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新聞記事によると、広島カープ・安仁屋宗八(あにや そうはち)氏が任意引退選手を取り消し、自由契約選手になるのだという。安仁屋って、あの安仁屋?何十年も前に引退したはずなのに、なんで今更自由契約選手?不思議に思った。調べてみてやっとわかった。基本的なことをボクは単に知らなかっただけだ。野球選手は引退するときに、任意引退選手か自由契約選手のどちらかになる。では何が違うかというと、任意引退選手は、自らの意思で契約を更新しないこと。したがって、その選手の所有権は球団ににあり、復帰する場合はその球団に復帰することが原則。自由契約選手は、球団が無条件に契約を解除すること。したがって球団に所有権が発生せず、復帰のときも制限がない。安仁屋コーチの場合は、現役を引退する際に「任意引退選手」だったが(これはコーチであっても継続される)、来季は沖縄にできる社会人チームを設立するため、球団に所有権があるわけには行かないので「自由契約選手」に変更したということだろうか。
2006.03.10
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昨日(6月7日)、今日(8日)の2日間にわたって行われた東都大学リーグ1部・2部入れ替え戦・立正大(1部6位)vs専修大(2部1位)は、立正大が連勝し1部残留を決めた。1回戦(6月7日)立正大 000 100 000 =1専修大 000 000 000 =0(立)小石-出雲-南、(専)湯本■以下、日刊スポーツより。(立正大への視点から)立正大(1部6位)が専大(2部1位)に先勝し、1部残留にあと1勝とした。4回に越前一樹外野手(3年=横浜)の適時打で先制。この1点を先発の小石博孝投手(4年=鶴崎工)ら3人のリレーで守り抜いた。 リーグ戦未勝利の立正大左腕小石が踏ん張った。6回2/3を投げ、被安打3の無失点。小石は「打たせない気持ちだけ。技術では負けますから」と話した。140キロ半ばの速球に100キロ台の緩いカーブもまじえ専大を牛耳った。「最後のシーズンに2部はイヤですから」と4年生の意地もあったようだ。伊藤由紀夫監督(58)は小石を評価しながら「勝負は明日です」と気を緩めてはいなかった。(専修大への視点から)立正大(1部6位)が専大(2部1位)に先勝し、1部残留にあと1勝とした。専大は、エースの湯本五十六投手(4年=藤代)が1失点で完投したが、打線が援護できなかった。 専大は立正大の継投にかわされ完封負け。江崎久監督(65)は「向こうの投手が上だった。湯本はよく投げてくれたんですが」と振り返った。準硬式野球部の監督から転身し、就任早々で2部優勝に導いた。「選手は本当に頑張ってくれている。オレの力がない」と言って、思わず涙。もう1敗もできないが、同監督は「明日も湯本で」とエースでの必勝を誓った。2回戦(6月8日)専修大 011 000 000 =2立正大 300 000 010 =4■以下、サンケイスポーツより。(立正大への視点から)東都大学野球リーグの1、2部入れ替え戦第2日は8日、神宮球場で行われ、立正大(1部6位)が4-2で5季ぶりの1部復帰を目指す専大(2部1位)に連勝し、1部残留を決めた。 立正大は一回に3点を先制。4投手の継投で専大の追撃をかわし、逃げ切った。4投手の継投で残留を決めた立正大の伊藤監督は「しんどいですね。(入れ替え戦は)もういいです」と言いながらも、その顔には思わず安堵(あんど)の色が浮かんでいた。 一回に3点を先制したが、二回以降は快音が聞かれず無安打。2日連続で救援したエースの南は「このプレッシャーの中で戦った経験を秋に生かしたい。でも、もうこういう思いはしたくない」と試合後はほっとした表情だった。(専修大への視点から)専大の5季ぶりの1部復帰はならなかった。今春から指揮をとる江崎監督は目を真っ赤にしながら「選手はよくやりました。すべて私の力不足です」と責任を一身に背負った。 前日に132球、この日も126球と2試合を一人で投げ抜いた4年生の湯本は「(自分たちは)1部でも戦えると思った。3試合投げる体力をつくり、秋には優勝して後輩たちに(来春1部で戦う資格を)残してやりたい」と再挑戦を誓っていた。---------------------------------------------------------------「入替戦」 。これは、監督や選手たちにとって壮絶な緊張感を伴う「戦い」のようだ。特に1部で最下位になり、残留をかけたチームにとっては尚更らしい。前・駒澤大監督の太田誠氏が、以前著書『球心、いまだ掴めず』(日刊スポーツ出版社刊)にこんなことを書いていた。「入れ替え戦には、いつの時代にも独特の雰囲気がある。ピーンと張りつめた緊張感と切羽詰まった重苦しい空気である」「二部に落としたら、OBにすまないし学校にすまない。そして何より神宮球場で試合できなくなる選手たちに済まない。そんな思いが募ってきて、(特に4年生は)緊張感で足がガクガクになる」この2日間、そんな足がガクガクするほどの緊張感をもって戦ったんだろうな、立正大は・・・。まずは「おめでとうございます!」と言わせてもらいます。立正大には3番を打つ神野達哉(4年、埼玉栄高)や5番の近藤亮介(4年、大宮西高)ら元・埼玉高校球児たちがいるため、ボクはとても親近感を感じることもあって。◇太田誠の関連記事「あま野球日記」バックナンバーより。