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マデ先生と年に一度開かれる「バリアートフェスティバル」のガムラン演奏を見に行った時。少し遅めに着いた私達は早速チケット売り場へ、と、そこはまさにバトル状態。チケットの窓口は一つか二つらしく(人が多くて見えない)そこに人々が殺到している。先生はどの席がいい?と聞くので、一番いい席と答えると、わかったと言うなり、バトルの波に飛び込んでいった。先生ははっきり言って小柄である。160cmぐらいしかない。大丈夫かなーと思いながら少しはなれたところで待っていると、15分ぐらいで先生が戻ってきた。一番いい席はもう売り切れだった。と言いながらチケットを渡してくれた。普段穏やかなバリの人々が何故と思うひとこまでした。今日はここまで。
2006.02.12
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前回書いたマデ先生は私のガムランの先生だが、私生活でも本当に学校の先生だった。教えているのは踊り。バリ舞踊を子供達に教えている。その先生が勤めている学校でセレモニーがあると言うので、先生に招待された。先ずは校長先生にご挨拶。その後他の先生にも紹介された。最初は英語の先生。英語の先生は英語力を生かし時間があれば観光客のガイドをしていると言う。その自慢話を聞いていると、国語の先生は「その先生は話が長い」からこっちに来い、と言いながら、一枚の写真を見せてくれた。日本の恋人だと言う。もちろん本当かどうかわからないが、・・・。その国語の先生も観光客相手にガムランを教えているらしい。バリでは先生の副業は認められているらしい。バリの人達は一見真面目そうに見えるが、実はとってもユニークな人達だ。今日はここまで。
2006.01.19
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一昨日バリから手紙が届いた。差出人はマデ先生。マデ先生は私にガムランを教えてくれた先生だ。手紙には、絵葉書と写真が一枚入っていた。写真に、写っていたのは先生と奥さん、そして一人娘のプトゥちゃん。このプトゥちゃんは私達が居たころはまだ赤ちゃんで、生後3か月のお祝いの時に先生の家に招待された時に始めて見たが、色白の本当にかわいい赤ちゃんだった。その赤ちゃんが、送られてきた写真ではもう幼稚園の制服を着て写っている。時間が経つのは早い。手紙の最後に「バリにはいつ帰ってくるの?」と書いてあった。できれば私も帰りたい。
2006.01.15
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Selamat Tahun Baru 2006.Semoga tahun ini membawa rahmat dan berkat bagi kita semua.
2006.01.01
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日本でガソリンスタンドに行くと、給油はもちろんの事、コンビにまで併設されている所もあり、給油に行けば色々な用事が済んでしまうが、バリではそうはいかない。バリでガソリンスタンドに行くと、給油はできるが、それのみである。洗車をしたければ又別の場所に行かなければならず、パンクを直そうとすれば、又別の所と、それらをもしいっぺんにやろうとすれば、一日がかりである。確かにバリでは何をするにも時間がかかってしまうが、それも日本の時間感覚で考えるからだろう。バリではお金は無かったが、時間はたっぷりあった。日本では時間を消費していた感じだったが、バリでは時間を使っていた。今日はここまで。
2005.12.24
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ウブドのちょいはずれのワルンで注文をした後、隣の席で男の子が勉強をしていたのを見て、話し掛けてみた。「何年生?」男の子は答えない。恥ずかしがってるのかなと思っていたら、母親が「この子は学校に行ってないの」と答えてくれた。そう言えば、インドネシアでは学費が払えなければ、学校には行けないのを思い出した。悪い事を聞いてしまったと思ったが、なんと言っていいのかもわからず、気まずい思いをした。それからは、子供に尋ねる場合は、「何年生?」とは聞かず、「何歳?」と聞くようにした。早く子供達全員が学校に通える環境を作り出して欲しい。今日はここまで。
2005.12.09
