私の人生論 (思考が運命になる)

私の人生論 (思考が運命になる)

2025年01月28日
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カテゴリ: 認識の歩み



もう西欧の時代にはいっていたはずだ」
と疑問をもつことでしょう。

しかし、
一七世紀はまだアジアの栄光の時代であり、
当時の西欧はたいへん貧困な状態にあって、
西欧の時代はまだ到来していなかったのです。

オスマン・トルコが、
本格的に西欧に侵入しなかった大きな理由は、

強国(現在のイラン)がひかえ、
抗争をつづけていたからです。

いっぽう、トルコの北には、
当時ロシアが急速に勃興しつつありました。

一五六八年のことです。

黒海の北岸にある、
クリムハン国というオスマンの属国が、
ロシア帝国の前身である
モスクワ大公国の攻撃をうけたので、
オスマンはクリムハンを支援しました。

その後、

侵攻するために、大軍をおくっています。

このようなわけで、
一六世紀のまだかよわい西欧は、
さいわいにオスマンの侵略をまぬがれたのです。

一七世紀にはいると、

内政の腐敗から一時外征を中断しますが、
一七世紀後半に皇帝となった
ムスタファ=パシャは、
ロシアと神聖ローマ帝国の両方へ、
大攻勢をかけました。

パシャは、まずウクライナ(ロシア)へ
一〇万の大軍をおくりこみ、
ロシアとたたかいましたが(一六七七年)、
この戦争は成功しませんでした。





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最終更新日  2025年01月28日 05時10分07秒
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