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「今日も停電なんだ・・・」とあきらめていた夜9時頃、パチンと音がなって電気がついた。どんなに嬉しかったことか。思わず「やったー!」とガッツポーズをしてしまった。電気が使えないのは辛い。それも夜は特に。我が家は仙台市内でも電気の復旧の早い地域だったけれど、「電気のない生活なんて考えられない」と思うにはその2日間で充分だった。
でもその後、福島原発での事故の報道が伝わるにつれ、電気をふんだんに使うことのリスクを思い知る。電気が使える喜びを実感する一方で、放射能の恐怖にさらされている福島県の人たちのことを思った。その恐怖はじわじわと他の地域にも広がっている。
東電の対応には不信感が募る。「原子力発電が安全だ」なんていう話を信じる人はもういない。東電にはしっかりと責任を持って対処してもらいたい。
その一方で今後のことを考えると東電だけを責めていても問題は解決しないと思う。この問題は私たち一人一人に突きつけられている。電気を今まで通りに使いながら原子力発電を排除するのは不可能だからだ。
「電気を使えない不便さを受け入れるのか」「原発の恐怖を受け入れるのか」原子力発電に替わる発電方法を見いだせない限り、この二者択一しかないように思う。
そして原子力発電を受け入れる以上は、自分の住む町の隣に発電所があるという前提で考えなければならない。米軍基地にしろ、ゴミの焼却施設にしろ、原子力発電所にしろ、目の届かない誰かにリスクを背負わせて、自分は便利な生活を続けるというエゴは許されない。
計画停電によってすでに経営が危うくなっている製造業もあると聞く。経済の停滞や電気のない不便さを受け入れるのか、原発の恐怖を受け入れるのか。私たちの覚悟が問われている。