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ウブドの市場近くをぶらぶらしていると、小学校高学年と思われる少年が声をかけてきた。今晩の王宮での踊りのチケットを買ってくれと言う。残念ながらさっき買ったばかりだったので、それを少年に告げると、「なんだ、もう買っちゃったの」と日本語で言ってきた。言われたこっちが驚いた。いくら商売のためとはいえ、完璧な日本語だった。又、ワルンでかみさんと昼食を食べていた時も、見知らぬおじさんが話し掛けてきた。かみさんに向かって、「日本人か?」と聞いてきた。そして、「私にはどこから来た?」と聞いてきた。「私も日本人だ」と言うと、おじさんは「なんで日本人なんだ」と言う。なんでと言われても困るのである。(またインドネシア人に間違われたらしい)おじさんは、日本語を勉強しているので話し掛けてきたと言う。どこで勉強しているのか聞くと、おじさんは鞄の中から、ぼろぼろの辞書を出して、これで勉強しているという。またまた私は驚いた。辞書一冊で、あとは日本人に話し掛けて勉強しているだけだという。それでも話はなんとか通じる。はたして日本人が逆の立場だったら、辞書一冊でインドネシア語がしゃべれるようになるか疑問だ。今日はここまで。
2005.12.04
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クタからバイパスを通り、しばらく走ると十字路がある。右折するとウブド方面に行く大きな十字路だ。昼間は信号待ちしていると、新聞売りのおじさんやお兄ちゃん達がわらわらと寄ってくる。その十字路で夜の8時頃信号待ちで止まっていると、運転席の窓側でギター一本で歌を歌ってくるにいちゃんがいる。何回か出くわしたので、多分毎晩歌っているのかもしれない。それにしても信号待ちの一分間程度の間に流しをしてくるなんて、よく考え付いたものだ。ちなみに、いらないといっても特にやめる事はしないので料金は払った事は無い。今日はここまで。
2005.12.01
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私はあまり関西弁が好きではない。何故かと言うと理由はただ一つ、バリに居ようと、世界(ちなみに世界を回った事は無い)の何処に居ようが、関西弁を聞いたとたん、いっきに関西弁圏にワープしてしまうからだ。ウブドのワルンでミーゴレンを食べていると、後ろの席に男女二人が座り、こてこての関西弁でしゃべり始めたとたん、ミーゴレンは、たちまちたこ焼き味に変化した。不思議だがしょうがない。それだけ関西弁の印象が強いのだろうか?多分関西弁は世界最強の言葉と思われる。今日はここまで。
2005.11.23
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日本で冬になると乾燥して静電気に悩まされていた。とにかく金属の物に触ると「バチッ」「バチッ」と手は痛いし、心臓が止まるかと思うほど体に打撃がある。そのてんバリでは湿度が高いので静電気が起こる事も無く快適である。もう一つ湿度が高くて助かったのが、乾燥肌にならない事。冬になると肌はぼろぼろになっていたからこれも助かった。もう一つ私は杉花粉症である。もちろんウブドには杉など生えておらず、花粉症の私からすればまさに天国である。今日はここまで。
2005.11.05
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バリには何十種類と言うトウガラシがある。市場へ行くと、籠に山盛りとつまれている。バリに住み始めて間もない時、何の料理か忘れてしまったが、トウガラシを使った料理を作ろうと、トウガラシを買ってきた。かみさんがそのトウガラシを使って料理を作り始めたが、台所から私を呼ぶかみさんの声がした、台所にいってみると、かみさんが「これ見て」といって両手を差し出した。見てみると、かみさんの手は赤くはれ上がっているではないか。トウガラシの何の成分かわからないが、そのせいで手が腫れてしまったのだ。かみさんの手は翌日まで腫れは引かなかった。恐るべしトウガラシ。今日はここまで。
2005.10.30
