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発達障害の中学2年生の息子りおは本が読めない。漢字の読み書きはあまり問題もなく、図鑑等であれば、子供向きのものでなくても解説文をかなり読みこなす。それ以外も新幹線99の謎などのように好きなものの説明がしかも短い章で話が独立しているようなものは好んで読むのだが、物語系は全くだめなのだ。何とか読書に興味を持たせたいとあれこれ用意した本は手に取られることもないまま子供部屋の本棚の一角占めていた。それが昨夜、海底二万マイルとシートン動物記を持ち出して読んでみたいという。えっ、本当に読むの。ソファで並んで見ていたら、やはり挿絵や目次からおもしろそうな所を拾って読もうとする。大だことの格闘だってねぇ、最初だけでも読もうよ。登場人物が分からないじゃない。といって、一章だけは一緒に読んだが、その後は好きに読んでいる。今日も学校から帰ってから手に取って楽しそうに読みふけっている姿を見ると、こういう読み方でいいような気がしてきた。あっちこっち、とばしながら読んでいるのだが、それでも話の大きな流れはおさえているようだし、何より楽しんでいるのだし。そう、思ったのはドナ・ウィリアムズの本(自閉症だったわたしへ )を読んだせいもある。本の中で彼女はあるときから目に付く言葉や名前だけひろって飛ばし読みをしていくことにより、何とか全体像をとらえることができ、本を読むことができるようになったと語っているのだ。一行ずつ追っていくと言葉は全部分かっているし、その文自体は何を語っているのかわかるのだが、どうしても話が飲み込めないと。そうか、この子達は読み方も自分独自のものがあるのかもしれない。それでも、いいや。いろんな本を読んでみようよ。そして、いつか心理描写なども読んでみて欲しいな。残念ながらりおが小学4年生レベルとは言えない例がこの本を読んでいるときにも一つ見つかる。”助手はよく気の付く若者で私とは丁度10才ちがいだ。”この文章の前には主人公の教授が40才であることが書かれている。じゃ、この助手君は何才かな?50才?・・・・
2006/09/26
発達障害関係の本の中で複数の先生が社会で働くためには小学校4年生レベルの学力が欲しい、述べられておられる。では小学校4年レベルの学力とはどういうことか、改めて課題表を見て考えた。単位関係は日常生活にとても重要だ。面積はとばしても、長さ、重さ、時間の単位は頻繁に使う。数としては億、兆は漠然と大きな数という理解位でもなんとかなりそうだけれど、万は日常の金額として存在するので、分かっておいて欲しい。少数も1.5リットルとか3.5kmとかいう表示は身近なものだ。そして、一番、重要なのはこういう個々の課題をできるだけ日常生活に係わってくる文章で応用できるということだ。学校で繰り返し出てくる型にはまった文章題ではなく、これができれば4年生かな、と思う文章題を作ってみた。文章題は国語力の課題でもあるし。基礎編と発展編に分けてみたけれど、大きなポイントは発展編は式を2つ(1つで書くこともできるが)必要なことで、こうなって、ああなるという2段階の思考が働かないといけないところだ。4年生ならできて当然なのだけれど、こうして文章題を比べてみるとぐんと難しくなっているな、と思う。りおは基本編はできたが、発展編になるととたんにつまづく。こうなって、ああなるが文章的にもおさえるのがむずかしく、多分頭の中で筋道を立てるのも弱いのだろう。この文章題を増やしていって、週末毎位にやらせたいけど、なかなか時間がとれないんだなぁ。
2006/09/22
“小学校の算数ぜんぶわかります“という見出しに引かれて買ってみた。小学校で学ぶ算数の課題とつまずきがまとめてある内容がわかりやすいので、これを概念の項目を加えて、まとめてみた。フリーページ”小学校の算数の課題一覧”これを基に中学2年生の息子の算数力をチェックしてみると項目としては多くの領域をマスターしているのに、肝心の概念が割り算でつまずいている。かけ算もまだこころもとない。フリーページ”中学2年生のりおの算数”でも、りおは小学6年生の頃、足し算引き算ができなかったのだ。計算はかけ算、割り算も問題なかったけれど、小学校の2年生の文章題のドリルができなかった。つまり、概念がとても弱いのだ。発達障害児のつまずきを克服するために、最近は色々な方法が提案されている。筆算が弱い子は文字の認識が弱かったりするので、マス目のノートが有効だったりして、あっという間に今までできなかった計算ができるようになったりも擦るけれど、うちの子のように概念が弱い子はおはじきや模型を使った丹念な繰り返しが必要で、進み方はゆっくりだ。気長にやるしかない。
2006/09/18
