
核兵器が世界にあふれ、互いに撃てば自分も滅ぶという「相互確証破壊」という奇妙な均衡の上に、40年もの時間が積み重なっていました。
その均衡は、理性というよりも、恐怖と偶然と、ほんの数人の判断に支えられていたのだと知ると、背筋がひやりとします。 たとえば1983年、ソ連の監視システムがアメリカの核攻撃を誤検知したとき。マニュアル通りなら全面核戦争が始まっていた場面で、ペトロフ中佐は「これはおかしい」と直感し、報告を保留しました。あの一瞬の判断が、世界を救ったのだと思うと、歴史の重さが胸に迫ります。
また、宇宙開発の輝かしい物語の裏側に、ナチスの科学者たちの影があったこと。そして、アメリカが恐怖のあまり自国民にまで薬物を投与し、精神を操作しようとしたMKウルトラ計画の存在。
冷戦は、表向きの「平和」とは裏腹に、倫理が揺らぎ、人間の尊厳が踏みにじられた時代でもあったのだと感じます。さらに、米ソが直接戦えない代わりに、アジアや中南米、アフリカで代理戦争が繰り返され、数千万規模の命が失われました。
冷たかったのは超大国の本土だけで、第三世界には熱い血が流れ続けていたのです。
それでも、核戦争は起きませんでした。理由を一言で言うなら、「奇跡のような偶然が積み重なったから」なのだと思います。人類は理性的だったから助かったのではなく、崩れ落ちてもおかしくない均衡の上で、たまたま踏み外さなかった──そんな危うい平和だったのだと、世界史を学び直してあらためて感じました。
冷戦は終わりましたが、大国の対立は形を変えて続いています。情報戦、経済制裁、サイバー空間の攻防。世界のどこかでは、今も誰かがその影響を受けているのだと思うと、歴史は決して過去のものではないのだと気づかされます。
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