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人生の価値テスト もしあなたがたが「明日死ぬ」と決まったら― 1.あわてふためく 2.絶望の涙を流す 3.呆然として何も手につかぬ 4.大急ぎで快楽をむさぼる 5.芝居じみて虚勢を張る 6.ふだんと変わらない 7.そんな質問には答えたくない あなたはどれになりますか。 千代崎秀雄著「生活の処方箋」より心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2007.07.30
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他の人に好かれたい、受け入れられたいと思っていながら、自分が相手を受け入れないのでは、受け入れられるわけがありません。 自分の考えがすべて正しい、相手の考えは間違っているというのでは、相手との間に大きな壁ができてしまいます。 人にはそれぞれ考え方があります。また、物事の捉え方にも様々あります。 他の人は、自分とは違う考え方であるのが当たり前と思い、それを理解しようと努めましょう。心を広く開いて他の人の考えを認め、受け入れるようにするのです。そのような態度で人と接するとき、相手との間にあった壁は取り除かれ、相手の心の中に入っていくことができるようになるのです。 相手に受け入れられたいと思ったら、まず自分から相手を受け入れましょう。心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2007.07.28
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10数年前、朝日新聞の「天声人語」に次のような話が載っていました。 雨の降る日は、「じめじめしていやですねえ」と言う。晴天が続けば続いたで「こう晴れてばかりではねえ」とぼやく。そういう人がいる。反対に雨だと「よいおしめりで」と喜び、晴天続きを「すばらしい」と味わう人もいる。 82歳で亡くなった歌手の藤山一郎さんは典型的な後者で、否定的なことを言うのを嫌った。あるとき、いく夫人が、中華料理店での食事中に「まずくて食べられない」とこぼした。油が悪い。すると、藤山さんはすぐにたしなめたそうだ。 「その言葉を聞いて、おいしいと思って食べている人はどう思う。否定の言葉を使ってはいけない」。藤山さんは「疲れた」「暑くていやになる」「ばかばかしい」などの言葉を使ったことがない、と夫人は言う。 ご本人の哲学も「いや・きらい・だめ・あした、はできるだけ避けるのがモットーです」「ネガではなくポジを、否定より肯定を、ノーよりイエスを、である」「なるべく物事を良い方に解釈するのが、私の習性であり、また流儀でもある」 梅雨明けが間近に迫った関東ですが、藤山さんのように、否定より肯定的に物事を考えることができるようになりたいですね。心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2007.07.27
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「人から中傷されたときの最良の答えは、 自分の職分を守り、 黙々としてこれをつとめることである。」 ワシントン心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2007.07.25
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「ある年齢から、子どもは自立していくのが自然な姿です。3歳か4歳ころから、子どもは少しずつ親と違う考えを持ち始めます。そして、中学生くらいになれば、親にわかってもらえないだろうと思うことが、ずいぶん出てきます。そのときに、何でも親に言って、親の言うことを聞くというのは、必ずしもいいことではないと思うのです。それでは自分はなくなり、親と同じになってしまいます。親にいえないことがどれくらいあるかということは、自立を考えるときの目安になります。つまり、秘密ができれば、そのことについては親に相談できなくなるわけですから、それだけ、自分で自分の行動に責任を持たなくてはなりません。親に内緒でやれば、何か問題や困ったことが起きても、自分で解決しなくてはならないのです。これは大変なことです。だから、それだけ慎重にならざるをえないし、まわりへの迷惑なども含めて、自分の行動に責任をもつようになります。 親に秘密ができるというのは、ごく自然な、健全なことで、自分で自分に責任を持てるようになる第一歩なのです。 秋山さと子「親子げんかのすすめ」より心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2007.07.22
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「けんかもそうですが、自立ということを考えた場合、親に秘密ができるということも、大きな意味があります。 私自身のことを考えてみても、自分の自立は、親にいえないことができたときに始まったのではないかと思っています。私が大人になっていく過程は、もう、秘密だらけでした。「これは親にばれたらまずいなあ」というようなことをずいぶんやったものです。 私の親は、一般的にはあまりうるさくないほうで、いちいち干渉したりはしなかったのですが、それでも親に言わない方がいいことがたくさんあったのです。親が聞いたらきっといい顔はしないだろうな、とわかっていてそれでも自分はやりたいし、悪いことだとも思わないのだから、いちいち親にいって心配かけながらやるよりは、黙ってやってしまったわけです。 その結果、自分の行動に自分で責任を持つということを、体験的に覚えていったといえるでしょう。」・・・つづく 秋山さと子「親子げんかのすすめ」より心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2007.07.20
