OSAKA SNAPS.

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2008/09/30
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カテゴリ: USJ




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IMG_4433r (C)あしかけ.





春秋(9/28)  日本経済新聞
 日曜の朝である。歴史に思いをはせたい。自民党総裁選挙に勝った麻生太郎氏が首相に選ばれたのは、つい4日前の24日だが、131年前の同じ日、それと深くかかわる出来事があった。鹿児島の城山での西郷隆盛の自決である。

▼「雨は降る降る、人馬はぬれる、越すに越されぬ田原坂」で知られる西南戦争は、日本で史上最後の内戦だった。熊本県の田原坂にある慰霊碑を見ると、官軍、薩摩軍の双方に鹿児島県人の名前が目立つ。西南戦争は西郷と大久保利通の幼なじみ同士の戦いだった。内戦は田原坂の激戦から半年後に城山で終わる。

▼実はそれが麻生氏と関係がある。西南戦争が終わった明治10年(1877年)9月24日、大久保は明治政府における権力を不動にする。首相は大久保の玄孫。孫の孫だ。大久保→牧野伸顕→吉田茂→麻生太賀吉→太郎と続く系図にあるふたりが同じ日に権力を握った偶然。大久保なしに麻生政権はあり得たか。

▼でも首相と大久保の立場には、ねじれがある。大久保は強権的な改革論者だった。西郷はそれに違和感を持ち、西南戦争に。仮に麻生首相の立場が大久保より西郷に近ければ、城山の悲劇は衆院選挙を控えた自民党には深刻な暗示となる。ちなみに小泉純一郎元首相も父親が鹿児島県人。大久保はだれなのだろう。





「晋どん、晋どん、もう、ここでよかろう」と言い、将士が跪いて見守る中、跪座し襟を正し、遙かに東方を拝礼した。遙拝が終わり、切腹の用意が整うと、別府は「ごめんなったもんし(お許しください)」と叫ぶや、西郷を介錯した。



南洲には、それはそれはお会いしただけで惹かれてしまうカリスマ性があったのでしょう。



on USJ Trick or Treat
EOS 40D EF70-200mm f2.8L IS USM







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Last updated  2008/09/30 08:58:48 PM


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