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日本では未公開だが、インドのドキュメンタリー映画、"Shortcut to Nirvana"は、12年に一度、聖地アラハバードで行われる、インド最大のスピリチュアル祭りKumbh Melaの模様を描き出している。このKumbh Melaには、インド中、いや世界中のグル、サドゥ、ヨギが終結し、なんと7千万人の巡礼者が集まるというから、インドという国の桁違いな精神性の高さが見てとれる。これはホント、インドという国の深さを知る上で貴重なドキュメンタリーなので、インドやヨガに興味のある方は必見! http://www.shortcut-to-nirvana.de/ さて、この"Shortcut to Nirvana"で紹介されるさまざまな聖者のひとりに、ヨグマタ(=yogmata)という日本人女性がいる。ヒマラヤで修行をし、「悟りに達した」(=Enlightened)ヨグマタは、真のサマディの状態(心の作用を死滅させ、呼吸を始めとする身体機能を止めた状態)で、3日間地下へ埋められるという「公開サマディ」(=Underground Samadhi)を、このKumbha Melaで行う。そしてそこに集うインドの人々は歓喜をもって、その奇跡のような「生きた聖者の証し」を崇め奉り、限りない無常のエネルギーと祝福を受け取る。インドで「公開サマディ」が公認されているのは、ヨグマタとパイロット・ババの2人だけだという。 ひょんなきっかけから、ヨグマタ(日本名:相川圭子)の日本での活動のベースが目黒にあるという話をチラと聞き、さっそくネットで調べると、定期的にダルシャン(「マスターとの出会い・祝福」の意。聖者のバイブレーションに触れ、ブレッシングをいただくことで、心に愛と平和が満ちるという・・・サイエンス・オブ・エンライントメント説明より抜粋)を行っていることが判った。 http://www.science.ne.jp/ あの彼女が目の前にいる、というのはどんな感じなんだろう?という単純な興味があった。彼女のエネルギーは、なにをもたらすのだろう?そのバイブレーションを受け取ることは、感じ取ることは、できるのだろう?それを知りたくて、さっそく「ダルシャン」を受けに行った。私はこれまでに、真のヨギや聖者を目の当たりにしたことはない。これが、私にとって初めての「悟りに達した」(=Enlightened)人との接触だ。 ダルシャンは、まず「ヨグマタとはなにものなのか?」を説明するヴィデオを見ることから始まった。過去のTV番組や前述した”Shortcut to Nirvana“からの抜粋だ。そして、続いて、ヨグマタのセミナーや秘法伝授を受けた人達の体験談となる。ここで、私は「ああ、これは、いやだなー」と思った。 「ヨグマタに出会って、こんな奇跡が起きました」 「ヨグマタのおかげで人生が幸せに満ちています」 悩める民の神頼みが「か・な・い・ま・す・よ」と誇大広告されてるようで、ゲロ吐きそうになった、マジ。 でも、まぁ、これは、普通の人達を引き付けるためのマーケティング戦略なわけで、ヨグマタ自身は、そんな低俗なものからは、かけ離れたトコロに存在しているに違いない・・・と思い、本人の登場だけを待つことにした。 この段階で、私は既に嫌なモノを感じ取ってしまったので、全身が緊張してきた。が、一通りのヴィデオと説明が終わり、ヨグマタを待っているときに、一瞬、これは連れのヨガメイトとも同時に感じて「ハッ!」と顔を見合わせたくらいすごかったんだけど、周囲の空気が一瞬のうちに「変わった」のを感じた。知らぬうちに抱えていた緊張感が、瞬時に溶け出して、体中が軽く全体の力が抜けていった。いつも重くで固い胃がやわらかくなり、呼吸が自然になり、不安や恐怖が取り除かれ、暖かい安心感に包まれているような気分に、瞬時のうちに、切り替わった。わお!なにこれ?なにが起きたの?って感じ。 そして、全員で瞑想をしてヨグマタの登場を待つ。なぜか私はかなりの興奮状態に入り、咳がゴホゴホと噴出して止まらなくなった。自分でもびっくりした。なんとか治まったところで、ヨグマタが登場。私たちの目の前に鎮座する姿は一見、年齢不詳の童女のようだった。 すごく、静かな、静謐なクリアさを感じた。無、空虚、エンプティネス・・・そんな感じだ。圧倒するような強烈なエネルギーは感じなかった。カリスマみたいな「存在感!」丸出しの力強いオーラもなかった。いや、オーラに関していえば、非常にトランスパラント(透明)で、ゆらゆらと陽炎のようなオーラであった。ああ、なんか、「この世にいる」人ではないのかなぁ、というのが私の印象。 彼女自身の言葉、メッセージは、四方八方へ飛び散り、とらえどころがない。 「アタマではなくハートで聞いてください」と事前に説明があったが、普通ハートから発せられたメッセージは言葉など必要ないくらいダイレクトに伝わるものなのだ。しかし、残念なことに、私はこの日、通訳を兼ねていたせいか「表面的な言葉」に惑わされすぎた気がする。しかも最悪なことに、彼女の言葉を追うと、つかみどころなくあちこちへ流れてゆき、結局英語という論理的な言語への変換がまったくできなかったのだ・・・!