りおは従兄弟が多い。少子化のご時世にも係わらず、私の同世代の親族は2~3人ずつ子供がいるので、祖母の家に行くととてもにぎやかだ。中学2年生の息子、従兄弟達の中に混ざったところを見ると小学3年生の男の子が一番釣り合っている。私の中のこの子のイメージも丁度それ位だ。IQは精神年齢÷実年齢という公式で出されるので、発達検査で受けた結果によれば小学校の高学年位なのだけれど、そこまではいっていないと思う。小3の子ができない分数の計算も漢字も読めるけれど、3年生の子が何気なくできることでできないこともある。それとも、精神年齢と知能年齢(そんな言葉はないらしいけれど)は分けて考えてたらいいのかしら。できれば小学校卒業程度、せめて5年生になってくれないかと思う。5年生になると随分しっかりしているもの。今日のりおの一言「ねえ、冬になったらすっぽん鍋を食べに行こうよ」「えーっ、すっぽん?」「だって、鯨を食べて、ふぐも食べたから、今度は爬虫類だよ」註:発達障害の息子は生物大好き、何故かグルメ
2006/09/12
小泉政権を振り返る番組を見ていると社会は年々悪くなってきたような印象を受ける。犯罪は増え、格差が拡大し、社会福祉は削られる一方。繁栄に見えて実はツケで遊びまくっていたバブルは別とするとその直前が最もよかった社会だったんだなぁ、と思うが、それじゃ、これから社会に出て行かなければならない子供たち、20年前だったらよかったのかな、と自分に問うと違う答えが返ってくる。姉娘のことを考えると20年前はかろうじて男女機会均等法が施行されたばかり。まだまだ女性の職場は狭かった。一般事務なら正社員になることは難しくなかったが、かといって女性が長く勤めることは会社も社会も好意的に見てはいなかったから、正社員の最大の特典である終身雇用は多くの女性にとって意味を持たなかった。あの当時に就職し頑張って働き続けた女性達も90年代後半のリストラの嵐を絶えられるほどの確たる地位を得た人は一握りだったろう。もう一人の子供、発達障害を持つ息子のことを考えれば、さらに今だ。非難の多い支援法ではあるけれど、20年前では一部でADHDや学習障害が取り上げられたばかり。軽度の発達障害の子供はほとんど放置されていた。就労の支援も身体的なハンデのある人にようやく光が当たり始めた頃で、今よりはるかに生きにくかったろうことは想像に難くない。これは我が家の勝手な事情だから、社会全体で見れば今の方が悪い社会なのかもしれない。それにしても、社会ニュースを意識し始めた中高生時代を含めて、日本の社会がよかったという記憶が私には全くないというのも不思議に思える。バブルという例外はあったけれど、高度成長期はインフレの不安、公害の悲劇、低成長になってからは円高でもう、日本の経済はおしまいだというような見出しが大きかった。その後は、円安でもうだめだとも言っていた。今、振り返ってみればバブルまでの社会保障は世界でもトップクラスだったと思うけれど、スウェーデンなど一部の国を引き合いに出しては、日本は福祉が遅れているというのが誰も疑いようのない社会通念だった。格差が広がってと嘆く声が多く聞かれるけれど、一億総中流というのは多分に自嘲的に使われていたと思う。みんな、アメリカン・ドリームの華やかさにあこがれていなかったか。今の世の中は先に明るい見通しがないから子供の事件が多いというけれど、あの時代は日本の社会ではレールが決まっていて、そこそこの人生しか用意されていないから、子供は希望が持てないといわれたっけ。バブルの頃の地価高騰の時、地価が適性になったらどんなにいいかと国民すべてが願っていた。でも、地価が下がって幸せにはならなかった。私が小中の頃が詰め込み教育のピークだったらしい。落ちこぼれ問題以外にも詰め込み秀才は社会で役には立たない、個性と才能を伸ばそうといって、詰め込み教育は廃止された。ホリエモンや村上さんがその成果なのか?違うな、彼らは偏差値教育の勝者でもある。ヒデや松井か?いつもいつも、過去がよかったというのはおかしいな。日本人って暗すぎるのか、それとも政治を見る目が成熟していないのか。
2006/09/09
夏休みももう終わり、今年の夏休みは結構出歩いたわ。国立博物館の南極展、花火大会動物園に行って、ゲド戦記も見たし、冷凍マンモスを見て、船の科学館に寄って、水上タクシーで帰ってきた。祖母の家に泊まりに行って、従兄弟達と花火もしたし、夫も一緒に行けなかったのに大阪の海遊館にも足を延ばした。息子は人より幼いけれど、実年齢は中学2年生子ども時代の終わりも遠くはないのだ。親子の黄金時代って子供が小中学校のときだろうとずっと思っていた。幼児の頃は制約が多いから、親子が一緒に遊べるのは小学校も高学年から中学生位が一番楽しいんじゃないかな、と。そう思うと今年の夏はもう、たくさん遊ぼう!と決めていたんだ。それでも、足ることを知らないわが息子。結局、葛西臨海水族館には行けなかった。マンモスももう一度見たい。(実は2回行っている)よみうりランドの水族館も行きたかった。等々々々、相変わらず際限がない。満足にはほど遠いらしいけれど、去年と比べてどうだったんだろう。悲惨な事件、事故が続く。遺族がマイクを向けられると大多数の人が犯人に謝罪して欲しい。心から謝って欲しいという。私は変なのかしら。もし、私が家族を殺されたら決してそんなことは言わない。ただただ、罰して欲しいと思う。できれば死刑にして欲しい。死刑制度に疑問を持っていないわけではないけれど、被害者の立場になったときを想像してみれば、犯人にはこの世から消え去って欲しいとしか思わない。いつか、街角で会うなんて絶対いや。長い時の中でいつか犯人が幸せに暮らす姿を赦す寛容さは私にはない。“一生かけて罪を償う、償って欲しい”、そんなことができるのは人並みはずれた誠実、強靭な精神だろうに、どうして当たり前のように言えるのだろうと思ってしまう。