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ウブドではよく散歩をした。しかし私の悪い癖で時々知らない道に行ってしまう事である。この先に何があるのだろうと思うと、つい足が向いてしまう。その日もウブド市場の近くの道を歩いていて、この道はまだ通ってないなー。と思い、進むと、こんな所にワルンが、ここにもロスメンがあったのかと、いろいろ発見しながら歩いていると、広い田んぼに出た。このまま引き返せばよかったのだが、北に向かったのだから、西に進んで南に下がれば基の広い通りに出るだろうと西に進んだ。最初のうちは田んぼの風に吹かれて、気持ちよく歩いていたが、行けどもいけども、南に下る道がない。道も畦道みたいになってきた。おばさんが草刈をしていたので、道を聞いたが要領を得ない。そのかわり、椰子の実のジュースをごちそうになる。さらに進んだがその時はすでに私は迷子状態。なにしろ目印になるものは何もない。周りは田んぼと椰子の木だけ。ようやく南に下れそうな道を見つけたが、畦道は続く。遠くにバイクが走っているのが見えたので、道を聞こうと、あわよくばバイクに乗せてもらおうと大声で叫んだが行ってしまった。難破して無人島で船を見つけたが行かれてしまったロビンソークルーソーの気持ちがよくわかる。そのうち一軒の家があり、門の近くにいた青年に道を聞いた。驚いた事に、その青年は片言の日本語を話す。ここでも椰子のみジュースをご馳走になり、教えてもらった道でようやく見覚えのある道に出た。歩き始めて約三時間半の長い散歩になってしまった。今日はここまで。
2005.10.14
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日本から知人がやってきた時。お土産にピアスが欲しいと言うので、チュルクへ行く。ここは銀細工で有名だ。ガイドと一緒に行くと、40%から60%ぐらいのバックマージンがガイドに渡ると言う事なので、かなり高めになる。もちろん我々は自力でなので、値段は交渉しだいだ。行った時はもう閉店時間ぎりぎりと言うか、もう商品をショーケースから、鍵のついたケースへ大部分移してしまった時だったが、金のピアスを見たいと言うとわざわざ出してきてくれた。知人が気に入った物があり、値段交渉開始。値札は150$。半値ぐらいから始めようかと話している時、かみさんが何を血迷ったか、いきなり「50$」と言い放った。店員は一瞬固まったが、気を取り直したのか、「できない」と険しい表情。それでもかみさんあきらめず、「50$」で交渉。しかたなく定員は奥から、オーナーらしい男性を連れてきた。男性も始めはできないと言っていたが、最後にはかみさんの気迫に押されたのか、結局「51$」で、交渉成立。150$が51$になったのはいいが、それで売るって言う事は、それでも儲けがあるわけで、いったい原価はいくらなんだ。皆さんはまねをしないように。バリの人をあまり困らせてはいけません。今日はここまで。
2005.10.10
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バリの生活の中で癒されるのは緑が多い事。どこか隙間があれば草木が生えている。それだけ生存競争も激しいのだろうが、見ているこちらとしては、とてもうれしい。一年中緑に囲まれている生活は心穏やかになる。今日はここまで。
2005.10.06
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朝晩は涼しいが、今日などはまだまだ暑い。サテ(串焼き)にもいろいろ種類があるが、この日本でいうつくね状のサテもおいしい。豚肉のミンチに香辛料を入れ、こねこねして板ににぎにぎして焼くとできあがり。暑い日にこのサテとビールがあればハッピー。ちなみにサテの奥にあるのはバビグリン。バビグリンも頼むとハッピーの二乗。今日はここまで。
2005.10.01
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ヌサドゥアと言えばご存知バリのリゾート地。現地の人は許可がないと立ち入る事ができないそうだ。(私も一回車で入ろうとしてバリ人に間違われて止められた。)インドネシア政府がここを一大リゾート地として開発しようと言う時に、このあたりに住んでいる人達に立ち退きを迫ったが、それでも拒否をした人達には、その晩、銃を持った兵が来て、無理やり立ち退きに同意させたそうだ。夜中にいきなり銃を突きつけられた恐怖は大変なものだったろうし、生活も変えられてしまった事だろう。もちろん私も旅行でヌサドゥアに泊まった事はあるが、この様なバリの人達の犠牲の上に成り立った事を知ってしまうと、素直に楽しめない。このような事はバリだけではなく世界中で起こっている。それは日本も例外ではない。今日はここまで。
2005.09.28
