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西宮のお袋様が母の日に”高橋真梨子のアルバムが欲しい”とのリクエストがありました。早速、ネットにて発注。高橋真梨子 the best~new edition~ ディスク1 1. 桃色吐息 2. 連絡 3. ランナー 4. 遥かな人へ 5. ハート&バード~時には強く時には優しく~ 6. テンダネス 7. 枯れない花 8. 蜃気楼 9. 無伴奏 10. 恋ことば 11. 貴方が生きたLove Song 12. say my name 13. グランパ 14. for you… 15. とまどい小夜曲 16. 漂流者へ ディスク2 1. はがゆい唇 2. ジュン 3. あなたの空を翔びたい 4. 真昼の別れ 5. 水の吐息 6. そっと…Lovin’ you 7. ごめんね… 8. 心閉ざさないで 9. 君の海に 10. ハッピーエンドは金庫の中 11. 幸せのかたち 12. フレンズ 13. ワンダフルナイトcinema 14. ジョニーへの伝言 15. 五番街のマリーへ 16. 別れの朝 お勧めはディスク2の”あなたの空を翔びたい”です。この曲はオートバイ世界グランプリ地上波放送を協賛したヤマハ発動機のCMソングに使われておりました。CMでは男性が唄ってましたが、サビ聴いたら”聴いたコトあるっ!”・・というグランプリファンがいたら嬉しいナ。。
2010年05月07日
イメージと曲がピッタリでハマってしまった。GP500アーティスト名 Four Square曲名「Poison Arrows」ニコニコ動画には同曲で”MOTOGP"バージョンもありますが、俺様はコッチの方が好きだな。。シュワンツのドリフトは今見てもスゲェ~~ですネ。
2010年04月24日
2010年3月25日発売のバイクレース雑誌”ライディング・スポーツ”にボスドライの広告が掲載された。ネット等でモーターサイクルレースファンの熱い期待が寄せられた。2010年4月6日サントリーBOSS・目覚めるドライ 新発売コンビニ販売限定の「最速バイクコレクション」おまけ付き1缶に1個のおまけが9種類、2缶に1個のおまけが6種類左が2缶に1個のおまけ、右が1缶に1個のおまけ1979 YAMAHA YZR500 #1 ケニー・ロバーツ実車画像1983 HONDA NS500 #3 フレディー・スペンサー1987 YAMAHA YZR500 #1 エディー・ローソン1987 HONDA NSR500 #2 ワイン・ガードナー実車画像1987 YAMAHA YZR500 #3 クリスチャン・サロン1993 SUZUKI RGV-ガンマ #34 ケビン・シュワンツ 1996 YAMAHA YZR500 #9 阿部典史実写画像1997 HONDA NSR500 #1 マイケル・ドゥーハン実車画像2008 YAMAHA YZR-M1 #46 バレンティーノ・ロッシ実写画像サントリー ボスドライ「最速バイクコレクション」画像 その1
2010年04月14日
2010年4月 サントリーBOSS・目覚めるドライ 新発売コンビニ販売限定の「最速バイクコレクション」おまけが期間限定でついてきた。 1985 HONDA NSR500 #4 F.スペンサー 1985年に天才ライダー スペンサーが走らせ500CC/250CCの2クラス制覇という偉業を成し遂げ、圧倒的な速さを誇った2代目NSR500。実車画像(誰か塗り替えて・・赤のHRCカラーゼッケン56、初期GUN BOYスペシャルも作ってくれ。。)1987 YAMAHA YZR500 #21 平忠彦映画”汚れた英雄”のライダーを担当した後、実力で日本のトップライダーに輝いた平忠彦が1987年最高峰クラスに初挑戦した時のマシン。1989 SUZUKI RGV-ガンマ500 #34 ケビン・シュワンツ1988年より、スズキのエースとしてロードレース世界選手権500CCクラスにフル参戦。長年使用したゼッケン34番はWGP初の永久欠番となった。実車画像(・・といいたいトコロだが、チャンバーの形状が違うじゃん。。 画像は1988式ガンマでした。