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あるブログを読んで思い出しました 「あんた本当にお父さん(私の父)のこと嫌いなの」 魔女に訊かれたとき返事をしませんでした。その当時は、私が家をでて依頼30ぶりに再会した父を特別養護老人ホームから出してKN川県のY市で同居していました。 介護の日々は5年目に3度目の梗塞から肺炎を併発しおわりました。魔女と二人で納骨の帰り訊かれたのです。私が家を出る少し前に両親は離婚していたので葬式には母は居ませんでした。ウチに居ない父の話になるたびに「お前らさえ居なければこんな家、とうに出ている」母がそういうたびに私も弟も「父さんがきらい」といっていました。母はそのことを知らないといいます 「おかあさんの機嫌をとるのにお父さんのことを嫌いって思い込もうとしてたんじゃないの」 魔女のいうとおりです。
2008/09/12
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五月四日の午前一時に自宅を出て、五日の午前七時に帰り着きました。約4年ぶりに墓参りでした、生後すぐに逝った娘と二度の脳梗塞で5年寝たきりで逝った父に久しぶり手を合わせてきました。 やっと気持ちに落ち着きが出てきたようなので機会があれば又書きます。しかし調布、八王子、渋谷、墨田と回ってきて思ったのは、この町の住みにくさと障害者の暮らしにくさです。自閉によらず弱いもの(障害の有無に係らず)は日常の規範が動く(変わる)ことが苦手です、ですから必要に応じて信号無視をする親いまいち信用できなくなるのではないでしょうか。 大阪以外では渋谷によらず信号無視をする人をあまり見かけません、心斎橋で信号待ちをすると、周り中が渡り私と魔女だけが取り残される思いをよくしますが、大阪以外ではあまり見かけません。障害児の手を引いて信号を守りなさいと躾ける母親自身が「車がこないから早く渡ろう」では状況が変わればなんでもありと教えていいのですか。どこかのブログにあった言葉です、障害者の暮らしやすい社会は健常者にも暮らしやすいというのがありました。これは自分が暮らしやすいと思っている事ではなく規範がしっかりして変わらない事ではないでしょうか。うちのコたちはダメなものは理由に関係なくダメの状況の中でゆったりと暮らしています。行動の自由も自由な発想もルールの中です。それを守るから許されることで、自分がいやだからルールを無視することの無意味さを彼らなりに理解しています。此処にいることがつらいのは自分を甘やかすことが習慣化している軽度の障害者とそれよりもおとる健常者です、それでなのでしょうか軽度の障害者ほど長続きしません(以上は余談)。大阪は全国一の施設数(人口比率ではなく)、全国一の施設定員、全国一最低の作業工賃です。一人の障害者が貰う工賃の効率の悪さは全国一ということです。定員で逆算すると約一万二千の障害者を抱えていることになります、非難を覚悟で書けば「もらえるものは障害年金でももらわな損」ということになるのでしょうか。 障害児を療育することに限定して、「もらえるものは貰わなければ損」と育てるのか「可能な限り社会(家族もふくめ)に負担を掛けない社会人(障害があっても社会人にはなれる)として育てるのかは保護者の選択にまかせられるとしてそのために地の利を考えるのであれば大阪はどうなんでしょう。
2008/05/06
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昨日、予定外のハードルにケツマズいてへんこんでました。魔女にへこむなんて贅沢だとなじられました。傷につばつけてもらったみたいだし、また走ろう
2008/02/28
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彼はほぼ立ち直りました。昨日出てきて私にそう報告して働き始めました。昼前に彼の母親から彼の父がねこんでいると電話がありました。正月に彼が家族のそろった席で「大阪で働く」と発言してから無口になり寝込んでいるそうです。自分の人生だから自分の好きなようにすれば善いといつも話していた父にれば賛成するしかないのですが。私が大阪のどこで働くのかと訊いたら「此処で」と・・・白状すると5センチぐらい飛び上がりました(嬉しくて)就職してどうするのと重ねて訊いたら「ここで勉強してイチゴ栽培と養蜂をする」と(かれの実家の家業)・・・つまり家業を継ぐのかとさらに訊くと「・・・・」不思議そうに見つめられました。そういえば確かに去年のイブに「イチゴ農家でもこのコたちは働けるのか」と質問されかなり真剣に話し込みましたがあの話はマジだったのです。(いまはよだれが垂れてます)実家の家業はイチゴの栽培と養蜂です・・・・家業をついで欲しい父と家業を継ぎたい息子、口に出せずに互いに気遣う結果としての病(アスペルガー)もあるのですかね。病院時代の不勉強を悔やみますが、それはそれとして歳を取るのはいいものです。
