第7官界彷徨

第7官界彷徨

詩-蒼い春と朱夏



紀元前(青の時代)---思えば恥ずかしい文学少女。高校も大学も文芸部。意外と作品がいっぱい残っていました。

「まつむしそう」
あきちゃんの窓辺に
うすむらさきのまつむしそうが挿してあった
(中略)(忘れてしまった)
わたしはあなたを思った
あなたの行く山を思った
わたしは
まつむしそうになりたかった

「ふるさと」
少女は
ぽかぽかとした陽だまりの土手で
黒土から萌える雑草のにおいを知っていた
冬になれば軒まで積もる雪の重みや
出稼ぎから帰った父が行く
職業安定所の小さな窓口や
父の飲む二級酒の味が
塩辛いことを知っていた

少女のふるさとには
訛りのつよいふるさとの言葉があって
少女はその言葉を使って
いくつもの短い詩を書いていた
少女のふっくらとした手はひび割れていて
知らない都会で一人住み込みで働いているということが
とてもいたいたしくわたしには思えたが
少女はいつも
ふるさとを背負って微笑んでいた
少女より少し年上で
生意気な大学生だったわたしは
いつも鼻先で笑っているような顔をして
恋や遊びや
形だけのアジ演説のような詩を書いていたけれど
いくらわたしがいきがっても
少女のふるさとの詩にはかなわなかった

わたしにはふるさとがない
ふるさとの暖かさも
ふるさとの厳しさも
ふるさとの言葉の訛りも ない
ふるさとがほしい
あの少女のように素直に生きたいと
いつも思う

「めるへん」
わたしはいつのまにかゲルダになって
カイちゃんをさがしに行ったのだけど
親切なお婆さんも
山賊の娘のトナカイも
王子様もいなかった
わたしはたったひとりで
氷のお城を見つけたのだけれど
あたしゲルダよって言ったのだけど
カイちゃんは
女王様に恋をして
わたしのことなんか忘れてた

ほんとはカイちゃんの心に
悪魔の鏡のかけらがはいったのだけれど
恋はすべてを
真実にするんだって
わたしはカイちゃんが好きだけれど
カイちゃんは
雪の女王に恋をして
わたしのことなんか忘れてた

女王様にとりつかれて
カイちゃんはいつか死ぬのに
何にも知らないで
カイちゃんは女王様に恋してた

むかしむかしはね
カイちゃんの所とわたしの所に
バラのアーチができてたの
カイちゃんはとってもやさしかった
そんなときわたしはゲルダなのに
カイちゃんの戻って来る
おはなしなんてほんとじゃないのかな
そしたら
やっぱりわたしはゲルダじゃないのかな

わかっているのは
北西の風が吹いて
秩父の山がカイちゃんを連れてったこと
もう
帰って来やしない

「出来損ない娘の感慨」
赤い小さなりんごは
ポツポツとしたしみを浮かせて
それでも精一杯健康的だが
そんなりんごをかかえて帰る
私の汚れたシャツの背に
無遠慮な近所のおかみさんの視線が
ひび割れたどぶ板越しにつきささる

見上げた空はくらくらしそうに青くて
うしろめたい気持ちにさせるくらい青くて
私はふふんとせせら笑って
背を向けてはみるけれど
どこまでもどこまでも
空はついてくる

私はふいと感傷にひたり
常日頃の反抗心はどついぞ忘れて
ふるさとのかや原が恋しくなったりもするのだが
その感慨も
どうせ出来損ない娘の感慨に違いはなく
からりとさらりと
無責任になにもかも忘れ果て
りんごのしみに爪をあてながら
いつものせせら笑いを
顔のどこかに浮かべ出す

「あんず」
雨あがりの夕方は
雑草のみどりがとてもさわやかで
遠い空をながめているうちに
何の気負いもためらいもすてて
ふるさとを恋しいと思う
そんなときかえるべきふるさとを持たないわたしは
背を少しかがめて
かぐわしさに包まれながら
あんずの皮をむく

ーーーまだ幼い
すなおな少女だった日に
ふと見上げた屋根の上に
すずなりになっていたあんずの実
それはとても遠い追憶で
いま
あれは確かにふるさとの景色だったと思いつつも
いまここには
ふるさとをもたない私がいる