失礼。 マァ、イツモノコトダ・・キニスルナ・・)1994 HONDA NSR500 #56 阿部典史1994年、日本GPにワイルドカードで参戦、決勝レースでトップライダーと互角の勝負を展開し、ノリックが世界を駆け回るキッカケとなったMr.飲茶のマシン。2001 HONDA NSR500 #46 バレンティーノ・ロッシ参戦以降14年間で9度のワールドチャンピオンを獲得して”史上最強ライダー”の叫び声も高いV.ロッシが最高峰クラスで初めてチャンピオンを獲得した時のマシン。実車画像2003 RC211V #74 加藤大治郎250クラス世界GPチャンピオンを獲得するなどの功績を残し、MOTO-GP殿堂入りした加藤大治郎選手が最高峰クラスに挑戦した時のマシン。ゼッケンナンバー74番が永久欠番となった。上記6種類は2缶に1個のおまけ、普段なかなか見つけにくいが、”サークルKサンクス”に行けば、比較的見つけ易い。サントリー ボスドライ「最速バイクコレクション」画像 その2
2010年04月12日
シュワンツファンにはたまらない一冊です。ヤマハ党の俺様はエディーやレイニー応援してたけど、シュワンツは好きなライダーだったナ。つか”シュワンツがキライ”って人、見た事ねぇなぁ・・。派手に喜びを全身で表わして、気持ちのいいウイニングランをする人でしたナ。あの鬼のようなブレーキングはマンガで表現してみたいナ。。さて雑誌”RACERS"VOL.3感想ですが、ガンマの記事を期待したマニアさんにはちと内容が薄いというか食い足りなかったのでは・・。VOL.1~2の”スペンサーNS500”、”ケニーYZR500”はマニアもうなる画像&レアネタ満載だったもんで、そんな印象を受けました。せめて”スズキ歴史館”のガンマ君のストリップ画像くらいは欲しかったなぁ。。まぁ、俺様のようなアホアホ君はマニアのうなるようなレアネタ並べられても”???”で終わってしまうので、このぐらいの内容の方がイイかもしれませんが・・。あの”バリバリ伝説”でも再現されたホームストレートガン付けバトル☆1989 鈴鹿ゴールライン通過時、シートの上で乱舞&ウィニングラップ1コーナーの”捨てシールド”が印象的だった☆1991 鈴鹿 あのレイニーも思わず戦意喪失☆1991 ホッケンの伝説ブレーキングオク画伯提供
2010年03月25日
1993年 世界選手権250CCフル参戦、初年度チャンピオンを獲得した原田哲也選手のマシン1993 TZ250Mにはゼッケン31番が輝いています。このゼッケン31の由来はヤマハワークスの偉大なる先輩、平忠彦さんが世界選手権初優勝を飾った時につけていたゼッケン31を受け継いでいます。ここでは平忠彦さんが世界選手権、初優勝を果たした1985年サンマリノグランプリ、どんなレースだったかを振り返ります。平忠彦 戦積1980年 全日本350CC ランキング1位 1981年 全日本500CC ランキング6位 全日本350CC ランキング8位1982年 全日本500CC ランキング6位1983年 全日本500CC ランキング1位1984年 全日本500CC ランキング1位 世界選手権第8戦オランダGP アッセン決勝6位 世界選手権第8戦ベルギーGPスパ・フランコルシャン決勝6位 世界選手権500CC ランキング16位 デイトナ200決勝5位1985年 全日本500CC ランキング1位 世界選手権第4戦イタリアGP ムジェロ決勝15位 世界選手権第5戦オーストリアGPザルツブルグ決勝9位 世界選手権500CC ランキング21位 全日本最高峰のレース500CCクラスで3連覇を達成。平忠彦は名実ともに日本を代表するライダーに成長致しました。そして1986年ついに平忠彦は念願の世界選手権にチームMarlboroヤマハ・アゴスチーニより250CCクラスにフル参戦を開始します。第1戦スペインGP ハラマ初めてのハラマサーキットだったが、予選で順当に2位を獲得、フロントロースタート。決勝押しがけスタートするもの、平のYZR250はエンジンに火が入らず、再度押しがけをしようとマシンを降りた瞬間、後続車が平に激突。待ちに待った平忠彦の世界選手権フル参戦、第1戦はこの瞬間に幕を閉じた。