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はい、皆さんご無沙汰です。猫のごはんも種類が豊富ですが、好き嫌いもあるのでウェット、ドライを合わせると15種類ほどの用意があるんですが…。その中でもわりと人気のあるモンプチがお買い得の価格で出たもんで、思い切って10箱を大人買い。しまう場所も無いからベッドの脇に積んでます。700g×12袋×10箱=120袋。重さにして84kg。これだけあれば、一年はもつかな。
Feb 1, 2011
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庭にごはんだけ食べにくる猫がどこかで子猫を産んで、3か月位になると連れてくる。もう何度かに及び、ぐるぐるやてんてん、里子に出した、まる達もみんなこの猫の子だ。今回も3月頃に産んで、6月頃から3匹を連れてきていた。いっぽ、にほ、さんぽと仮の名前を付けていたが、やがていっぽとにほが行方不明になった。誰かに拾われていれば良いが、交通事故にでもあったのではと、気になる。なんとかさんぽだけでもと努力の結果、家内がやっとのことで保護した。端正な顔だちから男の子とばかり思っていたが、意外にも女の子だった。現在里親さんを探しているので、ご希望の方は左欄のメールを送るからお気軽にご連絡を。ちなみに前回の3匹はお譲り先が決まっていたが、2匹がドタキャンされたため、こちらも里親さん募集中。
Aug 10, 2010
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実に一年ぶりの更新ですが、また猫です。保護した白猫(いちごと命名)がすでに身籠っておりまして、6月11日に無事三匹が産れました。我が家ではもう4回目なので、余裕です。要は大騒ぎせずに母猫にまかせておけばOK。名前はダメ元で提案したら、予想外にも採用となり、ほっぷ・すてっぷ・じゃんぷということになりました。もっと真剣に考えた方が良かったかなと、反省。
Jul 22, 2010
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暑い時には暑苦しい画像をどうぞ。1/3にもなりませんが。
Jul 30, 2009
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先日、あることから1年半前に生後2ヶ月でみるくをお譲りしたお宅に伺う機会があった。名前はみるくのまま大事に育てていただいており、随分と立派になっていた。 しかも… ビフォア そして… アフター 確かに真っ白とは言えない毛色ではあったが、ここまで変わるとは!! まことに不思議な生き物である。
Jun 4, 2009
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ゴールデンウィーク直前、仕事で川崎へ行く機会があった。年のせいか、知らない土地へ行くと、さて何を食べようかということになる。色々と調べると、駅周辺にはチェーン店ばかりが目立つが、少々離れたところに、やたら口コミが多いフレンチレストランを発見。その名もラグーン。期待が高まる。但し特別おいしいとかの評価は見当たらず、場所が変わっている、コストパフォーマンスが凄いというのが多数。ランチは1,000円からあるが、お勧めの黒豚の気まぐれ風をチョイス。1,575円也。季節柄、ヴィシソワーズ、プチサラダと登場。レタスのみのサラダだが、タルタルドレッシングが爽やかだ。そしてメインの黒豚は…手のひらほどあろうかという大きさに、3センチほどの厚さ。なんと言うボリュームだろうか。ソースはプラムを赤ワインで煮込んだものだろう。 デザートは抹茶のムースに飲み物で、なるほどこれは安いや。で、場所はというとご覧のように国道15号線を眼下に見下ろすなかなかのシチュエーション。夜もきれいだろうねえ… ところが…ここは…とある病院の中なのだ。もちろんワインも揃っている。ここなら、入院してもいいかも。食事制限が無い場合に限るが。
May 12, 2009
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日本の家屋の宿命とも言える、壁面の少なさ。それゆえに額装品は飾る場所が無い。それでも増える額装品、その数は100にも迫る。それ以外にも、きちんと額装すれば素敵だろうアイテムも目白押し…。計画的にお色直しを、と心に決めたあの日から、早6年、実行に移せたのは、この2枚のみだ。 発売から5~6年は経つだろうか、ティンクのレコード。最近のティンクファンはご存知ないかもしれない。友人に頼んで購入したので、どんなジャンルで売られていたのか知らないし、既にプレーヤー(死語か?)も無い頃だから聴いていないし、内容も判らない。それでもこのレコードを見た瞬間、これは額装しなければと思った。ジャケットの額装は良く見掛けるが、レコード本体はあんまり見ない。ネット検索で上手そうなお店を探すと、小手指に発見。車で小一時間かかるが、ものともしない。仕上りのイメージを一生懸命伝えて出来たのが、上の画像。想像以上で満足。 同時に頼んだのが、第27回 ゆうみん30周年のイベント~あれやこれや でご紹介した、小田桐昭氏の作品、「スラバヤ通りの妹へ」約一年間の全国展示を終えて手元に届いたため、白木の額は壊れかけていた。もともと白木ではイメージが合わないので、思い切ってお色直しだ。こちらもイメージを伝えて、見事にアジアンな雰囲気に仕上がった。 まだ沢山の作品が額装候補に挙がっている。でも、確実に嵩が増える。廊下の長い家でも探すしかないのかなあ。
Feb 11, 2009
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昨年の12月下旬、広島出張の帰りに倉敷チボリ公園に寄ってみた。デンマークに古くからあるチボリ公園を模したテーマパークなのだが、ほとんどの人は知らないだろう。そして間もなく、その役目を終える。 場所は倉敷駅前で便利であるが、在来線でとなれば広島からでも3時間弱の道のりだ。同僚と二人で、まだ暗いうちにホテルを出た。10時の開園に間に合うためであったが、そこで見た光景は…私達ともう一組、それに50人位の幼稚園児の団体のみ。あと10分で開園というのに、なんともお寒い状況だ。これでは閉園もやむを得まい。倉敷チボリ公園を存続する会なる方達が、熱心に署名を集めていた。むろん協力させていただいたが、それが叶わぬ事はすぐに判明した。 画像は開園直前の様子、キャラの名前は知らない。ジャグリングのお姉さんもいて、一生懸命演じるその姿は郷愁をそそる。外周に沿って歩いてみたが、最初のアトラクには休止の表示。ショップやレストランも半分位が休止、というより、既に廃墟な状態である。閉園が決まっているとはいえ、正規の料金を取っているのだから、これはイケマセン。 ウォータースライダーのようなアトラクに乗車。ディズニーランドのスプラッシュマウンテンを短くして風景をとっぱらった感じだ。発車のシステムが素晴らしくて驚いた。乗り場が巨大なターンテーブルになっていて、それが回転することにより船が押し出されて行く。結構濡れた。 レストランの廃墟に、開園からの歴史が展示してあった。ポスターやパンフに続いて、来園した芸能人の手形とサインを焼いたタイルが並んでいた。無防備な展示に驚きつつ見ていくと、なんと本田美奈子の文字が!もし私が熱烈なファンであったなら、確実にパクッていたであろう。2階には公募で集めた園内の写真が。どの写真を見ても混んでいる様子は伺えず、半分位でいたたまれなくなって出てしまった。最奥部には3Dの劇場があり、松本零士の作品を上映していた。客席は6×4列が9組あり、シートベルトもあって、激しく動く気配。いかにも松本オタクなゲストが荷物の置き場所を細かく注意されていたが、なんと椅子は故障していて、微動だにしないのであった。左右に激しく揺れる画面が空しい。もう閉園だから修理しないのか、一度壊れたらそれきりなのかは判らない。このあたりが市営の欠点であろう。もしかすると、大規模なメンテナンスはしていないのかも知れない。逆に11年間も良く持ったものだ。 そんなこんなで、12時過ぎに一巡してしまい、一度退園して駅反対側の倉敷景観地区へ。一般的に倉敷と言えば、このあたりを指す。 天気も良くて、ぶらぶらするにはもってこいだ。駅から10分程歩くと景観地区だ。10年以上前にも来ているが、何も変わっていない。程なく猫屋敷なる店を発見。チボリ公園よりずっと楽しめた。無料だし。 日も暮れかけた頃、再入園。クリスマス直前とあって、夜景目当てだ。逆周りに一巡したものの、ちょっと物足りないと思っていたら、中央広場でツリーの点灯式が。ゲストも200名位集まっていた。サンタクロースも登場してカウントダウン、ツリーに灯がともると、一斉にどよめきが。 不覚にも、ウルっと来てしまった。あと二週間後に、その灯も完全に消える。11年間、ご苦労様。きっと、ひっそりと閉園したに違いない。
Jan 16, 2009
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10ヶ月ぶりの更新ですが…謹賀新年 2009 元旦 今年のラインナップです。既に年賀状でもお届けしていますが、大きな画像でご覧下さい。
Jan 5, 2009
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この3匹が、すこぶる可愛い…というわけで、禁断の名前を付けてしまった。左から、えんじぇる・ふぇありー・てぃんく。
Mar 19, 2008
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早いもので、今年も残すところあと9ヶ月強になりました。皆さんいかがお過ごしでしょうか。我が家の仔猫達も順調に育ち、猫だらけの状況になってまいりました。 そろそろ、このサイトも本来の形に戻さなければ…と思った矢先、ゲストのちびに異変が。まあ、ゲストと言ってもほとんどウチにいるわけで判ってはいたんですがね…昨日、3つの新たな命の誕生です。三毛が2匹、縞虎1匹。また名前考えなきゃ。
Mar 16, 2008
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あれから一ヶ月。ママの出産時には気を使ったが、パンツの場合は何の心配も無くスクスクと育った。名前も付いたのでお披露目しよう。 まずは男の子から。鼻の汚れ模様で「タゴサク」と命名されたが、早々と譲渡先が決まり、一ヶ月後には「ベン」と呼ばれる予定。奥に見えるのが母猫のパンツ。先住猫とも仲良く暮らせそうだ。 この子も男の子。母親そっくりの柄なので、「ジュニア」と付けた。 ここから三毛猫三姉妹。まずはアライグマラスカルみたいな「あんず」 せっかくの三毛なのに顔グロなのは「ここあ」。バランスが悪い。 タゴサクに負けず田舎っぽい「くるみ」。これはこれで可愛いけど。 最後は「みるく」。真っ白かと思いきや、しっぽや耳に汚れが。
Oct 11, 2007
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皆さん、お久しぶりです。子猫達は全部手元に置いて育てるなんぞと豪語したものの、現実は厳しい。缶詰は月に1,000缶に迫り、猫砂40袋、猫用ミルクが30本、鰹節15袋、ドライフードに医療費‥‥もはや支出が収入をはるかに超えてしまった。そこでやむなく里親さんを探す事に。 まずは当初から里子に出す予定だったミニチュアダックスのリリー。ダメ元と思ったが、予想に反して沢山のオファーをいただき、七月末に引渡しも済んだ。今は奈良で可愛がられているはずだ。続いて子猫達、二匹セットの条件で観に来て選んでいただいた結果、プーとルナに決まり、先週引渡した。まだ数匹残っているものの、一段落と思いきや、台風直撃の晩に事件は起こった。当日は通い猫のうち、常連の四匹が泊まり。パンツと名付けた猫が、軒先のダンボール箱に避難していた。可愛そうだが、もう入れるスペースが無い。十時頃、風も激しくなって来たので、風呂場に入れることにして迎えに行くと‥‥なんと、五匹の仔猫を産んでいたのだ。お腹が大きいのは知っていた。我が家で産もうとしていた節もある。しかし、よりにもよって台風の夜に。大騒ぎで保護したが、パンツは興奮していて手が付けられない。様子を観ることにしたが、風呂に入れない、洗濯も出来ないという事態だ。翌日帰宅してドアを開けるとちょっとイヤな臭いがしたので死産かもと思ったが、無事だった。それどころか、六匹に増えていた。次の日は土曜日。手持ちのフェンスを使ってリビングに育児スペースを作り、移動した。すると、待望の白猫が! 残りは三毛が三匹、白黒二匹だ。18-2+7=23。苦悩の日は続く。 なにはともあれ、生命は素晴らしい。無事な出産を素直に喜ぼう。そして今回改めて判ったことは、洗濯と風呂のありがたさ。 追伸:仔猫を貰って下さる方、ご連絡お待ちしております。
Sep 8, 2007
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一匹は可愛そうなことをしたが、残る5匹はすくすくと育ち、今日でちょうど1ヶ月半、体重も500gを超えた。すぐ離乳期に入り、2ヶ月あたりから免疫力が落ちるので、エイズキャリアのママやサンとは隔離する必要がある。 その準備として、コレクションルームが召し上げられた。居間とつづければ20畳位になるので、ごろとリリーは2階の私の寝室に引越し。残るたまとつばめに寝室から5匹のメスと家内が合流、7匹がうろつくねこたま状態になった。ここにさらに5匹のチビ達が加わって、12匹となる。 しかし、問題勃発。ごろが2階に行ったので、バンダナのブチが泊まっていくのが普通になった。でも、オスのブチはみんなの和を乱す。チビ達が来ればなおさらだろう。他人の猫を勝手に虚勢するわけにもいかない。しかし、皮肉なことに一番懐いており、追い出すのも可愛そうだし、来なければ心配でしょうがない。いつになっても、悩みは尽きない。
Jun 20, 2007