2008/01/09
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事業所移転のため十日ほど休みます。
2007/11/30
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夜の九時過ぎに、スーパーの食品売り場で寝起きの「フェイダナウェイ」とすれ違いました。厚手のタイツに事務服、食品をいっぱい載せたカートを押してました。後ろから牛乳パックをもった小学生1,2年ぐらいのこが「ワッ」と驚かすと「キャーありがとう」と嬉しそうに驚いて牛乳パックをカートに載せてこぼれるような笑顔。子供にカートを押してもらって、生鮮食料品売場へ。レジで並ぶ彼女と私達の間に、小学校3,4年のよそのコが卵パックを持って並んでいました、彼女がそのコに「それだけ」「うん」レジのおネエさんに「このコ先に打って」それから私に振り向いて「ごめんなさい」かっこいいなって魔女に言ったら「あんたも少し大人になったのね」周り中みんな幸せな気分になりました。
2007/11/26
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先日に書いたブログの続報です。またPママさんのブログからです、問題自体は障害者への理解とは本質的に違うとは思いますが障害者がこの種のトラブルに脆弱であることは否めません。それにしても耳鳴りがするほどムカツキマス
2007/11/15
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「あのコたちが切れるのは、嘘を吐かれたから」「話が違えば誰だって切れる」「怖いのはお互い」「お前の為に言ってるとか、心配させたくないっていう嘘が一番むかつく」「理解しても慣れても、怖いことは永遠に怖い、それを平気っていうのは嘘」「他人に善人と思われたいの?」「健常者って其の時に嘘ついてるのよ」 By 魔女本当は怖いからもっともらしい理由つけて逃げてないか自分を甘やかさないよう、初心に戻って皆に嫌われるように来週から始めます。ウチのコたちは地上で一番誠実なのだから。
2007/11/10
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このブログによく来てくれるPママさんのブログを見てから思考が停止しています。ウチのコたちの最初を思い出しました、殆どのコがファーストコンタクトは示威行為から始まります。親を初めとする保護者が帰り施設に彼らだけが通うようなって遅くとも一週間いないに始まります、示威行為とは此処だけの表現かもしれませんが、やくざ顔負けの態度や泣き落とし、はては笑顔ですらその手段です。それが実行を伴わないことが解っていても「怖いです」。其の行動をどのように回りに実行するかを保護者の殆どが見ていないでしょう。障害者とどう接するかは経験してみないと解りません。南部にある大きな入所施設では年に2回ぐらい救急を呼ぶそうです、乗せられるのは新人職員だそうです、利用者が無抵抗(抵抗しないと利用者に読まれた)の職員をリンチしてことのようです。なんか混乱していつも以上に文脈がぐちゃぐちゃです、誰にとっても不幸な事件です、責任者の処罰以上に次に繋がるよう、同じ時間を生きるものがお互いをもっと理解し合える機会をもっと欲しいと思います。壁と溝の両方でお互いが死ぬほど怯えているのはウンザリです。
2007/11/09
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一日かかって、工場とかいろいろ探して兵庫県南部をうろついていました。その途中で、50年ぶりに(というより始めて)異父兄に会いました。養子に出たので苗字は違いますが、神戸在住です。いろいろ話すうちに、 ふとこの兄を身ごもったとき母は人生で一番幸せだったのではないかと、何か確信をもってそう思いました。穏やかで奥の深いひとです。
2007/11/02
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今日は、オカンのお寺参りの運転手で、ブログは休みです
2007/09/15
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目を閉じて、ゆっくり息をして、考えてみてくださいいつまでも障害者に理解があり、運営が安定している施設在る、無くはない、無いも同じ、無いいつまでも障害者に理解があり、経営が安定している会社(企業)在る、無くはない、無いも同じ、無いいつまでも障害者に理解があり、隣人として受け入れてくれる地域在る、無くはない、無いも同じ、無いいつまでも障害者に理解があり、身内として後見してくれる家族親戚在る、無くはない、無いも同じ、無いいまそこにある問題絶対おきることが確実な問題手厚くするだけでは解決できない問題誰かが何とかしてくれると思いたい問題答えが無いから頭の中から閉め出している問題しっかり受け入れることが出来れば、自分で解決できる問題。