タイラのレントゲンを見たドクターコスタの診断は”骨折”だった。第2戦イタリアGP モンツァ第1戦から約2週間後、怪我をしてパンパンに腫れ上がった左足をチームメイトの通称”ビッグマック”ことロブ・マッケルニの特大ブーツに押し込め、タイラはモンツァサーキットの予選を走っていた。予選結果は上々といって良い10位。しかし、問題は押しがけスタート、果たしてこの足でマシンを押してエンジン始動が出来るのだろうか・・。痛み止めを打った足で決勝スタート、エンジンはなんとかかったが、ほぼ最後尾からのスタート。決勝は22位という結果が残ったが、彼の左足はレース前より悪化し、腫れ上がった。”このレースはなにがなんでも完走したかった。”第3戦西ドイツGP ニュルブルグ冷やし続けた左足は回復をみせていた。予選6位からのスタートだったが、やはり押しがけで出遅れ、後方からの追い上げとなる。ドミニク・サロンとのバトルに競り勝ち、決勝結果11位。入賞まであと僅か・・。このレースの後、左足の診断の為、日本に一時帰国する。第4戦オーストリアGP ザルツブルグ左足も更なる回復をみせ、日本帰国で気分転換になったのか良い流れでレースを迎える。またもやスタートに出遅れるもの決勝8位。第5戦ユーゴスラビアGP リエカまたもやスタートに失敗。遅れを挽回しようとしたタイラだったが、他車に押し出されるようにコースアウト、転倒リタイアとなる。今度は右足を痛めてしまった・・。第6戦オランダGP アッセン日本からの応援団、ヤマハワークスの先輩ライダー、シャケさんこと河崎裕之選手がやってきて強力アドバイス。決勝では相変わらずスタートで順位を落とすも今シーズン最高位の6位入賞を果たす。第7戦ベルギーGP スパ・フランコルシャン決勝はレインコンデションのサバイバルレースとなった。タイラはいつものようにスタートに出遅れるもの、転倒者続出の中、着実な走りで9位でゴール。第8戦フランスGP ポール・リカール決勝、やはりスタートに出遅れ、ほぼ最後尾スタート。10位でレースを終える。第9戦イギリスGP シルバーストーン鈴鹿8耐直後のイギリス、疲労のためか予選から低迷し予選13位。レインコンデションの悪条件の中、決勝スタート。いつものように追い上げのレースだったが、水に足をとられ転倒。またもや右足を痛め、松葉杖と車イスが手放せない体に戻ってしまった・・。第10戦スウェーデンGP シルバーストーン歩く事もままならない体でレース参戦。決勝は13位という結果を手に入れる。第11戦 最終戦サンマリノGP ミサノタイラの足は順調に回復していた。予選も結果はそれを表していた・・予選、この年、早々とチャンピオンを獲得していたカルロス・ラバートに続く2位。予選結果が良かったのは体の回復だけではない。タイラはシーズン開幕前にこのミサノサーキットを1度走っていた。日本の筑波サーキットに似たこのミサノとの愛称は悪くなかった。決勝は今シーズン何度も目にしたスタート失敗、いつものように追い上げのレースが始まる。この日のタイラは怒涛の追い上げをみせた。何台ものマシンを抜き、2位集団のホンダ勢に追いつき始めた。場内の観客ははるか後方から追い上げてきたタイラに歓喜の声を上げた。24周目、独走状態だったラバート転倒、2位集団がそのままトップ争いに変わる。良ければ優勝・・悪くても今期最高順位の5位・・上々だ。しかしこの日のタイラはトラブルに臆する事なく攻めた。250CCのトップライダーは爽やかなスポーツ選手というよりも・・数々の闘いを経験してきた”いぶし銀の職人”だ。ゼッケン56 ロスマンズホンダ ドミニク・サロンゼッケン19 カンプサ ホンダ アルフォント・シト・ポンスゼッケン2 ロスマンズ ホンダ アントン・マンク世界に名だたるライダーと互角、いや以上の鋭さをみせタイラは走る。何度も・・何度も・・順位を入れ替え、グランプリ史上に残る名勝負が展開される。そしてチェッカー、ついに平忠彦は苦難の道の先に世界選手権初勝利という栄光を手にする。 今では考えられない事実だが、遠く離れた日本でもこのニュースはテレビニュースを通して、お茶の間に流れた。今シーズンずっと低迷していた全日本のエース、平忠彦に声援を送り続けたレースファンはこの快挙に歓喜した。 ☆後に世界選手権では危険回避の為、押しがけスタートは禁止されます。レースの世界に”たら、れば”という言葉はありませんが、もし、平忠彦選手が初フル参戦したこの年に押しがけスタートが禁止されていたなら・・と考えずにはいられません。YOU TUBE 平忠彦 1986 WGP250cc 最終戦サンマリノGP ”職人”達とのトップ争いYOU TUBE 平忠彦 1986 WGP250cc 最終戦サンマリノGP 1986 YZR250(OW82)画像
