、ヘタをすると再手術の可能性あり な経過はたどることが無かったのですが、やはり若者のような活発な細胞による勢いのある回復力は無く、ガスは適度に出るものの、おしっこの量が少なめだったり、腸の動きが鈍めだったりで、鼻から腸へ管を通すという2次的な治療が必要になり、そのことで父鮭自身はかなり凹んでしまっていたのです。先生が「少しずつ良くなってはきてますよ」と仰ってくださっているのに、良くなっては、の「は」の一文字に固執してみたり、再手術せなあかんのかなあ とこぼしてみたり。鮭も何と答えていいものか考えあぐねて、「ま、若もんやないんやから、年寄りなりのペースで良うなっていくんやろなあ」くらいのことを言っていたのですが、その後入れの管 というのが、父鮭にとっては、回復していない というイメージを自らに植えつける結果を招いていたのですね。鬱傾向にあった精神状態でしたが、その管も、昨日ようやくはずしてもらうことができ、様子見の結果がよければ、明日から水が飲めるようになる(6日の入院からこっち、絶食状態)という言葉を先生からもらって、一気に気分も上昇してくれたようで、病院の公衆電話からの(携帯も持ってるんだけど、「病院のルールは守らなあかんがな!」という叔母のお叱りを受けて素直に従った様子w)報告は、受話器越しにも溌剌としていました。鮭の携帯が鳴り、公衆電話の文字が出たので、父鮭からだろうとあたりをつけた鮭が「はいはい~」と明るく応答すると、それを上回る明るさで「もしも~し、鮭ちゃんですかぁ~?」と返ってきましたからw 母鮭が生きていた時分は、自分のご機嫌がいいと「お~い、テルちゃん」と、母鮭を呼んでいた父鮭でしたが、鮭のことは、鮭の知る限り一度だって、ちゃんづけで呼んだことない人ですからねw 一応、順調ならあと2週間ほどで退院ということになりそうです。首から入れてた点滴?の場所から感染があったらしく、微熱がずっと取れない というのが1点ネックにはなってるみたいですが、それも、要誓約書な薬剤の投与で改善のみこみ とのことです。まあ、本人も鮭たちも、退院して帰宅するとたちまち、食事の心配やらしなくちゃいけないし、家事も億劫だろうし で、できればゆっくり目の退院のほうがいいよね と話しています。田舎では大きめの総合病院で、入院待ちの患者さんが大勢いるとのことで、あまりゆっくりはさせてもらえないかも知れませんが、叔母が「小芝居打って、人情に訴えてみる」的計画をしているようなので、数日くらいはおまけの入院をさせてもらえるかもしれませんw固形物が摂れるようになれば、きっともっと元気が出ると思います。それから、本人には「悪性細胞がある」という言い方で、癌という病名は告げていないため、本人には説明がなされてはいないのですが、日中、回診のある時間帯に病院にいけない鮭に代って、ちょくちょく行ってくれている叔母が、切除した患部の検査結果を聞いたところ、幸いにもステージ1~2という、現状では転移のない初期の段階でした とのことで、親族みんなで胸をなでおろしました。少し前に、初期であれば、5年以上の生存率は80%以上だと説明を受けていたので、本当に、一安心といったところです。勿論、油断は出来ないし、抗癌剤投与という場面もあるのだろうけれど、正直、家族にとっては「初期」であったという結果は、大きな喜びでした。お父ちゃん、寿命におまけがいっぱいついてて、ホントに良かったね!お母ちゃんも、お父ちゃんは鮭家の癒し系アイドルやから、もうちょっとこっちに居ってもらわんと困るねん って、鮭の願いを聞き分けてくれて有難う。そんな訳で、皆様には本当にご心配頂きましたが、父鮭、亀の歩みながら、順調に回復しておりますことを、ここにご報告させて頂きました。コメントを寄せてくださった皆様、まとめての返事ではありますが、心より御礼もうしあげます。レイさん、心強い「先輩」のメッセージ、父鮭に伝えますね!でさ、一難去ったら又一難なんだわさ。今度は鮭の社長生命のピ~ンチ!!このままだと会社は左前・・・何とか解決策を練らねば・・・これ以上借金を増やすわけにもいかんしなあ・・・景気回復って、どこの話?取りあえず、歌っとくかwあ、そうそう、先日行われた、鮭が所属する詩吟の会(小さな小さな会派です)で、鮭たちの支部が、支部競吟人数少ない支部の部で優勝しました! んでもって、会長(もともと、会社絡みで始めた詩吟なのです)と鮭の二人、受けた師範試験も合格しました~! こちらも報告までwついでに、来月はゴスペルのコンサートで~す!
2006.05.25
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皆さんに強力な「気」を送っていただいたおかげで、父鮭の手術、無事終了致しました。ご心配くださった皆様、本当に本当に有難うございます。何はともあれ、成功のご報告をさせて頂くことができることに感謝しています。14時過ぎにお迎えが来て、手術室を出てきたのが20時過ぎ と、予定を2時間ほどオーバーした手術時間に、来てくれた叔父、叔母二人とともにヤキモキもしたのですが、輸血の必要もなく、ICUに入る事も無く病室に戻って来ました。術後すぐに、切り取った患部を見せて貰いながら、開腹して直接判断を下す といわれた肝臓の転移疑惑についても杞憂に終わり、予定通りの手術でした との説明に、一同胸をなでおろしました。今後の治療については、進行のレベルが検査で確定するまで未定ですが、今回の手術については、術後の合併症や癒着などがなければ、案外早い回復が望めるような気がします。と、いうのも、6時間近い手術を終えて、病室に帰ってきた時には、既に父鮭の麻酔は切れかけていて、手術直後の体温低下による寒気をうわ言で訴えていたのですが、電気毛布などで身体を温めてもらって体温が上昇し、痛み止めの注射を打ってもらって少し楽になったことで、血中の「しゃべりたい」細胞が通常値に即行で戻ったらしく、手術室を出て30分もたたないくらいのホヤホヤの病人のくせに、しゃべりまくったんですよね。目が開けられへん と言いながらも、叔父叔母や鮭たち4人の声を聞き分け、其々に礼を言い、叔母には彼女の伴侶への伝言も頼み、自ら私たちに「血圧は?」と質問し、76-110 と鮭が答えると「上がもうちょっと高うてもええんやけどな」とか言うし、看護士さん別嬪さんやで と言うと、「手術前に見た」としっかりチェック入れてたことを暴露するし、「完全看護やから、何も心配いらんねん」と豪語していたくせに、「誰か泊まって行ってえな」と言って甘えて、その場に居合わせた先生に苦笑いされるし、 ホンマにこのおっさん、さっきまで腹切られとったんかいな! と突っ込みいれたくなるくらい、身体に数本チューブ通されて人工呼吸器に酸素マスクつけられた状態で、しかも入れ歯はずしてるからふがふがしてしゃべりにくい中で、一通り言いたいこと言うて、疲れて眠りに入ったような状態でした。結局、父鮭の甘え勝ちで、簡易ベッドになるタイプの折りたたみソファを借りて、叔母が泊ってくれることになったのですが、鮭も終電近くまで病室にいるつもりだったから、叔母と二人で食事に出かけて帰ってきたら、声でそれを察してまたしゃべるw 叔父たちが帰る直前、ひとしきりうんうん唸っているので、しんどいんか? と聞くと、かえってきた答えは「おなかすいた」4人いっせいに吹きだしましたw 確かに、入院当日から5日、点滴と水分と下剤以外は口にしていないのですから、当然といえば当然なのですが、そこはやはり、ホヤホヤの切腹人らしく「痛い」と返ることを予想していただけに、あまりに天下泰平な一言に、思わず「ナイス・ボケ」と言いそうになりましたw 叔父たちも、その言葉に安堵感を深くして帰路に着くことが出来たようです。きっと、晩ご飯の食卓の話題にのぼったんだろうなあwそんなわけで、術後、父鮭の頑張りを、感涙の涙のなかで褒めてあげようと思っていた親族の思惑を、見事に良い方に裏切ってくれた、親族の<アイドル>父鮭w 1週間もすれば、病棟の隠れたアイドルになるかもしれません。愛すべき、可愛い父ちゃんです。進行も、初期段階であってくれれば良いのですが。最後になりましたが、本当に、本当に、皆さん、有難うございました。皆さんが送ってくださった「気」はみごとに一つになって、大きなエネルギーになって、父鮭の元に届きました。まとめてのご挨拶ではありますが、心より御礼申し上げます。
2006.05.10
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明日は父鮭の手術の日。予定では、午後2時過ぎごろから麻酔がかけられます。続いて脊髄への麻酔~手術という運びだそうです。みんなの応援が欲しくて、クィーンズのメンバーや、友人たちにも「明日の夕方、父ちゃん頑張れ! の気を四條畷に向けて送って!!」とメールしました。みんなから「まかしといて!」の力強い返信が来て、本当に嬉しかった(●^o^●)。みんな、ほんとにほんとに有難うね。明日の朝、父ちゃんにみんなの思いを伝えます。とにかく明日は、手術の成功を祈るのみです。みなさんの気も、どうか送ってやってください。
2006.05.09
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何の因果か、母鮭の3度目の月命日の今日が入院日だった父鮭。入院自体は午前中に終わったのですが、手術についての詳しい説明等を執刀医師から受けたのは、午後5時を過ぎた頃でした。父鮭本人も含めて、鮭、叔母(父の妹)の3人で説明を受けました。先生と叔母、鮭の3人が説明を受けるための部屋に入室した時、父鮭は手洗いに寄っていて不在だったのですが、先生から、父鮭本人にある程度具体的なことを説明してもかまいませんか? という質問を受けました。思わず一瞬、叔母と目を合わせました。かかってしまったものは仕方ない と、手術に関しては諦めの境地を語ってみせる父鮭ですが、こんなん言うてても内心は不安でしゃあないねんで と本音も漏らしていたので、あまりにもキッパリ告知を受けたら一気に気落ちしてしまうだろうな という思いが叔母にも鮭にもあったので、一瞬ためらったのですが、手術の内容をまったく告げられないでいるのもかえって不安なのではないかと思い、結構です と返事をしました。ある程度 という先生からの話は、手術については、説明用の図に書き込みをしながら、背切除する部分や、術後に通す管の位置なども含めて、かなり具体的に説明してもらいましたが、病状については、腫瘍の程度がどれくらいレベルなのかは、患部を詳しく調べないと解かりませんが、悪性の細胞があります という所でとどめてくださいました。幸いというか、父鮭はそこでピンとはこなかったようで、悪性細胞がある=癌の可能性がある と理解したようでした。鮭はそれで、父鮭が癌であり、レベル=進行段階(ステージっていうんですよね?)ということだと理解しましたので、説明を終えて、父鮭と叔母が先に退出し、書類を詰め所に渡す必要があった鮭が一歩遅れて退室する形になったところで、転移が無ければ、基本的には切除摘出で終わる手術ですか? と問いました。鮭も所詮は素人ですので、組織検査である程度具体的な進行具合が解かるものなのだと思っていたので、もしそうなら、今の段階で、執刀医には父鮭の病状の進み具合がかなり具体的にわかっているのだろうと考えていたのです。でも、そうじゃないんですね。外科の先生は、基本的にはいわゆる「技術屋」さんなんですね。患部を摘出し、血管や内臓を縫合してという、命をつなぐための技術を施行してくださるプロフェッショナルであって、癌細胞そのものを見極めるのは、又、違う専門職の(病理の先生 と執刀医は仰ってました)、いわゆる、鑑定士さんのようなプロフェッショナルなのですね。ですから、結局父鮭の場合も、術後10日ほど経たないと、はっきりした進行具合がわからないらしいのです。一応、ステージ4の場合と3の場合の5年生存率について具体的な数字を仰いましたので、目で見える範囲での執刀医の判断は、そのあたりにあるのかなあ と受け取りました。4だと確実に転移があると考えてよいようです。3は微妙なのかな。案外1とか2かも知れないし。帰り道、叔母と食事をしながらいろいろ話をしていて、先生の話を受け止めた鮭の心情を話していたのですが、本当に、我ながら薄情なのかしら と思うくらい、いわゆる「目の前が真っ暗になった」とは程遠い状態にあるんですよね。まあ、具体的にそのステージの数字を示されていないからなのかもしれませんが(4だと、早ければ半年 ということだったので)、母鮭の急逝や、思春期に相次いだ、同年代の親族や友人、知人の若くしての死というのがあるからか、そして真逆に、絶望的な状況下から、それこそ医者に奇跡的と言われるほどの回復を見せた方も身近に知るところだからか、とにかく、父鮭に寿命があれば、どんなに病状が悪くても、そのレベルはどうであれ、絶対に回復すると確信してるんです。勿論、最悪の場合は逆のこともあるわけですが、仮にもしそうであっても、それはそれで父鮭の寿命であったのだと、納得して受け入れられる気がするのです。でも、ありがたいなあと思うのは、親族は勿論、鮭家族と親交のあるみなさんが、其々に、父鮭の回復を心から祈ってくださっていること。それはお天道様であったり、お地蔵様であったり、その方の信仰上の神様や仏様であったり、実に様々なのですけれど、母鮭のことがあって、持病を含めた父鮭の病気のことを知る皆さんが、ウソではなく本当に、心の一部を常に父鮭や鮭に向けてくださっている ということが、本当に本当に、実際に涙がこぼれるほどありがたいのです。だから鮭は、自作の歌の歌詞の通り、俯かず、勇気を出して、真っ直ぐ前を向いて歩きます。きっと大丈夫。鮭の心を支えてくれる目に見えない杖は、たくさんあるんです。この部屋に来てくださる方の励ましも勿論そのひとつです。取りあえず、10日の午後に行われる父鮭の手術が成功するよう、是非みなさんの念力wも飛ばしてください。と、いうわけで、今日は、父の小さな友人? ハムスターの「ちいこっこ」を鮭のマンションに連れ帰りました。実家のケージは結構でっかくて持ち運びが大変なので、組み立て式でコンパクトな鮭の部屋用の別荘を購入しました。いずれお披露目しますねw連休も明日で終わり。明日は大雨らしいですね。できれば毛布を洗濯したかったのですが、後日になりそうです。それにしても、A型の父鮭の1人暮らしの実家は、鮭の部屋の50倍は綺麗に整頓されていて、自分の片付けられない女ぶりにますます自己嫌悪した鮭でしたw
2006.05.06
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ペーペー時代から現在まで、約15年に渡り、鮭の足として働いてくれた、愛車「銀鮭号」を、今日、ついに手放しました。雨の日も風の日も、顧客周りに、納品にと酷使したその車体は、前かごが朽ちること2回、サドルが折れること一回、タイヤ交換数回と、満身創痍な上、ここ数ヶ月にいたっては、ネジが朽ちてタイヤに接触する状態の後輪の泥除けを、荷造り用の黄色いPP紐で固定するという、鍵かけんと放置しといても盗まれもせん な、悲惨な状態でありました。そして、今朝、出勤のため乗車してペダルを踏むこと数回。がっこんがっこんいう音を、耳の後ろで聴いて、ああ、またタイヤいわしてもうた・・・ を自覚。前輪もたいがいハゲちょろけてきとるしなあ。両輪タイヤ交換かなあ と思いつつ、がっこんがっこんなまま会社に到着したのですが、到着寸前、たまたま会社の玄関先で用事をしていた営業さんが、がっこんがっこんの音を聞きつけて振り返って、銀鮭号の哀れな姿を見とめたのでした。「えらいことなってますやん」おはようございますの挨拶もそこそこに返った言葉に、両輪交換せなあかんかもと返した鮭に再びかえってきた言葉は「ええかげん新しいの買いはったらよろしいのに。その辺でゴミ集めてはるおっちゃんの自転車みたいですやんw」でした。そうか。名ばかりとは言え、鮭もシャチョー(何故かカタカナw)や。あんまりみすぼらしい車に乗ってるわけにもいかんか・・・ と、指摘されてようやく、銀鮭号に暇を出す事を考えたのでした。乗りやすく、愛着もあったのですが、まあ、PPバンドで修理してる姿は確かに痛々しくもあり、複雑でもあったわけです。仕事を終え、いつもタイヤ交換をしてもらっているサイクルショップに、手押しで持って行き、最後まで修理か買い替えか悩みました。結局、両輪タイヤ交換の料金に1000円足らずを加えるだけで買える、5000円也の中古車を購入しました。車体は経費で落としましたが、前カゴは、実費で、大きいサイズの物に変えてもらいました。ちなみに、苦楽を共にした銀鮭号は、そのまま引き取ってもらいました。さらば、銀鮭号!ちなみに、荷台に2本線のように見えているのが、PPバンドw明日から始まる鮭の5連休。朝、洗濯して、昼から実家に帰ります。父鮭と入院用の買い物をして、その日は実家にお泊り。4日は早朝から、父鮭とともに岡山の親戚の法事にでかけ、一泊させて貰い、5日は父鮭の体調がよければ、母鮭があと1週間生きていれば一緒に行くはずだった、淡路島にちょっと寄って帰ってきます。その晩も実家泊まりして、6日に父鮭を入院させ、再び実家に帰ってハムスターの「ちーこっこ」←もともとは3代目シロキチだったはずなのに、いつの間にか父鮭が改名w を引き取ってマンションに連れ帰り、7日はマンションから病院へ・・・連休のようで連休でなーい べんべん(古っ)な5日を過ごす予定です。話変わって日曜日、最近よく覗く、ヨドバシにある石屋さんに行って、ビーズパーツとしてバラ売りしている石を数個購入してきました。<病気のお守り>であるという翡翠の勾玉<癒しや新たな活力に強いパワーを発揮する>というブラックトルマリンの勾玉<強い気持ちで頑張りたい時に力を貸してくれる>というアマゾナイトの丸玉<危険を察知し、不思議な力で身を守る>というマラカイトの丸玉<悪運から守ってくれる>というラブラドライトの丸玉これらに、以前買ったまま(ビーズの福袋)使わずにいた、<不思議な力で助けてくれる>フローライトを加えて、父鮭への、お守りがわりの数珠を作りました。ショップには、予め厄除け用など目的別に作られたものもありますし、石を選んで、その場でブレスやネックレスなどを店員さんに作ってもらうことも出来るのですが、格好は良くなくても、自分の手で作った方が効力が増すような気もしたので(こじつけw)今回は自分で作りました。多分、父鮭も喜んでくれると思うんだけど、いつもしているゲルマニウムのやつのほうが効く とか言うかもwで、ついでに、母鮭が亡くなってから、ずーっと世話になっている叔母に、金運・勝負運上昇の石で、鮭自身用にも、癒し・新しい思考への導きといった効力を持つといわれる石を使ったものを作りました。そういや、クィーンズのみんなに何か作ってあげよう と思って「恋愛運アップ」のローズクォーツのタンブルを半年ほど前に買ったまま、ほったらかしにしてるわヽ(^o^)丿 すまん。みんな。あてにせんと待っといてw少し先ではありますが、7月15日に、クィーンズベリーとチェラビン・レディスの合同コンサートが決定しています。連休明けには各曲のパートオーディションもありますが、鮭に関しては、バタバタしてるからほとんど練習できないだろうなあ。エントリーするとしても1曲だけになりそう。今回はみんなの足を引っ張らないように、せめて歌詞だけはちゃんと覚える というのが第一目標になりそう。みんな、鮭の分も頑張ってくれ~ぃ(●^o^●)チェラビンチームは人数も増えて、9月のアワード参加も決定されているとか。ダブル受賞目指して頑張りましょう!!ではでは、皆さま、良い休暇を。
2006.05.02
