きのこ徒然日誌  1)

きのこ徒然日誌  1)

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

aracashi

aracashi

カレンダー

お気に入りブログ

Bar UKからのお知ら… うらんかんろさん

夜ラン 岡田@隊長さん

ほな いっとこ! ねこままんさん
大阪イベント情報(… yama65さん
Thanking Nature*** 夏菜々+Kanana+さん

バックナンバー

2026.07
2026.06
2026.05
2026.04
2026.03
2026.02
2026.01
2025.12
2025.11
2025.10
2005.02.27
XML
先の肩書きについて、もう少し触れたいので思い切って書きます。

心してかかって読んでください。
面倒な方はここで終わった方が楽です。そうして下さい。

では、
この肩書き。各個人の肩書きに限らないと思う。
企業名が肩書きにもなる。
うちのお店にとってこの肩書きが経営に影響があった。

お店を始めるきっかけ。

前に務めてたお店は今の所から歩いて僅か7.8分にある。
そこへ、オーナービルの役員さんや社員さん達がいつからか、食事に来られるようになっていた。
その頃の私はパート主婦でランチだけ手伝うだけで、
ほとんど面識がなかった。

そして、チーフはこの頃、よく常連さんからも
『これだけの腕があって、料理が出来て、なんでここにいてるねん?』

『店もったらいいのに・・』
『自分の店を持ったほうがやりがいもあるやろう。』

と、独立を進める様な発言が出ていた。
本人だって自分のお店を持ちたいという夢はもってたし料理人の夢である。

が当然お店をするからには資金がいる。


その頃、〒局へ行くのにあらかしの木の前を通っていたチーフは下が空いていたのが気になりそこでお店をと・・・願うようになった。

しばらくしてある日お店がやれるかも知れないというから、
聞いたら、
一部役員が店を持ちたいなら、
『一度お話を伺いましょう。』


その時初めてこのオーナービルが大企業だと知った。
この時の話は資金含めての全面協力だった。

が、いくら料理が旨くて腕をもっていても
一料理人で会社と関係ない人間にそれは出来るはずがない。
当然だ。会社は私物じゃない。

と言うことで、運転資金の一部を用意したらお話を進めましょう。となった。
それからの1年、開業資金の調達や民商さんにご相談、
親戚家族会議、・・と続いた。

運転資金一部が用意できたのでこれでいけるかとなと期待。
が、  ちょっと待った!
会社は私物じゃない、社員を含む全てのこの会社の公共であり簡単に店を出していいのか!

工事資金はどうする?!

と中断しかけてた。
店が出来るとその気になって
チーフもお店に辞めると言うし、店を出しますというし・・
まだ何も決まっていないのに・・(ーー;)

気が気でない私、大丈夫かよ。これで破棄されたら
路頭に迷うでぇ・・
次にオーナービルから事業計画書の提出を求められ
20~30Pに及ぶ新店舗の計画書を作った。

作成に費やすこと約半年・・税理士さんや元新聞記者の方に
教わりながら
どれだけの採算があるか数字算出、経営理念、消防対策、
資金内訳など多岐項目の計画書を提出した。

一料理人のお店出店について連日話題になり役員会議が行われた。
お店をしたいとスター○○ッスや大手外食産業などオファーが数百件あっても断っていた場所。

その間にも残りの運転資金の準備におわれてたけど
工事資金はどうなる?
八方塞り、あきらめるしかない状況だった。
万事休す。
あらかしの木やめて別のとこでやる?
・・・

前のお店には事情説明して退職願もだし円満退社の予定、
路頭に迷う寸前どうしよう・・。

その中ビルの会長がランチタイムに来られた。
そこでチーフも最後のお願いと会長に直に
面談を申し入れたら
『この後すぐ来なさい。』
と受け入れ 夫婦そろって会長室へ招かれどうしてもお店をしたいと話した。

この会長は企業業積の高い評価と長年の慰労を認められ
一昨年陛下から勲章をもらい園遊会に呼ばれた民間企業の
一人者でまず普通にいくと
私が関る事がない人だった。

会長室へいった。密室じゃない。(間違わないように)
会長は始終ニコニコ、周りにいた人も緊張、
私も笑顔満開ながら緊張。
チーフは熱意を語る。

断られるかも。でもいける?!
ハラハラどきどきの緊迫の場面。
一通り聞かれた後の一瞬の一言。

『おやりなさいよ!お店したいんでしょ。協力しましょ!』

と鶴の一声がでた。
この時お店出店が決まった。

人生最大のチャンスをこの時つかんだ。
2002・10月

この後打ち合わせに入り工事資金は会社が立替払い
10年契約で、自己負担。
けっして会社が先にもこれから後も
パトロンになったんじゃない。
(言い方を悪くいうと
 パトロン・・経済的支援者、特定の人物の後援や後ろ盾をさす。たにまちとか。