「太田・駒大前監督と香田・駒大苫小牧監督を結んだ『放下着』という言葉」 (2006.4.3) → こちらへ。--------------------------------------------------------------- ※余談ながら。なぜ「入替戦」は3回戦制なのか? その答えが太田氏の同著に記されている。その一部を借用して紹介します。「昭和24年秋には(新興だった駒澤大学が)早くも一部に昇格しているが、OBの話では、東都の入替戦が3回戦制になったのは、この時からだそうだ。その時の一部の最下位は國學院大学。当時は規約がはっきりしていなくて、入替戦の最初の試合で(二部で優勝した)駒澤大学が勝利すると、「入替戦は2回戦制だ」と、國學院側が言いだし、2回戦をやることになる。國學院は東都一部リーグの常連校で、権威があるので新参者(=駒澤大)は逆らえなかったそうだ。そこで、2回戦をやったら、國學院が勝利。決戦の3回戦がおこなわれることになり、やっと駒澤が勝って、一部に昇格を果たしたのである。以後、入替戦は正式に3回戦になったと言われている」 今日も1クリックお願いします
2009.06.08
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埼玉高校野球4回戦、埼玉栄高-新座総合高。1回表、埼玉栄高の攻撃。1番打者・白崎浩之(2年)が打席に入る前、新座総合の投手は7球の投球練習をしていた。まるでやる気がなさそう・・・というか、相手が優勝候補の埼玉栄ゆえ弱気になっているのか・・・。いずれにせよ「この試合の勝負は見えた!」と、ボクはその時思った。昨日からこれまで計3試合を見た。だが、どれもコールドゲームで今度こそは接戦の試合を見たいと思っていた。隣接する市営球場では、川越東高-所沢商高が行われている。本当は、そちらに行きたかった。そっちのほうが接戦になりそうだったから。でも、移動するのも面倒なので埼玉栄戦を見ていた。だから、新座総合高の投手を見て、自分の判断にメチャメチャ後悔した。ところが---。プレーボールがかかった途端、新座総合高の投手は別の顔を見せた。その投手とは窪田飛翔(3年)。次から次へと直球を繰り出す。それが、また速い。百戦錬磨の埼玉栄の打者、完全に振り遅れているシーンが目立つ。隣に座ったオッサン、「こりゃ、いい試合になりそうだ」と、そうつぶやいた。新座総 000 000 000 =0埼玉栄 000 003 00×=3埼玉栄はエースの天城翔(3年)。なかなか得点をとれそうにない新座総合。負けないためには、窪田は相手に1点もやらないことが最低条件のように思えた。たまに投げる変化球を狙い撃ちされて、ピンチを招くこともあったがどうにか抑え続けていた。だが、厚い雲から夏の日差しが差し始めた6回、ついに埼玉栄打線につかまる。先頭打者の二塁打を皮切りに一死一・三塁のピンチを迎える。そこで野選、右前打、スクイズ・・・などの攻めで、あっという間に3点を奪われてしまう。でも窪田、失点したのはこの時だけだった。もう一歩で「大金星」を逃してしまった。埼玉栄打線を相手に、9イニング、118球、被安打6、失点3は立派。そもそも、あまり期待していなかった対戦カード。思わぬ熱戦の展開にボクは満足した。試合終了後、窪田は一番左端に遠慮がちに整列し、一塁スタンドに挨拶をしていた。その後、悔しがるでもなく、涙を流すわけでもなく淡々とベンチに引き揚げた。その姿は、まるでいつもの練習が終わって、「腹も減ったし、そろそろ家に帰るかぁ」てな感じに見えた。最後まで飄々とした、面白い選手だった。この投手、大学か社会人で再び見ることができるのだろうか。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.07.22
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引き分け再試合の熱戦を制し、朝霞高を破った市立川越高。昨日16日は県営大宮球場で城西大川越高と対戦した。朝霞高に勝利後、市立川越高の岡田真喜主将はこう話していた。「こんな接戦をこれまでやったことがなかった。朝霞の分も含めて、ぜひ甲子園に行きたい」(朝日新聞・埼玉版)■市立川越高 9-0 城西大川越高■(7回コールド)市立 201 600 0 =9 城西 000 000 0 =0 岡田主将の言葉通り、城西大川越高を完封(コールド)で降し、北埼玉大会のベスト16にコマを進めた。エース・井口拓皓を温存し、先発は背番号「9」をつけた堂崎龍太。相手打線を1安打に抑え勝利に導いた。攻撃では、4回に走者2人を置いて、3番・遠藤力がランニングホームランを放って一気に試合を決めた。この一打、バックホームに備えて前進していたセンターに飛んだライナーだったけれど、センターの手前で打球が大きくホップしたように見えた遠藤、ボクは見るたびに思うのだけど、左打席にスッ!と立って構える姿に、なんだか「雰囲気」を感じる打者なのだ。強いてあげれば、(いずれも)明治大に進学した花咲徳栄高(当時)の福本真史や浦和学院高(当時)の前野達郎(現・明治大3年)に似ている、・・・ようにボクには思えた。------------------------------------------------先日、センバツ準優勝の聖望学園高に勝った大井高が3回戦で浦和実業高に敗退。波乱が続く今大会にあって、市立川越高の戦いぶりは、日増しに充実しているように見える。このまま頂点まで行くのだろうか・・・!?一方、市立川越高に敗れた城西大川越高。エースの氷見一馬は、コースぎりぎりにズドーンと決まる直球が武器。なのに、この試合ではなぜか高めに浮いて制球が定まらなかった。ボクはこの投手が大好きなのだけど、ここで消えてしまったのは残念至極なのだ。この氷見、強いてあげれば、身体つき・投球フォーム、マウンド上の仕草など、鷲宮高時代の増渕竜義(現・ヤクルト)に似ているように思う。少なくともボクの目には・・・そういえば増渕も鷲宮高時代、制球がままならず、マウンド上で仁王立ちして、気持ちを静めていたことがあった。その場所も同じ、県営大宮球場のマウンドだった。 1日1クリックお願いします>>人気ブログランキング