2006/08/30
「次の問題分からない?」「うん」じゃ、もう一度問題を読んでみて」と言っても首をかしげているので、「ほら、ここよ」と指で指す「分からないよ」「難しい字はないじゃない。読めるはずよ。ほら、(2)のところ」というようなやりとりがあって、ようやく問題を読むというようなことがしばしばあった。字の読み書きはほとんど問題がない子だから、集中力が切れて、わけが分からなくなってしまうのかな、位に思っていたし、最近は先日の日記に書いたように誰かと一緒に何かをやるということが難しいとも思ったのだけれど、今日ようやく理由がわかった。ここを読んでと言った時、たまに指で指したところとは違うところを読み出すということがあって、何でだろうと思っていたのだけれど、この子は指の先じゃなく、指の下を読まなければならないと思っていたのだ。だから、当然、見えなくて読めない。たまたま、指で押さえる前に視野に入っているとそこから読み出す。人が指を指す先がわかっていなかったのか!!自閉児の典型的な症状として指差しができないというのを読んだときには「あれは?」、「これは?」と試してみたりもした。遠くのものを指すと分かっていたのに本の字を指すことが分かっていなかったなんて!!この子の障害に気がついてから、こうしたことは度々あったけれど、まさか、こんなことまで、、、コミュニケーションの障害というけれど、こういうレベルのことが人とずれて、普通の人には当たり前のことができないのか。気付けばある程度はギャップを埋めてやることもできる。しかし、蛍光灯のことといい、一体どれほど多くのずれを抱えているのだろうと辛い。とにかく、指で指すということがどういうことか、こう、手首からの線と爪の延長上でと説明し、じゃ、これはどこを指しているの?と何度も練習した。
2006/08/29
前の日記にも書いたけれど、この子の欲望って際限がなく、かつ、歯止めが効かない。今回は新幹線を使っての大阪への一泊旅行。・ 新幹線なら品川から乗ってみたいな。グリーン車はだめなの?・ でも、やっぱり飛行機の方がはやいんでしょ。 関空が近いんじゃない?・ 帰りは船にしない?ホテルに着けば着いたで、・ スイートじゃないの?・ 朝はルームサービスがいいな。・ プールはないの?夕食に関しては既に書いた通りで、本当にきりがないんだ。グリーン車もスイートルームも親が教えたわけじゃない。ただ、テレビの情報番組などでいいですねぇ、ステキ!とレポータが紹介しているのを試したがっているだけ。それ自体は正常な好奇心、欲望と呼べるものだけれど、制約なしに手に入るものではないということをとっくに分かっていていい年なのに。私が小さい頃は外食がまだ楽しみだった世代だけれど、デザートにプリン・アラモードを頼めるのは特別な時、なんていう家庭のルールを5,6才の頃には理解していたわ。全く理解していないわけでもないのだけれど、欲望と制約をうまく絡み合わせる制御が弱いんだな。自閉症は前頭葉の統合能力に障害があるという仮説があるそうだけれど、まさにそんな感じだ。
2006/08/22
はりはり鍋というのをはじめて食べた。鯨肉と水菜だけのさっぱりした鍋で関西地方が主流らしい。ここは大阪。今日は初めて息子と二人で一泊二日の夏休み旅行に来ている。姉娘は勉強で忙しいし、夫も時間が取れない。近場には何度が連れて出たけれど、それだけじゃちょっと可哀想かと前々から来たがっていた大阪の水族館海遊館を目当てに出かけてきたのだ。ホテルに着いて今晩は何を食べようかと声をかけると、「みせてみせて」と横からガイドブックを奪い取る。どうしてそうなったのか全然分からないのだけれどグルメなのだ。大阪っててっちりが有名なんだよね。おでんは?串あげもいいな、とさんざ物色した後に鯨料理の宣伝を見つけたのだ。えっ、この暑いのに鍋??と思ったけれど、泊まっているホテルから歩いていけるところでもあって、行ってみようかということになった。鯨を食べたのは初めてだったけれど、刺身も鍋もおいしい。刺身は濃い目のトロ、鍋にすると鴨のような味わいだけれど、部位によって味も食感も随分違う。本人が好きなことをしているときのこの子は楽しい道連れだ。一口食べては心から満足そうな表情を浮かべているのを見てそう思う。表情が豊でこっちもうれしくなる。どこで違いがでるのかわからないのだけれど、姉娘は味覚がお子ちゃまで辛いものはだめ、寿司もわさび抜き、そして何より新奇なものが全くだめ。ここに一緒に連れてきていたら、引きつった顔でメニューを見渡して、「私はのり茶漬けだけでいい!」というに違いない。