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ママのお腹は日を追うごとに大きくなり、激しく動いているのがわかるようになった。このまま順調なら、この連休がヤマだろう。 ところが、平気でサンと追いかけっこで駈けずりまわっている。これはまだ先かなと思い始めた6日深夜、異変が起きた。陣痛が始まると、第一子から第三子までは、ものの三十分で産まれた。さすがベテランだが、ここで力尽きたのか、次がかなりの難産だ。それもそのはず、逆子であった。これもなんとか無事に乗り切り、朝までに6つの小さな命が誕生した。まずは目出度い。 サンは直前まで取っ組み合いをしていたので心配だったが、出産後は嘘のように大人しくなった。父親の自覚があるのだろうか。でも残念ながら、おそらくサンは父親ではない。写真はまだカラーを付けているが、現在は既に取れている。 オマケに、バンダナ猫の近況。どこの猫かはいまだわからないが、ウチではブチと呼んでいる。前回入院と書いたが、5日ほどで退院してきた。今は日に数回遊びに来る。ダッコが大好きで、そのうち寝てしまう可愛い奴だ。皮肉な事に、ウチのどの猫より馴れている。
May 7, 2007
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またまたまたまた更新をサボっている間に、大変なことになっている。我が家の庭に御飯だけ食べに来る猫は現在五匹だが、首輪をしているのとバンダナを付けているのがそれぞれ一匹ずついる。良く慣れていてダッコも出来るが、人様の猫をもらうワケにはいかない。でもどこの家の猫か判らないし、夜中に来たりするのはちょっと困る。4月中旬頃に寒さがぶり返したが、そのせいかバンダナが具合悪そうだ。帰宅すると家内が抱いて暖めていた。夕飯の支度のため、代わりに私の腕のなかで寝ていたが急に我に帰ったらしく、しきりに外に出たがった。寒かったので心配だったが、出してやった。すると庭の犬小屋で寝てしまった。たまに泊まっていくようなので落ち着くのだろう。ホカロンと湯たんぽを入れて様子をみることにした。次の日は生憎の雨。行き付けの病院は獣医としてはめずらしく医師が常時4~5人いるのだが、馴染みの先生が開業等で辞めてしまい、信頼出来る医師は現在一人。その先生が休みだったので、翌日診てもらおうということになった。 さて当日、ズームイン朝の名前占いによると、運勢は最悪でラッキーアイテムがなんと猫、いやな予感がよぎる。家内が診せにいったところ、即入院となった。一安心したが、午後になって家内からメールが届いた。ガリガリの子猫を保護して餌を食べさせているとのこと。聞けば用事があって普段は通らない道を歩いていると、家に餌を食べに来る首輪の猫を見かけた。このあたりの一軒が無責任な飼い方をしているらしい、と直感を働かせると、向いの畑のゴミ捨て穴に子猫が二匹、一匹は手遅れだったらしい。一応保護したが、不細工なんだよ、どうする、捨てる?とメールで聞いてくる。私が万が一にも捨てろなどと言わないことを知っているのだ。すぐ診てもらうように指示して帰宅すると、どうするもこうするもなく、すでに「つばめ」という名が付いていた。女の子であるが、画像のようにアゴが黒くて髭に見える⇒ジャックスパロウ船長⇒スワロー⇒つばめだそうだ。子猫と思ったが、先生によると一歳前後かもしれないとのこと、多分栄養失調で、体重は2キロしかない。 治らないかもと言われていたサンの肉球は、嘘のようにきれいになり、元気いっぱいに駈けずりまわっている。首にかじりついて来て甘える様は、まるで赤ちゃんのようだ。赤ちゃんといえば、ママのお腹が大きいので腹水でも溜まっているのかと気になっていたのだが…(つづく) DATA:つばめ(雑種・♀・2.kg・推定1歳)
May 2, 2007
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またまた更新をサボっている間に、大変なことになっている。犬の散歩コースから50m程それたところに養鶏場がある。正確にはあった。最初に鳥インフルが話題になった頃、ここでも問題があったらしくてひっそりと営業を止め、最近になって8割位が取り壊された。最盛期には、ここに20匹位の猫がいたのだ。そのうちの何匹かは、我が家に来たと思うが、次第に減って残り2匹になっていた。黄土色のオスメスだが、行動範囲が狭いらしく、痩せている。元従業員らしい方が餌をあげに来ているようすだったが、家内が散歩の途中に餌やりを始めた。隣接の畑に壊れた小屋があり、そこで雨風を凌いでいるようだ。始めは警戒していたが、呼ぶと出て来るようになった。オスが足にケガをしていて心配だと言うが、様子を見ていた。私は休日に行くだけだがなるほど、栄養状態も悪そうで、環境も劣悪だ。 3月初めの日曜日、めずらしく休日出勤していると、夕方家内からメールが来た。メスが弱って動けないという。これは困ったと思ったが、この状態を放置出来ないトラウマが私にはある。(これは後述)すぐに保護して獣医に予約を入れるよう伝えて、飛んで帰った。兄妹だろうし、片方というワケにはいかない。2匹共診てもらうと、共に熱があった。あの環境で、暖冬とはいえこの寒空では無理もない。そして覚悟はしていたが、やはり2匹共、エイズキャリアであった。オスの足は深刻で、右前足と左後足の肉球が血豆状に腫れて出血している。これについては治らないかもしれない。ともあれ、まずは治療。即刻入院とあいなった。 メスは3日、オスは一週間で退院した。メスを迎えに行った時に推定年齢を聞くと、3~4歳らしい。小さかったので若いに違いないと思い込んでいたので、意外だった。それならきっと母子だろうということで、息子が「ママ」と「サン」と名付けた。が、これがとんだ早合点。何事も思い込みは要注意だ。オスも同年齢らしく、兄妹かカップルだったのだ。でもしっくり来る名前なので、そのままにした。ママはご覧のように凛としたベッピンさんで、もう少し太れば良い猫になるだろう。爪も立てないし、落ち着いている。 サンはまだカラーが取れないが、甘えん坊で活発だ。困ったのはトイレを覚えないこと。トイレの砂が足に痛いのだろう。そのうち慣れるだろうが、またまた洗濯機が大活躍だ。他の猫とは一緒に出来ないので、息子の部屋で飼うこととした。 DATA:ママ(雑種・♀・3.2kg・推定3歳) サン(雑種・♂・3.5kg・推定3歳)
Mar 20, 2007
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カテゴリー:動物その一:もじゃ&ねむ 幼い頃から動物好きな私である。小学校の時など、何匹となく子猫を拾った。だが、実家が一軒家だったにもかかわらず、祖母が動物嫌いな人だった為、飼うことは許されなかった。そこで、当時は沢山あった空き地に置いてあったコンテナや土管に子猫を隠し、餌をあげに通うのだが、たいてい翌日にはいなくなっていたものだ。通学時に拾った時には小学校へ持って行ったこともある。箱に入れて教室の後ろに置いてもらったが、鳴くと授業そっちのけで世話をするので、先生を困らせた。所帯を持って暫くは社宅や団地住まいだったので、ペットはモルモットやうさぎ止まりだったが、平成13年秋、一戸建てに引っ越すにあたってようやく解禁を迎えた。その反動が今の有様なのだ。(自己弁護) こうして何かを飼い始めるのは時間の問題だったが、引っ越した時点では、うさぎが4羽と文鳥・雀等がいたので、猫はありえないと判断した。となれば犬だ。当初は保健所からと思い調べてみたが、里親になるためには2日間の講習を受けなければならず、断念した。講習を受けて資格を得たとしても、処分待ちの沢山の中から選ぶなんて、不可能と思えた。年も明けた3月下旬、うさぎの薬を買いに訪れた大きなペットショップで出会ったのがこの仔達だ。ここは生体も扱っているのに、里親探しに協力的である。沢山の張り紙と共に、現物の展示もしてくれる。五匹の兄弟姉妹だったらしいが、三匹は既にもらわれて行った。つまり残った二匹というわけだが、とても愛らしく、なにより外観がまったく違うのが面白くて、その場で何の手続きもせずにいただいてきた。当時3ヶ月。左がオスで「もじゃ」、右がメスで「ねむ」と名付けた。 実はもらってからが大変で、最初は室内のサークルで飼っていたが、中型犬なので、やがて外に出さなければならない。ところが私の家内は首輪に鎖を良しとしない。適当な犬舎を探したがどれも中途半端な代物で、結局このような立派なものを造るハメになった。本来はゴミ置場として販売されているものだ。冬季はぷちぷちでカバーしてある。 DATA:もじゃ(雑種・♂・20kg・5歳) ねむ(雑種・♀・18kg・5歳)その二:みけ 犬をもらって来てから4箇月後の7月後半、まだ空き地だらけだった自宅周辺に、三毛猫が出没しだした。最初のうちは裏の子供達が遊んでいたが、やがてウチの庭にも来るようになり、餌をあげると足に擦り寄って来るほど懐いた猫だった。それでもうさぎがいたので心を鬼にしていたが、大型台風の予報で心配になった。その夜だけのつもりで一室を締め切って入れてやったが、その日から朝出掛けて夜帰って来る通い猫になった。抱き上げても爪ひとつ立てないし、うさぎとも共存出来たのである。ベタだが「みけ」と名付けて、野良と間違われないように鈴を付けた。薄ぼけた色も栄養が良くなってはっきりしたし、何より賢い。 やがて、私の帰宅に合わせて帰って来るようになった。家路を急いでいると、姿は見えないが、鈴の音が聞こえてくる。一定の距離を置いて歩いているのだろう。そして玄関と庭から、同時に帰宅するのだ。こうなると、本当に可愛い。しかし忘れもしない、その年のクリスマスの晩、みけは帰って来なかった。次の日も、また次の日も、明け方まで待ったのに。もうダメかと、いよいよ諦めかけた5日目の夜、薄汚れた姿でひょっこり帰って来た。その時の嬉しさと言ったら!! その日を境にみけは完全室内飼いになった。その後、猫は次々と増えたが、我が家の猫社会では常に頂点はみけであり、女王様よろしく睨みを利かせている。夜は必ず家内と一緒に寝る。目覚ましが鳴ると家内を起こし、私の寝床に潜り込んで来る。人を起こすのは自分の仕事と思っているのだろう、暫くすると私を起こし、起きると安心したようにぐっすりと眠り込む。 だがみけは、我が家の猫では唯一の白血病キャリアだ。発症するとは限らないが、もし発症すれば、現在では治療法が無い。そんなハンデもあってか、一昨年の春、胸部リンパ癌になった。食べてすぐに吐き出すのですぐに検査したところ、胸の腫瘍が食道を圧迫していた。なんとか治して欲しいと相談すると、米国で開発されたプログラムが効果的とのことだ。人間用の抗癌剤を使った治療で、半年に渡る。当初は一週間毎、後半は二週間毎に三種類の抗癌剤を組み合わせて使う。レントゲン検査や血液検査が伴うので費用も半端ではないが、可能性に賭けてみた。 すると果せるかな、効果はてきめんに現れ、2~3回の抗癌剤投与で腫瘍は消えてしまった。人間と違って精神面の負担が無いので、効きが良いらしい。その後の治療も順調で、副作用もほとんどなく、半年間の治療を終えた。今でも一日おきに薬を飲んでいるし、三ヶ月毎に検査を続けているが、このままあと半年程順調であれば、完全治癒となる。 DATA:みけ(雑種・♀・4.2kg・推定5歳)次回「どら」に続く。
Feb 13, 2007
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2月1日(木) ディズニーリゾートには、いくつかの謎がある。その一つがトイレの壁の色である。白やベージュのタイルを使うことも多いが、色のタイルという場合には男性が淡いブルーまたはグリーン、女性が淡いピンクといったところが一般的であろう。ところがディズニーリゾートにおいては、これが逆転しているのだ。調べてみても、なぜなのかは判らない。とりあえず、セクハラの関係では?という意見があるが、どうだろうか。ご存知のように、アメリカではセクハラの考え方が非常に厳しい。女性だからピンク、と決め付けることがセクハラに当たるということらしい。逆にしたから良いってものでもないような気もするが。 2月4日(日) 本日はシーに娘とデート。Tパパには逢えなかったが入場ゲートで妹夫婦と遭遇。私は4ヶ月ぶりのインポート、あちらも1年ぶりというから、血の繋がりは恐ろしい。風が冷たい一日だったが、娘の苦手なTOTをパスしたので、主要なところはほぼ制覇。初めてミゲルズに入ったので、Tパパ絶賛のフランを堪能。なるほど、濃くてウマイ。レアチーズが混ぜてあるのかも。 2月15日(木) 会社の帰り道に、宮崎県のサテライトショップがある。50m程それてはいるが、つい寄ってみたくなってしまう、ミーハーな私。地鶏の炭火焼き、まだ売り切れてんのかなあ…とか思いながらも、ぐっと我慢して家路を急ぐ毎日だ。今日は風が強いから、流されちゃうかも。
Feb 1, 2007
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1月25日(木) 昨年より水面下で燻ってた耐震偽装の第2弾がついに表面化した。2ちゃんねらーやきっこの日記の読者ならとっくに知っているだろうが、一般の方には初耳だろう。私も建築関係の仕事をしている関係もあり、またアップルガーデン若葉は地元でもあるので今後の展開が気になっていたが、国交省もちゃんと調べてたんだな。記事を読む限りでは京都市のお手柄かも知れん。本当は藤田氏の手柄なんだけど。さて、この後の展開は…。ぞくぞく出るかな? 1月28日(日) たまは先週ウチに来た。昨年10月頃から、たまに来ては餌を食べて帰っていく。たまに来るから、たまと名付けた。今年になって頻繁に来るようになり、一日に二回来るようになり、餌を食べてもすぐには帰らなくなった。オスだったらウチには入れられないが、三毛だからメスだ。餌で釣りながらスキンシップを試みると、やがてダッコまで出来たので、そのまま獣医に連れていって健康チェック。問題無しとのことで、晴れて家族になった。ただひとつ、初めて姿を見せたときから、しっぽの状態が気になっていた。引きちぎられたのか、赤くなっている。人為的な傷かもしれない。良く見ると、すでに乾いてはいたものの、一部骨が露出してウミも出ている。もちろんそのままという訳にもいかないので今日断尾手術をした。一晩入院なので、今夜は久々に静かだ。明日はエリザベスカラーで帰って来るので、暫くはまたドタバタが続く。ゆっくり寝ておくことにしよう。 1月29日(月) 無事帰還。避妊手術も同時に済ませた。エリザベスカラーで早速ドタバタしている。しっぽはこんな感じ。毛を剃ったので変な感じだが、生え揃えば可愛くなるだろう。暫くはガマンしてね、たま。
Jan 25, 2007