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今日、父鮭の検査結果と手術の日を聞きに、病院に行ってきました。結果は・・・ 残念ながら、明るく大手を振って「良性でした!」といえるものではありませんでした。先生の話では、悪性細胞がいる可能性がある ということ。ハッキリ癌です という説明はありませんでしたが、持ってけドロボー! ではないにしろ、リンパも含めて、かなりの範囲を切除する という説明からすれば、転移の防止が前提になっているということだと思うので、完全に癌ではないにしろ、限りなく癌に近い状態になっている腫瘍ということと受け止めました。小腸との境目あたりのものなので、切除後は残りの小腸と大腸を繋ぐとのことで、術後が人工肛門 ということにはならないみたいです。何枚も取られた写真の中で、たった1枚だけ、肝臓の小さなカゲに赤丸チェックが入っていたため、多分大丈夫やと思うけど・・・ ながらも、週明けに、肝臓のエコー検査をするように仰せつかりました。先日の内視鏡検査の段階では、5月の3週目に手術の予定だったのですが、先生曰く「今にも出血しそうな顔したのが居る」状態で、少しでも早い方がいいだろうということで、6日に入院、10日に手術と決まりました。カルテに添付された内視鏡カメラでの写真を見ましたが、「ホンマに何の自覚症状もあらへんかったんかいな!」と父鮭にツッコミをいれたくなるくらい、なんともグロテスクなヤツがニョキニョキ腸壁から生えてました。先生の言葉を反芻しそうになりましたもん。「あんた、ようこんなんなるまでほっといたなあ」って。あれが破れたら結構な出血やろうなあ という感じでしたので、もしも定期血液検査で引っかかってなかったら、いきなり下血で症状が現れて、父鮭もパニックになっていたかもしれません。世の多くの男性陣と同じく、血やら痛みには弱いタイプ(ビビリ)なので、下血との因果関係が事前にわかって良かったです。仮に入院前に出血したとしても、原因が解かっていれば、少なくとも「死ぬのか!」みたいな恐慌状態にはならないでしょうから。手術は3~4時間が目安だそうで、術後も、合併症などが出ずに順調なら2週間くらいで退院できる見込みです。何にせよ、肝臓の影が転移でない事を祈るばかりです。けど、かえって、退院後の方が世話がかかると思うので、仕事の忙しさのピークと重ならなければいいのになあ と思っています。けれど、図太いはずの鮭も、見えないところで参っているのか、毎年今頃の時期にヘタレになる自律神経と花粉症があいまってか、昨日から首の付け根がはれぼったくて。ホルモンバランス崩れてるんだろうなあ。更年期障害が出だしてもおかしくない年齢(昨日44になりました。おめでとうコメント有難うございました! クィーンズのみんなもバースデイソングを有難う!プレゼントもサンキューでした!)なだけに、甲状腺とか注意せんとなあ。最後に自分が大当たりひいてたら洒落にならんもんね。病院から帰ってきてそんな話を社員さんとしていたら、彼がふと「そういや社長、しめ飾りが地べたに落ちてたのの第一発見者でしたよね?」と口にしたのです。そ、そうやった・・・鮭の会社では、正月のしめ飾りの不具合が、2年連続で悪影響をおよぼしてるんやった・・・もしかして、もしかして地べたへの落下第一発見者の鮭に、鮭の家族に全部回ってきたんかーーーーー!報告し忘れていましたが、昨年末に、近い将来、会社の屋台骨になってくれるのでは と期待大だった、若者は、入社時に報告はうけていなかったのですが、精神的な持病の悪化による入院の必要が生じてしまって、残念ながら退社ということになりました。またしても「おじい」が花形の現場に戻ってしまいましたw おいちゃんたち、みんな元気で働いてね!長い人は明日から9連休ですね~。鮭は親戚の法事と父鮭の入院準備などでバタバタしそうです(T_T)そういや、父鮭が前に救急で入院したのも2年前のGWだったんだよな。ゆっくり休めない運命なのね(^^ゞ
2006.04.28
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父鮭がピンチだ。花粉症のくだりでは、鮭を思いっきり脱力させてくれたお茶目な父鮭だが、その後に受けた先日の内視鏡検査の結果が思わしくなく、父鮭人生、3回目の開腹手術を言い渡されてしまった。何もなければ、そのままお帰りポリープ切除をしたら、1泊お泊りと言われて受けた検査の結果は、先生曰く、このまま放っておいたら、腸閉塞で死にまっせ。ようこんななるまで放っておいたなあ なまでになっていたらしい。ただし、悪性か良性かは、あと数日しないと結果がでないのだけれど。本人は全く自覚症状がなかったらしく、こんななるまで放っておいた 言われてもなぁ・・・ な気分だったらしい。実際、ポリープができていたのは大腸の入り口付近で、自覚症状のでにくい場所ではあるらしい。検査の時に、開腹か否かは未定と言われたらしいのだが、今日、改めて「切りますよ」と、おおよその日程を言い渡されたのだそうな。昨日、手術は避けられない というのを聞いて、何が出来るでもない鮭は、取りあえず本屋に行って「大腸がん」の本を立ち読みした。勿論、悪性と決め付けているわけではなく、可能性としての、病気の事を知りたいと思ったから。願わくば、切除すれば完治の良性でありますように。お母ちゃん、宜しく頼むよ!それにしても、今年の鮭家はご難続きだわ。母鮭の急逝、鮭の会社の100万円超えのペナルティ発生、父鮭の病気発覚。ほんとろくなことないよな と凹んでいる所に、チャキリーズK嬢の甥ごさんの訃報が。年が明けてまだ数ヶ月なのにアンハッピーの連鎖なんて。厄年でも、大殺界でもないのになあ・・・
2006.04.21
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タイトルの通り、ここ数日、鮭は夜毎、枕を濡らしています。母鮭を偲んでむせび泣き?だといいんですが、実は別件。お察しの方も多々いらっしゃるでしょうがwはい。ご推察の通り、花粉症です。懇々と泉のごとく湧き出る鼻水によって、明け方の鮭の枕は、毎日濡れるのです(T_T)もうね、何とかならんのかーーーーーーーーーっ って感じです。この時期は。明日ぐらい医者にいくかな。花粉症といえば、先日、朝の10時過ぎに、父鮭から電話がかかりました。平日の、仕事中です。で、開口一番のセリフが「お父さんや。今、病院やねん」鮭はてっきり、持病の発作が出たのか と、心配したのですが、「朝から目がチカチカして、首がものすご痛うてな。あかんわこれ」という言葉でちょっといつもとは違う様子が。聞けば頭痛はしないというものの、診てもらうのが脳神経外科だというので、さすがに鮭もちょっとビビリました。いかにも弱ってますねんワシ みたいな声で話すし。とにかく、診察終わったらまた電話してと言って電話を切ってから数時間後。父鮭から再度電話が入りました。父鮭「あ、お父さんやけど」鮭「ああ、どうやったん? 血圧でも高かったんか?」父鮭「いや、血圧は大丈夫やねんけど・・・」血圧「は」大丈夫やという父鮭の言葉と、その後の少しの間に、思わず携帯を握る手に力が入った鮭。でも、それを悟られまいと、平常を装って何気なく質問を繰り返しました。鮭「ホンマ? そいで、何が原因かはわかったん?」父鮭「あのな」鮭「うん」父鮭「どうも花粉症みたいやねん」違う意味で携帯が手から滑り落ちそうになりましたwもう一度よく聞けば、目は「チカチカ」というよりは「ショボショボ」だし、首もものすご痛い というほどではなかったのだそう。それであの「弱りよう」かい? ちょっとチキンなんじゃないのかい?父ちゃん って感じですよねwまあ、大病の予兆ではなかったようで何よりでしたが、すわ、脳梗塞か? と血圧が上がった鮭にすれば、なんとも拍子抜けな顛末でございましたw その後約1週間。特に症状がひどくなったという報告はないので、アレルギーの薬が効いたのかなヽ(^o^)丿そんな中、今年の桜も見ごろを迎え、先週の日曜は昼間を叔母の家で過ごし、帰りしなに、大阪城の横を自転車で通り抜け、家に近い公園に向かいました。立派な枝振りの木の下では、ブルーのビニールシートで陣取った団体様がいて、あまりじっくりと見る雰囲気ではなかったので、小さめの、、横に張った枝の花に充分手が届くくらいの木の下に、銀鮭号の前かごに母鮭の写真を入れたままで乗りつけ、何気に下から上を見上げたら、なんとまあ、いい塩梅じゃあござんせんか。小さいけれど煌々と輝くお月様と、日没後間もなくの時間帯特有の、深い深い青空。そこに浮かんで見える、薄紅の桜の花びら。昼間には見れない、絶妙なコラボレーションでした。公園の街灯にある程度照らされてはいるものの、特にぼんぼりや電球でライトアップされてもいない、名所でもなんでもない公園で、母鮭の写真と一緒に素敵な花見ができて、良かったです。写真も、最初は普通にフラッシュたいて撮りましたが、その後、お月様と青い夜空を発見したので、後はフラッシュなし。その分手ブレはしていますが、中々風情のある写真になったんじゃないの? と、ちょっぴり自画自賛w そうそう、先々週の歌の発表会ですが、何とかなるさとタカを括っていた鮭に、歌の神様から「百万年はやいんじゃーーー」とばかりに「おしおき」をくらったのか、大失敗をやらかしてしまいましたw まさに、悪夢が正夢になっちゃいましたよ(T_T)2コーラス目の途中にごっそり、8小節分くらいすっ飛ばしてしまってサビに入ってしまって、それに気付いた先生が、ちゃんとそのままエンディングに向かって歌えるようにフォローしてくださったのにも関わらず、すっ飛ばしに気付いた鮭が、中途半端に、途中から戻ろうとした結果、今度はバックバンドの方が鮭に合わせてくださる形になってしまって、先生と鮭とが小節ずれたまま進んでしまった という、素人さんでも「あらら」と失敗丸わかりな結末に。歌い終えたと同時に「大変失礼致しました~」とゴリエちゃんよろしく、ぺコリ~とやってましたw でも、お客さんの目がとっても暖かくて嬉しかったなあ。というのも、ラストバッターだったのですよ。鮭は。で、実情はそうでなくても、一応、普通のお客さんは、一番最後に演奏したり歌ったりする人は、一番上手な人 みたいな「暗黙の了解」みたいなものがあるじゃないですか。実際、セミプロ的に自分のバンドやセッションで歌ってらして、そこまで歌えるならお稽古の必要はないんじゃあ? と思う位、技術的に優れた生徒さんもいらっしゃって、その方が鮭の前に歌ったりなさっているわけです。となると、当然最後はもっと上手くて当たり前って期待しますよねぇw。すみません、期待はずれでヽ(^o^)丿失敗の動揺が少し残ってしまった2曲目については、毎度のことながら、高音がまたしても、鵜飼いに綱を引かれた鵜のごとく喉絞めた歌い方になってしまって、なかなかにトホホでありました。でもね。ホンマ、自分でも得な性格やと思いますけども、大失敗をやらかしたことも含めて、すごく楽しく歌えたんですよ。2曲を歌い終わった後に、大きな拍手を戴けた事も、めっちゃ嬉しかったです!ひょっとして、お客さんは、間違えた後もニコニコしっぱなしの鮭を見て、思わず心臓の辺りを凝視されてたかもしれませんねえw こいつ、絶対「毛ぇ生えとる」って(爆笑)けど、いつも思うけど、後で録音したものを聴くと、当日の会場の雰囲気の中では、鮭の歌は5割り増しぐらいに聞こえてたんやろうな と思うんです。雰囲気ってやっぱり一種の魔法をかけてくれますよ。鮭は割りと歌詞に即した(と自分が思える)身振りや手振りをつけて歌うので、いい意味でそれも、ハッタリになってるんだろうなあw会の終了後、解散になった後、帰りの電車の中で改めて先生にごめんなさいでした のメールを入れたら、逆に、先生から謝罪の言葉を頂いてしまって(^^ゞ でも、その中で先生が、ついさっき、こんなメールが来て嬉しかったです と、別の生徒さんからの、発表会の感想メールの一部を紹介してくださったのが、鮭のもっと歌いたいねん心に大きなエネルギーを注いでくれました。「ラストの人のように、ハートが伝わるヴォーカルになりたいです」もう、何よりの褒め言葉。鮭の団子っ鼻が嫌な具合で高くなりそうだよね~wでも、開会の時、主宰教室の役員さんが挨拶で、「上手」には 色んな基準があるでしょうけれど、今日は、上手下手はなしで、皆さん其々が持っていらっしゃる魅力を発揮してもらいたいです。「感動」を期待しています。 みたいな事を仰っていたので、お客さんの方も、みんなの頑張りにきちんと目を向けてくださっていたのだと思います。だから、鮭の失敗も、暖かい目で見てくださったのだと思います。緊張しちゃったのねきっと みたいな感じで。だから、失敗というマイナス面への「がっかり」より、歌う事が大好きなんだろうねぇ な部分に目を向けてくださったんだろうな。ありがたいこっちゃ~(●^o^●)今日は、2週間ぶりに実家に帰りました。実家には大体、いつも人から、姉妹や、同一人物 と間違われる叔母と二人で行くのですが、今日、その二人を待ち受けていたのは、通販でおなじみの「回転式ハンガー」の組立作業でした。どこに置くんよ と鮭が文句をたれると、その辺を片付ける と、部屋の一角を指し示します。ということは、そこの片付けもウチらにせえっちゅうことやな と、一応凄んでおきましたw 実際、ダンボールをいくつか積んであるその一角は、重いものを運ぶとすぐに息切れがする父鮭が片付けるのにはちょっと厳しいところなんですよね。しかし、父ちゃんよ、今まで母ちゃんが「買い物好き」なんは知ってたけど、実はあんたも相当好きやってんなw 道理で二人の血ぃ引いた鮭も買い物好きなはずやわ と、実感したよ。で、叔母に同意を求めたら、実は爺鮭もそうであったことが、叔母の話で判明。しかも、揃って、高級ブランド品じゃなくて、バッタもん的な、安もん買いときてるw改めて、脈々と流れる鮭一族の、「ええし」がなんぼのもんじゃい的な庶民パワー炸裂な血を実感した次第です。
2006.04.16
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先日、父鮭が胃カメラをのみました。定期血液検査でひっかかって、検便でもひっかかってしまったらしく、のんどきましょうということになったらしいです。少し胃に違和感はあるものの、特に自覚症状は無い ということだったのですが、鮭が中学生の頃、一度十二指腸潰瘍での入院経験がある人なので、母鮭のことで相当神経やられて、古傷に来たのか、大腸にポリープでも出来てるのかな とちょっと心配ではありました。結果は、胃に関しては荒れはあるものの、心配ないという太鼓判を押してもらったとの報告があったので、一安心です。週明けに、念のために大腸の検査もしておくことになったということなので、話にきく「お腹で蛍」の状態を体験するのだな と思っています。大腸のポリープなら、仮に切除の必要があっても、今日日は日帰りとか一泊あたりで無罪放免してもらえることが多いようですし、こちらもさほど心配はしていません。下痢が続いてたとかだと心配だけど、なんもないって言ってたしね。まあ、年齢が年齢なので、持病以外にも、色々とバテてきている臓器があるのは仕方ないのでしょう。若い時に野菜嫌いを返上してれば、もうちょっと健康体だったのでは って気もしますがw実をいうと、本音はやっぱり心配ではあったのです。でもね、四十九日の法要の前日、経机の前に敷いた布団の中で、「お母ちゃん、寂しいのは解かるけど、あんまり早いことお父ちゃん連れて行かんといてや。お母ちゃんにできへんかった親孝行も、ちょっとぐらいはしたいしな」と話し掛けたとき、それまで真っ直ぐに上がっていた線香の煙が、答えるように一瞬、ふわ~っと、鮭の全身を包むように降りてきたんです。だから、ああ、大丈夫なんやな って思えてはいたのです。即身成仏してくれたのか、夢枕には一度も立ってくれない母鮭だけれど、大丈夫、ちゃんと見てるから って言ってもらえたみたいで、ちょっと嬉しかったな。父鮭の件は一安心したので、夢見は決して悪くないはずだったのに、実は、うなされて起きた鮭。どんな悪夢を見たかというと・・・場面は何故か、大阪環状線内回り京橋駅のホーム最後尾。これまた何故か、鮭はそこで歌を歌うことになっていて、実際に、ドラムの演奏とともに歌いだすのだけれど、口から出てきたのは、歌わなくちゃいけない曲ではない曲の歌詞。しかも、うろ覚え。半分鼻歌状態でふがふが歌いながら、頭の中では「必死のパッチ」←パッチを穿かない今の若者には通用せんだろうかw で、違ーーーーう、ワシが歌わなアカンのはこの曲やないーーーーっ!! と、本来歌うべき歌の歌詞を、でこちんの辺りの脳内スクリーンに映し出そうとしてるんだけれど、全く出てこない。すると、客席最前列の客 って言っても、これまた何でか、線路からホームを見上げてる図なんだけどw、が、ぼそっと「金払ってんのに・・・」って言うのが聞こえたのね。そこで、もうアカンと観念した鮭は、これまたまた何でか知らんが、環状線と接続してる学研都市線の(あ、この辺完全に大阪ローカルネタです(^^ゞ)木津方面いっちゃん前のホームにぽつんと置いてあるピアノの上に乗っている楽譜を取りに走るのだけれど、そこはそれ、お約束で、めっちゃのろいのよw 気だけ焦っていっこも進まんちうやつやねヽ(^o^)丿で、結局、そこに行き着く途中で目が覚めたと。え、原因ですか? わかってますよ 勿論。明日の発表会で歌う曲、未だに歌詞をがあっちゃこっちゃ入れ替わってしまうンですわw 今日の、本番前最後のレッスンでも、やっぱりアカンかった・・・先生は、スー様達を指して、あんなに凄い人達と出来たんやから、もっと自信もって歌えばいいよ と、力づけてくださいますが、逆に、バックの人達への注目度が少ない分、歌い手に注目が集まることは必至で、それがすんごいプレッシャーになってるのよね~ けど、まあ、本番ではあまり動じない鮭のこと、ダメダメなりに、堂々と歌いきってしまいはすると思います。可愛げないことこの上おまへんなwリハーサルは11時頃から受付順。実際歌うのは4時位かなあ。最古株なので、一番最後に歌うことになっているんです。本来なら「大トリ」の位置付けってのが余計に待ち時間を苦痛に変えてしまいます。途中抜け出してカラオケで声出ししてこようか と無駄な足掻きも考えたりしてw 今週は、詩吟の稽古もゴスペルのレッスンもなかったから、ほとんど声出してないし、花粉の薬飲んだりもしていて、粘膜ヘタレで喉はガスガス という最悪のコンディション・・・え、言い訳しすぎ?ちぇっ、ちょっとぐらいは甘やかしてくれてもいいじゃんかよ~(T_T)取りあえず、楽しんで歌ってきますw
2006.04.01