というか、もう「通訳をしなきゃ」っていう、努力そのものを放棄させられたのかもしれない。だって、正直、なんだか大きな力で弛緩させられたような気分になったんだもん。 そんな感じで、ゆるやかな、やわらかな、しかしおおきく包み込むようなエネルギーを受け、夢見心地のような感覚に陥っていると、ああ、彼女の存在意義は、愛と光でこの世を、そして人々を救うところにあるのだなぁ、と、単純にね、そう感じた。 ところが、残念なことに、このヨグマタのパワーが、この組織の中ではなんだか変に歪められ「帰依しますか or Not?」的な押し付けがましい部分が強調されすぎている。そこが私にとっての「なんかひっかかる」部分であった。つまり「幸せになりましょう。奇跡は起きます。クイック悟りを開きましょう」という、典型的な日本で言うところの「宗教」色満載なのだ。と同時に、それに疑問を持たず「乗っかれる」信者の方々に対して、ものすごい違和感を感じた。 私にとっては「スピリチュアルな成長の過程」というのが=イコール人生であり、ヨガや瞑想などはその途中で出会い体験してゆくものであって、このヨグマタとの遭遇もそのひとつだと思っている。でも、そこに集っていた参加者にとっては違うんだな、きっと。彼らは信者であり、ヨグマタに奇跡を起こしてもらうべく、人生に幸福をもたらすために、ヨグマタを崇め奉り、崇拝し、帰依している。それは最後の質問タイムでの参加者達の発する言葉ひとつとっても明らかだった。「ありがたや教」になっちゃってる。 私は多くの日本人が「宗教=アブナイ・アヤシイ」という、およそ幼児並みの先入観しかない視野の狭さに腹を立ててるひとりだ。本来の宗教の意義には感銘を受けるし、その根源となる「信仰」に対しては、さらに尊敬と畏怖の念を持っている。人が真摯に生きようと決意すれば、そこに必ず信仰が存在する。それは既成の宗教というカタチをとらなくてもいいはずのものだ。宗教というカタチをとったものであれ、その基本は、今私たちがスピリチュアルだー、なんだー、かんだー、といってる概念の一番大事なコアの部分を、あたりまえに表明しているワケなんだから。 ただ、その宗教が「線引き」をするための道具となった時点で、それは信仰とはかけ離れたものだよね。「線引き」ってのは、つまり「ウチラvsアイツラ」メンタリティってことで、人々の分離、土地の分離・・・国境・戦争・紛争・民族をもたらす以外のなにものでもない。それと同じものを、私達は、特に確固とした宗教を持たずにきた日本人は、新興宗教の中に見出すことになる。つまり、「信ずる者=選ばれし者」という選民意識、ウチにいる者の閉鎖性、それと外部との対立。 「なんだよ、それ、わかんねーよ、わかるように説明しろよー」と、「前面帰依しますか or NOT の世界です」の、永遠の堂々巡りが、現在の日本における「宗教ってワケわかんなくて怖い、危ない、怪しい」の理由なんだと、私は思います。 私と連れのヨガメイトは、パイロット・ババと共に来年行われるホーリー・ダルシャンへも参加したかったのだが、それには会員にならなければならない、と、ピシャリと門戸を閉ざされ、非常に腑に落ちない気分になった。だってさ、その主旨が「愛と光でこの世を、そして人々を救う」のであれば、別にバカ高いお金を払えなくたって、それを真摯に求める者へは与えるべきじゃないか?まず、お金ありき、そして帰依しなさい、そうすればアナタは救われます・・・なんて、それは偽者だと思うよ。私は「愛と慈悲」こそが信仰や宗教の最も大事な部分だと思ってますが、「これは愛でも慈悲でもないよ、ビジネスだよ」って表明されちゃうと、なんだかなぁ、とガッカリしちゃうね。つまり、そんな気持ちの悪さが、そこには終始あったのだ。 質問タイムで私は、「お金さえ払えば手に入るクイック悟り(=あなたの組織の売り物)」と「悟りを目指して生活の一部として修行を続けること(=私のこと)」の差を説明してください、なんて、スゲー危ない質問をしたんだけど、(他の参加者たちが口をそろえて「ヨグマタさま大変光栄であります」と言っている場で・・・!)今から思うと、この組織に対する憤りを(ヨグマタに対してじゃない)ぶちまけちゃっただけで、反省してる。でも、ちゃんとした回答を頂けてホッとした。 「ずっと修行されてることは判りますよ、これからも頑張って続けていきなさいね」 「もし興味があれば体験してごらんなさい。言葉では、アタマでは説明も理解もできませんよ」 あー、まともなのはヨグマタ自身だけなんじゃないか?ってね。ヨグマタ自身には、やっぱスゲーな、って感じた。だけど、周りを取り巻く組織の姿勢には疑問が残る。私は何十万もお金を払って、ヒマラヤの奥義を伝授してもらい、悟りを開こうとは思わない。そんな「クイック悟り」はドラッグみたいなマヤカシだ。悪いけど、私は私のペースで日々の修行を続けてゆきますよ、もちろん目指すは悟り、enlightment、サマディ、涅槃だよ、マジ。
2006.12.30
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