2008.07.17
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◇今日の時事ニュース◇・今年の上場企業倒産件数は30件にのぼり、戦後最多の記録となる・松井秀喜のWBC参加はない。ヤンキース・キャッシュマンGMが断言・若槻千夏、アメブロ『マーボー豆腐は飲み物です。』を再開。出身地:グラビア界の東武東上線! 中日新聞(11月10日付)より。中日のエース・川上憲伸投手の目指す先は、米国・大リーグ。ドラゴンズを支えてきたエースのメジャー流出が濃厚だ。大リーグへのあこがれは強く、思いは8年以上も胸に秘めてきた。川上の評価について、ある大リーグ球団のスカウトは「去年の黒田ほどの契約(3年総額約38億円)は望めないだろう。中4日で投げることへの不安が大きい。ただ、先発4、5番手なら中4日とは限らず、中5日、中6日で投げることもある。お金があり、先発の4、5番手を探してるチームならある程度の年俸を払うのではないか」と、推測する。超ビッグまではいかなくても、大型契約を用意する球団は出てきそうだ。----------------------------------------------------------------------------ま、親会社の中日新聞が書いているのだから、間違いなくメジャーに行くのだろうなぁ。話は変わるけど・・・そもそも川上憲伸(徳島商高-明治大)という男は読売ファンだったことを恥ずかしながら、ボクは初めて知った。そのことを記事にした今日付けの日刊ゲンダイには、次のような裏話が紹介されていた。「川上、明治大時代には読売に入団したい希望が強かったが、明治大のOBたちがそれを許さなかった。当時、中日監督は明治大OBの星野仙一氏。ウルサ方のOBたちは、川上に中日逆指名を熱心に薦めた。もし従わない場合には、野球部のOB会から川上を除名することも辞さず、と迫った」らしい。そんな過去をもつ川上。今回のFA宣言を機に、念願の読売への移籍を考えたかもしれないが、今季の読売にFA宣言の選手を獲得する意思はない。川上、来春は泣く泣く海を渡ることになるのだろうか?----------------------------------------------------------------------------川上憲伸のエピソード。 (1)明治大時代のこと 4年時には主将兼エースとして活躍、大学通算28勝をあげた。大学3年時の1996年秋季リーグでは、明治大の全勝優勝に貢献し、東京六大学リーグの奪三振に関連する個人記録も残している。■通算奪三振 311個(歴代11位) ※1位は現・ホークスの和田毅(早稲田大)の476402個■シーズン奪三振 84個(歴代7位)また、96年秋と97年春には2季連続でベストナイン【投手部門】にも選出された。ただ川上にとって苦い思い出もあるこのブログ(2007年9月4日付)より下記に引用。大学野球の「退場」というか「乱闘」で思い出すのは、97年10月14日。東京六大学リーグの明治大-立教大4回戦。たかがタッチプレーがきっかけになり、アマ史上最悪といわれる大乱闘に発展した。明治の選手5人が立教の選手に集団で暴行を加え、終いにはパトカーまで出動する事件になってしまった。このことにより、明治大の野球部部長と総監督が引責辞任。暴行した5選手は、そのシーズンの謹慎処分を受けた。その当時の明治大・主将は川上憲伸(現・中日)。ベンチには、下級生の現横浜・木塚敦志(浦和学院高)もいた。(2)徳島商高時代のこと93年夏の甲子園に4番・エースとして出場し、準々決勝までコマを進めたものの、土肥義弘のいた春日部共栄高にスコア4-11で大敗した。※土肥義弘。つい先日、横浜から戦力外通告を受けた。現在は西武が獲得を検討中とか。 1日1クリックお願いします>>人気ブログランキング
2008.11.26
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■帝京高 12-13X 智弁和歌山高■ 帝京 000 200 028 =12 智弁 030 300 205X =13 いったい何があったんだぁ?ものすごいゲームが甲子園でまた起きた。最終回の9回に劣勢の帝京が大逆転。しかしその裏、智弁和歌山がまたひっくり返してのサヨナラ勝ち。何がなんだかわからない。試合後、智弁・高嶋、帝京・前田両監督は、「いい試合だった」と振り返った。ハッキリ言って、いい試合だったのかどうかも、今のボクにはわからない。あまりに試合の流れが動きすぎるゲームだった。これほど変わるのは子供たちの草野球以外にボクはあまり知らない。この大会は、あまりにもこういったゲームが多いなぁ。XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX帝京、9回の攻撃は8-4と、4点のビハインドで迎えた。