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テレビ画面の中で、少年達との冒険に明け暮れたりていたら、いつの間にか前の日記から2週間が経ってしまいました(●^o^●) とは言うものの、何度もゲームオーバーを喰らいながらのちまちま進行。自分なりに楽しみながら、マイペースでやってます。果たしてエンディングはいつ見れるやらwそんな中、早いもので、母鮭の四十九日の法要も無事終えることができました。極度の方向オンチだった母鮭ですが、お彼岸で「帰ってきて」おられた沢山の方々のお帰りに便乗して、無事、彼岸にたどりつけたのではないかと思いますw お母さん知らん間にこっ着いてたわ みたいなw 父鮭は、それまであった、座った目線に遺影を立てかけていた経机が無くなって、お供えをするのも仏壇になってしまったことに、「寂しい」を連発しています。仕方ないねんけどなあ、寂しいなあ と。若い頃には、味噌汁茶碗を投げ飛ばす、星一徹ライクな父鮭でしたが、強がらずに、正直に寂しさを口にする様子に、流れてきた時間の長さを感じます。子供の立場である鮭も、勿論寂しいのですが、やはりそこには、自分は巣立った立場なのだという感覚も同居していて、一緒にいることが100%当たり前だった父鮭とは違う形の寂しさであるようです。まあ、もうちょっとまめに会いに帰ってればよかったなあという後悔は、尽きることがないのですけれどね。親元を離れて暮らしている皆さん、直接帰るのが無理なら電話でもいいですよ。親御さんと接する時間、絶対に、後で価値ある宝物になります。少しでも多くの時間を、ご自分から積極的にお持ちになられることをお薦めしたいです。当たり前だけど、死んじゃったらもう会えないんだもん。こんな風に、まだまだ、ふとした瞬間に、感傷に浸ってしまう時期ではあるのですが、日常はなかなか鮭を甘やかしてはくれません。忌明けに前後して、うにくろと、もうひとつの仕事で大きなミスが出ました。特にうにくろ。又しても大穴です。少なくとも、従業員の夏のボーナスが吹っ飛ぶ額の弁償責任を負わねばなりません。従業員に納得してもらえるかどうかは別として、実際問題、今回のミスは、現場全体の連帯責任によるところなので、社員全員が自信に渇を入れて、責任を負わなければいけないと思っています。失敗しました。済みません。でも、わざとではないんです。そう言って許しを請うことは、今回はしたくありません。何故なら、今回のミスは、以前にもおかしたことのあるミスだから。その時は、対象になる商品が数量的に小規模で、大事には至らなかったので、先方からも何とか穏便に許しを得ることができました。でも今回は対象の規模が大きいもので、何より、同じ失敗を繰り返していることがいけない。勿論、以前に起こしたときに、改善を試み、極力ミスをしないように務めては来ました。でも、今回に関しては、ある程度時間がたって、気の緩みが出ていたかもしれない ということを否定できません。やってはいけない失敗を繰り返す事は、イコール会社の信用を失うこと。信用を失った企業に、正直、明るい未来はありません。だから、今回の事を、信用を失くするか否かの「がけっぷち」であることを、皆が身を切って、自らに叩きこまなくちゃいけないんです。それが不満で文句がでるなら、鮭の、リーダーとしての力不足です。学生のバイトならいざ知らず、社会人を名乗るなら、自分が負わなきゃいけない責任に対する自覚くらい無くてどうする。自分たちが出してしまった「同じ結果」について、言い訳が通るのは最初の一回だけだよね。最近、派遣という形で仕事をする人が増えているけれど、正直、鮭は自分が派遣の人を採用しようとは思わないです。勿論、雇う側にも、人件費なんかの点で大きなメリットがあることは承知しているし、ニーズがあるからこそ伸びてきた、働く形ではあるのだと思います。そこを頭ごなしに否定しようとも思わないです。ただ、専門職などを除くと、そこには、個人の、責任に対する自覚の希薄さをどうしても感じるんですよね。スキルアップ というカッコいい言い方もありますが、大抵の場合薄っぺらい気がしてしまうんです。ま、ようするに浪花節志向なんだろうな、鮭はw 働く側の意識として「私でない誰かがいつでも座れる椅子」を心地よいと思わないタイプなんですよ(^^ゞ そういえばさっき、細木数子の出てる番組の次週予告で、ニートやってる若者の1人が「ポリシー持ってニートやってるんだから、絶対に働かない」って言ってる場面が映ってたんだけど、なんかもう、お前自分でへそ噛んで死ね 位の暴言吐きたくなるくらい腹たつね。詳しい事情の部分までは、予告なんで映ってなかったけど、もしもその男が、すでに成人した、いい年をした人間であるにもかかわらず、働きもせずに食べさせてもらってることを、当然の権利として受け取ってるんだとしたら、それを恥ずべきこととして教えることが出来なかった、親や周りの人間環境にも結構問題ありそうだよなあ。おそらく、ニートと呼ばれる人達の多くは、大なり小なりの事情やトラウマがあって、どうしても社会と馴染むことが出来ない、馴染もうとする行為自体が自分の中でプレッシャーになってしまう という人なんだろうとは思うけれど、先に書いたテレビの子なんて、その辺どうなのよ って思っちゃう。例えば、彼が、親や周囲から受けている「施し」に対する自覚があって、働いて収入を得るという行為に代るだけのことをしている、しようと努力しているというのなら(たとえば熱心にボランティア活動をしてるとかね)、その意見に耳を傾けようとも思うけど、ただの怠け根性を「ポリシー」だの何だのって粋がって言ってるならほんと、へそ噛め! いや、鮭が噛みにいってやる! ですよw書店で気になりながらもまだ買っていない本で、最近の若者は自分以外の人間をバカだと思っている という内容のものがあるんですが、ほんとそんな感じしますね。本当は、自分がバカ なんだよね。ご多分に漏れず、鮭もバカw そこら辺はちゃんと自覚してますってw バカだし無知だから、もっともっと、人間が本当はみんな持ってるはずの、色んな種類の大きな力を身につける方法を知りたいと思うし、身につけられるよう、できる努力はしようと思います。人生80年だとするならば、まだまだ折り返し地点だからね。何だか最後は取り留めの無い話になってしまいましたwさて、今度の日曜日は、音楽教室のジャズの発表会です。年末の会は、先生個人の教室のもので、鮭は特別参加させてもらっているのですが、今回は、いつも実際にレッスンを受けている、玉田ピアノさんの教室のもの。なので、参加人数めっちゃ多いです。今度の日曜と、その次の日曜の2回にわけないとさばけないくらいw 一日30人以上参加なんですよ。ピアノと歌が半々くらい。ピアノの生徒さんも多いんです。特に今回発表の場になるお店のピアノがスタインウェイ(だったっけ? とにかく有名なアレですw)なもので、いつもよりピアノの生徒さんが沢山参加されるようです。基本的には大人が対象の教室なので、年齢層はとても広いですが、鮭あたりになると、上から数えた方が早いです(^^ゞ そうだよ、来月誕生日なんだよ。44歳か・・・ 中々に複雑なお年頃やわヽ(^o^)丿で、仕上がり具合はというと、本番までもう幾日もないというのに、やはり歌詞にうろ覚えの部分があります。明日からはゲームを封印して歌の練習に専念せねば。 いや、勿論、仕事が終わってからの「余暇」の時間ですってば!
2006.03.28
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今日はゲームの話。今日、16日、売り上げ本数が世界をまたにかけて、百万単位の、メガヒットゲーム「ファイナルファンタジー」というプレイステイション2用のゲームソフトの最新作が発売になります。さっきから、テレビコマーシャルも何度か流れています。いわゆる、ロールプレイングゲームというジャンルで、主人公達が、仲間とともに、様々な困難を乗り越えて、目的に向かって協力しあい、成長しながら、物語がすすんでいくという感じのものです。ゲームとの関わりというと、鮭は世代的にはバリバリの「インベーダーゲーム」世代なのですが、悲しいかな、田舎者だったので「高校生がゲーム喫茶でたむろするなんてとんでもない」という環境だったのと、自分のどんくささを熟知していることから発生する「あっというまにゲームオーバー間違いないよな」な思い込みから、結局、当時(正確には未だに)一度もインベーダーをやったことなかったんだよね。確か1ゲーム100円だったんじゃないかなあ。あっという間になくなる100円ってすごく勿体無い気が、高校生の当時はしてたしね。そのあと、ファミコンの大ブームが来て、マリオにみんなが夢中になった頃は、硬派なロックバンドに夢中で、ゲームになんか全く興味がなかったんだけど、プレステが発売になる少し前、パチンコビギナーの時代に景品にファミコンがあるのを見て、何となく「やってみようかな」という気になって、一緒に飾ってあった「ロマンシングサガ」というソフトと一緒にゲットしたのが、テレビゲームとの出会いだったりします。でも、ことごとく「バトル」に破れ、やっぱつまんないよ~ と、さっさと投げ出してしまってました。結局、買い足したソフトは「麻雀」ものだけだったかなあ。あ、そうだ、ピンボールのもあった。あれはなかなか面白かった。いわゆるテーブルゲーム的なものくらいしか「こなせなかった」というのが本当のところw そ、どんくさいのよ鮭はwで、ファイナルファンタジーに手を染めたのは、プレステを買ってからなので、七作目からということになります。従って、筋金入りのFFプレーヤーというわけではないのだけれど、オンライン仕様の11作目を除いては、一応、ナンバリングされている本編4本は全部買ってプレイしてます。でもね~。根性なしなので、行き詰っちゃうとやめちゃうw という体たらくで、7・8作目はいずれもエンディングまでたどり着かないまま、いつのまにかセーブデータも消えうせてしまう という状態でした。7作目なんて、シリーズ最高のシナリオっていう声も高かったりするんですよね? ムービーといわれる、CGでの描写のどえら美しさも話題だったけど、鮭はそれも、結局エンディングまで行き着かず、見れずじまい(T_T) で、まあ、何とかエンディングまでたどり着けたのは9・10作の2本のみという、結構へたれなFFファンなわけですが、初めて9作目でエンディングまでたどり着いた時はすごく嬉しかったんですよね~。やり遂げて、ああ、確かにファンタジーやわ と実感したことを覚えています。ええ、まあ、道のりは長かったですけどもwそして、プレステ2という、これまた画期的なハードが出てきて、FFも10作目からプレステ2での作品になって、キャラクターに声がついたわけなんですが、鮭はこの10作目で「がつーん」とやられちゃったんだよね~。エンディングあたりではもう、泣いた泣いた。フィクションだし、ファンタジーなんだけど、切なくて切なくて。エンディングに行き着くまでにやっぱり結構な時間がかかってて、主人公達の色んな表情とかセリフとかが頭にインプットされてたからよけいかなあ。やっぱりキャラクターに声がついてると、感情移入する部分が大きくなりますからねえ。11作目はオンライン専用ソフトだったので、ネット環境も整ってなかったので買っていません。人のペースに巻き込まれそうなことに抵抗があって、っていうか自分がどんくさいことがわかりきっているので、きっとうとましがられると思ってるので、未だにこれはやる気になってないんですよね。実際プレイしてる人達はどうなんだろう。逆に、自分では考え付かない行動を起こす他人のキャラがいたりで、予期せぬ面白さみたいなのはあるんだろうなあ。そして今回発売になる12作目は、1人で遊ぶパターンに戻っています。グラフィックはますます綺麗になって、映画のシーンを見ているようなんだろうなあ と、テレビコマーシャルを見て、商品が届くのを心待ちにしているところです。モーグリ族という、ぬいぐるみチックな登場人物?が可愛いんだよね。癒してくれそうw明日はゴスペルのレッスン日で、練習の後定例お茶会だとすると、帰宅は11時前になるので、荷物そのものが受け取れない可能性も大なんだなあ。本格的にはじめられるのは週末から ってところでしょうか。いい年こいたオバハンがゲームに夢中ってのも、あまり褒められたもんじゃないんだろうけれど、暫くはFFにかかりっきりになりそうですwそんなことを考えながらこの日記を書いていたら、垂れ流しにしているテレビからQUEENの曲が聞こえました。思わず画面を注目してみると、本人ではない、アニメなフレディやメンバーの姿が。何なんこれ? と思って見てたら、なんと、パチスロの新台機の宣伝じゃあ~りませんか! 格闘技系とか、少年誌系のアニメとかの台がどんどん出てるのは知ってるけど、QUEENまで登場とは恐れ入りました! そういや、いきつけのパーラーからのDMには「冬のソナタ導入」ってのってたっけ。こっちはパチンコの方ですが。タイアップしまくりなのねw ちなみに鮭は、パチスロは全然解かりません(^^ゞ阪急三番街の歳末大売出しの福引って、ここ数年スロットなんだけど、一回も当たったことないもんね。目押しなんて出来んもんね。でも、QUEENの台が出るなら、チャレンジしてみたいかも。きっともう、商品を手に入れて、プレイし始めてる人いるんだろうなあ。今回も鮭は感動を手にすることができるだろうか・・・ 根気バロメータが心配だw
2006.03.15
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母鮭が亡くなって後、週末に実家に帰ること5回。ヤモメの父ちゃんは、四十九日が過ぎるまでは と、毎朝欠かさず1合の飯を炊き、仏前にお供えをしてくれています。今は経机に遺影と位牌とお骨を安置してい状態なので、仏壇と両方へのお供えです。正直、かなりの面倒くさがりで、母鮭が生きていた頃は何につけても「おーい、お母さん」で済ませていた父鮭なので、自分が食べる分でもあるとはいえ、ご飯炊くのは二日に1回でもいいよ という鮭の言葉にキッパリ「いや、四十九日までは毎日炊いて、炊き立てをお母さんに供える」と言い張ったことが意外でした。言い出したものの、やっぱり途中で面倒になって二日に一回になるんじゃないかな とも思っていたんです。でもね、ひと月を過ぎた今も、ちゃんと毎朝、早く起きてご飯炊いてくれてます。線香も渦巻きの長時間用を絶やさずにいてくれてます。鮭が帰ると「お母さん、子鮭が帰ってきてくれたで」と写真に報告し、帰るときには「もう帰るんやて」と寂しそうに背中を丸めてリンを鳴らします。この月の末には四十九日を迎えますが、父鮭の意向で、納骨は一周忌を過ぎてから行うことにしました。あまりにあっけないお別れだったから、やっぱり寂しいんだって。なんか、可愛いよね。残ったものがあまり未練をみせると、ちゃんと彼岸にいけなくなるということを言われる方もいらっしゃるようですが、迷わず成仏はしてくれているはずなので、母鮭もきっと「今生の置き土産」としてのお骨を父鮭が手元に置きたがることに嫌な顔はしないでしょうw 鮭はそう考えています。 洗濯も覚えて、何とかヤモメのひとり立ちにも目処は立ちましたが、もう暫くは実家通いを続けるかなw父鮭よりも遥かに薄情な子鮭は、忌明け直後に「お歌の発表会」に出ますw流石にヒカリモノは「慎む」予定ではありますが、全くの封印というわけではなく(^^ゞ ちょっとだけ、地味に光ろうかとヽ(^o^)丿歌う曲のひとつに「MISTY」という曲があるのですが、この、霧にちなんだ出来事がありました。実は先日、初めての月命日の明け方、母鮭が亡くなったのではないかと思われる時間帯に、二人とも別々の部屋でではありましたが、冷や汗かいて目を覚ましてたんです。朝、父鮭が実は今朝方な・・・ と朝ご飯の席で言い出したのに、え、私もやで といった感じで、お互いの様子を話たのですが、ほぼ同じくらいの時刻に起こったことだったのです。そしてその数時間前、鮭は別の体験もしていました。うとうとと、眠りにつくかつかないかのおぼろげな時間に、それまで天井に向かってたなびいていた線香の煙が、横たわった鮭を包み込むように、ふわ~っと降りてきたんです。鮭、霧に包まれるの図 みたいな感じでした。前日の日曜に、見える叔母曰く、「今、兄ちゃんの後ろに姉ちゃん(母鮭)立ってたよ」ってことだったのですが、父鮭も鮭も実は「にぶちん」で、その時は気配すら感じなかったんです。だから、煙という目に見えるもので存在を示したかったのかなあと思って、だったら何が言いたかったのかなあ と、MISTYな状況下で考えたのですが、声がきこえたわけでもなく・・・ ごめんよ母ちゃん、オイラわかんねえや(^^ゞ実際のMISTYという曲は、大好きな曲で、特にサラ・ボーン(くどいようだが、鮭は腹・ボーン)の歌が好きなんです。が、音域が広くて、今までは先生から、発表会で歌う曲として「許可」がおりなかった曲なんです。今回、ようやくお許しが出て、先週から稽古を始めたものの、やっぱり難しい~ 声も勿論なんだけど、感情的な部分で、どうにも鮭は、やっぱり「色気」に欠けるんだよね(>_
2006.03.12
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昨日、「ホスト」を特集したテレビ番組の一部で、東西のホストNO.1の二人が、お互いのプライドをかけて、二日間で売り上げの合計額を競う様子というのが放映されていた。勝負に臨んだのは、ホストの日本一を決めるH-1グランプリなる大会での優勝者と、平素の売上額や知名度から、ナンバーワン候補とされ、自らもグランプリを信じて疑わなかったという今回の挑戦者の二人。前者が関東、後者が関西1といわれているらしい。事の発端は、日本一になれなかった大阪のホストの、ホストは売り上げ上げてナンボやのに、金額で1番の俺が何で負けなんか、どうしても納得がいかん という思い。負けたら業界から一切足を洗うという、彼のホスト生命をかけた、H-1グランプリの覇者への挑戦状だった。二日間の売り上げの合計額を競うという、至極単純明快な勝負の内容は、要するに各人が、其々の贔屓客に「いかに多額の金を使わせるか」ということである。二人は言葉巧みに、恐らくは自分の魅力を最大限発揮しながら、高価なボトルをどんどんいれさせる。顔にはモザイクがかられているものの、そのほとんどが「接客業」とクレジットされた若い女の子たちは、ホストの「おねだり」に応えてやることで、自らのプライドを誇示し、満足感を得ている様子だった。「○○くんには負けて欲しくないから」高価なボトルを入れた理由を女性にインタビューすると、ほとんどがそう答えていた。二日目の締め切り時間間近、若干のリードをとっていた関西ホストに対して、意地を見せるかのごとく、関東ホストが上客の常客から「ロマネコンティ:1本250万円也」をゲットした。そこで勝負はついたかに見えた。が、締め切り十数秒前、すでにカウントダウンも始まり出した時、この日のためにわざわざ呼び寄せたという、関西ホストの「隠し玉」である、大阪の「社長令嬢」の一声で、勝敗は簡単にひっくり返った。「社長令嬢」が関西ホストのためにオーダーしてやったのは、1本、1500万円のボトルだった。彼女はその金を、手提げカバンから取り出した百万円の束で払った。同じ日のニュースで、大阪の老年夫婦と親戚の3人が、ヤミ金から生活費として借りた「1万5千円」が返済できずに(正確には、元金ではなく、膨大に膨らんだ、違法な利息の返済ができずに)自殺した事件の関係者が逮捕、摘発されたことが伝えられた。親から与えられる有り余るほどの金をどう使おうと、他人にそれをとやかく言う権利はない。自分が目をかけたホストが、意地をかけて望んだ勝負に、白黒をつけてやる事が、件の社長令嬢にとって有意義であるのなら、それは彼女にとっては「死に金」ではないのだろう。けれど、一瞬にして消えた1500万と、人の一生を消した1万5千円を並べてみると、其々の当事者にとっての価値の違いに、鮭は虚しさを感じずにはいられなかった。今、どう考えてもこの国では、国民の税金が「ないがしろ」にされている。鮭の住まう地域では、先月末から今月頭にかけて、やらなくても何の支障もきたさない道路工事が行われた。この時期、全国各地で見られる、馬鹿げた風物詩だ。来年度の予算を確保するために・・・ 笑わせるんじゃない。今年使わずに済ませられたのなら、来年だって可能なことじゃないか。本当に必要なのに足りなくなったのなら、補充すればいい。明確な理由があれば、国民だって納得できる。国民の利益にもならないことを堂々と長期にわたってやってのけ、莫大な退職金を手に入れた上に、まだお土産が欲しいと天下る、餓鬼にも似た魂の持ち主が牛耳っている国の中心部に、メスもいれられないでいた政治屋の質に、国民はほとほと愛想を尽かしかけている。セレブセレブともてはやされる、自称「勝ち組」の人々の中には、どう考えても理解できない倫理観を持っている人もいる。彼らの正しい倫理は、獲得した金によって正当化される。金持ちケンカせずという表現も、一昔前ならそれが納得できる部分が大きかったが、昨今は、にわか金持ちが、誰彼構わずにケンカをふっかけてまわっているような気がする。資本主義では、正直金持ちが王様なのだけれど、できるなら、これ以上、裸の王様が増えないことを祈るばかりだ。先週、いつも通っているスーパーの、ポイントカードを紛失していまった。店の買い物券と交換できるポイントがたまるしくみになっているのだが、受付カウンターの終了後に店にいくことがほとんどの鮭は、会員になってこの方、約4年間、一度もポイント交換をしていなかった。ので、買い物券1万円分を超えるポイントが貯まっていたのである。が、再発行についてたずねたら、再発行はできるが、ポイントは消滅する と言われてしまった(T_T) めっちゃ悔しいーーー!
