今年は激動の1年だった。社会人生活においては管理職に昇格し、家庭においては第一子を授かった。一個人の存在であった私も、課長さんと呼ばれ、お父さんと呼ばれることとなった。毎年政治問題を考える年末回顧録が殆どだが、今年はあまり自分の身の回り以外に気を配る余裕がなかった。そんな中でも日本国史学会に顔を出し、新たなコミュニティとのコネクションが出来たのは大きな意味があったように思う。おかげさまで立場が個人から管理職であったり父親になったりするタイミングで保守的な思想が少しずつ確立してきた気がしている。
過ぎたるは猶及ばざるが如し、中庸の考えもまた自分の思想の確立の一助となっている。ボーダレスのグローバリズム資本主義が、自作自演のエビデンスを盾になりふり構わず人類を相手に搾取している。しかもそこには命を救うだの世界を救うだのといった欺瞞に満ちた偽善で溢れかえっている。しかし、資本主義がイノベーションを産み、人類が未知の想像の世界を大きく広げたといって間違いない。こう考えるとやはり純粋で誠実な道徳性あっての資本主義でないと、社会は決して良くならないということがわかる。
コロナ騒動によって、医療ビジネスの闇が暴かれた。政権の中枢に医薬業界から巨額の資金が流入し、それが何倍にも膨れ上がって国民の税金が業界に流出していく。御用学者がエビデンスと呼ぶにはお粗末な主張をお茶の間で流し、反対派は異常であるという空気を作り出し、国民の洗脳と対立構造が出来上がる。
子育ても同じのようだ。母子手帳は戦後 GHQ
こういう構造を見ると、現代の日本はどうもグローバリズム資本主義と社会主義が結託して出来上がっている社会に仕上がっているらしい。結局民間企業は国に献金をし、大量の税金が民間企業にキックバックされるが、結果民間企業が提供するサービスは国民の幸せには繋がっていない。幸せどころか、健康にも全く貢献しなかったのがコロナ騒動である。このような欺瞞に満ちた社会にあって私は管理職になり、親になったのである。
社会にこのような危険が潜んでいる以上、私はその魔の手から部下なり子供なりを救ってあげる必要がある。そうなると結局その救いの手とは、逆の洗脳に他ならないのではないかと思うのが現在たどり着いている自分なりの答えである。
今の若い世代はもはや何のために生きて、何のために社会人となっているのかわからないでいる。これから墨で真っ白な半紙に思想をしたためられるのだ。下手に指針なく学び始めた時、その思想は真っ赤に染まるのは、私の経験から言って間違いない。同じ轍を踏まないよう、丁寧に地道に少しずつ逆の思想へと導くのが課長の役割の一つであろう。
一方子供はこれから成長していくものであり、私からの吸収も大いにするだろう。薫陶を与え、直接指導もし、大切なことは道徳心であることを学び、真に国に貢献できる人物に育てていこうと思う。
さて薫陶を与えるにはまずは自らを律する必要がある。
其の家を斉えんと欲するものは、まずその身を修む。「大学 経一章」
私自身もまた正しい道を外れることなく生きていこうとここに誓う。
四十にして惑わず、とはいかず、学問を志す程度であろうか。それでも偽善的国家現代日本において、学問を志しただけでも貴重ではないかと自分なりに及第点を与えながら、令和五年を締めくくろうと思う。