2009年12月15日
これは泣かせる・・一家に一台欲しいぜよ。。ヤ○オク”1/12 キット ヤマハYZR500 1987TECH21 平忠彦仕様 21000円スタート”1987年 久しぶりに鈴鹿にWGPが戻ってきた時のマシンだ。(画像はMATさん提供)YAMAHA YZR500 1987 その1YAMAHA YZR500 1987 その21987YZR500TECH21画像
2009年12月11日
ノリックが好んで使用していた番号でもあります。街の中で17がついた車のナンバー見かけると”ラッキーだな。。”と何の根拠もないですが・・そう思います。イヤなコトがあっても一瞬でプラス思考になれる有難い瞬間デス。
2009年06月17日
なにげなくパソコンいじっていたら・・YOU TUBEに1989NSR500&ローソンの動画が・・当時のヤマハファンは前年チャンピオンのE・ローソンがライバルメーカーのホンダに移籍という事実にショックを感じたものでした。この年、ローソンはアーブ・カネモトとHONDAと共に4度目の世界チャンピオンを獲得、ステディーなライディングだけではなく、そのマシン開発能力も高く評価されたのでありました。個人的にも歴代のNSR500の中で一番好きなマシンです。 イルカのような流線型のアッパーカウル、への字ガルアームからニョッキリ出てくるチャンバー、カッコ良かったですネ。1989NSR500の詳細はコチラ1989 / ホンダ NSR500 '89年世界選手権ロード500ccクラス、マニュファクチャラーズ/ライダーズ チャンピオン獲得。バンク角確保のためリアフォークにガルアームを初採用。エンジン種類 水冷2サイクル90度V型4気筒ケースリードバルブ 排気量 499.25cm3 最高出力 over 150PS / 12,500rpm 最大トルク 8.8kgm / 12,000rpm 乾燥重量 under 122kg 変速機 6段変速 サスペンション(前) テレスコピック サスペンション(後) プロリンクスイングアーム ↓NSR500の画像集(リンクうまく貼れませんでした。URLコスペで見れますヨ。)http://photos.yahoo.co.jp/ph/skylinezero17/lst?.dir=/41ab&.src=ph&.order=&.view=t&.done=http%3a//photos.yahoo.co.jp/ バリバリ伝説のグンが物語の後半にこのマシンを与えれ、世界グランプリで大活躍するという一部の漫画ファンにとっても思い出深いマシンですよネ。
2009年06月11日
コレ いきてぇぇ~~つか、行くな・・確実に・・。頂点をめざして”YAMAHA Motorcycie Racing History "「レースに勝て。勝ってYA-1の優秀性を世に示せ!」川上源一社長の檄を受け、創業(1955年7月)まもないヤマハ発動機が最初に取り組んだ大仕事は、目前に迫った第3回富士登山レースに勝利することでした。それからおよそ半世紀。ヤマハ発動機はロードレースやモトクロス、トライアル、ラリーなどさまざまなカテゴリーの頂点に挑み続け、その成果を製品づくりや人材育成、ブランド力の向上などに生かしています。 今回の企画展は、いまやコーポレートアイデンティティのひとつとして深く浸透したモーターサイクルレース活動の足跡を、前期・後期・総集編の3回に分け、歴代のマシンや当時の資料などでたどるものです。展示内容:前期/1955年~1980年代 後期/1980年代~2008年 総集編/1955年~2008年 ・テーマごとにグループ分けした歴代レーシングマシンと解説 ・1955年から2008年までの主な成績を1年ごとに記録したレース年表 YAMAHAさん、31番のYZR250と21番のFZR750、展示してくらはい。。(MATさん撮影)