2006.03.08
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母鮭の四十九日も明けないうちから、日々がすっかり日常化しつつある鮭です(^^ゞ 母ちゃん許してね。鮭はやっぱり鮭なのぢゃ。昨夜、難波のBE・ROXYという、多分老舗のジャズバーで、トランペット奏者日野テルマサ氏率いるバンドのライブに行ってきました。サックスはスー様です。日野さんの音楽は、随分昔、テレビで放映されていた、大きなホールでのライブで聴いた位で、正直とっても不勉強な状態でっした。我らの師匠のパワーで、当日参加の師匠プラス門下生計8名は、通しチケットを予約購入して、横並びの最前列。マイク無しの生音を2m程の至近距離で堪能してきました。スー様の生音はひさしぶり(っていっても正月明けに一回聴いてるんだけどねw)でしたので、深呼吸をするが如く、耳の深いところまで音を入れてきました←ホンマか! 2セットの入れ替え制だったのですが、ありがちだけど正直、2セット目のほうが断然面白かったです。どちらのセットにも、ベースの西山さん(70歳を越える御歳ですが、まだまだ現役でいらっしゃる)が育てているらしき若手のミュージシャン(タマゴ君)たち(中には、テレビにも出てる、7歳のドラマーも!)が、ステージにあげてもらって、ビッグバンドの一流ミュージシャンとのバトル演奏をする という、大御所のライブではちょっと考えられないプログラミングでした。が、それが面白かったのよ!ワカゾー君たちがもう、頑張る頑張る! 思いがけない粋なフレーズも飛び出して、お客さんもヤンヤの喝采です。特に2セット目のセッションは、間もなく七回忌を迎えられるのだという、日野さんの弟さんの書かれた曲で、時間にして40分くらいのロングサイズだったんですが、ホンマ、面白かったです。以前の鮭なら考えられなかったですよ。延々、30分を越えるインストの曲を聴いて、手ぇ叩いて喜ぶなんて(●^o^●)日野さんのパーカッションも良かったですよ~。マラカスを皮切りに、色んな民族楽器を操って、世界各国のリズムを聴かせて下さいました。鮭はリズムを刻む打楽器系が大好きなので、さっそくマラカス修行がしたくなりました。関係ないけど、スチールドラムとかやってみたいんだよね~ 残念ながら、近くに教室がないんだけど(T_T)日野さんが朗読の形で表現された、世界中の武器を楽器に変えたい というメッセージは、きっとその場にいたオーディエンスの心に響いたと思います。そのすぐ後の「オヤジギャグ」もいい味出してはりましたw気取らないMCは、彼は本当に世界の日野テルなの? って感じで、ただただ音楽が大好きなおっちゃん って感じで、鮭はすっかりファンになってしまいました。ジャズミュージシャンは、言葉を反対にしてしゃべるっていうのが定説だけれど、彼が、自分と西山さんを指して「ちゃんじー」と言ったのがウケましたw ちなみに、聴いてる客は「ちゃんばー」が多いけど だってw 鮭はまだ、辛うじて「ちゃんねー」と言ってもらえるかしらヽ(^o^)丿今、外はえらい強い風が吹いているみたいで、ひょうひょう音がしています。まだ、春一番やないわな。巷では風邪も流行しているようで、先週のクィーンズの練習(これも1回休んだだけですぐ復帰したw)風邪ひき欠席のメンバーがいました。ぼちぼち花粉も飛び始めている様子。鮭は今年通販で、パーソナル空気洗浄器なるものを購入してみました。首からぶら下げる、ジッポーライターより少し大ぶりの機器で、マイナスイオンを発生させることで効果があるのだそう。まあ、あんまし期待はしてないんだけどねw母鮭の葬儀の際、母鮭が大好きだったという歌を歌って送ってくださった、母鮭が10余年属していた年コーラスの指導者の先生から、昨日、とても素敵なお花を頂戴した と、昨日父鮭から電話がはいっていたので、今日、お礼の電話をさせていただきました。母鮭は、とある合唱際で、その先生の指揮と、率いるコーラスとに惚れ込んで、みずから所在を探し当てて入団したのだと、生前話を聞いていたので、お礼のかたがたそんな話もさせて頂いたのですが、先生曰く、まだほんの駆け出しだった時代に、初めて指揮者としての私を大好きだと言って、心から応援してくださったのがお母様なんです とのことでした。途中、団が分裂する形で袖を分かつことになった時、母鮭は迷わず先生についていったわけなのですが、その際新しくつけられた団の名称をつけたのが母鮭だったのだそうで、大切にこの名前を残していきたいんです と仰ってくださった先生の言葉に、涙が出そうになりました。棺には、黒地に金の文字で団の名前が刺繍されたユニフォームのTシャツをいれておいたので、それを着て空から練習場にお邪魔することもあるかもしれません。その時は少々調子っぱずれでも仲間に入れてやってくださいね。参列してくださった先生や、団の皆様御ひとりづつに、本当はお手紙を差し上げたいのだけれど、ぐうたらな鮭のこと、みなさんの分を書き上げるには半年位かかってしまいそうな予感がするので(^^ゞ お礼はまとめてさせて頂こうと思っています。母鮭が愛したであろう、コーラス団名をプリントした、楽譜挟みの台紙にしようかなと考えて、今日、会社で紙をチョイスしてました。宝くじが当たるか、パチンコで大勝したら、プリントは箔押しに変わる予定ですw ってせこすぎ?
2006.02.25
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前回思い切り「続く」でひっぱたくせに、その後音沙汰なし・・・不義理をお詫び申し上げまする。母鮭が急逝して、早いものでもう15日が経ちました。一人暮らしも間もなく5年を数えるせいでしょうか、日常に母鮭がいない事に違和感があまりない鮭の生活は、週末、父鮭のヤモメ修行に加勢しに実家に戻っていることを除けば、以前とほとんど変わりません。本当に、私ってもしかしてめっちゃ薄情? と自問してしまうくらい、不思議に、悲しみと無縁です。何て言ったらいいのかなあ。その時期は想定外だったろうけれど、間違いなく、限りなく母鮭自身が望んだ逝き方だったろうという確信があるからだと思います。実は、鮭、葬儀の日に、思いもよらなかった母鮭の出生の事情を、母方の従姉から聞かされました。以前、鮭が日記の中で書いたことのある、スイスのように中立の人母鮭 のひととなりの根っこの部分について、ああ、そうだったのか と思える事実でした。今となっては当事者が皆鬼籍の人なので詳しいことは確かめようもないのですが。そのあたりについては、また機会があれば記してみたいと思います。さて、では、前回の日記の続きと参りましょうwおさらいからしておきますと・・・自宅から、通夜・葬儀を行う会場へ、母鮭の遺体を運ぶ時間が迫ってきた鮭家では、前日から泊りこんでくれていた叔父・叔母、そして父鮭・鮭の4人が、其々に移動の準備を始めました。父鮭以外は皆、そのための荷造りをしてきているので、簡単な着替えをする程度。鮭はと言えば、棺に入れる母鮭の愛用品などをより分ける作業をしていたため、正直父鮭の荷造りに関しては気がまわりきっていませんでした。ですから、父鮭に「喪服やら、ワイシャツの場所わかってるん?」の鮭の質問に、父鮭が実際、その場で自分のタンスを探って、合服と冬服の2種類の喪服から冬物を選びだし、着替えの肌着と、ワイシャツ2枚をボストンに詰めた様子を見届けたことで、安堵していたのです。そうしているうちに、お迎えの車がやってきました。父鮭は、鮭に、母鮭と一緒に乗っていくように言いましたが、火の元や戸締りや忘れ物が心配だった鮭は、「喪主さんが一緒に行かんでどうするの」と諭して、父鮭には自分の貴重品だけを持たせました。会場へは車で10分足らず。自宅から国道を真っ直ぐ西下した場所にあるセレモニーホールです。駅からは歩いて15分くらいかかる所にあるその場所は、つい最近徒歩1分の間近にあったコンビニが潰れたばかりで、不便と言えば不便な所。足りないかもしれない飲み物や食料の買出しにいくのが面倒だなあ と思っていたのですが、一度帰宅してから再度駆けつけてくれた叔父が、1人頭どんだけ食うたらええねん(^^ゞ っちゅうくらい沢山、お寿司やおにぎりを買ってきてくれたおかげで、問題はひとつ解決しましたw通夜は7時からでしたが、母鮭の遺体が運ばれたのは3時頃。時間があったので、親族はそれぞれ、仮眠をとったり、母鮭の線香守をしながら過ごしました。鮭は色々段取りに追われてバタバタしていたので、疲れを感じる間もなかったのですが、持病持ちの父鮭には、やはり不眠は堪えるらしく、初めは渋って母鮭の棺の側に居たがったものの、しばらくして控え室に戻ってくると、ごろんと横になったきり、寝息をたてて眠ってしまいました。そうこうするうちに時間は6時少し前になり、当日受付をお願いしていた団地の方が参列者に先駆けて到着されました。鮭も、交通事情などで早めに到着する人もいるはずだから、そろそろ着替えておいた方が良いだろうと思い、父鮭を起こして着替えを促しました。父鮭は、白のワイシャツを2枚、ボストンから出していました。一枚はタンスの中にあった、ハンガーにかかった状態の物。これは本人曰く通夜の晩に着る予定で持ち込んだもので、もう1枚は、クリーニング屋からひきとってきた、パッキングされたままの物でした。父鮭と鮭を除く他の親族はみな、喪服に着替え終わっていましたので、皆、見るとはなしに、父鮭の着替える様子を目の端に入れていたようです。父鮭も、他人様(受付の女性)がいるにも関わらず、部屋の隅に行くでもなく、大きな食卓机の上座で仁王立ち状態で着替えていました。鮭は、必死で、焼香順位の記入や、弔電の読み上げ順を整理する作業をしていたのですが、会長に確認したいことがあり、電話をかけるために控え室の外に出ました。そして話を終えた鮭が控え室に戻ろうとした時、部屋の中から爆笑が起こりました。直感で「父鮭や!」と思い、まろぶように部屋に駆け込んだ鮭の目に真っ先に入ってきたのは、警察OBで強面の叔父が、斜め45度に顔を伏せて笑いを堪える姿でした。笑い上戸の叔母をはじめとしたご婦人方はみな、仰け反って笑っておられました。いつも穏やかな笑顔のもう1人の叔父もの顔も、いきなりの笑いの波の襲来にか、真っ赤になっていました。そして、鮭の目がようやく捕らえたのは・・・袖を通し、襟元のボタンを留めたものの、持病が原因の運動不足によって、急激に、自らの予想を遥かに上回る出っ張り具合を醸し出してしまった腹を、覆うことがどうにも不可能な「チビY」シャツを、それでも何とか着ようと試みたものの果たせず、脱ごうとしている父鮭の姿でした。後で叔母から聞いたところによると、目の端に入ってはいたものの、注目していたわけではない父鮭の着替え風景は「あれ? あれ? えらいこっちゃ。入れへん」という父鮭の言葉で、皆が注目するそれに成り代わったというのですw いわく、首をかしげながら指先丸めて必死でボタンを留めようとしている姿が、ドラえもんみたいやったそうですw残念ながら、鮭は、一発目の決定的瞬間を見ることはできませんでしたが、部屋中に残る笑いの余韻には充分感化されかけていました。心情的には、お父ちゃん、やっぱりやらかしてくれたわヽ(^o^)丿って感じです。ええ。以前にも父鮭は、その手のボケっぷりを披露してくれていましたのでw「なんや、最近着たことあるシャツとちゃうかったんかいな。しゃあないやん、明日着るつもりやった方のシャツ着ときいな。もし皺になったら、明日の朝家帰って代わりとってきたらええやんか」の鮭の一言で一旦引き潮と化した笑いの波は、しかしほどなくして、さらなるビッグ・ウェーブとして、鮭家控え室を襲ったのでした。しぶしぶ脱いだ「チビY」シャツを無造作に丸めてボストンに詰め込んだ父鮭は、代りに、本来葬式の当日に、正装として着るために用意してきたYシャツの、クリーニング店のパッケージを無造作に破りました。そして一言つぶやいたのでした。「あかんわ、半袖やわ」なんかね、もう、その場にいたみんな、ネジ飛びましたヽ(^o^)丿で、当の父鮭はといえば、着ていた肌着が白であったことに名案を得たりとばかりに、そのまま半袖のワイシャツを肌着の上に羽織り、皆に向かって「これでええやんな?」とのたもうたのですw でもね、さほど広くもない会場です。まして、焼香してくださる方をお見送りする立礼では、皆さんが目の前を通られるのです。例えそれが白であっても、ダブルの上着から見えるカフスが「リブ編みゴム」なのを、いったい何人が見過ごしてくださると言うのでしょうw 父の服装にはわりと口やかましかった母鮭の気持ちを思うと、最後の最後に私に恥かかさんといてよお父さん という声が聞こえてきそうだったので、鮭はすかさず「あかんて!」と却下しました。すると父鮭はもう1枚持ってきていた格子柄のシャツをおもむろに取りだし、「柄もんはあかんのか?」とw どこの葬式で喪主が柄もんのシャツ着るとこあるねんなヽ(^o^)丿家に取りに帰ることも考えましたが、チビYや半袖の二の舞ならぬ「三の舞い」になる可能性がないとも言えず、結局は駅前のダイエーで衣料品を扱っていることを確認した上で、叔父に運転を頼んで買いに走りました。万が一のことも考えて、指定された寸法と、若干大きな寸法の2枚を買って会場に帰りついたのは6時半を少し回った頃でした。通夜まで30分を切り、さすがに鮭ももう、人のことを構っていられる時間ではありません。自分の着替えを持ってバスルームに行こうと立ち上がりました。が、 ほぼ同時に、膝から崩れ落ちました。卓の下座にいた鮭が立ち上がりかけたのは、上座で仁王立ち状態で喪服のズボンを穿いた、いや、正確には穿こうと「やっき」になって腹をゆすりながら、軽い「屈伸」をする父鮭の正面でした。そうです。父鮭のズボンのチャックは、父鮭本人の強い意思に屈することなく、頑なに、口を閉ざすことを拒んでいたのです。鮭が崩れ落ちる様子と、またしても「あれ?」の声を発した父鮭を瞬時に確認した鮭家親族一同のその時の様子は、きっとご想像に難くないと思いますw2度襲われた「シャツ」の波では斜めに俯いてなんとか笑いを堪えた叔父も、顔を真っ赤にしていた叔父も、揃ってメガネはずしてチョチョ切れる涙を拭いていました。鮭と叔母はそれぞれ、「お父ちゃん、それはアカンて~」「兄ちゃん、堪忍してえな~」とその場でもんどり打ちました。受付のために早めに来てくださっていたお二人も、そこがお悔やみの場であることを放棄されたようでした。 ベルトでずり落ちるのを防いではいるものの、チャックは正直「全開」です。黒いズボンの股間だけが、ぱっくり三角に白いのです。鮭の頭には一瞬、喪章をあててみたらどうなんだ? という考えがよぎりましたが、ナンボなんでも股間に喪章はいかんやろう という結論に達しました。時間はもう、10分そこそこしか残っておらず、去年の秋口に着たときには着れた という合服を、家に取りに帰る余裕もありませんでした。上着を着ても見えるのか心配になって、上着を着せてみたところ、こちらも、前のボタンがパッツンパッツン。それこそ大きなくしゃみでもしたら、はじけとんでしまいそうな勢いです。でもまあ、動きを避ければ、隠れるだろう というところでしたので、とにかく通夜はなんとかそれで行こう という話になったのでした。で、通夜の最後、予定では聞かされていなかったので手違いだったのかもしれない「喪主挨拶」のアナウンスに促されて祭壇の前、中央に置かれたスタンドマイクに向かって話しだした父鮭の手は、ちょっと不自然に股間を覆っていたのでしたwでもね、お父ちゃんの、ヤモメの悲哀をも吹き飛ばす天然なボケっぷりが、お母ちゃんの葬儀に、ちかしい人の笑顔をつれてきて来てくれたことに、鮭はとっても感謝しました。勿論、これは心の中での話で、実際は立ち上がれんぐらい腹捩って笑ったんやけどねwちなみに、葬式当日は、朝のうちに家に戻って、合服を持ってきました。小さめではあったけれど、なんとかチャックも2/3まであがりましたw
2006.02.21
