朝日新聞のことで騒ぎになっていることは
知らなかったわけではないが、
よくは知らなかった。
というより
新聞同士の確執の流れと感じていた。
でも過日お詫び記事みたいなのが載っていて、
その記事原稿の不出来さには読んでて恥ずかしかった。
それもあってか、
騒ぎは大きくなるばかりで
結局社長氏のお詫び会見となった。
どんな事案のお詫び会見も
お詫びされているようには感じられないけれど、
僕は謝罪すればいいとはいつも思わない。
原発問題も従軍慰安婦問題も、
朝日のスタンスから湧き出た不始末ではある。
いずれの巨悪にも僕も同じ朝日的立場だから、
内心恥ずかしいし、
却ってまずいことになったと思った。
弘法も筆の誤り、
好事魔多し
ということはある。
思い込みと見識が融合反応すると
怖いことになるとは
自戒しなくてはならない。
今原発は再稼動に向けての手練手管の最中だし、
古めかしい国家主義の妖怪も浮遊している。
朝日の不始末を鬼の首とったみたいにあげつらう向きもあるだろう。
でも、
不始末と
原発や軍国の悪とは別次元のことだ。
人間は
許されてはいけないことに組織的に没入するサガがある。
どちらもそういう問題だ。
コントロールしているつもりでも、
実はコントロールされている。