一料理人が料理一つで自分の腕で夢をつかんだ。
そして応援してくれていた社員さんや役員さんの好意も受けて会長や元社長にご尽力いただいて
常連さんと喜びのオープンになった。

2002・12オープン
翌年
しばらくして事業計画の通りだと ビル内の会社の人や
社員が来てくれる筈が
会長や役員の訪れる所に それら人が集まる店に
誰が好んで食事を行くか・・
敷居が高すぎて僕ら一般人の行くとこじゃない
と敬遠された。
悪循環の始まり。

中にはやっぱり非難中傷、会長がついてるからいいやん
とか。
(冗談ない、後で話す)

オープン景気もありお客さんも連れていただき
売上げ上々。前の常連も続入て来ていた。

世間は阪神の20年ぶりの優勝に沸き
阪神ファンのこの会社も
優勝祝賀会を開いて歓喜。

その頃会長の下では自社株が毎日下がり始め
不穏な動きに気づき現因究明をしていた。
乗っ取り?

この時ずっとそばで見てた私は会長の唯一のお茶のみ友達で
なぜか相談役になっていた。
女将業も教わりながら・・。

そして優勝の余韻も冷めてないある日
とんでもない事が起きた。
クーデターが起きた。

一部報道され過去のことなので話すが
公共工事の協力会社の人が仕事の事で
内部告発を起こし
一挙に危機に落ちいったのだ。

休日返上して全社挙げての出勤、会議。
誰も全く事故が起きていて内部告発されることがわからなかった。
これを機に前社長は引責辞任(責任とっての意)
問題当事者の役員解雇、会社は一ヶ月の営業停止。

さらに追い討ちをかけるように
会長まで退任することになった。
退職金の2億円も自から蹴ってしまった。
会長辞任と同時に会長を慕っていた社員たちが
大勢一挙に退社していった。

私やチーフにしてもよき理解者であり最大の相談者を失った。私は えらいことになった、この先どうなるんやろう・・
その後直に新体制で新社長になり
会社再建、業務縮小 経費削減、希望退職など
でまた大勢が退職した。

残った役員と社員で
『残った我々で再建してがんばろ!』
と新社長のもとがんばってはる。

店では頻繁に元・会長や一部役員の利用で売掛け収入があり
助けてもらってたが
この方々が来る事によって
他が寄り付かずオープン景気も終わり
気がつけば客は僅かの常連さんと会長だけで
売上げも下がっていた。


これは大変だ。売掛けを当てにした売上げで店がこの先続く訳がない・・・。
何とかしないと大変。と私は悩んでいた。危惧していた。


売掛けを当てにしない正規の売上げをつくり
新規客やリピーター、一般客が出入りするようにしないと
やばい! 
そこへもって会長の辞任。売掛けも減るじゃないか・・・
でも、これは
それに気づいてた新社長や役員さんがクーデターを機に
店の危機も救ったわけだ。

会長がいなくなり他の人がよく利用する様に
なって来た。
よそのお偉いさんが来てたら落着いて食べれないし
話も出来ない。
当然の理由だ。私だって敬遠するよ。

一大クーデターはお店にも起きてた。
がいずれ話そう。

会長が辞めてから久しぶりに来られた時
『僕が来ないようになってお客さんふえたやろう。
 他の人きてるかぁ?
 僕らじゃましとったもんなぁ。』

本人も気にして気づいてた。
私。
『正直に言いますとその通りです。
 会長が来る事によって他の方が来なくて困ってたのも事実 です。でもお店が出来たのも会長のおかげでもありますか
 ら時々は寄ってください。』

ところで会長室であの時OK!した理由を聞くと
『夫婦二人そろって来たからや。
 チーフ1人できてたらOk!してない。
 お店は2人仲良くするモンや。』

この2月の売上げは内容はすごくよくなったとは言っても
結果が全て。赤字・・。
3月がんばらなあかん。
失くした売上げを戻すのは会社再建と同様、時間がかかる。

肩書きがなくなり、売掛けも減収で真の実力勝負。
走るしかない!
独立とはそれまでの肩書きが無くなり会社の庇護を離れ、
自力でやることだ。







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2013.07.03 19:02:40
[バックナンバー1~] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: