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昨日、家族が、漢○検定2級を受けに行くことになり、山形市の会場まで運転手をしました。曇り空の下、朝8時前に出発し、1時間40分ほどで順調に会場に到着。1時間の試験の間、受験会場となった場所の1階ロビーで待っていました。 1階ロビーの会議・催事案内板を見ると、「ウチョウラン全国トップブリーダーフェスティバル」「墓石プレゼンテーション支援システムStone Meister勉強会」等、関係者にとっては理解できる内容なのでしょうが、無知ゆえに、「トップブリーダー」って犬の話しと思ってしまったり、「墓石」ってどうプレゼンするの?とイメージが沸かない。 自分の仕事も、関心や興味のない人には、不思議に思ったりするのだろうなあと感じながら、世間には、色々な趣味や仕事があることを改めて思いました。 試験終了後、幹線道路を南下。片道4車線の道路を自動車が渋滞もなく進む。クーラーではなく、自然の風を車内に入れるが、曇り空で気温も上がり28度。車の排気ガスだったり、煙だったりと、時々の周りの香りと共に風が車内を吹き抜けていく。 昼食は、飯豊町の農家レストラン「エルベ」。エルベは、町内の農家の主婦10人で組織する「ミヤ・マンマ」が、国の補助を受けて建設した町の施設を活用し、2000年4月「農家レストラン」としてオープンした。一度、道に迷い、なんとか、午後1時に到着。駐車場には県外ナンバーも見受けられ、順番を待つ。 オープテラスもあり、待っている間心地よい風が店内を吹きぬける。30分ほどで席に案内され、ピザとパスタを注文。出てくるまで時間はかかったが、明るく広い店内は、外の空気と一体となり、ゆっくりと時間を過ごすことができました。 食後、町内にあるどんでん平ゆり園で百合を観る。花瓶に生けられた姿からすると、花の下の茎が5~60Cm位ひょろっと一本づつ植えられている姿には、少しびっくりする。 更に、町内を道二迷いながら、いいで道の駅めざみの里観光物産館にたどりつく。 どぶろく特区の飯豊町なので、店内には、どぶろくもなか、どぶろくカステラが一コーナーを作っている。酒飲みにとっては、どぶろくを飲みたく探すも、時期的、場所的に販売していないことがわかる。 そこで、お酒を醸造する時使われる「こし布」から作った、蔵彩布の手提げ袋を1個を購入。いつか、袋を下げのみに行くこともあると思いながら、飲みすぎて忘れて置いてくることも考えられるのが飲兵衛の悩みです(笑)。
Jun 23, 2008
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一昨日、私のところでも桜が開花しました。昨日は、暖かく穏やかな海でした。 なのに、今日は冬のような刺すような寒さではないけれど、暴風雨です。咲き始めた桜は大丈夫かな(^-^)/。 今日、コンビニのサンクスで500mlのペットボトルとチョロQのセットを購入。 チョロQとして未発表のミニカーが4作。その中でも私が好きなのが写真の「スバル360」。この丸みと動きが可愛いらしくも頼もしかったのを懐かしく思いだします。 小学生の頃、夏休みの自由研究かなにかで、道路の四つ角に立ち、通り過ぎる自動車の車種を記録したことがあるのですが、私の住むところは当時、舗装道路ではなく未舗装道路がほとんどで、晴れの日は砂埃が舞い、雨の日は水溜りが出来る砂利道でした。 そんな中を、N社のダットサンやブルーバードが多く走っていた記憶があるのですが、軽のスバル360も颯爽にというかコロコロっとというか、街中を走っていました。 子供時代は、狭い軽乗用車でも乗れるだけで、ワクワクしたのを覚えています。現在の乗り心地と比べるほうがかわいそうな気もしますが、あの頃は、あれで乗り心地が良いと子供心には思っていました。
Apr 14, 2007
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5月は、父親の急変であわただしく始まり、皆様にもご心配をおかけしました。今は、父親も体調を回復しました。今月は私とカミさんの母親の3回忌や7回忌もありました。 長女は、大学受験の予備校生活で4月から県外に住み、長男も、なんとか就職が決まり、5月の末に茨城県に移り住みました。予想していたこととはいえ、新婚時代にもなかった二人だけの生活が、6月から始まりました。 私の健康とアルコールのことを心配する妻からは、今後の酒の購入禁止を約束させられ、前途多難(^^;)な日々が始まりました。 ものは考えようで、随分と集まった酒をこれからゆっくりと愛でながら飲んでいくのもちょうどいいかなあと、思ってはいます。 Barに行く回数は当然減るのでしょうが、それも、長い目で見て、酒の飲めないカミさんを、どう酒場に連れ出すかを考えるのも楽しみといえば、楽しみですよね。 家の中には、私の他には、妻しかいないというのは、ある意味シ・ア・ワ・セなことだと思うのです。騙して(^^;)結婚したのかどうかは別として、二人だけの生活は、ある意味望んでいたことではあるのですから(自己弁解ぎみですかネ)...。
