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日本には数多くの政治家がいて、その中に衆議院議員もたくさんいるワケだけど。民主党の和歌山1区に岸本周平という代議士がいます。写真を見れば、タレ目のとてもほんわかとした雰囲気のオジサマ。この方のブログを私は定期的に拝読してる。すごく分かりやすい文章。難しい話題でも、言わんとすることがス~ッと頭に入ってきます。そして、政治や社会、日本に対する情熱が伝わってくるのです。一言で言えば、言葉が生きているって感じ。最近の記事で2つ、「なるほど!」と思ったのがあります・・・10月2日付けの「大阪地検前特捜部長の逮捕に関する報道」と、10月6日付けの「小沢一郎元幹事長の強制起訴に関して」。私は民主党支持者でもなければ、和歌山県民でもないけど。感じることは・・・岸本代議士の語り口は、潔い!説明も上手いし、何よりもご自分のスタンスや意見、信念をきっちりと持っておられる。こういう政治家って、一般ピーポーの私からすると、「透明」に見えるのですね。だから、「ひょっとして、この人なら信頼できるかも!?」と思わせられる。で、この話しと、写真のシュークリームはどういう関係?ですけど。これ、今夜の夜食。ちなみに、ローソンのUchi Cafe Sweetsシリーズの「大きなツインシュー」です。ロールケーキもいいけど、こちらも美味しい♪岸本代議士のブログを読みながら食べてました。そして、食べ終わって気づいたこと・・・賞味期限、切れてるや~ん!(オーマイガ~ッ)
2010年10月07日
あえてご報告するまでもなく、日本中がこの話題で持ちっきりだけど。私にも、言わせて(笑)・・・高橋大輔、銅メダルケガを乗り越え、ここまで辿り着いた姿は実に感動的。それに、彼の華麗で魅惑的なステップや表現力は、ハッキリ言ってどの選手を差し置いても堂々の金メダル級だと思いました。ほんと、おめでとう!仕事そっちのけで、テレビに釘付けでしたわ、ワタクシ(笑)。その他の日本代表男子にも、お疲れさま!まずは、織田君。靴紐が切れるアクシデントに見舞われ、結果は7位。けれど、演技を中断せざるを得なくても、最後までやり切った姿にはファンだけでなく、誰もがその強い意志にエールを送りたくなったはず。観客の拍手と歓声がそれを証明してくれました。相変わらずの泣き虫君も、心は強くなっていて。だからこそ、苦いこの経験を前進し続ける原動力にして欲しいと願います。そして、小塚君。こちらは、織田君の悔いの残る7位に対し、順位は一つ下だけど、満足の8位だったと思う。高橋君さえ失敗した4回転を見事に決めたのだから!彼がインタビューで語ったこと。「他の舞台と違って、本当に胃が痛くなるくらい緊張して・・・(でも、)リンクの上に立つときには、集中力が緊張を抑えてくれて・・・」集中力が緊張を抑えてくれるこれ、軽く聞き流しちゃうと当たり前に聞こえるかもしれない。でも、実はすごく大切なことだと感じました。何もオリンピックのような大舞台に立つことがなくても、人間なら誰もが緊張してしまう状況に直面することがあるはず。そりゃね、「自分は自分・・・」っていうふうに、至って普通でいられる人もいるかもしれないけど。私のような一般ピーポーは、やはり。緊張するのですわ。だからこそ、どれだけ集中力を養えるか。そこで、差が出ること間違いナッシング。当たり前のようなことでも、大切なこと。この20歳の青年に、いいことを学びました。
2010年02月19日
今日、ランチタイムのこと。何気にテレビをつけると、オノ・ヨーコさんのインタビューが流れていた。物腰は柔らかいのに、凛とした強さを感じる女性。76歳にしてもはつらつとしていらっしゃる。彼女を見るたびに思うのは、「若々しさ」とは重ねてきた年月ではなく、どのように生きているかの精神なのだと。インタビューを通し、オノ・ヨーコさんが語ったこと。それは・・・自分のことを責めない自分をけなさない諦めてはいけないいつも自分らしくいることこう言うことって、語るは易し。何度もいろんな人が言ってきたこと。けど、なぜだろう?薄っぺらく聞こえることが多かった。しかし、オノ・ヨーコさんが言うと、響きが違う。重みが違うんです。だから、信じられる。そうなんだと思える。それを地で生きてきた彼女だからこそ、こう言うことを口にできるのだと思いました。John and Yokoがその生き様で示してきたLOVE&PEACEの永遠のメッセージが、これらの言葉の根底にあるのだから。インタビューも終盤に差し掛かった頃。オノ・ヨーコさんへの最後の質問。「天国のジョン・レノンさんとお話しできるとすれば、何と言いたいですか?」すると彼女は間髪を入れずに、こう答えました・・・「私たちは、今も会話しています。」
2009年12月28日
クリスマスを目前に、アメリカからとても悲しいニュース。ハリウッド女優のブリタニー・マーフィーの突然死。32歳という若さで、この世を去りました。私が初めてこの女優さんを知ったのは、1995年のこと。当時、アメリカの大学に通っていた私は、「クルーレス」という全米で大ヒットした映画を友達と観に行きました。主人公の友人役を演じていたのが、このブリタニー・マーフィー。第一印象は、「なんか、モサい子。」と言うのも、まあ。モサい子の役だったので。でも、その大きな瞳がとても印象的だったのを覚えています。勿論、欧米人は東洋人に比べると、目が大きいのは当たり前かもしれない。けれど、彼女の目は特にまん丸で、ウルウルしてて、まるで、チワワのようで。その瞳が残したインプレッションは、とても強いものだったのです。それからと言うもの、ブリタニー・マーフィーはだんだんと垢抜けて行き、ますます綺麗になって、演技力の腕にも磨きがかかり、たくさんの作品に引っ張りだこ。ハリウッドの若い世代を代表する素晴らしい女優へと成長して行きました。日米合作映画「ラーメン・ガール」にも、西田敏行と共演。結婚も、つい2年前に果たしました。なのに、今回の突然死。死因は、心不全。死と言うのは、誰が亡くなったとしても、それは当然ながらとても悲しいこと。若い人だと、悔しささえも感じてしまう。彼女の旦那様のコメント:"My world was destroyed(私の世界は破壊された)"。胸が痛みます。やるせない気持ちでいっぱいになります。その印象的で大きな瞳が、天国でも微笑み続けることを祈ります。合掌。
2009年12月22日
俳優のパトリック・スウェイジ(Patrick Swayze)が先日、1年と8ヶ月のすい臓癌との闘いの末、息を引き取りました。57歳でした。パトリック・スウェイジと言えば、代表作は「ダーティー・ダンシング」や、「ゴースト ニューヨークの幻」など。前者も勿論のこと、特に後者は日本でも大ヒットを記録したので、未だ鮮明に覚えている方々も多いかと思います。しかし、私が彼の映画で一番印象に残っているのが、1996年の"To Wong Foo, Thanks for Everything! Julie Newmar"(邦題:「3人のエンジェル」)。これは、一言で言うと、3人のドラァグ・クイーン(drag queen=ド派手な女装した男)のロードムービー。基本コメディーだから、笑いは勿論のこと。涙もあり、淡い恋もありで、心温まる友情もあり。ただのコメディーで終わらない素晴らしい作品なのです。パトリック・スウェイジはドラァグ・クイーンの一人、リーダー的存在のヴィーダを演じています。制作段階で、彼がキャスティングされたと聞いた私は、少し違和感を感じました。というのも、あの筋肉質な長身で、しかも顔立ちもすごく「オトコ!」って感じなのに。それに、これまでずっと男らしい役ばかり演じてきたのに。果たして、華やかで魅惑的なドラァグ・クイーンを演じられるのか?けれども、結果は。大成功!まあ、とてもゴツゴツとしたドラァグ・クイーンではあったけど(笑)、その演技力で観客を魅了。ちょっとした仕草や顔の表情がとても女らしく、愛すべきドラァグ・クイーン像を見事に披露してくれたのです。パトリック・スウェイジを偲ぶ気持ちで、もう一度この作品を見たくなりました。どうか安らかにお眠りください・・・
2009年09月17日
恋に落ちた一組の男女。決して出会ってはいけない二人なのに。これぞ運命のいたずら。さあ、どうするか?片方がすべてを捨てて、他方の元へと走る。そして、二人は同じ夢に向かい手を取り合い生きてゆく・・・ドラマチックなラブストーリー。物語として、面白いじゃない?ってなワケで、今夜のドラマスペシャル「ホストの女房」は、とても楽しめました。このドラマは、ホスト業界の重鎮で愛田観光グループの社長・愛田武さんと奥様の朱美さんのお話。前々から、愛田社長と奥様は、ホストと客という関係で始まった出会いとは知っていたんだけど。朱美さんってお金持ちのお嬢様で、しかもエリート銀行マンと結婚していて、なおかつ娘さんも一人いたってことは、今回初めて知りました。なのに、大好きな人と一緒になるため、それらすべてを捨て、しかも有名建築家のお父様から相続できるはずであった50億ほどの財産も放棄。ご、ごっ・・・ごじゅごじゅーおくえんですかそんないらんのやったら、私に投資してやぁ~ほんの一部でもええから~って・・・そこがポイントちゃうやんとにかく、それほど好きだったのね、彼じゃなきゃダメだったのね、生きていけなかったのね。彼と一緒になれなかったら・・・というか、「一緒になれない」ことなんて選択肢になかったのでしょう。幸い、愛田社長も(出会った当時はまだ普通のホストだったけど)、同じ気持ちでした。それほど好きだったんです、彼女じゃなきゃダメだったんです、生きていけなかったんです。(いや、そうじゃなきゃ単なるストーカーになっちゃうもんね・・・笑)。何はともあれ、このような話は決して珍しくないかも。例えば、ワタミフードサービス社長の渡辺美樹氏。そうそう、あの方。外食産業きってのハンサム(しかもすらりとした長身!)な彼です。彼も、奥様との出会いはこういう感じでした。「青年社長」に詳しく書かれているけど、あれって一応「実話をもとにした経済小説」だから、どの部分が100%実話で、どこが脚色されているのか分かんない。ただ、出会いのエピソードがノンフィクションであるなら、そうですってこと。それとか、オール阪神巨人の阪神と良美さんもそう。こちらは、ご夫婦揃って何度もTVでこの話をしているから、本当のこと。こちらのカップルの出会いや結婚までの道のりも壮絶。海を越えてみると、イギリスのチャールズ皇太子と今の奥様のカミラさんも同じ。散々批判されまくってたけど、貫いちゃいましたね。私も当時、「何考えてんねん、この人?自分の立場分からんの?第一、あんな綺麗な奥さん(故ダイアナ妃)がいながら贅沢やわ!」と、悪口いっぱい言ってました。けれど、とうとう「結婚!」って記事が新聞に載った時。こりゃ、参っちゃた!二人の絆の堅さに、天晴れとさえ言いそうになった。このような出会い方が良いか悪いかを論じるのが今日のテーマじゃないから、そこには触れません。ただ、一人の傍観者としては、ドラマチックなラブストーリーにはどうしても甘い吐息を漏らさずにはいられない。そういう意味では、愛田社長&朱美さん、渡辺社長&奥様、オール阪神&良美さん、チャールズ皇太子&カミラさんの出会いの物語には、ハラハラドキドキしたり、「アカンやろ、それ?」ってヤジを飛ばしてみたり、"Oh, WOW!"って思いっきりアメリカンなリアクションを取ったり、最後にはウェ~ンって泣けたりするのです。それに、ある意味、起業と似ているかも。努力と信念、熱き思いと、逆風にさえ負けぬ強い意志。結果がビジネスを成功させるのか、愛を貫くのかって違いだけ?う~ん、よく分かんないけど、そんなような気もします。さて、私はどうでしょう?自分に置き換えてみると?いやいやいやいや・・・無理です、できません。だってさ、私って根っからのチキンだから。多分、そこまで冒険できないよ。ドラマチックは人の話でお腹いっぱい。自分の人生では、「至って普通のラブストーリー」がいいです(笑)。
2009年09月04日
韓国の元大統領であり、2000年にノーベル平和賞を受賞した金大中(キム・デジュン)が本日午後、天に召されました。85年の生涯でした。「私は5度死線をさまよい、6度の監獄生活をした・・・」と氏がかつて語ったように、その波乱に満ちた政治家人生は一つの試練からまた次の試練への連鎖。投獄、自宅軟禁、亡命。拷問も受け、幾度か暗殺未遂にも遭いました。また、「金大中事件」として知られる拉致事件の被害者にもなり、海に投げ込まれる寸前に殺害が断念されたというそれこそ文字通り死に直面した経験も。さらに、「光州事件」へと発展したデモの首謀者として一度は死刑判決も受けました。金大中をそれでも駆り立て続けたのは、民主主義への熱き思い。その政治活動や大統領在任中の手腕を支持する者も、そうでない者もいるかもしれない。しかし、韓国という当時は軍事独裁政権下にあった国で、民主化に貢献した実績は誰もが認めざるをえないのではないでしょうか。神様は金大中に85年の命をお与えになった。氏はその85年という限りある人生を余すところなく活用し、信念のためにすべてを捧げました。死を恐れずに、しかし決して死ぬことなく、見事に生き抜きました。信念のために生きる。そのためには死を恐れない。けれども、終わりが来るまで決して死なない・・・それは政治家でなくても、一人の人間として素晴らしい生き様。そのように生きたいと願っても、なかなかできることではない。だから私は、金大中という人に対し、特別な思いを抱き続けているのです。金大中元大統領、天国にはあなたが求め続けていた「真の自由」があるのでしょうか。今あなたが、その「自由」を心の底から喜んでいることを願います。
2009年08月18日
ご存知かと思いますが、私の住んでる神戸がちょいと大変なことになってます。新型インフルエンザ発生のため、神戸市を含む兵庫県全域の学校が、今週いっぱいまで臨時休校。また、学校だけでなく塾やお稽古などの教育機関もお休みにするとか。ローカルニュースには毎日のように県知事の井戸さんが登場しています。さて、ワタクシ。先週いっぱいはずっと自宅作業が続いてました。ある意味、隔離された安全な状況。しかし、本日より連日の通訳。今週はずっと外でのお仕事となり、来週までそう。ってことは、外出する機会がものすごく多いどころか、毎日ってことです。タイミング悪すぎ。街に出てみると、あまりにも異様な雰囲気に驚きました。どこもかしこも、道行く人はマスク姿。老若男女を問わず、着けてない人は誰一人もいませんでした。スーパーやデパートの店員も皆マスク着用。化粧品カウンターのお姉さんも着けてました。駅でも「新型インフルエンザ発生のため、マスクをご着用ください」とのアナウンスが流れています。けれど、それが問題なぜなら、神戸市内で今、マスクが手に入らないのです。どのお店も、薬局だけでなく、100円ショップでさえ、このような貼り紙が:今日、仕事の帰りに知っている限りのお店に何軒も立ち寄ったのだけど、どこも在庫ゼロ。入荷予定も未定とのこと。考えに考えた挙句、具合の悪い時には必ずお世話になる近所の内科へ行きました。すると、「こちらも在庫が底をつきそうなので、お一人様につき2枚までしか譲れません」と。それでもまったくないよりはマシなので、買いました。2枚で20円。だからお金の問題じゃないんです。物がないの。ないんだから、例え幾らお金を払っても手に入らないってこと。大阪も大変らしく、ひーさんいわく、「今朝、薬局に行ったらえらいことになってましたよ。オイルショック並みやったわ」と。ひーさんは賢いから、この事態が発生してすぐにネットでマスクを入手したそうです。しかし、私は一足遅かった。あらゆるサイトで探してみたものの、どこもお届け予定日が早くても今月末。はっきり言って、待てません。普段なら、紙マスクは一回使えばお化粧とか付いちゃうので捨てるんだけど。とにかく、今週はこの2枚で乗り切ろうと思います。「集団心理・・・」とか、「反応しすぎ・・・」とか。そういうことを言う人もいるかと思いますが。それと、「なる時はなる!」と開き直る人もいるでしょう。けど、私はなりたくないんです。確立が低かろうが、ゼロじゃない限り、今病気になってられない。会社員じゃないから、お給料をもらっているワケじゃないから。一日仕事をロスすると、数字で明らかに表れるのがフリーランス。だから・・・健康でいなきゃ。元気でいなきゃねっ
2009年05月18日
神戸市内某所にある孤児院。ここでは、いろんな事情で親と別れたり、一緒にいることができない子供たちが暮らしています。年齢は、赤ちゃんから17歳ぐらいまで。恥ずかしながら、私はこの孤児院のことを知らず、ずっと神戸で生活していました。知ったのは、つい最近のこと。友人ご夫妻から聞いたのです。この友人ご夫妻は、ここの孤児院と交流があるそうで、私にChristmas Wish Starという素敵な企画について教えてくれました。Christmas Wish Starとは?まず、孤児院の子供たちに黄色い画用紙で作った星を配り、表には名前と年齢、裏にはプレゼントのリクエストを記入してもらう。まるで、星に願いを込めるように、書いてもらうのです。そして、その星を一旦集め、箱に入れます。すると後日、子供達のサンタになりたい方々が、無作為に一枚選び、責任を持ってクリスマス当日までにプレゼントを用意するのです。今回、集まった星は30個ぐらい。私も、その中から一つをランダムに選択。そこには、女の子の名前が書かれていました。年齢は、10歳。裏面を見ると、「アクアビーズアート」との文字。オモチャに疎い私は、それが何だかさっぱり分からなかった。しかし、聞くところによると、ビーズアートが作れるキットで、女の子の間でとても人気があるらしい。トイザらスで入手可能なので、週末に行ってきます。孤児院の子供たちへは、友人ご夫妻が代表して、クリスマスの日にプレゼントを届けてくれるそうです。子供達は今からとても心待ちにしているとか。送り主の名前を明かしてもいいし、カードを添えてもOKとのことなので、私もちゃんと書こうと思います。やはり、そのほうが心がこもっているもんね。クリスマスまで、あと3週間ほど。今年、私は10歳の女の子のサンタになります
2008年12月05日