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バリもそろそろ乾季から雨季への変わり目に来ている。この時期はバリの結婚式の季節だ。日本だと季節のさわやかな春や秋頃が結婚式の多い時期だが、バリでは何故雨季に結婚式を挙げるのか?疑問に思っていたので、隣のコマンさんに聞いてみた。「雨季には果物が豊富に実るので、結婚式を挙げてもすぐに食べ物に困る事がないので、雨季に結婚式を挙げる」と言う答えが返ってきた。今はウブド辺りでは、そんなに食べ物に困るという事もないと思うが、昔の名残なのだろう。それとも、もっと田舎のほうでは昔のままの状態なのだろうか?今日はここまで。
2005.09.23
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最近日本に生息しているはずのない、ニシキヘビやらサソリやイグアナが見つかって大騒ぎをしているが、住んでいたバリの家の周りには、30cmぐらいのイグアナみたいのが(写真)うろちょろしていたし、隣との境の塀には1mぐらいのトカゲも見かけた、最初見た時はギョっとしたが、そのうち慣れてしまった。このトカゲけっこう素早かったので、写真に撮る事ができなかったのは残念。1mのトカゲが走り回ってたら日本では警察の出動騒ぎだろう。今日はここまで。
2005.09.16
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ウブドから山側に20分程車で走ると、「ザ・チェディ」と言うホテルがある。ここのレストランのテラスはとてもさわやかな風が吹いていてとても気持ちよい。気が向くと時々ここに来てはゆっくりとした時間を楽しむ。暑い日にはたまらない。今日はここまで。
2005.09.13
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トゥンガナン村。ここはバリの先住民の村だ。ここで有名なのが、グリンシン。グリンシンとはダブルイカットの事で、普通は経糸か横糸を染めるのが普通だがグリンシンは両方染めるらしい。そう言われても私もよくわからないのだが、とにかく手の込んだ物らしく、出来上がるのに最低でも三年はかかるらしい。年数のかかるものだと10年。根気がいる。ここにいたおばさんはデモンストレーションの為に、日本にも行った事があるといっていた。記念にと思い、一枚買う事にしたのだが、横が20cm縦が40cmのグリンシンで、10000円ほどした。年数とかを考えれば安いのかもしれないが、やっぱり高い。今日はここまで。
2005.09.08
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バリの人々は、火葬を肉体から魂を解き放ち、神のもとへ旅立たせる儀式だと考えている為、確かに遺族には死は悲しい出来事であるが、反面、神のもとへ行くと言う意味では喜ばしい事でもある。自然、火葬のときに周りはお祭り騒ぎとなる。火葬している周りでは屋台などが出て、人々は焼きトウモロコシや、その他もろもろの屋台が出て、火葬が終わるのを待つ。死者の魂を見送るのは、遺族だけでなく他の多くの人に見送られる方が良い。と言う考えで人々は集まってくる。今日はここまで。
2005.09.01
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バリにいる間に5回ほどお葬式を見た。バリのお葬式はだいぶお金がかかるようで、死後、一度土葬にするのが普通らしい。そして死者の子供達などが、お金を貯めてお葬式ができるようになると、棺を掘り返し、あらためて葬儀を行う。写真の葬儀は合同葬儀とでもいうのだろうか、10人ぐらいの葬儀が行われていた。棺はやぐらの様な物の中に、さらに黒い牛の形をした張りぼての中に収められて、火葬にされる。よく見ると、お金のかけ方や身分の違いから、やぐらの高さや装飾等が違う。私は隣町のギャニャールで王家の親戚の葬儀を見たが、やぐらの高さは、8mぐらいはあっただろうか。葬儀をこんな写真を撮ったり、観光半分で見学するのは日本では不謹慎だと思われるが、それは日本の話で、バリでは一般的だ。その事は次回に続く。今日はここまで。
2005.08.28
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バリでの昼食はなるべくワルン等で摂るようにしていた。様々な物が食べられるし、あまりはずれもなく結構美味しいし、安い。それに、ワルンのおばちゃんたちと話してると楽しいし、色々な事も教えてくれる。ワルンのキッチンを覗くと、あまり衛生的ではないが、別段お腹を壊した事もなく、全て美味しくいただきました。今日はここまで。
2005.08.26