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「今の日本では、自分のやっていることが、本当に自分のやりたいことなのか、それとも、親の望んでいることなのか、区別がつかないという子どもが、とても多いような気がします。逆に言うと、今、自分のやりたいことを親に反対されているという人は、それなりにしんどい思いをしているでしょうが、それは、親と違う自分がある程度見えている証拠だともいえます。 親と対立してみてはじめて、親とは違う『自分』がはっきり見えてくるのです。そういう意味では、親とのけんかが、自立の第一歩といえるかもしれません。」 ・・・つづく 秋山さと子「親子げんかのすすめ」より心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2007.07.19
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「本当の意味での自立とは、子どもが親や周りの大人たちの関係なく、自分というもののあり方をしっかりつかんでいくということです。それは、『自分とは何か』という問題と切り離しては考えられないし、自分の中に、どのくらい親の影響があって、どれが本来の自分かを見極めていくことでもあります。 同じ親のもとに育った兄弟でも、一人一人個性が違うように、人はそれぞれ『自分』というものを持って生まれてくるのです。親からの自立とは、その『自分』と出会うことだともいえるでしょう。」・・・・つづく 秋山さと子「親子げんかのすすめ」より心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2007.07.17
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逆境におちいったからとて、取り乱さぬこと、 成功したからと言って、過度の喜びに身をまかせぬこと。 この二つのことを、ひとしく心に銘記しておきなさい。 ホラティウス(古代ローマの詩人)心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2007.07.16
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先日、こんな話を聞きました。 「飲食店に、母親と子どもが入ってきた。子どもは、外で拾ってきたザリガニを食卓のテーブルの上に置いて遊び始めた。それを見た店員は、衛生上の理由から食卓に生き物を乗せないよう注意した。すると、母親は、客に向かってなんて失礼なことを言うのだと言って怒り出した。」 「洋菓子店に母親と幼児が入ってきた。子どもがショーウインドウをよじ登ろうとしたり、置いてある商品をいじり始めたので、店員が注意すると、客に向かって注意するとはどういう店だと言って怒った。」 最近は、子どもが良くないことをしていても注意する親は少なくなってきたようです。子どもに善悪を教えるしつけが疎かにされているのではないでしょうか。 また、それ以上に問題なのが、親の「自己中心性」のような気がします。自分は客なんだから何をしても良い、代金を払っているのだから何をしても許される、と。他人に注意されると、逆切れして怒りだす人が多く、お店の店員さんも苦労しているようです。 まわりのことや相手の事を考えずに、自分さえ良ければそれでよいという身勝手な考えの親が多くなってきているような気がします。このような親に育てられた子どもは、やはり同じような考えの大人に成長していくでしょう。日本の将来がちょっと心配です。心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2007.07.15
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「あなたがコントロールすべき人間で、 この世で最も手ごわく、始末におえないのは、 あなた自身である。 もし、あなた自身をうまくコントロールできるなら、 他の人間を扱うなど実に容易なことである。」 ベックレー心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2007.07.12
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「自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ。」 これは、聖書の言葉の一節です。「あなたの隣人を愛せよ。」というのは、キリスト教的な隣人愛や博愛の精神の元となる言葉ですが、この言葉の前には、「自分を愛するように」という言葉がついています。 人を愛する前に、まずは、自分を愛することができなければなりません。自分を愛することのできない人が他人を愛するということはできないのです。自己嫌悪や自己卑下の気持ちが自分の心を支配し、自分を好きになることができない人は、他人の才能や容姿等、人のもっているものが羨ましく感じ、それが他人への反感や敵意につながってくるのです。 自分を愛することができないために、他人を愛することができなくなる。その結果、自分も他人に愛されない、という悪循環に陥ってしまうのです。 あなたは、自分を愛していますか?心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2007.07.10
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それはちょうど、料理における火と水のようなものだ。 人間にも、自信と不安の両方が適度に必要である。 自信が全くなければ人間は萎縮してしまう。 自分に不安が全くなければ、 むしろ異常であり危険である。 千代崎秀雄「生活の処方箋」より心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2007.07.07