2007/09/13
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何も考えずに貼り付けて見ました、良かったらバトンをまわしてください。[ムコ多糖症] ムコ多糖を分解する酵素が先天的に欠損している為、 体内に蓄積することで様々な異常が引き起こされる病気。多くの場合、身体や精神の発達遅滞、骨の変形、水頭症なども伴う。重症の場合は成人前に死亡する。今のところ有効な治療法が無いので、骨髄移植や遺伝子治療の臨床成果が待たれる病気の1つである。http://www.muconet.jp/★この本文を 日記に貼り付けてください。病人はつらいです本人も周りも、大人になれないなんて・・・
2007/09/11
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第一土曜は休みです。Protea Mamaさんのブログで見た「さをり織り-アトリエゆうハウス-わっはっはてん 」に行ってきます(wakuwaku)。
2007/09/01
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今日は役所に書類をだします。経歴書に写真を貼る。初めて貼るわけではないけど久しぶりに自分の写真を撮る。写真の顔って、親父の顔だったり、お袋の顔だったりするんですね、自分の顔なのに。私だけかな。
2007/08/28
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今日は毒を吐きます。本日、地下鉄に乗りました。優先座席に若い(外見50歳以下)人が座っているのは大阪の風物詩なのかなって思うのは私だけでしょうか。他の地域でもあるかもしれませんがその率は絶対大阪がNo1だと思います。昔、読んだ司馬遼太郎先生のエッセイに日本で大阪が遵法精神が薄いと嘆いていたことを思い出しました。風土として、武士階級が少なく、商人の町として長い長い伝統があるらしいが、そこに暮らすことは本当に暮らしやすいといえるのでしょうか。泉州から和歌山にかけて方言に敬語がないそうです、敬語が無いというのは敬うという感覚がないか、敬う必要がないと思っていると思えます。申請手続きも毎年のように煩雑になっていきます。それは福祉関係の不正の新しい手口が殆ど大阪が始まりで、発生件数の半分が大阪というのが原因らしい。全国で新しい手続きをする法人が、大阪の自由奔放さのおかげで手続きは煩雑になっているって思えます。集団(社会)における遵法精神と他人への気遣いとは表裏をなしていると思います。福祉から一番遠い土壌が大阪なのかなって、だから大阪で運営できるならどこででもやれるのではないかなって思います。
2007/08/23
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今日は、二十日でごめんなさい
2007/08/20
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不幸の手紙ってご存知ですか。自分が貰って気分の悪い手紙を無責任に他人に転化させる。あの聞いてるだけで不愉快な手紙です。その逆バージョン、幸せのバトン?地下鉄に乗りました。券売機の前で立つ茶髪の高校生(ヒップハングの制服、ピアス)が、おずおずと寄ってきて「あの~、切符を買うんですか?」そうだと答えると「これは僕が知らない人に貰って使っていたのですが、もう使わないので貰ってもらえないですか」と差し出したのが一日乗り放題のフリーチケット。「ありがとう使うわせてもらう」と返事をしながら受け取った時彼の笑顔はとても可愛かった。所用をすませ、出発駅にもどり改札を出た。魔女に土産話ができたと考えながら券売機の前を通り過ぎようとした時、大オバサンが荷物を持ち変えて、財布を出そうとしている小オバサンに「切符を買うなら、これを使ってくれ。自分も貰ったものだから心配ない」と渡していた。貰ったほうは嬉しい笑顔、渡した方は達成感を感じさせる笑顔。 当然、私も同じようにフリーチケットを次の人に託しました。でも最初にチケットを託したのはどんな人だったのかな。なんだかほんわかな気分の一日になりました。 <茶髪の高校生の言葉は日本語に勝手に翻訳しました>
2007/07/29
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日曜日、鉄腕ダッシュを見ていたはずなのだが、その後の記憶がない。夕方、施設から帰って食事して、ポン(3匹いる真ん中のネコ)にソファーを譲ってもらって、テレビの前に座って、あとは空白。最近日曜の8時以降、平日の9時以降のテレビ番組が分らない。どんどん浮世離れしていく。 「もともとテレビ見ないでしょ」
2007/07/24
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