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大島 一洋 「芸術とスキャンダルの間 戦後美術事件史」 講談社現代新書 2006.08.20. 【偽物?ガンダーラ美術の傑作 奈良国立博の「菩薩」展】 「奈良国立博物館(西川杏太郎館長)が開いている特別展「菩薩」に古代ガンダーラ美術の傑作として出品されている「石造弥勤菩薩立像」が、ガンダーラ美術研究家として知られる田辺勝美・古代オリエント博物館研究部長によって「10年くらい前につくられた偽作」と指摘され、今後、真偽をめぐって大きな論争に発展しそうだ。」昭和62年(1987)5月2日付の「毎日新聞」に載った記事である。 田辺勝美がこの菩薩像を初めて日にしたのは昭和61年で、アメリカのクリーヴランド美術館で開催された展覧会カタログ『クシャーン彫刻』。一見して贋作だと判断。それが奈良博の特別展「菩薩」のポスターになっていたので驚愕する。オープン前の内覧会で現物に当たった田辺氏は4月30日付の質問状で、計13項目を指摘。作品をオリジナルとする同館の見解を文書で回答するよう求めている。質問状にたいする奈良博からの回答はなかった。それどころか田辺の贋作説のマスコミ報道のおかげで「菩薩」展は史上3番目の入場者を数えるという大成功に終わった。 しかし、展覧会終了まで沈黙していた購入者「亀廣記念医学会」の理事長・亀廣市右ヱ門が動きはじめた。購入代金37万5,000ドル(当時の為替レートで5,800万円)。奈良博の館員がニューヨークの古美術商ウィリアム・H・ウォルフから買う約束をしたが、奈良博の予算は1点3,000万円で、とても買えない。そこで引き受けたのが「亀廣記念医学会」だった。奈良博の仲介だから信用したのである。亀廣は精神科医であり僧籍の身でもあった。仏像購入は病院の患者の精神療法になるという期待もあった。 亀廣のもとへは贋作情報がどんどん入ってきていた。そこで奈良博に田辺勝美と論争するよう求めた。奈良博はしぶったが、仕方なく「ガンダーラ仏研究協議会」を非公開の形で7月3日におこなった。出席したのは西川館長ほか奈良博から5人と田辺氏。第3者的立場の高田修・元東北大教授らインド美術史、彫刻、文化財保存科学の専門家7人の計13人で、亀廣氏もオブザーバーとして同席した。協議会で、田辺はまさに十字砲火を浴びる感じであった。面罵、怒声が飛び交い、まるで軍事法廷。座長である樋口以外は「贋作の根拠がない」と述べ、「贋作の根拠がなければ本物だ」と、奈良博はその趣旨の見解を発表。が、樋口座長は会議の公式見解として、「本物であるとも偽物であるとも断定はできなかった」とした。 購入者の亀贋市右ヱ門は、協議会の結果に失望し、みずから其贋の調査に乗り出す。仏像の写真に英文の細かい註釈をつけたパンフレットを自費でつくり、世界16カ国200カ所の美術館、博物館、研究者などに発送して判定をあおいだ。その結果、35通の返事があり、そのうち本物説は1通だけで、贋作説、あるいは「疑わしい」としたのが11通、他は専門家が不在だったり、判定不能だったり。パキスタン政府考古局博物館総裁アフマッド・ナビ・ハーン博士からの返答は「本物のようには見えないことが判明した」とあった。 こうした調査依頼をしながら、研究協議会終了後、ガンダーラ仏を東京の田辺のいる古代オリエント博物館に移し、?線検査などをおこなった。その結果、仏像が「寄せ石づくり」の贋作であることが判明した。昭和63年(1988)3月8日の国会で取り上げられ、中島源太郎文部大臣が「今の経過では、これは本物である」と発言したため、亀廣はついに決断。亀廣記念医学会が(奈良国立博物館の仲介で偽物の仏像をつかまされ、損害をこうむった)として、国を相手に約5,500万円の支払いを求める国家賠償請求訴訟を大阪地裁に起こした。これにたいし、奈良国立博物館側は、責任を否定して全面的に争う構えで、仏像の真偽論争は、法廷で争われることになった。裁判は最高裁までいったが、美術品の真贋に裁判所は関知しない、ということで終わった。裁判所は白黒をつけることを避けた。 ガンダーラ仏は現在、枚方市の関西記念病院のホールに安置されている。
2012.09.12