まあ、本来子供連れでくる場所ではないんだけれど。地図を片手に来て見て気づいたのだけれど北新地といえば大阪でも有名な歓楽街よね。黒服さんやら着飾ったお姉さん方がひらひらする所に来ちゃってUターンしたかったけれど、餌を前にしてあきらめる息子ではない。そうこうしているうちに店の看板を見つけたら今度は入り口が分からない!“この奥“と看板に出てはいるけれど、えっ、どの奥よ、こっちは地下にいっちゃうしとまごついていたら、「あっ、こっちだ」とするりと路地の奥に入り込んでしまう。どうして、こういうところはすばしこいんだ?!最後に残り汁に入れた細うどんをすすりこんで、これで大満足でしょうとホテルへ帰ろうとすると「あっ、ふぐだ。もうちょっと入るよ」欲望のコントロールが君の課題なんだ。
2006/08/21
NHK特集でニートがどうやって社会に適応していくかという番組をやっていた。最後の20分くらいしか見られなかったので、番組そのものについては言うことはないのだけれど、ニートが社会に出て行くための合宿の終了式で、目標として述べていたことが気になった。・ 仕事に間に合うよう朝起きること・ 挨拶をすること・ 視線を合わせて人と話すことこれって発達障害の子供達の課題とぴったり重なる。我が家の息子は時間管理の問題ないが、後の二つは学校でもこまめに注意されている。ニートの中には少なからず発達障害の子もいるはずだ。時間感覚が普通ではなくて朝起きられない子と夜更かし、夜遊び等で起きられないのでは指導の方法も全然違うだろう。折角、こうしたプログラムを作るなら最初に彼らが何故社会に不適応を起こしているのか、原因を探る手順を考えて欲しい。何度も遅刻する男性に苛立ちを抑えて注意している指導者の表情を見て、そう思う。根性が足りない、なんていわれたら発達障害の二次障害になりかねない。テレビで8才の息子に美容整形を受けさせる親というのが出ていた。8才の子供だって、なんらかの容貌の問題でいじめにあっているとでもいうのなら分かる。でも、当人は何も容貌の引け目を感じていないのに、実際充分に可愛い子なのに、親がどうしても二重目蓋にしたいという。また、バカ親が、、、と思っていたら、医師が語るにはさらにとんでもない理由で手術を受けさせる親がいる!息子が別れた夫に似ているのが嫌でたまらない。夫を思い出さない顔にして欲しいといったとか。虐待でしょう、それは!顔だって、アイデンティティの一部よ。そんな理由で顔を変えられた子供の自己肯定意識がどれだけ傷つくか、親はもちろん、引き受けた医師は考えないのだろうか。日本美容整形学会(?)は、子供の手術に関する倫理規定を作るべきだわ!
2006/08/17
りおはよく電気を消したがる。「省エネでしょ!」などといっていたが、勉強するときもどうみても暗すぎる所でやっているので、目に悪いじゃないと都度注意していた。先日、同じ言葉を口にしながら、もしかして、この子も蛍光灯がだめなんじゃと気づいて、「灯りがまぶしい?ちらちらしたりする?」と聞いてみたら、あっさり、うなずく。そうだったのかぁ、、、だったら、言ってくれれば、とつい思ってしまう。自閉症には感覚過敏があり、蛍光灯のちらつきが一般人よりはっきり見えるということは専門書などにはよく見られる記述なのだけれど、本人はそんなこと言ったこともないからつい、この子にはそういうことはないのだろうとあまり深く考えず思っていた。じゃ、どうすればいいのか。自分とは感覚の違う相手の問題は理解しにくいと同時に対応もしづらい。ここは同じ感覚の方達に伺ってみるしかないとアスペルガーの方達のサイト-アスペルガーの館をお尋ねしたら、快く教えてくださった。私の質問とレスを読んで、初めて自分が何故、蛍光灯を嫌っていたのか気づいたというアスペルガーの方もいらした。りおのレベルじゃとても自分の問題を認識できず、省エネなんて口実になったのだろう。高機能の方々が自閉症のことを語りだしたのはここ10年くらいのことというけれど、自閉症児の親にとっては大変ありがたいことだ。蛍光灯よりは白熱灯、さらにはバイオライトという特にちらつきのない電球が開発されているという。よし、なんとか夏休みのうちにりおの部屋と家族の共有スペースは白熱灯にしよう。こういうことに気づくと、解決策が見つかってよかったと思う一方、この子の困難さを感じて辛さもある。息子の障害に気づいて、3年近く、その間それなりに勉強もしてきたのにこんな簡単なことにも気づくのにもこんなに時間がかかってしまった。まして、これから社会に出て行った先で理解を求めることのなんと難しいことか!しかも、家はなんとかなっても、学校やオフィスはすべて蛍光灯だ。このことがこの子達の住みづらさ、そのもののように思える。
2006/08/14
