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おかげ様で無事退院することが叶い、しかも生涯忘れることが出来ない、誕生日を迎えることが出来ました。今後は自宅療養を5月いっぱい重ねながら、並行して次なる仕事の準備を続けたいと考えています。何十回と体験した記念日ではあるが、特に今回は特別な日となりました。何故なら、もう一度この手に掴んだ青春ドラマの始まりなのだから・・・人間にとって、始まりと言う記念日は、意義深いものがある。“ばんたかお”の人生にとって、第二章はこれから脚本化されるのです。想像もしていなかった今回の事態から、果たしてこの間、私は何を考え、何を“仮想自分戦略”していたのか?今のところ漠然とではあるが、もう一度いただいたチャンスに感謝すべく、第二章は仕上げたいと考えています。今回の試練はけっして小さなものではなかった、しかし生きる気力は大きな回復剤となることを、私に教えてくれた。これは仕事やビジネスでは目標と置き換えれば良い、大きな目標が元気回復剤となることを教えているのである。ならば誰にも平等にチャンスは与えられている、鍵はチャンスに挑む人生を選択するのか?挑まない人生を選択するのか?それによって、あなたの人生は変貌するのである!“ばんたかお”の人生も、今日新たなる船出をします、多くの志友と共に・・・
2006年04月26日
突然倒れてから、社員の顔を見ていなかった・・・しかし入院直後に幹部社員から、会社は心配しなくていぃよと手紙をいただいていた。だから退院後には、社員に元気な顔を見せなければと考えていた。ところが今日、突然だったが幹部社員一同でお見舞いに来てくれた。その目はいずれも、私が普通に歩けるか?、手は動くか?、言葉は交わせるか?一つずつ確認しているようだった。それぁそうだよね・・・突然に救急車で運ばれ、しかもその病院は「○○○脳卒中センター」、そう聞けば人々はおよその想像をする。だから社員もお見舞いは遠慮していたという、まもなく退院するらしいとの情報から、今日は幹部社員達が全員で来てくれたようだ。私は私で必要以上に元気な姿を見せたくて、明るく振舞った。果たして社員にはどのように映っただろうか・・・私どものような小さな会社は、例えば社長が突然倒れれば、その会社生命は絶たれるのが、ほとんどだろう。そんなことを想像した場合、世の社長はまさかの準備万端だろうか?私がここでいう準備とは、何も保険のことだけを言っているのではない。経営者の仕事には、会社が社長がまさかの場合も、生き残るための諸準備も仕事であるべきだと、今回の経験で私は強く感じました。後継者の育成は社長の重大な仕事だ、なぜなら会社は生き物であり、いつどんなことが起こるか分らないからです。例えば今回の私のように倒れて、あのまんままさかの事態になっていたら・・・会社がなくなることは社員の、職場がなくなることを、経営者として責任を自覚しなければならない。だから死んではいられないのは当然だが、しかし万が一はありうるのです。経営者は一人の体ではないことを、つくづく思い知らせてくれた。今回の入院では私自身あんまり考えたことがなかった、死という世界、あるいは生きていたとしても障害者で、経営者としての活動が出来ないなど。とかく考えたくないことだが、社長としては会社を生残すために、その準備も欠かせないと心得なければならない!しっかりしなければ・・・・
2006年04月18日
入院以来初めての外泊体験で、病院と我が家の違いと言うか、環境の違いを体感しています。これからいざ退院した際に、支障が起こらないように、実生活で体験をするのだと医師からは説明を受けた。一泊だけですが、健康な時にはまったく感じなかった、バリアフリーでない我が家の環境とか?いろいろ感じています。何しろ病院は危ない空間が何一つないのである、また病院の室内気温は一定に保たれている。日本の住宅環境は、いかに病人に対して優しくないか?今回つくづく感じました・・・私の顧問先にも住宅会社が数社あるが、これから病人というよりは、お年よりがいる世帯の住宅に関して“優しさ”が求められる。しかも体験者がアドバイザーでいて欲しい、本当の“優しさ”を備えるために。