雨上がりの夕方は
揺れ動く心をおさえてあんずのジャムを作ろう
かぐわしさに身を包んで
不覚にも落ちた涙で味をつけて
あんずのジャムを煮よう
それはきっと
苦い敗北の味がするだろうが、、、

それでもいい

「わたしの人形」
古代ちりめんの端ぎれを切って
長いたもとを縫った
紅絹に綿をつめて裾まわしにした
緞子の帯を胸高に締めて
懐刀をきっちりと忍ばせた

わたしのあやまちを黙って見ていた
わたしの喜びにも知らぬふりだった
長い髪のわたしの人形は
真新しいよそゆき着を着せられて
寂光のなか ふっとほほえんだ

1枚きりだった赤い着物は
長い長いわたしの心の煩悶の中
とうに色褪せすり切れて
髪の色さえわびしかったのに
この美しさはどうだろう
切れ長の目 唇の紅さえふっくらとあかく

ふりかえるまい過去を
嘆く事はやめよう過去のわたしを

人形の着物を縫いたいと思った心を
ひとり大切にしたいとおもう日は
わたしのほほも紅を帯びているのだろうか

「れもん」
むかし
わたしは誇り高くすっぱいれもんだった
まだ青くて
その青さゆえに
周囲の者を悲しませた
でも
わたしは誇り高いすっぱいれもんだった

ふるさとの高い木からこぼれおちて
ふりかけられたのは何?
年月という砂糖
分別という蜂蜜
いつのまにかわたし
甘くておいしい砂糖漬けです

いまの私が思うのは誇り高くすっぱいれもんだった日々のこと

[手古奈」
誰をも同じように愛したから死んだのか
言い寄る男の
誰をも愛せなかったから死んだのか
手古奈は入水して果てた
遠い昔 万葉の
あずま路の道のはずれ
かつしかの村

わたしの手古奈は
いつも覚めた女
わたしの手古奈は
いつも淋しい女
外そうとはしない仮面の下で
冷ややかに人を見つめるから
見開いた瞳の奥の悲しみを
誰にも知られず時が過ぎていく

今もいる手古奈
わたしの中にもいる手古奈

かつしかの ままのいみれば たちならし
みずくましけむ てこなしおもほゆ

[酸性雨」
あらこの紫苑
色がおかしいわと
話し声が通り過ぎて
昨夜の雨は
酸性雨だったのか
むらさき色が消えて
うす灰色の紫苑ふたむら

雨あがりの朝は
古い詩集から抜け出したわたし
あの深いどろんこの道を
駆け出して行った少女はわたし
あの人の愛の確かさを
軽やかなうしろ姿に漂わせて
きっと
跳ぶように駆け出したわたし

わたしの人生に
酸性雨はいつ降ったか
駆け出す事も忘れてもう久しい

「高校教師」
たとえば比喩ということばを教えるのに
一つの詩を持ち出して
蛙というのは
しいたげられた者たちで
蛙の坂とは権力者のことだというような
授業をした
たとえばホームルームの時間
招かれて思い出という題のスピーチをしたとき
那須山麓の寒村で
水のみ百姓の倅だった頃
地主の門の前で大声で
ばかやろうと叫んで逃げ帰った日のことなどを
好んで話した
だけどわたしは彼の持つ
ポオズだけの思想が嫌いだった

かれの授業に反発し
期末テストの点は
50点以上とった事がなかったが
現代国語の評価はいつも5だった
彼はわたしの何を認めてくれたのだろう

どこかでまだ教師をしているのか
彼の今をわたしは知らない
そして
落ちこぼれてふるさとを棄てたわたしの今を
彼もまた知ることがないのは確かだが

ふと
なつかしいとおもう日がある

「あの町」
単線の駅の
おしろい花の茂るホームに降り立つと
まばらな商店街の姿が
わたしの心をなにかほっとさせる町だった
わたしは
白いバスケットに
都会の衣装を詰め込んで
まっすぐ続くあの道を
夕陽の照り返しのなか
家まで帰っていった
夏休みの始まった日、、、、

そのわたしを待って
母が作ってくれていたのは
何だったのだろう
何だったのだろう
思い出せないほどに母は遠く
あの町も遠い

「おいらんそう」
今年も
おいらんそうが咲いた
おいらんそうの花の中には
わたしのふるさとがある
赤い花心をのぞきこめば
細長いトンネルの向こうに
大きな屋根のふるさとの家がある
初夏の日ざしの入る池のそばに
やっぱり咲いているのは
おいらんそう