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カテゴリー:ディズニー>PRESSパス 久々の更新です。季節的にクリスマス物、なんてことは絶対やらないへそ曲がりな私ですが、見てるだけで楽しくなる、こんなのはいかが? ディズニーリゾートでは各種記念日やアトラクションオープン時などに、大勢のマスコミを招待する。その時、数々の記念品と共に配布されるのがこのPRESSパス。取材エリアやPRESS専用休憩所に入るのに必要な通行証だ。むろん当日限り有効だから、持っていたって何にもならないのだが、その大きさやデザインは色々で、飽きないし楽しい。古いものから見ていこう。 まずはランドの5周年、そして翌年のスターツアーズグランドオープン時のもの。この二つはご覧のようにテレフォンカードになっている。金銀が使われており、デザインも良い。但し、このような美品はめったに無い。理由は二つ。会社との連絡用の意味があったので、多くはその日のうちに使われた。使わない場合はホルダーに入れたまま放置された。この場合は金銀の部分がホルダーにくっついて剥げてしまう。たまに市場に出廻るのは、程度の差はあるが、剥げているものがほとんどのようである。(1988/1989年) 次はアメリカンオールディーズとパーティグラパレード。アクリル板の裏にクリップと安全ピンが付いたシンプルなものだが、デザインが良い。とはいえ、マスコミの方がこれを付けて歩くのは抵抗があっただろうね。(1989/1991年) 続いては一大イベント、スプラッシュマウンテンのグランドオープンだ。ビニール製のバッグタグに紐が付いて、首から掛けるタイプになっている。デザインも楽しく、裏に名前が書ける。同時にリストウォッチ、折り畳みの丸太型バッグ等の配布があったようだ。(1992年) そしてこちらも大イベント、節目の10周年である。豪華な革張システム手帳で、これまでの歩みなどが紹介されている。表に型押しのエンブレムが付いているが、渋いデザインで気にいっている。巻末にプラ製のPRESSタグが付いており、抜き取って紐を付け、首からぶら下げる。(1993年) 翌年のスペシャルイベント、アラジンの大冒険の時のもの。スプラッシュと同様のバッグタグで、裏に名前が書ける。形のせいか痛み易く、色褪せも激しい。このイベント時のキャッスルショーは凝っていて素晴らしかった。(1994年) これはどうしたことか。トゥーンタウンオープンという、これもかなり大きなイベントだったはず。スポンサー不在のせいか? どこから見ても飲料水のオマケ程度にしか見えない、黄色いポシェット。ベルトに通せるようになってはいるが、携帯電話か眼鏡位しか入らない。印刷もこすれば消えてしまいそうだ。もう少しなんとかならなかったのか…。(1996年) こちらの方が立派だ。ミクロアドベンチャーのグランドオープン。一連のビニル製だが、バッグタグ仕様ではなく、紐が付いているだけだ。このミクロ、私はオープニングセレモニーを見たのだが、実に噴飯物であった。ここでは書かないが、あんなセレモニーならやらない方がましだ。テレカの事件もあり、踏んだり蹴ったりの一日だった。ミクロその物は好きだが。同時配布はリストウォッチと銀色のジャンバー等。(1997年) 来ました、節目の15周年。4シーズンパスポートというあこぎな企画に乗せられて、年パス持ってるのに買ったっけ。このPRESSパスも4シーズン使い廻しだったのかどうかは判らないが、しっかりした造りだ。デザインもキャラクターのいないシンプルなものだが、なかなか良い。(1998年) 次は全体でも異彩を放つ、ドナルドのワッキーキングダム。パークをドナルドに乗っ取られたのだ。PRESSパスも団扇のように大きく、ドナルドの足型だ。実はこれ、紐を外せばマウスパットになるのだ。楽しくて良い。(1999年) さあ!ついに待望の第2テーマパーク、ディズニーシーのオープンです。PRESSパスもさぞや豪華…と思いきや、なんともショボイ。世の中、不況の真っ只中だったっけ? 紙です、紙。紙に紐が付いてます。これじゃ一日ぶら下げてるうちに、ちぎれて飛んでっちゃうな。美品はレアかも知れん。デザインは同時オープンのホテルミラコスタとのコラボだ。(2001年) やっぱ不況だったんだ、2001年。こっちも紙だよ、しかも小さい。だけど紐はランヤードだ。思えば初めてランヤードって聞いた時、???だったな。走る為の広場かと思ったもんだ。要は巾広の紐だ。ピンバッジブームだったってことだ。いかん、思い出話しちまった。これはエレクトリカルパレードドリームライツの時のね。(2001年) ちょっと飛んで、またまた節目の20周年。ちょっとは景気も持ち直したか、プラですよ、ハイ。ランヤードが付いてます。こいつにはバウチャー券ってのが付いている。いわゆるお食事券です。漢字で書いてあったらカッコ悪い。で、使用前、使用後の2種類。未使用は珍しいかも。(2003年) 疲れた?もうちょっとで終わるからね。バズのアストロブラスター。実はこれが出来てから一度も行ってません。ちょっと小さめだけどシステム手帳。未来っぽい感じを出そうとしたのか、アルミ製です。面白いけど手帳としてはメチャクチャ使いづらいです。これも巻末にパスが付いてるタイプです。キャラクター紹介なども付いてます。(2004年) 鳴り物入りで始まった割りには反応の薄いブラヴィッシ-モ!。鶏ガラとか伊勢エビなんて言われようと、今日もプロメテオ君は一生懸命火を噴いているはず。ベリッシーも優しく見守っているよね。私は大好きなんですけど。プラ製で割りに大きく、紐に戻ってます。ピンバッジブームも去ったって訳ですね。夜の取材に備えてか、ミニライト付属です。親切ね。(2004年) シーに出来たコースター、レイジングスピリッツです。これは探検隊ってことか、革製で、珍しい腕章タイプ。でも一番プレスらしいね。同時配布はミニライトとか水筒と、こちらも探検隊仕様ですな。私は一回だけ乗りましたが、一回転のところで首が埋まりました。(2005年) 最後はタワーオブテラー。パスケースに紙が入ってる、つまらないタイプ。シーの5周年は未入手ですが、基本的に同じタイプです。それにしても絵柄が面白くない。シリキ君でもデザインすればいいのにね。(2006年) ここに無いの持ってる方は教えてね。クリスマスとかハロウィンもマスコミ入るけど、PRESSパスって見たこと無いね。なんでだろう?
Dec 19, 2006
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カテゴリー:ディズニー>非売品 あまり大っぴらにご覧いただくのもどうかと思うが、こんなもの達。過去にもカヌーレースの優勝楯やら工事用ヘルメットをご紹介してるが、それらと同じ類のもの。本来は私が持ってちゃイケナイものだ。 チロル帽。某おとぎの国で、共通的に使われている。サイズはXLで新品。語るべき事は何も無いが、なぜかスカイウェイを思い出して懐かしくなる。BGMがヨーデルだったか? 移動という点では歩いた方が速いワケだがランド内の景色としての存在は大きかった。 上から見下ろす風景もまたオツで、日通がスポンサーというのも、妙に的を射ていて面白かった。スポンサーと言えば、日産が契約を解除したというニュースがあちこちで話題になっているが、同時に5社もがスポンサー契約を解除している。 こちらも契約解除となった某西部の国の某鉄道、機関士の帽子である。サイズはXLで新品。本当はカッコ良い車掌さんの帽子が欲しいのだが。東京ディズニーランドとオリエンタルランドのWネームになっている。 次は某おとぎの国で比較的こじんまりと開催された'97年冬のイベント、スノーホワイト・スプリング・ロマンスのバナー。サテン生地と思われるが実際に使用されたので、僅かながらもシミや縮れが見受けられる。バトンもメッキが少し剥げているが、流石に頑丈な造りになっているようだ。20周年時のティンクのバナーが欲しいのだが、無理だろうな。 以上はおなじみだが、流石にこれは珍しいに違いない。最近はどうだかわからないが、ランドでミュージック・フェスティバル・プログラムというのをやっていた。パレードルートやステージで幼稚園やら学校のバンドが演奏していたアレだ。詳しくは知らないが、申し込み制だったのだろうか。それの参加賞(?)と思われる。真鍮製で、一応ミッキーの形をしているが、片耳の一部が腐食している。1,987とあるので、結構古いものだ。
Sep 7, 2006
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カテゴリー:ディズニー>皆勤賞 予告と違うが、先日のプチオフ会で話が出たので今回はこれ、皆勤賞だ。本場のキャストは勤続年数に応じて皆勤賞がいただけるようだが、こちらではアルバイトも対象になっているのか、勤続時間によって色々な皆勤賞がもらえる。その内容も定期的に変わるので、種類やデザインは多岐に渡り、とても楽しいコレクションとなっている。 まずはCDとテレカ。共に2,000時間勤務で授与された。CDはシーが出来てからのデザインでディズニーリゾートとなっており、こちらの方が新しいと思われる。内容的には収録順は異なるものの、市販のCDに同じものは存在する。テレカはご覧のように2枚セット。センスの良いデザインで気に入っている。この2種類のデザインは、次の時計にも使われている。 その時計。左が3,000時間、右が5,000時間。昔は3,000時間でいただけた時計が、今は5,000時間勤務しないともらえないというわけで、このあたり世相を反映しているようで面白い。連続で時計をもらったキャストも大勢いたってことだな。デザインは違うけど。 次はランド開園当時と思われる古いもので、スプーンである。3,000時間、5,000時間、7,000時間とあり、それぞれ錫メッキ、銀メッキ、金メッキ仕上と推察する。このスプーン、所有のものを含めていくつか見てきたが、箱の状態が悪い。いわゆる「ゴムのり」が使われているようで程度の差こそあれみな一様に黄色い染みが浮き出てしまっている。 そして、この3本がセットになったものもあるが、これがどういう場合にもらえたのかが皆目判らない。ご存知の方がいらしたら教えていただきたい。例によって、余ったものを組み合わせたのかとも考えたが、ご覧のように5,000時間の色が違っているので、わざわざ製作されたもののようだ。 次はプレートとクリスタル。プレートが5,000時間、クリスタルは両方とも10,000時間。右の方が初期のもので、スプーンと同じ、おじぎミッキーのデザインだ。プレートはやや小ぶり、クリスタルは2cm弱の厚みでずっしり重い。スタンド部に受賞者の氏名と日付が刻まれている。 最後は楯。左が15,000時間、右は20,000時間の勤務で授与される。結構な大きさで、実に堂々としている。前出のプレートと同じデザインであるが、浮き彫りになっている。但し、表情は大きく異なり、20,000時間の方がより立体的な仕上りになっている。ここにご紹介したのは、ほんの一部であろう。まだまだ種類は沢山あるに違いない。
Aug 24, 2006
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カテゴリー:ディズニー>RonLee RonLeeのフィギュアリンについては、過去に紹介済みであるから記事を遡ってご覧いただきたい。簡単に言えば、オニキスのベースの上にピューター製のフィギュアが固定されており、金メッキの上に塗装されたものだ。ハンドメイドで、ずしりと重く、温かみがある。 さて、日本にディズニーストアが誕生したのは92年8月である。どんなマーケティングの結果か知らないが、本牧という、辺鄙な場所(失礼)だ。桜木町からバス、という立地に一号店を作るというのは理解不能であった。当時は行く気にもならなかった。当然ながら、現在では撤退してしまった。 当時のDF誌には本牧店オープンの記事があり、RonLeeも何点か載っている。でも、高いなあ位の印象しか無く、興味も無かった。その後何店かがオープンし、9~10店舗となったあたりだろうか。私は時計に嵌り始めた頃で、DSチェックが欠かせない毎日であった。そんなある日、日本橋高島屋店で、キャストの営業トークが耳に入った。 そのキャストは、常連らしい女性客にこう言った。「○○様、ちょうど今日、新しいRonLeeが入荷しまして、とっても可愛いミッキーなんですよ。一つしか無いんで、いかがですか?」一つと言うワードに激しく反応した私は、二人の後を追ってガラスケースの前へ。ケースを横目で見ながら、耳はダンボだ。なるほど、普通よりも小さなそれは大変可愛く、価格も手頃だ。この人が買わなければ、自分が買おうと決意したその矢先、「そうねえ、もらおうかしら」次の瞬間、私の足は公園通り店へと歩き出していた。いや、傍目には競歩に見えたかもしれない。 はたせるかな、公園通り店にミッキーはいた。早速購入の意思を表明すると、対応したキャストは丁寧に梱包しながら衝撃の一言を口にした。「昨日はミニーちゃんもいたんですけどねえ…」これはイカン。あとの店は、みな遠い。即座に電話で問い合わせてもらうと、本牧にあるのが判明。取り置いてもらって、翌日迎えに行った。本牧店に出掛けたのはこの時が始めてだった。二つを並べると、また一段と素晴らしく見える。 この二つが、初めて入手したRonLeeである。それから現在に至るまで、コレクション地獄が続いている。あと少し、ミッキーのものを紹介しよう。こちらはティーカップ。ミニーではなく、グーフィーと一緒なのが良い。このグーフィーの慈愛に満ちた表情、対するミッキーも素晴らしい。私はしばしば、会話が聞こえてきそうな表情という表現を使うのだが、まさにコレである。大きさも相当あり、両手でなければ持てないほど重い。後期の石が薄いバージョンも存在するが、色も違う。 そしてお馴染みの、ソーサラーミッキー。5~6種あるソーサラーの中で、最も出来が良いのがこの「切株のミッキー」DSに来た頃にはSOLD寸前で、最終ロットの一つである。ギリギリで入手出来た記憶がある。しかしこのミッキー、どこかおかしい。お気付きであろうか。そう、帽子の中央正面の三日月が無いのだ。星になってしまっている。間違えたのか、わざとなのかは判らない。次の小さいミッキーは非売品らしい。会員にプレゼントされたものと聞いている。販売じゃないからいいだろう的に、1663/500という、めちゃくちゃなシリアルNo.が書いてある。この二つは並べると、目線が合う仕掛けになっている。 次回は、ディズニー以外のRonLeeを特集の予定だ。
Jul 31, 2006