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お盆なのでかみさんの実家へ行って来た。バリの実家と言っても本当の実家があるわけではないが、隣のコマンさんの実家へはよく行った。コマンさんの実家はクルンクンと言う所で、ウブドから車で一時間弱ぐらい。ここが私のバリの実家だと思っている。オダラン(お寺の建立祭)等があるとコマンさんの親戚なども集まり、とても賑やかだ。私たちも図々しくオダランに参加させてもらったりした。近所の子供達も遊びに来たりして、なんだかお盆に実家へ帰ってきたような感覚にとらわれる。帰りにはコマンさんのお母さんから色々なお土産までもらい、ますます実家気分。みんなに会いたいなー。今日はここまで。
2005.08.16
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暑い日が続いています。バリより暑いんじゃないかなー。食欲も落ち気味ですが、そんな時はナシゴレンが食べたくなる。今日はここまで。
2005.08.06
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ソワンドテージャスさんからトラベルバトンと言うのが回ってきました。大分前に回ってきたのですが、夏風邪が長引いてしまい、今になってしまいました。すいません。さて内容は。1、今まで一番良かった国内旅行 私はよく一人で、四駆を運転して、林道を走り回っていたのですが、よく行っ ていたのが、栃木や、群馬方面でしたので、旅行とは言えないかもしれません が、その方面が気に入っています。2、今まで一番良かった海外旅行 バリと言いたいところですが、旅行では物足らない(だから住んでしまったの ですが)それではどこかと言うと、シンガポール。近代的な所と、アジアを感 じさせてくれる場所がぎゅっと詰まっているところが好きです。 もちろん屋台もあります。3、これから行ってみたい国内旅行 なんとなく小笠原諸島に行ってみたい。4、これから行ってみたい海外旅行 タヒチ。以前行きそびれた事があったから。5、次にバトンを渡す人三名 無責任なようですが、指名はしません。興味のある方は是非。
2005.08.05
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ちょっと前に「バリのプール」と言う事で書いた時、これはどこのプールでしょう?との質問があり、ウルワツ方面と答えたが、すいませんそれは間違えでした。多分前に載せた写真のプールはホテルニッコウのプールだと思います。(まちがってなければ、でも間違ってるかも)と言う事で、昨日も暑かったし、今日も暑そうですので、今度はちゃんとウルワツ近くのプールの写真です。
2005.07.28
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夏風邪をひいてしまい、調子が悪く日記も書けてなかった。私は寒さに弱い体質らしく、20℃以下は、私にとって寒いと感じる気温である。特にエアコンの風は苦手である。その点バリの気候は私にぴったりだったが、バリのKFC(ケンタッキーフライドチキン)に行った時(行きたくて行ったわけではなく、知り合いに誘われた)一歩入るなり寒さを感じた。寒い。なんでこんなに寒いエアコンの温度設定をしているのかと思うほど寒い。食べ始めたが、とてもじゃないが私の生存できる温度ではないので、知り合いに断り、KFCから出できてしまった。しかし、時すでに遅く、翌日私の喉はイガイガ状態になってしまった。今日はここまで。
2005.07.23
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先週の金曜日だったか、読売新聞に、「インドネシアに長期滞在する外国人は、インドネシア語検定を受けて合格しなければ滞在を認めない。」というような記事が載っていた。(来年から)何故インドネシア語検定を行うかと言えば、インドネシア人の雇用を守る為なのだそうだ。つまり、少し外国人を排除して、その空白になった部分にインドネシア人の雇用を作り出そうと言うことらしいが、疑問である。単に働いている人もいるが、インドネシアに投資している人も多いので、かえって、マイナスになるのではないかと言う意見もあり、現に、インドネシア国内にもこの法案に反対する人もいる。ま、いずれにしても、多分不合格でも、賄賂を渡せば合格になると思う。今日はここまで。
2005.07.19