ふるさとの家には
父母がいて
幸せだった少女のわたし

赤い花心をのぞきこめば
大きな屋根のふるさとの家
そして
そばに咲き続けるおいらんそうが
まちがいなくはっきり見えるのに
どんなに見たくても
父母の顔はかすんで見えない

思いどおりに生きて来たわたしが
その生き方に躓いてみれば
幸せだった少女の日の年月が
懐かしさだけの思い出となって

おいらんそうは今日も咲く
台所のコップに庭の隅に
おんなの生きる道にとまどいながら
咲いてはこぼれ咲いてはこぼれ
このひと夏を
とまどいながら咲き続ける


この花は実を結ぶことがあるのだろうか

「ほんやら洞」
京都御所の近くと聞いていた
同志社の並びとも聞いていた
市バスを下りて広い通りを
風吹き抜ける欅の枝ごしに
京都の空ながめて
わたしはあるく
ほんやら洞めざして

10代のわたしが
心に広げたつげ劇画の世界
もっきり屋の少女
ほんやら洞のべんさん
紅い花ーーー

ほんやら洞にべんさんはいるか
紅い花のサヨコはいるか
そして
屈託なく笑う
あのころのわたしはいるか

御所の前の大通りを
早春の京都の風を胸いっぱいにすいこんで
わたしはあるく
ほんやら洞めざして


「さんねん坂」
京の早い春
わたしはさんねん坂を一人歩いた
この坂をあがると
そこは清水
心に苦しみを持つ人は
ひと足ひと足
御仏へのおもいをこめて
救いを求めてこの坂をあがるのか
ながいながいだらだら坂を
救いを求める心はあっても
信仰をもたないわたし
べんがら格子の家の出窓に
ポリアンの小さな春をみつけても
もどかしさばかりで心は晴れない

わたしはなぜ
この坂をあがるのか

忘れたい
忘れたい

青さゆえに人を傷つけた日のことを
悔恨に続くそれからの長い坂道を

「虫」
わたしの中に虫がいる
思い通りに生きたいと
わたしをくすぐる悪い虫だ

もうおとな
責任
分別
世間体
思い通りに生きるのは
人を不幸にし恨まれ
自分も落ち行く深みだとわかっているのに
わたしをくすぐる悪い虫がいる

たった一度しかない人生だもの
わたし自身のいのちだもの失われて行く若さだもの
生きたいように生きなさい

虫がうずく
虫がうずく

わたしをくすぐる悪い虫が

「ひとのほんしつについて」
 れきししたいぬのしがいがおりからのあめにうたれてよこたわる ながいみみ ちゃいろのお せなかのけはきっといつかようこうをあびておうごんいろにかがやいていたこともあったろう そしてそのみじかいけなみはかたそうで ボクシングジムにかようしょうねんのかりこんだかみをれんそうしてはいきをのむ

 やばんねあなたそのいぬさわったの きょうせいをあげておんながまゆをひそめ このひとにこころをゆるしたことにないのをわたしはおもいあとのことばはこころにのみこむ やさしいあめがよこたわるいぬをつつみとかし
ながいながいふうかのあとまでこのいぬをさらしてはおけない わたしはしょうねんのかりこんだかみはすきだけれど くさったないぞうがひにさらされるのをみるのはきっときらい これはおなじこと たとえばゆうじょうもたとえばあいも だからわたしはいぬのそうしきをしよう なんてゆうがなのべのおくり みみをもつといぬはくちをあけ ぐおおっつといきをひとつ だれもみとることのなかったいぬのゆいごん いぬはおもくきぬのドレスのすそはよごれるだろう ふりみふらずみあめふるひのそうしき わたしはみちのべのはるじょおんのはなをつかみいぬにたむけた

 やさしいあめはほどうのうえのみじかいけやかたまったちをすこしずつとかしながしておもいおもいのみじかいそうれつをくんだ やがてはれま かっとてるようこうにさらされてほどうのうえにはいぬのちのあとがくろぐろといつまでものこった わたしはそのくろいもようのおくにぱっくりとくちをあけたしんえんをみた 