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カテゴリー:東京ディズニーランド>アニバーサリープレート いよいよディズニーシーも5周年、前倒しで7月14日から、イベントが始まる。シーもランドも一年ごとの節目には、招待客やマスコミ各社を招いて新しいショーやアトラクションのお披露目等が行われる。その際にお土産として様々なものが配布されるが、5周年、10周年といった特別な時は、その種類も多岐に渡るようだ。その中から東京ディズニーランドのプレート類をご紹介。素性が不明なものもあるので、教えて頂きたい。 まずはグランドオープン。こちらはさすがに古いものだが数が多いので市場でもたびたび見掛けるし、既にお馴染みだろう。周囲の紺地に金色でキャラクターが描かれている。しかしながら、当時はまだ技術が低かったのか、金がハゲかけている。今まで何枚か見ているが、程度の差こそあれ完品と言えるものは無かった。このことは、5周年のプレートも同様だ。 その5周年。数はやや少なめであるが、たびたび見掛ける。写真の様に同じデザインのスチール製トレーもあるが、これがどんなものか、とんとわからない。市場にはほとんど出てこないが、販売品なのかもしれない。 次が10周年。実は、これがなかなか入手出来なかった。リマウジンツアーの皿時計というのがあって、比較的簡単に手に入ったのであるがこれに10周年のロゴもあったので、これがそうなのかと思っていた。存在を知ったのは数年後だ。数が少ないのとデザインが良いのが理由か。実際、10周年ロゴが大変素晴らしいし、金色部分もとてもキレイだ。 15周年は4シーズンに渡ったイベントの為か、プレートは無かった。(と、思われる。)画像はマジックキングダムクラブのもの。非売品に違いないが、どういう配布のものかは知らない。市場性は大変薄い。小皿4枚のセットで、なぜかグーフィーがいない。半端物かとも思ったが、箱にきっちり収まっていたし、画像のように同デザインの缶バッチも4種だけなので、これで良いのだろう。まあ考えてみれば、長身のグーフィーは、このサイズのプレートには入り切らない。 そして、まだ記憶に新しい20周年。大きく薄いプレートで、とても良いデザインだ。周囲はアトラクションのモチーフ。中央はビック7とティンクがいる。当初は市場でさかんに売買されたのでご存知だろう。 最後は、オマケ。私が苦手なイクスピアリ/アンバサダーホテルのグランドオープンだ。これも大きく薄い。落ち着いたデザインである。こう見ていくと、大きさやデザインには統一性が無い。展示や収納には都合が悪いが、バラエティに富んでて楽しい、と言っておこう。
Jul 12, 2006
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カテゴリー:オリエンタルランド>ピンバッチ さて、コレクションの整理をしていて、ぞろぞろ出てくる夥しい数のピンバッチ。なんでこんなものを買ってたのか。病気だったと考えるしかない。中には立派なのもあるが、大半はガラクタだ。しかし、これもコレクターの血がなせる業、否定しては私の存在も否定することになるので、これはというものを紹介していこう。 で、当然ながらコイツも出て来てしまった。蘇る悪夢。封印しておこうとも思ったが、時はまさに7月7日。先のぼったくり銀行やミラコの許せない商法が重なり、鼻息荒くキーボードを打つ!!! 7月7日は七夕であるが、同時にピアリ/アンバサの6周年記念。シーの5周年も一足早く7月14日からとお祭りムード真っ盛りに水を差す記事である。ピアリ大好き!な方はご退場願いたい。私はイクスピアリが大の苦手なのだ。(このあたり、極力ソフトな表現)どんなところ? と問われれば、即座に「異常にデカいモノレールの駅」と答えるであろう。 今から6年前、2000年の梅雨である。ピアリに入る主な店舗の店が銀座にもあるというので、ピンラリーが催された。当時は、まだ見ぬピアリのオープンを心待ちにしていた私は、当然のように出撃した。確か、日産銀座ギャラリーの店頭で地図を受け取り、数店舗を廻って9個のピン(非買品)を集めるのだ。2日ほど参加したが、小雨降る中、肌寒かった記憶がある。この手のイベントに一人で臨むのは、ちょっと痛い。天候が悪いのも手伝ってか、途中それらしいグループとは2~3回すれ違っただけだ。2種ずつ位もらえるらしいが、どの店がどのピンか不明なので最短で廻れるように考えたつもりだったが結構ちらばっているのと、せっかく寄ったのに、開店前だったりでぐるぐる歩き廻るハメになった。おかげで銀座の地理に詳しくなったが、普段は用事の無い場所なので、何の役にもたたない。 気候以上に寒かったのが、各店の対応である。「あ、また来た」みたいな。お店の人は、半ば「やらされて」いる訳で、そのあたりの感覚、今は良くわかる。私自身、つい先日まで2年弱だったが店員の職にあったから。お金を落とさない連中など、相手にしてる暇など無いのだ。あるレストランでは面倒とばかりに大きなカゴに入れて、店の外に置いてあった。一番困ったのが、ランジェリーの店だ。ただでさえ入りづらいのに、いつ行っても客がいる。何度目かに意を決して飛び込み、もらって来た。行く先々で寒い思いをしながらも、やっとコンプリート。でも、結構ダブリがあるもんでここで欲が出る。結局3セット位出来たところで、ゲームセット。 数日後、待ちに待ったグランドオープンだ。何とかプレビューを入手して、前日に乗り込んだイクスピアリは………色々ありすぎて書ききれないのでまた今度。すっかりヘコんで帰る通路のワゴンを覗き込んだ、その瞬間、落胆は怒りに変わった。な、な、なんと くだんのピンバッチを、セットにして売ってやがった あんな状況だったから余りまくったんだろうが、OLCさんよ、それをやったらオシメーだよ。踊った自分がバカなんだけどな。 (銀座プレオープンイベント ショップラリー 2000/6/19~25)
Jul 7, 2006
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カテゴリー:ディズニー>会員制クラブ 今でこそディズニーシーでアルコール類が供されるようになったがかつてはディズニーランド内で唯一、お酒が飲めるレストランとして噂になった誰もが知ってる秘密の会員制クラブ、それがClub33だ。 一応は秘密なので、ガイドブックにも載ってない。場所は銀行の隣、扉に33と書いてある。むろん予約がなければ入れない。ここの敷居は恐ろしく高いのだ。スポンサーのお偉いさんでもなければ入会は無理のようだ。入会したくて株を買ったという話も聞くが、どっこいそうは問屋が卸さない。OLCの株主は7万人を超えるのだ。 入れないとなれば、逆にどうしても入りたい、B型の私。一計をば案じた。題して「ヘタな鉄砲も数撃ちゃ当たるかも」作戦。私は仕事の関係で、実に沢山のメーカーの営業さんとお付き合いがある。 会う人会う人に、片っ端からこれこれこういうクラブがあって…と尋ねていると、「当たってみます」という方が現れた。私はにわかには信じなかったが、数日後に連絡があり、なんと予約が取れたという。詳しく聞けばまさに伝家の宝刀、当時のトップからのコネであった。 さて、指折り数えた予約当日。くだんの営業氏、会社の上司二名とともに朝から遊びまくりである。少し小雨まじりの6月の平日とあって、園内はとても空いていた。程よく疲れた午後6時、33扉のインターフォンを押す。そこにはエントランスとクロークのみがあり、奥のエレベーターで二階へと上がる。手前に戻って右に曲がるとレジ前の待合スペース。さらに右側が客席になっているが、ゆったりしたスペースで、6~8席位と記憶している。さらに右手にもう一つ部屋があり、そこが正会員用、こちらはビジター用の席と思われる。実はこの二つの部屋、大きめの開口部で繋がっているのだが、大変大きな違いで差別化されていたのだ。この違いについては後ほど。 さて私、席に着くまでは嬉しさもあって相当に緊張していたのだが、店内を観察するうち、一気にリラックスしてしまった。まずチーフと思しき方が小野やすしにそっくりなのだ。本人ですか?と聞いてみたいほど似ている。あとのウエイターは4人ほどいたが、大学生のアルバイトのようだ。そして彼らがまた、見ていて可愛そうなほどキンチョーしているのだ。考えてみれば、ここは会員制の秘密クラブ、どんな客が来るか判らない。わがままな客もいるだろうし、失敗は許されない。こちらが緊張することはないのである。そうして余裕が出来ると、ちょっと違和感を覚えた。何かが足りない…と思っていると、奥の部屋にウエイトレスの姿が。そう、これが差別化、正会員用の部屋にしかいないのだ。こちらには前途した緊張ウエイターのみ。 落ち込んでも仕方がないので、メニューに目を通す。季節のコース(1.2諭吉)をオーダーして、まずはビールで乾杯。飲めないところで飲む酒は、すこぶるウマイ。初夏とあってスープは冷製、ビシソワーズというやつだ。続いて前菜、メインは魚と肉、両方だったと記憶している。値段もいいが味も良い。渡り廊下で繋がっているので、イーストサイドカフェで調理しているのだろうが、格段に違う。マゼランズの料理も結構な値段だが、まったく別物である。まあ、当たり前か。 一品一品、丁寧な説明があるが、私のツボに入ったのがデザートの説明。ムースだったが、「下がなんちゃらのムースで、上がなんちゃらのムース、一番上が長崎から取り寄せましたカステラです」 へーえと聞いていたものの、食べてみたらカステラは直径5センチ、厚さ1ミリである。味なんか判らない。おかしくておかしくて、仕方なかった。 季節はずれの平日で、客は私達だけ。正会員のスペースではOLCの幹部が会議がてら食事をしている様子だった。そのせいか、ウエイターは部屋の四隅に立って、パンのクズがこぼれたのを見れば、銀の皿とブラシを持って掃除してくれたり、実にゆったり、気分良く過ごせた。7時半のパレードの時間になると。窓の庇をたたんでくれる。外から見ると、ホームストアの二階の窓だ。音はスピーカーで流れ、遠目ではあるが、障害物なしで堪能出来る。パレードが終わる頃、食事も終わる。 後ろ髪を引かれながらレジに向かうと、なんとここでウエイトレスのお姉さまが二人ついてくれた。OLCのテーブルも終わったのだ。33の商品を売っているので、ここでまた粘りに粘った。ここで実際に使っている33の金文字が入ったプレートが欲しかったが、3諭吉である。まだ一枚も売れてないんですよ、と囁かれて欲しさ倍増である。時計も欲しかったが、3.5諭吉。結局パスケースと名刺入れのセット、タオルを買って、ここを出た時、もう9時を廻っていた。 早いもので、あれからもう7年だ。帰り際に、また利用出来ると聞いていたので電話してみたが、けんもほろろに断られた。正会員の紹介が必要とのことだ。かつてはトップだった方でも、現役を退けば正会員ではないのだ。時計とお皿、やっぱり買っておけば良かった。
Jun 15, 2006
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カテゴリー:ジブリ>風の谷のナウシカ>フィギュア 「なんどめだナウシカ」ご存知だろうか。2002年1月11日、テレ朝系 「TRICK2」 で習字の場面で書かれた文字である。この日の日テレ系では風の谷のナウシカがオンエアされており、いつも視聴率を持っていかれるテレ朝が、せいいっぱいの皮肉を込めた映像だ。私はナウシカを見ていたので、後で知った。 私はジブリ作品があまり好きではないが、トトロとナウシカは別である。むしろ大好きと言ってもいい。立体物が欲しいとは思っていたが、なかなか気に入ったものが見付からないでいた時、たまたま目に飛び込んできたのがコレである。 メーヴェに乗るナウシカ、戦闘モードである。翼の端から端までで30センチを超え、実に堂々としている。躍動感にも溢れ、まさに探し求めたフォルム。これは山梨県在住のS氏の作品、一点物だ。顔は残念ながら似てない。が、キリっとした表情が素晴らしい。手やナイフ、銃に至るまで細かく造り込まれている。 そして私も驚いたのだが、なんとこのナウシカ、木製なのだ。木を削ったことがあればお分かりだろうが、このプロポーションを出すのは容易なことではない。メーヴェにしても、左右対称に、均一に仕上げるのは大変なことだ。このS氏、趣味のフィッシュカービングが高じてキャラものを手掛けているらしい。私自身も模型を作るが、S氏の技術には脱帽である。 さて、メーヴェの原作には無いはずの突起にお気付きだろうか。私も不思議に思ったが、すぐに判った。これはS氏の自身の表れ、技術の高さを誇るものだ。この厚みから削ったんだという……本人に聞いたワケではないが、そうに違いない。木目を考えてもこの突起を残すのは至難の技だ。 S氏----私が尊敬する一人である。
Jun 6, 2006
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カテゴリー:ディズニー>記念品 95年7月から01年5月まで約6年間、パークの夜を彩ったディズニー・ファンティリュージョンは、まだ記憶に新しい。マクラメ編みの技術を応用した光のパレードはなかなかに華やかで、私も大変好きだった。途中何度か停止してショーモードに変化(メタモルフォーゼ)するのも斬新であった。 今回のお披露目は、ヴィランズユニットの先頭でジャファーが変身したコブラだ。 金色に光り輝くその姿は圧巻であるが、あまり見掛けないアイテムだ。台座にはプレートが貼ってありグランドオープン時の記念品であることが判る。詳細については例により不明であるが、Creating とあるから、協力会社への贈呈品であろうか。残念ながら、シリアルNo.は無いのでいくつあるのか不明だが、おそらくは5~10個程度だろう。ひょっとすると、ワンオフかもしれない。何故かと言えば…… デカイのそう、半端じゃなくデカイ。高さは60センチにも及ぶ。もらった方も困るってなもんだ。だからこそ、流れ流れて私のところにあるんだろうけど。さすがにこの大きさなので金属ではなくてFRPと思われる。口には開閉のギミックがある。もしかするとフロート製作時の検討用模型に台座を付けたものかもしれない。 さすがに私も失敗したと思った。サイズを知らなかったワケではない。高さ60センチと書いてあったはずだ。でもB型マイペースなコレクターである私は、頭の中で都合の良いサイズに造り換えてしまったのだ。やばいと思ったのは、届いた一通のメール。 発送元は九州だったのだが、「梱包が不完全だと宅急便屋に断られたので、少し遅れます」とのこと。頭の中のブツを大きめに変更したものの、後日届いたソレは想像を遥かに超えていた。 かくして会社のデスク下に収まることとあいなった。こんなの家に置くスペースも無いし、置いたところで猫達の爪とぎになるのは目に見えている。職場復帰後で良かった。私が定年になるまで、彼はいつも私の股間を狙っている。
