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【武蔵国秩父の曹洞宗金昌寺】
これは裏山の高いところに上がっていく路の脇にあった石像です。袖の下に「十」が彫られているのが気になったので、彫られている文字を確認したら「爲先祖菩提」と彫られていて、右側には「越前様奥女中」と彫られていました。この石像が彫られた年号が判らないので、この「越前様」が誰であるかは解りません。しかし、越前は当然「越前守」であろうと思われますから、それなりに身分の高い武士であったと思われます。
そうした身分の高い武士の奥女中が、この「オビンズルサマ」のような石像をここに奉納したのであろうと思われますが、宗門人別制度下ではこうしたことは禁止されていました。自分の家の檀那寺以外と関わりを持つことは出来ません。にもかかわらず、こうした石像が武蔵国秩父に残っているのです。
こうしたことを奥女中がしたことを、越前守は知っていたのでしょうか。幕府に関しては、非常に不思議なモノやコトが残っているのに出会ってきました。あの絵島事件などはその典型です。あの絵島事件にも日本橋などの大店の主人が連座しています。そして、絵島を高遠に遠流にしたのですが、一体何故、高遠に遠流にしたのか、史料は沈黙しています。
こうした不思議なことで、会津史に関係があると思われる事案を時系列で並べていくと、非常に興味深いことが見えてきます。それだけではありません。幸松を伊那高遠の保科家に養子に出した幕閣は、何を考えてそれをしたのでしょうか。見性院が間に入っているのですが、あの穴山家の墓にはかなり立派な十字墓がありますし、宝篋印塔も建てられています。