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母ちゃんが星になってしまったので、父ちゃんがもれなくヤモメになった。葬儀屋との打ち合わせ(短時間に色んな事を決めなくちゃならなくて、喪主は結構忙しいのだ。が、父鮭はそのほとんどを鮭に任せっきりだったw)で、葬式の日の喪主挨拶は葬儀屋にまかせたし、通夜の席では喪主の挨拶はないと聞かされていたので、突然、司会者から「それではこれより、喪主のご挨拶を・・・」と振られた時、おそらく親族の誰もが「聞いてないでそんなん!」と心の中で突っ込んだと同時に、父鮭がちゃんと挨拶できるのか心配になったはずだ。だって、通夜の席では挨拶しなくていい ってきいてたから、下書きは勿論、どんなことを話そうかなんてことも、全く考えてなかったと思うんだよね。でもね、父鮭は、涙に咽ぶこともなく、飾りのない自分の言葉で、とつとつと、母鮭との別れの様子を話し、連れ合いをなくした寂しさを、素直に表現してました。ちょっぴり長くはあったけれど、きっと皆さん、父鮭の心情を理解してくださったと思います。父鮭らしい挨拶だったと思うけど、逆に、振られたその場でちゃんとスピーチする姿が意外だったりしました。父ちゃん、なかなかやるじゃんって感じw 後で叔母が「兄ちゃんは中学の時、弁論大会に出る予定で練習しとったんやで」と、若かりしころの父鮭のエピソードを披露してくれたのですが、大会に出た という一言はなかったので、ひょっとして予選落ちとかだったのかしら と思いつつ、突っ込みはしませんでしたwそんな、オトコマエな面とは裏腹に、正直、ヤモメとしての前途はかなり厳しいようです。というのは、鮭の両親は、対外的なことは父、家の中のことは母 という役割分担だったので、父鮭は家事が全くといっていいほど出来ないんですよね。まあ、父鮭たちの世代では珍しくもない状況なのだけれど、風呂の種火はつけられない、洗濯機は回せない、電子レンジもダメ・・・ 唯一できると言い張ったのは「ご飯焚き」だけ。まあね、ご飯さえ食べれれば、取りあえずなんとかなるっちゃあ何とかなるんでしょうがw 母鮭がどちらかというと料理下手なひとだったので、口が肥えてないのはよかったかもしれません。塩鮭があれば十分、粗食でOK! な人なのです。但し、好き嫌いが多いので、大好きな天ぷらばっかり買ってきて食べるのは困るなあ。野菜も嫌いなので、週末に家に帰る時に、飲みやすい野菜ジュースを買って帰って「薬やと思って飲んでみ」と命じたんですが、一口飲んだ瞬間、苦い薬を飲んだ子供のような顔をしやがったw トマト臭くもない、林檎とにんじんの甘味が表にでてる、ほんとに飲みやすい味なのにね(^。^) 薬を飲むのは嫌いじゃないようなので、いっそサプリメントで飲むように仕向けるべきかなあ。鮭の実家は築30年を越える府営の団地で、建物が出来たと同時に引っ越した、鮭ん家と同時期入居のお家でも、ほとんどご夫婦のどちらかが亡くなっておられる。数からすると、圧倒的に、奥さんが健在なので、ヤモメの先輩は極々僅かのようなのだけれど、お隣の階段にひとりいらっしゃる方が、心配して早速様子を伺いに来て下さっていました。実は母鮭がなくなった当日、到着したもののなかなか患者が運ばれてこない救急車が、鮭の家にきているものだと知って、ほとんどの人は「ご主人、亡くなりはったんやろか」と思ってたらしいんですよね。というのも、これまでに2回ほど、父鮭が救急車で運ばれたのを皆さんご存知だし、団地の中や階段の入り口で息を切らして座り込んでいる姿も見かけられたりしているものだから、鮭家に救急車→又、父鮭か?→中々出てこない→ヤバイんじゃないか!? という図式が成立していたようなのです。だから、本当に、みなさん、母鮭が亡くなったことに驚いておられました。自宅で亡くなったので、警察がきて検死をしている間にも、話を聞いて何人かの人が様子伺いに訪ねて来てくださったのだけれど、先の先輩を含めて、皆さん一様に、ヤモメの父ちゃんを案じてくださっていた。すごくありがたかったな。父鮭は、鮭家親族のアイドルでもあります。親族が集まると、父鮭の兄弟による物真似大会になったりもするんだけれど、何ていうのかなあ、自分が笑われても、決して気分を害したそぶりを見せない人なんだよね。一緒になって笑ってることもあるけど、大抵はきょとんとしてる っぽいかなw 本人はいたって真面目なのに、ハタから見ると大爆笑のタネになっていることが多い、いわゆる、天然な人。母鮭に対する口調などは結構「偉そう」だったけど、間が抜けた部分が多いお茶目な人なのだな。先日の日記にも書きましたが、実は母鮭の通夜の式が始まる少し前、親族控え室は爆笑の渦中だったんです。そこには受付をお願いしていた「他人」さんもいましたが、他家の通夜の席で笑うのは不謹慎だ などという深慮の防波堤をも簡単に打ち砕くビッグウェーブを、父鮭はおこしてくれていたわけです。早めに来てすぐ隣の会場で待っていて下さった方もいらしたみたいで、きっとその方たちには、なんて親族なの! って思われてたかもしれません。鮭と、笑いのツボが同じな叔母(父鮭の妹)など、本気で泣いてましたw それぞれ「お父ちゃんーーそれはアカン~」「兄ちゃん、勘弁してえな」と絶叫しながらw遡ること、その数時間前、遺体を葬儀会場に運ぶ予定の時間が近づいてきたので、鮭の実家に泊ってくれていた叔父・叔母と鮭と父鮭は、其々が自分の身支度を始めました。父鮭以外は、初めから葬儀用の一式を揃えて荷造りしてきていますから、簡単な着替えだけして自分の荷物を運べばよいだけのことで何の問題も起きませんでした。鮭はといえば、棺にいれる品物のチェックなどをしていました。父鮭には予め「喪服のあるところは解かってるの?」とたずねていて、実際、自分の部屋の洋服ダンスから冬物の喪服を取り出し、ワイシャツも2枚、着替え用の肌着と一緒にボストンに入れる様子を見ていましたし、いざとなれば車で10分足らずの近場の葬儀会場のこと、取りに戻ってくればいいわと考えていました。どちらかというと落ち着きすぎていて、ともすればルーズの域に入りがちな鮭とは正反対に、父鮭はせっかちのあわてんぼう。家族で出かけるときなどは、いつも一番に支度を整えて、鮭たちをせかしている人なのに、通夜の晩はやはり気が抜けてしまっていたのか、動きも鈍かった。受付をお願いした方達が会場にみえたのが通夜の始まる40分前。通夜の後すぐに締め切りになる、精進料理の数のチェックや、会社関係の弔電の整理に追われていた鮭も、さすがにぼちぼち着替えとかなあかんと思って、取りあえず父鮭を促しました。と、ここまで書いたところで眠気がピークに。すみませんが続きは明日以降に・・・。
2006.02.14
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皆様からの暖かいメッセージひとことひとこと鮭の心に刻ませていただきました本当に、本当に、有難うございますおかげ様で本当にいいお葬式をさせて頂いて、今はとてもすがすがしい気持ちでおります。いろいろと書きたいことはあるのですが、この連休も実家で寝泊りしたこともあり、いかんせん寝不足気味なのです(枕が替わると眠れないのよ。繊細なもんでw)。日常のペースを取り戻したら、通夜の直前に親族全員で腹捩って笑いこけた(これ、ほんとw)父鮭(ついに父にも鮭の冠がw)のエピソードなどもお披露目いたします。土曜日、実家に向かう途中、JRの駅貼りポスターが目につきました。淡路島の水仙郷の観光ポスターです。本当ならこの土日、鮭家3人と叔母夫婦で、淡路島の温泉旅館に一泊二日の小旅行の予定でした。花の好きな母を喜ばせようと、叔父が水仙郷を、観光ルートに組み込んでくれていました。父鮭の話ではそれは楽しみにしていた様なので、なんであと、一週間生きていてくれなかったかなと、それだけは残念に思います。本来宿泊予定だった宿は掲載されていませんでしたが、淡路島のパンフがあったので、持って帰りました。駅でバスの待ち時間があったので、バス停前の花屋も覗いてみました。水仙の切花があったら買っていこうかと思って。あいにく切花は売り切れでしたが、サービス品という札がささった、ミニ水仙の鉢がありました。根ものはよくないということを聞いたような気もしましたが、細かいことは気にしない~ な母鮭のこと、許してくれると勝手に決め付けて、買って帰りました。経机の前に水仙の鉢を、遺影の横に旅行のパンフを置きました。「お茶濁しで悪いけど、行ったつもりになっといて」と言い訳してwけど、考えたら母鮭はもう、それこそ自由に空を飛んで、行きたい時に行きたい場所に行けるんですよね。昨夜、母鮭の部屋の整理をしていたら、電気がパチンと音をたててフラッシュしました。いわゆるラップ現象というやつでしょう。溜め込んであった、古い領収書等を整理していた時でした。世話かけるね と言いたかったのか、あんまり早く片付けせんといて というお願いだったのか、メッセージを聴く能力がない鮭には解かりませんでしたが、母鮭が居ることはわかりました。ちゃんと姿まで捉えることができる叔母の元には、金曜の日に訪れたそうで、叔母曰く、「お母ちゃん、この世に変な未練残してないよ」とのことで、送った側とすれば一安心です。何だかんだいって、結構書いてるwクィーンズの皆も心配してくれて有難うね。早ければこの木曜から練習復帰します。今月いっぱいお休みするつもりでしたが、母鮭の葬式を歌で締めくくったことで、やっぱり鮭は歌ってナンボと自覚しましたのでw 最後にもう一度、みなさま、本当に、暖かいメッセージをありがとうございました。
2006.02.12
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2月6日母鮭が急逝しました。日曜の晩いつもと同じように父にお休みを言って朝には彼岸の人になっていました。それはそれは穏やかな死に顔でした茹でたてタマゴのようにツルツルの肌だったので、お化粧は紅だけにしました。とびきりのべっぴんさんに仕上がりました。慌しく葬儀、骨あげ、初七日法要まで済ませてさっき帰宅しました。本当にあっけないさよならだったのでこれから時間をかけて、少しずつ色んなことを思い出していこうと思います。埋葬の時にも言ったけどお母ちゃん、今まで いっぱい ありがとね
2006.02.09
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今日は大当たりに縁の多い一日でした。その1:組合の新年会でのビンゴゲームでエエモン当てたその2:組合の当番班の班長に当たったその3:シートに記入していたのに時間がなくて買えなかった「ナンバーズ3」で、買うつもりだった数字がボックスで当たってたその4:新年会の帰りに寄ったパチンコで、当たりを逃した宝くじの当選金を上回る大当たりを出したといった具合です。まずはその1普段、くじ運があまりよくない鮭。今までビンゴで引き当てた商品は、ぶっちゃけ日用雑貨程度のものばかり。特賞のハワイ(羽合かw)旅行なんて、夢のまた夢。今日も正直全然期待してませんでした。当番幹事さんを除く40名ほどのゲーム参加者の中で、いの一番にビンゴしたのは、なんとウチの会長でした! おお、会長、今年から大殺界やいうてたわりにめっちゃ縁起ええやん! という勢いのあるものでしたw で、持ってかえってきたのは「小さいつづら」 これは、司会者が、小さい包みにもいい商品があります! と言ってたのに賭けたようでした。中身はというと・・・ 香水のミニチュアボトルでした。売価2000円~3000円くらいのものでしょうか。鮭は10番目位にビンゴしました。初めの8球くらい一個も当たり数字がなかったので、すっかり諦めモードに入って食べることに専念していたのですが、その後はわりと、とんとん拍子にリーチ~ビンゴでした。コメントには「会長も私も早めに当たって、今年はいい年になりそうです」と答え、振り返った場所にあった、数個の、大きくも小さくもない包みの中から、半透明のギフト用PP袋から透けて見えてたピンクのパッケージに惹かれて、じゃあ、このピンクっぽいやつを頂戴します~ といってもらってきて着席しました。周囲の視線を浴びつつ、袋に半分顔を突っ込んで中を覗くと、箱がむき出しの状態で入っていました。箱の側面の字を読んでみるとD-snap Audio と読めました。その横にはpanasonic そしてSD Audio player。そこでハタと気付いたのです。これって、ひょっとして「あゆ」が宣伝してなかったっけか? そこで心拍数は一気に跳ね上がりましたが、何が入ってたの? の周りの声には、「なんか、パソコンから音楽をダウンロードできるウォークマンのちっこいやつみたいな感じです」と、あまり興味の範疇の品ではないそぶりをしてしまいましたw いや、だってね、周りの方が選んでこられた品物は、正直、いつもの鮭が当ててる系だったんですよ。あまり「1万円ぐらいの商品当たりました!」とコブシをかざせる雰囲気ではなかった(^。^)さっき楽天で検索かけたら、9900~14000の売値がついてました。直感&無欲の勝利ってやつでしょうかwその数十分後、会もお開きの直前、新しく就任された支部長から、今年度の当番班のメンバーを紹介します という案内があり、こちらは鮭が、いの一番に呼ばれました。低くはあれど、一応、壇上に担当班の皆が上がり、同班の中で、支部の重鎮でもある会社の社長にマイクが渡されたのですが、その時点では未決だとアナウンスがあったばかりの「班長」が、鮭に決まりました。いわゆる、鶴の一声です。1年間、小間使いとして奔走することになりそうです。願わくば、大きな行事が、クィーンズのコンサートやコンテストとバッティングしませんように(T_T) 30分ほどの間に、万歳!の当たりと、えらいこっちゃ~ な当たりをひいてしまった鮭でした。そして、寒風吹きすさぶ夜の大阪城公園外周を、足漕ぎベンツこと、愛車「銀鮭号」で疾走しながら携帯の画面を操り、宝くじの当たり番号をチェックしてみると・・・ 「あっちゃー やっぱり当たってるやんか」な展開に。今日のナンバーズ3の当たりは「920」だったのですが、鮭が今日、新年会の行きしなに玉造駅で買うつもりだった(会社を出るのが少し遅れて、総会に遅れそうになったので、寄り道できなかった)10組(出資金2000円)の番号の中に「902」があったんですよ。鮭はいつもセットで買うので、今日だと、セットのボックスが当たってたはずなのです。ちなみに当選金は10500円くらいでした。前にも何回かあったんだよね。当たりそうな予感がすごくするのに買えなかった時に限って当たるってのが。ん? ってことは今日も、買ってりゃ当たってなかったのか? ヽ(^o^)丿念のために申し上げておきますが、毎日買ってるわけではないんですよ。ナンバーズ。そんな余剰金はありませんw 予想するのは楽しいので、気が向けば毎日でも予想はしますが、買うのは基本的に、鮭の家族3人の誕生日の数字が当たり数字になりそうな時なんです。だから買う時は、その3組プラス、他にこれも来そうかな~ というあたりを多めに7組。計10組で、資本金2000円です。平均月に2~3回買って、当たるのは5~10回に1回くらいかなあ。金額はまちまちだけど、残念ながら、ストレートは当たったことなし。あんまり確率は良くないですよねw でも、自分で考えて予想して買った番号が当たるのはすっごい気持ちいいのよ!そんな具合に、寒風に無念の涙をちょちょ切らせながら、鮭の健脚が自然と目指したのは、帰り道にある行きつけのパチンコ屋。ここらが博才のないギャンブラーの浅はかさか、ビンゴでエエもんゲッチューできたんやから、買ってなかったとはいえ買う予定やったナンバーズが当たってたんやから、きっと今日の鮭にはツキがあるはず! ってなもんで、これまた何の「当たり保障」もないものに向かってしまうw まあ、今日は、予感が当たって宝くじで当たるはずだった金額プラス数千円分のお小遣いを貰って帰りましたけど、こちらも年間通せば明らかに「ご奉仕」させてもらってますからねえw 今日は節分。巻き寿司は食べたものの、豆まきをすっかり忘れて日記書いてしまいました。もう、4日になってるし・・・ 今から形だけでもやっとこう。w暦の上では春とはいえ、週末はまたえらく寒くなるようです。インフルエンザにかかる人も、周囲でチラホラ出始めました。鮭は予防接種してるので、一応、かかっても大したことなく済むはずなんですが、年末から1月半ばまでひきっぱなしだった普通の風邪でもう「充分」なので、うがい、手洗いはしっかりやっておこうと思います。昨日はクィーンズのレッスン日ではなかったのですが、3人ほどで自主練しました。今度の新曲はねえ、めーーーーーっちゃカッチョエエ曲なんです。但しちゃんと歌えればヽ(^o^)丿 でね、めーーーっちゃ早口なんです。完璧主義のNちゃん曰く「口が思うようにまわらんことにいいーーっとなって、ひやきおーがん飲みたい心境やった」そうな。昨日の時点ではもう、すでにその段階はクリアしてて、まだ何箇所か、かみまくりの部分がある鮭は、さすがや~ と感心することしきりでした。ちょうど3人だったので、部分的にフューチャーされる、トリオで歌う部分を重点的に練習しました。みっちり2時間やったので、鮭も最後の方は何とか80%くらいまで早口を克服。でも、来週までキープできるかどうかはわからないw来週末は、叔母夫婦と鮭家族で淡路島の温泉に親族旅行。父の体調のこともあるので、もう少し暖かくなってくれるといいんだけど・・・みなさんも風邪ひきには充分にお気をつけて!
