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例えば幼児が転んだ時、「すぐに助け起こして抱きしめるという愛情」と「自分で立ち上がるのを待ってから抱きしめるという愛情」。
子どもが友達との人間関係に悩んだ時、「親が出ていって子どもの人間関係の修復の為に親自らが動くという愛情」と「親が子どもの相談に乗りながら、子どもが自分で人間関係を修復するのを見守るという愛情」。
就職したばかりでお給料が少なくて、生活が苦しいと訴える子どもに、「見かねてお金を援助するという愛情」と「自分のお給料の範囲内で何とか生活できるようにしなければダメだと諭して援助しないという愛情」。
同じ「愛情」でも私は後者の方が次元の高い愛情のように思う。次元の高い愛情は傍からは少し冷たく見える。でも前者が「子どもの今の要求を満たす」のに対して、後者は「子どもの将来の幸せを目指す」ものだ。子どもの今の要求を満たすことが、子どもの将来の為にならないと思うなら、子どもの要求を聞いてやらないことはより高い次元の愛情だと思う。
子どもが正社員として就職したにも関わらず、子どもの要求に応じて金銭的な援助を続けているご家族を知っている。親は数年間の援助のつもりだったようだが、子どもは親の援助をすっかりあてにして、親の援助がなければ成り立たないような贅沢な生活をしている。
親は何度か援助を断ち切りたいと言ったが、その都度子ども(と言っても、もういい歳だけれど・・・)の懇願に負けて援助を断ち切れないでいる。結局援助は20年にも及んでいる。
「愛情」という名のもとに子どもをダメにしているケースは意外に多い。愛情にも“吟味”が必要だと思う。
優しさの落とし穴(2) 2010.10.02 コメント(22)
優しさの落とし穴(1) 2010.07.08 コメント(8)