井原線ふるさとじゃ~ナル

井原線ふるさとじゃ~ナル

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2024.04.19
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カテゴリ: ほほほのおと。
4月19日(金)晴れ
 早雲父子の墓前からお寺裏手の坂道を上る。
 途中、木村重成の従兄弟の重宗のお墓がある。豊臣秀頼の小姓、その後、3千石の近習旗本となり大坂夏の陣で戦死したが、従兄弟の重宗は落ち延びてここ法泉寺まで逃れてきて匿われ、出家して僧となりこの地で没したと伝えられている。
 得脱稲荷下の小道から寺の全容が見えてくる。まさに城郭構えで備中伊勢氏の菩提寺兼お城だったことがうかがえる。

「得脱稲荷大明神」またの名を「金毛窟」という。法泉寺の昔々の言い伝えに「伊豆修善寺の狐が刷り袈裟を取り返そうとやってきて和尚様に見つかって法泉寺をお守りするお稲荷様となった狐の夫婦が祀られている」とのこと、むかしこっぷり。

 法泉寺から鎌迫池の堤を経て下谷川に沿って下ると森奥橋の手前の山中に「大岩刻 早雲供養碑」がある。地域の人々によって道が整備されているが狭いので気を付けて上っていただきたい。
 足の悪い人は下から手を合わせるだけでよい。

 早雲供養碑の下には「道了尊石仏」がある。これは小田原を中心に多く祀られている石仏で岡山県では見当たらない。荏原庄と小田原後北条のつながりを示す石仏といえる。

 大岩には「普早雲寺殿天岳瑞公大居士墳」と刻されている。






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最終更新日  2024.04.19 15:14:54
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