Jun 4, 2006
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5月2日に、認知症の高齢者グループホームで生活している父親が、4月29日に続き、一過性の発作(!?)のような症状で、救急車で病院に運ばれる。 29日は、病院に着くと、こん睡状態が続き、1泊泊まることになる。救急センターで、診察や入院を待つ間、ストレッチャーに乗った父親の側に付いていたときに、メモ用紙にスケッチしてみる。スケッチしながら父親と向き合ったおかげで、ただ待っているよりは、色々と思い出され濃密な時間が過ごせました。 私が成人になるころまで、出稼ぎだった父親とは、ゆっくりと話した記憶がなく、数年前に認知症となったことで、結局は、父親と向き合うことが出来るようになったといばなったような感じになる。 中年の息子が認知症の父親と、向き合い、修羅場を過ごすのは、介護の仕事をしているおかげで、落ち込んだ後に、ゾンビのように持ち直ったり、冷静になったり出来たといえば、出来ました。
May 4, 2006
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「妻への詫び状」男性の私にとっては、少々ドキッとする書名。団塊の世代の少し下の年代の私には人事ではない。 プロの書く小説やエッセイより、リアリティと迫力があって冷や汗を感じながら(!?)も、面白いと思い読みました。 親よりも子供よりも一番長く関わりあう可能性も高い身近な関係であり、且つ、他人である「夫婦」という関係。人は努力なしには、いい関係は保たれないということを、今更ながら思ってしまう一冊。 自分を振り返れば、この本の夫たちよりはいくらかマシ(^^)かと思うも、これも実は怪しい。下着は妻の分もたたみ、妻が仕事で自分が休みの時は食事も作る、衣類も自分で選ぶ、、、とは言ってみても、その内容や回数は、結構あぶない。妻への詫び状 仕事柄、高齢者の生き様を少しは垣間見たと思っている私は、定年後の自分自身の「楽しみ方」を模索しています。そんな私には、少々ドキッともするし、納得もさせられる一冊です。 目次から抜粋。 一部 第一章 元ビジネスマン三人が手紙を書くまでの物語 ・早期退職を機に書いた「妻への詫び状」 ・「すまない」を口にしたことはなかった ・書くことで知った自分の思い 第二章 定年夫から妻への八○通の「詫び状」 ・何もかも任せきりだった。すまない ・妻よ、本当に申し訳ない。 ・今だから言う。ありがとう ・病気が教えてくれた ・恥ずかしいけれども、ラブレターを書いてみた 第三章 妻からの七○通の”反撃”と感謝 ・夫に感謝することはありません ・今までお勤め、ご苦労様です ・こんな私で、ごめんなさい ・あえて苦言を呈します ・やっぱりあなたが一番です 二部 第一章 なぜ定年夫は妻に嫌われる? ・夫の定年後は「暮らしにくくなる」妻 ・夫に”生活力”を付ける ・夫婦のライフサイクルのずれ ・「うまくいっている」という夫婦ほど不満が 第二章 座談会 私たちの本当の気持ち 第三章 引きこもりだった夫へ 目次を見るだけでも、うなってしまいませんか?みなさん。
Feb 2, 2006
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今年も、雪隠や雲や酒のある風景をデジカメで色々と撮ったり、観たり触ったり味わったりしました。何処に行っても、この3つの風景がよくデジカメに記録されました。雲は、撮りたいなあと思ったときにデジカメが手元に無かったり、トイレは、トイレの表示や個室の中の小物等をデジカメに撮っている自分がおかしく見えたりお酒を撮る際、周りの客の迷惑にならないようにと、フラッシュを作動させないように色々工夫したりと、色々ありました。来年も、可能な限りこれらの風景をデジカメに撮りながら酒と雲と雪隠に親しんでいきたいと思います。
Dec 31, 2004
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某生命保険会社のCMに松尾芭蕉やシェークスピアや元プロ野球選手や映画作家の画像入りで「人生は○○である」と言わせるもので、「自信を持って人生を」という2003年の某生命保険会社のブランドキャンペーンテーマに基づいたCMだそうです。今の自分をちょこっと見つめるのにちょこっと役立つような気がしました。今の私なら、ちょっと仕事上しんどい状況なので、「人生はネバーギブアップである」かな。
May 21, 2003
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