この回先頭の9番・沼田が三ゴロで一死。1番・不破が中前打で出塁、2番・勝見が死球で走者一・二塁となるものの、3番・主将の野口があえなく三振を喫し、ベンチは敗戦ムードが漂う。だが、4番・中村の右前打から状況は一変し、以降5本の単打を積み重ねる。5番・塩沢、6番・雨宮、そして7番・我妻の遊安打で同点とし、8番・杉谷(1年)が左前打で逆転。仕上げは9番・途中出場の沼田が左翼スタンドへ本塁打。一気に12-8と、帝京が大逆転。この時点で、ボクは帝京の勝利を信じた。が、この大会はことごとくそういった甘い予想を覆される。ただ9回の守備を終えてベンチに戻った松本投手に、投球術をコンコンと伝えている高嶋監督の姿。そして笑顔で聞く松本投手の姿に、この次があることを信じているというか、この大会の次のことを見据えたアドバイスを、今こんなときに行なっているのが、通常のチームではありえない異様さを感じた。9回裏、智弁和歌山の攻撃。2番・上羽、3番・広井が連続四球。その後4番・橋本が3点本塁打を放ち、12-11とあっという間に1点差に詰め寄る。5番・亀田、6番・松隈が連続四死球で出塁。一死後、8番・途中出場の青石が中前打で同点。9番・楠本が四球を選び一死満塁。もう投手の残っていない帝京。勝見、(予選でも一切投げていない1年生の)杉谷とつなぎ、背番号「16」をつけた岡野が1番・古宮にフルカウントから投じた6球目はストレート。内角にわずかに外れ、四球。押し出しのサヨナラゲームとなった。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2006.08.17
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2日に行われたオープン戦。対横浜戦でプロ2年目のヤクルト・増渕竜義投手(鷲宮高)が先発、4回を4安打1失点、3奪三振をマークした。またMAX150キロの剛球も復活。高校生ドラフト1巡目ルーキーの佐藤由規(仙台育英高)、3年目左腕の村中恭兵(東海大甲府高)の陰に隠れていた“高卒ドライチ3兄弟”の“次男”が、開幕ローテ争いに踏みとどまった。 (サンケイスポーツ)何かと若手投手陣に注目が集まるヤクルト投手陣。その中にあって、スポーツ紙の扱いが若干ジミ目だった増渕、その健在ぶりをアピールした。課題だった速球が復活して、いよいよ今年は真価を見せてくれそうだ。 --------------------------------------------------増渕竜義。思い出すのは2006年夏の埼玉県大会・決勝戦。結局、対戦相手の浦和学院高に惜しくも敗れ、甲子園切符を逃してしまうのだけど、もう一人の投手・増渕章弘と試合前、ライトのポール近くでウオーミングアップしていた姿をよく憶えている。「たぶん、この2人が甲子園のマウンドに立つんだろうな」と、多少の感慨をもって見つめていたので、夏の強い日差しを受けた2人の姿がボクの目に焼き付いているのだ。 増渕竜義と増渕章弘。同姓だが、この2人に親戚関係はないらしい。もっともヤクルトに入団した「竜義」のほうが有名だけど、「章弘」だって2006年春・夏の県大会では大車輪の活躍を見せていた。先発はだいたい「章弘」の方。試合中盤まで黙々と投げ続け試合を作り、その後エース格の「竜義」がリリーフするというのが、当時の鷲宮高にとって「勝利の方程式」だった。---------------------------------------------------増渕章弘。投手以外にもたまにショートも守っていた。身のこなしといい、軽快な足の運びといい、ボクにはものすごく野球センスに優れた選手に見えた。いったい彼はどうしているのだろう?ふとそう思って、調べてみた。すると、なんと東京国際大(東京新大学リーグ)の投手として在籍していることがわかった。古葉竹識監督が就任し話題になっているチームだ。そして、鷲宮高時代にチームメイトだった1番打者でファーストを守っていた安田裕樹も外野手として、一年生ながらすでにベンチ入りしていたことを知ることができた。ますます東京国際大、目が離せないなぁ。1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2008.03.03
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1954年(昭和29年)からたった3年間で消えたプロ球団・高橋ユニオンズ。この3年間の記録を克明に綴った『高橋球団(ユニオンズ)3年間のあゆみ』(本編/約300頁、記録集/約300頁の2部作)がついに完成し、今日、私にも送っていただいた。送り主は、高橋ユニオンズの個人オーナーだった高橋龍太郎氏の孫、秋山哲夫さん。 いただいた添え文には、こんな記述があった。「僅か3年で姿を消すという数奇な運命を辿った「高橋球団」を世に残しておきたいと思い・・・、そして当時の混乱した野球界にあって、財界の支援を得ながら『独立採算』を目指したものの挫折した状況、そして高橋ユニオンズは弱かったけれども選手は懸命に戦った。ぜひその様子を知ってほしい」と。製作期間は約7年を要したという。秋山さんの「高橋ユニオンズ」を世に残したい!という意志は、いかに強烈だったか。その熱い思いを想像してみる。うーん、こりゃ、わが家の家宝ものだな(^^)/
2015.01.29
