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骨髄バンクに興味を持った私のために、夫がネットで調べてくれていた。「君は喘息でフクエキしてるよね?だから登録できないらしいよ。」なんですと?私が・・・フクエキ、ですと?なんも悪いことはしとりませんばい。なして喘息で牢屋に入らんといかんとね?「いや、だから、喘息の薬を・・・フクエキしてるやん。」「ねえ、それ、もしかして服薬のこと?」「え?薬を飲むことをフクエキって読むっちゃないと?」どこをどう勘違いしたのか、彼は服薬を「フクエキ」と読むと思い込んでいたらしい。久々に笑って、かなりスッキリした夜であった。
2008年11月27日
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「間違いなくいい人だ」と私が思っている人に、同じくらい「いい人!」と思っている人を紹介したけれど、ちょっとした行き違いからその二人が険悪な仲に。改めて、人間関係って難しい、と痛感しています。私にとっては二人とも、ホントにいい人なのになぁ・・・。
2008年11月22日
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義父の葬儀を終えて自宅に帰った私たちは、とりあえず代わる代わるお風呂に入りました。先に上がった息子が一番にしたことは、小鳥達をかごから出して遊ばせること。息子と鳥たちは、8月の帰省以来の再会です。いつもより長い時間遊んで、鳥たちは満足そうにかごに帰って行きました。翌日、息子は慌しく京都へと戻っていきました。夫と私は義母の元へ出向き、片付けや手続き関係を次から次へと済ませ、帰宅。すると、前夜まで元気だったインコのふーちゃんの様子が少し変であることに気づきました。声が出にくいこと。足がもつれて歩きにくそうにしていること。餌をあまりたくさん食べられないこと。飛ぶのが難しいこと。それでも、カゴの戸を開けてあげると嬉しそうに出てきます。夫と私の肩に代わる代わるとまっては、眼鏡の縁を噛んだり、髪の毛をひっぱったり。いつもより動きは少ないものの、長い時間甘えてくれました。様子がおかしくなってから3日目の夕方、ふーちゃんは天国に行ってしまいました。我が家にやって来て8年半。私が何かで落ち込んだ様子を見せると、すぐに察して飛んできてくれたふーちゃん。「行ってくるね!」と手を振ると、「任せなさい!」とでも言うように首を縦に振り、「うれぴー!」と返事したふーちゃん。お菓子の箱で棺を作り、花で飾ってお通夜。きれいな緑色が好きだったふーちゃんに、新しいプランターを買ってきてお墓にしました。たぶん、ふーちゃんの魂は残された文鳥のサクちゃんのところに来て、私たちのそばに居ると思います。だってね。不思議なことがあるんです。ふーちゃんが亡くなるまで、オスだかメスだか分からなかった文鳥のサクちゃんですが、亡くなった翌日からいわゆる「オスの文鳥の鳴き方」を突然に始めたのです。きっとふーちゃんが「オスの声で鳴いて、みんなを元気付けて!」とサクちゃんにささやいているのでしょう。おかげで少しずつですが復調してます。悲しいことって、続いちゃうんですね。でも、負けないぞ!
2008年11月08日
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夫の父が脳梗塞で倒れたのは、5年前の12月でした。あり難い事にさしたる後遺症もなく、自分で歩くことも出来て部屋付き露天風呂のある宿に連れて行ったり、大好きなトンカツを食べに私たちと出かけたりしていました。動脈瘤が見つかって無理が出来ないと分かってからは自宅近くのケアハウスに入所し、外出は控えていましたがそれでも毎日笑顔で、穏やかに暮らしていたのです。10月31日、義母が訪ねて行った時も笑顔だったそうです。帰宅した義母に電話をかけてきた義父は、「来てくれてありがとうねぇ。体に気をつけてねぇ。」とそれはそれは優しい声で義母に語りかけたそうです。翌朝。義父は眠るように天に召されました。夫と二人ですぐに駆けつけ、近くの斎場へ。11月2日が「友引」なので、通夜が2日、葬儀が3日になり斎場に都合3泊することに。おかげで京都に住んでいる息子も間に合いましたし、何よりも大好きなお義父さんがあっという間に居なくならずに4日間も体がある状態でそばに居られるのが幸せでした。友引、ありがとう。深い悲しみと共に、とことん親孝行をし尽くした満足感もあり、とても不思議な感覚でした。独りぼっちになった義母を支えて、これからも仲良く頑張ります。
2008年11月03日
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