「青い花」
きのう
わたしはてぃかっぷに水を汲んで来て
水彩のぱれっとに絵の具をのばし
青い花を描いた
それは
すみれのようですみれでなく
すいーとぴいのようで
そうではなかった
それはよく晒された紙の上に
茶色の混ざったみどりの茎を持っていた
花はいつか
本当の花になれるのだろうか
わたしは窓ぎわの日だまりにそっと置いたのだけれど
あまりに自然な太陽の光には
やっぱりうその青い花でしかなくて
いつの間にか
かりりとかわき
みずみずしい若さを押し込めてしまった

わたしはそれが哀しくて
てぃいかっぷの水をかけた
青い花は何も言わずに水に流れて
背景に溶け込んでいった
理由もなく別れたあなたのように
何も言わずに流れて
背景になってしまった
だから
きのう
わたしはふっと思い立って
わたしの背景のうすねずみ色を
分析したくなったのだ
わたしにとって心地よい
過去の重みを

[夜ー想うことなど」
赤い部屋をしつらえて
赤い絨毯の上に寝転んでも
わたしの部屋は赤く染まらない
かあてんの向こうに青空のあるのを知っているから

立って行ってのぞいても
夢がこわれる恐怖があるだけだから
わたしは
てぃいかっぷの中に青い絵の具をといて
すけっちぶっくの窓に
青空を描き入れる

夢なんて
すけっちぶっくの中から出られずに
わたしのゆめなんて
ひとりぼっちの中であがいている
青空なんて
すけっっちぶっくの中から出られずに
わたしのあおぞらなんて
どこにもありはしないのだ

のどがかわいたから
てぃいかっぷの青い水を飲んだ
気持ち悪くて寝転んでいたら
赤い絨毯の上に
わたしの青い夢が吐き出され
降り出した雨に流されて行った

赤い部屋をしつらえて
赤い絨毯の上に寝転んでも
わたしの夢は赤く染まらないけど
それだからといって
涙を流す程のイデエは
もうなくしてしまった

「寂寞」
昨日
黒いうねりの陰にのぞいた
月の素顔は
今日
死んだ魚の尾をつけて
虚飾の微笑を浮かべる
太陽は
板切れとの鋭角に傷ついて
赤く血走った目は
昨日の愛を冷酷に照らす

黒い夜の波止場で
猜疑心を耳の後ろにしのばせて
私達は
野良犬のように尾を振りあっていた
昨日の愛の骸は
波止場の風に打たれ
渇いた唇に
表情を浮かばせることもないのだった

そんな愛すらも信じていたくなる
渇いた心に
今日の朝日は
どす黒いままで空に沈み
明日
はるかな乱れ雲は
色彩のない愛を描き
もう
許されてはいない
雨を知らせる

「散る」

西海の向こうから
小さな低気圧がいくつもやってくると
天気図は急ににぎわって
そして
散る
タカオモミジの
あかい花だ

激しい風雨に打ちしだかれても声もあげず
朝になると
フロントガラスいっぱいに
散り敷いているのは
タカオモミジの
あかい花だ

退化した花びらは
人の気を引くこともなく
毎年
わたしだけが懐かしく思う
タカオモミジの
あかい花だ

わたしもまた
人に媚びず
もてはやされず
そして
ひとつの心にだけ懐かしさを残して散る
そんな生を持ちたいと
春になると思わせる
タカオモミジの
あかい花だ

「病気」
もの思いが深くなり
体がだんだんやせてきたとおもったら
ある日
頭があがらなくなってしまった
あきちゃんはこれを
「ローザ病」と名づけて笑う
わがままなのに意思の弱いわたしの
自分ではどうにもできない
心とからだのアンバランス

ベッドのそばの小さい窓から
ふだんは見えない空が見える
伸びきった雪柳の真上を
ジャンボ機が横切った
西へ、、、
赤くライトが光ってもう夕方
わたしは骨ばった手をかざし
ぷくぷくと浮き出た血管を憎みながら
今度の病気の原因を考えてみる
要するに自分が悪いことなのだが
理由をほかに探さないと
この病気はなおらないので
外が真っ暗になり
手の形がぼんやりとしか見えなくなっても
ぷくぷくと浮き出た血管を憎みながら
空しい模索を続けている