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神宮球場を本拠地にする両校の決勝。優勝は亜細亜大。さすが「戦国東都」を勝ち抜いたチームだ。《明治神宮大会》大学の部 決勝戦■亜細亜大 5-2 早稲田大■亜大 031 100 000 =5 早大 110 000 000 =2 早大・宮本賢(来季から日本ハム・4年・関西高)、亜大・糸数敬作(4年・中部商高)。両先発投手ともに、出足はよくなかった。そんな時、ゲームの流れを決めたのは2回表に3点本塁打を放った三澤慶幸(4年・日本航空高)。この流れを、糸数が完投で最後まで守り続けた。三澤慶幸。高校は山梨県の日本航空高。日本ハムの八木智哉(創価大)の一学年後輩。01年夏と02年夏の2回、甲子園に出場している。01年は八木とともに一塁手として出場。1回戦は鳴門工高を、2回戦は宜野座高をそれぞれ破り3回戦に出場したが、3回戦はこの大会で優勝した日大三高に1-7で敗れた。そして02年。好投手・西村健太朗(現・読売)と白濱裕太(現・広島)のバッテリーを擁する広陵高に1回戦、2-3で惜敗した。三澤は三塁手として出場していたようだ。話は変わるけど、亜大の3番・中田亮二(1年・明徳義塾高)は面白いキャラクターを持った選手だ。171cm、115kg。体格からして足が遅くて動きも緩慢そうだが、50m走は6秒5で見た目ほど遅くないし動きも俊敏。西武のおかわり君こと中村剛也(大阪桐蔭高)に雰囲気が似ている。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2006.11.15
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今日行われる3回戦は、第3試合で花巻東と仙台育英が激突する。ここで東北どうしが戦うこともなかろうにと思うが、まずは花巻東の健闘を祈りたい! (写真1)皆が甲子園に行って、だれもいない花巻東グラウンド。真ん中に見える白い点がホームベース。菊池雄星、大谷翔平らはここから巣立った。(写真2)裏になって分かりづらいが「岩手から日本一」と書かれている。レフトポール付近にあるこの横断幕は、グラウンドにいる選手たちから見えるように掲げられている。(写真3)ま、そういうことです。告!当ブログは「野球ブログ瓦版」に参加しています。もしよろしければ、下記のサイトもご覧ください。こちら→ http://kawaraban.blog.jp/
2015.08.16
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■発表後すでに時間が経っていますが、来月始まるセンバツ大会について。ボクが一番気になる東北地区の代表校<2校枠>は、東北大会で優勝した光星学院八戸と、準優勝の東陵に決まりました。そして補欠校<2校枠>は、準決勝で東陵に敗退した青森山田(補欠1位)と、準々決勝で東陵に敗退した角館(同2位)が選出されました。あれっ? すでにお気づきの方もいらっしゃるでしょう。通常、補欠校は準決勝で敗れた(=ベスト4入りした)高校が選ばれるはずです。準決勝に進出し敗退したのは青森山田と花巻東でした。しかも花巻東は光星学院八戸に僅差の敗退だったため、試合結果からいえば、むしろ(補欠1位)花巻東、(同2位)青森山田が妥当だったと言えます。なのに、なぜ花巻東は補欠校に選出されなかったのか? ■その理由をいろいろ調べましたが、各スポーツ紙は「花巻東は、東北大会の準決勝(対光星学院八戸戦)でラフプレーがあったから」と記すのみ。もちろん、この「ラフプレー」と言われる一件は知っていましたが、それが理由と言われても、何が何だかよくわかりません。センバツといえども選考の基準は試合結果にあるはずです。にもかかわらず、たったひとつのプレーをわざわざ持ち出しすのか。そして思い出したのは、昨夏の甲子園であった「カット打法」や「サイン盗み疑惑」をめぐる高野連の一連の対応でした。昨夏以来、ボクは高野連の花巻東への対応に不信感を持っていたため、「またかよ!」との思いが一層募りました。■ボクの不満は増す一方でしたが、つい先日、高校野球ドットコムの記事を見つけたことで、少し不満を和らげることができました。「東北大会準決勝で八戸学院光星に惜敗した花巻東について報道陣から質問があり、(高野連)委員長は、準決勝で花巻東にラフプレーがあったことが理由であると明言した。また、一昨年の18Uであった米国チームのラフプレーを踏まえて、これは人命に関わることだと話した」そして高野連の発表だけでなく、記者氏は自身の考察も記事にしていました。以下に要約。「ラフプレーを受けた側もした側も、体の打ち所によっては、仮に命は助かったとしても、その後の生活が五体満足でできない危険もはらんでいる」「過去に起こってしまったラフプレーが今、悪いかどうかを問うのではなく、これからラフプレーでケガを引き起こさないためにはどうすれば良いかを選手も考えるきっかけにして、野球に取り組んでほしい』というメッセージが込められているように思えた」■かつてあった米国チームのラフプレーと同列で語るべきかは議論の分かれるところでしょうが、命・安全を第一義として「過去に起こってしまったラフプレーが今、悪いかどうかを問うのではない」という記事は、ボクの積もる不満を和らげてくれたのは確かです。高野連の真意も同様であると願いたいものです。さあ、過去のことは忘れて、ぜひ夏こそは花巻東に甲子園出場を勝ち取ってほしいものです。下の写真は昨夏、新花巻駅に掲げられた横断幕です。今年も同様の横断幕が掲げられることを祈ります!