りおを連れてお台場に行ってきた。姉娘は勉強で忙しいので、この夏休みはりおと二人で行くことが多い。こいつも人が悪くて、今日はゲド戦記見てきたんだよ~、今日は動物園に行ったんだ、とことさらからかい口調で言い、姉娘の怒りを買っていた。からかっていると分かっているんだからいいか、と思ってきたけれど、どうもしつこいと、今日は土産物売り場に寄ったとき、「お姉ちゃんは勉強が大変でこれなかったんだよね。お土産でも買っていったら喜ぶんじゃない、一緒にこれなくて残念だったね、と言ってあげたら。」といってみたら、意外なほど素直に「うん」とうなずく。自分の小遣いでささやかなお土産を買い、帰るなり、うれしそうにこれ渡さなくちゃと姉娘の部屋に持って行った。うまくからかうには相手の機嫌や人間関係を考慮しなければならないし、そんな微妙なことはできないんだから、人が喜ぶことをした方がいいだろうと思って言ってみたのだけれど、何か予想以上に反応がよかった。もしかしたら、選択の幅の狭い子だから、こういうからかいしか思い浮かばなかったのかもしれない。からかうときがあってもいいけれど、こうやって、素直に喜んでもらうこともいいコミュニケーションだと学ぶ機会がなかったのかしら。
2006/08/10
テレビを見ていて、りおが話しかけてくると正直うっとうしい。テレビと関係なく、ふと思い出した話題のことも多いし、そうでなくても、話し方が拙いからテレビのテンポにはついていけない。人間のできていない母親はそれでもそれなりに辛抱を発揮してあいづちを返していたのだが、りおがこっちにしっかり顔を向けているのに気づいて、あれっ、と思った。姉娘はテレビを見ながら話す。こっちを見るとしてもちらっと見るくらい。画面を見ながら、「すごい雨だね」とか、「この歌好きだな」とかいう。りおは集中力がないので、勉強を教えていてもよく視線が泳いでいる。でも、本当にいらだつのは注意をしてもこちらが期待している所に視線が来ないことだ。ここを見て、と指で問題を指すと私の顔を見る。顔を見るんじゃなくて、ここ!いや、ここと言っても分からないか、指で指しているところ!ほらこの式が、と言っているのに今度は自分の指先を見る。やっと、見ても無理やり見させられているという感じで、とても勉強の説明どころではない。そのときようやく、これが三項関係の不全ということか!実感した。先日の日記にも書いたのだけれど『自閉症―私とあなたが成り立つまで』著者:熊谷高幸 の中に子供が社会の中で関係を気づいていくための過程が述べられている。最初に母と子供の二項関係が成立する。その次に、母親がおもちゃを指し、それで子供が一緒に遊ぶという、私とあなたと物の三項関係を学ぶとある。自閉度が重い子は二項関係を作るのも難しい。母親を認識することさえなく、外界から遮断されたような振る舞いを見せる。自閉症の研究の初期に認められたのはこのような顕著な障害の人たちだ。その後明らかになったように、自閉症にも軽重があり二項関係はできても三項関係でつまずく子供もいる。読んでいたときは、そういうものなのか、りおが幼児のときはどうだったかしら、と思っていたけれど、なんのことはない、今でもできていないんだ。全くできないわけではないから気がつかなかった。一緒に本を読むくらいはできるものね。人と一緒に何かをするという基本となるとても重要な機能なんだ、これは。どうやって、意識していこう??
2006/08/08
息子の特殊級の同級生でアスペのお子さんがいる。礼儀正しくしっかりしていて、勉強もできる方だし、甘ったれで幼い息子と比べるとうらやましいようなお子さんだけれど、やはり自閉は自閉で思わないところでトラブルを起こす。ある時、同級生(つまりその子も障害を持っている)をひどくおびえさせてしまった。ただ、悪意でやったことではなく、その子の掃除の仕方が不真面目だと怒ったらしい。彼の理解度からいえば、明らかに掃除の能力に欠けている子は判断できるのだけれど、集中力が低い子などは怠けているようにしか見えないのだろう。言葉が達者なだけに攻め立てられた相手は泣き出してしまったという。当然、先生からも注意されたが本人はぼくは正しいことを言ったんだと主張する。○○○君が掃除をさぼっていたから、注意したんだ。それなのに言うことを聞かなかったんだ。その子はできなかったのかもしれないとか、仮に相手が悪くてもやり方があるとか、話してみても、でも、相手が悪かった!というところに戻ってしまう。言葉は通じても、言葉で理解させられるとは限らない。冷蔵庫の中のペッパーの瓶を見ながら、そんな話を思い出す。息子の奴、何度言って、冷蔵庫の中に香辛料をしまうのを止めやしない。ラベルに冷暗所に保管というところを見て、冷たいところでなくちゃと言う。冷暗所と冷蔵とは違うのよ、と説明してみても、今は夏だよ!味が落ちるでしょ、と来る。夏になる前からやっていたくせに・・・こんなこと、たいしたことない、別に胡椒が冷蔵庫にあっても別にかまいやしない。冷蔵庫の場所はちょっとくうけれど。「じゃあ、今度からここを置き場所をしようね」と言ってやるのが、双方のために一番なんだと自分に言い聞かせる。言い聞かせながら、迷う。このこと一つならたいしたことじゃないけれど、この種のストレスは毎日出てくる。まるで、気の合わない嫁姑みたいだ。第一、私は我慢しても、社会は我慢なんかしてくれない。正しい正しくないは別として時には譲る! どうすれば学ばせられる???今日は原爆の日、ニュースで多数の大使が参加する中、アメリカ大使は参列しないということを聞いた。あの国も妙な所が狭量だ。それとも、投下した当事者としては当然の行為だろうか。私は投下の正当性は置いておいても犠牲者を慰霊することはよいことなのではないかとも思うけれど、被爆者の霊はどう思うだろう。自分たちの命を奪った国の代表の謝罪なき慰霊はやはり拒むだろうか。