まだ若いのに脳卒中になり、リハビリを受けて充分に勤務出来る状態まで回復している方々が少なくないことを、今回私を初めとして他にも何名か病院で見た・・・しかし彼らの生の声は、今までの会社に勤務継続は難しく、退職を余儀なくされていると言うのだ。ならば彼らを住宅会社が雇用すれば良いではないか?病人やお年寄りの立場に立って、自らの体験を元に提案することでしょう。そして障害者雇用に貢献する会社も誕生するのである。病院に入院しながら、私自身いろんな人間模様が心に映り、時には笑い、時には涙しています。一つ確かなことは、病気は医師だけが治すのではないことだ。それは他の患者を見ても分るのだが、私のように体験外泊から帰った患者の顔、声、目が全然これまでと違うことを、目の当たりにする。また回復が早い方が、同じ入院患者と友達付き合いが多く、回復の遅い方は友が出来ない方が多い。入院患者同士が励ましあい、また一日も早い回復のための情報など、交換やコミュニケーションを交わしているのである。病気が病気だけに、私よりも年配の方が多いが、この機会だから個室から、なるべく数多く出て広場に顔を出すようにしている。さて今日の体験外泊は、たった一日ではあるが、何よりも一杯目のコーヒーのおいしさが、心に滲みた。そういえば入院以後、あれほど飲んでいたコーヒー、そしてタバコ・・・タバコは今後も止めるつもりだが、コーヒーは許されている。36日ぶりに飲んだ、我が家のコーヒーのおいしさを、今後の人生で忘れることはないであろう・・・1日だけの体験外泊、どうやら眠る時間が刻々と秒を刻む・・・
2006年04月15日
まさかの入院、あの日から数えて1ヶ月過ぎ去りました。今まだ病室にて、気持ちだけが焦る日々を送っています。すべてのスケジュールをキャンセルし、幸い娘がネット環境整っていたものだから、全ての代行をやってもらった。あの日は出張帰りでシャワーを浴び、旅の疲れを汗と共に流していた。シャワーを終えて、缶ビールを片手に、次の瞬間だった・・・今まで味わったことのない血の気が下がる感じを抱いた。自分の体に何が起こっているのか分らない、ちょうど帰宅した女房に、救急車を頼むのだが、女房も慌てて電話が繋がらないようだった。とうとう隣のラーメン屋さんにお願いした、ところがラーメン屋さんまでもが慌てたようだ。どうにか救急車が到着、病状や今の体の状況など、必死に救急車中で片言で説明をする自分がいた。その後、集中治療室(SCU)に入ってからは、脳のCT写真など撮ったようだが、あんまり覚えていないようだ・・・集中治療室に約4~5日間、それから脳卒中専門病棟へと、現在は回復期リハビリテーション病棟にて、訓練などに汗しています。幸い私の仕事上“命”である言葉は、どうにか影響を免れました。また体への影響も最小限に抑えることが出来ました。どうやら神は、もう少し私に仕事をしろぉ~と言っているらしい・・・一事はどうなることやら~、もしかしたらもうこのまま・・・そんなことも脳裏を過ぎった日々であった。一生懸命リハビリに、努力したかいもあって、時間はまだ少しかかるがどうにかパソコンも使えるようなりました。この間にさまざまな方に、お見舞いメールなど多数いただきました。人々の心のやさしさ、不運な時にこそ身に滲みるものです。多くの皆さん~ありがとうございます、このご恩を私のライフワークである「人儲け活動」において、社会に返すことでご理解いただこうと思います。少しずつ健康を取り戻し、まもなく迎える誕生日4/26までには退院、5月には自宅療養と共に、無理のない仕事復帰を目指したいと考えています。一日も早く、また皆さんのところへお邪魔しますよ~、もう一回生き返った「ばんたかお」の今後にご期待ください。天からもう一度チャンスをいただき、人々に活かされる幸せを、無にしないためにも、まだまだ私の出番が待っています。私にとっては55歳の春に掴んだ、二回目の青春・・良かったら皆さんも、ご一緒に歩みませんか!回復途上の「ばんたかお」病院個室にて・・・
2006年04月10日
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