「知の歴史」
<2>
ビジュアル版哲学入門
ブライアン・マギー /中川純男 1999/9 BL出版 単行本 240p
No.935
★★★★★
「 ス ピノザ」 「お茶のおけいこ」 シリーズに取られてしまった。はてさてどうしたものか。たしかに 「定義 一 自己原因ということでわたしが解るのは、本質が実在を伴うもの、言いかえれば、『実在している』としかその自然の性を念えないものである。」 「スピノザ エチカ抄」p4などという文章に、お正月そうそう取り組もうという姿勢こそ、どうかしているかもしれない。
アントニオ・ネグリ を読んで以来、どうしても マルチチュード 全体の理解を進めるにはスピノザ対策は必要だ、ということで、 的は絞ってはみた のだが、これがなかなかいかない。そこで思い出したのがこの本 「 知の歴史」 。 当ブログで取り上げた本やビデオの総数がちょうど1000点目に達した瞬間の記念すべき一冊だったのだが、まだ、その感想を書いていなかった。
ス ピノザは、西洋の哲学者の中では代表的な汎神論者でした。彼の著書は死後100年ほど顧みられることがなかったのですが、ロマン派の人びとによって再評価され、崇拝さえるようになります。その後も、すべての存在はひとつであるとする宗教的色彩のためにスピノザ信奉者はあとは絶ちませんでした。彼はデカルトの次に登場した偉大な哲学者だが、20世紀に入ってようやく否定されるようになったデカルトの二元論を、当時早くも否定しています。また言論の自由を主張した最初の哲学者でもあり、それはロックより一世代前のことでした。そしてさらに、人間の個人的な問題は宇宙のなかでは些細なことにすぎないとする神秘主義ともいえる超然とした態度は、悩みを抱えている人びとに大きな救いと慰めを与えています。 p95
なんだかとても魅力的な紹介文だが、どうもいまいちレンズのピントがあわず、まだ、実像が一つの絵として浮き上がってこない。汎神論? ロマン派? 二元論の否定? 言論の自由? 神秘主義? そして「悩みを抱えている人びとに大きな救いと慰め」???? どうもいまいち理解に苦しむ。
悩 みを抱えている人びとに大きな救いと慰めを与える、神秘主義者にして汎神論者、二元論を否定した、言論の自由を主張した人? それは、日本的なフォークロアで考えたら、あちこちに存在した拝みやさん的な行者か、いわゆる新興宗教の教祖さまみたいな存在だったのだろうか。
いやスピノザは、まいにちレンズ磨きをやって生計をたてていただけで、日常的にはほとんど客人とも会わなかったとされている。ましてや40歳をちょっと過ぎたところで死んでしまったはずだ。別段、神がかり的な呪術を使ったという報告もないし、カルト的な輝きを示したという報告もない。一体、汎神論者にして神秘主義者スピノザ、って一体だれなのだろう。
「ス ピノザ」カテゴリは、そもそもそのことを理解しようとして始めようとしたのだったが、どうも「エチカ抄」一冊だけでは、私の理解はさっぱりすすまない。ここはやはり、他の本を援用しながら、このカテゴリを進める以外にない。そしてまた、運良くスピノザを理解できたとしても、そのスピノザとアントニオ・ネグリが、どのようにつながりを持ってくるのか、今のところ、私にはさっぱりわかっていない。一体どうなっているの・・?
ネグリに関心をもったのは、もちろんその「マルチチュード」という概念だ。グローバル・ネットワークでつながったときに、人間たちの意識にどのような変化や進化が発生し得るのか、し得ないのか、その辺の煮詰めがどうもまだ進んでいない。解らないものは解らないものなりにちょろちょろ歩を進める以外にない。西洋的な「哲学」と、東洋的な「道」の違い、思想や観念としての哲学と、日々との暮らしや行いの中にある道。多分、そのような根本的な違いがあるのだ。しかし、当ブログは、その両方をひとつのものとしてすすむことにする。西洋でも東洋でもないもの。哲学でも道でもないもの。あるいはその両方。それらを含むものとしての地球的なスピリット、という概念をもうすこし探してみようと思う。
<3>につづく
悟りへの階梯 2008.10.27
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