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最近は日本でもメジャーになってきたACLS。もともとアメリカが発祥の地なのですから、あってあたりまえ。というか、全員持て! とのお達しで、新しく入ってきたレジデントと有効期限の切れたフェローが50名ほど、まとめて受講。いやあ。懐かしいッスねぇ。いつもいつも、思い出すのは、その時3年目だった外科のおっかない先輩に、「おまえ、チームリーダーな」と低い声で冷静に指名されたときのこと。その頃のせんせはERのローテも後半で、普通にバリバリ(?)のER docをしておりました。別に初めて立ち会ったとか、初めてのチームリーダーだったというわけでもないのですが、妙に記憶に残っている場面。なんでだろう。院内でのACLSが徹底してると、医者は本当に楽です。いちいち指示を出さなくても、オーダーが流れます。よく訓練された看護婦さんたちと組む時は、彼らが聞き返してくることはまずありません。何故なら、彼らも次に私が何を指示したいか充分判っているからです。チームリーダーとして、冷静にD=differencial diagnosisを考えながら、初期CPRを乗り越えられます。一番凄かったのは、離島の看護婦さんたちでした。彼らは医師免許が要らない総ての手技を完璧にこなしてくれました。せんせといえば、intubationして、指示をばーっと言っただけです。「心ま…(そろそろ挿管したいので、誰か替わって、といいかけ)」「替わります!」「はいった!」 無事に挿管、酸素をもらって、バギングでもはじめようかとあたりを見回した瞬間。「替わります! 先生は挿管確認を!」 見事に疲れる手技の総てを看護婦さんと事務職がこなしてくれました。普段から医者が少ない病院だからかな?うん、あれは今思い出しても見事なACLS、CPRだった。ホレボレした。え? 今日の結果ですか?" Somebody help! Call code blue!"(誰か来て!)まあ、これは基本。" You ! Do a team leader! and I! Get the crush cart!"(お前! チームリーダー! 俺、緊急カートを取ってくる!)=現場退避。いや、現場にはいるので、最前線退避、かな。これが、仲間内(全員放射線科医)で話し合った結果です。慣れないことはやっぱりやめておこう。最低限、邪魔にならないようにしよう。
2005年07月15日
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日常会話ならいざ知らず、読影は完全に日本語風の訛りのきっつい英語を話している。ええ。典型的なアジア英語、と陰で笑ってくれ。R が巻いていない、と鼻でせせら笑ってくれてもいい。だがな。salcoma、と打ってかえしてくるのは、絶対にいじめだと思う。そんな単語、ありませんから。(正解 sarcoma)leision と region は、最初から嫌な予感がしていたんだ。(だったら使うなよ、という突っ込みはごもっともだが、読影は頭の中でさっと所見をまとめてしまうと、あとは口先が勝手に喋るんだな。もう、止められません。)帰ってきたレポートをサインするのに非常に時間が掛かります。なにしろ、全部のRとLをチェックしないと不安です。日本のトランスクライバーさんたちは、その辺を適宜汲み取って、時には文法まで直してくれていました。ほんとに、ほんとに今までありがとうございました。普通のせんせは荒波に一人ほおり出された一寸法師の気持ちで、こちらのトランスクライバーさんたちと、マチ針の刀で戦いますともさ。
2005年07月08日