昨日、仕事で行った京都で、地下鉄に乗った。京都にはこれまで何度か行ったことがあるけど、京都市営地下鉄に乗るのはおそらく今回が初めてだった。扉付近に立っていた私。窓の外を見ようとも、地下鉄だから景色も何もあったもんじゃない。すると、ふと。その扉の窓に貼ってあるシールに視線が行った。お決まりのシール。電車とか乗り物ではよく目にする「とびらにご注意」と書かれたシールだ。しかし、その下半分にはいつもは目にしない言葉が書かれていた・・・ 仕事はうまくいっていた。それでもやりたいことがあった。 辞表を書いたのが28歳。サラリーマン時代に貯めた100万円を手に、 家に独りこもって曲作りに没頭した。自分は天才だと信じる心と、 もしかしたらダメかもしれないという心の間で揺れた。 それでも曲を書き続けたのは、自分には音楽しかなかったから。 30歳でデビュー。業界の常識では考えられない遅すぎるデビューといわれた。 あれから10回目の春がくる。ぼくは歌う。君は? スガ シカオ「君は?」えっ・・・ 私は・・・???後から調べてみると、それは転職求人情報サイト「マイナビ転職」の広告と判明。転職を考えている人、このままじゃ嫌だと思っている人、自分の将来を模索している人には、グッとくる言葉でしょう。(だから、広告主の思うツボ!?・・・笑)が、しかし。職を変えたいと思っていなくても、今の状況に満足していても、将来の見通しがある程度できていたとしても。この言葉には、同じようにグッとくるかもしれない。別に普通に極一般的に日々を過ごしていたとしても、心に響くものがあるかもしれない。少なくとも、私はそう感じました。と同時に、「やっぱり、スガシカオが言うから、なおさら深いのよね」とも思いつつ。(だから、広告主の思うツボやん!!・・・笑)まあ、広告主はどうでもいいとして・・・(笑)「ぼくは歌う。君は?」10回目の春が来て、スガさんは今もなお歌っている。私は?10年前というと私が23歳の頃。23歳の私が、33歳の今の私に何を見たら、何と思うだろう?とりあえず、納得してくれるかなぁ?(笑)そんなことを考えてみた、しんみりとした地下鉄タイムでした。
2008年11月14日
なんとなくアガサ・クリスティの小説のようなタイトルになっちゃいましたが(笑)。最寄駅近くのドラッグストアのお話。じゃあ、「一つ」じゃなくて、「一店」でしょ?と、そういう細かいツッコミは今回無しの方向でお願いします(笑)。何はともあれ、ここは大手チェーン店じゃないけど、いつもディスカウント品が多く、かなりの確率で利用していた。立地も良いし、来店者も多く、誰からの目にも結構繁盛しているように映っていたし、私もそう思い込んでいた矢先に・・・突然、閉店立ち寄ってみるとシャッターが閉まっていて、「この度閉店することになりました」との貼り紙が。その前日、店の前を通った時にはちゃんと営業していたのに!閉店セールどころか、何のお知らせもないまま急になくなっちゃいました。ある意味、夜逃げ状態(勿論、夜逃げじゃないけどね)。さて、別のドラッグストアの話だけど、近所の商店街にある店舗。こちらも個人店だが、太っ腹のディスカウントが売りで、誰がどう見ても流行っているお店だった。なのに・・・先日、閉店先述のお店と同様に、閉店の兆しも何もなく、突然の出来事に、我が家も含め、近所の皆はいささかビックリしています。後で知ったことだけど、どちらとも貸し店舗だったそう。家賃が高すぎたのかなぁ?ディスカウントしすぎて、採算が取れなくなった?いずれにせよ、とても残念です。ちなみに、近所のこれまた別の個人経営のドラッグストア。このご時勢では珍しく、こちらは正規の値段でしか商品を提供しておらず、いつ前を通っても閑古鳥が鳴いている。たま~に店頭にてセール品を出していることがあるのだが、どれもがどうでもいい商品ばかり。例えば、9月に入ってから蚊取り線香や蚊取り器をディスカウントプライスで並べても、もしくは冬の終わりに使い捨てカイロを値引き大放出されても、「うわぁ~、ラッキー!」って思います?(まあ、来年度を見据えている方は別かもしれませんが・・・笑)。ここには、一度だけ立ち寄ったことがあります。どの品物にもうっすらとホコリが積もっていて、流行っていないお店だということが一目瞭然。しかも、店員のおばちゃんが超愛想悪っ!「買わないんだったら、あれこれ触らんとってください」と言われちゃったよ、まったく(あんたに接客というものを叩き込んでやりたい・・・怒)。が、しかし。このお店は、しぶとく生き残っています。どうやら、建物が自分の持ち物らしい。ってことは、家賃の心配ナッシング。でも、それだけが理由じゃないでしょう。存続の基準これは、見た目だけでは判断しにくい問題。案外、客ってのは(勿論、私も含め)自分に都合が良ければオーライで、表面上しか見ていないのかもね
2008年10月30日
うろ覚えだけど、多分小学校の5年生ぐらいの頃だと思います。当時、トム・クルーズが大好きだった私は、「ハスラー2」という映画が見たくてたまらなく、父親にお願い。父親は、「子供が見ても分からん映画やで」と言いながらも、劇場へつれて行ってくれました。勿論、11歳の私には、映画の内容なんてチンプンカンプン。けれど、上映時間ずっと私の目はスクリーンに釘付け。ただ、目線の先にいたのは、もはやトム・クルーズではなく、もっと年配のポール・ニューマンでした。幼心にも、「なんて目の綺麗な人だろう」と、その青い瞳に溺れるような感動。その気持ちは、以後いつポール・ニューマンを見ても心の底から沸き上がってくるものでした。それからというもの、私は「スティング」や「熱いトタン屋根の猫」など、ポール・ニューマンの若かりし頃の作品をビデオで借りてきては、たくさん見ました。彼は、文句なしにハンサム。若い頃から正統派ハンサムで、歳を重ねても味のあるハンサム。「男前」とか、「格好良い」とか、「イケメン」とか。そんなものではなく、「ハンサム」という表現がぴったりのポール・ニューマン。そして、あの目・・・あのような澄んだ瞳は、その先にも後にもないと私自身は思います。「目は心の鏡」とも言いますが、まさしくポール・ニューマンの心があの美しい目に現れていたのでしょう。というのも、名優で名を馳せていた彼は、料理好きでも知られており、その秘伝のレシピを商品化するためにNewman's Ownという食品製造会社を設立。そして、なんと1982年の創業以来、全利益を恵まれない子供達へのチャリティーとして寄付し続けました。また、ハリウッドのリベラル派として知られた彼は、ベトナム戦争反対や反核運動にも積極的でした。銀幕のスターの座にだけ甘んじず、ヒューマニタリアン(humanitarian=人道主義者)としても活躍したポール・ニューマン。その彼が米時間の26日に、この世を去りました。享年83歳。その美しい容姿と抜群の演技力で世界中を虜にしたポール・ニューマン。真っ直ぐな志しでたくさんの人達の人生に光を与えたポール・ニューマン。あなたはもう、ここにはいないけれど、あなたの清らかな心を映し出したあの青い瞳を私は忘れません。どうか安らかにお眠りください・・・ 新婚の頃のポール・ニューマンとジョアン・ウッドワード(女優)。2番目の奥さんでしたが、おしどり夫婦として知られ、共に慈善活動をたくさん行い、一生を添い遂げました。
2008年09月27日
先日、24時間テレビ「チャリティーマラソン」で見事113キロを走り抜いたエドはるみ。これまで毎年、いろんなタレントがこのチャレンジに挑んできました。そして、歴代走者の中で「元祖チャリティーランナー」と呼ばれるのが、エドさんの吉本の大先輩、間寛平です。間寛平は、東京でブレイクする遥か前から関西では「寛平ちゃん」の愛称で親しまれていました。吉本新喜劇には必ず出てた人だし、座長も務めたし、「かい~の」、とか「アヘアヘア~」などのギャグは関西人なら必ず一度ぐらいは真似したでしょう。勿論、私も例外ではない(しかも、一度なんてもんじゃない。そう、何度も・・・笑)。ということで、今日は親しみを込めて、関西人なら誰もがそう呼ぶであろう愛称「寛平ちゃん」で書き進めて行きたいと思います。寛平ちゃんは、これまでランナーとしてのチャレンジに数多く挑んできました。1992年の24時間テレビチャリティーマラソンでは200キロマラソンを途中リタイアしたけれど、153キロを激走。翌年は、見事に200キロを走り抜きました。そして寛平ちゃんが46歳の1995年。この年の初めには、あの阪神淡路大震災が起きたのですが、神戸~東京間の約600キロを一週間かけて完走。しかし、寛平ちゃんのランナーとしての活躍は何も24時間テレビに限りません。例えば、ホノルルマラソンの完走歴は、実に17回。ギリシャの鉄人マラソン「スパルタスロン」(総距離246キロ)を一度ならず三度も完走。さらに、これは私が一番驚いたことなんだけど、今年の話。寛平ちゃんは「サハラマラソン」を51時間46分5秒のタイムで完走したのです。「サハラマラソン」は、食料などの必需品が入ったリュックサック(重さは15キロほど)を担ぎ、一週間かけて245キロの砂漠の道無きコースを走るのだけれど、「地球上で最も酷なレース」と呼ばれることだけあり、過去に死亡者も出たことがあります。しかも、ランナーは「例え死んでしまったとしても、遺族は主催者側を訴えない」という契約書にサインしなければ参加できません。また、1994年にはイタリア人の走者が道を失い、9日以上も砂漠を彷徨ったというケースも報告されている。だから、私は寛平ちゃんが「サハラマラソン」を完走したというニュースを知った時、「この人は一体、どんな体をしてんだろう?鉄の心臓の持ち主か?はたまた、超人か?」と大変驚きました。けれど、寛平ちゃんがそもそもマラソンを始めた理由は、心臓疾患の治療のためだとか。そして、走り続けるうちに、体調が回復しただけでなく、心臓が陸上選手並みになったそうです。さて、先日。寛平ちゃんから新たな発表が!なんと・・・「アースマラソン」にチャレンジ!アースマラソンとは、マラソンとヨットでの世界一周。陸で走る距離は2万キロで、海上をヨットで走行する距離は1万6000キロ。それを2年~2年半かけて行う過酷で気が遠くなるほどのチャレンジなのです。寛平ちゃんが、このチャレンジのため日本を出発するのが今年の12月。え~っ!今春に「サハラマラソン」を終えたばかりなのに、もう?と正直、驚きました。けれど、寛平ちゃんのチャレンジスピリットは休むことを知らないのでしょうね。寛平ちゃんいわく・・・「東から帰ってきたらリタイアを意味する。必ず、西から帰ってきます。」現在、59歳の寛平ちゃん。還暦を迎えるのは、陸の上?それとも、海の上?地球のどこを激走している時だろう?何はともあれ、チャレンジ真っ最中のこととなるでしょう。幾つになってもチャレンジャー。うん、素晴らしい!!!
2008年09月02日
終戦の日(終戦記念日)も、今日で63回目を迎えました。NO MORE WARどうか、歴史を風化させないで。過去の悲劇から私達が学べることがあるのなら、それはより強く、より熱心に平和を願い、平和を実現すること。世界が平和でありますように・・・8月15日を忘れないで。
2008年08月15日
私は、広島の広島平和記念資料館に行ったことがあります。それは、高校最後の年でした。しかし、長崎はまだありません。勿論、近いうちに一度足を運んでみたいと思います。今日は、あの悪夢の日から63年目の8月9日。また、今年は被爆医師として知られ、被爆者の救済に尽くした永井隆博士の生誕100年にあたります。博士が残した言葉には、今この世界に必要なメッセージが込められているように思えるのは私だけでしょうか?「戦争に勝ちも負けもない。あるのは滅びだけである。」その通り。世界から、核兵器が一日も早く消えますように。"NO MORE NAGASAKI"の祈りを込めて・・・なお、核保有国から平和祈念式典に出席したのはロシアだけ。アメリカは、今年も欠席したそうです。アメリカが出席しない?う~ん・・・これって、おかしい話ですよね。
2008年08月09日
ちょうど一年前の今日、同じタイトルで同じ内容のブログを書きました(こちら)。今年もまた、書きたいと思います。今から63年前の夏―1945年(昭和20年)8月6日、広島の地で起きた悪夢。それは、人類史上初となる原爆投下。その結果、無差別に一瞬の内にして、たくさんの尊い命が失われました・・・NO MORE HIROSHIMA (合掌)本日午後8時8分、広島市で行われた「とうろう流し」。原爆犠牲者の冥福を祈り、約8000個の「とうろう」が流されました。 2008年8月6日、広島市長・秋葉忠利さんの「平和宣言」はこちら。是非お読みください。大切なメッセージが込められています。
2008年08月06日
午後に少しだけ時間の余裕ができたので、友達とお茶する約束をした。朝から相変わらずのむし暑さにギラギラの太陽。「こりゃ、日傘とサングラスは必須。日焼け止めも念入りに・・・」なんて思ってたんだけど。いざ、家を出ようと思い、ふと窓の外を見ると、さっきまで晴れ渡っていたお空が真っ暗。「曇り」とか、「お天気悪そう」とかそんな次元ではなく、まるでホラー映画の如く怪しいまでに暗かった。「え~、何々?どうしたん、急に!?」と思った矢先。これまた何の前触れもなく急な大雨。しかも、大きな雷が次々と容赦なく鳴り始めたのです。しばらく様子を見ていても、雨は一向にやむ気配どころか、ますます激しく降りだした。しかも、雷の音量が尋常じゃない!一つ落ちるごとに、家が震えるんです。お決まりの「ゴロゴロ・・・」じゃなく、文字通り「ドッカ~ン!」ってな感じ。外出どころか、玄関を一歩も出れないほどのあまりにも無理な状況で私は楽しみにしてた友達とのお茶を断念。しかし、彼女が今電車の中だったら?とか、もう駅に着いてしまってたら?と思うと心配になり携帯にかけてみた。というのも、友達は現在、妊婦さんだから心配も二倍に膨れ上がった。携帯にはすんなりと繋がったのだが、実は彼女。ショッピングがしたくて、早めに到着してたらしい。「今、どこ?」と聞くと、駅前のデパートの地下とのこと。だから、外の様子をイマイチ良く把握できていないようだった。結局、彼女とのお茶は次回に延期。携帯を切る前に念を押した。「外は今、すんごいことになってるから。とりあえず、しばらくは絶対そこから出ちゃだめだからね!」結局のところ、豪雨は2時間弱続き、その間ずっと大音量の雷の攻撃。雨足が弱まってからも、雨はしつこく降り続け、完全に止むまでお空はゴロゴロと鳴りっぱなしの中、消防車のサイレンを何度耳にしたことか・・・今、思い出してもゾッとするほどのホラーワールドだった。この豪雨と雷は、神戸だけでなく兵庫県全域、大阪府、京都府と近畿を突然に襲った。新幹線は勿論のこと、交通機関も大いに乱れた。そして、何よりも悲しいことは、神戸にて川の急な増水で小さな子供を含む数名の方々が流され、命を落としました。この川というのは、山とか自然環境にある川ではなく、街の中を流れている整備された川。その脇を、家路を急ごうとしていた人達が歩いていて、急に襲って来た鉄砲水に飲まれたのです。自然の猛威は恐ろしい。どんなに技術が進歩しても、人間って自然の前では無力なんだなと、とても悲しい気持ちになりました。最後になりますが、命を落とされた方々のご冥福を心よりお祈り致します。
2008年07月28日
私の普段のキャラにはそぐわない大真面目なタイトルだけど、ドラマ“ホカベン”を見るたびに考えさせられるのだ。このドラマは、やや重いテーマを扱っているし、そう簡単には解決できない事件や、特に弁護士の世界の最も汚い部分にスポットを当てている。そんな中で、上戸彩ちゃん演じる“見てて心が痛くなるほど不器用なまでに真っ直ぐな新米弁護士”が、ひと際輝いて見えます。そりゃドラマだから多少あり得ないようなストーリー展開にはなってるけど。それに、実社会ではこのような弁護士は極稀かもしれない。居たとしても、思いっきり足を引っ張られるか、組織的圧力で抹殺されるか。それとも、貧乏神と仲良くせざる終えないとか。果ては、命の危険にさらされる人もいます。けれど、やはり。キラキラして見えるのです。ここまで正義の側に立ち、真実を追い求める姿には、感動を覚えます。(ところで、何故このドラマの視聴率は、こうも低いのでしょうかねぇ~!?)私が思うには、正義の延長線上には真実がある。真実とは時には分厚い偽りと言う名の覆いに隠されていたり、または日の下にあからさまに転がっているのに誰も目を向けようとしなかったり。しかし、それをまともに見てしまった人達は・・・いや、あえて自分の焦点をそれに合わせて向き合う決心をした人達は・・・後戻りできないのでしょう、正義の道を突き進む以外には。わずかかもしれないけれど、そう言う人達は歴史に存在しているし、実社会にでも探せば居ます。どれだけ世界が不安定になって行っても、どれほどこの社会の歯車が狂い始めても。そう言う人達の数は決して無くならない。だから人間、捨てたもんじゃない。先日、とあるレセプションで通訳をさせて頂いた。その会場には200名ほどの政治に携わっているお偉い先生方がいらっしゃった。仕事をしている間、ふと私は辺りを見渡し、思いました。「この中で、一体どれほどの人が本当に社会に貢献したい、人の役に立ちたい、地域を活性化したいと心底願い、政治の世界に足を踏み入れたのだろう?実際、そのような志しでスタートしても、一体どれほどの人が途中で初心を忘れてしまったのだろう?」と。また、環境について議論を繰り広げていても、一体どれほどの人が毎日の生活においてエコフレンドリーな取り組みを実施しているのだろう?例えば、ちゃんとゴミを分別して捨てているのか?大体、この会議自体ものすごく紙とか無駄に使っていないか?考え出したらキリがないので、ここで思考をストップし、仕事に集中したのだけれど。私が住んでいる神戸市では、未だゴミの分別が強制されていません。恥ずかしい話です。また、この神戸の地は、おしゃれな観光の街としても有名で週末には他県の方々や海外の方々までもがたくさんやって来る。連休や夏休み、そしてルミナリエの頃には特に、この小さな街が人でごった返します。皆、ここでいっぱいお金を使って行ってくれるので、神戸の美化運動はますます盛んになり、繁華街がいつも綺麗でセンス良く保たれている。が、同時に。駅の前や人通りの多いところでは、Big Issue(ビッグイシュー)を売るホームレスの方々を目にし、ものすごく苦しくなる私。私の正義は、とても小さいけれど。例えば、Big Issue を必ず買うこと。ハッキリ言って、この雑誌の内容は個人的には嫌いです。記事を読んでても全然面白くないと言うか、二番煎じと言うか。けれど、買います。そして、捨てる時はちゃんと分別して捨てるようにしている。そして、私の正義は、ドラえもん募金に電話すること。この通話料は、中国四川省大地震とミャンマーのサイクロン被害者支援へと役立てられる。私はどちらの国にも行ったことはありません。