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(ところで、何故このドラマの視聴率は、こうも低いのでしょうかねぇ~!?)
私が思うには、正義の延長線上には真実がある。真実とは時には分厚い偽りと言う名の覆いに隠されていたり、または日の下にあからさまに転がっているのに誰も目を向けようとしなかったり。しかし、それをまともに見てしまった人達は・・・いや、あえて自分の焦点をそれに合わせて向き合う決心をした人達は・・・後戻りできないのでしょう、正義の道を突き進む以外には。
わずかかもしれないけれど、そう言う人達は歴史に存在しているし、実社会にでも探せば居ます。どれだけ世界が不安定になって行っても、どれほどこの社会の歯車が狂い始めても。そう言う人達の数は決して無くならない。だから人間、捨てたもんじゃない。
先日、とあるレセプションで通訳をさせて頂いた。その会場には200名ほどの政治に携わっているお偉い先生方がいらっしゃった。仕事をしている間、ふと私は辺りを見渡し、思いました。「この中で、一体どれほどの人が本当に社会に貢献したい、人の役に立ちたい、地域を活性化したいと心底願い、政治の世界に足を踏み入れたのだろう?実際、そのような志しでスタートしても、一体どれほどの人が途中で初心を忘れてしまったのだろう?」と。また、環境について議論を繰り広げていても、一体どれほどの人が毎日の生活においてエコフレンドリーな取り組みを実施しているのだろう?例えば、ちゃんとゴミを分別して捨てているのか?大体、この会議自体ものすごく紙とか無駄に使っていないか?考え出したらキリがないので、ここで思考をストップし、仕事に集中したのだけれど。
私が住んでいる神戸市では、未だゴミの分別が強制されていません。恥ずかしい話です。また、この神戸の地は、おしゃれな観光の街としても有名で週末には他県の方々や海外の方々までもがたくさんやって来る。連休や夏休み、そしてルミナリエの頃には特に、この小さな街が人でごった返します。皆、ここでいっぱいお金を使って行ってくれるので、神戸の美化運動はますます盛んになり、繁華街がいつも綺麗でセンス良く保たれている。が、同時に。駅の前や人通りの多いところでは、 Big Issue(ビッグイシュー)
を売るホームレスの方々を目にし、ものすごく苦しくなる私。
私の正義は、とても小さいけれど。例えば、Big Issue を必ず買うこと。ハッキリ言って、この雑誌の内容は個人的には嫌いです。記事を読んでても全然面白くないと言うか、二番煎じと言うか。けれど、買います。そして、捨てる時はちゃんと分別して捨てるようにしている。
そして、私の正義は、 ドラえもん募金
に電話すること。この通話料は、中国四川省大地震とミャンマーのサイクロン被害者支援へと役立てられる。私はどちらの国にも行ったことはありません。ミャンマーは本当に縁がないけれど、中国に関してはお隣にとても心の優しい中国人のマーが住んでいる。先日、マーに「本国の親戚は?」と聞いたところ、田舎が四川とはまったく別のところなので大丈夫との返事。けれど、マーは「胸が痛い」と祖国を思い、目に涙を浮かべていた。だから、私はドラえもん募金に電話を掛け続けます。
私はミャンマー政府のやり方、中国政府のやり方には、100%同意はできない。特に、非人道的な問題やモラルに反するようなことに関しては。また、自分に置き換えると、遠い祖国である韓国が一番だとは言えないし、朝鮮半島をワン・コリアとして考えるのであれば、北朝鮮がこれまで行った罪の行為を一日も早く公にし、世界が一つとなって解決を導きださなければならないと思っています。
けれど、私の正義は、「人間対人間ベースで考えなさい」と私に告げる。、国がどこであったとしても、人は基本的には皆とても良い方ばかりなのです。私のミクロな世界では、お隣のマーを含め、他国の方々からはいろんな文化を学び、お互いを支えあい、理解できない違いがあったとしても、最終的には心を通わすことができているのです。
だから、私の正義は、私自身に向かってこうも言うのだ。国々の不祥事や罪は、各々の一握りしかいない権力者たちが行っている間違った行為。それは、明らかにいけないことだ。しかし、だからと言って、その国の出身者たちに、その国の人だからと言う理由だけで批判の目を向けてはならないし、差別してはならない。これは、絶対にダメなことなのだ。なぜなら、結局のところ、一人ひとりの人は、あくまでも一個人なのだから。そして、同時に。愛国心とは素晴らしいものだけど、正常な判断までもくらます異常な愛国心なら、それはもはや狂乱の前兆と言えるのでしょう。過去に起こった悲しい事件を見てみても。
私は本来、とてもチキンです。小心者故に、これまでに臭いものに幾度と蓋をしてしまいました。けれど、毎回知ることは。臭いものに蓋をしても、中身は決して消えない。余計に腐っていくだけなのだ。そして、それ以上に。自責の念、後悔の波が押し寄せて来て、ものすごく自分で自分が嫌になってしまう。
私の気の小ささは、もう直らないかもしれない。馬鹿みたいに楽観的に考えると、それは私と言う人間の一部だから。しかし、チキンなのにも関わらず、神様から人一倍シャープな洞察力を賜りました。小心者のくせして、「何か変!」と気づくのは超即急。これはきっと、神様の間違いかもしれない。本当なら、もっと器の大きい人間、もっと冷静且つ勇気に満ち溢れている人間にあげるはずだよ、そう言うものは。神様、私は何故こうも、気づいてしまったことを無しの方向に持っていけないのですか?すごく迷惑な話なんですけど(笑)。もらってしまった以上は、できる精一杯の範囲だけでも、私の正義を実行に移したいと思います。
と言うワケで、私は決して“ホカベン”で上戸彩ちゃんが演じる堂本灯ほど真っ直ぐで圧倒的な正義を持って生きられないけれど。私のこんな小さな正義でよければ、これからも環境に対し、地域に対し、社会に対し、そして世界に対し、私なりのものすごく小さな“灯り”を点し続けられたら・・・それが、私の今の願いです。
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