2006/08/06
久しぶりに花火を見に出かけた。人ごみ、特に暑いときの人ごみは避けたくて、随分長い間ご無沙汰だったけれど、最近の花火ブームに刺激されたのか出かけてみた。最後に見たのはディズニーランドの花火だったかしら。昔ながらの丸く開くもの、柳のように落ちるものから、半円ずつ二色に染め分けられたものファイバーフラワーのように細い線の先に赤や青が灯るもの一度暗くなった後に金色の砂が長くきらめきながら、落ちてくるもの青白く光りながら、蛍のように動くもの形を競うもの、色を楽しむもの合間には変わり花火が打ちあがり、スマイルだったり、ハートだったり、観客の間からも「キャンディ?」、「メガネだ~」などと声が上がる。りおはあざらしのタマちゃんもあったと主張する。一際華やかなスターマインが上がって、1時間はあっという間に過ぎ、姉娘もりおも満足気。夜風に吹かれて、夜空を見上げて、日本の夏だな~
2006/08/01
姉娘の学資保険が満期になった。2才の時からだから16年。かけたときには満期は本当に遠くに思えて、学資保険を選んだのも、それほど真剣にあれこれ考えたわけでもなく、親の義務の一つだろう、という程度だったけれども、とにかく無事満期になり、これは大学進学の学資になる。りおにも同額の保険をかけている。姉娘の例があったから、りおの時は生後6ヶ月位で加入したと思う。今、中学で特殊級にいる息子だけれど、そのときには障害があるなんて夢にも思わなかった。この学資保険は満期を15才と18才を選べるけど、自分の子供は自分と同様に大学に行くことを深くも考えず当然だと思っていたから、迷わず18才にした。りおの分は学資にはならない。そういう意味では解約してもいいのだけれど、ゼロ金利がやっとなくなったばかりのご時世から見れば、はるかにいい利回りになっているから、貯金のつもりで続けている。どううまくいっても自立するのがやっとだろうから、お金はいくらあっても足りないけれど、できれば、なし崩しにするのではなく、何か生活を築いくための足がかりにしたい。何があるだろう。
2006/07/25
「かなり前だけど、カラスが生意気だったから、サッカーボールを思い切りけって、ボカンと当ててやったんだ」こんなことをよくいうのだが、この子の運動能力から考えてカラスに当たるはずがない。いや、石ならともかくサッカーボールに当てられるとしたら随分まぬけなカラスだ。カラスにボールをあててやったらスカッとするだろうな、と思ったと言いたいのが言葉足らずでこうなってしまうのかとも思うのだけれど、分からないんだなぁ。空想と現実がごちゃになる、少なくとも過去のことだと、本当にそういうことがあったと思い込んでしまうのかもしれない。はなから冗談めいた内容ならまだしも、こんなこと同年輩の子供に言ったら「当たるはずないだろ!うそつき!」となってしまうだろう。つまらないことで周りから浮いてしまうのよね。今日は猛暑も一服、朝起きたときにほっとしたわ。暑い夏はきらいじゃないけれどせめてもう少し湿度が下がって欲しい。
2006/07/17
昼過ぎ、外が薄暗くなっているのに気づいて洗濯物を取り込みにベランダに出た。夕立といっていたのが早まったかなと思っていたら、案の定雨が落ちてきて、空が光りだす。ぴかり、ごろごろとこれも夏の風情、と思っていたのは最初のうちで、その後の稲光と音は家にいても怖くなるほどすさまじかった。空は点滅しているように光るし、音もすごく近い。なんというか空自体をぐしゃとつぶしたような音が降って来る。そうこうしているうちにビシッと窓に何かあたる音に物が飛んできたのだろうかと目を凝らすとええっ、ヒョウ??? 雹など珍しくないという所もあるだろうけれど、私の雹の記憶って、子供の頃に見た記憶がかすかにあるかなという程度のものだ。いや、あれは小さかったからあられだったかもしれない。雨に混じって地面に跳ねる白い塊は痛そうだなと思う。以前、埼玉の自動車工場でできあがった新車が雹で傷だらけになり、社内販売にまわされたということをそこに勤める知り合いに聞いたことがある。雨にボツボツ混じっている程度だからそれ程ひどいことにはなりそうにないと思いつつ、道路に目をやると街路樹の葉がかなり落ちている。農作物は痛むだろうな。それ程荒れた天気も1時間ほどで終わり、あっというまに空には晴れ間が見えるのが逆に天の荒々しさを思わせる。天候は確実に荒っぽくなっている。今年の夏も覚悟しておかなくちゃ。
2006/07/15