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暑い時はアイスクリーム。バリでも、よくそこらの店で買ったアイスクリームを食べてが、気のせいか日本のアイスクリームより、早く溶けてくる気がした。すぐに溶けて、手がいつもべとべとになる。たまに、ホテルのレストランでアイスクリームを食べると少しは落ち着いて食べられるが、それでも溶けてくる。それでも、涼しい風が入ってくるレストランで食べるアイスクリームはうまい。今日はここまで。
2005.07.15
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バリで、本好きな私は日本の活字に飢えた。フリーペーパー等はあるが、ちゃんとした本が読みたかった。ある日、クタの「スーパーノヴァ」の近くに日本の古本屋を見つけた。さっそく入ってみると、結構数がある。何冊か選んでレジに行こうとしたら、日本でさんざん探していたが見つけられなかった本が偶然そこにあった。日本で、あれだけ探しても見つけられなかった本が、日本から遠く離れたバリで見つかるなんて、何か不思議な感じがした。この古本屋だいたい単行本で、一冊30000Rpぐらいのけっこういい値段がした。見つけた本もそのぐらいだったが、読みたい本だったので、安い買い物だ。しかし、この古本屋買取もやっているのだが、買取の値段は全て一冊1000Rp。今日はここまで。
2005.07.12
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イギリスで爆弾テロがあった。バリのクタで爆弾テロがあったとき私もバリにいた。どちらもたくさんの人が犠牲になり、痛ましい事件だ。クタの爆弾テロの後、私達はバリの日本領事館に在留届を出してあったにもかかわらず、日本領事館からは、安否確認の電話一本さえこない。私達は入っていなかったが、その時バリの日本人会の人達がかなり走り回って、安否確認をしたようだ。バリを去るときも、日本領事館に連絡しなければならなかったので、その手続きの仕方を聞こうと思い、日本領事館に電話をしたら、電話でもよいと言うので、いつバリを離れるのかと、○○です。と苗字を言っただけで終わってしまった。フルネームも聞かれなかったし、私一人なのか、家族も一緒なのかとかの、そうゆう質問は一切なし。まさか日本領事館もインドネシア流になったわけではあるまい。日本政府もあてにならない。今日はここまで。
2005.07.09
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隣のコマンさんの家で屋根の葺き替えをやっていたので、コマンさんと見学していた。又疑問がわいてきたので、コマンさんに聞いてみた。コマンさんはバリの色々な事を教えてくれる。バリの家に設計図はあるの?設計図ありません。???じゃあどうやって家を建ててもらうの?気に入った家があったら、そこに大工さんを連れて行って、この家と同じように建てて下さい。とお願いするそうだ。すると大工さんは、ひととおり家を見て、もうそれでOK。それで家ができるのであればすごいと言えばすごいが、いいかげんと言えばいいかげんである。今日はここまで。
2005.07.06
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ワルンへ夕食を食べに行くと、大体が裸電球で薄暗い。でもこの雰囲気が好きなんだなー。あんまり明るいと虫も飛んできちゃうし。家の明かりも暗かった。夜、本など読んでいると目が疲れた。なので自然と早く寝ていた。今日はここまで。
2005.07.03
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今日は日本でいえば新学期。隣に住んでいたプトゥも、もう中学二年生になる。どんなに成長したか会ってみたい。今日はここまで。
2005.07.01
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バリのホテルのプールは写真のように、海に続いてるかのように作られているのが結構ある。この感じが好きだ。プールに入りたい。暑いのでもう今日はここまで。
2005.06.29
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暑くなってきた。こんな日は海の見えるプールサイドで、時間をかけて、ゆっくり朝食を食べたい。普段は朝食なんてゆっくり食べられない。ただ食べ物を口にいれてるだけの食事なんて味気ない。食事の内容は質素であっても、時間をかける贅沢を味わいたい。バリではお金はなかったが、時間はたっぷりとあったなー。今日はここまで。
