On the Sunny side 誰にでも居場所がある

On the Sunny side 誰にでも居場所がある

2008/05/06
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カテゴリ: 私事
 五月四日の午前一時に自宅を出て、五日の午前七時に帰り着きました。
約4年ぶりに墓参りでした、生後すぐに逝った娘と二度の脳梗塞で5年寝たきりで逝った父に久しぶり手を合わせてきました。
 やっと気持ちに落ち着きが出てきたようなので機会があれば又書きます。

しかし調布、八王子、渋谷、墨田と回ってきて思ったのは、この町の住みにくさと障害者の暮らしにくさです。
自閉によらず弱いもの(障害の有無に係らず)は日常の規範が動く(変わる)ことが苦手です、ですから必要に応じて信号無視をする親いまいち信用できなくなるのではないでしょうか。 大阪以外では渋谷によらず信号無視をする人をあまり見かけません、心斎橋で信号待ちをすると、周り中が渡り私と魔女だけが取り残される思いをよくしますが、大阪以外ではあまり見かけません。

障害児の手を引いて信号を守りなさいと躾ける母親自身が「車がこないから早く渡ろう」では状況が変わればなんでもありと教えていいのですか。

どこかのブログにあった言葉です、障害者の暮らしやすい社会は健常者にも暮らしやすいというのがありました。
これは自分が暮らしやすいと思っている事ではなく規範がしっかりして変わらない事ではないでしょうか。
うちのコたちはダメなものは理由に関係なくダメの状況の中でゆったりと暮らしています。

それを守るから許されることで、自分がいやだからルールを無視することの無意味さを彼らなりに理解しています。

此処にいることがつらいのは自分を甘やかすことが習慣化している軽度の障害者とそれよりもおとる健常者です、それでなのでしょうか軽度の障害者ほど長続きしません(以上は余談)。

大阪は全国一の施設数(人口比率ではなく)、全国一の施設定員、全国一最低の作業工賃です。
一人の障害者が貰う工賃の効率の悪さは全国一ということです。

定員で逆算すると約一万二千の障害者を抱えていることになります、非難を覚悟で書けば
「もらえるものは障害年金でももらわな損」ということになるのでしょうか。

 障害児を療育することに限定して、「もらえるものは貰わなければ損」と育てるのか
「可能な限り社会(家族もふくめ)に負担を掛けない社会人(障害があっても社会人にはなれる)として育てるのかは保護者の選択にまかせられるとしてそのために地の利を考えるのであれば大阪はどうなんでしょう。





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Last updated  2008/05/06 03:33:53 PM
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