昨夜のNHKで「自閉症の息子と過ごした15年・映画に込めた父の思い」というタイトルで紹介されたある自閉症のお父さんがいる。今年の春15才の自閉症の息子ヒロキ君を踏み切りの事故でなくされた山下久仁明さん。10才になるまで言葉を持たず、その後もオウム返し以上のことは難しかったという重度自閉症のヒロキ君。中学校を卒業し、高等養護への入学を直前の死だった。この方のことは以前、この日記のBBSに知らせてくださった方がいらして知ってはいたが、改めて在りし日の息子さんの姿、お父さんの思いを映像で見るともう、たまらない。自閉症の息子さんが一人歩きができるようにと何度も一緒に歩き、散歩コースにある店や住宅を訪ねて事情を説明し、理解を求め、少しずつ少しずつ一人でいる時間を増やし、やっと一人で散歩ができるようになったヒロキ君は、ある日、コースをはずれ、遠くの踏み切りに迷い込んでしまう。障害を持った子供の親の最大の課題はいかに自立できるように育てるかということだから、必死で計算を教え、文字を教え、身辺自立を教える。もし、りおが15才で人生を終わると分かっていたら、興味を持たない勉強なんかさせない。読みたがる図鑑だけ読ませ、好きなだけ虫と遊ばせ、親にだけ分かる話し方のままで、親子で楽しい時間を過ごす。どんな、親だってそうするに決まっている。いつか、自分が守ってやれなくなるから、その日のためにと犠牲にした時間を悔いる日がきたら、、、胸のうちを想像するのも辛い。山下さんは今、自閉症の青年が主人公の映画を作っておられるという。それは山下さんが人生を生き直すための手段にもなるのだろうが、私は映画自体にも興味がある。自閉症がテーマのものはレインマンを筆頭にいくつかあるけれど、主人公はたいてい周囲の人間だ。光とともにも主体は親の苦労、周囲の努力というもがメインではないだろうか。自閉症者の感情、思考、感性が感じられる映画があるなら是非見てみたいと思う。「ぼくはうみがみたくなりました」製作準備委員会
2006/07/14
誕生からある時期まで、定型発達の条件を満たしていた子供があるときから、後退してしまう折線現象というものがあるということは以前から知っていたが、この現象は自閉症の中でも特異なパターンであり、かつ原因も不明なものということで、私の頭に自分に係わることとしてひっかかることはほとんどなかった。先日紹介した本の中で著者はこの現象を調べなおしたところ、専門家が認識している顕著な症例以外にそういう傾向があるというものを含めれば自閉症の約半分にあてはまることに気づき、これについて記述している。言葉も話し、母親の呼びかけに反応して手を振っていた子供がその後何故自閉症症状を現すのか。他者との係りを築く能力の弱い子供でも、ある程度の力があれば母親との濃厚な関係の中では関係を築くことができ、その範囲での発達は正常である。それが、母親に密着する時期を過ぎ、他者との関係を構築する時期になったとき(著者はこれを立ち歩きする時期と重ねている)、これに失敗し、母親との関係も壊れてしまい、発達が停滞してしまうのではないかと書いているのだが、、、ということは、先天的に自閉傾向にある子供はこの時期の危機をうまく乗りきることにより、子供の自閉症症状はかなり軽くなる、あるいは正常範囲と思える範囲に留まれる、そういうこともあるのだろうか。ゲームやテレビのやりすぎによって発達障害に陥るということが日本小児科学会によって警告されている。ゲームをやりすぎれば問題が起こるのは当然のことで、同じくらいゲームをやって、順調に育っている子供、兄弟を見ている親としてはそれを発達障害と結び付けられるものか、と疑問う。しかし、例えばこういうことはあるだろうか。アレルギー体質に生まれた子供は他の子供と同じ食べ物を与えるわけにはいかない。先天的に他者とのかかわり能力が弱い子はアレルゲンを取り除くように、一人遊びの時間を避け、ひたすらかまい続けてやって、ようやく他者とのコミュニケーションを学んでいく。普通の子供には適度な息抜きのゲーム時間というものであっても、それ以前のミニカーを使った一人遊びでも、絵本を見る時間であっても自閉傾向の子供にとっては適切ではない、ひたすらひたすら、何かを話しかけ、一緒に遊び、他者との関係を丁寧に育ることが一番の療育、、そういうことがあるのだろうか。こんな疑いを持たせない、0才の時から顕著な自閉の子もいる、でも、ボーダーの子もまた、いる。りおは一人遊びが好きだった。一人で絵本を見たり、プラレールを並べたり、その様子はとても楽しそうだったから、その時期に自閉傾向にあることを気が付かなかった自分のうかつさは悔いても、そのこと自体がいけなかったという思いは微塵も持っていなかった。今更、それに私のような素人がいくら考えても仕方がない。でも、こうした仮説の積み重ねがいつか有効な療育メソッドを生んでくれることを願う。
2006/07/11