2014.02.04
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■昨日、花巻東高・千葉翔太で話題になった「カット打法」が高校野球特別規則に制定された発端が、1972年夏の甲子園に出場した東洋大姫路高の9番打者・前原正弘選手にあったという話を聞いた。この前原が1回戦の対習志野高戦で「カット打法」をすると、それを見た郷司裕主審が「フォロースルーをするように。次に同じことをやればバントファウルにする」と警告した。この一件は大変な反響を呼んだという。そして巨人軍の選手・監督を歴任した「班長さん」こと中島治康が翌日の読売新聞に「カット打法はけしからん!」とするコラムを書き(1972年8月14日付)、その一言が高野連に影響を与え、後に特別規則が制定されたらしい。■面白い話だなぁ!と思い、中島班長がコラムに書いた内容を読みたくなった。残念ながら読売新聞のDBにはアクセスできなかったが、『職業野球! 実況中継』というサイトが、中島班長の書いた内容について触れていることがわかった。その内容は「バッティングとは、フェアグラウンドに打つものである。ファウルで逃げるのは邪道である」と。どうやら、この一言が高野連に相当なインパクトを与えたようだ。また、朝日新聞「聞蔵2 ビジュアル」にはアクセスできたので、同じ8月14日付の朝日新聞を読んでみた(下の写真)。もちろん中島班長のコラムはなかったが、『ネット裏~カット打法はダメ』と題した記事で前原の「カット打法」について触れていた(写真の左端、中段あたり)。それはこんな記事だった。ファウル打ちの名手として、兵庫大会で話題を振りまいた東洋大姫路の前原が、甲子園第1戦ではその特技を「禁じ手」にされた。前原は好球をカットして四球であるこのが得意。一回二死一・二塁。前原は2-1と追い込まれた後、外角球をカットした。習志野の捕手阿部が「きたないことをせず、打ってみろ」とクレームをつけたが、前原は「いつも言われているので気にならなかった」と平気な顔。1球ボールの後、5球目をまたカットした。ところが今度は郷司主審から「もっとフォローススイングしないとバントと見なす」の注意。これにはショックを受けたらしい。ベンチの指示も「打て」と変わって、この打席は結局空振りの三振。「カット打法」を禁じられて、前原はこの試合、とうとう四球を選べずじまいだった。「話に聞いていたので様子を見たが、あれでは打つ意思が認められず、スイングとは言えない」というのが郷司主審の解釈。■郷司主審が問題視した「フォロースイングの有無」でいえば、花巻東の千葉は明らかにフォロースイングをしているように見えた。前原のスイングを動画を見ていないため安易に比較できないものの、千葉のスイングがバントと指摘されるのはいかがなものか? ボクはいまだに腑に落ちないのだ。余談だが、習志野の阿部捕手とは、現在巨人の阿部慎之助捕手の父・東司さんのこと。また、写真中段のメンバー表には、習志野の4番・ショート、掛布雅之の名前が見える。(写真)朝日新聞(1972年8月14日付)、東洋大姫路・山川が逆転満塁本塁打を放ち、習志野を破ったことを伝えている今日も1クリックお願いします
2013.08.29
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■香田誉士史さんが今年4月、あらたに創設される西部ガス硬式野球部のコーチに就任した。香田さんといえば2004年夏と05年夏、駒大苫小牧高を甲子園連覇に導いた名将。一方で06年には2度にわたる部員の不祥事を経験するなど辛酸も嘗めた。当時エースだった田中将大(現・楽天)が高校時代を「まるでジェットコースターのようだった」と振り返ったように、香田さんの駒大苫小牧監督時代は頂点とどん底、希望と落胆が目まぐるしく入れ替わる、極めて変化の激しい時間だった。その後、08年には駒大苫小牧高を退職し駒澤大と同じ曹洞宗の鶴見大のコーチに就任したが、専用の野球場なし、予算なし(年間予算はたったの5万円)。高校野球界で頂点を極めた監督にしては、転身先はあまりに劣悪な環境だった。他に条件のよいところはなかったものか?なんてボクは思ったけれど、再度の転身先は香田さんの出身地・佐賀にほど近い西部ガスに決まった。なぜいつも監督ではなくコーチ止まりなのか、そんな疑問も頭をよぎるが、今度は甲子園でも神宮でもない、東京ドーム(都市対抗)出場を目指す新たな挑戦が始まった。※ちなみに現在の駒大苫小牧高の監督は、04年優勝時のキャプテン・佐々木孝介さん。■大越基さんが率いる山口・早鞘高が今春のセンバツ出場を決めた。