ミャンマーは本当に縁がないけれど、中国に関してはお隣にとても心の優しい中国人のマーが住んでいる。先日、マーに「本国の親戚は?」と聞いたところ、田舎が四川とはまったく別のところなので大丈夫との返事。けれど、マーは「胸が痛い」と祖国を思い、目に涙を浮かべていた。だから、私はドラえもん募金に電話を掛け続けます。私はミャンマー政府のやり方、中国政府のやり方には、100%同意はできない。特に、非人道的な問題やモラルに反するようなことに関しては。また、自分に置き換えると、遠い祖国である韓国が一番だとは言えないし、朝鮮半島をワン・コリアとして考えるのであれば、北朝鮮がこれまで行った罪の行為を一日も早く公にし、世界が一つとなって解決を導きださなければならないと思っています。けれど、私の正義は、「人間対人間ベースで考えなさい」と私に告げる。、国がどこであったとしても、人は基本的には皆とても良い方ばかりなのです。私のミクロな世界では、お隣のマーを含め、他国の方々からはいろんな文化を学び、お互いを支えあい、理解できない違いがあったとしても、最終的には心を通わすことができているのです。だから、私の正義は、私自身に向かってこうも言うのだ。国々の不祥事や罪は、各々の一握りしかいない権力者たちが行っている間違った行為。それは、明らかにいけないことだ。しかし、だからと言って、その国の出身者たちに、その国の人だからと言う理由だけで批判の目を向けてはならないし、差別してはならない。これは、絶対にダメなことなのだ。なぜなら、結局のところ、一人ひとりの人は、あくまでも一個人なのだから。そして、同時に。愛国心とは素晴らしいものだけど、正常な判断までもくらます異常な愛国心なら、それはもはや狂乱の前兆と言えるのでしょう。過去に起こった悲しい事件を見てみても。私は本来、とてもチキンです。小心者故に、これまでに臭いものに幾度と蓋をしてしまいました。けれど、毎回知ることは。臭いものに蓋をしても、中身は決して消えない。余計に腐っていくだけなのだ。そして、それ以上に。自責の念、後悔の波が押し寄せて来て、ものすごく自分で自分が嫌になってしまう。私の気の小ささは、もう直らないかもしれない。馬鹿みたいに楽観的に考えると、それは私と言う人間の一部だから。しかし、チキンなのにも関わらず、神様から人一倍シャープな洞察力を賜りました。小心者のくせして、「何か変!」と気づくのは超即急。これはきっと、神様の間違いかもしれない。本当なら、もっと器の大きい人間、もっと冷静且つ勇気に満ち溢れている人間にあげるはずだよ、そう言うものは。神様、私は何故こうも、気づいてしまったことを無しの方向に持っていけないのですか?すごく迷惑な話なんですけど(笑)。もらってしまった以上は、できる精一杯の範囲だけでも、私の正義を実行に移したいと思います。と言うワケで、私は決して“ホカベン”で上戸彩ちゃんが演じる堂本灯ほど真っ直ぐで圧倒的な正義を持って生きられないけれど。私のこんな小さな正義でよければ、これからも環境に対し、地域に対し、社会に対し、そして世界に対し、私なりのものすごく小さな“灯り”を点し続けられたら・・・それが、私の今の願いです。
2008年05月28日
数日前、タレントの山田まりやが結婚報告会見を開いた。お相手は13歳年上の舞台俳優らしい。このような芸能人の記者会見の席では婚約指輪を報道陣に披露するのが恒例で、彼女も例外ではなく、左手をカメラの前にかざした。まりやちゃんいわく、「都内のデパートで買いました。ペアで12万円。」ってことは、彼女の薬指を飾る指輪は6万円ってこと。ちょいと意外だった。芸能人にしては結構地味なお値段?それに、これなら仕事してる一般ピーポーでも問題なく手が出る額だ。しかし、その直後に彼女が言った台詞が非常にカッコイイ・・・「結婚はお金じゃないから・・・」延長線上で考えると、「幸せはお金じゃないから。」よく耳にする言葉。ある意味聞き飽きていると言っても過言ではない。だいたい、そうやって語る人の一体何割が本当にそう思って言っているんだろう?と、疑ってしまうことしばしば。それに、お金はすごく大切。だって生活しなきゃならないもの。たまには贅沢したいしさ。けれど、やっぱり!幸せの優先順位のトップを占めてはならないのよね。「お金じゃないから・・・」当たり前のことだけど、心底そう感じている人が語るからこそ、すごく説得力がある。久しぶりに気持ちいい台詞を聞けました。ありがと、まりやちゃん。ほんで、おめでとう! ---------------------------------------------------------------------- お目出度いニュースにちなんで、柄でもないけど、恋の短歌にチャレンジしてみました。 個人的なことじゃないから、いらん推測せんでよし(笑)。 (初恋) 朱のつぼみ 一輪咲いて 恋ごころ 寒空なれど わが季節は春 (思い出) よく見れば いろんな柄が あるんだね 二人で食べた 瓦せんべい (ありがとう) 君おもい 巡る記憶は 走馬灯 口を開けど 五文字は足りぬ (あなたへ) わたしには 何もないけど この華奢な 腕であなたを ぎゅっと抱きたい
2008年01月31日
昨日(日曜)は、戦いの一日だったと言っても過言ではないでしょう・・・まず、大阪府知事戦。やはり、勝者は橋本氏。しかも、大差での圧勝。「もう、大阪人ってどこまでミーハーやねん!ノックで懲りなかったん!?」と、選挙結果を見た私は、大変失礼ですが、そう感じてしまった。しかし、その直後に思い直した。相手候補があまりにも地味すぎたから、選択肢が橋本氏しかなかったのかも?何はともあれ、もうなってしまったのだから仕方ない。頑張って頂くしかないでしょう。それに、ここが一番大切なポイント:橋本氏の戦いはこの選挙で終わってはいない。むしろこれからが戦いの本番。大阪の傾きかけている経済を立て直すのも勿論そうだけど、それ以上に厳しい戦いは府議会からの攻撃をどうやって回避し、本来すべきことをやり遂げるかだ。「長いものには巻かれろ」が気持悪いほどに定着している政治の世界では、橋本氏のようなハッキリとした性格の人は嫌われる。そして、足を引っ張られる。だから、蓋を開けてみると、知事として大阪を活性化するどころか、結局府議会と衝突しまくりで幕引き・・・なんて結果にだけは終わらないで欲しい。言っときますけど、橋本さん。あなたが得意とする口喧嘩だけじゃ絶対に乗り切られへん相手やからね。流されずに、己の役割を果たしつつ、相手がぐうの音も出せないほどの手腕でやって行けるのだろうか?そのためには、やはり若さと勇敢さだけでは足りない。賢さでも、先見の目を持っていても。何が必要かと言うと、石原都知事とか小泉前首相のような“天変地異が起きようが世の終わりが来ようが微動だにせず構え続けられる”気質なのだ。私は、石原さんや小泉さんが100%正しいとは言いません。だけど、彼らの最も尊敬できるところは、ずばりこの気質にある。相手がどんなに批判しようが、その批判が正論であれ、あそこまでビクとも動かず平然と構えていられるのは天晴れだと思う。しかし、これは経験や年齢を重ねてから初めて備わる強みであること50%。残りの50%は、非常に不公平かもしれないけど、持って生まれた才能なのかもしれない。さて、昨日繰り広げられたもう一つの戦い。それは、大相撲初場所の千秋楽。一敗同士の横綱決戦だった。言動の問題が絶えない朝青龍。確かに、彼は大相撲を伝統ある格式高い国技だと見ていないことは火を見るより明らかだ。しかも、あの“仮病(?)事件”はあってはならないことだと思う。もし現在の角界が若貴全盛期の頃の盛り上がりを見せていたら、引退に追い込まれていたに違いない。しかし、人気が下火の今日この頃、しかもパッとする力士がなかなか出てこないという現状で、彼を辞めさせるにワケにはいかなかったのだろう。そんな運をも我がものにする朝青龍。その上、ものすごく強い。文句なしに最強。まるで千代の富士を思わせるような土俵上の勇ましい姿は、問題だらけの言動も帳消しにしてくれるほどの大迫力だ。この人も石原さんや小泉さんと同様の気質の持ち主だろうと思ってしまう。その反面、白鵬は横綱であることは確かなのだけど、頼りない感じは否めなかった。条件はクリアしていたとは言うものの、強い人がなかなか出て来ないから横綱になれただけで、本来なら大関のままでもう少し様子を見るという判断が下されたのかもと思わざるおえなかった。しかも、初日は黒星というパターンが先行してしまい、大横綱になれるかは微妙な感じだと思っていた。すべて、昨日までは・・・この千秋楽で白鵬は、“横綱であることの意義”を証明してくれたのだ。土俵上、朝青龍と向き合い、仁王立ちになり強い視線を送る彼は別人だった。これまでの“人の良さそうな顔”は消えうせ、その表情は“勝ちを取りに行く戦士”そのもの。6度目の優勝を賭けて戦っている彼の脳裏には「勝たなければ」という一言がうごめいていたのだろう。本国(モンゴル)では大半が朝青龍を応援している中、日本では「白鵬に勝って欲しいけどどうせ朝青龍に負けるんだろうな」という見解が大多数の中、彼は今までの「勝ちたい」では足りないことを痛感していたのかもしれない。横綱として、その役割を十二分に果たすためには、「勝ちたい」ではなく、「勝たなければいけない」の重圧がその肩に重くのしかかっていたのだろう。朝青龍ほどすごい力士は今いないと認めざる終えない中、それでも角界の将来を考えると、今回は白鵬が勝たなければならなかった。二場所も、しかも自らが起した問題で休場した朝青龍がもし優勝してしまえば、「大相撲って結局、それぽっちのものなんだ・・・」というレッテルを貼られ、この先は真っ暗だ。だからこそ、白鵬は角界を代表し、この勝負に勝たなければならなかったのだ。満員御礼の会場。土俵の上で組み合う二横綱。押されては押し返しがしばらく続き、文字通り手に汗を握る取り組みだった。そして、ようやく・・・決着の瞬間。白鵬の腕に渾身の力が込められ、朝青龍はゴロンと土の上に叩きつけられた。決まり手は、上手投げ。大歓声が上がり、おびただしい数の座布団が宙に舞う。その中で、汗だくになり目を真っ赤にした白鵬が相変わらず鋭い眼差しで立ち続けていたのだった。世界がまったく違えども、橋本さんも政治という土俵に上がってしまったのだから。白鵬のように、己のすべきことを果たして欲しい。そう、私のようにあなたを疑わしい目で見ている人達が「参りました!」と思わず唸ってしまうほど素晴らしく大阪を変えて行って欲しいと切に願う。どうか最後まで土俵に立ち続けてください。発気良~い!残った、残った! 以上、あくまでも私個人の意見であり、ちとゴーマンかも?と思える節があるかもしれないので、政治的見解の異なる方など気を悪くされたのなら、あらかじめお詫びいたします。許してね。
2008年01月28日
ジメジメといつまでも泣き止まない子供みたいに、神戸は一日中雨模様だった。そんな今日は、私の仕事納めの日。とは言え、一人で仕事している身なので声をかけられる同僚や先輩など傍にいない。とりあえず、自分自身に「お疲れ様。」今年も忙しかった。でも楽しかった。だから、それでいいのだ(バカボンのパパじゃないけど・・・笑)。けれど、良くないことも確かにある。来年の課題として、どうしても直したいことがある。それは、プライベートをおろそかにし、仕事を最優先にしてしまうこと。私は仕事が本当に好きだけど、働くために生まれて来たのではない。仕事とはまったく無関係でもやりたいことだってある。行きたいところだってたくさんある。だから、来年は・・・「大統領のように働いて王様のように遊ぶ。」これ、かなり昔のCMのコピーなんだけど。すごく響きの良い表現なので今でも心に残っている。私から一生懸命を取ったら何も残らないし、私はそもそも回遊魚みたいだから止まれと言われても止まれないし、どちらかと言うと(どちらかと言わなくても?)農耕民族タイプよりは狩猟民族タイプ。だから、こんな人間に「ストップ」など「死ね」と言っていると同じことだ。が、しかし。こんな私だって、仕事とプライベートを分けることはできる。それは、それら2つを天秤にかけることではなく、どちらも同じように大事に扱うこと。ってなワケで、来年からは働く時は働いて、休む時は休む。仕事している時は他のことを考えない。同様に、プライベートな自分に戻る時は仕事のことを考えない。どちらとも一生懸命に、どちらとも大切に。それが、「大統領のように働いて王様のように遊ぶ」の私なりの解釈なのだ。(分かっているなら、なんで今までやらなかったの?・・・苦笑)Photo from "Photo Library" ~ わたしへの詩(うた) ~日が暮れて 一日終えて 息をつき 探してしまう したかったことを一年が あっと言う間と 言う我は よほどせわしく 走っていたのかペン先が 折れる音聞き ハッとして もっと気楽に 書ければいいのに中指の 硬くて醜い ペンだこに よく頑張ったと 褒めてやりたいあれこれと やったらできた ことさえも 今日は無理して しなくていいよ
2007年12月28日
昨夜、クリスマス特別企画のスペシャルドラマとして“まだ見ぬ父へ、母へ ~全盲のテノール歌手・新垣勉の軌跡”が放映された。小池徹平が見事な演技で魅せた新垣勉さんの半生に涙を流した者は私だけではなかったと思う。実は、私。この新垣勉さんというテノール歌手をこの目で見、その天性の美声を耳にしたことがあるのだ。私が小学生の頃だったと思うのだが、音楽好きでコーラス歴が○十年の母親に連れられ、100人も入れば満席になるとある会場に行った。そこでは、他ならぬ新垣勉さんのコンサートが開かれていたのだった。まだ幼かった私だけれども、一人の人間からこんなに大きな声が出るのか、こんなに素晴らしい音楽が生まれるのか、この人の体そのものが楽器ではないか、と驚いたのを今でも覚えている。当時、新垣勉さんはまだそれほど全国的に知られておらず、地道に音楽活動を続けられていた頃だった。そして月日は流れ、徐々にその名前も広く知られることになり、2001年の“さとうきび畑”で大ブレーク。今では日本を代表するテノール歌手と言えば必ず名前が挙がる実力派の一人だ。新垣勉さんのプロフィールは、こちら。彼の壮絶な半生を聞くたび、私の頭にはいつもある言葉が浮かぶのだ。「もしも・・・」もしも、彼が光を奪われていなければ、ラジオから流れる賛美歌に心を動かされただろうか。もしも、賛美歌を耳にしなければ、音楽の道を天職として生涯歩むことになっただろうか。もしも、父親がメキシコ系アメリカ人でなければ“ラテン系の明るい声”が与えられただろうか。このように、失望、失意、挫折、絶望の中を通りながらも、不幸・不運で片付けることさえできた一つ一つの事柄を最終的には自分のプラスへ変えていった新垣勉さん。そして、例えハンデを負っていても、夢を夢で終わらすことなく、それを実現に繋げた新垣勉さん。この世の中で、一体どれだけの人が自分の一番やりたいことで食べていけるのだろう?そのような現実の中で、彼は本当に幸せ者だと思う。いや、自分の力で幸せを勝ち取った人なのだろう。「もしも・・・」という言葉をネガティブに用いようと思えば、いくらでもできる。「もしも、○○でなかったら、○○になってなかったのに」など。しかし、「もしも・・・」をポジティブに捉えることができるのなら・・・これまで「残念だ」、「不運だ」などと思っていたことが、実は最終的に自分を助けてくれることになるかもしれない。思い描いたことのない未来(あす)の道しるべになってくれるかもしれないのだ。そんなことを感じながら私は、昨夜のドラマを堪能した。そして、ふと思った・・・この世の中は不公平なことだらけかもしれないけど、「仕方ない」と片付けてしまうほどちっぽけな人生などない。「もしも・・・」を肯定的に活用さえすれば、誰の人生だって納得いくものとなる。その人に与えられた人生は、その人にしか乗り切ることができないのだ。そう、これは新垣勉さんが常に語る“オンリーワンの大切さ”に繋がる。私は常々“ナンバーワン”という言葉が大好きで、それは仕事をしていく上において原動力ともなるのは確かなのだけど。“オンリーワン”を深く理解した上で、“オンリーワン”であることを喜んで受け入れることができた上で、人はやっと真の“ナンバーワン”になれるのかもしれない。昨夜は妙に穏やかな気持になり、そんなことを考えたのだった。
2007年12月22日
当日までまだ2週間少し。しかし、ルミナリエが昨日スタートした神戸は、一気にクリスマス色に染まっている。今でこそこの季節の神戸はルミナリエなくして語れないって感じだけど、これが始まったのは震災後のこと。勿論、私が小さい頃にはなかった。それでも私はクリスマスが楽しみでたまらなかったのだ。一番のワクワクは、やはりプレゼントをもらうこと。私、心の底からサンタクロースを信じてたんですよ。小学校に上がっても、周りの子供たちが一人、また一人と「サンタさんなんていない」と言い始めても。そんなことは幼い私にとってどこ吹く風。最後の最後まで絶対にいるのだと、北極からトナカイに引かれたソリに乗り、空を飛んで世界中をたった一夜で巡るのだと、そして日本に住んでいる子供たちも決して忘れないんだと・・・それはそれは、私の中でゆるぎない確信だった。さて、運命の日がついにやってきた。つまりサンタクロースは存在しないと知った日のこと。私が8~9歳の頃だったと思う。そう、そんな年齢になるまで信じてたのだから、ある意味すごいでしょ?(笑)私には当時、アメリカ人のベビーシッター兼家庭教師みたいな人がいたのだけど、おそらく母親が頼んだのでしょうかね?その人の口から聞くことになった。「abimegちゃん、ごめんね。でもサンタさんって、実はいないのよ。」あのショックは今でも覚えている。「いやだ~!」と手で耳を覆い、泣き叫びながら部屋中をぐるぐる走り回った私。止め処なく頬を伝う大粒の涙。幼い私にとってまさに青天のへきれきだった。しかし、この悲しい事実を伝える役目を担ってくれたアメリカ人ベビーシッター兼家庭教師さんが、その後に言ったことは鮮明に今でも印象に焼きついている。「サンタさんがいるかいないかが大切じゃなくて、信じる心が一番大切。それこそが、イマジネーションなのだから。」そういうワケで、私は今でもサンタクロースを信じている。ただ大人になった私にとってサンタさんは白い髭をたくわえた小太りのおじいちゃんではない。実態のない存在だけど、永遠に心の中で息づいているもの。つまり、サンタクロースこそがイマジネーションそのものなのだ。私は天才科学者でもなければ、世界を動かせる権力者でもない。でも、私はイマジン(想像)することができる。そしてイマジネーションは何もクリスマスに起こる奇跡でなく、私がそれを受け入れ続ける限り、年中共に在るものなのだ。私のイマジネーションから生まれてくるアイデアが、どのようにこれからの私の進むべき道を彩るのだろうか?だから私は誰が何と言おうと、サンタさんを信じつづけたい。そして、これからも自分のイマジネーションと仲良くしていこうと心に決めているのだ。クリスマスの思い出、幼き頃の記憶「サンタさん わたしのおうちに はいれない」 煙突作れと せがんだ記憶「カギあけて パパがサンタを 入れるから 心配しないで もう眠ろうね」「ほんとうに やくそくしなきゃ ねむらない」 父と交わした 指きりげんまん