Jun 2, 2006
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カテゴリー:ディズニー>プレスものDisney Cruise Line については、皆さん良くご存知だろう。詳細は他のページが詳しいので検索されたい。2隻ある船は全長294mにも及び、875もの客室の他、プールや劇場、レストランも沢山そなえた豪華なものだ。規模では、TDR周辺のどのホテルも敵わない。 最初の船はMagic号、98年6月に処女航海に出ている。続くWonder号は99年8月である。今回ご紹介するのはMagic号のお披露目の際、記者に配布された記念品のアルバム。結構大きなものだ。 面白いのは、ミッキー/ミニーの姿が見当たらないこと。船長室にでもいるのだろうか。表紙にはグーフィーがいる。おっちょこちょいの彼ではあるが、表情からすると乗り遅れたわけではなさそうだ。見送りに来たのかな? アルバム部分は10ページほどで、あとのスペースにはボールペン付きのしっかりしたノートが仕込んである。ドナルドは乗船客らしく、さっそくデッキでお昼寝としゃれこんでいる。隣のカップルの邪魔にならなければ良いが。 アルバムとノート収納スペースの仕切り部分に、ティンクが飛んでいる。
May 25, 2006
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カテゴリー:ディズニー>額装ピン 一時は凄まじかったピンバッチの世界も、すっかり下火になったと見える。私もご他聞にもれずブームに踊らされた口であるから、押入れには沢山の額装ピンが眠っている。ピンの他にも額ものはあるが、日本の一般的な間取りの我が家には壁が少なく、これらを飾るスペースが無い。そのままでは可愛そうなので、「今週の額もの」と称して順次ご紹介しよう。 最初は、これ。WDWで開催されている、TEDDY BEAR CONVENTIONの額装ピンだ。しかし、TEDDY BEARには興味が無いのでイベントの詳細は1987年から開催されているらしいことくらいしか知らない。 この額装ピンも詳細は判らないが、どうやら額装ピンの走りと思われる。試しに作ってみました的な感じが随所に見てとれる。まずは、数が極端に少ない。06/24だ。1988~1991までのピンをまとめてあるが、全体のレイアウトも適当、ピン自体も黄ばんでおり、あまったから何か作ろうか、みたいな。ガラスを使っているのも現行物と大きく異なり、裏側はセル画のように紙で封印されている。販売されたものかどうかも不明だが、市場性は薄い。
May 24, 2006
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カテゴリー:ディズニー>航空機模型 今回は模様替えでやっと日の目を見た、あまり見掛けないアイテムである。ディズニーのコレクターさんでも、一般的にはここまで幅を広げまい。というのも、例えばヤフオクでも出品されてはいるが、ディズニーのカテゴリーではほとんど見当たらない。航空機模型での出品が一般的なのだ。かくいう私もその存在を知らなかった。しかし皆さん、実機は覚えていらっしゃるだろう。 この手の特別塗装機が登場したのは、全日空のマリンジャンボあたりからであろうか。一般公募の優秀作品で、機体一杯にクジラが描かれたユニークなものであった。私はとても気に入り、1/200のプラキットを作ったくらいだ。その後、初代ドリームエクスプレスもキット化されたので購入はしたが、えらく手間がかかるため、そのままお蔵入りになったままであった。 マリンジャンボの塗装工程がドキュメンタリーで放送されたので解ったことだが、航空機の塗装は塗重ねが出来ない。 ジャンボジェットの機体ともなると面積も相当なもので、使用する塗料の重量も、数トンにも及ぶのだそうだ。このため塗重ねると燃費やバランスに大きな影響がある。複雑な図柄も全てマスキングをして、どの場所も一層塗りに仕上げなければならない。 画像が暗いが、一枚目が94年就航の初代ドリームエクスプレスである。地方空港用の小さい機体が B-767-300、手前のジャンボが B-747-146B、奥が B-747-146B/SUD だ。両者の違いは2階部分の長さだ。この機体は、人気だったマリンジャンボに対抗して導入されたと思われる 実際には B-767 があと2機あり、計5機での運用であった。再現したいところだが、無理であろう。 二枚目は01年から順次導入されたドリームエクスプレス21、1~3号機である。白い機体が1号機 FRIENDS号、テーマは「友情」で、蒸気船ウィリーのミッキーが基調のモノクロ調。 ピンクが2号機 SWEET号、「ロマンス」であり、おなじみのカップルが揃っている。青が3号機 FAMILY号、テーマは「家族」だ。航空機では珍しいピンクの2号機が人気だったらしい。この年は、ウォルト生誕100周年にJAL創立50周年が重なったため、この企画となった。おなじみの100周年ロゴも見えるし、垂直尾翼が全機、JAL50thのデザインになっている。2号機の後部と3号機のコクピット脇にティンクの姿も確認出来る。 次の三機が4~6号機。4号機と5号機は時期的にシーのオープンと重なったので、海のデザインである。国際線用が4号機、国内線用が5号機で、デザインは同じだが、主翼先端のフィンの有無で区別出来る。6号機は一般公募で小学生の作品が採用になったもの、DREAM STORY号だ。「夢の飛行機」がテーマで、絵本も発売されたらしい。黄色基調で鼻先がミッキーの顔という、にぎやかな機体に仕上がった。マリンジャンボに似た感じである。 モデルはダイキャストの無垢で、ずしりと重い。この手の模型は1/400が主流らしいが、省スペースの観点から1/500で揃えた。なるべく小さくて精巧なものが好きなのである。航空機の模型には疎かったために、冒頭に書いたとうり、存在を知った時には売り切れ状態で、羽田や銀座天賞堂で探したが、販売しているのは見たことがない。製造数も少ないらしく、どれが市販されたものなのか非売品なのかすら知らないので、ご存知だったら教えていただきたい。1/400はトミーが売ったらしいので、パークでの販売もあったのかもしれない。 最後になったが、大きさの比較。ガチャポンのティンクと比べてみたがいかがだろうか。最近の印刷やデカールの技術には、驚くばかりだ。奥のはチョコエッグのおまけで約1/1000、これも良く出来ているが、ディズニー塗装機は無い。 このほか国外機にも数種類あるようだが、そちらは追跡しきれていない。
May 8, 2006
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カテゴリー:ディズニー>ティンカーベル さて、HP同様、自宅のコレクションも放置状態のままで、さすがに四年半も経てばガラスケースとはいえホコリも凄い。引越しのドタバタで展示したので、一応はテーマ別になってはいるが、そろそろ模様替えも必要である。連休明けの完了を目指してボチボチやってはいるもののこれがなかなか進まない。量が多いのも原因のひとつであるが、なにせ我が家には当初は一匹もいなかったやんちゃな猫が、八匹もいるのだ。俗に猫の手も・・・とか言うが、とんでもない話である。迂闊にガラス扉を開けてもおけない緊迫した状況のなか、やっとティンクのコーナーが落ち着いたので、ご紹介しよう。 もとはピーターパンとして飾っておいたが、ティンクだけが増え続けてしまったので、ティンクだけはどこにいても構わないというルールにしていたが、やはり当コレクションのメイン。最も良い場所にまとめてみた。それでもスペースの関係でモデルシートやプレート、グラスの類はお蔵入りになってしまった。おなじみのものばかりだが、右奥にある大きなツリートッパーが気に入っている。オーナメントと同デザインと思ったので購入時に迷った記憶がある。購入以来箱のまましまっていたのを今回開けたのだが、オーナメントとは座り方が逆だし別物だった。ツリーに被せる部分が丈夫に出来ており、そのまま置けるのも◎だ。 それにしても毎回感じることだが、WDCCのなんと繊細なことか。どんなに気を付けていても2~3個は犠牲になる。今回もティンクこそ無事だったが、オーロラの帽子の先を折ってしまった。経年劣化も心配で、特に接着部は要注意。ファンタジアのマッシュルームは毛バタキで撫ぜただけで、水滴がパラパラと落ちてしまった。シンデレラの手の平のシャボンも取れた。繊細がゆえの美しさでもあるが。RonLeeはさすがに丈夫だが、サインが年々薄れてきた。私の記憶も薄れつつある。 やんちゃな猫達の一部
Apr 26, 2006
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カテゴリー:ディズニー>セル画 トップページの写真はティンクファンにはおなじみの「ティンカーベルのターン」49枚限定のセルである。このサイトを公開する前にしばらくの間掲載していたので、覚えている方もいらっしゃるだろう。このセル画が販売されることを知ったのは、Tパパさんの掲示板。2,000年の秋である。「今度49枚限定のセルが出るらしい」と書かれていた。この49枚という所に反応してしまうのが、B型の私なのだ。これが50枚だったら、おそらく何もしないで済んだのである。なんだ?49枚って・・・えらい半端な枚数ではないか・・・どういうこと?・・・となって、当然調べずにはいられないのだ。 結果、ティンカーベルが鏡の上でターンするおなじみのシーンを49枚のセルに再現したもの、一点一点、微妙に違う、日本限定販売であること等が判明。こうなると俄然気になり、入荷しそうなところをしらみつぶしに当たってみた。TDLやDSは予約不可、セル画専門の2社は、既に予約で完売していた。最後に某E社で予約枠があったので、条件を聞いてみた。どのシーンが来るかは不明なため、あみだくじで順番を決めるが、残りに気にいったのが無ければキャンセルしても良いというのでこれ幸いと予約。実際には買えるような金額ではないわけで、キャンセルするつもりだった。それでもどんなシーンがあるかは知りたいので、ビデオをコマ送りにして何度も見た。リストは公表されないとのことで、いったいどこからどこまでが作品化されるのかも見当が付かない。途中鏡に映ったティンクの顔がアップになるが、逆さまだからこれは除かれているだろう。そうすると、連続した49枚にはならず、ますます不明なまま発売時期を迎えた。ネット上で正規ルートの販売店を探すことが出来、そこでは6枚を販売していた。選んで買えたが、どれも片腕が見えなかったり中途半端なポーズで欲しいとは思わなかった。そんなある日E社から連絡があり、入荷したので見に来て欲しいとのこと。はやる気持ちを抑えつつ見に行くと、担当の方から耳を疑う言葉が。「先に選んで下さい。」聞けば、サイト上の小さな写真を見て予約をしたのは私だけだと言う。その方がサイトを製作・管理しているので感激したと・・・いや、真相は私がキャンセルするつもりなのを悟られたのかもしれない。ともあれ選択権をいただいた私は、入荷した6枚のセルを前に頭を抱えるハメになった。冒頭のシーンがあったからだ。一番気に入ったセル・・・これはキャンセル出来ない!・・・が、先立つものは無い。 熟考の末、購入を決意した。E社の担当は、セルに相応しい最高の額装にしますと胸を張ったが、その言葉通り立体感あふれる素晴らしい仕上りには満足している。その後DSやTDLでも販売され、その時点で26枚を確認していた。ターン中で最も良いと思われる一枚はDF80号の見開きを飾っているが、これはロイの自宅にあると聞いた。だとすれば、残るのは22枚、どこで販売されたのか。最終的には9店舗程で売られたというが・・・。(下の写真、手前のミニーちゃんはごまママさんちの娘さん) さて、ようやく返済も終わろうかという一年後の2,001年秋、またしてもTパパさんの掲示板に書き込みが・・・「大阪のコレクターショップに貴重なティンクのセルが入荷したらしい」糸巻きで転んだやつだろうと思いながらも確認のメールを入れてしまうB型の私。すると返信のメールには驚愕の画像が! それはまぎれもなく「ティンカーベルのターン」当時いくら探しても見付からなかった、逆さアップより前のシーン数枚。うち一枚は定番とも言える、鏡を覗き込む立ちポーズ。 このショップは正規店ではないので2割弱のプレミアが付いていたが、当然こいつには飛び付いた。しかし、ここでも私は頭を抱え込むハメになる。一緒に送られて来た画像のうち鏡に着地する寸前のシーンがまた素晴らしいのだ。なんといっても非常にいきいきとした動きが再現されている。先の2枚では若干の違いはあるものの、同じようなコマは前後に存在する。しかし、この一枚だけは前のコマでは足が離れ過ぎているし、後のコマではいわゆる中腰で美しさに欠ける。なにより、3枚並べればちょうど連作のようになるではないか。またまた熟考の末、清水の舞台から飛び込む思いで購入を決意した次第。 それにしても、なんで一年も経ってから出廻ったのだろうか? その後さらに入荷があって最終的には9枚を扱ったとのことから考えると、推測ではあるが、なんらかの事情でデッドストックになっていたのではないか。このセル画を製作したディズニー・アート・クラシック社が直後に解散したことに謎が隠されているのかもしれない。あれこれ考えるとまた、面白い。 現物が送られてくると、もちろんセルは本物だが、額装がみすぼらしくへたくそな仕上がりであった。並べてみれば一目瞭然、とても人様に見せられるものではない。先の一枚に合わせて額装し直す計画を立てたが諸般の事情で実行出来ずにいた。予算の問題もあるが、E社の地理的な不便さも理由のひとつであった。それが先日、会社の近くに移転して来たことでクリア出来、今回のお披露目とあいなった。額材は在庫が無くなることが多いので、最悪の場合には3枚違う額装にするのも面白いと思っていたのだが幸いストックがあったので、同じ仕上がりにすることが出来た。 いかがだろうか? いっそ3枚をひとつの額にすることも考えたのだが横幅が1.5m位になってしまい、飾るにも仕舞うにも当然スペースがない。手放すことを考えれば、バラの方が良い。もっとも余程のことが無い限りありえないことだが。3枚揃えばいっそう輝きが増すのだから。 これで右端にロイ所有の一枚が加われば完璧・・・というのは贅沢な悩みだろうか?