「新月のころ」
疲れた日の夕食を済ませて
ほっと一息つくと
格子窓の向こうには
細い細い月が
黒く隠れた部分の確かな形を見せている
何時間か前に
その方向に
あかくぼんやり沈んだ太陽と
ふちどりを光らせてあとを追う月と
そして
わたしが立って洗いものをしている地球との
放物線上の今のかんけいだの
そんなことを考えはじめると
宇宙の大きさや謎や
ひとの存在のはかなさのようなものが
胸を横切ったりする
そうして
そのはかないわたしが
思いどおりに生きたいために
不幸にしてしまった者たちのことを思い 
慄然とする

あのときわたしはあまりに若かった
自分とひととのつながりを思う余裕も持たなかった
ひとの人生の短さと大切さを
まだはっきりとはわかっていなかった
わたしはいろいろ理由をみつけてはみるけれど
引きずる過去の償いには足りなくて

明日は新月
またあたらしい
悔恨の日々が始まる

「5月のバラ」
足の先がつめたくて靴下をはいた
一時間たって
屈辱を感じて靴下を脱いだ
グレイの靴下
靴下には若さがない
わたしが恐れる老いが
グレイの靴下には似合いすぎる

5月のバラは真紅に咲き誇り
わたしの心を乱させる
東から来る風は少し冷たくて
わたしの指先を凍らせる

わたし
もう5月のバラになれない
吸血鬼 バンパネラ ポーの一族
永遠の時と若さを持つポーの一族が
いつも飲むのは
罪の血の色をした真紅のバラのスープ
なれるならわたし
ひからびた肌になる前に
異端者ポーの血を受けてみたい
そしてあなた
はたちのあなたもそのまま
あなたが一番美しい今
庭のバラを手折るように
大老ポーの生き血を注ぎ
二人して永遠のさすらいの旅を続けよう

バラの香りを体中に受け入れて
わたしは本当に
ポーの一族になれたらと思う
人とちがうというだけで
永遠にさすらうポーの一族に

あなたと向かいあって飲む
5月のバラのスープは
きっと苦い敗北の味だろう
それでもいい、、、




第1世紀(朱の時代)
どうしたことでしょう。わたしはすっかり社会派になってしまいました。それまでのわがまま娘のわたしを知る人々がのけぞって驚いたことはいうまでもありません。

「ふるさと」
北海道夕張郡××町1336
自転車も持たない
足の不自由なおじさんの引くリヤカーに
遠い北国の番地が書いてある

わたしには見知らぬ遠い国だけど
おじさんの育った夕張の
あかく原野を染める大きな夕日だとか
1杯飲んだ上機嫌で
からの大きな弁当箱をふりながら帰ってきた父親の
労働のにおいのする赤黒い皮膚の色だとか
何人もいる兄弟
せまい家で湯気の立つ鍋を囲んでの
貧しいけれど楽しい夕食だとか
あたたかいあたたかい景色ばかりが
わたしの心には浮かんでくる

おじさんは何故足を悪くして
おじさんは何故クズ屋をして
そうして
おじさんは何故
遠いふるさとの番地をぶら下げて歩く

父との別れ
炭坑の閉鎖
事故
そして戦争、、、

運命がいつか狂ってこの遠く離れた町で
おじさんはゴミ捨て場をあさりながら
ふるさとの番地をお守りのように下げて歩く

北海道夕張郡××町1336
帰りたい帰りたい
時の流れを越えて
あのふるさとへ幼い日へ
おじさんの思いをのせて
おじさんのふるさとはリヤカーと共にゆれる

「サヨナラにいちゃん」ーー飢えて死んだカンボジアの坊やへ
にいちゃん
ぼくをずっと抱いててくれてありがとう
だけどぼくはもう死ぬんだ
もうぼくのために食べものをわけてくれなくていいんだよ
かあさんの名前を教えてくれたにいちゃん
ぼくが4つだって教えてくれたにいちゃん
いつもぼくを抱いててくれたにいちゃん
そんな悲しい顔をしないでよ
ぼくもうおなかもへってないよ
すこしさむくてでもとってもいいきもちだよ
ぼくはもう死ぬんだ

うまれてからずっと
おなかのすいていたぼく
かあさんとはぐれたぼく
でもいつも
にいちゃんに抱かれていたから
にいちゃんがあっためてくれたから
ぼくは幸せだったんだ