2007年12月07日
先日のブログへの温かいコメントありがとうございました!それで、一つ補足説明なんだけど。って、あれだけ書いてもまだ書き足らんのかぃ!?って感じかっ??まぁ、とにかく・・・“フリーランス生活”のことを書く度に、いつも思っていたんだけど。もしかして、私。「フリーランスが私の生きる道!」みたいな印象を与えているかなぁ?もしそうなら、ごめんなさい。だって、全然そうは思っていないから。ってか、今の状況を見て考えると、おそらくこれからもフリーランスを続けるでしょう、という感じ。というのも、もうそういう道筋を立てているのだし、とにかく頑張りたいのよ!でも、ポイントは“おそらく”。つまり、“絶対”ではない。もし何かのチャンスが舞い降りてきて、それが自分にとって絶好のチャンスで、でも正社員になることが条件なら・・・真剣に考えてみますよ、勿論。一度切りの人生なのだから、できるだけ多くの感動を体験したいもの!ってなワケで、またまた“感動”の話になっちゃったけど。スポーツの世界にも心が震えるほどの感動が多く存在している。そして、ただただ感動するのではなく、選手たちの姿を通し、自分も勇気付けられ、学ばさせて頂くことが多い。そしてスポーツといえば、大阪で開催されている世界陸上2007は昨日、2日目を向かえた。実施された数ある競技の中、男子100mの準決勝と決勝も行われ、世界中が世界最速の男を決めるレースに注目した。この戦いは、現世界記録保持者アサファ・パウエル(ジャマイカ)とアメリカのタイソン・ゲイとの文字通り一騎打。そして、最後に勝利の女神が微笑んだのは、ゲイ選手だった。予選、準決勝とあまり調子の良さそうではなかったパウエルに対し、ゲイは堂々とした走りをずっと見せ続けていたので、別にビックリ仰天ってほどの結果じゃなかったんだけど。ただ、出足はパウエルのほうが速かった。このまま行けば、パウエルが勝者になるようだった。しかし、ゲイは臆することなく、そのライバルを最後の20m近くで追い抜き、見事に金メダルを手に入れたのだった。対するパウエルは、ゲイに抜かれた時点で力が抜けたのか、2位もあっさりとバハマのデレック・アトキンズに譲り、結果は3位。何がいけなかったのか?それは、パウエルが諦めてしまったから。コメンテーターのカール・ルイスも、「ゲイに抜かれたパウエルは、レースをそこで諦めてしまったようだった」と語っていた。どういう感情が彼の心に渦巻いていたのかを知る術はないけれど、やはりスポーツマンとして諦めとは無縁でなければ・・・などと言えば、厳しすぎる意見でしょうか?ところで、“諦めない”選手といえば朝原宣治。35歳の彼は、パウエル(24歳)やゲイ(25歳)など対戦相手の殆どが10歳以上も下ということで、年齢的にかなり不利。しかし、それ以上のマイナス要因は、朝原が日本人だからということもある。短距離という競技はご存知のとおり、アフリカ系の方々が絶対に有利なのだ。これは差別でも何でもなく、科学的根拠に基づいている。アフリカ系の選手は足の長さだけではなく、筋肉の付き方なども含め、“走るために生まれた”と言える体つきなので、仕方のないこと。それ故に、伊東浩司が現役の頃は、筋肉の付き方をできるだけアフリカ系の体格に近づけるようなウェイトトレーニングをしたほどなのだから。でも、こんなこと。私が言うまでもなく、朝原本人は一番知っていたと思う。金メダルなんて望めない世界なのに、それどころか決勝進出すら叶え難い夢なのに・・・朝原はその長い選手生活の中、本当によく頑張った。もし賞を与えるのなら、“努力賞”こそ彼のためにあるぐらいだ。ビジネスの世界では、自分が十二分に輝けない分野からはそそくさに手を引き、“これぞ私の世界”を見つけることが成功への第一歩だし、それが賢いやり方。つまり、“諦めの大切さ”も仕事の上では飛躍する秘訣なのだ。しかし、朝原はビジネスの世界では生きていない。彼はあくまでも陸上選手で、彼が生きているのはスポーツの世界。スポーツマンは勝つための駆け引きはしても、諦めてはならない。諦めとは、ビジネスでは得策の一つであっても、スポーツでは存在してはならないものなのだ。どんな不利な立場にいたとしても、最後まで戦い抜く。それがスポーツマンの宿命で、それがスポーツという世界を美しく彩るのだ。そして、思わぬどんでん返しが起こるのも、スポーツの世界なのだ。残念ながら、昨夜そんな奇跡は起こらなかった。準決勝敗退が決まった後、インタビューを受ける朝原は、話の途中で声を詰まらせ、「すみません・・・」とうつむいて静かに号泣した。彼が公の場で涙を見せるのは初めと言っていいほど珍しいことだったが、それは同時にとても感動的な光景だった。無言で肩を震わす朝原の姿は、こちらの目頭までもを熱くしてくれた。しかし、もらい泣きしたのは私だけではなかったはず。その涙は、どの金メダル選手が流す涙よりも、日本に住む多くの人々に、一番の感動を与えてくれたのかもしれない。
2007年08月27日
今日は、終戦記念日。この世の中で、この人生において・・・私たちを支配するのは、私たちが屈するのは、“平和”以外の何ものでもあってはならない。“世界が平和でありますように”この祈りを静かなものにしてはいけない。叫び続けましょう、いつまでも。No more Hiroshima.No more Nagasaki.NO MORE WAR.PEACE ON EARTH...AND IN OUR HEARTS!(世界も、心も平和でありますように)オリーブの花(花言葉: 平和)かすみ草(花言葉: 切なる願い)(参照: 花言葉辞典)
2007年08月15日
世界が平和でありますように。武力ではなく、平和がこの世を支配しますように。私たちが“あの日”の悲劇を繰り返えさないように。私たちは“あの日”を忘れません。今日は、この一言に尽きると思います・・・
2007年08月06日
昨夜、某バラエティー番組を見ていたら、有吉弘行が出てた。 このバラエティー番組ってのは、数あるものまね番組の一つで、ものまねキングのコロッケなどと共に、有吉は毎回必ず出演している。彼のレパートリーは、桃井かおり、渡哲也、小林旭、哀川翔など。ハッキリ言って、めちゃ上手い。ものすごく上手い。上手いだけでなく、プレゼンテーションの仕方が非常にユニークで、必ずと言っていいほど、会場を沸かせている。 はい、ここで。「有吉弘行って誰よ?」って頭の中でハテナ印が増殖しつつあるあなたへ。では、記憶を辿っていただきませぅ。 猿岩石ってコンビ、覚えてます?その一人が有吉。そう、“進め!電波少年”で香港からヒッチハイクでイギリスまで行った二人。この番組ではその後、数々のヒッチハイク企画が展開されていったワケだけど、彼らが元祖ってなことで当時、時の人となったよね。確か、歌手デビューも果たし、歌がヒットしてレコード大賞の新人賞も受賞したし。 しかし、それから徐々に低迷し始め、テレビでの露出度も減り、私達の記憶から、猿岩石って名前すら消えて行った・・・んだけど! 「有吉、頑張ってるやん!まだまだイケるやん!」と、昨夜のものまね番組を見ながら思った。 けど、同時に。「相方、どうなったん?」とも。コンビは解散してるんだけど、今どこで何してる?芸能界やめちゃったのかなぁ?ってか、名前なんだったっけ? 私が今、改めて言うまでもないことだけど。人気商売って厳しい。短いひと時、そのたったわずかな瞬間にブームを巻き起こしてもすぐに消えて行く人もいれば、一時は不動の人気者だったのに今ではローカル系の番組か、深夜番組にちょい出しかしなくなった人もいる。 今日、母親が何気なく聞いた。「そう言えば、フォーってどうなったん?」 勿論、彼女はベトナム風うどんの話をしていたのではない。つまり、「フォー!」という雄たけびと強烈な腰の振りで私達を圧倒させたHGのことを言っていたのだ。彼も、最近あまりテレビで見なくなったよなぁ。 じゃあ、「なんでだろ~?」のテツandトモは?「ゲッツ!」のダンディー坂野は?「三瓶です!」の三瓶は? 大爆笑は湧き起こせなかったけど、クスッと小さな笑いを連続させてくれたつぶやきシローは?(←結構好きだった)芸人じゃないけど、一時期テレビに出まくってたボブ・サップは? それと、皆さん。忘れてないよね?最近ピンでの活動が目立ってて、俳優としても活躍してる“ぐっさん”こと山口智充ってDonDokoDonってコンビなんですよ。それじゃ、相方はどうなったのさ?解散してないと思うんだけど・・・ “あの人は今”的な芸人、または有名人。名前を挙げ出すと、キリがない。どうしてるんだろう?どうなっちゃたんだろう?みんな、今どこに?
2007年06月22日
何の変哲もない、平凡な水曜日の午前。そんな今日、母親は街の中心街へ買い物に出かけた。目当てのものを手に入れ、少しぶらぶらしたのだが、「蒸し暑いなぁ、もう家に帰ろう」と思い、駅のほうへと歩いて行った。駅前には数々の店が連なり、その歩道のすぐ外側には客待ちのタクシーが数珠繋ぎに列をなしていた。本来なら、そんな見慣れた光景に目もくれず、そのまま家路へと足を進めるはずだったのだが・・・「コノヤロウ!このクソヤロウ!」女性の金切り声が、母親の耳に飛び込んできたのだった。ふと目を上げると、駅前の店の一つである和菓子屋さんの前で、20代前半ぐらいの女の子が2人、中年の男性が1人がいた。女の子の一人は地面にしゃがみ込んで泣きじゃくっていた。もう一人の女の子は、中年男性の腕を引っ張っていた。叫んでいるのは、この彼女だった。男性は、叫んでいる女の子の手を振りほどこうとしながら、蚊の鳴くような声で、「違う、間違いや・・・」母親は、辺りを見渡した。神戸の中心地の駅前なので、平日の午前とはいえ、通行人はたくさんその場を通っていた。しかし、誰一人と足を止めることはない。時折、ほんの一秒ぐらい視線を投げかける人もいたのだが、結局みんな見て見ぬふり。客待ちのタクシーも、運転手たちは窓の内側からチラッと見るだけで、知らぬが仏のスタンスを決め込んでいた。和菓子屋でさえ、自分の店先で事態が起っているにもかかわらず、戸をピシャッと閉めたまま。「ケンカ?だから皆、無視してるんかなぁ?」母親は、最初そう思ったそうだ。しかし、地面にしゃがみ込んでいる女の子は、肩を震わせ泣いている。もう一人の女の子は、叫びつづけながら、男の腕を離そうとしない。「これ、単なるケンカとちゃうわ・・・」そう思った母親は、叫んでいる女の子のところへ歩み寄り、「どうしたん?何があったん?」と声を掛けた。すると彼女は、「この人、痴漢なんです!」そして、泣いている子を顎で指し、「私の友達を触ったんです!」母親が中年男性のほうを見ると、彼は目を伏せ、ただ「違う、当たっただけや・・・」を繰り返すのみ。彼の腕を掴んでいる女の子は、「そんなワケないやろ!あれが、ただ当たっただけか!?そんなことあるかぃ!」と、まるで肺が破れそうな声を上げていた。その時、ある言葉が母親の脳裏を横切った・・・冤罪つまり、罪のない男性が「痴漢」として警察に突き出され、見に覚えのない罪を着せられる。長い裁判の結果、例え勝利を勝ち取れたとしても、その後の人生に多大な影響が及ぼされる。母親は、思った。「今、自分の目の前で起っていることがこの中年男性をただ陥れるための作戦だったら?」しかし、彼女はすぐにその考えを頭から追いやった。なぜなら、女の子が泣いている。しかも、自分の荷物を地面に放り投げ、そのことすら気づかずに泣きじゃくっているのだ。では、彼女が名演技をしていたら?百歩譲ってそう考えたとしても、中年男性の言動が怪しい。自分にまったく非がなく、潔癖だとしたら?人通りが多い駅前で、そんなイチャモンをつけられたとすれば、誰だって怒り出すのが普通だ。それこそ、「違う!」と大声で反論するだろう。しかし、同じ「違う」という言葉でも、この中年男性の声は非常に弱々しい。それに、どうにかして、その場から逃げようと、体をくねらせていたのだった。その頃、じわじわと、少数ながら母親の後ろに人だかりが出来ていた。ただ、悲しいことに、女性ばかりだった。男性は一人もいない。母親は、振り返り、こう言った。「私、携帯持ってないの。誰か、警察に電話してくれる?」人だかりの中から、一人の女性が「はい」と答えた。母親は再び、中年男性の腕を掴んでいる女の子のほうを見た。勝気な女の子、正義感のある子。自分の友達を守るため、痴漢に立ち向かっている勇気のある子。しかし、その細い腕で、あとどれぐらいその男を押さえられるのか?やはり、力の面では、どうしても男性の助けが必要だ。すると、その時!まるで救世主のように、2つの青い目がこちらを見ていた。男性の誰一人が通り過ぎて行く中で、その外国人は足を止めてくれたのだ。母親は、「プリーズ!プリーズ!」と大声で、彼のほうへ駆け寄った。「プリーズ、ステイ!ポリスマン、カム スーン!」ブロークンな英語だとはいえ、「警察がすぐ来るので、ここにいて!」という彼女の意思は彼に通じた。「オッケー」と答えた彼の腕を引き、母親は押さえ込まれている中年男性のところへ連れて行った。そして、「彼を押さえてください」とジェスチャーで伝えた。体格の良い外国人に肩を押さえられた中年男性は、観念したのだろうかもう何も弁解することなく、逃げることも諦めたようだった。しかし、母親はそれでも安心しなかった。スクーターを押しながら歩いている若い男の子を捕まえ、事情を手短に説明し、その場に居てもらえるよう頼んだ。その男の子は、「いいですよ」と言い、外国人と一緒に痴漢を見張ってくれた。そして、それまで一人で戦い抜いていた女の子に、「もう、手を離してええよ。外人さんと、この男の子が見張っててくれるから」と、告げた。すると、それまで鬼のような形相だった女の子の顔に、わずかだが安堵の笑みが広がったのだった。そうこうしているうちに、ようやく警察が到着。「もう、大丈夫やね・・・」そう思った母親は、静かにその場を去った。*****************************************************************ブログ復帰後、2回目のエントリーにして、こんな長文でごめんなさい。最後まで読んでくださってありがとうございます!もっと軽いタッチで書こうとも思ったのですが、やはりこのような内容をおちゃらけた感じで書くのも気が引けたので、シリアス調にしました。そして、私の思いを一切文章に加えず、母親から聞いた通りに書きました。ここから、私が思うこと・・・この件に関しては、タイトルにもあるように、ただただ自分の母親に「あっぱれ!」と言いたいです。母親は結婚して神戸に来てから○十年にもなりますが、根っからの大阪人魂の持ち主。大阪のおばちゃんは最強です。正義感があって、弱いものいじめが大嫌い。しかし、私は思います。大阪のおばちゃんであっても、そうでなくても。関西人でも、関東人でも。日本人でも、外国人でも。果ては、宇宙人でも。困っている人が目の前にいるなら、助けなければ!「見て見ぬふり」は卑怯です。私は卑怯者にだけはなりたくありません。勿論、“一人”では不安がいっぱい。でも、それなら、母親のようにまず最初に行動を起し、その後援助を求めればいいのです。そう私は信じています。そして、私も、同じような状況に遭遇したら、躊躇なくこのように行動しようと、今日改めて決意しました。
2007年06月13日
昨日は、私の銭湯通いについてのブログだったけど、今日は父親について。何を隠そう、彼も大の銭湯マニアなので。とは言っても、私と比べ、キャリアが全然違う!父親の銭湯LOVEは半世紀以上も続いているのだから!ド田舎育ちの父親は、大家族の長男。家には風呂が無かったのだけど、当時それは当たり前のことだった。よほどの金持ちでなければ、家に風呂場というものは無かったそうだ。ちなみに彼は今年で73歳。「今は、ほんまにええ時代や」と口癖のように言う。ってなワケで、父親の少年時代。銭湯に行けるのは、月に数えるほど。今でこそスーパー銭湯を初め、まるでテーマパークのようなものが次々と出来て来ているが、その時代の銭湯は今とは比べものにならないぐらい質素で、“イモの子を洗う”という表現がピッタリなほどあまり衛生的でなかったし、雰囲気も殺風景だったそうだ。しかし、幼い頃から父親は銭湯に行くことが何よりも楽しみだった。「明日、行くよ」と言われれば、その夜は眠れないほどワクワクしていたらしい。そして、現在。その情熱は、未だ燃え続けている。父親は、金曜日を“銭湯デー”と決め、文字通り1日中そこで過ごす。お弁当まで持って行く気合の入れようだから、見事なものだ。今朝も、母親が握ったオニギリと水筒いっぱいのお茶をリュックに詰め、まるで遠足に行く子供のようにルンルン気分で出かけて行った。父親には行き着けのスーパー銭湯が3軒ある。気分に応じて行き分けているのだけど、今日は自転車を20分ほど走らせた先の海が見える露天風呂付きのところへ。家を出たのが、午前10を少し過ぎた頃。そして、帰宅したのが・・・一体、何時だったと思います!?午後8時前!!!「腹減った~!死にそうや~!」と玄関を開けるや否や、叫ぶ父親。そりゃそうでしょ。オニギリとお茶を持って行ったとは言え、そんなに長時間居ては、お腹が空くの当たり前だわ。ってか、1日中そこで何してんの?本当に、銭湯にずっと居るの?退屈じゃないの?しかし、父親は一度入浴料を払い、銭湯に入ると帰るまで出て来ないらしい。勿論、湯船に浸かりっぱなしではなく、出て休んだり、サウナに入ったりもする。ただし、オニギリを食べるために脱着場の休憩スペースに行く以外は、ずっと浴場内に居るのだとか。退屈するか否かに関しては、「なんで退屈する必要があるねん?」と。露天風呂から海を眺めていると、時間なんてアッと言う間に過ぎるそうだ。本当はオニギリを食べる時間も勿体無いほど、ずっと浴場内に居たいとのこと。銭湯効果のお陰かどうかは定かではないが、70代の父親はとても若々しい。背筋もシャンとしているし、いつも実年齢より10歳は若く見られている。勿論、毎週たくさん汗を流し、体内の老廃物をすべて出し切っているのも大きな理由かもしれない。けれど、私は思う。きっと、少年時代に思い存分味わえなかった楽しみを今、満足が行くまで堪能できているからだろう。銭湯から帰って来た父親の顔は、実に輝いている。「今は、ほんまにええ時代や。」そんな表情を見ると、彼がいつも口癖のように言うこの言葉が何故が胸にジーンと響くのだ。