2006.02.03
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ではここから、改めまして、心置きなく愚痴をw毎月毎月、支払いの3分の1~半額~全額、ひどいときには前々月分まで未払いにしやがるお得意先(と呼ぶこと自体に最近は疑問を抱く)の個人商事会社であるB東海林が先月の請求書(ちなみに担当者は会長)に噛み付いてきた。鮭の会社では、多くの印刷会社がそうであるように、使用後の印刷用の版を、リピートがかかる可能性のあるものに関しては、「置版」という名目で社内でお預かりしている。版には、次回の使用に備えて、印刷後に綺麗にインキを落として整面処理をする。そうしておかないと(印刷した後、インキがついたままの状態で置いておくと)次の時に版にインキが乗らなくなって、使い物にならないから。その上で預かりスペースを確保し、次回発注時に備えて配置管理をしている。リピートがかからなければ、不要になった時点で処分するだけで、預かり賃を請求することはないのだが、リピートがかかって預かり版を使用する際には、置版使用代として、版1枚につき500円の請求をする。これはいわゆる業界の相場で、大きな機械(版)の場合は1枚1000円が相場だ。客先によっては、自社内できちんと管理を行う目的で、使用した版は毎回持ち帰っていかれるところもあって、それに関しては勿論、次回使用の際にも持ち込んでこられるわけだから、保管・管理料でもある置版使用料は発生しない。印刷後の整面作業はいわゆるサービスでやらせてもらう。逆に、展示会の案内などのように一回こっきりの印刷物の版は、指定がなければ製面はせずに処分する。で、B東海林氏は、印刷用に必要な備品の全てを、鮭の会社に管理させている。今までの受注の種類は600を越えていて、スチールの棚ひとつ分はB東海林のフィルムで占められている。自分では一切在庫も、材料も持たない。文字通り、スルーするだけの商事会社である。が、彼はもともとは印刷屋のボンボンなのである。独立したのは確か40代後半くらい。それまでは兄弟で親の残した会社を継いでおられたが、最終的には、現場に入って職人として働いていた弟さんが工場を引き受け、もともと営業だった兄であるB東海林氏が外に出る形で暖簾が分かれたようだ。が、全く現場に無頓着だったわけではないのだ。ちうことは、リピート発注の時に置版代の請求が来るのは業界の常識として認識してるはずなんよね。そいでさあ、初めての仕事って見積もり出すじゃん。先方の指定枚数で、例えば品質表示の下札1万枚で見積もり依頼があったとしてね、印刷の場合必ず、色合わせや、後にする加工用の予備、不測の事態(ホコリとか傷がはいっちゃったり)の事態への対処用として、予備紙が別途に必要になるんで、その分必要経費的に計上するし、実際の作業時には、その予備紙も全部印刷します。みなさんもコピーの経験おありだと思うので感覚的にはわかってもらえると思うんですが、仮に50枚コピーをしなくちゃいけないとして、何のトラブルも起こらなければ使用する紙は50枚きっちりで済むけど、図柄のグラデーションが上手く出なかったり、途中で紙詰まりしたりでエラーが出ると、その分余計に紙が必要になるじゃないですか。それと同じで、印刷の場合、確実に定数の商品を仕上げるための、「想定内の不確実な範囲」を、予め計上しての紙発注になるんですね。だから、それこそノーミス、ノーエラーだと、当然、定数を上回る数が出来上がってくることになります。でも、正直それは不確実なもの。で、予想よりロスがすくなかった場合に出来上がる定数以上の部分っていうのは、「棚ぼた」というか、出来ない可能性も大だけど、上手く行ったら出来る って部分なんですよね。だから、仮に初回発注1万枚の発注で、実際はほとのどノーロスで棚ぼたで2000枚とかのオマケがついてきたとしても、それはその時の「偶然の産物」ともいえるもんって認識で、コスト計算ってのは基本は定数の1万枚で割り出すのが業界の普通なんです(ランニングコストなので、初回にかかる別途費用は別に計上です)。所が、B東海林氏の場合は、ご自分の営業方針の都合で、初回発注1万枚に対してたまたまほとんどロスなしで1万2000枚出来上がってきたとすると、それで割ってお客さんへの単価を出して、それを確定価格にしてしまわれるんですね。仮に鮭のところからの請求総額が12000円だとすると、定数の1万枚で割れば、単価は1円20銭。客先への納品は基本的には定数で問題ないわけですから、取りあえずB東海林氏が計上する利益のことは無視するとして、単価を1円20銭にしておけば、常に12000円の売り上げが確保できるじゃないですか。でも、B東海林氏の場合は、自社では一切在庫を持たないという方針から、出来た数を全部納品するのを客先に納得させるために、オマケの2000枚も入れた12000枚で割って割安にして、全数を納品するから、単価が1円×12000枚で12000円の売り上げなんです。ってことは、もしも次回にロスが出て、1万100枚しか出来なかった場合、客先への請求は10100円になっちゃうのね。つまり売り上げが1900円減ると。ひどい場合は、半分の5000枚しか作らないときでも、もう、値段がきまっているからと、10000枚制作時と同じ単価にしろとのたまう。業界の常識からすると、定数以上の余剰出来高数に関しては、その数が毎回前後したところで、鮭の会社がペナルティを負う必要はないし、それを声高に非難される筋合いもないんです。が、B東海林氏はそうじゃない・・・。初回に12000枚出来たものは2回目以降も12000枚出来て当たり前 なんです。っていうより出来なかったら鮭んとこの責任 なんです。なぜなら、出来高枚数が減ると売り上げが減るから。先月もそれで値引きさせられたし。勿論、競争が厳しい世界なのはわかる。総額1000円の違いで仕事が落とせないなんてざらだから。だから、出来る協力はする。他所相手なら絶対無理です っていう納期でも、なんとか間に合わせるし、そのために全部の加工先に、持って走って引き取ってまた持って走り・・・ なこともする。声を大にして言うけど、B東海林氏は、めちゃくちゃな納期であっても、製品になるまでは一切自分では動かない。まあ、商事会社だから、当たり前っちゃあ当たり前なんどろうけど、そこはそれ、人情・感情あいまってきますからね。ウチだってね、支払いさえ綺麗にしてくれたら、ギリギリのとこでの我慢もしますよ。でも、自分から安く売り込んでいってるのに、その売り上げの回収が出来へんていうのは、営業力に問題ありなんとちがうんかなあ。もしくは、客先の選択がヘタ?話がすっかりあさってに行っちゃったけど、噛み付かれた請求書のくだりは、先に記した「置版代」です。普通は、預かり版を使用する際には置版代を請求するのですが、その昔、バブル全盛の頃はB東海林氏の仕事量は確かに今の3倍くらいあり、薄利でもグロスではそれなりの利益はあがっていたこともあって、置版代という名目の請求はしていませんでした。でも、この5年ほどは売り上げも落ちこんでるので、旨味といえるうような利益は正直ないし、逆に多額の入金遅れが発生することで、鮭の会社は資金繰りのために手形を割らなくちゃいけないことが度々あって、そのたびに割引の金利を払うわけですよ。本来なら、その原因であるB東海林氏に金利分上乗せして請求したいくらいなんですが、逆に前回より少ない数しか上がってない といわれて値引きされる始末です(T_T) そんな状況に業を煮やした会長が、本来請求してしかるべき「置版代」を、先月から、全部というわけではなく、どう考えても利益が1000円未満しかないよね な仕事に関しては計上したんです。平均2版分で1000円くらいです。まあね、文句言われたらひっこめよか って感じではありました。結果・・・きっちり、湯気立てて怒ってきはりましたwなんでこんなもんつけてくんねん!俺何も聞いてへんぞ!B東海林の仕事に関しては、昔から担当が会長なので、会長との丁々発止が(字あってる?)があったのですが、それを尻目に、鮭は心の中で言ってました。「そら、前もって言うたら、認めへんのわかってますよってに」「半分は、おっさん支払いちゃんとせえよの意味を含んだイヤミですから」と。あんたとこの会長は女やし、ちゃんとした営業にでたこともないから、営業の世界がどんだけ厳しいもんか解かってへんから、自分とこの利益死守しようとやっきになってはるけど、営業の現場では損して受けなアカン仕事もぎょうさんあるねんで。去年の暮れごろ、B東海林氏の口からでた言葉です。あのね、社長。人が何もかもお膳立てしてくれることに胡坐かいて、伝票のスルーだけで自分とこの儲け確保しようとしてるん、お宅ですやんか。客先の無理聞いてやってる って、自分を寛大なように言うてはりますけど、実際その無理押し付けられてるのウチでっせ。加工賃にしたって、やみくもに下げ下げいいはりますけど、今日びガソリン代かて上がってますねんで。お宅が気にも留めてはれへん、お宅の支払い遅れのためにウチが払わされてる金利かてこれから又上がりまっせ。仕入先に、いい品物安うであげさすつもりやったら、もうちょっと仕入先が気持ちよう仕事できるように、出来る範囲の歩み寄りぐらいしなはれ。毎週毎週馬券買う金あるんやったら、隔週に減らして、それでガソリン代賄うて、自分で加工先一箇所でも走りなはれ、それくらいのことしはったら、加工先かて自分とこの走り賃ぐらい引いてくれまっせ。嗚呼、なんか言うだけ虚しいかも・・・
2006.01.28
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すっかりサボリ癖のついてしまった日記です。前回の日記では「しめ飾りの処分」について力説しました。思いがけずたくさんのお知恵を頂戴しました。みなさん、コメントを有難うございました。結果的には、もなみさんのお知恵をフューチャーw コメントを拝見した翌日がちょうど可燃物のゴミの日だったので、塩でお清めして、しめ飾りだけをゴミとは別の袋に入れて出しました。もなみさん、お悩み即決のコメント、有難うございました。去年のようにそのまま捨ててしまうことにはとても抵抗があったのですが、なるほど、お清めした という事実があるだけで、随分気分的に違うものです。一昨年の半ばから、それこそお飾りの不始末の結果か、出入りが激しく、一向に決まらなかった職人さんでしたが、去年の年末、ようやく、この人なら大丈夫 と思える人にめぐり合いました。決まらなかった1台の機械を除く残り2台を、がんばって動かしてくれている二人の職人さんは、同級生同士の昭和15年生まれ。頑張ってくれてはいるものの、やはり60代半ばともなると、目の衰えや、体力の衰えも出てきます。特に工場長の方が、疲れると不整脈が出るようになってきてることもあって、職人探しは、鮭の会社にとって本当に重要な課題でありました。今回、結果的に2名の採用を決めました。この1年半、本当に、技術云々は勿論、それ以前に、社会人、職業人としての心構えがなっとらん! なオッチャン連中ばかりしか応募がなかったのがウソのように、今回の募集では、本当に、社風にもぴったりの人がきてくれました。ありがたいことです。ひとりは、58歳のベテランさん。ただし、鮭の会社で使っている機械は操作経験なしという人なので、ある意味初心者でもあります。でも、まあ、ずーっと印刷一本できてる職人さんだから、そのメーカーの機械の扱いにさえなれてくれれば、トラブルへの対処も、それまでの経験で充分カバーしてもらえそうです。もうひとりは待望の「若者」34歳。いくつかの職種を経て、印刷についてはここ5年の経験。でも、使っていた機械が鮭の会社のものと全く同じだから、操作については問題なし。以前の会社で印刷した経験のない紙やら(紙の種類や厚みによって、刷了後の乾燥のさせ方も違ったりするんですよ)、印刷パターンに対しての指導は、実際に必要なことを覚えていってもらわなくちゃいけないんですけれど、即戦力ってのは助かる。当初の予定では、仕事量のこともあるので、空いている機械の機械方として、若者一人だけを採用する予定(こちらは即決)だったのですが、現職二名の年齢を考えた時に、やはりあと2~3年先に限界があるのでは・・・と思えることもあり、人件費の面で数年は厳しくなるのは承知で、最終的に鮭がもうひとりの採用も決断しました。悩んだ末に採用を決めた58歳の人の方も、10年は微妙でも、7~8年は充分頑張ってもらえそうに体格も良くて、健康面の心配も今のところないとのこと。採用の理由は、二人とも、履歴書で見る限り、一つの会社での就業が長かったことと、退職理由がハッキリしていて納得できるものだったこと。そして面接の中で二人とも、無断欠勤・連絡なしの遅刻はしたことがないと断言したことです。若者君の面接は、会長も工場長も不在だったので鮭ひとりが行ったのですが、彼には、印刷の仕事は好きですか? と質問しました。答えはイエスだったので、更に理由を問うたのですが、返ってきた答えは、何も無いところから、色を作って、色々な加減をしながら、最終的な仕上げまで自分でやり遂げられるところが面白い というものでした。おお、まさに職人タイプじゃん って思ったですよw正直、鮭の会社でやってる、古いタイプの機械の印刷の仕事って、いわゆる3Kに近い部分があります。大体、一日平均1万~2万枚くらいの紙を、胸の高さ位の位置で積み下ろししますし、自分で色を練るインキも、油のかたまりですから、手も汚れます。印刷中も、刷本を抜き取ってチェックをしたり、次の紙を乗せたりしなくちゃならないので、ゆっくり座って機械を眺めていられるわけではなく、ま、お昼休み以外はほとんど立ちっ放し。これが、最新の多色刷りの機械だと、コンピュータ制御の部分が多くて、名称も機械方ではなく「オペレーター」だったりしますし、その手の機械を使う若者は大勢いるんですが。そういうこと差し引きしても、印刷の仕事に、ちゃんと面白みを感じることが出来る若者は、鮭の会社にとっては「金の卵」です。誰でも出来る仕事じゃなくて、自分にしか出来ない仕事が出来ることに、自信と誇りを持って頑張っていってもらいたいです。ウチの工場長は本当に素晴らしい「教科書」やから、とことん勉強できるよ って言ってあるしねwほぼ一ヶ月を終えて、会長、工場長と共に、今回は人選間違いなかったね と胸をなでおろしています。仕事のペースは慣れてからあげてくれればいいことだし、今、そのことについては二人共に何も言っていないのですが、ありがたいことに、二人とも、とても仕事への取り組みが丁寧で、この1ヶ月、ミスらしいミスが一度もありません。これは我が社では快挙に近いんです。作業伝票と原稿、預かり版とのチェック これを面倒くさがる人は必ずペケを出すんです。正直、この1ヶ月、基本的に面倒くさがりの鮭は「紙の発注ミス」を2回やらかしましたからね(^^ゞ 社長がそれじゃイカンやろ とキッパリ突っ込みいれてください。けど、ホント、やるべきことをきちんと実行できるって、やっぱり自覚だけじゃなく、自然と身についてる部分っていう性格的なものも大きいかなあと思うので、二人が定着してくれたら、現職二人の引退後も、「ええもん刷りまっせ」の看板を掲げていられそうだわ と、今日のカテゴリに反して、印刷屋のオバハンは安堵のため息を漏らすのでありました。いつもはヒマな年明けも、おかげ様で順調に仕事が回っています。ほんまにありがたいこっちゃ~。続く。いや、一回登録ぽちっとな したんだけど、文字数オーバーだってwので、続きにします。続きはぐちばっかなので、もう読まないよ というクィーンズのメンバーさんへ。いつもさけの日記にコメントをくださり、ゲンキープのライブにも足を運んでくださったことのある「たまにん」さんが、26日のご自身の日記で、アウォーズのときの録音を聴いた感想を述べてくださっていますので、訪問してくださいね~。鮭個人のことにも触れてくださっているのでちょっとこっぱずかしい所もあるのですがw たまにんさん、いつも有難うございます! いつかテナーにお迎えしたいざんす。
2006.01.28
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しめ飾りは今年も、締めがゆるゆるになってしまいました。会長が今日、氏神さんの神社に自宅のものと一緒に持って行ってくれたんですが、「お焚き上げ終わってたわ」といって持ち帰ってきました。何だか二人とも頭混乱しちゃって。お飾りはずすの、結局何日やったんやろうと考え込んでしまいました。11日にはずして持って行ってりゃ良かったの?てなわけで、新年を迎える前に墜落していたかも な、あまり縁起のよろしくなかった今年のお飾りを、どう処理していいものか途方に暮れております。ご存知の方、お知恵をおかし下さいませ。日曜に、叔母夫婦と食事(今回はヤングコースと銘打って、鮭だけ参加の「焼肉」でしたw)をした時に、鮭が、バスとかで行けるような近場で、どっかいい温泉ない? と聞いたのがきっかけで、3月頭に、叔母夫婦と鮭一家で、近場に1泊旅行に行くことになりました。ストレスが体調に影響を与え易い父には、正直、長時間の運転は無理なのですが、叔父が運転を買って出てくれたので、お言葉に甘えることにしました。本当に有難いです。おばちゃん、おっちゃん、ほんまにおおきにね!連れて行ってもらった焼肉屋さんは、繁華街からははずれた、とっても地味な店構えのところだったのですが、入ってみたら、まあ、あるわあるわ。芸能人のサイン色紙が、壁いっぱいに飾られていました。知る人ぞ知る の店みたい。冷麺はスープが絶品だったんだけど、キムチのつかりが浅くて(T_T)、あんなに水臭い胡瓜のキムチは初めてだったかも・・・久しぶりの焼肉で、久しぶりに生肉を食べました。初めて生センというものを食し(美味しかった)生ギモ・ユッケに舌鼓。しかし、その後1時間ほどして「ストッパ」を飲むはめにw美味しいものもほどほどににとかなくちゃねw今年は脱・浪費の目標を年頭にかかげたのだけれど、なんだかんだとやっぱりしょうも無いもん買ってしもてる(T_T) 奥様系雑誌の付録についてたスヌーピーの家計簿は、まだ真っ白なまま。ホンマの新年は節分からや! と言い訳して、来月からつけることにしています。皆さんは、年頭に立てた計画、順調にこなしておられますか?