2009年03月03日
ロードレース見始めてからふわわ・・年たってしまいました。 最初に体験した悲しい事故が若井選手の事故でした。 先日、愛車を通して千葉県八千台市の友人とお知り合いになりました。 ”八千台のヒーロー 若井伸之選手、御存じですか?”とお聞きしたトコロ、 中学校のコロの同級生だったそうです。。 同級生の彼は40歳・・・時の流れを感じました。。 長い手足を必死にバイクに折りたたんで走る彼の姿が忘れられません。
2008年07月09日
昔、中国地方や九州に住んでいたので、GPは雑誌でしか見れませんでした。初めてテレビでGP見たのは 活動休止していたスズキが世界の王者、ガードナーをイキナリやっつけちゃった”初フル参戦のニューフェイス、シュワンツ&活動再開 SUZUKIがぁ初戦鈴鹿イキナリ優勝!”のシーンでした。これは震えましたネェ。。http://www1.odn.ne.jp/~aaf58720/anta12.html”あぁ・・バイクってスタンディングで乗れるんだ。。”初めて認識したのもこの時でした。(↑バイク絵掲仲間 オクさん画)
2008年05月14日
これがいわゆる”バリバリ”の37巻でもやってたリアが終わったらフロントで走るシュワンツ走り??http://www.youtube.com/watch?v=chFrgVRZXfk&feature=relatedブレーキングマジシャン、伝説のホッケンフルブレーキングhttp://www.youtube.com/watch?v=EocBmOpE9M4&feature=related1989 鈴鹿 シュワンツVSレイニー ホームストレート、ガンつけバトルhttp://www.youtube.com/watch?v=xS88fWBHLlg
2007年12月22日
ビアッジ ウイリーhttp://www.youtube.com/watch?v=nZn6sfAR9qs&feature=relatedこれがいわゆるマモラ乗り??http://www.youtube.com/watch?v=gkDFjqRK6c8&NR=1キリさんとドゥーハンのダブルハイサイドhttp://www.youtube.com/watch?v=G0k3jid2tTk&feature=related命がけ。。http://www.youtube.com/watch?v=BAFeBgVebJE&feature=related
2007年12月21日
こんなのもあったよねぇ。。自分はただの男です。http://www.youtube.com/watch?v=nftBqJVknig&feature=relatedTECH21http://www.youtube.com/watch?v=7Nh5KkiPLoQ&feature=relatedhttp://www.youtube.com/watch?v=ovo7eSf6YqU&feature=relatedhttp://www.youtube.com/watch?v=tdbPVYu2_JU&feature=related確かスズキ カーナのCMは金子美香さんの歌だったような・・http://www.youtube.com/watch?v=MskVbyKpMyM
2007年12月19日
細かくはあえて書きません。画像はコチラ
2007年12月09日
前にもあったけど、こういうのはねぇ。。http://page8.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/h56175403
2007年11月04日
ドゥーハンのゼッケンナンバーは27番、ペプシ シュワンツのチームメイトはロン・ハスラム・・ちなみに1989年、日本では昭和天皇崩御 、「平成」に年号がかわったトシでした。ほかには・・書籍:ノルウェーの森(村上春樹) 歌:DIAMONDS プリンセス・プリンセス ドラマ:教師びんびん物語II 映画:7月4日に生まれて懐かしいネ。。WGP&MOTO-GP お絵かき掲示板はコチラ