2007年01月12日
私は、昨夜。久しぶりに素晴らしいボクシングの試合を見た。いや、“見た”のではなく、“見させて頂いた”という表現の方が的確かも。なぜなら、これほどまでに心にグッと迫る負け方は、最近中々目にすることができなったので。挑戦者は、川嶋勝重。元WBC世界Sフライ級王者で、32歳。対戦相手は、現チャンピオンのクリスチャン・ミハレス、25歳。昨年9月、川嶋はメキシコ人のミハレスに負け、ベルトを明け渡すこととなったので、今回が彼にとって王座返り咲きのチャンスだったのだが・・・負けました。最後は、ミハレスの連打を浴び、レフリーが割って入って、TKO。10ラウンド、1分5秒の時点での出来事だった。でもね、天晴れな負け様。これぞ、人として恥ずかしくない負け方だ。川嶋は、1ラウンド目からずっと、攻め続けた。ポイントを取られれば、取り返しに行った。パンチを浴びながらも、彼の目は終始、ミハレスを見据えていたのだった。だから結果は負けたとしても、潔い。なぜなら、彼は決して逃げなかったから。最後の最後まで、それこそレフリーにストップされるまで、戦い続けたから・・・グレーな勝ち方をするぐらいなら、打ちのめされて負けたい。最後まで諦めなかった結果として。そして、瓦礫の下からでも這い上がれるような精神力をつけたい。その間ずっと、笑っていられる余裕も身につけて・・・と言うことで、皆さん。新年明けましておめでとうございます。今年も、たくさん笑ってノリノリで行きましょう!昨年最後のブログで、私は今年のキーワードを“笑”と決定した。ならば、私の今年のモットーは、ズバリ:“負ける時は、潔く。ゴングが鳴るまで、GOOD FIGHTを続けよう!”川嶋は、ジム入門時の1994年は平凡以下の選手で“センス無し”のレッテルを貼られた。だからオーナーもトレーナーも、誰もが「3ヶ月持つか分からない・・・」と、彼に期待していなかったのだ。しかし、努力に努力を重ね、チャンピオンベルトを手にした男。それも、あの徳山を倒して!その彼が、昨年9月にそのベルトを奪われた。ミハレスから。そして、昨夜もまた。ミハレスに敗れた。歩む道が常に平坦で、山もなければ谷もないならば、それに越したことはないと思う。私は強がりなど言わない。だから、そんな道があるならば・・・有無も言わずに、選んじゃうわよ!(笑)でも、人生って。そんな簡単に行かないものなのよね。だから、勝つ時もあれば、負ける時だってある。むしろ、負ける時のほうが勝つ時より多いかも。昨年末、私は“ベストパートナー賞”という大変名誉な賞を頂いた。(ちなみに、受賞者はおそらく数名・・・と書いたけど、私一人でした!)しかし、振り返ってみると、何も順風満帆な一年ではなかった。雨の日もあれば、大嵐の夜もあり、時には波に飲まれそうにもなったのだ。ブツクサと、文句をたくさん言いました。否定的になった時も、投げやりになった時も、ありました。正直言うと。そんな状態の私は、自分に負けていたのだなぁ、と思う。すべては、“勝ち・負け”じゃないってこと、分かってるつもり。でも、同時に。仕事をするってことは、一種の戦いだから。自営業の方は、私の言っている意味よく分かるでしょ?そうならば、やっぱり勝ちたい!でも、どうしても負けてしまう時ってあるのよ。負けを味わなければ、前に進めないって時も。だから・・・もし、負ける時があるのなら、自分にだけは負けたくない。それは、BAD FIGHTだから。もし、今度負けるのなら、戦い抜いて負けたい。GOOD FIGHTを続けた結果、負けたい・・・最後に私の愛読書“三国志”(北方謙三バージョン)から、これもまた私の大好きな曹操孟徳という魏国王の言葉をご紹介しましょう:「私は、負けた。完膚なきまでに、負けた。この姿を見れば、それは分かろう。しかし、私は戦って負けた。そして、諸君は戦わずして負けたのだ。私は、戦わずして負けた諸君に、決別を告げる。」“三国志”、特に北方バージョンをご存知でない方は、何がなんだかパッパラプ~だと思うので、ごめんなさい。分かる人だけ、分かってくださいまし。この新しい年を迎え、私は“戦わずして負けた自分”、つまり“文句を言う自分”、“否定的になる自分”、“投げやりになる自分”に・・・決別を告げます!ところで、32歳の川嶋は、現役続行を決意したそうだ。31歳の私も、今年もまたフリーランス魂で突き進む。ってなワケで、皆さん。今年もこの長文に付き合わされるのかと思うと、背筋に冷たいものを感じる?勿論、付き合ってもらいますので(笑)。何はともあれ、本年も何卒よろしくお願い致します!想像を遥かに超えた素晴らしい一年となりますように・・・じゃなくて、なります!(断言)最後までGOOD FIGHTを続けた川嶋(左)(写真、MSN Sports News より)
2007年01月04日
こんばんは、abimegです。明日は確実に書けないので、これが今年最後のブログとなります。と言うことで、いつものおふざけモードではなく、普通に書きます(笑)。皆さんにとって、2006年はどのような年でしたか?私は、失敗も幾つか体験しましたが、得るものも多かったです。また、“忍耐”の年でもありました。って書いてしまうと、「そんな我慢してたの?」と思われそうなので、先に説明しますね。別に、何かを耐え忍んでいたというワケではないですよ。ただ、“待つ”ことの大切さ、そして“待つ”間に見えてくるものの重要性を学べた一年だったように感じます。これは、せっかちな私にとって、本当に良いレッスンでした。さて、残すところ後1日で、2007年の幕開けです!皆さんは、どのような一年を思い描いていますか?私はきっと、来年も失敗するだろうし、間違うかもしれません。しかし、諦めずに努力していれば、ラッキーがたくさん転げ込んでくると堅く信じています。波に乗っている時に笑えるのは当然のことなので、物事がスムーズに行かない時こそ笑えるようになりたいです。これは、私の来年度の挑戦でもあり、目標ですね。だから、2007年の私のキーワードは、“笑”!たくさん笑っていたいと思います。時には、自分を指差して笑いたいとも・・・では、皆さん!良いお年を。***************************************************今年一年、このブログを読んでくださった方々に、改めて、感謝の意を述べたいと思います。ありがとうございました!そして、来年もよろしくお願い致します。ブログ仲間の皆さん:皆さんとの出会いを来年も大切にして行きたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。ネットの世界とは言え、このように良い関係を築いてこれたのも、そこに友情が在るからだと思います。まさしく、ブログの魔法ですね。これからも、この魔法を大切にして行きましょうね!
2006年12月30日
はじめに本日は、このブログ特有の“長ったらしくて誰も喜ばない前置き”は抜きで、早速本題へ・・・(笑)とんだサプライズ =その1=仕事納めのはずだった今日。期待はもろくも崩れ去り、結局明日までとなりました。はあ~、これも人生。仕方が無い。その後も、鬼のようにDVD観賞をしなきゃいけないし。今日、数えなおしたら、昨日のカウントよりDVD枚数多かった~(涙)。もう悠長に、「気分転換に読書」なんて言ってられない。今回、正月休みなんて、あって無いようなものだわ。とんだサプライズ =その2=昨日、やっとこそ年賀状をすべて書き終えて、投函したと思いきや・・・さっきデスクの引き出しを開けると、ゴソッと!未完成のものが出て来た。それも、結構あるやんかっ!なんでこんなとこに入っとるねん!まあ、これも仕方ないね。気を取り直して、せっせと書きましょう。(私から年賀状を受け取る方々:“2007年元旦”なんて書いてあるけど、確実に元旦には届きませんので!その点、よろしく!)とんだサプライズ =その3=これ、一番驚いた!幸運の女神も、私のことを忘れてなかったみたいよ、マジで。私がフリーランスであり、仕事をゲットするルートが2つあるってご存知よね?つまり、直で企業各社からもらう方法と、エージェント(翻訳・通訳会社)経由で頂く方法ってことなんだけど。今日、エージェントのうち、某一社から連絡があった。この会社とは、ここずっと翻訳の仕事でお世話になっている。でも、今回の用件は、仕事の依頼ではなかった。しかし!聞いて思わず“WOW!”と超アメリカンなリアクションを取ってしまった。なぜなら、ちょこっとアンビリーバボーな話だったから。その会社は年に一度、担当者達がその年に功績を上げた翻訳者を選びその人に“ベストパートナー賞”って名のブラボーな賞を贈るのだが・・・なんと!本年度の受賞者が、私に決まったんだって!(注釈:おそらく、受賞者は数名で、その内の一人が私だと思います)このエージェントに初めて履歴書を送ったのは、2年ほど前の話。しかも、極めて難しいテストを2度も受けさせられて、その上、電話面接などもあった。実は、私。一度この会社のテストを滑ってしまっちゃてるのよね。でも、どう言うワケか、もう一度受けるチャンスを与えてもらったのだ。その理由が思い出せないバチ当たりな私だが。勿論、2度目のチャンスをモノにしたわよぉ~!もしかしてギリギリセーフだったかもしれないけど、合格は合格。でも、それからというもの、なかなか仕事は来なかったのだ。まあ、無理もない。かなりの数の翻訳者を抱えているのだから、定期的に仕事をもらえるのは、その内の数パーセントに過ぎない。しかし、その後。運がようやく私のほうに傾いて来た。その会社から少しずつだが、仕事が入って来るようになったのだ。約2年が経過した今では、2~3日に一度は必ず何らかのやり取りがあるし、いつもとても気を使って頂いて、良い仕事をゲットしてくれる。その上、担当者の方々とも仲良くなれたし、2度ほど訪問もさせてもらった。ってなワケで、今回の受賞に至る。(後日、記念品が郵送されて来るそうなので、楽しみだ!)結論と言う風に、相変わらずドタバタとしているワタクシ。落胆あり~の、興奮あり~の。唯一、“落ち着き”とは無縁のようだけど(笑)。まあ、それが“私らしさ”でしょうか?最後に一言・・・諦めるのって、やっぱり。良くないよね。一度失敗しても、再度トライできるチャンスを与えられたら、それに応じなきゃ。諦めずに。私があの時点で、「テスト、もういいです」と断ってたら、今回の受賞はなかったのだし、何よりも、こんなに親身になって仕事を手配してくれるエージェントと巡り合えなかったのだから。はい。久しぶりだけど、説教臭くなりました。そして、“長ったらしくて誰も喜ばない前置き”を省いても、結局長文になっちゃいました!いや~、これも“私らしさ”と言うことで・・・(笑)
2006年12月28日
一応、明日で仕事納め。でもキーワードは、あくまでも“一応”。というのも年明け早々、某翻訳プロジェクトに取り掛かることになってて、それがかなりビッグなもので、資料としてDVDを先に見なきゃいけない。このDVDってのが、実に十数枚あって、一枚につき1時間ほど。ここでのキーワードは、“1時間ほど”。特に、“ほど”に注目。というのも、“1時間”というのは私の推測で、もしかするとそれ以上かもしれない。でも、“たったの20分”ってのが数枚でもあれば、ラッキーなんだけどなぁ。何はともあれ、単純計算しなくても、どれだけアンビリーバボーなほどにDVDを見まくらなければならないか、伝わりましたでしょうか?気が遠くなるよね、マジで。いくらテレビや映画などの映像系が好きな私でも、こりゃ厳しい。すべてを見終えた後、脳ミソがとろけるチーズになったら、どうしよう?(笑)ってなワケで、この正月休み、DVD観賞のし過ぎで、発狂寸前まで自分を追いやった後、気分転換に読書でもしようと計画中。映像の次は、活字か?そう、活字。本来なら、気分転換に外に出て、散歩でもしたいんだが・・・でも~。外、寒いやん!冷え性な私に対して、今の時期に「外で散歩しろ!」と言うのは、まるで黒木瞳に向かって、「多少は、ブスになってよね!」って言うほど無理な話。うん、だから読書にいそしみたい。丁度、すごく気になっている本があって。ジャンルは、私が大好きなノンフィクションなのだけど。これです:from amazon.co.jp著者の永松真紀さんは、ケニア在住のツアーガイド。そして・・・な、な、なんと!マサイの勇者の第2夫人!首都ナイロビに一人暮らしのためのマンションを持っている彼女は、仕事が忙しい時はそこで暮らし、時間のある際、夫がいるマサイの村に行く・・・そんな生活をしている女性なのだ。私が初めて彼女の存在を知ったのは、あるドキュメンタリー番組を通して。勿論、驚いたのなんのって!そして、「何故?」という疑問が脳裏を埋め尽くした。何故、現代社会の女性が・・・何故、海外で一人でやって行ける独立した女性が・・・何故、そんな人生をあえて選ぶの?画面に映っていた真紀さんは、けっして控えめでもなければ、古風でもない。むしろ、竹を割ったような人で、明るくて、自分の意思表示をきちんとできる女性だった。だから、そんな彼女が、第2夫人の座に納まったことが、私にはショックと言うほど意外だったのだ。しかし、真紀さんは非常に幸せそうだった。第1夫人もとても温かく彼女を迎え、肝心の夫も彼女の“現代人女性”というライフスタイルを理解し、仕事を続けることも応援しているのだ。その番組を見終えた後、何故彼女がこの男性を愛したかの理由を私は少しだけかもしれないが、理解できたと感じた。それは、彼がとても“純粋”な心の持ち主だから。現代の社会において、あれほどピュアな男性って、中々いないと思うんだよね、私は。そんなところに、彼女は深く惹かれたのかもしれない。とにかく、この本を読んで、もっともっと永松真紀さんの生き方、考え方、そして何よりも、マサイの勇者の第2夫人としての生活を知りたいと思う。ところで、女性の皆さん。現代の社会では、あり得ない話だから、想像できっこないと思うけど、皆さんなら、いかが?すごく、すご~く愛した人ならば・・・第2夫人に、なれます?私は・・・無理!絶対に、無理!だって、私だけを見つめてくれなきゃ、困るわ~。そんなことを言う私は、典型的現代人。でも、現代人だからって、何?別に偉いワケでも、何でもないのに。近代的な生活を送っているか否か・・・ただ、それだけなのにね。嫌な返答をしてしまった、とちょっぴり反省。でも、やっぱり・・・無理だわぁ(溜息)。心が広くないな、私って(苦笑)。
2006年12月27日
泉ピン子主演 “新宿の母” 、見ました~!これは、あの有名な占い師・“新宿の母”こと栗原すみ子さんの物語。半世紀に渡って新宿に立ち続け、75歳の今でも伊勢丹近くの定着スポットで、毎日悩める人達にアドバイスをしている。栗原すみ子さんの壮絶な人生は既にワイドショーや各メディアで何度も取り上げられて来たので、私も勿論、彼女のことは知っていた。何故、改めてこのドラマを見ようと思ったのかと言うと、私は何よりもドキュメンタリーや実話に基づく話が大好きだからだ。それと、もう一つ大切な理由が・・・それは、このドラマの撮影ロケの一つが、なんと!ブログ仲間の順子さんのお店の周りや店先などで行われたから!ここで、順子さんに一言:見ました、見ました~!あの“居酒屋順子”って書かれた黄色い看板もちゃ~んと映っていましたよ~!!!WOW~!!!はい、それで肝心のドラマは?と言うと・・・やはり、泉ピン子上手いね~!昭和の女を演じさせると、彼女の右に出る人いないんじゃないの!?どうしてあれほどまでに味のある演技ができるのだろう?素晴らしい~!まあ、泉ピン子の芸達者を改めて語るなんて、今さらジローだ。何もここで私が云々言わなくても、皆さんよくご存知でしょ?では、このドラマを見て私が感心したもう一つのこと。それについて、お話しましょう。このドラマには、息子役としてビビる大木が共演しており、また、お笑いコンビ“北陽”の虻川美穂子も脇役として出ていた。まず、ビビる大木の演技力に驚いた。すっごく眼差しが真剣で、台詞回しも上手いんだから!失礼だけど、今まで私、この人のこと「もう一つ・・・」なんて思ってたんだけど。上手いよ~、すごいよ~、ワンダフォ~!そして、虻川美穂子!私がこの人を初めて見たのは、“金持ちA様×貧乏B様”の再現VTRのコーナー。彼女の芸、あまりにも女を捨てていたので、笑うどころか、反対に「可哀想」とさえ感じてしまったのだ。それからも、他のバラエティー番組で何度か虻川美穂子を見てきたけど、いつも顔をひん曲げて、すごい格好をしながらコントに出てる彼女が気の毒で、気の毒で・・・「いくら芸人とは言え、女としてツライでしょ?」な~んて!勝手だし、すごく失礼なのだけど、心配さえしていたのだった。これまで、ドラマ出演の経験もある虻川美穂子。だけど、私としては、コントじゃなくて真面目な演技をする彼女を拝見するのは、今夜が初めてだったのだ。目からウロコって、こう言うこと!?いや~、ビックリしたよ!だって、画面に映っている彼女が一人前の女優に見えたのだ!役にのめり込んでいたというか、その人物に成り切っていたのだから。彼女が涙を流すシーンが幾つかあったのだけど、気がつくと私も・・・ず~っと、涙腺が緩みっぱなしだった。そう言えば・・・欧米では、演技派俳優とされる人達の中で、「コメディー出身です」とか、「昔は、スタンダップ・コメディアンでした」って人が多い。最近では、映画“レイ”でアカデミー賞に輝いたジェイミー・フォックスがそう。私がアメリカに居た頃、あの人はまだ俳優でもなかったし、TVのコメディー番組で、コントなどに出ていた一コメディアンに過ぎなかった。でも、今では数々のヒット作の主演級にまで昇りつめだのだ。“コラテラル”では、トム・クルーズと互角だったし。日本でも、お笑い出身の演技派はたくさん居る。植木等や、伊東四郎など。勿論、ビートたけしも忘れてはならない。若手で言えば、DonDokoDonの山口智充もいい線行ってるし。(ちなみに、相方の顔も名前も思い出せないんだけど、元気にしてるの?・・・笑)ってなワケで・・・移り変わりの早い芸能界。お笑いの世界なんて、もっと厳しいと思う。だが、このような芸人達なら、“これから”に期待できるかも。分かりませんよ~。10年後?もしくは、20年後?ビビる大木や虻川美穂子が、“名優”と称される日が来るかもしれない!?