にいちゃんは
ぼくが死んだらひとりぼっち
だけど生きてよぼくのぶんまで
ぼくは死んだら風になって
にいちゃんのまわりを駆け抜ける
にいちゃんがにっこり笑うのを見たいんだ
田んぼには稲を実らせ
山には木の実を沢山つけてあげるから
飢えた子どもがなくなるように

たった4つで死んだからって
おなかがすいて死んだからって
あまいおかし
きれいなおもちゃ
何も知らずに死んだからって
いいんだぼくは
にいちゃんがいたもの
にいちゃんそんなになかないで
早く大きくなって
そして作ってよ
子どもが飢えて死なない世界を
ぼくらのようにならない世界を

サヨナラにいちゃん
めのまえがくらいよ
さむいよにいちゃん
もっとぎゅっと、、だいて、、、

:この詩に曲をつけてくれた人がいました。岡山県の八木たかしさんです。いまでもコンサートで歌ってくれています。
八木たかしさんの歌詞は、、、。
1/にいちゃんありがとうぼくをずっとだいててくれて
  でもぼくはもうすぐしぬんだもうたべものはいらない
  かあさんとはぐれたときからいつもおなかすかしてたぼくに
  かあさんのなまえをおしえてくれたぼくが4つだっておしえてくれた
  いつもぼくをだいててくれたにいちゃんありがとう
2/にいちゃん生きてよぼくの分まで生きてよ
  ぼくが死んで一人になっても生き続けて
  にいちゃんがにっこり笑うようぼくが死んだら風になって
  にいちゃんのまわりを駆け抜けて
  田んぼに稲を山には木の実をたくさんつけてあげるから
  にいちゃん生きてよ
3/にいちゃん泣かないでたった4つで死んだからって
  おなかがすいて死んだからって何にも知らずに死んだからって
  にいちゃんがそばにいたからぼくはいつでも幸せだったよ

  にいちゃん早く大きくなって
  子どもが飢えて死なない世界を 
  ぼくらのようにならない世界を
  にいちゃん作ってよ (くりかえす)

「八郎」
飢えた子の裸の写真が報道された朝
その田は刈られた
ひとつぶ口に含めば
プツンと音がして青臭い甘い汁の出るだろう
秋の実りの日には
黄金色の籾になって庭先に輝くだろう
そして
飢えて死ぬ子の何人もが救えるだろう
その稲のいのちは消えた

青田刈り
それは自然への畏敬を忘れた
人間たちの愚かさのきわみとわたしは思うけれど
トラクターにふみつぶされるキャベツの山も
子牛の飲んだあと川に捨てられる食紅入りの牛乳も
みんなそれを当然と思ってやらせている人がいる

八郎よ
むかし我が身をすてて
肥沃な田畑を作ろうとした八郎よ
首を上げて良く見てほしい
おまえの名のついたふるさとの潟の今を
農業というひとのいのちに大切だった仕事が
いのちとともにどんなに軽く
今の世にあるのかを

「なまえ」
使われなくなって久しい単位の
金額で請け負ったビラ配りの仕事で
あちこち歩くと
町のはずれに
「独居老人用住宅」と表示された一画があった

小さな庭に花が育つ

表札には
女の名が多い
みつ
はな
きく
ひらがな二文字の
やさしい女の名前が並ぶ

幸せな一生を願いつつ
つけられたその名前とともに
長い時代を生き抜いてきた女たちは
いくつもの
修羅の旅して
たどり着いたこの町で
たんねんすぎるほどに
花をいつくしむ

みつ
はな
きく

旅のさなかのわたしは
たんねんにビラを入れる

檜作りの一戸建て売ります

今は多分こんなビラにも無関係のはずの
彼女達の小さなドアの
一つ一つの小さなポストにも

「穴」
アスファルトがはがれて
道に小さな穴ができた
近くのおじさんが時々土を入れても
少しづつ少しづつ大きくなった
役所に電話した人もいたがそのまま
穴もそのまま深く大きくなった

