「歩きつなぎの旅」の記録

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タロウ@ Re[3]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) きんじろう36様 たいへんおそくなりまし…
きんじろう36@ Re[2]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) タロウ様 8月25日、兄はタロウさんの…
タロウ@ Re[1]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) きんじろう36様 お返事ありがとうござい…
きんじろう36 @ Re:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) タロウさん。兄から再度メールが来ました…

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2026.08.01
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2026年08月01日(土)晴


今日の東京の最高気温は36.5℃ で、4日連続の猛暑日。今回歩くのは、安政4年(1857年)板「雑司ヶ谷音羽絵図」と安政4年(1857年)板「東都小石川絵図」のうち、現在の文京区大塚1~2丁目・小日向4丁目に当たる地区。08:00 護国寺前 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第116回 】を歩き始める。

大塚1~2丁目。切絵図に「安藤長門守」とあるのは、陸奥国磐城平藩安藤家(5万石 譜代)の下屋敷。安藤家は藩主の不行跡により、宝暦6年(1756年)美濃国加納藩(6.5万石 )から減封され、磐城平藩への転封を命じられた。



磐城平藩安藤家5代藩主信正は、安政7年(1860年)老中に就任して公武合体を主導したが、文久2年(1862年)坂下門外の変(尊王攘夷派の水戸浪士による襲撃事件)に遭って負傷。老中を罷免され、5万石から3万石へ減封を命じられた。下屋敷跡地には現在、お茶の水女子大学・跡見学園女子大学・筑波大学付属高校などがある。



小日向4丁目。「茗荷坂」を下る。かつてこの近辺で茗荷の栽培が盛んだったことに、坂名は由来する。坂の途中東側、慶長7年(1602年)創建の「林泉寺」を訪れる。切絵図には「林泉寺 シハラレ地蔵」とある。願掛けの際に地蔵を縄で縛り、叶うと解くという「しばられ地蔵」で知られる。



茗荷坂下の東側、切絵図にある「深光寺(じんこうじ)」を訪れる。寛永16年(1639年)創建。ここには「南総里見八犬伝」などで知られる、江戸時代後期の戯作者滝沢馬琴の墓がある。嘉永元年(1848年)82歳で死去。墓石には「著作堂隠誉蓑笠居士」とある。



「釈迦坂」を上る。坂の東側に徳雲寺があり、釈迦の石像が見えたことに、坂名は由来する。切絵図に「徳雲寺」とある。寛永7年(1630年)創建。かつて境内に椎の大木があったため、元禄年間(1688~1704年)5代将軍徳川綱吉が御成りになった際、椎木寺と名付けたと伝わる。



「藤坂」を下る。坂下南側の傳明寺(通称 藤寺)に、坂名は由来する。切絵図には「傳明寺 藤寺ト云」とある。寛永元年(1624年)創建。慶安3年(1650年)3代将軍徳川家光が鷹狩りの帰りにこの地を訪れた際、庭一面の藤を見て藤寺と呼んだことが、通称の由来と伝わる。08:45 茗台中学校 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第116回 】はここで終わり。Tシャツは汗でぐっしょり。


護国寺前 → 茗台中学校 : 3.3 km( 江戸切絵図歩きめぐり累計 444.0 km )






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Last updated  2026.08.02 06:54:46
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