2006年12月22日
今、とっても・・・優しい気持ちに包まれている。私は先ほど、“Dr.コトー診療所2006”の最終回を見終えた。言葉に・・・なりません。残念ながら、今の私のボキャブラリーや表現力では、この3ヶ月間続けて感じてきた感動を活字にするなんて到底・・・できっこない。だから、しない。その代わり、印象深い数々の名台詞を生んだこのドラマから、今夜私の心にジーンと来たものを紹介します:あなたのような生き方を医者なら一度はやってみたい。でも、なかなか実行には移せない。“医者”のところを、自分の職業に置き換えてください。仕事をしていないなら、“主婦”でも構わない。“学生”でも、“フリーター”でも。もしくは、“男”や“女”でも。コトー先生は“患者は家族”という信念を抱いているからこそ、普通の医者以上に悩み、苦しみ、涙する。もっと淡々と仕事をこなしたほうが、きっと楽だったろうに。しかし、彼はその選択肢を選ばなかった。だからこそ“感情”という時として自分の心に刃を向けてくる生き物と常に対峙しなければならない人生となってしまったのだけど・・・だけど、彼は。たとえ明日死んだとしても、自分の人生に悔いはないでしょう。きっと笑顔であの世へ旅立てるのかも。それが“なかなか実行に移せない”が、“一度はやってみたい”生き方なのかもしれない。私は、そんな人生を生きているだろうか?最近、自分の仕事について考えることが多くなった。そりゃ、夢にまで見たフリーランスという生活を3年も続けて来れたのは、私にとって最高の幸せと幸運なのだけど。フリーランスになった当初、私には“志”というものがあった。お金も、実績も、それこそ笑えるほど何にもなかったけど、“やってみたい生き方”を地で行っていた。しかし、今。忙しさに飲み込まれそうになった時、ふと、その“志”を思い起こそうとしても・・・思い出せないのだ。私の“やってみたい生き方”って、何だったのだろう?3年前は、澄んだ湖のようにクリアだった将来の展望が、少し見えにくくなってしまった私。そんな現状の中で、コトー先生の生き方に深く感銘を受けてしまったのかもしれない。今の私にとって、なんてタイムリーなドラマだったのだろう!私も・・・お粗末ながらも、「そんな風に生きてみたい。」将来への目標を改め、そう深く感じてしまった夜だった。********************************************************************読み返してみると、ど偉くシリアスですなぁ!基本的にふざけた人間の私が、こんなに真剣に書いたなんて、このブログ始まって以来、初めてかも!?でも、心配しないでくださいね。私は今、幸せですよ!ただ、忙しさに負けてしまいそうになると、誰だって先が見えなくなりますよね。それです、それ!!!でも、諦めへんで!これからも、頑張ろう!皆さんも、頑張ろう!オウ!("O")/~
2006年12月21日
私が近頃、この話題に触れていないので、「もう飽きたのでは?」とか、「熱が冷めたんじゃない?」と思っている方々。ご心配ナッシング!飽きるワケないじゃない~!冷めるワケありまへんでぇ~!勿論、Dr.コトー愛は、いまだに健在です!!!ただ、最近木曜にブログを書いてなかったので、この話題から遠ざかってたってことだけ。何はともあれ・・・実は先週木曜、ある事件が起こりまして。客観的に見れば、「仕方がない」で済まされることかもしれないけど、私にとっては「世界がひっくり返るほどの一大事」だった。ある方々との飲み会が先週木曜にあって、快く「参加します」と返事したものの、すぐに「あ、Dr.コトーの放送日やん!」と思い出した。が、しかし。この世の中にはビデオという非常に便利なものがあり、それを使って、録画というワンダフォーなことができる。だから私も例外なく、その手段に踏み切ることにした。カセットをデッキに入れ、予約内容をすべてセットし、私は飲み会に出かけた。楽しみ過ぎるぐらい楽しんで、帰宅。その夜は、そのまま風呂に入り、バタンキュー。そして、翌日。昼休みに「見よう!」と思い、ビデオを再生するが・・・コマーシャルが2~3本流れた後、何故かダウンタウンDXが始まってた。いつまで経っても、吉岡秀隆の顔や、ドラマの舞台である志木那島の風景が映らない。はい、ここで。もう、お気づき?私が何をやらかしてしまったかを?チャンネル、間違ってたんよぉ~!(涙)関西では8がフジテレビなんだけど、どうやら10(日テレ)に録画予約を入れてたみたい。すごく・・・SHOCK!!!1週間ぐらいかなり凹んでました、はい。ってなワケで、今夜!文字通り、待ちに待ったDr.コトーを堪能したわぃ!2週間ぶりということもあり、2週間分の感動を感じ、2週間分の涙を流すかと思いきや・・・今日はね、泣きませんでした、ワタクシ。というのも、人って深く、深~く胸を打たれると、不思議と目が乾いたままになっちゃうのよね。その代わり、心臓の奥底に川が流れるような感覚にとらわれ、その川が実は温泉で、すごくじんわりと温かくて。その温かい水が体中すべての血管を通って流れて行く。つまり、体がポカポカとする。手の先、足の先までも。フリースも、ホッカイロも必要なし。腹巻さえも。冬場の冷えには是非、Dr.コトーをどうぞ!さて、このドラマは大変人気が高く、シリーズ化されており、スペシャル版などを含めると、今回の放送は(おそらく)TVで3~4度目?ちょっとそこらへんは定かではないが。毎回、人間関係、人との交流、Dr.コトー自身の医者としての葛藤などが描かれているのだが、今回は“乳がん”というテーマも扱っている。Dr.コトーが島に来てからずっと彼の傍で助手的役割を果たしていた星野彩佳という看護師がいるんだけど、2人の間にはいつしか淡い恋心が芽生えていた。両思いなんだけど、照れくさくて言えない・・・みたいな。そんな矢先、彼女がこの病魔に侵されてしまったのだ。その経緯などは、ここでは説明しません。いえ、話したくないとかではない。Dr.コトーのことなら、1週間徹夜で語れる自信アリアリよ!だけど、ただでさえ、現時点でこんなに長文になってしまってるし、おそらく「もう、付き合いきれない!」と、読み手の方の6割ほどは、ここらで脱落している頃だと思うから。(笑)とにかく、今夜の回で。Dr.コトーは、島を離れ東京で一人で治療を続ける彩佳の元へ。実は彼女のオペ、成功したとしても後遺症が残る可能性があるのだ。もし、後遺症が残ったら?彼女は“生きがい”であるナースの仕事を続けられない。しかも、再発の可能性や生存率などの不安も絡んできて、彼女は自分自身を見失いそうになっていた。そんな彼女に、Dr.コトーはこう告げる:「彩佳さんは、死にません。もし良くならなかったとしても、僕が何度でも治します。僕は、ずっとあなたの傍にいます。僕に、オペをさせてください。」ここで、私の心臓のど真ん中から、ドバ~ッと温泉が噴き出した。こんなに誠意のある言葉、聞いたことありますか?こんなに気持ちを楽にしてくれる言葉、耳にしたことありますか?これぞ、優しさの本質なのではないだろうか?医者は決して、「絶対に○○」などと断言してはいけないのだけど、Dr.コトーは本気で彼女の病気を治そうと決心しているし、命を賭けても責任を取ろうとしている。彼は、真剣そのものなのだ。でなければ、医者である彼がこんな発言をするワケがない。それが彼の誠意であり、医者として、一人の男性として愛する彼女の命を与ろうとしているのだ。来週は、最終回。これまで一度もこのドラマを見たことがない方も、是非見てくださいませ。基本的に一話完結型だから、すんなりとストーリーに入っていけます。ということで、私は・・・来週木曜、一歩も家を出ないぞ~!絶対に私をどこかに誘うなよ~!行かないから~!!!今度ミスったとしたら、多分1年ぐらいは凹むよ、きっと。(笑)
2006年12月14日
この間の忘年会の夜は、非常に寒かった。あろうことか私は、会場への地図を家に忘れ、道に迷ってしまった。(結果的には、幹事にTELして、場所を教えてもらったのだけどね)そして、その日以来。両頬が、とてもかゆくなり、日に日に皮膚が分厚くなって行ったのだ!「なんじゃぁ、こりゃ~!?」(はい、ジーパン刑事風に読んでください・・・笑)自分で言うのも何だけど・・・決して自慢じゃないけど・・・の大前提で聞いてくだされ。私、肌のキメは細かいほうだと思うのね。しかも、色も白いほうだし。が、しかし。あの日以来、私の肌は非常に汚なくなった。依然とかゆみも引かないし。両頬は、赤黒いままだし。ザラザラしてるし。ファンデーションでも、ごまかせないし。ということで、皮膚科に行くと予想外の診察結果が・・・!先生: 「シモヤケですね。ほっぺに、シモヤケが出来ています。」私: 「なぬ!?」先生: 「あなたの皮膚は薄いし、敏感だから、こんなことになるんですよ。」で、でも。先生!手足なら分かるけど、顔だよ。顔にシモヤケかぃ!そんなことって、あり得るの?31年間生きて来て、初めて知った事実。とにかく、病院でもらった薬を飲んだり、軟膏を塗ったりしたが、おさまったのは、かゆみだけ。悲しいほどに、お肌は薄汚いままだった。すると、母親がこう言った:「あんたの体に、毒がたまってるんとちゃう?」ふむふむ・・・そうかもしれない。夏とは違い、冬場って汗をかく機会がゼロだから、老廃物を押し出せば、肌の回復も早くなるかもしれない。そうか!答えは・・・デト~ックス!!!岩盤浴、ゲルマニウム温浴などが今、最もポピュラーな方法。勿論、エステも忘れてはいけない。が、しかし。私は、それらの“今をときめく”メソッドを利用せずに、昔から変わらない、つまり日本の古き良き慣習に従うことにした。つまり・・・お風呂やさんへGO!自宅から車で10分ほどの距離にあるその銭湯は、新しくて、スパと言っても良いほど設備が充実していた。普通のお風呂、電気風呂、ゲルマニウム風呂の内湯が3種類。外湯には、ジェットバスと天然温泉も!しかも、サウナ、ミスト・サウナ、塩サウナまであるのに、入浴料がオンリー700円なり!(ちなみに、駐車代は2時間半以内なら、無料!)安いでしょ?2~30分MAXで約2000円のゲルマニウム温浴や岩盤浴と比べると、すごく得した気分だ。2時間も、入っていたんだから!(笑)サウナが特に、気に入った。どうしようもない冷え性の私には、あれが一番効果的だ。入って5分で、信じられないほどの汗!「こんなに水分が溜まっていたの!?」と自分で驚くほどに!で、効果は?お肌、ツルツルよ!これ、かなり感動した!!!おまけに、いつまでたっても、お腹の底からじんわりと体中に暖かさが伝わって行くの!美肌効果に加え、冷え性の対策にもなるのよねぇ!これから、週一の銭湯通いを習慣にしちゃおうかしら?巷では、いろんなデトックス法があるけれど、流行り廃りなどをモノともしない“銭湯”がやっぱり一番だね!デトックス、大成功!・・・と、ここまで書いて、ふと考えた。ブログ仲間のcotti-mifaさんは、白雪姫かも。だって、毎日銭湯に通っているんだから。相当な美肌の持ち主なんだろうなぁ!OH YEAH!!!*****************************************************cotti-mifaさん、勝手に名前載せちゃいました~!ありがとうございます!!!(ペコリ!)
2006年12月11日
明日から、12月。一年が過ぎるのって、早いものだ。改めて、そう思う。ちょうどこの時期になると、ある方からポインセチアを頂く。毎年かかさず持って来てくれるのだ。今年も例外ではなく、本日わざわざ届けてくれた。この写真・・・背景を少し加工したので(というか、色を付けただけなんだけど)、まるでピンクのパウダースノーの中で咲いているみたい。キレイだ。そして、幻想的。もし、ピンク色した雪が降ったら・・・どうだろう?みんな、どのように反応し、何を想像するのだろう?私は、きっと。「ポインセチアの赤色が、染み出た~!雪に混じった~!」と思い、「だから雪がピンクなんだぁ~!」と(勝手に)解釈するかも。(あの~、abimegさん。単純過ぎます。もう少し、想像力を働かせましょう!・・・笑)これは自分で加工した写真なのだけど、そのような何気ないものを見て、いろんなことを考えるのも楽しい。な~んて、感じた今日は、11月最後の日。後1ヶ月で、新しい年を迎える。でも、その前に。忘れてはいけない!クリスマスが来るんだから!ということで・・・花屋の店先でも、誰かの庭でも。写真でも。どこでも、何でもいいので。この植物をもし、見かけたら・・・足を止めて、愛でませんか?25日後に迫っているお目出度い日を楽しみにしつつ。ポインセチアの赤と緑は、クリスマス・カラーなのだから!(クリスマスへのcountdown、開始!)**************************************先日の「人間なんて、ラララ~」ですが、ちょいとGoogleサーチをしました。あの歌を最初に歌った人は吉田拓郎です。勿論、作曲も彼。ちなみに、どうでもよいことだけど、「ラララ~ 」じゃなくて、「ららら~」。つまり、NOT カタカナ。 正解は、ひらがな。それ以上は・・・ちょっと、途中でギブアップしちゃいました!
2006年11月30日
リース・ウィザースプーンは、ハリウッド・スター。超キュートで、才能豊か。今、売れに売れている注目株。日本ではまだ知名度が高くないかな?「ウォーク・ザ・ライン/君に続く道」で第78回アカデミー賞の最優秀女優賞に輝いたのだけど。(こんな人です→ここをクリック)そのリース・ウィザースプーンが先日、同じ俳優で夫のライアン・フィリップとの破局を発表した。離婚原因は、「和解しがたい不和」。まあ、みんなそう言うよね。芸能人は。本当の理由はともかくとして・・・私ね、決して人の不幸を楽しむタイプじゃないんだけどこの二人、いつか別れると思ってたのよ。とても可愛いカップルだったから、できればいつまでも幸せでいて欲しかった。アカデミー賞受賞スピーチで、リースは夫ライアンに熱いメッセージを送っていたのがつい最近の話なのに。とにかく、何故二人が別れるだろうと推測していたワケは、すばり!リースのほうが俳優として、ライアンと比べられないほど成功しているから。このような話、別に彼らに限ることではない。ハリウッドではよくあることだ。(ハリウッドでなくても、あるけど)つまり、奥さんの方がダンナより出世したら、関係がダメになるのかな?特に、お互いが同じ世界で働いているのなら、なおさら?(ここで、一言:それが直接的な原因だとは、思ってません。しかし、少なくとも引き金となっているのでは?と思うだけ。)さて、リースはライアンとすんなり離婚にならない様子。なぜなら、結婚する際にプレナップを交わしていなかったから。アメリカの弁護士なら、この事実を争点にしないワケないからね。さて、プレナップとは?これは、英語で prenuptial agreement というものだけどつまり“夫婦の財産に関する婚前契約書”のこと。リースの現在の財産が、推定1億1000万ドル(約129億円)だからライアンにはその半分を得る権利があるのだ。ということで、弁護士同士かなり揉めそう。新聞とかに取り上げられるんだろうね、しつこく。ただでさえ精神的にツライ時期に、嫌だろうな。二人とも。ところで、このプレナップについて。私がこの表現を初めて耳にしたのはかなり前だったけど、その時すごく違和感を感じてしまったことを覚えている。だってさ。「結婚しよう!」と人生でおそらく最高にハイテンションの時に、そんな契約書交わせます?それか、「やっと見つけた、人生のパートナー!」と喜び勇んでいる最中、相手に「この契約書にさ、サインしよう」なんて言われたらシュンとなっちゃうかもしれんと思うのは、私だけ?確かに、人生において冷静さと先見の目は必要不可欠。だから、あまり感情だけで動く人間みたいな発言は避けたいけど。プレナップね・・・これがあったために、「お~っ!セーフ!」って人もいるんだろうね。だけど、“嬉しい大前提”ではなく、“悲しい大前提”だなぁ。私は、やっぱり嫌だ。上手く説明できないけど、どうしても違和感を感じる。と同時に、ふと思った。私には今、夫がいない。それに、結婚したとしても、推定1億1000万ドルの財産なんて・・・あるワケないやん!何を「ああだ、こうだ」と考えているんだろう?(笑)
2006年11月14日
先週金曜の話。夕方までにマッハGO!GO!のスピードで仕事を済ませ、(やれば、できたわ!)"神戸京町総合法務事務所"の事務所開きへ。この事務所のメンバーは、以下の行政書士の先生方4名と補助者1名:まずは、国際派行政書士であり、中国関係のエキスパートクラークリー先生。この人は、つい最近まで、私の仕事場の近くで事務所を構えていた“元”ご近所さん。たまにお仕事(翻訳)のご依頼を頂いたりもしているし、私に「楽天でブログしたら?」と勧めてくださったのもこの方です。次に、離婚専門行政書士のエノモト先生。1年ちょい前かな?クラークリーさんの紹介で出会ったんだけど、初っ端から意気投合。ものの数分で大の仲良し状態になれた私達。紹介したクラークリー先生もビックリしてたけど、こんなすぐに気が合うなんて、私達自身もぶったまげたよ!とにかく、エノモト先生はとてもパワフルで、独自の感性を持ってるにも関わらず、時折見せる女性らしさに、同性の私も・・・惚れます(笑)。そして、hassy先生。知り合いになれたのは、エノモト先生によって。hassy先生は、エノモト先生の仕事上のパートナーだからね。一見、穏やかそうにみえるけど(実際、穏やかな方なのだが・・・)、眼差しがとても鋭い。目の奥がキラリ~ンと知的に光ってる人です。決して、あなどれない(いや、あなどるつもり、ございませんので・・・笑)。(以上3名は、このブログのBOOKMARKSでも紹介してます)最後に、K先生。この方は、事務所開きの当日にお会いしたので、あまり良く分からないけど、とてもオシャレな方でしたなぁ。スーツのセンス最高!お、それと。補助者の方は、中国人留学生で、現在神戸大学の院生。学業の傍ら、クラークリー先生の仕事を手伝っている。すごく優秀なんだろうね。神戸大学だし、それも院だし。しかも、国際弁護士を目指しているらしい(ついてけない世界だぁ~!)。ということで、人と人との繋がり。いわゆる“仕事関係の輪”ってのを感じません?何はともあれ・・・この事務所開きが始まったのは、金曜の午後5時より。仕事の合間を縫って駆けつけた人も多々いたので、人がひっきりなしに出たり入ったりしていた。そして、この会が終了したのは、日付が変わってから。私は勿論、最後まで居たよ~(笑)。神戸の一等地とも言える場所に位置したビル。館内は静かで、とても上品な色合いやデザインで統一されている。事務所そのものも、広々してて、明るくて、インテリアもナイスで・・・私も、こんなところで働きた~い!!!と、思わせてくれるようなところでした。先生方の皆様、ご招待頂きありがとサンクス。メルシー、グラシアス!これからも、頑張ってくださいね!!! エレベーターホール 事務所の入り口飲み物&食べ物、たっくさ~ん!