大越さんは1989年夏、仙台育英高のエースとして甲子園準優勝を果たし輝かしい経歴をもつ。ところが早稲田大に入学後、たった半年で野球部を退部したことで人生が暗転する。米国1A、ダイエーホークスで野球を続けたものの、高校時代に夢見た華々しい野球人生とは大きくかけ離れたものになっていた。その後、高校野球の指導者を目指すようになる。大越さんの指導方針は「野球力は人間力」。即ち、人間を大きく育てることが大切であって、その結果、野球が上手くなりチームが強くなるというもの。ボクが大越さんにもっていたイメージは「人間力」という言葉を口にするイメージとは遠いものだったから、とても意外な印象を受けた。ただ高校時代の名声とその後の人生があったから言えた言葉に違いないと理解した。「今回の甲子園出場を例えるなら、自分自身も基礎や土台を築いているところに家が建ったようなもの。だけど、いま強い風が吹いたらすぐに倒れてしまう。もっと下の部分を強化しないと。何と表現すればいいのか......、とりあえず自分自身が調子に乗らないこと。もちろんそれは、選手たちにも伝えていきたい」 (大越さん)大越さんにとって今回の甲子園出場はただの通過点。新たな挑戦はまだまだ始まったばかりなんだろう、きっと。<資料/大越さんの甲子園戦績>1989年センバツ1回戦 対小松島西高 ○2回戦 対尼崎北高 ○3回戦 対上宮高 ● ※上宮には種田仁、元木大介がいた。1989年夏1回戦 対鹿児島商工高 ○2回戦 対京都西高 ○ 3回戦 対弘前工高 ○準々決勝 対上宮高 ○準決勝 対尽誠学園高 ○ ※尽誠学園には谷佳知、宮地克彦がいた。決勝 帝京高 ● ※帝京には吉岡雄二がいた。 今日も1クリックお願いします
2012.02.18
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今日行われたドラフト会議。■注目の早稲田大・有原航平(広陵)は日本ハムから1巡目の指名を受けた。これまでの通算成績:18勝13敗、防御率2.73。正直言って、ボクには有原の印象がとても薄い。入学時から騒がれていたわりに通算18勝(本日現在)はあまりに寂しい。テレビ解説の小宮山悟さんは「有原の力は、こんなものではない」と盛んに言っていたが、有原のプレーよりも、小宮山さんの言葉のほうを思い出してしまう不思議(-_-メ)。そして、そういわれ続けてとうとう迎えた4年秋のシーズン。残すは早慶戦のみ。大器晩成、大輪の花を咲かせるのは、北海道の大地・・・なんだろうか。 (写真)有原航平。■同じ早稲田大の中村奨吾(天理)は、ロッテから1巡目の指名を受けた。あるテレビの解説では、中村を「地味な選手」と評していたが、いやいや、そんなことはない。走攻守の3拍子が揃った十分に”魅せる”選手だと思う。昨年7月の日米野球最終戦の、4番・梅野隆太郎(当時福岡大4年、現・阪神)、5番・中村(当時3年)の連続本塁打を思い出す。 (写真)中村奨吾。■明治大の山崎福也(日大三)はオリックスから1巡目の指名を受けた。東京六大学出身の選手では、有原よりも、この山崎のほうがしぶとさを発揮して活躍しそうな予感(^^)/ ■ほかに、法政大の石田健大(広島工)が横浜から2巡目の指名を受けた。早稲田が宮本賢、斎藤佑樹に続く「日本ハムライン」なら、法政は加賀美希昇、三嶋一輝、三上朋也に続く「横浜ライン」ともいえる。
2014.10.23
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センバツが開幕しました。 (写真)スコア~NHKより。以下も同じ。「春は投手力で決まる!」なんて言葉が生まれたのは何時の頃だったでしょうか。それがため開幕前の下馬評でも、本格派左腕に注目が集まりました。が、しかし、今日の第三試合、滋賀学園ー桐生第一を見ていて、いえいえそうじゃありませんぞ! なんて叫びたくなりました!(^^)!まず滋賀学園の右腕・神村月光(170cm、65キロ)の投球が素晴らしかった。特に落ちる系のボール、あれはカーブなんでしょうか。がんがんに落ちて、打者のバットがクルクルと空を斬っておりました。後半は疲れが見えましたが、今後が楽しみです。 そして桐生第一の3番手で登板した右腕・金田海都(174cm、75キロ)も良かった。せいぜい直球の球速が130キロ台半ばにもかかわらず、その球速以上のスピード、重さを感じました。物怖じする様子もなく、ズバッと投げ込む直球に惚れ惚れしました。昨年秋以降は公式戦の登板がゼロなのに、度胸だってなかなかのもの。 だいぶ以前、東海大浦安に背番号「4」をつけつつも投手として大活躍した小柄な右腕がいました。名前を忘れましたが(笑)。プロのスカウト好みでないでしょうが、高校野球はこういう投手がチームに勝利をもたらし勝ち進むのです。明日からも小柄右腕に注目しましょ(^^♪