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はっきり言ってものすごーく古い上に、有名だ。毎日何気なく使っているカンファレンスルームに冠されている名前が、「え? あの、赤いぶ厚い教科書の、あの人ですか?」なんてことは日常茶飯事。ある日の夕方。UROの教授っぽい人が、外病院のフィルムをもってぶらり、とabdへ。「これ、ちょっと意見を聞かせて?」 つっても、この時間じゃあ居残り当番のレジデント(でも4年生だからそれなりに使える学年)と、仕事が終わらなかった外人フェロー(普通のせんせ)のぐらいしか居ません。 それでも、教授はちゃんとコンサルトをしてくれます。「この人ねぇ、CTの前に、いきなりアンギオされちゃったんだよねぇ」「は?」 (日本ではRCCへのアンギオは結構メジャー。彼の言いっぷりだとアメリカでは廃れてきているらしい。しかし、CTよりも前にアンギオっていうのは、やっぱりちょっと変わっているかも。)「ねえ。このRCCの鑑別のためのアンギオを始めてやった施設って、何処だか知ってる?」「存じ上げません」「ここ。なんだよー。まだ僕がレジデントの頃だった… あの時の放射線科の教授がこの手技を確立させたんだよ」 ここから先は、若干年配の方特有の、年号を交えた比較的長い話が始まります。 が。 ちょっと感動しちゃった。 不覚。
2005年07月06日
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「あそこ」の。「あれ」。ですよ。泣く子(医者?)もびびる、馬だかライオンだかのエンブレムのあそこ、です。…いいのかな?…だって、ふつーのせんせ、ですよ。自分。日本でだって、はっきり言って極普通の大学の極普通の医学部を卒業。レジデンシーだけは苦行が売りの某有名病院でいたしましたが、それは頭というよりは体力と気力を要求された日々。根は普通人。IQだって、きっと普通。あ、笑顔と運のよさは自慢です。(医学の役には立ちません。臨床的にはとっても役に立ちますが。)いい。一旦もぐりこんだなら。何食わぬ顔をして居座るまでよ。ふっふっふ。にっこり胡散臭い笑みを、Class of 2005に混ぜ込むのだ。普通のせんせは、普通以上に楽天家でしぶとい。それも売り。
2005年07月04日
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特別な日です。ハッピィバースディ、アメリカ! と喜ぶ休日です。日本はお祝いしませんね。GHQから独立した日とか。国民の休日になってはいるけど、あんまりその意義を誰も知らない……。なんで????本当に占領されていたって言うのに!「あー、これでさっぱり! アメ公、あばよ!」とお祝いすればいいのに。控えめな日本人。…な訳ないでしょうが。戦後のGHQの策の一つです。GHQが、帝政軍国主義の旧政府から日本国民を開放した、というシナリオ。あらら。最近、どっかで聞きましたなぁ。WW1からWW2にかけての日本国内の豊かさを果たしてどれだけの人が知っているのか。本当に、国力と独創力豊かな国だったんですがね。戦後暫らくの教科書はそこが弱い。二つの戦争への流れ、列強との確執。列強のアジア総植民地化政策。あやうく、日本がアラビアのロレンス化する所だったのですが、それをどれだけの人が学校で教えてもらったんだか。せんせの通っていた学校はヨーロッパ系の結構ラジカルな学校でしたが、何故か天皇系譜とかも教えてくれた。じんむすいぜいあんねいいとくこうしゅうこうあんかいかすいじん……と昭和天皇まで。みんなで暗記合戦を繰り返したもんです。そんなことが出来るから「あんたいくつや」と神社でおじいさんに聞かれるんだな。戦後教育ではしてないもんね。(神社は基本は神代の天皇を中心にすえているので、たて看板を見ながら、この人、何番目の人かなー、とぶつぶつ言いながら指を折っていたのを目撃された。)
2005年07月03日
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というわけで、アメリカ留学(出稼ぎ?)を思い立って三年経ちました。思いつきでの勉強だったにもかかわらず、なんとかAAGなんとかかんとかのオフィシャルなトレイニーのポジションをゲットです。ゲットと言うよりは、目の前に偶然に転がり込んできたのをスライディングタックルして、死守したという感じです。なぜならば、ポジションオファーがあったのが先で、その後にStep 1とCSAを受けたので。ほんと、死線ぎりぎりって感じだな。人生色々。運命色々。偶然もまた、運命。自分に都合がよければ、がっしり掴んで離さないように。
2005年07月01日
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