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木曜夜、フジテレビのドラマ「わたしたちの教科書」が、先週終わりました。 中学生の明日香が校舎2階の窓から転落して死亡したのは、いじめを苦にした自殺だったのではないかとして、学校でのいじめの存在や中学生死亡の原因が事故か自殺かを裁判によって明らかにするというドラマでした。 回が進むにつれて、いじめの存在が明らかになると共に、いじめが単にいじめっ子一人の問題ではないことがわかってきました。いじめは些細なことから始まること、他のクラスメートも直接いじめにかかわるほか、傍観者として知らず知らずのうちにいじめに加担していること、昨日のいじめっ子が今日はいじめられる側にまわる可能性もあること、いじめっ子を排除することだけがいじめをなくす方法ではないこと等をこのドラマは訴えていたように思います。 最終回で、明日香の死は自殺ではなく、事故だったことが明らかになります。いじめを苦に自殺する子どもが増えている中、明日香は強く生きようとしていたにもかかわらず、事故で死亡したのでした。明日香は、事故で亡くなる数日前、自殺を考えました。しかし、自殺を思いとどまり、次のような言葉を残すのです。 明日香より。明日香へ。 わたし、今日死のうと思ってた。ごめんね。明日香。 わたし、今まで明日香のことがあまり好きじゃなかった。 ひとりぼっちの明日香が好きじゃなかった。 だけど、ここに来て気付いた。 わたしはひとりぼっちじゃないんだってことに。 ここには8才の時のわたしがいる。 わたしには8才のわたしがいて、13才のわたしがいて、 いつか20才になって、30才になって、 80才になるわたしがいる。 わたしがここで止まったら、 明日のわたしが悲しむ。昨日のわたしが悲しむ。 わたしが生きているのは、今日だけじゃないんだ。 昨日と今日と明日を生きているんだ。 だから明日香、死んじゃだめだ。生きなきゃだめだ。 明日香。たくさん作ろう。思い出を作ろう。 たくさん見よう。夢を見よう。明日香。 わたしたちは、思い出と夢の中に生き続ける。 長い長い時の流れの中を生き続ける。 時にすれ違いながら、時に手を取り合いながら、 長い長い時の流れの中を、わたしたちは、歩き続ける。 いつまでも。いつまでも! このドラマが一番言いたかったことがこの言葉の中にあるように思いました。 自分は一人ぼっちではない事を、今、自殺してしまったら、昨日の自分、明日の自分、そして未来に出会うべき自分が悲しむことを、だから、生きなきゃだめだということを・・・。 心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2007.07.05
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・・・つづき 「報いを期待しないで、愛を与え尽くす。このような犠牲的な愛の奥に、大きな満足感が隠されています。 一人の認知症のおばあさんがいました。家族は初め何もできないからと、おばあさんに何もさせてはいませんでした。すると、症状はますます悪化していくばかりでした。ところが、たった一つ、家族のための仕事、つまり皿を洗うという仕事を任せたことによって、驚くほど頭もしっかりして、元気になっていったというのです。これは、自分が役に立っていると思えることが、どれほど大きな生きる力になっているかという一つの実例だと思うのです。「受けるよりは与えるほうが幸いである」。不思議ですね。でも、受けるばかりの幸せを求めて生きるより、ずっと輝いた人生が送れそうな気がしませんか?」 村沢秀和「木は幸せだった」より心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2007.07.04
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・・・昨日のつづき 「しかし、ここでこの絵本が読者に問いかけます。『でも、それは本当かな?』と。この問いに対し、日本と欧米の子ども達にアンケートをしました。すると、興味深いことに、日本と欧米では、見事にその答えが分かれたのです。日本の子どもの多くが、『本当はいやだったけど、しかたなくやった』と答えたのに対して、欧米の子どもの多くは『そう思う』と答えました。面白いですね。この違いは、犠牲的愛の尊さを教えるキリスト教的背景の有無からきているのかもしれませんね。 さて、このように木はすべてを捧げ尽くしてしまうのですが、やがて少年も老人となって、腰を下ろして休める静かな場所を求めて戻ってきます。木はやはり自分の精一杯でもてなそうと、自分の上に腰掛けて休むように促します。老人は自分がかつで切り倒した切り株の上に腰掛けます。木はそれでうれしかったのです。」 ・・・つづく 村沢秀和「木は幸せだった」より心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2007.07.02
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・・・昨日のつづき 「シェル・シルヴァスタインの『大きな木』という絵本があります。1本のりんごの木が、一人のやんちゃな少年に緑あふれる遊び場を与える場面から物語りは始まります。少年が喜んでくれるので、木はとても幸せでした。しかし、この少年を喜ばせるために、この木が払う代償がだんだん大きくなっていきます。少年が「お金が欲しい」と言えば、木は「自分のりんごを売って、お金に換えたらいいよ」と言い、「家が欲しい」と言えば、「材木として自分の枝を切ったらいいよ」と言います。やがて成長した少年は、ボートが欲しいとねだると、なんと木は「自分を根元から切り倒せばその幹でボートを作ることができるよ」と言います。少年は無分別にもこの木を切り倒してしまい、痛ましい、孤独な姿の切り株だけがぽつんと残ります。それでも、木は幸せでした。」 ・・・つづく 村沢秀和「木は幸せだった」より心理カウンセリング〔ベイサイドカウンセリング〕のトップページはこちら
2007.07.01
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