2016.03.20
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1938(昭和13)年は、既存の8球団に加えて、秋のリーグ戦から南海が新加入した。注目は明治大から、東京倶楽部を経て入団した、「神主打法」の岩本義行だったが・・・、大和球士さんは、こう記した。「岩本は春季キャンプを終えるとすぐに軍隊へ召集されてしまったため、岩本を除いて魅力ある選手もなく、南海が好成績をあげられるわけがなかった」。試合数40、勝利数11、敗数26、引分け数3で勝率.297の不成績だった」。そして、「南海はスタートが不運であった。翌14年には法政大出身の大物鶴岡一人が入団したのだから、岩本、鶴岡と並べば、ゆうに優勝候補たるの実力を備えて、あるいは戦前に一度ぐらいは春か秋のリーグ戦の王座についていたろうに」と続けた。 岩本は2年間兵役に服し、青島にいた。球界に復帰すると、1942(昭和17)年7月に対名古屋軍戦で1試合3本塁打のプロ野球新記録を達成した。戦前に記録した唯一の選手である。(写真)真ん中のサングラスが岩本。~『東京六大学野球80年史』(ベースボール・マガジン社)より~
2023.05.14
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その瞬間、打ったズレータがガッツポーズしバットを放り投げた。1-1の同点で迎えた8回表、ホークスの攻撃で無死一・二塁で迎えたズレータの打席。打球は歓喜のホークスファンがいる左翼スタンドに飛び込んだ。ライオンズ、投手は三番手・山岸穣(福井商高-青山学院大)だった。ホークスは4-1と3点差にリードを広げた。尚も内野安打などでピンチが続くライオンズ。テレビでは、解説の東尾修氏が「なぜ涌井を使わない?」とクビを傾げる。もう次がない試合、いい投手をどんどんつぎ込むべきだと。直後、ホークス・的場直樹(上宮高-明治大)が左翼線に二塁打を放ち1点を追加し、5-1とした。9回に入っても、ホークスは攻撃の手を緩めない。四番手で登板した三井浩二(足寄高)を攻める。一塁に大村直之(育英高)を置いて、松中信彦(八代一高)が右翼線へ二塁打。大村は一気に本塁へ生還し6-1に。9回裏、ライオンズ最後の攻撃。ホークス、マウンドには馬原孝浩(熊本市高-九州共立大)。3番・中島裕之(伊丹北高)が右翼線に二塁打4番・カブレラが三塁(森本)への内野安打5番・和田一浩(県岐阜商高-東北福祉大)、遊ゴロで1アウト6番・石井義人(浦和学院高)はフォークを空振りし三振。2アウト。7番・中村剛也(大阪桐蔭高)が中飛でゲーム終了。ホークスは、プレーオフ第2ステージへの進出を決めた。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2006.10.09
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■ネットで見つけた記事。「法政大は神長英一監督の退任に伴い、青木久典助監督の監督昇格を決めた・・・」。まだ野球部HPで正式発表をしていないけれど、まずは速報ということで。青木久典さんの法政大時代は、今季限りで現役引退した稲葉篤紀と同期。卒業後はノンプロを経て富士大(北東北大学野球連盟)の監督に就任、2009年には全国大学野球線選手権でチームを準優勝に導き、今年から母校・法政大の助監督に就任していた。はたして、低迷続く野球部の再建ができるか? 「火中の栗・・・!?」ではなく、手腕発揮を期待したい!(^^)!■また上記HPでは、すでに新入生(特別推薦枠)の発表が行われていた。その選手の中には、今夏の埼玉県大会を大いに沸かせた市立川越・上條将希の名前も。惜しくも決勝で春日部共栄に敗れたが、ファンに「魅せる」何かを持った投手。神宮で見る日が、いまから待ち遠しい(^_-)-☆(写真)青木久典。今季はつねに三塁コーチとしてグラウンドに立っていた。(写真)上條将希。連投に次ぐ連投で、ついに決勝戦で力尽きる。春日部共栄に連打を喰らい、ボー然・・・。しかしスタンドからは、上條に熱い声援が飛んでいたっけ。
2014.12.19
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