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川端(1962・4・17)ノオベル賞推せん委員のもたつきはおもしろいですね フランスの作家たちが日本を推すとパリから手紙が来たりしました まああなたの時代まで延期でしょう・・・ 1968年10月・・・川端ノーベル賞受賞決定・・・同じ月三島「盾の会」結成 1970・6・11・・・「士道についてー石原慎太郎氏への公開状」(毎日新聞) 私はごく最近、「諸君!」七月号で、貴兄と高坂正尭氏の対談「自民党ははたして政党なのか」を読みました。 そして、はたと、これは士道にもとるのではないかといふ印象が私を搏ちました。私は何も自民党の一員では ありませんし、この政党には根本的疑問を抱いてゐます。しかし社会党だらうと、民社党だらうと、士道といふ 点では同じだといふのが私の考へです。 実はこの対談の内容、殊に貴兄の政治的意見については、自民党のあいまいな欺瞞的性格、フランス人の記者が いみじくも言つたやうに「単独政権ではなくそれ自体が連立政権」に他ならない性格、又、核防条約に対する態度、 等、ほとんど同感の意を表せざるをえないことばかりです。 貴兄に言はせれば、三島が士道だなどと何を言ふか、士道がないからこそ多数を擁して存立してゐる自民党なのだ、 といふことになるかもしれません。しかし、「ウエスト・サイド・ストーリイ」の不良少年の歌ではないが、 すべてを社会の罪とし、自分らの非行をも社会学的病気だと定義するとき、個人の責任と決断は無限に融解してしまふ。 現代社会自体が、自民党のこの無性格と照応してゐることは、そこにこそ自民党の存立の条件があるといへるで せうし、坂本二郎氏などはそんな意見のやうです。 しかし、貴兄が自民党に入られたのは、そのやうな性格を破砕するためだつた筈です。私はこの対談を二度読み 返してみて、貴兄がさういふ反党的(!)言辞を弄されること自体が、中共使節の古井氏のおどろくべき反党的 言辞までも、事もなげに併呑する自民党的体質のお蔭を蒙つてゐる、といふ喜劇的事実に気づかざるをえませんでした。 貴兄が自民党の参院議員でありながら、ここまで自民党をボロクソに仰言る、ああ石原も偉いものだ、一方それを 笑つて眺めてゐる佐藤総理も偉いものだ。いやはや。これこそ正に、貴兄が攻撃される自民党の、「政党といふ ものの本体は、欺瞞でしかないといふことを、政党としての出発点から自分にいひ聞かせてゐるやうなところ」 そのものではありませんか。 私の言ひたいのは、内部批判といふことをする精神の姿勢の問題なのです。この点では磯田光一氏のいふやうに、 少々スターリニスト的側面を持つ私は、小うるさいことを言ひます。党派に属するといふことは、(それが どんなに堕落した党派であらうと)、わが身に一つのケヂメをつけ、自分の自由の一部をはつきり放棄することだと 私は考へます。 なるほど言論は自由です。行動に移されない言論なら、無差別に容認され、しかも大衆社会化のおかげで、 赤も黒も等しなみにかきまぜられ、結局、あらゆる言論は、無害無効無益なものとなつてゐるのが現況です。 ジャーナリズムの舞台で颯爽たる発言をして、一夕の興を添へることは、何も政治家にならなくても、われわれで 十分できることです。もちろん貴兄が政治の実際面になかなか携はれぬ欲求不満から、言論の世界で憂さ晴らしを されてゐるといふ心情もわからぬではありません。 では、何のために貴兄は政界へ入られたか? 貴兄を都知事候補にすることに、ほとんどの自民党議員が反対し、 年功序列が狂ふのを心配してゐる、と貴兄は言はれるが、もともと文壇のやうな陰湿な女性的世界をぬけ出して、 権力争奪と憎悪と復讐が露骨に横行する政界に足を踏み入れた貴兄にとつては、そんなことは覚悟の前であつた 筈です。 私は貴兄のみでなく、世間全般に漂ふ風潮、内部批判といふことをあたかも手柄のやうにのびやかにやる風潮に 怒つてゐるのです。貴兄の言葉にも苦渋がなさすぎます。男子の言としては軽すぎます。 昔の武士は、藩に不平があれば諫死しました。さもなければ黙つて耐へました。何ものかに属する、とはさういふ ことです。もともと自由な人間が、何ものかに属して、美しくなるか醜くなるかの境目は、この危ない一点にしか ありません。 私は政治のダイナミズムとは、政治的権威と道徳的権威の闘争だと考へる者です。これは力と道理の闘争だと 考へてもよいでせう。 この二つはめつたに一致することがないから相争ふのだし、争つた結果は後者の敗北に決つてゐますが、歴史が 永い歳月をかけてその勝敗を逆転させるのだ、と信ずる者です。もちろん楽天的な貴兄の理想は、この力と道理を 自らの手で一致させるところにあるのでせうし、悲観的な小生の行蔵は、道理の開顕にしかありません。しかし 今のところ貴兄の言説には、悲しいかな、その政治的権威も道徳的権威も、二つながら欠けてゐます。貴兄に 言はせれば、すべては自民党が悪いのでせうが、どうもこの欠如は、貴兄のケヂメを軽んずる姿勢に由来する やうに思へてなりません。W・H・オーデンは、「第二の世界」の中で、「文学者が真実を言うために一身を 危険にさらしているという事実が、彼に道徳的権威を与える」と言つてゐますが、これは政治家でも同じことです。 「士道すでにみちたる上は、節によるこそよけれ」と、斎藤正謙が「士道要論」で言つてゐる「士節」とは、 この道徳的権威の裏附をなすものでもありませう。 三島由紀夫「士道について――石原慎太郎氏への公開状」より
2011.09.01
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