2005.06.25
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インドネシアの新聞と言えばジャカルタ新聞だが、バリの新聞と言えばやはり、「Bali Post」。日本でいえば地方紙みたいな物だ。私のいた時は一部2000Rp。オーストラリアや日本の新聞も売っていたが、日本の新聞はだいたい一部30000Rpと高額だ。ウブドの街中をぶらぶらしていると、新聞の束をかかえた少年らが寄ってくる。レストランの客にも店の外から、新聞をかかげ、買ってくれーとアピールする。私はある事で、「Bali Post」に広告を出した事がある。広告といっても三行広告みたいなものだが、一回30000Rpで3日間掲載した。結果は良好。やはり、地元の新聞なので効果があった。今日はここまで。
2005.06.24
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もうそろそろ地域によってはほたるが飛び始める頃だ。バリの家の前に小さな川が流れていた。川と言っても日本の用水路みたいなものだが、ここで時々ほたるが見られた。夜、表通りから家まで川に沿って歩くと、数は多くないが、川岸の草の陰で淡い光をはなっていた。何故か、ふと日本を思い出す。しかし、ほたるを見た時日本は真冬。不思議な感じがした。今日はここまで。
2005.06.21
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バリのスーパーで買い物をすると、この値札が張ってある。この値札とは、上下が短冊状に切れ込みが入っているのである。普段自分達で使う物はかまわないが、品物を、お土産用としたい場合は値札をはがしたい。しかし、切れ込みが入っている為なかなかきれいにはがれない。きっと、値札をはりかえちゃう人がいるのだろう。考えたなー。今日はここまで。
2005.06.19
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はみがきと書いたが、チューブに入った練り歯磨きの事である。(以下はみがき)スーパーではみがきを買うとレジのおねーさんがいつもはみがきの箱を開けて中を確かめる。なんでいちいち開けて確かめるのかなーと思っていたら、ある日解明した。はみがきは普通サイズと小さいサイズの二種類あるのだが、小さいサイズのはみがきも普通サイズの箱に入っていたのだ。つまり、150gと100gのはみがきあるとしたら、それが同じサイズの箱なのだ。きっと中身をすりかえちゃうやつがいるんだろう。今日はここまで。
2005.06.18
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よく見たら、前回の日記が100回目だった。バリで見たテレビの番組で、「クイズ100」(今も放送されているのかなー)と言うのを夕方の6時から放送していた。昔日本でも放送していた「クイズ100人に聞きました」と同じ様に5人ごとに分かれたチーム対抗戦で行われる。普段は一般視聴者が参加するが、時々芸能人や、タレントチームが出てくる。その中で、アニメの声優さんの参加している時があり、日本でもおなじみの「ドラえもん」とか「くれよんしんちゃん」等の声優さんが出ていた。この声優さんたちの声が、この日本のアニメの声と非常に似ている。日本のアニメの声優さんさえあまりお目にかかれないのに、インドネシアの声優さんの顔が見られてラッキーだった。今日はここまで。
2005.06.17
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昨日新聞に入っていた広告を見ていたら、ファンタのパイナップル味が新発売されていた。バリでは好きでよく飲んでいたので、さっそく今日買って飲んでみた。しかし、バリで飲んでいた物よりパイナップルの味が薄いような気がした。やっぱりあの暑い中で飲んだから美味しく感じたのかなー。今日はここまで。
2005.06.15
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「クルクル」とは、空洞になっている木を、やぐらの様な所にぶるさげているものである。何に使うかと言うと、これを叩いて色々な事を住民に知らせる。叩き方によって意味が違う。たとえば、「火事だぞー」とか、「村の集会があるから集まれー」など、日本でいえば、広報スピーカーのような物だ。私は叩いてるのを聞いてもさっぱり意味がわからないが、バリの人々は、子供の頃から親に自然と教わってきてるんだなーと思う。これも一つの伝統だろう。今日はここまで。