2006.01.16
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早いもので、新年が明けてから、既に12日が過ぎてしまいました。1月はいぬ2月は逃げる3月は去る・・・ こうして1年の1/4があっという間に過ぎて往くのですねぇ しみじみ。年頭には、阪急のかっぱ横丁にある占いコーナーに立ち寄ることが多かった鮭ですが、今年はまだ、足を踏みいれておりませぬ。まあ、特に理由はないんだけどね。しいて言えば、社長という大役を引き継いでからこっち、コケて擦り剥こうが何しようが、とにかく前に進むしかないやんか と、ある意味開き直ってますからw それに今のところはありがたいことに、まだ、会社の命運や明暗に大きな影響を及ぼすような決断を迫られる事案には行き当たっていないので、お気楽なのかも知れません。そりゃあね、同じように道を歩くんなら、躓いて膝ぼん擦り剥くよりは、例え僅かでも「嬉しい拾い物」をするような年であって欲しいと願いはしますよ。所が・・・ 暗雲かもな出来事が、1年の初っ端から勃発したですよ。鮭の会社も、他所様と同じように、仕事納めの日に玄関に「しめ飾り」を飾りました。普通に、商店街で買い求めたやつです。実は、しめ縄に関してはちょっと難儀なことが2年続いてしまったのですね。まず1年目。この時は、シャッターを下ろした衝撃でしめ飾りから外れてしまった「だいだい」が、ある職人さんの頭(てぺんちょに毛はない方です)を直撃してしまったのです。年が明けて間もなく、その職人さんは、車同士の接触事故の巻き添えを食って、内臓損傷という、生死を彷徨う位の大怪我を負われたんです。幸い、医者も驚くほどの回復力で、日常生活にもほぼ支障のない状態まで戻られましたが、諸事情で鮭の会社は退職されました。そして2年目の昨年。しめ飾りは無事15日まで持ちました。しかし、何故だか、奉納っていうんですか、それをし損ねたんですよ。毎年、会長が自宅のお飾りと一緒に、近所の神社に持ち込んでくれるのですが、去年は何故かタイミングが悪くて、ほったらかしになっちゃったw 結局、春先くらいまで会社の棚の上に置きっ放しで、最終的には「普通ゴミ」で捨てちゃったんです。その結果、去年は、募集して面接して採用した、それこそ何人もの職人が、みんな「ハズレ」だったです(T_T)そんなもので、今年はしめ飾りの崇り?がない事を祈るぜよ! な状態だったのですがーがーがー 以下エコーで続く仕事納めの日、鮭が最後に玄関のシャッターをおろしたんですが、いつもなら、勢いつけて降ろすシャッターも、だいだいさん、どうぞご無事でってなもんで、そおっと降ろしましたですよ。んで、降ろし終えて思わず上を仰ぎました。そうしますと、しめ飾り用に打ち込んだ釘に、無事に取り付けられた今年のしめ飾りではありましたが、なーーんかヒョコいがんでたんだよね(^^ゞどうも、お飾りについている、取り付け用の紐が長かったみたいで、お飾りがぶらんぶらん遊んでるんですよ。やな感じだなあ と思いつつも、男連中はもう居なくて、ちびっ子の鮭では、椅子にのっても釘まで届かない。仕方ないので、どうか無事に新年を迎えてくださいと、胸の前で小さくぽんと拍手を打っておきました。そして新年を迎え、三が日も過ぎ、明日が初出 という4日の日、近くのコンビニに行くついでに、年賀状がポストにちゃんと入りきれているかを確認するため、会社にいきました。 社労士さんの事務所から送付されてきた角封筒が、異様にポストからはみ出していることを除けば、郵便物は一応、無事にポストに収監されていました。が、ふと、視線をポストの下の、家主さんちのエアコン室外機の上に転ずると・・・・・・ いらっしゃったんですね。そんなところで横になっておられるはずもない「お飾り様」が。「うそ・・・」漏れ出た一言は、無意識にNOVAうさぎの口調でした。これって、こんなとこに置いてあるって、「落ちた」ってことやんな??お飾りさんが夜中勝手に「三が日働いたし、もうええやろ」とかって、ここまで降りてきはったっちゅうことはありえへんわな?正月ボケで回転数が極端に落ちた鮭の頭でも、そのくらいの判断はつきました。なんで・・・ よりによって、根こそぎ落下やねん(T_T)これって、えらい災難の前触れちゃうんか?! と暫し呆然としました。何だか脱力しちゃって、シャッターを開けて店の中に入れることもせず、そのまま放置した状態で翌日を迎えました。翌朝、鮭が出勤した時には、再度定位置に据えつけられていましたが、しめ飾りにまつわる難儀な事を知っている工場長は、さすがに、新年初出勤の日に落下したお飾りを見て「えらビビリ」してたみたいです。で、去年奉納し損ねたから、今年は間違いなく、ちゃんとしよう と心に決めていたのに、今朝出勤したら、他所様ではまだ飾られているしめ飾りが、鮭の会社の玄関にはありませんでした。すわ、また落下したのか! と、真偽を問うと「鏡開き」終わったしはずしときましたとの答え。え、松がとれるのって15日と違った? 心の中に?を浮かべながら会長に問うと、会長も、あれ、どっちやったっけ?とのお言葉。結局、もう取っちゃったもの仕方ない ということで、再びお飾りが定位置に戻されることはなかったのですが、昼間、食事をとりに家に帰るのに階段を降りてゆくと、視界前方にお飾り発見。明り取りの窓辺に、さりげなく鎮座しておられました。今年は絶対、奉納に行く。心に誓った鮭でございます。何とか1年、無事に過ぎてくれ!1年の年頭に、皆様はどんな計画を立てられましたか?それは実現できそうな具体的なことですか?それとも、夢を伴った「願わくば」なことですか?鮭は、計画というよりは、スローガンを掲げたという感じかなあ「とにかく前へ進め」ってねw 話変わって、先日の連休の1日、叔母、母鮭、鮭の3人で、食事に行きました。初期認知症の母鮭は、最近、度々、記憶違いによる思い込みに陥ります。今回は、待ち合わせ場所へのアクセス方法でした。鮭の実家から待ち合わせ場所のダイエー京橋店に行くには2つのルートがあり、いわゆる「お京阪」かJRのいずれかになります。いずれの場合も、最寄り駅まではバスに乗り、一度バスから電車への乗換えが必要です。電車に乗ってしまえば乗り換えはなく、目的駅である京橋で下車すればよいのです。前回、同じ場所で待ち合わせた時は、下車してからの道中にはちょっと怪しい部分はあった様子ではありましたが、何とかして指定場所まで独りでたどり着くことができました。が、今回は、いつも使っている、下車したホームの先頭の階段を上がって改札を出るだけ でダイエー入り口に到着できるJRルートを、使う・使わないで、出掛けの朝に1時間もの間、父と口論をしたというのです。父から「お母さん、私の人格まで否定するんか!言うて泣いとるがな」とSOSの電話が入ってきたので、かいつまんで聞いてみると、どうやら、母鮭はJRとお京阪を取り違えて記憶の引き出しから引っ張り出してきたようでした。もう、その時点で思い込んでしまっていますから、京阪なら階段上がるだけで済むのに、なんで遠回りのJRで行かんとあかんの? と父に喰ってかかったんですね。父にすれば、母鮭のためを思ってJRルートを勧めているにも関わらず完全否定された挙句に「悪者」扱いを受けて、すっかり参ってしまったようでした。一旦電話を代って、JRの方が外に出んとこれるから暖かいし、JRでおいで となだめましたが、やはり納得はしかねている様子。でも、数時間経つと、そういうやりとりの内容は忘れてしまうので、出かける間際になると、どちらのルートで来ればいいのか不安になるのが実情です。待ち合わせの日には前日の晩か当日の朝にファックスで、指定場へのルートを明記したものを持ち出して来れるようにしていて、今回も電話を切った後に、JRルートを使用する旨のファックスを送りました。で、鮭の方は、母鮭が実際に京橋に到着しそうな時間を見計らって、降車ホームで待っていました。バスの時間からすると多分この電車かな と思っていた電車には無事乗ってきてくれました。が、鮭のいる位置は掲示板で死角っぽいところだったので、そのまま、母鮭が自力で待ち合わせ場所の、「コンビニの前のエスカレーターを上がった改札を出たところの切符売り場」までたどりつけるかどうか見守ってみようと思い、ファックスの紙を手に持ってキョロキョロと辺りをうかがっている母鮭の様子を見ていました。ほとんど、初めてのおつかい の親の心境だよねw結局、母鮭は、ファックスの紙を見はしたものの、下線をひいて強調してある「コンビニの前」のキーワードよりも、恐らく必死で覚えようとしたのであろう「京橋駅の改札」に気が行ってしまったようで、コンビニには目もくれず、改札口を求めて歩き出してしまいました。要するに、あさっての方向にいっちゃったんですよねw 見つけた改札に向かって迷いなく進もうとする様子に、鮭も仕方なく背後から忍び寄って「奥さん、どこ行きはりまんねん」と声をかけました。何とか無事捕獲ですw叔母と落ち合って、食事をした後、商店街を通って駅の方向まで帰りかけていたとき、ふと、カラオケ屋の看板が目に入りました。少し前から、機会があればカラオケに一度連れて行こうと思っていたので、歌好きの叔母も一緒だし、これはいい機会かも と思ってカラオケ行く? と問うと、いく の返事が返ってきたので、3人で1時間歌ってきました。 歌ってきたのは、ほとんどが唱歌。母鮭も叔母も、そして鮭も、子供の頃から慣れ親しんできたメロディーです。朧月夜・みかんの花咲く丘・この道etc.そして、母鮭が以前習っていたコーラスで歌ったことのある「花」や「愛燦燦」など。マイクを通してもほとんど聴こえないようなか細い声ではあったけれど、ちゃんと目で歌詞を追いながら、メロディーもちゃんと口ずさんでいたので、ちょっとはトレーニングになったかなと。10分前のコールが来て、後2曲歌おうということになって、鮭は知床旅情を選曲したのだけれど、1番を歌ってる最中で、あ、これやばいかも と思ってしまっていました。何でかっていうとね歌詞の中に「忘れちゃいやだよ 気まぐれからすさん←かもめだったけか?w」ってフレーズがあるのよ。案の定、うるっときかけた(^^ゞ ふと横を見ると、叔母も同じ気持ちだったみたいで。店を出たら「カラオケって初めて来たけど、楽しいねえ」とのたまった母鮭。もちろん、カラオケ初体験ではないのだけれど、楽しかったんならそれでオッケー。また行こうな と約束しました。帰りは電車に乗せてしまえば特に問題いので、ホームで乗り込むのを見送ってわかれました。念のため父に電話をいれると、昔の友人宅に行っているので少し遅くなるとのことだったのですが、開口一番聞いてきたことが「機嫌直ってたか?」だったので、なんだかんだ言ってもやっぱり夫婦じゃん ってちょっと微笑ましかった。鮭も気分良く家路についたんだけれど、そのノリで、運試しに、盤上を銀玉が飛び交うお遊戯会場に寄り道したら、お年玉踏んだくられちゃったよ(T_T)母鮭に関しては、未体験なだけに、どうなっていくのか、どう対応していけばいいのか迷いや不安が大きいけれど、やっぱり、お気楽・極楽主義でやっていくのが一番鮭たちらしいかな って気がしてます。今日はやたら長い日記になっちゃったですね。最後までおつきあいありがとうございました。今年もぼちぼち、マイペースで更新していく所存にござります。気が向いた時には、ちょいと覗いてやっておくんなまし。
2006.01.12
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片隅に鮭も写しておきました。記念にねwスー様も時折カウンター内でマスターとお話されてます佐藤さんがお召しになられているシャツは、いつも手描きのものなのだそうこのスケジュールボードにスー様の名前が載るのも最後グラン・ンバーでは、いつもお客さんに気軽に話しかけてくださるスー様。お客さんも皆リラックスw皆様、新年明けましておめでとうございます。っていってももう、4日になっちゃいましたねw元旦の大阪は、とっても穏やかで、いいお正月って感じでした。皆様がお住まいの辺りはいかがでしたか?それぞれが、それぞれの希望や、願望や、誓いや、決意をもって、新年を迎えられたことと思います。鮭も、色々と心に思うことを、今年はどうしようかこうしようか と考えながらの一年の幕開けでした というのは半分ウソでw年末の日記通り、元旦の日の午前2時から、今月半ばで閉店となる塚本は「グラン・バー」での、鈴木央紹(ひさつぐ)トリオの新春幕開けライブに行ってました。ので、取りあえず「考える」ことなく、極上の「音のお年玉」にこの身をたゆたわせておりました。ええ、鮭の名をかたるトドですから、それはもう気持ちよく、音の海に浮いてございましたわよw途中、ウチのお師匠様を含む数名のミュージシャン&タマゴの方とのセッションもありましたが、基本的にはお馴染みの鈴木・佐藤・時安3氏のトリオの演奏でした。1時間半位のステージが2セット。堪能しました。特にラストの「アフロ・ブルー」という曲が凄かった。聞き惚れました。2時から始まって、終わったのは5時半くらいだったでしょうか。家で新作のゲームに入れ込んで夜を明かしたことは、ここ数年のうちにもありましたが、外で遊んで?夜を明かすなんて、何十年ぶり? って感じで、何だか帰りの電車も楽しかったです。オールナイトで~朝帰り~♪ ってかw グラン・バーは、昭和の匂い漂うレトロな感じのバーで、ミュージシャンとお客が、本当に身近に、お互いの呼吸を感じ取れる位の距離で居れるところで、鮭はすごく好きだったんですよ。今月半ばには完全に閉店(再開発による立ち退きなのだそう)されるとのことで、名残惜しいので写真撮っときました。どうですか? なかなかいい感じでしょう?早朝家に帰りついて仮眠を取ったあと、実家に帰ってきました。二泊して、今日の夕方帰宅したのですが、実家では墓参りとお参り以外には一切外出せず、コタツからほとんど動かず、まさにトド化していたので、まだ背中と腰が痛いw そうなのよ。実家ですることって、案外なんにも無いのよね~ 年賀状書いたくらいだろうか・・・ 側にはずっと母鮭が居て。お互いに小さい事にイチャモンつけもって、二人で自然に、だらだら過ごしてました。それでいいかな~って。認知症の方は、やっぱり少しずつは進んでいってるのかなあ と思う部分があって、この3日の中でも、がっくり肩を落としてしまいそうになる場面が多々ありました。自分で何かしようという気持ちが、少なくなってるのが気がかりでもあります。何ていうか、頭の中で、上手く情報が繋がりあわないから、系統立てて物事を前に進められなくなっちゃうんだよね。だから、すぐに「わからない」って言うのね。父にしても鮭にしても、それが「無気力」に感じられて腹立たしくなっちゃう部分があって、何もかもを人に頼らずに、自分でも努力せなあかんやん っていっちゃうんだけど、やっぱり無理な部分も多いみたいで、そのへんが病気ゆえなんやな って。でも、繰り返すと上手く繋がるときもあるにはあるんですよね例えば今回、鮭は、母へのお年玉として、文庫革んのお財布をプレゼントしたんだけれど、1日の晩に渡した時に、父親にこんなんもろた って見せにてたのね。で2日の日の朝、お参りに行く準備してる時に母鮭が財布の中身をチェックしてるのを見てた父が「あんた、ええ財布持ってるやん、それどないしたん?」とわざと聞いたら、その時は、「ええと どうしたんやったけ? 買うたんやったかな、誰かに貰ったんやったかな」 って返事したんですよね。で、お参りから帰って来て荷物の整理をしていた母鮭に、「その財布どうしたん?」ってきいたら、今度は何のためらいもなく、間髪置かずに「買うた」ってw贈ったことをすっぱりきっぱり忘れられて哀しいんやけど、躊躇もなく買うた!と言い切る潔さには、ある種の感嘆もあったりして。でもそこで父と二人で「ようそんなん言うわ」とつっこんで、鮭がプレゼントしたんやでと釘をさしといたら、次の日3日、鮭を駅まで送りがてら、父と二人でスーパー銭湯に寄って帰る話になった中で又手に財布を持ったので「その財布はどないしはったんでしたっけ?」とイケズ丸出しできいたら、今度は逆にさも当たり前に「あんたに貰ったやん」 明日あたり電話で聞いたらどんな返事やろうかwけど、今はまだ、それが「物」やから、こっちも呆れたり腹たてたりのレベルやけれど、いつかそれが「父」になり「鮭」になってしまう事を思うと、やっぱり切なくなるやろうなあ。6日間の正月休みもあと4日1日を残すのみ。早いなあw4日はバーゲンに行ってスーツを見繕ってきます。肥え倒してからこっち、スーツはおろか、まともなジャケットって買ったことなくて(^^ゞ年末の挨拶周りは普通の、ちょっとだけこましな服で行ったけど、正月ばかりはやっぱりスーツ着て行かんとねぇ・・・ お付き合い上フォーマルスーツは必需品やわなあ。幸い、今時、どこのお店も正月明けと共にセールになるから、百貨店あたりで「大きいサイズのバーゲン」をやってることに期待して行ってみますw今年は5日初出のところが多いみたいですが、皆さんはいつまでお休みですか? お互いに、新しい目標を達成すべく、今年1年また頑張りましょうね!