2006年11月13日
まったく個人的な気持ちで申し訳ないし、偏見かもしれないけど、私は実習生に接客をしてもらうことが、とても嫌。特に、化粧品カウンターでは、なおさらそうだ。なぜなら、メイクは私の人生の中で最高の趣味だから。メイクに対する興味は、尽きることはないと言い切れる。だから、カウンターに行く場合、ただ商品を買うってことは殆どない。色の組み合わせやメイクのテクニックに始まり、果てはスキンケアのイロハを事細かく聞く。そして、家に帰ってから、それを実践してみる。これは、私にとってかけがいのない楽しみであり、ストレス解消の良き方法なのだ。だから、私はベテランがいい。ベテランに接客してもらいたいのだ。なのに・・・本日、行きつけの化粧品カウンターに行くと、あろうことか、「お伺いしま~す!」と近寄ってきたのは、制服の胸元にド~ンと目立つバッジを付けた販売員。そのバッジに刻まれた3文字を読むと、ため息が私の口から漏れた。“実・習・生”ツイてないな、今日。笑顔は素敵だし。お化粧も、まあ綺麗にしているけどさぁ。ほんと、あなたで大丈夫?いかにも、「入社したてです!」って感じなのだけど。こちらが不安になるほど頼りない雰囲気をぷんぷんと漂わしていた。彼女がもし香水なら、その名前は間違いなく“ニューフェイス No.5”だろう。もしくは、“マドモアゼル・フレッシュマン”か?案の上、実習生は、何の頼りにもならなかった。今日はファンデーションとともに、ポイントメイクリムーバーも買うつもりで、「このリムーバーに、アルコール入っていますか?」と聞いたら、「確認します」と言い、戻って来ない。待つこと、数分。いや、ねぇ。たかが数分とおっしゃいますが。何もせずカウンターにじっと座ってりゃ、数分だって結構疲れる。実習生がやっと戻って来たのはいいけれど、彼女の口から出た言葉に唖然とした:「今、電話で確認中です。コールバックお願いしていますので、少しお待ち下さい。」電話って。一体、どこにかけたのさ?まさか、本社にかけたんじゃないでしょうね?しかし今日は、実習生のラッキーな日。なぜなら、私の機嫌がSUPER GOOD だったから。 私は、そのポイントメイクリムーバーのボトルを裏返し、「ここ、読んでみますね」と言い、成分説明の箇所を指差した。「あ~、はいはい。これは、アルコール入ってない商品だわ」と説明すると、「へぇ~、そうですか。勉強になりました」だとさ。一体、どっちが客なのか。どっちが販売員なのか。よう分からん。欲しい商品を選び、代金を渡すと、実習生はお金を握りしめたまま、「あの~、さっきから思ってたのですが・・・」と切り出した。何?と思いきや・・・「言うか、言うまいか迷ってたんですけど。お客様って、私の先生にそっくりなんです!」先生?って、誰よ?まさか、小学校の時の先生とか、大学時代の教授とか。そんなの、無しだからね。第一、あなた!そんなに私と年変わらないでしょ~に!が、今日の私は気分がSUPER NICE。ということで、「へぇ~!先生って、何の先生かなぁ~?」とまるで幼稚園児に対してものを言うみたいに返事した。実習生いわく、メイクの学校に通ってた頃、私ととても似た先生がいたそうだ。「その先生って、幾つぐらいの方?」と、考える間もなく、そんな言葉が口から出てしまった。「分かりません。でも、そんなに大人ってワケじゃないので・・・」と、実習生。彼女なりに一生懸命フォローしてたところが、笑えた。いかにも、新人だけど。いかにも、まだまだ勉強が足りてないけど。この実習生、悪くないかも。ぎこちなさはあるものの、どこか素朴で正直な感じがした。あのフォローでさえ、バレバレ過ぎて可笑しかったし。ベテランなら、そりゃたくさんの美容情報を教えてもらえる。しかし同時に、お世辞のてんこもりを振舞われるのがしんどくなることもある。結局、どっちが他方より勝るなんて、決められない。だから・・・時々なら、実習生でも良いかも。私の中でそのような考えが新たに芽生えたのだ。商品を買い、帰ろうとした時、電話が鳴った。どうやら、「アルコールが入っているか、否か」の返事らしい。「どうします?」と、実習生。その目は、笑っていた。私も笑い出してしまったが、「とりあえず、聞きましょう」と答え、再びカウンターに戻ったのだった。
2006年11月01日
友人からの質問: 「カフェオーレと、カフェラッテの違いって何?」私の答えは次の通り。「カフェオーレはフランス語、カフェラッテはイタリア語。」“カフェ”はどちらの原語でも、“コーヒー”という意味。“牛乳”は、フランス語で “レ(lait)”。イタリア語では、“ラッテ(latte)”。だから、カフェオーレであろうが、カフェラッテであろうが。どちらとも、コーヒー牛乳ってことね!勿論、私はブラック派・・・ということで、森永の“カフェラッテ”に話をシフトしましょう。あれ、結構イケるよねぇ~。美味しいよねぇ~。ブラック派で、しかもホットしか飲まない私でも、これなら何故か大丈夫。勿論、買う時はノンシュガーのやつを買ってるんだけど。さて、この商品CMは、かねてからハリウッドの女優達を起用して来た。初代は確か、ジョディー・フォスターだっけ?(間違ってたら、ごめんなさい!)そういや、一時期ナタリー・ポートマンも出てたよね。で、今。最新CMに登場するのは、スカーレット・ヨハンソン。彼女、まだ日本でそれほど馴染みがないかもしれないけど。地元アメリカでは、かなりの人気を博している。2003年の“ロスト・イン・トランスレーション”など、批評価値の高い作品にも恵まれていて、現在公開中の“ブラックダリア”にも出ている女優さんなのだ。(この人です↓)アメリカ版Yahoo!のMovies Pageよりアメリカでは現在、スカーレット・ヨハンソン=セクシー。セクシー=スカーレット・ヨハンソン。というふうに、色っぽさを語るには、彼女は外せない存在となっている。現に、米男性誌“エスクワイア・マガジン”の読者アンケートでも、最もセクシーな女性第1位に選ばれている。欧米では昔から、「色っぽさというのは、年を重ねることにより現れるもの」とされている。だから10代や20代など、まだお子ちゃまなのだ。フランス人なんかは、「40歳を過ぎた女性がセクシー」だと言っているし、「それ以下はまだ少女」って断言しているほど。が、しかし!スカーレットは若干21歳!かつてはマリリン・モンローのためにあった“セクシー”という形容詞をこの若さですでに欲しいままにしているから、ビックリだ。ある意味、欧米の常識的考えを根本から覆したのかもしれない。さて、彼女のどこが一体そんなに色っぽいとされているのか?それは、“女性らしい曲線美”だそうだ。つまり、体が綺麗なカーブを描いているってこと。豊かなバスト、くびれた腰、丸くて適度に大きいヒップ。そして、長くて形の良い脚や、赤い口紅が似合うぽってりとした唇。それらすべての要素が彼女を21世紀のセックスシンボルに作り上げたのだ。そして何よりも、最大のポイントはここ: スカーレットは、痩せていない!太り過ぎだというワケじゃないけど、ガリガリとは程遠い。つまり、あるべきところに、脂肪がちゃんと付いている。それは胸だけでなく、フトモモや腕にさえも丁度良い具合にお肉が乗っかっているのだ。スーパーモデルの世界だけでなく、メディアに登場する有名人の女性は皆、痩せていることが大前提であり、当たり前の世の中なのに。しかも、その考えが私たちの生活にも深く浸透し、「痩せなきゃ、綺麗じゃない!」って間違った固定観念すら植え付けられているのに。しかし、スカーレットは、ダイエットには興味がないらしい。しかも、大好物はチーズだそうだ。そして何よりも、メディアが推奨するイメージによって、摂食障害も起こし得る不健康なダイエットに女性が身を投じることをとても嫌がっているのだとか。彼女は以前、インタビューでこのように語っている:「背が高く、ほっそりした体型にはなれないと思うわ。でも、自分の体を気に入っているの。」ふ~ん、そうか。つまり、“自分らしさ”を大切にすることが一番ってワケだ!彼女の登場が、間違いだらけの体型美論に一石を投じてくれることに期待しよう!ところで、“セクシー”という表現について。日本ではそれほどでもないのだけど、アメリカでは最高のほめ言葉の一つなのだ。男女を問わず、誰に対しても。しかも、日常会話で頻繁に使われている。“かわいい”とか、“綺麗”と言われるより、“セクシー”と言われたほうが喜ぶ人も多し。だから、もし。皆さんがアメリカ人に「あなたってセクシーね!」と言われたら、頬を赤らめたり、恥ずかしがらないでね。相手が異性でも、「なんだ、コイツ?私を狙ってる?」なんて勘違いもしないでくだされ。むしろ、「あら~、サンキュー!嬉しいわ!」ってな感じで、快く受け取ってくださいな!なぜなら、変な下心はそこに存在しないのだから。それに、相手は素直にあなたの良いところを褒めてくれているのだから。(“一般的には”という大前提で。確かに、中には変なヤツもいるかもしれんので)ちなみに、私がアメリカにいた頃。“痩せすぎ”のレッテルを貼られてしまった私は、一度も言ってもらえなかった。「少年みたいな体型」とは言われたけど・・・(とほほ~!)「あんたらが、デカ過ぎるだけやん!」と心の中で叫んでたよ。まったく、もう!
2006年10月27日
グスン・・・(涙)木曜の夜は、これからしばらく、“優しい雨”が降ることになるでしょう。あっ、いや。これ、皆さんの街の天気予報じゃないから。つまり、私の“心の天気予報”です。だって、Dr.コトー。今夜も泣かせてくれたんだもの!しつこい?うん、確かに。百も承知。だから、言わんで結構、ツッコミ無用。はぁ~、でも・・・第3話も、ええ話やったわぁ~!ということで、最近。とても頻繁に考えてしまうことがあって。別に大したことじゃないし、その気になれば誰にだってできることなんだけど・・・南の島へ、行きたい!いや、移住とかそんな大げさなことじゃなくて。“プチ体験”だけで、いいからさぁ。ちょっとした旅行でもいいので。とにかく、行ってみたい~!!!これ、私のことをよく知ってる人が読むと、ビックリ仰天する発言。だって、私が世界で一番嫌いなものは、日差し。別にバンパイヤじゃないから、その点はご理解を。日差しが嫌いって言うか、つまり怖いのだ。肌が非常に敏感な私は、日に長い間あたると炎症を起こしてしまう。高校の卒業旅行先がサイパンだったのだけど、本当に大変な思いをした。肌が赤を通りこして、紫色になったんだもの。小さな水泡までも出来る始末。3泊ぐらいの滞在だったんだけど、帰って来た時には、顔がパンパンに腫れ上がってて、目も半分しか開かない状態。空港から即、病院行きよ。あの体験、思い出すだけでも、痛い~っ!あれから何度か「沖縄へ行こう!」とか、「ハワイへ行こう!」とか友達に誘われたけど、全部断ってきた。一度だって、再チャレンジはしていない。だって、それ以来、お日様はトラウマなんだもの。今の季節は特に問題ないんだけど、一番気を使わなくてはならないのは夏場。日傘は必需品。外出は極力、日が沈んでからにしている。あ~、やっぱり私って、バンパイヤなのかも~(笑)。ってなワケで、南の島なんてまったく興味の対象外に。それに私って、静かなところより、賑やかなところが好みなのね。だから、澄み切った空と青い海に癒されるよりは、東京やニューヨークのような大都会で刺激を受けるほうが断然、生きているって感じがしてた。勿論、都会好きは今でも変わらない。根っからのアーバンガールなので、ワタクシ(笑)。が、しかし。同時に・・・近頃、何故か南の島にも惹かれるようになった。それも、海外のトロピカルアイランドではなく、日本の最南端にある孤島とかに。勿論、ご察しの通り、Dr.コトーに影響されまくってるよ。今現在、あのドラマが私の頭の中の大半を占めているんだから(笑)。とにかく・・・いつも“動”であり続けた私。これからも、そうだと思う。だって、性格なんてきっと一生直らないし。そもそも、自分の行動力は結構気に入ってるんだし。今まで、“立ち止まる”ってことを極力避けて来たんだけど。でもね、ふと最近思うようになった。“静”って“立ち止まる”ことかもしれないけど、そんなに悪いことでもないんじゃないかと。動きがなくても、ただジッとしているようでも。これまで見えてなかったものを、気づいていなかったものを見つけることができるんじゃないか?そう思い始めてからと言うもの、“静”の魅力を徐々に感じるようになったのだ。沖縄にすら行ったことないんだけど。でも、もっとローカルな島へ行きたい。例えば石垣島とか、波照間島とかでも良い。ドラマ版Dr.コトーのロケ地・与那国島なら、なお幸い!海を眺めたいんですわ、風を肌で感じたいんですわ。美味しい空気をたくさん吸いたいんですわ。ただひたすらボ~ッとしていたいんですわ。そして、何よりも。ちょっくら、“立ち止まって”みたいんですわ。一体何故だろう?ドラマの影響が一番大きいとは言え、それだけでないような気もするんだけど。何はともあれ・・・こんなに強く思うんだったら、後は実行のみよね。行動に移す時は、もう近し?さ~て、では!年が明けたら、休みを作って南の島へ行こう!パラソルほどデッカイ日傘持参で。どこか素敵な孤島、知ってますか?