曇った夕方
オートバイの青年が死んだ
穴に気づかず
オートバイごと宙に飛び
前から来た同じ年頃の
青年が運転する大型トラックに
ぶつかって死んだ

青年が死んだ次の日
まるで証拠を隠すように
その穴は埋められ舗装された
秘かにそしてす早い作業だった

一人のオートバイの青年が死に
一人のトラックの運転手が職を失って
道の穴ぼこが繕われた
ただそれだけのことと
済ますわけにはいかない

青年一人の命と引き換えなければ
道路の穴さえ直せない
この国の政治の方向に
わたしたちは
もっと早く気づくべきだった

「かんのん」
十文字峠から急な下りをゆけば
小さなずんぐりとした野の観音が立っている
北似向かうこの道は
佐久平へつづく敗走の道

むかし
重税に苦しめられ娘を売りそれでも食べて行けなくて
自由と平等を求めて
秩父困民党を組織した男たちがいた
彼等は憲法を作り
小さな民主組織を作って明治政府に対抗した
ここ奥秩父の木や草や花たちが
それぞれの領分でのびのび生きているように
人間だって自由に生きていい筈だ

彼らはあちこちで政治や経済や歴史を学ぶ集まりを持った
アダム、スミス、モンテスキュー、ジャン、ジャック、ルソー、
新しいことを学ぶとき人はいつでも青春だから
十代から七十代までのここ奥秩父の農民の男たちが
山の深さに守られて
青春の時を同時に過ごした
彼らの希求の思いがあまりに強かったので
西洋から来たその思想は
明治政府の高官よりも早くそして深く
農民たちの胸に落ちた

彼らの掲げた自由自治元年の旗のもと
民権思想はここから燎原の火のように
日本各地に広がるべきだった
この国は
それから数十年の歳月と
他民族をも巻き込んだたくさんの不幸な死と
いくつもの大きな戦争を経なければ
奥秩父の農民たちに追いつくことができなかった

敗残の農民たちは
すでに政府軍によって閉ざされていた
関東平野に抜ける道を避け
信州へ向かう峠を越える

時は十一月のはじめ
やわらかいから松の落ち葉の道は
過酷だったふるさとからのせめてものはなむけか
五里観音に別れを告げる彼らの胸に
短かった青春の日々が浮かぶ
「法の精神」「民約論」
この敗残の道
未来へと続く道だから
決して敗北とは思わずに
胸を張って進んだはずだ


「昭和の女」
たとえば
たたかいという言葉には
明日へ向かって進む気迫が感じられるが
戦争という言葉には
悲惨な抑圧しか私のイメージにはない
そんな
戦争の前とあと
2とおりの昭和の女

母や姉たちは
やりくりをして昭和を生きた
嵩の増える食卓を作り
糸くずをよりあわせて縫い物をした
精神までもやりくりしなければ
人間らしく生きられなかった
たくさんの
戦争前の昭和の女たちが
女が人間らしく生きるためのたたかいをし
そして朽ちた
あとを行く女たちへの土壌となるために

社会学者は言う
歴史は前進する
決して後へはもどらない
本当だろうか
そして前進とは本当に良いものなのだろうか

あとの昭和を生きる私たちは
有り余る物に囲まれ
それでいて何か不安で
あふれる情報に身もの置き所もない

戦前の昭和の女たちが
身を削って残してくれたものは何だったのか
やりくりを知らない私たちは
思いを凝らすことも知らないで
なにもかもうかうかと見過ごして
日々が過ぎる

歴史は前進する
決して後戻りはしない
それが本当ならば
前進とは良いことだと
あとから来る女たちに伝えたい
私たちの前の昭和の女たちの
埋もれた歴史の中からの叫びを
伝言として渡したい

私たちが
戦前の女たちと呼ばれる日の来ないように


「縄文の女」
春の野を歩けば
そこは発掘のあと
足にふれるかわらけ
指にあたる縄目の文様
広い集めれば形になるだろうか
縄文の器に

私の心は時を遊ぶ
縄文の女になって土器を作る
さんさんと照る春日
憎しみや恨みをまだ知らず
ひがな1日
土器を作る
時は無限
土を削るヘラ
縄の編み方にも工夫を凝らし
たくさんの
土の器たちに囲まれて
来る日も
来る日も
過ごすだろう

私は縄文の女
その時人類はまだ
複雑な感情を持たず
いつも口をぽっかりあけて
まなざしおだやかに
空をみつめていられただろう
朝が来れば目覚め
暗くなれば眠りにつく
私はなりたい縄文の女

この真昼の夢から立ち返れば
複雑な今の世を上手く生きられず
とがった目をする私の日々が
喧噪のなかで待っている

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