2006.01.03
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ほぼひと月ひいていた風邪がようやく治ったと思っていたのに、仕事納めの前日から、又風邪ひき。普段は丈夫なんですけどねえ。気が緩む週末や長めの休みには決まって風邪ひいちゃうんですよ。まあ、高熱が出たりという大げさなものではないので、常備薬である市販の薬と、愛飲しているマムシドリンクを飲めば2、3日で治るんですけどね。今日で3日目なので、そろそろ身体は楽になってきている はずだったのですが、さすがに手をつけていない大掃除を、全くしないまま新年を迎えるのは、運気が思い切り下がりそうでやだったので、真面目に、カーテンも洗って、窓も開けっぱなしで掃除してました。そしたらすっかり身体を冷やしてしまったようで、なんだか夜になって、また熱っぽくなってきちゃった(T_T)と、言いながら今明け方も近い4時半という、不健康極まりない時間帯。これにはちょいとワケがございます。実は、31日の深夜、正確には元旦の深夜2時から、塚本はグランバーで、スー様のニューイヤーライブがあるのです。カウントダウンじゃないのがちょっと残念なんですが、新年明けたいの一番に聴く生音がスー様の音というのが、何となく縁起良いっぽいでしょw 師匠以下、弟子3~4名参加の中規模ツアーです。飛び入りゲストさんも期待できそうなので、耳と感性へのお年玉になりそうでワクワクしています。いつもなら31日に実家に帰って、1泊だけして帰ってくるのがパターンなのですが、今回は1日の午後に帰省です。その代わり、2泊してきます。今朝、母鮭から、いつ帰ってくるんだ と電話があったのですが、その時は寝起きと風邪のダブルパンチで、すんごい声してたので、心配させてしまった様子。後で父からも風邪大丈夫なんか?と電話がかかりました。ごめんよ、父ちゃん、母ちゃん。3人揃っての、おめでとうございますの挨拶よりも、風邪っぴきでもスー様をとっちまったオイラを許してくんねえ(何で江戸っ子w)という訳で、午前2時から始まるライブに備えて、体内時計の調節をば、ちょっくらやっている ということです。え、夜更かしして更に体調崩したらどうするんだ? 取りあえず、今から10時間くらいは寝る予定ですので、それで何とかならないかしらw まあ、あんまりしんどかったらちょこっとだけ覗いてすぐ帰ってきますよ。さて、今年も本日一日を残すのみ。皆さんにとっての2005年はどんな年でしたか?鮭にとって、今年は、人生の中でもかなり大きな節目を迎えた年でした。未だに会社で工場のおじちゃんたちから「社長」と呼ばれると尻こそばゆい感じがしてますが、若造であれなんであれ、その役職について来る責任の大きさには変わりがありません。立派な三段腹で皆を支えて行かねばならんのです。両親の体調という気がかりもありますが、とにかく何にせよ、自分の体調管理はしっかりやっとかなくちゃいけません。風邪ばっかひいてる場合じゃないんだよね(^^ゞ 海から清流を昇る鮭の如く、新しい年も、更に精進を重ねて(この辺りはサラッと読み流してくれw)より高い所にたどり着けるよう、ようやくめぐり合えたかも、な、新しいメンバーと共に頑張っていくつもりです。でもね、やっぱり愚痴を言いたくなるときがきっと来ると思うので、その時は皆さんの暖かい言葉で癒してやって下さいましね。鮭ちゃんにはみんなの応援がついてるんだよって。最近、江原さんの活躍をテレビでよく拝見するのですが、鮭の守護霊ってどんな人なんだろうなあ と、時々考えます。鮭は全然霊感ない人なので、他人様のオーラとかも全く見えたりはしませんが(そういや最近、オーラの写真が撮れるお店を友人が発見しました。梅田のハービスエント内にあります)、絶対側に居てくれてると鮭自身で信じ込んでいるのはやっぱり弟だなあ。ただ、ふと疑問を感じてしまうのは、生きていればもう40のええオッチャンだけれど、亡くなったのは生後1O日目ほどだってところ。亡くなったときのままで成長が止まっているのなら、彼は目も見えず、言葉もしゃべれないってことになるんですよね。守られてしかるべき存在なのに、守る側に回っちゃって、理不尽さを感じてるのか なんてこともわかんないやw あ、でも。ああ、そうか。目も見えず言葉も持たない、赤ん坊という、何よりも純真で無垢な魂が、現世にいる鮭親子を見守っていてくれるんなら、人の道に沿った生き方をしていれば、何も心配することはないんだな。うん。きっとそうだ。ならば、やはり鮭は、うつむかないで、勇気出して、真っ直ぐ前を向いて歩いていくべきなんだよな(え、どこかで聞いた文句だって? ありがたいねえ。そうでござんす。鮭作詞のレッツシング~の一節でござんすよ)よし。取りあえずニューイヤーライブでパワーを補充だ! ってそこに行くかいお客さんw
2005.12.30
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トップにも載せたのですが、先日、来年用のお財布を購入しました。招き猫の絵柄の皮財布です。基本的に、お財布は毎年新しいものを購入するのため、ブランドものなどの値の張るものは買いません。だいたいお正月の初売りのバーゲン品で、1万円までのものを買うことが多いかな。風水の「今年のラッキーカラー」を意識して色を選ぶ場合もあれば、デザインの可愛らしさに惹かれて買う場合もあります。今年使っているものは、どちらかというと可愛いタイプ。ベージュのなめしに細かいパンチングの皮がパッチワークになっています。来年は、少し予算枠を広げて、2万円以下で使い勝手の良いベーシックなデザインのものを楽天市場で探してみようと思って財布で検索し、これは と思うところを何軒か見てまわりました。いかにも職人仕事という感じの使い勝手の良さそうなものに目星をつけて、自分の中で仮決めしたものの、もうちょっと探してみよう と思って検索を続けていくうちに行き当たったのが、文庫屋大関さんというお店でした。屋号に使われている文庫というのは、文庫革のことで、文庫革とは、姫路革細工ともよばれる手法の工芸品。白いなめし皮に型押しし、手描きで彩色したあと、古びをつけるというやり方なのだそうです。お店で扱っておられる絵柄はたくさんあって、色物(イロモノじゃないですよ!)好きの鮭は、ホームページで随分長い時間細かいお細工に見入ってしまってました。トールペイントとは違って、花やら鳥やらの色々な、細かい模様の型押しをした上で、そこに彩色されているので、随分立体的なんですよね。招き猫はお店の新ラインナップだったみたいで、NEW! のマークがついていました。猫好きの鮭は、ひと目でその愛らしい表情に魅せられましたw招き猫って、それこそ色んな表情のものがありますよね。中にはちょっと怖いよぉ な顔のものもw でも、ここの招き猫は可愛い~届くのをワクワクして待ちました。そしてやってきた商品を見て、これは猫好きさんに紹介しなくちゃだわ! と思って、久しぶりの日記のネタにさせていただいたわけです。来年は、鮭にとって、いろんな意味で勝負の歳になりそうなので、掴める幸運は、それこそ根こそぎ、逃さず引っ掴む勢いで臨みますw 皆さんにも、ご自分なりの招福グッズっておありですか?さて、この2週間の鮭は、どっぷりうにくろウィークで、超多忙でした(T_T)検品に次ぐ検品で、目は疲れ果て、実は今日も下目蓋がピクピク痙攣していたくらい。それでも、ようやく、昨日で年内分は片がついたので、週明けは精神的にゆっくりできそうです。とはいうものの、先月に納品したものの中に、種類の混入があったとの報告を受けているので、その詳細がはっきりするまでは、針のむしろに座っているようなものです。なにせ、100万ほどのペナルティーが科せられる可能性があるもので。簡単な現地での検品料くらいで済めば良いのですが・・・。クリスマスが土・日ということもあってか、今日でかけた梅田の繁華街は人でごったがえしていました。今日は、チャキリーズという、専門学校時代の友人3人(鮭を含む)での忘年会。先月、ゴスペルコンテスト後の打ち上げで食べて美味しかった、居酒屋頑固の、韃靼そば茶豚しゃぶ を鮭が推薦して、それを食べて来ました。ごくごく薄味をつけられた蕎麦湯がおだしなんです。それを、めんつゆ風の甘味のある汁で食べるんですが、これがなかなかいけますのよ、奥さん。ポイントは、極細に切られた野菜で、野菜もしゃぶしゃぶしただけで火が通るって感じなんです。ほとんど水炊きに近い感じで、沸騰し通しでも煮詰まって塩分が濃くなることがなく、締めのお蕎麦(そう、最後はうどんでも雑炊でもなく、お蕎麦。それも乾麺)まで、美味しくいただけます。この冬、頑固に行く機会があれば是非お試しあれ~この1年、恵まれなかった職人運。新年を迎えるにあたって、ようやく、この人なら という人材にめぐり合えました。ちなみに、殿下はやっぱり、仕事も人間的にもダメダメちゃんでしたので、試用期間で雇用を終了させてもらいました。今回、採用を決めさせてもらったのは、34歳の人。経験は、全くの未経験からの5年間と、印刷職人さんとしてはまだまだ駆け出しの域の若者ですが、印刷の仕事にちゃんと魅力を感じているということが、職人志望の若者を求めていた鮭たちの希望にぴったりはまりました。プラス、前の会社で使っていた機械が鮭の会社のものと同じメーカーと型の機械だったため、即戦力になってくれるのも大きなポイントでした。これまでにアルバイトを含めて、無断欠勤と遅刻はしたことがない と聞いて、さらに安心。殿下なんかひと月で3日勝手休みしてたもんね。来年からは、少し体制を変えて、皆が其々に、自分の仕事に専念して、成果を出せるように持っていきたいと思っています。ようやくそんな風に絵を描くことができそうです。そうやって、ちゃんと努力するから、福にもいっぱい来てもらいたいのヽ(^o^)丿それにしてもさ、先月末に大きい借金したんだけど、残ってたやつ返済して、会長個人からの長期にわたる借り入れ分も半分ほど返済したら、年末に払う消費税やら、年明け早々の支手決済金やらで、1銭も残らんってどうなんよ(ーー;) 置いときたかった積み立て、やっぱり崩さんといかんのか・・・。当たれ、当たれ、当たれーーーーーーーーーーーーっっっ!!!宝くじ。今日も1にちお出かけしたので、年末の大掃除は手付かずw
2005.12.25
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続きは明日 と書き込んでからはや数日。すっかりさぼってしまってすみません。一応、ちゃんと翌日の夜中に書いたのですが、例によって、画像の取り込み作業でヘタこいて、またしても、またしても、まーたーしーてーもー 日記本文をぶっ飛ばしてしまいましたの。くそ。夜中の2時半にやっちまったもんでね、書き直す気力なんざ、これっぽっちも(と、掴んでみたのは、脇腹の脂肪。これっぽちどころかw)おきませんでしたわよ。その後は忙しさにかまけてすっかりおサボリングというわけでした。待っていてくれたかも な、極僅数の読者の皆様、ごめんなさいでした。12月3日のゴスペルコンサートを無事終了し、連荘で迎えたJAZZの発表会ライブ。スペシャルゲストのミュージシャンの方の素晴らしい音に盛り立てて頂いて、きっと3割くらいは実際より上手に聴こえたんじゃないかなw さすがだなあと思ったのは、演奏レベルを素人のラインに落とすのではなく、とてもわかり易く、鮭たち生徒がその曲に嵌る場所をこしらえてくださってたということ。だから、音楽の質としては、普段の練習以上のところにあったと思います。生徒さんたちは皆、鮭も含めて、歌うことが大好きだけれど、プロ級に上手いというレベルにいるわけではありません。でも、何ていうか、カラオケのように一方的に自分だけが気持ちよく歌おうというところは一応卒業しかけて、もう少し踏み込んだ場所に、歌い手としての自分の身を置こうと頑張って練習している人がほとんどです。そして、その姿勢は、師匠である沖田先生に師事しているところによるものだと思っています。以前にも書きましたが、鮭は本当に師匠運が良くて、お稽古事に関しては大抵、長い間続けることが出来ています。幼少~学生時代のピアノ、足掛け10年になろうかという詩吟、年明けには6年を迎えるゴスペル、4年を超えたjazz ほらね?結構長いでしょう? 続けられている理由はひとつ。どれも、鮭の「好き」という気持ちを、最優先させられる環境にあるということです。お気楽主義といった感じ というとちょっと語弊があるかもなのですが、まず、師事する師匠に、1人として金儲け優先主義のギスギスした方がいらっしゃらないんですよね。ご本人が、鮭など足元にも及ばない熱心さで、自分の芸の道を精進していらっしゃり、かつ、それを「愛して」いらっしゃるので、「好き」のエネルギーが持ってる力を、ちゃんと上手く生徒に使わせてくれるような指導をしてくださるわけです。子供の頃のように、親が選んで習わせる部分もあるお稽古と違って、大人だから、イヤだと思ったらすぐやめちゃいますよね。今続いているお稽古事に関しては、やめたいなあと思ったこと無いんです。これホント。あ、たまに詩吟の稽古はサボリたくなるときありますけどw やめたいと思ったことはないなあ。これがもし、ピアノとかでもグレードとかがあって、他の生徒と競い合う場面が多かったりしたら、鮭の場合はきっと続いてなかったと思うんですよね。勿論、与えられた天賦の才を、伸ばすべき!と嘱望されるような生徒だったら、まず技巧的要素が一番に求められるのだろうし(いわゆる、コンクールに出たりとかね)、そうすることによって才能がより磨きぬかれていくという事実があると思うのですよ。でも、多くの生徒は凡人で、ピアノを習ったとしても、それで将来飯食ってく演奏のプロになる割合なんて、ほんの僅かなものじゃないですか。鮭の先生は、運指とかもそんなにうるさく言わない先生で、きっとそれは、先生のありかたとしては、決してほめられたものではなかったのかもしれないけれど、自由に弾かせてもらえた分、鮭はピアノが大好きだったし、その気持ちは、お稽古をやめて20年経った今でも変わらずにあるのですから、子鮭が持っていた「好き」の気持ちを、真っ直ぐに伸ばしてくださった先生は、やっぱり鮭にとっては最高の師匠なわけです。話が随分わき道にそれてしまいました。師匠自慢をしだすと止まらんわwjazz発表会に話をもどしまして、ここらでN嬢が写してくれた写真をお披露目します↑今回もお客様で超満員。舞台は平坦で、お客さんからすぐの場所です↑上手くごまかしたものの、歌詞を忘れてしまって苦笑いの図w↑間奏中は、スー様の素晴らしい音色に思わずうっとり(●^o^●)↑あまりサマにはなっとりませんが、一応熱唱の図(^^ゞ今回歌った2曲のうち、DO NOTHING TILL YOU HEAR FROM ME という曲は、後で歌ったニューヨークの想い(スー様とベースの時安氏の間での通称「雨のニューヨーク」←曲中にある I'm in a NewYork という歌詞の所が、原曲で、どう聴いても雨のニューヨ~ク と聴こえる というところからw)とは対照的な雰囲気になるような曲というところから選んだ曲だったのですが、実は鮭がこれまで発表会で歌ってきた曲は、わりかし熱唱系というか、押しの強い曲が多かったんですね。それが、この曲に関しては、かなりサラリとした感じで、小粋な大人の曲 というイメージなんです。その手の曲って正直あまり自分には合ってないのかなあ って気がしていたし、実際練習を始めたのが割と間際になってからだったもので、雰囲気をつかめるか心配していたんです。おまけに、鮭が聴いてた原曲は、ゆっくり目のラテンのリズム。でも、実際はラテンだと組み合わせが悪いということで、8ビートに変更になって、お手本がなくなっちゃっって途方に暮れかけてた部分があったのです。先生との呼吸もイマイチっぽくて、焦りも出かけていました。ところが、事前に受けた、リハを兼ねたレッスンの時に、スー様たちもイメージが掴みにくいということで、先生のお家にあった、鮭が聴いた原曲とは全く違ったアレンジのCDを聴いた瞬間、おお、めっちゃオサレな曲やったんや! と、イメージがしっくりきたんです。スー様や先生たちも同様だったようで、そのCDの雰囲気の路線でのバッキングになりました。でで、実際本番での歌を録音したものを聴いたら、新境地開拓かも~(●^o^●) の嬉しい結果になったんです。歌でもファッションでもそうだけど、自分の好きなものと、自分に似合うものって必ずしも一致はしないじゃないですか。逆に、自分では似合わないって思いこんでても、実際は案外あってたりする とかね。今回のDO NOTHINGは、後者という感じでした。雨のニューヨークw は、後で聞き返すと、最後のサビで力んで歌ってしまった部分が、声も濁っててあんましいい出来では無いのですが、多分、当日現場で聴いて下さってた方々には、それこそ3割増しで、鮭の気持ちの部分が前に立って届いたんじゃないかなあと思います。盛り上げてくださってますからwそういえば、3日のゴズペルを見に来てくれてた元メンバーのすぬーちゃんのお連れの方が、鮭が歌う様子をみて、歌詞を理解してそれを伝えるように歌ってはるね という感想を下さってたというメールをもらってすごく嬉しかったな。オリジナル曲は初お披露目だったし、ゴズペルのイメージとはまた違ってたかもしれないので、お客さん自身もどう反応していいのか迷ってるって感じがありありと出ていて、盛り上がらなさに複雑な心境でありました(^^ゞそういや、メンバーにもちゃんと聞いてなかったよねw鮭が勝手に「クィーンズベリーのテーマ曲」宣言しちゃったけど、みんな的にはどうだったんだろう。気にいってもらえてたんだろうか・・・今回練習時間もあまりなかったから、先生が考えて下さってたアレンジでは歌えなかったけれど、できれば色んなバージョンにトライしてみたいなあ。しかし今回の鮭のリードは、もともと鼻歌音域だったから、地声で歌ってヘロヘロしちゃってごめんなさいっ!って感じだったんだよねぇw ゴスペルコンサートの1週間前にひいた風邪を、後生大事にひき続けています。咳がとまらん(T_T) 今朝も痰がからんで呼吸困難におちいりそうなくらい咳き込んで往生しました。あ、でも、腹式呼吸の練習にはなってるかもwみなさんも、これからのお座敷シーズン、体調管理はしっかりね!
2005.12.10
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さてさて、少し日にちが開きましたが、12月3日のクィーンズベリーのクリスマスコンサート、そして、沖田一門のJAZZ発表ライブ、共に、無事終了しましたのでご報告申し上げますう~まずは、クィーンズwithチェラビンのクリスマス・ゴスペルコンサート。心配したお天気はまずまずといったところ。みんなの精進良かったのねヽ(^o^)丿其々が少しずつどこかに不安を持っていたので、、リハ始まりの1時間前には、自主的に皆が練習室に集合しました。練習室で一通り歌った後、舞台でリハーサルをしたのですが、風邪が全快せずに咳が出やすい状態だった鮭は、自分がソロの曲でもあまり声がだせませんでした。そんな感じで、不安を残しつつも、時間はやって来、リハは終わってしまいました。その後は、ご飯を食べて本番に備えました。ホールの入っているビルの1階にコンビニがあって、そこに買いにいったのですが、初めてのコンサートの時は緊張で減退していた食欲も、踏んだ舞台の数だけ場慣れしてきたのか、リハで歌って腹減った~ とばかりに、皆しっかり普通にお昼ご飯メニューw 正直、腹が減っては歌は歌えんのよ(●^o^●)ご飯が終われば変身タイムwみんなメイクも手馴れたもの。付けまつげ(今回鮭はつけなかったけど)の扱いも上手になってきました。今回は、小物使いが多かったので、各人が、舞台入り口に置かれたテーブルに、即行つけかえできるようにセッティング。鮭も、曲順や使う小物(鮭は極秘でプラスアルファありw)をFしマネがまとめてくれた進行表を置いて準備しました。衣裳を着けてお化粧を終えると、自然と本番モードに入っていきます。いつもよりちょっとテンションも高めかなw でも、そこは仲間と一緒ということもあってか、極度の緊張というほどではなく、リラックスムードでの撮影会もあったりなんかしました。以下、本番前のリラックスメンバーにしばしお付き合い下さい(●^o^●)ピンクの被り物は、Sちゃんのもの。今回、joyful×2では皆でアフロを被ったのですが(これが「被ります」)、黒あり、銀髪あり、金髪あり、そしてピンクあり と色とりどりでした。ちなみに鮭は黒の特大w いずれデータの提供があればご披露しますが、みごとに変身しましたよwお客さんの数は、正直、キャパからいってもあまり多くはなかったのですが、めげることなく、皆で精一杯、心を込めて歌いました。アウォーズでの受賞曲も聞いて頂いたのですが、受賞で自信を持てたこともあってか、皆、堂々と歌えていたように思います。実はオープニングも、サイレントナイトの尾本先生アレンジバージョンで、アカペラだったんですよ。アウォーズの寸評で、ピアニッシモの練習の必要性を指摘されたので、とくにそれができるできないで顕著に表現力が変わってくるアカペラは、これからも積極的にとりいれていきたいと、みんな思ってるんじゃないかな。HOLY×3のアカペラも、サイレントナイトのアカペラも、好評のようで嬉しかったです。今回は先生のご主人がビデオを回してくださっていて、打ち上げの席で機械のモニター画面で見せていただいてたのですが、すごくいい感じで映ってて感激でした。実は、アウォーズの時のプロ撮影のDVDがかなりしょぼくて、皆で文句たれまくってたんですよね。休日を返上して色々ご協力くださったご主人に感謝いたしております。それもこれも、きっと先生への「愛」の結晶なのよねヽ(^o^)丿鮭個人については、喉の調子がイマイチだったこともあって、SOMEBODYでも、オリジナル曲でも、高い音がヘタレまくりでした(T_T) オリジナル曲は恐れていた通り、1ブロック丸々歌詞飛ばしちゃったしね(^^ゞ せっかくみんながバックでちゃんと歌ってくれてたのに、何をやっとるか! って感じですよね。何とか、少しでも、鮭が伝えたかった思いが、みなさんの心のどこかに届いてくれているといいのですが・・・ 今回、歌詞をコピーしてプログラムにはさんでおいたので、ご来場くださった皆さんが、後で歌詞を見返した時に、何となくあんな感じの曲やったかなあ と思い返してくださると嬉しいです。え、それほど印象に残らんかった?うーん。今回はちょっと時間がたりなかったけれど、次回はアレンジもパワーアップしてお聞かせしますので、待っててください!母鮭も、道案内役の叔母のおかげで、無事会場まで来てくれました。おばちゃんありがとうね! 母鮭には半分無理かなあと思いつつも、MDの録音を頼んでいたのですが、見送りタイムの時に録れた? と聞くち、はい と5,6枚のMDを手渡されて「どれに入れたかわからんから全部わたしとく」と・・・。体が覚えている作業は再現できるけれど、5,6枚のうちのどのディスクを使ったか覚えられなかったというところで、微妙かつ複雑な気持ちにはなりましたが、基本的には「母ちゃんサンキュー!」であったのでしたwまだちゃんと聞いてはいないのですが、やはり、年数や回数を重ねるごとに、クィーンズ色のハーモニーが出来てきている実感はあります。たとえば、技術面に関しては、うちより上手なクワイヤはいくらでもあるだろうし、各人の歌唱力についても、ずば抜けて凄い人の集まりというレベルにはないのだと思うのですが、そこに見える音の景色というか、色みたいなものは、少しずつではあっても明確になってきているような気がします。それは、先生の熱心なご指導やメンバー各人の努力から生まれてきているものだと思うし、逆に、上手なクワイヤならクィーンズと同じものができるかといったら、決してそうではないと思うので、私達は私達で「しっかり前を向いて歩いて」行けばいいのだと思います。うぬぼれはダメかもしれないけど、自信は、きっとプラスアルファの部分を作ってくれると思うので、みんな、頑張って歌ってこうね!その後、打ち上げを途中で抜け出して、JAZZの本番前最終レッスンに向かった鮭でしたが、正直、JAZZの曲の歌詞はすっぱりきっぱり抜け落ちてしまってました(T_T) こんなんで明日大丈夫なんか・・・ と膝から崩れそうになりながら、通常の30分の倍の時間のレッスンを終えました。先生共にニューヨークの想いのエンディングがイマイチ把握しきれて折らず、当日リハで再確認というかなりキケンな状況でした。そして、当日を迎えました。とここまで書いたところで、1時半を回ってしまいましたので、続きは明日に。
2005.12.06
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