2005.06.13
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またまたウブドの事しかわからないけれど。床屋に言った時、店は開けっ放しだが誰もいない。何処へ行っちゃったのかなーと思っていると、道端でお飾りを作っていたおにいさんが、「今昼飯を食べに行っているので、もうすぐ戻ってくるよ」と教えてくれた。店を開けっ放しにして無用心だと思ったが、昨日も書いたように、ここではほとんどが顔見知りなので、まず泥棒なんかするやつはいないのだろう。したとしても、すぐばれる。他の地域では、両替のごまかしなど行われるが、ウブドでそんなことをしたら、すぐ村八分になりかねない。ウブドは治安の良いほうだと思う。今日はここまで。
2005.06.12
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今日は蒸し暑い。こんな日はミーアヤムが食べたい。暑い日のミーアヤム。汗をかきながら食べたい。今日はここまで。
2005.06.11
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ウブドでくらして数ヶ月もすると、顔見知りも増えてきた。そんなある日、家の近くに小さなワルンがあり、そこでナシチャンプルをブンクス(持ち帰り)した。近くにあったのだが行くのは初めて。できあがったナシチャンプルを家に持ち帰り食べようとした時、ドアをたたく音がする。隣のコマンさん達なら、名前を呼んでくるので、違う。誰だろうと思いドアを開けてみると、さきほどのワルンのおばさんがいた。「これつけるの忘れちゃった。ごめんなさい」と言って、クルプ(揚げせんべい)の袋をさしだした。ありがとう。とは言ったものの、なぜ???初めて行った所なのに、どこに住んでいるとも言ってないのに。その他知り合いになった人達に「昨日は○○の店で食べてただろう」とか、「あそこの床屋もいいけど、あっちの床屋もいいぞ」等など、全部ばればれである。ウブドは観光地として有名だが、小さな村である。今日はここまで。
2005.06.10
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散歩の途中でぶらりと寄った絵の店で、この絵(写真)が目にとまった。購入しようとさっそく店のおじさんに値段交渉を開始。しかし、あまり値引きしてくれない。(結構高い)あきらめようかと迷っていたら、店の奥からもう一枚絵を持ってきた。「これならもっと値引きするぞ。」でもその絵を見ると、先ほどの絵と構図も色彩も全く同じ。「これとこれ同じ絵なのに何でこっちの絵は安くなるの?」「よく見てみろ、こっちの絵の女性の方が美人だろ。」なるほどよく見ると顔が違う。結局美人に画かれている絵を購入した。おじさんのほうが一枚うわてだった。今日はここまで。
2005.06.09
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隣のコマンさんが庭でごみを燃やしていた。「ここでごみを燃やしても大丈夫?火事になったら大変でしょ。」「大丈夫。でも気をつけないと、ウブドに消防車ないですから。」「え、ウブドにないの。」「ありません。」「じゃーどこからくるの?」「ギャニャールから。」ギャニャールは隣町である。30分はかかるだろう。あのふっとばしてくる運転でも20分で来るかなー?「ギャニャールからだとまにあわないでしょ。」「そうだから皆で川からバケツで水を汲んでかけます。」「・・・」どっちにしても、ここには消防車は入ってこれない。なにしろ奥まった所に家があるので、道が狭い。ウブドでは火事に気をつけねば。今日はここまで。
2005.06.08
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バリの人々が履いているのはほとんどあのビーチサンダルだ。このビーチサンダルの発明は日本人だと聴いた事がある。だとすると、日本人が発明した物で、一番バリで普及しているのはビーチサンダル?。それにしてもこのビーチサンダルとても便利。なぜかと言うと、結婚式であろうが、お葬式であろうが、冠婚葬祭全てこれでOK。もっともクバヤを着て靴と言うのも想像するとなんだかおかしい。今日はここまで。
2005.06.06
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