2006年05月28日
ゼッケン3でガードナーとバトルしたローソンはかっこよかった。ロスマンズでシュワンツ、レイニーとバトルしたローソンはかっこよかった。新鋭ドゥーハンの転倒に撒き込まれても愚痴ひとつこぼさないローソンはかっこよかった。雨のレース,カジバのマシンで追い上げたローソンはかっこよかった。白いホンダに跨り、辻やんと組んだローソンはかっこよかった。永井と組んで絶壁メットで走るローソンはかっこよかった。
2006年05月16日
トリノ五輪フィギュアスケート 村主章枝選手がテレビのブラウン管の中でそのようなコトを申されておりました。画像は平忠彦選手
2006年02月22日
うえをむいてあるこうよ
2006年02月21日
大きな体を精一杯丸めて走る姿が最高にカッコ良かった。1993年 ワールドグランプリ第4戦スペイン ヘレスサーキットピットロードの立ち入り禁止区域にはいってきた観客とコースインしようとアクセルを開けていた若井選手が激突。観客は運良く怪我で済んだが、若井伸之選手はコンクリートウォールで頭を強打、25歳の若さで帰らぬ人となりました。あれから13年・・時が経つのは早いですね。。
2006年02月17日
彼の明日は今日よりもっとつまらない日になるだろう。。 ☆2輪レースの最高峰 ワールドグランプリ1990年に初タイトル、その後、3年連続世界チャンピオンに輝いたウェイン・レイニーの言葉「 WIN! WIN! WIN! 」「 朝起きたら”今日はイケるっ!” 」彼は4度目のタイトルを争っていたが、レース中の事故により下半身付随に・・。数ヶ月後、幼い息子の前で笑顔で車イスをウィリーさせる彼の姿があった。 ☆明日は今日より良い日になるし、良い日にしてみせるっっ!・・ってコトで。。
2005年08月05日
今日は昨年の夏から放置していた”YZR500・30年史”サイトアップしようと着手。(こーゆーのは長期休暇しか出来ない。)たいへんだと思ってはいたが、想像以上にたいへんでした。YZR500って28代まであるのね・・。画像の整理だけでもたいへん。一生懸命やってたら、パソコン不調になってしまい、途中中断。調べ物をネットでしようと開けたら、”YZR30年史”、ヤマハさんがすでに作っておりました・・。(ガァーン)もうちょいで出来上がるので、このまま公開しちゃいます。”あぁー、確かにこんな事あったなぁ・・。”と当時にタイムスリップ出来たら嬉しいなぁ。”YZRの歴史”詳細はコチラ(ホントは詳細画像もあるんだけど、整理してないのよ。。)”NSR500,NSR250、RVF・・HONDAレーサーの進化”詳細はコチラ
2004年05月04日
僕にとって悲しい日です。あの日流れていたクラプトンの唄を聴くと今でもタイムスリップします。
2004年05月01日
”平さん画像集”更新致しました。良かったらどーぞ。”平忠彦さん”詳細はコチラ
2004年03月07日
アップしました。http://www.koutoushinku-giken.com/fz_hp/nsr250.htm
2003年09月25日
ホンダ車、画像で見る500CCの進化 アップしました。詳しくはコチラをどーぞ。http://www.koutoushinku-giken.com/fz_hp/nsr500.htm
2003年09月24日
若井伸之というライダーがスペインのヘレスサーキットで他界されました。昨日、彼の写真集が自宅に送られてきました。久しぶりに彼の笑顔を見ましたが、悲しいというより懐かしい友人がふいに訪ねてきてくれたような喜びを感じました。
2003年09月20日
先日、FZ400R全国集会に参加してびっくり。静岡県磐田市ヤマハコミニケーションプラザが集合場所だったのですが、ぬぁんと「 WGP500 最高峰への挑戦 ~YZR500 30年の進化 」が たまたま開催されておりました。これGPファンなら涙モノですよ~。時間作れるなら、一度見てみるのもいいと思います。
2003年07月31日
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