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【会津の風景】
これはまた別のお寺の境内に祀られている「子安観音」像ですが、この「子安観音」像の着衣と被りものが気になります。被りもの布がかなり下まで垂れ下がっています。この「子安観音」像に最初に出会ったのは2006年4月6日でした。この写真は、この石像をもう一度撮りなおしたくて、2009年11月27日に出掛けた時に撮ったものです。
このお寺も曹洞宗のお寺です。会津では、曹洞宗のお寺の境内に「子安観音」像や観音菩薩像が祀られていることは珍しいことではありません。臨済宗でも境内に観音堂が建てられているお寺があります。あるいは、念仏系のお寺にも観音菩薩像が祀られたお堂のあるお寺があります。会津でキリシタンの研究を始めて驚いたことの一つです。小生は大学院でアメリカのとある宗教社会学者の論文集の研究をしようと思い、それを4年生の時から読み始めていたのですが、その為に仏教に関する本を古書店で漁って読んでいましたが、そこに書かれていたことからは理解できないことでした。
しかし、キリシタンの研究を進めていくうちに、こうした像がキリシタン像であると考えると、そうした疑問は一気に解決出来ました。ただ、何故ここまで多くの「子安観音」像が会津に残っているのかが不思議でなりませんでした。しかし、『会津藩家世実紀』を読み進めていくうちに、保科松平家の対キリシタン政策が見えてきはじめ、伊那高遠をはじめ、旧高遠藩領内を巡ることによってその不思議さも解消されました。
伊那谷にも、あるいは辰野町の山間部にも、そして松本平の旧高遠藩領内の村々にもキリシタンの痕跡が残っています。その為には、仏僧のキリシタン研究者の研究書が大いに役に立ちました。そして、信州をかなり歩いてきましたが、様々なところでキリシタンの痕跡に出会っています。その村とその周辺の村の方々しか通らないであろうと思われる道路脇にも、キリシタンの痕跡が残っています。中には、子供の頃に何回も行ったことのある地域にも、はっきりとしたキリシタンの痕跡が残っていました。会津と同じです。