Dec 29, 2003
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カテゴリー:ゆうみん=松任谷由実 まずはカーグラフィック誌500号記念の付録。最近はこの雑誌は見ないのであるが、立体画で車のある風景を表現するような連載があるらしい。ご主人の松任谷正隆氏がカーグラTVに出演されている関係で、ちょうど同誌の500号、ゆうみんの30周年のコラボレーションとして実現したようだ。ゆうみんの歌の中から車に関係した4曲を選び、立体画を作るという企画。ネットでこの企画を知った時には心踊り、発売日を指折り数えて待ったものだ。しかし現物を手にした時、それは落胆に取って変わった。連載を知らない私は、絵を切り取って立体に組み上げていくものと思っていたのだが、そうして作ったものを写真に撮った平面的なものだったのだ。横に歌詞だったかエッセイだったかが添えられている。しかし、落胆したのはその違いだけではない。まず選曲されたのは、「カンナ8号線」まことにこの企画に相応しい。しか~しっ、なんとその曲からイメージしたという立体画は、「上野毛の駅前風景」。撃沈である。少なくとも私には駅前の風景なんぞ、微塵も感じられない。環状8号線からイメージしたのであろうが、曲を聴いたことがあるのだろうか。少なくとも車は疾走して欲しい。むろん買わず、あとの3曲が何だったかもショックの余り忘れてしまった。 (ロッジで待つクリスマス) もちろんイメージなんて人それぞれであるから、否定するものではなく、私はそう感じたという話である。本当に、感じ方なんて人それぞれだなあ。次にご紹介のイベントも、またしかり。「136人のイラストレーターが描く松任谷由実の136曲」昨年の8月に銀座で行われたこのイベント、実はまだ続いている。今現在は横浜で展示会を開催中だ。初日より先着順で作品を買うことが出来た。私はイラストの相場は知らないが、多分普通より安いのであろう。その代わり、一年間は貸して下さいということで、全国各地で展示会を開催している。このイベントはイラストレーター組合みたいな団体が年1回テーマに沿った作品を集めて行うもので、ゆうみんが30周年だから、ゆうみんの曲をテーマに、となったようだ。それゆえに明らかに片手間で作ったようなものあり、実に真剣に取り組んだものありでまことに興味深い。それに136人の個性とイメージがからみあって、良いんだか悪いんだか。ゆうみんの曲が好きでお暇があれば、ぜひともご覧いただきたい。 (スラバヤ通りの妹へ) 展示会の初日、都内は台風の直撃を受けて大荒れの天気であった。一応会社に行く事になっていたので定時に家を出、10時頃には会場に着いたが作品購入の整理券番号は40番前後であった。136分の40、微妙なところである。はたして気に入った作品が手に入るだろうか。曲名とそれを担当するイラストレーターは予め発表されていたが、4枚ほどが実例としてパンフに載っている他は、どんな絵なのか皆目判らない。それゆえ開場してから30分が購入候補選びの時間。私が買いたいと思った作品は10点余り、これが40番まで残るかどうかだ。購入タイムが来て整理番号1番から順に購入予約をしていく。が、ここで私は慌ててしまった。なんと、イラストレーターの名前を挙げていくのだ。ゆうみんの曲が好きという人より、このイラストレーターの作品を、という人の方が多かったようだ。当然のように曲名で候補をメモしていた私は、売れてしまった作品を潰す作業に没頭するハメになった。しかし、このおかげで(私にとっては)ワケの判らない作品がどんどん売れ、候補の何点かは無事残った。その中から私が選んだのは、「スラバヤ通りの妹へ」比較的マイナーではあるが、優しくも悲しげなイントロで始まるこの歌が大好きなんである。作者は小田桐昭氏。むろん知らなかった名前であるが、絵本の挿絵などを数多く手掛けているらしい。サインペンでさらっと書いたようなタッチはまさに絵本。曲のイメージにピッタリだし、イラスト単体としても充分な出来映えで非常に気に入った。 136人いれば、136通りの感じ方がある。また、全員がゆうみんのファンでもない。正直にゆうみんの曲は始めて聴いたとコメントした方もいる。また、風景を描写した歌は絵にし易いだろうし、内面的な歌を絵にするのは大変な作業に違いない。それを踏まえたうえでの、私なりの寸評・・・。 ①イラストとしても素晴らしく、曲にもマッチしている作品 翳りゆく部屋 / 朝陽の中で微笑んで / ロッジで待つクリスマス スラバヤ通りの妹へ / 埠頭を渡る風 / Corvett 1954 ②イラストは素晴らしいが、曲とはイメージが合わない シンデレラ・エクスプレス / あの日に帰りたい / DAWN PURPLE ③イラストはいまいちだが、曲にピッタリ リフレインが叫んでる / 瞳を閉じて / 空と海の輝きに向けて ④ダメダメ ESPER / 雨の街を / NIGHT WALKER / その他多数 そして最後に、いい加減にして下さい、名曲が台無しです So high / 5cmの向う岸 / 別れのビギン (4/3追加) ANNIVERSARY コメント:僕は松任谷由実さんの大ファンなので 参加出来て嬉しいです だったら、真剣に取り組んで欲しいものである。以上はしつこいようだがあくまでも筆者の感じたことである。さて、あなたの判定はいかがだろうか? 「136人のイラストレーターが描く松任谷由実の136曲」展 横浜ランドマークホール:ランドマークプラザ5F 10:00~19:00 ~4月6日(日)まで開催 入場料600円
Mar 31, 2003
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カテゴリー:ゆうみん=松任谷由実今回は予告と違うが、ディズニーから離れてゆうみんの話である。昨年ゆうみんはデビュー30周年を迎えた。同時に私のゆうみんファン暦も30年、いやもう今年は31年目か。月日の経つのは早いと言うが・・・。 当時私は15歳であった。その頃ラジオのFM放送が始まったのであるが親父の影響で毎日FM東京を聴いていた。もっともNHK-FMとFM東京の2局しかなかったのであるが。そんなある日、ふと飛び込んできた曲にショックを受けた。それは「ひこうき雲」。うまく表現出来ないのであるがなにかこう、今まで聴いた事がない新鮮な感じとでも言おうか。とにかくこの1曲で虜となり、早速なけなしの小遣いをはたいてデビューアルバム「ひこうき雲:荒井由実」を買った。( 注:当然、LPレコードである。) ほどなくして平日は毎日、夕方から生放送のテレビ番組、「銀座ナウ」の新人紹介のコーナーに、荒井由実が出演した。( 出演してしまった。)ワクワクしながら画面に見入ったが、それはあまりにも悲惨な数分間だった。一目でアガッているのが判り、声は出ず、出た声は裏返り、音程は荒波のごとく激しく上下する。普通ならカットされるのであろうが、生放送である。誰もが凍り付いてしまう中、私は思った。(応援してあげなければ・・・)やっと弾き語りの演奏が終わった時、司会のせんだみつお( 信じられないだろうが、当時はアイドル並みの人気者だった。)は、なんのツッコミも出来ず、「はいっ、そういうわけで」的に次のコーナーに振ってしまった。 まずは応援の第1歩として、荒井由実ファンクラブに入会した。会員番号は426番と記憶している。会員になると会報が送られて来る。一枚目の写真が左から4,5,6,7号である。残念なことに1~3号は持っていない。あと8号と合計5冊所有しているが、悲しいかな学生の私にはこれより先の会費が払えなかったのだ。題字の「ゆうみん」は本人の筆による。このため現在でも私にとってはユーミンではなくて、ゆうみんと書く方が自然なのだ。 現在とは違ってOA機器等も普及していないから、ほとんどの記事が手書きのままで味わい深い。ゆうみん本人も今程忙しくなかったから、「八王子めいしょあんない」など原稿を寄せており、6号に至っては表紙にペーパードールのおまけ(?)まで書いている。トレードマークはご主人の手による。 会員だったわずかな間に、1回だけファンの集いに参加してみた。本人は不在の集いであるが、16mm映写やスライドなどでなかなかの盛上がりだったと思う。最後にプレゼント大会があり、YUMIN History なる小冊子やモノクロ生写真(!)数点を獲得した。今は井上陽水婦人となった石川セリ嬢とのツーショットがお気に入りである。私はどの趣味においても同様なのだが、気に入ったものをマイブームとして密かに大切にしている。だがその反面、それがメジャーになってしまうと、引いてしまうクセがある。ゆうみんの場合は、「あの日に帰りたい」でブレイクしたあたりだろうか。それから暫くは、常にゆうみんの曲を聴きながらも、遥か遠くに離れていたような気がする。それがここ数年前、シャングリラの話題あたりから、再燃して来たのだ。CDやDVDを買いあさり、歌がうまくなったのに驚いた。そんな中迎えた昨年の30周年。色んなイベントがあった。続きはまた来週。
Mar 27, 2003
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カテゴリー:ディズニー>缶バッチ皆の衆、笑ってくれ。 私はこれを8年間探していたのだ。 こいつの存在を知ったのは、某代官山の店である。TDLの1周年から9周年までの配布缶バッチを額装して展示したものの中である。この額は非売品であった。なぜかこの6周年だけが2個並んでおり、白と黒という記号が脳裏に焼き付いた。その後、わずかな間にほとんどを揃えることが出来たが、なぜか6周年の黒だけはとんと見つからずにいたのである。 上の写真は6周年のゲスト配布の缶バッチだ。開園記念の日付けが入る。この日に訪れたゲストに配布されたのであるから、相当な数があるはずだ。もっとも今とは違って「なくなり次第終了」だったので、1~2万というところかも知れない。それでも当時はこういったものを集めている人などごく僅か、ましてや交換や売買をする場も無かったので、大半は引き出しで眠っているか捨てられたに違いないと思われ、流通量は少ないほうだ。 そして、今回やっとお目にかかった6周年の黒。色が違うだけかと思っていたが、良く見ればかなり違うデザインである。背景の風船は花火に変わり嬉しいことに可愛らしいティンカーベルが! 良くまとまっていて、美しい。おそらくはキャスト配布かプロモーションだろうが、それにしても市場性が薄過ぎる。素性をご存知の方、私も持ってるという方、教えて下さいませ。
Feb 5, 2003
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カテゴリー:ディズニー>RonLee もう4~5年前になろうか、その日は仕事納めの前日であった。挨拶回りで宝町から日本橋へ移動の際、地下鉄では乗り換え等面倒なため多少距離はあるが、歩いて行くことにした。すると途中、京橋を通過することになる。話しが脱線するが、東京の地下鉄はまさに網の目のように走っているもので路線図を見ると、宝町から京橋までは都営浅草線で一つ目の日本橋へ行き、銀座線に乗り換えなければならない。しかし実際には交差点ひとつ、わずか1~2分の距離しか離れていない。地方から出て来たら判らないだろうなあ。 話しを戻そう。京橋を歩いていると、このカルーセルが目にとまった。木村屋という喫茶店の、舗道に出して使う小さなショーケースの中である。スパゲティやパフェといったサンプルの間に飾りとして置かれていた。私はその場を動けなくなってしまった。全面ガラスのケースだったので、前から横から後ろから、それこそなめるように眺めていた。そのうち歩き出してはまた戻り、また歩き出しては戻るの繰り返しで、小一時間はいたに違いない。 はたから見れば、そうとう怪しかっただろう。そのうちこれがどうしても欲しくなり、ダメ元で交渉することにした。直接乗り込むのも気が引けたので、近くの公衆電話から連絡してみた。すると、オーナーが不在とのことで夕方頃に再度電話。後に判ったことだが、この人物は8階建てのこのビルのオーナーであった。ケースの中にはカルーセルのほかにもピエロのRonLeeや陶器製の絵本に出てくるような怪物の置物があり、センスの良さが伺えた。 私がディズニーのRonLeeを集めていることや、これはディズニーとしては販売されていないが、まさしくディズニーであるといったことをひとしきりアピールすると、最初はこの製品を扱う店がなくなってしまったことを理由に渋っていたが、根負けしたのか譲ってもいいと言ってくれた。金額の提示を求められたので、おそるおそる定価と思われる額を言うと、OKとのこと。翌日引取りに行くと、オーナーは不在だったが、レジの脇に用意してあった。 実は前々からRonLeeのカルーセルが出ないかなと思っていた。長く紫外線に当っていたために大理石には変色が見られるが、躍動感溢れる造形、各所に埋め込まれたガラスの装飾、色彩とどれを取っても素晴らしい。上の写真は後日発表されたディズニー版のカルーセルだ。ミニーマウスが乗っているが、肝心の馬は躍動感のカケラもない。やはり馬は走っていてこそ美しい。
Dec 27, 2002
