帝国陸軍好きの読書ノート

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2009.10.06
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安岡正隆『山下奉文正伝―「マレーの虎」と畏怖された男の生涯』(光人社NF文庫,2008) その2


 ◇ 内容と雑感


本書は、軍事的な面での関心から読み始めた方は途中で投げ出してしまうのではないかと心配になるほど、山下奉文の幼少期、両親、当時の出生地近辺の環境に関する描写が冒頭からかなりの紙数を費やして語られています。

この部分で最も興味深いのは、「父は田舎医師で、母は豪農の生まれであった」、と山下自身が語っていたのに対して、著者が古老に聞き取りを行ったところでは母方の実家は「元」豪農の家であって、母が結婚する時点では既に没落しており、飯米を借りかんざしを親戚に借りて嫁に行った(25頁)、というような状況だったそうです。

また、父親についても医師と言っても昭和の感覚で言う医師とは全く異なり、田舎で農業をやりながら片手間に煎じ薬などを少し飲ます程度という当時に関する証言を取り上げており(96,132頁)「父は田舎医師で、母は豪農の生まれであった」と言えば聞こえはいいのですが、山間の僻地でもありかなり貧しい生活だったと思われる事が詳細に語られています。

山下にしてみれば、妻の実家が後に経済的に破綻したとはいえ裕福な家だったので、上記のような言い方で生家の貧しさを隠そうとしていたのではなかったとも思えます。

とにかく、このあたりの生家や幼少期に関する記述は、他の顕彰的に書かれた伝記と異なり古老の証言などを元に当時の様相を詳細に描いており、とてもよくできていると思います。


その後は、妻の実家(永山元彦騎兵少将 佐賀県出身)がまさに士族の商法のような感じで商売に手を出して失敗し困窮におちいるまでの様子、その中で生じた義妹永山勝子との不倫関係についての記述など山下の家庭生活など私生活の面に紙数の多くが割かれています。

そういうわけで、軍人若しくは軍官僚としての山下の事績を追いかけたい方には勧めるのはちょっと気が引けるのですが、前述したように幼少期とその当時の出生地近辺の環境、並びに私生活という面に関しては、ともに貴重な証言を直接当事者から得る事により書かれていますので、まさに労作であり、今後ともこの点において本書を凌駕するものが現れる可能性はほぼ無いと言っていいでしょう。

ありきたりな焼き直しの評伝ではない、というところは高く評価すべきかと思います。

ちょっと勿体無いのは、著者が専門のノンフィクション作家でもなくジャーナリスト経験も無い人なので、取材をした時期、経緯、著者のした質問などをすっ飛ばしてその結果得た証言だけを書いている箇所が多く見られるので、その証言の信憑性の検証が難しいと言うところです。






二.二六事件に関しては、山下が事件発生前に青年将校に話したと言われる軽率な言葉や、事件発生後の不作為、青年将校に同情的な外見を示したことなどを理由に、松本清張『昭和史発掘』を代表とする多くの作家から青年将校を利用した狡猾な人物として批判を浴びている点について、第4章(273頁以下)で反論を行っているのですが、この点に関しては松本清張らの主張よりは著者の主張の方が山下に関しては真実に近いのではないかという印象を受けました。

その反論のポイントは概ね次のようなもので
・ 青年将校を唆したというが、「斬る」などという発言は今日から見ると不穏当だが当時の軍人では私的な場ではよくあったことで、磯辺をはじめとし青年将校側も決起賛同とは受け取っていないし、事後に裏切られたとも言っていない。

・ そもそも陸軍省の人間なので参謀本部には容喙できない

・ 大臣告示の読み上げを行い、青年将校から出た質問に答えなかったのは任務外だったから。むしろ勝手に答えたらその方が無責任。

・ そもそも山下は面倒見が良い人間であり、特に自身も貧家の出なので青年将校に対して同情しており、また単純に軍紀違反だから討伐しろと言えるような人間ではなく、それがそのまま行動に出た

と言うもので、私が読んだ本の中では大谷敬二郎『二・二六事件の謎』(柏書房,1975)に近い立場と思われるものです。

ちなみに、著者は山下の義妹永山勝子へ直接の取材を行っており、その中で不倫関係を打ち明けてもらうまでの信頼を得ていたようですので、義父永山少将を経由しての佐賀閥の荒木、真崎らと山下の関係についてなにか貴重な証言などは出てこないかと少し期待もしたのですが(私の見落としかも知れませんが)、そういうものも特にありませんでした。



一方、本書で気に入らなかったのが、背景説明の部分において通俗的な誤った説明を書いてしまっている点がいくつか見られる事です。この点については著者が速成教育の予備士官学校出身で、戦場経験は無い、という点を考慮してもちょっといただけないかな、と思います。以下にそのいくつかを取り上げます。

86頁以下では、帝国陸軍のドイツ傾斜、三国同盟に陸軍が積極的であった、陸軍の英米軽視等、良く言われていますが概ね間違っていることが平然と書いてありますし、軍人崇拝の風潮についても江戸時代からの尚武の精神はむしろ大正デモクラシーに向けて衰退に向かい、昭和に入ってのち盛り返したというような点を全く理解していない内容を書いています。

88頁には、陸軍では全て卒業席次で決まり柔軟性が無い等とか書いていますが、自身が本書で山下より成績が劣った阿南が陸相になっている事実も記述しているのですから自己矛盾もいいところでしょう。陸軍は基本的に演習で勝てる者が残り、勝てない者は予備役行き。席次でポストが決まるのは海軍です。


これについては議会記録などを見ればわかる事ですが、以前に本ブログで評を書いた渡部一英『日本の飛行機王中島知久平―日本航空界の一大先覚者の生涯』(光人社NF文庫,1997)の264及び272頁を読めば本書のこの部分の本書の記述が根本から間違っている事がわかるかと思います。

では、著者は何故こんな間違いを書いたのか、と言うのは興味深い点です。
私は、当時の正当派による法理論上の統帥権解釈からかけ離れた、鳩山一郎が私利私欲の為に行ったのとほぼ同一の統帥権の無茶苦茶な解釈―ここでは仮にこれを俗流統帥権と呼びます―を軍の教育課程で教えこまれたのではないか、と考えています。

海軍で使用されていたテキストを復元した『海軍航空教範』(光人社,2001)を読んだ際にその教範の統帥権に関する部分が俗流統帥権そのままの記述で驚いた記憶があります。
これについて、知人の研究者に聞いてみたところ教育総監を真崎がやったころから、教範類に俗流統帥権に従った記述がされるようになったらしく、これがこの時期以後に青年将校の異常な行動が頻発する一因でもあるのではないかと思われます。






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最終更新日  2009.10.06 21:55:18
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