2006年10月26日
どちらとも、基本的には同じ意味なんだけどね。つまり、“水で洗い流す”ということ。漢字で書いても、両方とも“濯ぐ”。知ってました?“ゆすぐ”って、“濯ぐ”としか書けないけど、“すすぐ”には次の三通りがある:“漱ぐ”は、口を洗うという意味。 (例: 口を漱ぐ)“雪ぐ”は、恥・不名誉をはらすという意味。 (例: 汚名を雪ぐ)“濯ぐ”は、汚れを洗い流すという意味。 (例: 洗濯物を濯ぐ)“すすぐ”、もしくは、“ゆすぐ”。皆さんが使うとしたら、どっち?私は、もっぱら“ゆすぐ”。というか、“すすぐ”って言葉。きっと人生で3回ぐらいしか使ったことないかもしれない。だから、99.999999%という確率で “ゆすぐ”を使用。まるでヒマジンの思考のようだけど、実は今まであまり深く考えたことはない。ただ、本日。洗濯機を回そうとした時に、ふと“すすぎ”という表示が目に付いた。そして、このようなことを、よくよく考えてしまったのだ。ちなみに、英語では、“すすぐ”・“ゆすぐ”は共に、“rinse (リンス)”。シャンプー&リンスの“リンス”じゃないよ。英語の“rinse”は、動詞で使われる場合が殆ど。だから、“髪をすすぐ(ゆすぐ)”と言いたければ、“rinse my hair”となる。“rinse my hair”だからと言って、“髪にリンスをする”と言う意味には決してならないので、ご注意を。じゃあ、英語で“リンス”(つまり、シャンプーの後に使うもの)ってどういうの?はい、“conditioner(コンディショナー)”と言います。まあ、最近日本でも“リンス”って言う人、ほんと少なくなったよね。商品名も、“○○コンディショナー”ってなってるし。宣伝でも、そのような名前で呼ばれてるし。だから日本語の“リンス”って和製英語なのだけど、もうなくなっちゃうのかな?この呼び名は。一つの素朴な疑問が、ワンポイント英会話レッスンにまで発展し、果ては死語となりつつある単語へのレクイエムへと・・・どこまで話を飛ばし続ければ気が済むんだろう、私?(笑)
2006年10月23日
平日の夕方ちょい前の時間帯は、よく過去のドラマが再放送されている。普段、こんな時間にテレビはつけないよ。さすがの私でも。だって、仕事してるやん。だから、つけない。でも、「おっ!」と思えるものならば、話は別。まあ、フリーランスなので、そこらへんは臨機応変に(笑)。本日まで、この時間帯に“Dr.コトー診療所”が再放送されていた。“Dr.コトー”シリーズの一番最初のやつで、テレビに初めてお目見えしたのは、3年ぐらい前だと思う。今日、その再放送の最終回が放映されたので、見ちゃったんだけど・・・いや~、涙ポロポロ!鼻ズルズル。前に一度見てたのにも関わらず、やっぱり良かったわ~!“コトー先生”こと五島健助先生、最高!あの方は、正義の具現化であり、人間愛の象徴。寛容さの化身であり、優しさの典型。勿論、これがドラマの中の話だってことなど十分理解しているよ。こんな絵に描いたような素晴らしい医者は、現実的でないのも百も承知。が、「絶対にいない」と言い切れないのも、事実でしょ?それより、「2夜連続で、コトー先生の話かよ!」ってか?しつこいってのも分かってますから。言わんで結構、ツッコミ無用。あ~でも。大好き!コトー先生!!!先生!先生!先生・・・せんせい!せんせい!せんせい・・・せんせ~!せんせ~!せんせ~・・・しぇんしぇ~!しぇんしぇ~!しぇんしぇ~・・・(“こだま”をヴァリエーション豊かに表現してるつもり・・・笑)そうこうしているうちに、私はふと自分のドクターに思いを馳せた。この人は私の眼科医で、ここ数年ずっとお世話になってる先生。いや別に、何かの病気を患っているってワケではないので、ご心配なく。私って、コンタクト装着者なのね。1日でポイの終日装用型を使ってるんだけど。それで、決まりとして最低でも半年に一度検査を受けなければ、売ってもらえない。だから、この先生には少なくとも6ヶ月に一度は会っている。それと、私は花粉症なので、春先になれば、頻繁に診てもらっている。後は、PCユーザーに典型的な眼精疲労など、目の調子が悪くなった時になども。この先生、歳はおそらく60代後半ぐらい。そして口癖は、「大~丈~夫~!」 ★-☆-★ 花粉症シーズンのとある出来事 ★-☆-★「先生、左目がチクチクするんですけど。」「は~い、大~丈~夫~!目薬を差せば治りますよ~。」(1週間後)「先生、まだ左目がチクチクするんですけど。」「は~い、大~丈~夫~!別の目薬を処方しますので、治りますよ~。」(そのまた1週間後)「先生、まだまだ左目がチクチクするんですけど。」「は~い、大~丈~夫~!今度は軟膏を出しますので、これで治りますよ~。」花粉症だから、綺麗さっぱりに治るとは期待してないけどさぁ。軽くあしらわれてるようで、ムカッと来てしまった。なにが、「大~丈~夫~!」やねん。他人事と思ってさ。痒いっちゅうねん!異物感がたまらんねん!もっと、真剣に考えてや。が、しかし。私は先生の“大~丈~夫~!パワー”を見くびっていたのだった。なぜなら、あまりにいつも、「大~丈~夫~!」と言われると、人間って本当に「大丈夫だ!」と思えるみたい。勿論、症状は花粉シーズンの終りまで一向に改善されなかった。まあ、そういう厄介なものだから。花粉症ってのは。しかし、あれだけ「大~丈~夫~!」を連発されると、当初感じていた反感がいつの間にやら、別の気持ちへと変化して行った。「私、ただの花粉症やん!不治の病じゃないし。大~丈~夫~!」気が付けば、そう信じている自分がいたのだ。私が単純過ぎるのかもしれないけど、気持ちがポジティブになれるなら、先生の“大~丈~夫~!パワー”は大いに歓迎。普通、患者に対して、「大丈夫」と言ってはいけないとされているけど。でも、この先生の「大~丈~夫~!」は多分そんな理屈を超えているのだろう。まあ、Dr.コトーと比べるなんて到底無理だけどね。しかし、この先生も、患者と如何に扱向き合えばいいのかを“彼なりに”理解しているのかもしれない。コンタクトのストックも残り少なくなっている今。後10日ぐらいすれば、また眼科に行くことになるだろう。初めは「ウザイ」と思った先生の「大~丈~夫~!」も、今では私の positive thinking(積極的思考)の糧となっているのかな?************************************************************ここで、トリビアを一つ:知ってましたか?Dr.コトーには、モデルがいるんですよ。それは、甑島(鹿児島県)の下甑手打診療所の所長である瀬戸上健二郎先生。「Dr.コトーのモデル Dr.瀬戸上の離島診療所日記」という著書も出版されています。
2006年10月20日
パソコンに依存するのはどうかな?と思うのだけど、同時に私にとって無くてはならないものであることも認めざる終えない事実。私は仕事でパソコンを使っている。だから、これ無くては、まるで声を失ったカナリアのよう。もしくは、カメハメ波が出なくなってしまった亀仙人みたいだ。そんな私に、先週金曜。そう、連休直前に、とんでもない出来事が。なんと!パソコンが壊れてしまった!こんな時、皆さんならどうします?勿論、カスタマーサービスセンターにまずはTELでしょ?私も例外ではなく、すぐにその行動に出た。しかし、無情にも、返って来た返事は、「修理にお伺いできるのは、連休後です。」しかも、連休明けの火曜ではなく、その翌日の水曜だと。いつもなら、あっという間に過ぎ去る連休なのに、今回だけは、本当に長く感じたよ。そして、ようやく!待ちに待った「水曜」が本日やって来た!パソコンは無事に直ったのだが、保存してあったデータがすべて・・・皆さん、バックアップは取りましょう!特に、パソコンを仕事で使っているのなら、なおさら。えっ?私?あ、いや。まあね、初めの頃はこまめに取ってたんだけど、いつの間にか・・・ (もう、責めんとって!)ということで、とんでもない連休だった。この修理の日を迎えるまでずっとハラハラドキドキ。が、しかし。神様って粋だよね。不運なことがおきれば、必ず良いこともくれるんだもの。だから人生は楽しいのかしら?(って、ちょい大げさだけど・・・笑)まあ、ともかく。悪いことばかりじゃなかったのだ。私は、この連休中に31歳になった。いやいや、それが良いことじゃないんだけど(笑)。が、なんと!31年目の日を迎えた当日、あるものが届いた。送り主は、東京に住む友人。きれいでしょ?私が一番好きなガーベラと、2番目に好きなバラが入ってる!私は、この友人にたった一度だけ「ガーベラが一番好き」と伝えたが、そんなことを言ったことすら忘れていた。その上、「バラも好き」と言ったことなどなかったのだ。しかし、その友人は「ガーベラ」とちゃんと覚えててくれた。しかも、これは偶然だけど、バラも入っていたし!ほんと、とんでもない状況の中、誕生日を迎えた自分はある意味すごくユニークな体験をしたんだなぁ。ん?ちょっと楽観的すぎる?が、しかし。学ぶべきことは多い連休だったことは確か。それは、第一に「バックアップは、怠らずに取るべし!」そして、「友とは、笑顔をくれる者なり!」******************************************************************* Skype(スカイプ)についての前回のブログ。知っている方もいたり、知らなかった方もいたり。私は、これをお勧めしますね。だって、Skypeのアカウントを持っている者同士なら何時間でも無料で通話できるんだから!しかも、固定電話にかけても、すごく安くで済むし。ダウンロードも無料です。こちらをご参照あれ:http://www.skype.com/intl/ja/
2006年10月11日
ほんと、“何を、今更?”な話なのだけど・・・ こんなに便利だと思わなかったわよ。なんせ、タダなんだし!国内のみならず、海外にも電話できる!!!Skype(スカイプ)の話です。勿論、ご存知の方多いですよね?私も前から知っていたけど、あまり興味がなかったのだ。が、しかし。昨日、ようやくダウンロードしました!遅すぎたぐらいだわ、マジで。Skypeって、初期費用が殆どゼロに等しい。だって、ネットからのダウンロードは無料なのだし。後は、ヘッドセットを購入するのみ。それも、ヤ○ダ電機などに行けば、千円弱で買えるし。だから、ヘッドセット代だけで済むのだ!ということで、本日より私の無料通話生活開始~!!!勿論、相手もSkypeじゃなきゃタダにはならんけど。それでも、一般回線への電話でさえ、すご~く安い。さっそく、ドイツにいる友人にかけてみた。音声もクリアだし、まるですぐ傍にいる人と話しているみたい。ということで・・・さあ!広げよう、Skypeの輪!!!あなたは、まだですか?(って、私。決して回し者ではないので、ご安心を。ただただ感動している一利用者です!・・・笑)
2006年10月04日
今日のブログに写真を数点載せていますが、被写体が思いっきり正面を向いている場合、顔部分を白抜きにしています。まるで、“のっぺらぼう”のオンパレードのよう!(笑)それに、画像が大変小さく、見苦しいですが、何卒ご理解くださいまし・・・では、HERE WE GO!昨日(日曜)、従弟の結婚式のため大阪に行ってきました。この従弟というのは、私の母親のすぐ下の弟の子供。なんと、うちの母親。8人兄弟の長女なのだ!私は一人っ子なのだけど、母親の弟達や妹達には皆、3~4人子供がいる。だから私の従兄弟の総数は、20人を超えている(笑)。でも、これ。母方の従兄弟だけの話。実は、父親も8人兄弟の長男。あちらサイドでも一人っ子は私だけ。「両方合わせると、すごい数の従兄弟がいるんだ、私には!」と時に、驚いてしまう!何はともあれ・・・さてと。当日の私の装いは・・・ ここでは、真っ黒に見えるけど。実は、白の小さい水玉が付いていて、ジャケットのボタン(3つ)がリボンとなっている。実際見ると、もう少し華やかです。アクセサリーはダイヤで統一。といっても、もちろんフェイクよ!(笑)本当は、キュービックジルコニア。まあ、いいでしょ、別に。ははは~!ちなみに、バッグは、カルティエです。これは、正真正銘の本物。あ、そして。分かるかな?肩甲骨の下まであった髪をバッサリと、顎ラインギリギリのボブに切りました~!(すっきり~!)披露宴の模様をお伝えします・・・まず、新郎新婦のご入場~!(パチパチパチ~!) 今回、従弟は、ホテルではなく結婚式場を利用。最近の結婚式場って、結構GOODよ!ここは、一日2組しか取らない。しかも各組を、午前と午後に完全に分けてくれる。だから、まるで貸し切り気分を味わえるのだ。左: 二人が入場した時の様子。階段を下りてくるなんて、素敵な演出!右: 乾杯前に従弟が挨拶しているところです。こちらは、ケーキカットの場面・・・ ← ケーキは、ハート型!「新郎新婦の初めての共同作業~!」な~んてクサイ台詞、最近の司会者は言わないよ。(代わりに何を言ってたか、忘れたけど・・・笑)私の従弟って、背が180センチ以上の長身。しかも、私が言うのもなんですが、本当にハンサムなの。いや冗談なしで、ほんまに!ルックスは、TOKIOの松岡にそっくりです!いつも、そう言われている。だ~け~ど~!ここ数年で、ぶくぶく太ってしまい、今じゃ顔は松岡かもしれないけど、体はまるでプロレスラー並。マジで、痩せて。元の姿に戻ってよ~!(笑)2回あったお色直しの一度目・・・ 左: 新婦は、ピーチ色のドレスに!従弟は、中のベストだけを変えてた。右: 従弟のお母さん(私の母親の弟の奥さん)と新婦。この二人、すごく仲が良いの。すでに、素敵な嫁姑関係を築いている!2度目のお色直し・・・うちは在日韓国人で、従弟のお嫁さんもそう。(在日って大阪に、結構いるんですよ)だから、2度目のお色直しは、チマチョゴリに!韓国では、赤と緑が花嫁さんのカラーらしい。ほらね、これもそうでしょう。私もちゃっかり、写真に入れてもらっちゃった。(笑)こう並んで写ると、やっぱり従弟の横幅が!(デカイなぁ~)(左から右: 従弟、従弟のお母さん、お嫁さん、私)楽しい余興もありました!・・・ 左の写真は、“氣志團”に扮した従弟の友人達が、歌とダンスを披露。若い人達にはウケてたんだけど(勿論、私もその内の一人よ!)、年配の方々は、何がなんだかサッパリ理解できていなかった様子。私の母親も、目をパチクリさせ、「あの人達、不良?」って聞いてた。(笑)右の写真は、調子に乗った叔父さん。ワケ分かってないのにも関わらず、一緒に踊り出したのだ!ほんま、ノリのええ関西人ですがなぁ~。手前は、叔父さんの奥さん。終始、爆笑してました。(彼女も、ワケ分かってなかったんだけど・・・笑)。感動の連続!花束贈呈のシーン・・・ 左: 新郎新婦の両親への花束贈呈。右: 従弟は、おばあちゃんにも花束を渡しました(左)。うちの85歳のおばあちゃんは、私を含む孫達のアイドル!いつも皆で、おばあちゃんを取り合いしています。勿論、私も大好き!!!披露宴の締めくくりに、従弟のお父さん(叔父さん)が、代表の挨拶を。来場者にお礼を述べた後、自分の息子に向ってこう言いました:「これから親孝行しなければいけないなどと思わなくてええ。おまえが生まれて来てくれたことが、親孝行の始まりやった。そして今日、二人が幸せになってくれたことで、その親孝行は完結されたんや。」この言葉には、従弟やお嫁さんだけでなく、私も込み上げてくるものを感じた!隣に座っていたお母さんも、ハンカチで目を押さえていた。親戚一同は号泣。来場者の方々も、きっとグッとくるものを感じたでしょう。そして、叔父さんからマイクを取った従弟は:「お父さん、小さい頃から僕の味方やったこと、感謝する。僕は、お父さんのことがずっと大好きやった。そして、お母さん。反抗期の時は、お母さんを標的にしてしまって、ほんまにごめん。でも、そんな時でも、病気になったら、付きっ切りで看病してくれたのを今でも覚えているよ。そして、二人のアニキ達やアネキにも、両親を尊敬する道筋を作ってくれたことを感謝します。」これには、叔父さんも奥さんも、目を赤くしていた。そして、私達親戚一同の涙の量は、さらに多くなったのだった。従弟とお嫁さん。二人は今、大阪で居酒屋を経営している。従弟が店長で、彼女がお料理を担当。実は彼ら、もうすでに結婚3年目なのね。仕事が忙しかったせいか、入籍だけして、式はずっと後回しにしていたのだった。でも今年の春ぐらいかな?お嫁さんの妊娠が発覚。ベイビーが生まれてくる前に、結婚式を済ませたい、ということで、この日に至りました・・・素敵な感動をありがとう!まだ20代の若い二人だけど、これからもお幸せにね!!!
2006年09月25日
2年前。会社を辞め、フリーランスとなった私。ちょうどその頃、ベンジャミンの木を2本買った。当初、デスクの上に置けるほど小さかったのに、いつの間にやらすくすくと育ち、植木鉢も3~4回はサイズアップ。今では持ち上げるたびに、「よいしょっ!」と気合を入れねばならないほど。では・・・せっかくだから、皆さんに紹介しちゃおうかな~!?カモ~ン、ベイベ~! 左がベン1号、右がベン2号。私が勝手に名付けたのだ。一応、夫婦です。勿論、これも私が勝手に決めたこと。どちらが夫か妻かは聞かないで~。(そんなこと、知らんわい!!・・・逆ギレ)とにかく、夫婦なんです!(断言!!)季節は春ということもあり、ベン1号にはかわいい若葉が次々と芽を出している:分かるかな?真ん中らへんをご覧あれ。ね、見えるでしょ!?しかし、問題はベン2号。ここ最近、調子が悪く、日に日に弱っている様子:若葉がどうのこうの以前の問題で。なんか、枯れてきてるでしょ?(写真では分かりにくいけど、既にある葉にも元気がない。)別にベン1号を贔屓していたワケではなく、どちらとも同じように可愛がってきたつもりなのに。夫婦なのだから、(まだ言ってる!・・・笑)末永く一緒に生きろよ~、コラッ!!!が、しかし。本日、謎は解けました。なんと!ベン2号はムシの被害に遭っていたのだ!土をほじくってみると、出るわ、出るわ!団子虫が!!!(ちなみに、“団子虫”って関西の方言ですか?“丸虫”という呼び名も聞いたことあるけど。“う○こ虫”とも呼ばれてますよ。これ、ほんと!)ベン2号!知らなかったとはいえ、ごめんね!abimeg姉さんが憎らしき団子虫軍団を成敗してやったから。すんごい勢いで、ブチブチと素手で潰してやったから。応急処置として植木用殺虫剤も撒いたし。連休中には新しい土にかえてあげるから。お願い、ふんばって!2年間一緒に過ごしてきたんだもの。「さよなら」はまだ早すぎるよ。いなくなったら、あまりにも寂しいじゃない。abimegとベン1号のみならず、ブログ仲間の皆も応援してるから!(勝手に決めてすみません!・・・笑)生きろ~!生きろ~!生きてくれ~~~~!!!がんばれ、ベン2号!
2006年04月30日
木曜は、フランス語の日。私を含め、生徒数4名のセミ・グループクラスに通っている。先生は勿論、フランス人。ツルツル頭で、でっぷりとしたお腹のおっちゃんだけど、すごく紳士。例えば、一緒にエレベーターに乗っていて扉が開くと、必ず女性を優先にして、自分は一番最後に降りる。また、クラスの誰かが「○月○日が誕生日」だとポロッと一度言っただけでも、必ず覚えてて、その日には何かプレゼントを持ってきたり。考えてみると、一言でジェントルマンと言うよりも、本当の意味で心優しい人なのだろう。今日、先生は私にサプライズを用意してくれていた。授業開始直後に、ケーキの箱を出し、「好きなのを選んで」と皆に告げた。クラスメイトと一緒にワクワクしながら箱を覗くと、ベリーのタルトやチーズケーキと一緒にモンブランが一つ並んでいた。あ、これ。Shin のモンブランだ!私が大好きな Shin の!私は先生を見上げ、「え?知ってたんですか!?」と聞いた。先生は、「そう、Shin のモンブランが大好きだと言っていたよね。」Shin とは、神戸にあるケーキ店。去年の秋ぐらいに、クラスでお菓子の話が出てきた際、私はこの店のモンブランが死ぬほど好きだと熱く語っていたそうなのだ。しかも、「Shin のモンブランを食べたから、他のが食べれなくなった」とも言っていたらしい。今日の今日まで、私はそんな熱弁をふるったことをすっかり忘れていたのに・・・先生は覚えててくれたのだ!この世の中にはいろんな先生がいて、生徒に対する接し方は十人十色。だけど、人を惹きつけるのはやはり、“北風と太陽”の優しい“太陽”なのでしょう。Shin のモンブランは相変わらず私の中で日本一だけど、それに先生の“優しさ”という世界一の風味を加えると、今日口にした味は格別だった。 Shinのモンブラン。私の壊れかけの携帯で撮ったので、画像がきれくないのが残念!ちなみに、Shin の正式名は、Factory Shin。2002年にオープン。ここは比較的新しいお店だが、神戸とは古くから、老舗のパティスリーがひしめく街。つまり、“ケーキ屋激戦区”。(港町だから、昔から異文化に触れ続けてきた結果かも!?)“食”では大阪に完全に負けているが、ケーキ類(パン類も)は神戸がかなり優勢。というか、圧勝かも!?これ、全くの自論だがかなり当たっているとも思う・・・ケーキ好きな方は、神戸にいらっしゃ~い!あ、パン好きの人も!!何はともあれ・・・大阪&神戸は近いから、大阪で食事して、神戸でデザートを食べるのもいいかも。そしてパンをお持ち帰りする・・・どう?素晴らしい“食べ歩き”ツアーでしょ~!!!**********************************前回の日記「働くママへのインタビュー」にコメントを寄せてくださった方々へ:ちょこっとご無沙汰しておりました。コメント本当にありがとうございます!このテーマに対してはいろんな意見があり、それはそれでとても良いことだと思います。答えは一つではないのだから・・・今回はAちゃんという一人の女性の生き方にスポットを当ててみました。そして私が気がついたことは、「諦めなくてもいい!」ということ。私は以前、「キャリアを極めるには諦めなくてはいけないことがある」と思っていました。でも実際、私の身近にいるAちゃんが何も諦めずに生きている姿を見、「そっか、何も諦めなくてもいい人生もあるんだ」ということを知りました。勿論、それを可能にするには、一生懸命な姿勢が必要だし、家族の協力も不可欠です。でも、「諦めなくていい」のです!私が歩む道はAちゃんのと異なりますが、「諦めなくてもいいんだよ」と知ることができただけでも、今の私にとっては少し肩の荷がおりた気がするのです。
2006年04月27日
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