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カテゴリー:ディズニー>読み物 ユーミンネタでもと言っておきながら、今回も結局はディズニーである。掲示板に、祐乃が大変良い事を書いてくれた。全然くだらなくなんかない、極々自然な疑問である。なぜディズニーは、こんなに認知されているのか?その謎に迫る!!(最初に掲示板、久しぶりの登場をお読み下さい。) 大げさな書き出しで始めたが、祐乃はじめ若い方にはさっぱりな疑問でも、私のような40半ばの中年オヤジには、実は判り過ぎる位に判っているのだ。若い方にはピンとこないだろうが、私が子供の頃には電化製品など、ろくに無い。洗濯は洗濯板で手洗い、掃除はほうき、冷蔵庫も当然無いから、氷は氷屋から塊で買って来る。しかしながらテレビだけは、泣いて欲しがる私のために、父が友人から借金をして買ったそうだ。もちろん白黒テレビである。幼い私にとっては、ブラウン管の向こうは夢の世界である。当時の番組の中に「ディズニーランド」もあった。番組冒頭、ティンカーベルが飛んできて妖精のつえを振ると、ウォルト・ディズニーが現れる。その姿は、まさしく神であったのだ。パークの紹介もあったが、それは夢のまた夢だ。円相場も現在のような変動性ではなく、1ドル=360円の固定である。海外旅行なんぞ庶民は行けるハズもないし、ディズニーグッズなんぞお目にかかったことがない。白雪姫やシンデレラ等はテレビで見た記憶がある。 さて、そうこうしているうちに小学校から中学、高校、社会人へと忙しく過ぎるが、この間に世界も激変した。家庭には電化製品が普及し、カセットが生まれ、CD、VTR、DVDと目まぐるしく変化する。ソ連が解体し、ベルリンの壁が壊れる。まさに激動の時代を泳ぎ、結婚して一段落した頃に日本にもディズニーランドが出来ていたのだ。しかし私は、飲食物持ち込み禁止等の高飛車な運営方針に反発し、5周年まではTDLに関するいっさいの情報をシャットアウトして、もちろん行く事もなかった。家族にせがまれて、イヤイヤ連れて行ったのだが、そこで目から鱗が落ち、幼い頃の記憶が蘇り、どっぷりと深みに嵌ってしまったのだ。夢にまで見た景色が目の前に広がった。買えなかったディズニーグッズがあふれかえっている。摺り込みというやつか? これこそが、現在ディズニーが幅広く認知されている根源なのだ。皆、ディズニーで育った。ディズニーに憧れていた。この共通体験があるから、いい大人が遊んでいようが、ある程度オッケーなんだろう。 なぜそんなにディズニーに夢中になるのかを問いただされると、決まって上記の理由を挙げる。当然「いいわけ」に過ぎないと否定されるのだが。
Nov 15, 2002
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カテゴリー:ディズニー>オン・アイスものついに無更新記録を塗り替えてしまった。前回から一ヶ月以上がたち、楽天からの「日記を更新しようメール」もこなくなった。ネタは山ほどあるのだが何かこう、自分がディズニー離れしているのを感じる。次回はユーミンネタでも書こうかと思う。今回は某掲示板でリクエストのあったオン・アイスを特集しようと家じゅう探しまくったのだが、こんなもの位しか出てこなかった。 トップの写真は観客動員一千万人達成記念の腕時計だ。ゴールドのフェイスでわかりづらいが、タキシード姿のミッキーと一千万の数字がデザインされている。詳細はいっさい不明で販売物か配布物かもわからないが、関係者に贈呈されたとみて間違いないだろう。時計自体は比較的小ぶりで、ちょっと貧弱に見える。とはいっても、レディースよりは大きいので、なんとも中途半端だ。 あとはテレカのみだが、コレクションのメインなので現在51枚になっている。下の写真がその全て。オン・アイスのテレカは販売物の他にプロモーションや協賛企業が配布したものなど種類が多く全部で何種類あるのか見当も付かない。右下の3枚中の真中が、時計と同じデザインである。 これから集めようという人はいないと思うが、必ずネックになるのが左上の3枚である。下にアップを載せた。いずれも販売か配布か不明であるが、特に初回の一枚は貴重なようだ。この頃はテレカも出始めで、コレクションの対象でも無かったので、ほとんどが使われてしまったという。右下の4枚は数年前の販売物であるが、恐ろしく出来が悪い。テレカの世界にはコピーやパチ物も少なからず存在するが、それらをも含めて最低のデザインである。パソコンで適当に書いたような絵、安っぽい色使い、適当な構図。それに加えて一枚当りの販売値が1,250円という、ボッタクリとしか言いようがない価格。もっともテレカだけではなく、オン・アイスのグッズはどれも不当に高い。ディズニーフリークなら高くても必ず買うと思っているようだ。悔しいけどそれ、正解。
Oct 11, 2002
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カテゴリー:ディズニー>TDS・グランドオープンもの暑さのあまり更新をさぼっていたら、この記念すべき日を迎えてしまった。そこで今回は一年前を振り返って、東京ディズニーシーのグランドオープン記念物の紹介&照会といこう。それにしても、暑い!もう9月だというのに。 トップの写真はキャスト配布の記念メダルと万年筆だ。万年筆のインクの色は、シーブルーという特注らしい。これはTDLのキャストも含めて幅広く配布されたもののようで、Ya!にもかなりの出品があったようで既におなじみであろう。市場にもたくさん出廻っていると思われる。 次はクリスタルプレートと同じくクリスタルのペーパーウェイト&時計である。プレートは直径30cmほどで実に堂々たるものだ。オープン記念パーティーの招待客へのおみやげである。当時はこの招待券がYa!にも数件が出品され、4人分が数十万で落札した記憶がある。おみやげ3人分は売ろうとの計算だったのであろうが、一グループに一枚だったとも聞く。まことにお気の毒なことである。右のペーパーウェイト&時計は写真ではわかりずらいが、厚みがあって高級感がある。裏にロゴの彫り込みがある。非売品とのことで譲り受けたが、素性は不明である。販売していた様子はないので非売品には違いないと思うが、詳細をご存知なら教えて欲しい。 そして定番の腕時計である。上の3つはシー/ミラコスタのバージョン。一番左はプレスプレビューの文字があり、報道関係の招待日にワンウェイショルダーバッグと共に配布された。後の2つは良くわからないが、微妙に細部が違うものだ。右端のは文字盤が白で下のフラッグ様の飾りが青、ベルトも青のスウェード調で感じが良い。これのみ数が少ないと思われる。 下左はシーのみのバージョンで、金色の方はおそらく関係者配布。銀色のはJRとの協賛企画、レールでチャンスの景品である。下右がまったく素性が不明だ。非売品との説明で某爺さんと熾烈な争いのすえに入手したものの、販売品の疑いが残る。文字盤は光の加減で金にも青にも見える。写真もうまく撮れない。販売品の色違いでは?・・・で落ち着いてはいるが。 最後は、あまり見掛けないアイテム。左はティーカップ2客。これは着工記念の配布ものだ。おそらく地鎮祭か上棟式の招待客への配布だろう。定番のノリタケ製で、落ち着いた青にシェルの柄。なかなか感じの良い一品で、気に入っている。受け皿、カップ共に裏面にロゴが入る。右の写真、置時計はプリマハムの抽プレらしい。アクアスフィアのつもりだろうか。青い液体が封入され、プリズムの原理で底面の時計が写る仕組みだ。キーホルダーはまことにチープなものだが、市場性が薄く、人気がある。一度Ya!で見掛けたが、一万を超えてた。むろん私はタダで譲り受けた。小さな小さな海に、ヨットが浮かぶ。詳細をご存知の方、教えて下さい。
Sep 4, 2002
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カテゴリー:ディズニー>乗り物昨年夏、東京ディズニーシーは連日プレオープンで賑わい、各施設を結ぶモノレール、ディズニーリゾートラインも、一足早く開業した。それと同時にそれまで周辺を走っていたベイシティ交通のバスは姿を消し、替わりになんとも可愛らしいレトロなバスが走り始めた。それこそがディズニー・リゾートクルーザー、まさにリゾートの顔である。 さて今回は、いつもと違って現役バリバリ、ひっそり販売中のブツである。実はコレ、久々に私のツボに嵌ったというか、「こんなもの売ってくれんかなあ」と思っていたアイテムなんである。 以前の記事で触れたが、私はプラモデルを作るのも趣味のひとつだ。ジャンルは色々だがやはり車が多い。リゾートラインが発表になった時、スケールモデルが出ないかなと思ったが、これはいかんせん6両編成だし、あまりにもシンプルなアウトラインで面白味に欠けそうだ。せいぜい現在販売中のプラレール様のオモチャで良しとする。それならばと、このリゾートクルーザーに期待するも、特注のトミカだとかミニラジコン、唯一スケールモデルっぽいのが「紙製組立てキット」。ちょっとガッカリであったのだが、最近なにげなく覗いたボンボで、さりげなく、ひっそりと飾られていたのがコイツである。 紙製組立てキットの完成見本と並べてあり、ほぼ同じ大きさのため見落とすところだった。但し、この手のものにしては少々お高いので即座には買わなかったが、例によって気になって仕方なく、わざわざこのためだけに出掛けて行って、入手して来た次第である。 残念ながらダイキャスト製の完成品であるが、スケール1/43でありトミカと並べてみると、実に堂々としている。全体的な仕上りは良好で、実車の持つずんぐりむっくりな雰囲気が良く出ている。特に背面は、各種金属パーツで、ミッキー型の排気管やリアランプ等、リアルに再現されている。前面はワイパーやミラーがプラ素材のために少し劣るが許される範囲である。方向幕のステッカーが付属していれば、言うこと無しだったが。屋根のミッキーはさすがにオーバースケールだが、これ以上小さくは出来ないだろうし、無いのはもっとおかしいから、これはこれで良いだろう。透明のカバーも付属している。 リゾートラインでカバー出来ない「シー~アンバサダー~ランド」と「ベイサイド・ステーション~各ホテル」の2系統を無料で結ぶ。真に交通機関としての役割以上に、一大リゾートの顔としての役割が大きい。コイツを見掛けると、「ああ、舞浜リゾートなんだな。」と思う。全部で何台あるのかは知らないが、側面中央にも扉があるものや、座席のカタチや配置も色々あるようだ。このモデルは扉が前一ヶ所のみ、座席もシンプルな「プロトタイプ」になっている。
Aug 12, 2002
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カテゴリー:ディズニー>アトラクションもの 善と悪の渦巻く宇宙、その宇宙には、絶望の世界が無数に存在する。そんな絶望の世界に、愛と自由をもたらすための特殊任務に就く1隻のスターシップが、ある星に向かっていた。隊長の名は、キャプテンEO。 ―――――以下、略――――― あまりの暑さに更新が滞ったが、前回に引き続き、アトラクションものである。一番うえの写真はおなじみのキャプテンEOである。私も大好きで、行けば必ず見ていた。内容的には現在でも遜色ないと思われるが、96年9月1日、惜しまれつつファイナルを迎えた。その後は、ミクロアドベンチャーに生まれ変わった。 このキャプテンEOもまた、開園時には無かった。87年3月20日にグランドオープンしている。一番うえの写真、左の短冊様のものは、この時に一般ゲストに配布されたらしい。キャプテンEOストーリーとあり、このアトラクションのバックグランドストーリーが書いてある。冒頭にちょっと抜書きしたものだ。私が入手したのは、最終日に配布されたもの。オープン時に余ったものをストックしていたと思われる。最後にもらっても・・・と思ったが捨てるよりはマシである。 一緒に写っているのは、関係者配布のバッチ。これが面白いことに鉄ではなく、アルミで出来ている。より未来っぽく見えるようにとのこだわりであろう。このため、裏側はピンではなくブローチタイプだ。 続いて二番目の写真は招待客配布であろうか、Tシャツだ。かなり安っぽい出来だが、胸にロゴ、背にはグランドオープンのメッセージがある。このTシャツの市場性は大変薄いが、見た記憶はあるだろう。そう、マイケルが踊りながら皮ジャンをはだけた時にキラリと光ったアレである。一回の洗濯でボロボロになりそうな仕様ではあるが。 そして、テレカ。ロゴ2枚とキャラもの1枚は市販品、ロゴは同じに見えるが、テレカが登場して間もない時期だったために裏面が異なる。右に示したが、テレカの世界では片面バー、両面バーと呼ばれ、コンプリートを目指すには、両方が必要になる。左下の一枚は大変めずらしい。マスコミ、招待客等に配布されたらしいが、大部分は使用されたらしくめったにお目にかかれない。ロゴに城が加わり、NOW OPENの文字も入る。ロゴも市販のものと比べると明らかに美しい印刷になっている。これ以降、非売品のテレカは全て同様の傾向になっている。
Jul 30, 2002
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カテゴリー:ディズニー>アトラクションもの ついにミートザワールドは幕を閉じてしまった。ファイナルにこそ行けなかったが、間際に行ってしっかりビデオを廻して来た。思えば開園から19年間、よくぞ廻り続けたものだ。もとより永遠に完成することが無いパーク、アトラクションの変更は宿命であろう。が、ここにおそらく未来永劫変わらないであろうアトラクションがある。 それは、シンデレラ城ミステリーツアー。変わらないというよりも、変えられないだろう。パークのシンボルであるシンデレラ城内にあるこのアトラクション、意外なことに開園当初は無かった。パーク開園から遅れること3年余り、86年7月11日にグランドオープンしている。 上の写真はそれを告げるFEと勇者のメダルだ。息子が小さかった頃頻繁に行ったのでいくつか貰った。2グループに一人しか貰えないのと大人はなかなか選ばれないため一時期不公平だとの声が上がったこともある。それを受けて大人も選ばれるようになったが、今度は子供が可愛そうということになり、配布を止めた時期もある。これは私が推測するに、単にうっかり在庫を切らしただけのように思うが。 毎年7月11日には、ここのキャストだけでお祝いのイベントを行うらしい。その際に配布される記念品を2種所有しているのでご紹介しよう。まずは上の写真、ターランの光の剣だろうか、キーホルダーである。裏側には日付けと8th Anniversaryの文字が入る、これはごくまともなアイテムと思うが、面白いのが下の写真の9thのもの。サラシに赤でターランの剣、緑でストーリーを染め抜いた、いわば手拭いの2枚組みだ。なぜ手拭い?しかも日付けが7月6日になっており、あきらかに間違っている。トホホな雰囲気抜群な一品である。 長時間並んでまで見ようとは思わないので、まあ5回に1回入るかどうかというところであるが、毎回感じる違和感がある。良く考えてみたら、シンデレラに関したものがほとんど無いことに気が付いた。まずは冒頭の鏡の部屋。この鏡は言うまでも無く白雪姫のキャラだ。 ここでの肖像画にシンデレラとトレメイン婦人が登場するが、先に進めば、エビルウィッチにマレフィセント、チェルナボーグにまた鏡。そしてトドメがブラックコルドロンのホーンドキングだ。シンデレラ城でありながら、悪の巣窟。これが一番のミステリーかもしれない。
Jul 12, 2002
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カテゴリー:ディズニー>フィギュアリン 前回ご紹介したとおり80年代後半は、もっぱらプラモデルの製作にいそしんでいた。そんなある日、ディズニーな友人から聞いたと記憶しているのだが、原宿にプレイハウスなるコレクターショップがあるのを知り、足を向けた。そこで出会ったのが、このドナルドだった。 その店は原宿駅前の歩道橋のところにあった。まだディズニーストアが無かったころである。店内いっぱいに陳列された商品はどれも始めて見るものばかりであったが、中でもひときわ輝く存在がこの楽隊だった。このドナルドの生き生きとした素晴らしい表情は私の心をとらえたが、当時の私はこれを買うという作業に抵抗があった、と言うよりは単純に恥ずかしかったのだ。女性の店員さんに「これ下さい」と言えなかった。 三体揃えばかなりの価格であったこともあり、小一時間も考え続けたあげく、店をあとにした。が、寝ても覚めてもドナルドの笑顔が浮かぶ。結局は後日在庫の確認の電話を入れてから、意を決して買いに行った。わざわざ電話を入れたのは、これから買いに行くということを、店員に予告する狙いもあったと思う。現在では考えられないことである。 素材は和紙のようなものらしく、樹脂で固めてあるようだ。そのため外見からは想像出来ないほど軽い。100~200g程しか無い。しかし細部は凝った造りで、アンティーク風な汚れまで施してある。同じポーズの小さいオーナメントはたまに見掛けるが、これはそれ以来、見掛けない。きっと向こうでは普通に販売されているものだろう。私がコレクションに走ったキッカケになったのはある時計だが、これはそれ以前に始めて買ったディズニーグッズである。ミッキーは眉毛が無くてちょっと怖い。 Data : 高さ19㎝(ドナルド)
Jun 24, 2002
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カテゴリー:プラモデル>ル・マン仕様のマシンW杯に沸くこの週末、海の向こうで伝統の一戦がひっそり終了した。ミッキーも密かに参加して、みごと優勝したらしい。ミッキーの後方ずらり揃ったマシンはミツワのミッドレーサーシリーズだ。チョロQよりふたまわりほど大きいボディーにプルバックゼンマイを内臓したオモチャでありながら凝ったデカール付属で、夢中で何台も作った。 車やレースに興味が無い方でも、一度位は聞いたことがあるであろう、「ル・マン24時間耐久レース」である。一般的には「ル・マン」で通る。1923年に始まり、今年は記念すべき70回目を迎えた。毎年最も日が長い6月中旬にフランスはル・マン市の公道サーキット(サルテサーキット/コース全長13.88キロ)で開催されるこのレース、平均時速は200kmを超える。また24時間を走り続けるため、マシンの耐久性、修理の簡易性、夜間走行に耐えるドライバーの起用等、さまざまな要素が勝敗に絡む。 写真は1989年に日産が送り込んだマシン、YHPニッサンR89Cだ。会社の昼休みを利用してコツコツ組み立てたのであるが、もう10年以上前のことになる。まだ世間はバブルにうかれた良い時代だったであろう。この手のマシンも続々とキット化され、手当り次第に購入したが、日に数十分程度では製作が追い付かず、完成まで漕ぎ着けたのはわずかだ。この頃最強だったのはジャガーであり、ニッサン、トヨタが牙城を崩すべく、毎年数台の新しいマシンを送り込んでいた。今年のレースをTVでチラっと見た限りではこれらのメーカーは姿を消しており、アウディが優勝候補とされていた。コクピットもオープンが主流になったようだ。 空気抵抗を出来るだけ無くすために、おのずとフォルムは楔型になる。W杯では予想を裏切り早々に姿を消したフランス。レースは沸いたのか?Data : YHPニッサンR89C カルソニックニッサンR89C タカQトヨタ88C ミノルタトヨタ88C シルクカットジャガーXJR-8 ニッサンはタミヤ1/24、他はハセガワ1/24
Jun 18, 2002
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カテゴリー:ディズニー>パークもの 私にとって衝撃的なニュースが突然、飛び込んで来た。以前から噂はあったものの、開園以来19年間も生き長らえて来た、ミートザワールドが、ついに閉鎖になるという。しかも発表から閉鎖まで一ヶ月もない。手持ちにミート関係のものがないか探したが、こんなのしかなかった。 これはチケットブース脇等で見掛ける、「本日以下のアトラクションは休止しています」掲示板に使う、マグネットプレートだ。念のためにお断りしておくがパクッたものではない。マジックカーペット世界一周が含まれているので、開園当初に使われたものであろうと思われる。 それにしても、ミートザワールドの閉鎖は痛い。休止ではなく閉鎖だ。もちろんいつ行っても空いていて、稼動率は恐ろしく悪かったに違いない。しかしそれだけでは計れない良さがあった。いつ行っても待っててくれる。最大待ち時間は5分、夏は涼しく冬は暖かい。疲れた体を癒してくれる。大いなるマンネリが必要なのだ。私はパークに行けば必ず立ち寄る。脚が伸ばせるから、最前列中央に陣取る。キャストはその度に「後ろの方が見やすい」と注意してくれるが、お構いなしだ。スタンスとしてはいつもきちんと見ようと思っている。不覚にも熟睡してしまうこともしばしばであるが、それでも良いのだ。そこにあるだけで充分なのだ。改めてプレートを見ると、既に無くなったアトラクションもかなりある。スカイウェイ、ファイヤーエンジン、ホースレスキャリッジ、フープ・ディ・ドゥーレビュー、そしてマジックカーペット世界一周・・・、ちなみにこれは現在はビジョナリアムになっているが、そのビジョナリアムも夏休み明けの9月1日に千秋楽を迎える。こちらはわずか9年半の命であった。 Data:ミートザワールド 2002年6月30日閉鎖
Jun 7, 2002
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カテゴリー:ディズニー>腕時計 自分自身は行ったことが無いので詳しくは判らないのであるが、DLに、タイムワークスという時計の店があるらしい。イラストレーターが描いた絵を元に、好きな文字等も入れて腕時計を作ってくれるらしい。通常はひとつの原画から100個程が作られるようで、私もバレンタインのミッキー&ミニーのデザインの時計を所持しており、原画のカラーコピーが付属している。それは上の写真のカバーに収まり作者のサインもある。 これも同じ手法の腕時計であるが、ワンオフとの説明を受けた。一個のみ作ったということであり、当然付属の原画は手描きのオリジナルである。原画を縮小コピーして腕時計を作るので、時計が本当に一個だけかどうかは確認出来ないが、原画は間違い無くワンオフの本物だ。 そして、その原画がまた凄く良いのだ。得意げに魔法を操るソーサラーミッキーが、青と白、2色の絵の具だけで描いてある。ミッキーの表情もいきいきしており、砕け散る波の表現が実にうまい。足元にサインがある。そのうちきちんと額装しようと思っている。 作者はCharles R.Landholmという。経歴書が付属しており、さまざまなプロジェクトで活躍する、若手イラストレーターらしい。ケースも通常のものとは異なり、円筒形の立派なものだ。上の写真、右が通常のケース。 Data : by Charles R.Landholm September 3,2001
May 30, 2002
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カテゴリー:ディズニー>RonLee 2002年5月現在、RonLeeのディズニー作品は、私が確認しただけでも185種にのぼる。そのうち日本にDSが出来た時点でカタログ上SoldOutになっていたものが3種類ある。 ひとつは上の写真のエビルウィッチ、もうひとつは第6回で紹介した鏡の前のティンクである。そして残るひとつがガラスの靴だ。このうちエビルウィッチについては予定数を製作していなかったため、後に再販された。写真のウィッチもこの時に購入したもので、最近の規格と同じく、台座の大理石が薄い。 と言う訳で、このガラスの靴も先のティンク同様、入手は困難である。私もカタログで見て無性に欲しくなり、数年間探してやっと手に入れた。RonLeeのフィギュアリンについては第6回で触れたので重複は避けるが、とにかくハンドメイドの重厚な造りと素晴らしい生きた表情が命である。 似ているか否かという事で言えば、あまり似ていないのが普通であり、特に人物ではその傾向が強い。冒頭のウィッチもぜんぜん似ていない訳であるが、したたかさや狡猾さが滲み出て、大変良い表情をしている。 ガラスの靴は大変良く出来ており、シャープ過ぎない表現がまた良い。原作にはないハート型の飾りが、アクセントになっている。ジャックとガスの表情もまた素晴らしいもので、二人の会話が聞こえてきそうな、まさに生きた表情とはこのことである。ガラスの靴のすべり台、楽しい。 Data: 232/1750 ’93
May 22, 2002
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カテゴリー:ディズニー~配布もの今回は「モノよりお話」シリーズ(byこばちゃん)である。下の写真はTDL15周年、実に一年間を4つのシーズンに分けて華々しく開催されたイベントの最後、グランドフィナーレのロゴである。まだ私のパーク熱も盛んで、フォーシーズンパスポートという企画にもまんまと乗せられ、せっせと通っていた頃である。 モノとしては本当につまらないと言うか、チープな紙製のはちまきである。しかし、これを実際に手にしたゲストはあまりいない。(ハズである・・・)TDLでは新しいアトラクションやイベントの開始時には、たいがい数日前からスニークオープンを行う。つまり、公表せずにこっそりと運営を始めるわけであるが、その主な目的はキャストの訓練と初期トラブルの早期発見にあると思われる。しかし、15周年はサードシーズンからグランドフィナーレへの移り変わり。カリエンテカリエンテのスニークオープンは出来なかったに違いない。各シーズンの初日にはピンバッチ配布ということもあり、私もカリエンテ初回はハブの内側、ちょうどトゥモローランド側の橋の正面から見ていた。軽快な音楽と共にフロートとダンサー、続いて大勢の一般ゲストがやって来たが、どこか違和感があった。例の紙のはちまきをしている人がやけに少ない。まだ要領のつかめないゲストは大きな荷物を抱えたり、ベビーカーを押してだらだらと歩き、まるでゾンビの群れのようであった。やがて渋滞となり、フロートは立ち往生、ショーモードに移ることもなく、復路の橋にさしかかったところでヤケクソぎみに紙吹雪を打ち出して去っていった。 当初の演出を推察してみると、まずフロートと一緒に紙はちまきを持ったダンサーが登場、パレードルートのゲストに配り歩き、受け取ったゲストは参加できる。色とりどりのはちまきをしたゲストがステップを教えられつつハブを一周する。ところが、トゥモローランド出発点で事故があったらしい。はちまきを持ったダンサーにゲストが群がり、奪い合いのあげくケガ人まで出たらしい。パレードに参加したかったのか、はちまきが欲しかったのかは判らないが、ゲストの群集心理は恐ろしい。この一件で、2回目からは危険なため配布中止、以後さまざまな配布情報が流れたが、私が知る限りその後の配布はされずにお蔵入りとなった。FE誌VOL.68によると、全部で4種あるようだ。私が所有するのはそのうちの2種であり、15周年終了後に流出したものと考えられる。夢の王国でケガをした方々はまことにお気の毒だが、いわば自業自得である。本当にお気の毒なのは、印刷屋さんだったに違いない。
May 13, 2002
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