自閉症―私とあなたが成り立つまで 熊谷 高幸 (著)周囲の気持ちが読めない、こだわりが強い等の自閉症の特徴を紹介した本は多いけれど、この本はどうしてやりとりができないのか? どうして文字や機械が好きなのか? どうしてこだわりを示すのか? というように自閉児の特徴的な行動がどういう原因からもたらされるかに焦点をあてている。このように違う方向から見せてくれると分かることもある。例えば、りおは本が読めない。漢字は年相応よりは劣るかもしれないけれど、小学校レベルのものはマスターしているし、読解問題も5、6年生向きのものなら概ね解ける。好きな生物系のものなら大人向けの図鑑でも飽きずに説明を読んでいるのに、ストーリー性のあるものはまだ1冊も読み通したことはない。言語能力が弱いのだと思って、読解問題に力をさいたのだけれど、この本の中でこうした問題と時間の流れをつかむ能力の関係が指摘されている。時間の感覚が鈍いという特徴は自閉症の本の多くで指摘されているけれど、そういう特徴がストーリーを追えない原因となっているということには思い至らなかった。誰がああなって、こうなって、というような話の筋が頭の中でつみあげるのが難しいらしいということは想像がついていたのだけれど、時間軸ということが土台になければ確かに困難だろう。時間軸がしっかりしていないと文字ではなく、例えばテーマのある絵の説明ができないというように読み書き能力とは全く関係のないところに出てくる。この本の中にある例では、包帯をした子供がお母さんと一緒に園庭で遊んでいる先生と子供達のそばにいる絵がある。こういう絵を見て、どういう状況かと聞かれれば、小学生以上なら恐らく、」この子は怪我をしてお母さんと一緒に病院に行って、それから幼稚園に来て、友達が心配している、というように話すのだろうが、それができるのは絵が時間の流れの一瞬を切り取ったものであるということを理解し、その前後を想像することができなければならない。実際にはりおに見せたわけではないが、おそらくりおならこの子は怪我をしているので包帯を巻いている、お母さんのそばに立っている、位しか話せないだろう。こういう能力を開発するためには読解問題やもちろん漢字の練習ではなく、日記や作文により、話の流れを自分なりに組み立てるということが有効なのだそうだ。日記をつけるということにそういう意味があったんだ。その他、私の参考書
2006/07/10
先日、日記に書いた高等養護学校は授業の半分が職業訓練で、高校卒業と同時に働き出すということになる。その頃、姉娘はまだ大学生。楽しい毎日を送っているだろう。不憫・・という言葉が頭に浮かぶ。18才という年は社会に出るのに早い年ではないだろうとは思う。けれど、この子は人より幼いのだ。ハンデを持って生まれ、精神年齢が人より幼い。そういう子がどうして健常な姉娘より先に社会に出て行かなければならないのか。姉娘が22歳で社会に出るのなら、成長の遅いこの子は3,4年遅くてもいい位なのだ。誰もが大学に行くわけではないから高校を卒業して働くことを想定しても、せめて、20才過ぎてからにさせてやりたい。少子化の現在、高校も大学もお客様として受け入れてくれるところはどうやらあるらしく、形ばかりなら大学生にすることもできるかもしれない。知的レベルは低くても社交性があればそれなりに大学も意味があるかもしれないが、自閉傾向の子では居場所を見つけることもできないだろう。それに、働くということに慣れる期間はどうしても必要だ。先日の高等養護とは別の学校の話だが、職業訓練の時間は先生を課長と呼ばれるというようなことまでして、職業感覚を見につけさせるということを聞いたこともある。つまらなくても、疲れてもこつこつ働かなければならないということを言葉で言うだけでは分からない子ということは確かだから、普通の高校を出て、そのまま働くということは就職先があっても無理だ。段々行くのを嫌がって、あるいは無理をしてストレスで病んでしまうことは目に見えている。高校まで、小学校卒業位のことをゆっくり学び、その後2,3年、就労に向けての職業訓練を積む。そういうのが理想なのだけれど、、、、就労支援センターのようなものがぼつぼつできて来てはいるけれど、りおが18才になったときどの程度あてにできるようになっているだろうか。
2006/07/06
通学圏内に軽度知的障害児だけの高等養護ができるというので、説明会に行ってきた。障害の幅が広い生徒を対象とした従来の養護学校では適切な支援ができなかったところを改めるため、軽度に限定して職業訓練を行い、100%の企業就労を目指すという特別支援教育法を受けての自治体として展開する最大の事業なのだという。お役所だけで閉じていると、意気込みの割には変なものができちゃったりするのだけれど、民間の就労支援コンサルタントの意見なども取り入れて、なかなか良い内容になっているように思える。・ 頭を下げて、雇って頂くようなことはしない。 企業にとっても損のない人材に育てる・ そのために社会のニーズにマッチした職業教育をほどこす。 陶芸なんて有田焼産地でだって就労できない。 木工なんか刑務所製品にかないっこない・ 療育手帳、障害者枠をあてにすることもしない。専門家としての背景と意気込みを感じる話を聞いて、息子の進路の一つとして真剣に考えることにした。公の動きというのは無駄なところも多いけれど、財布も大きく、的確に動けば個人や民間の団体にはとてもかなわないパワーを発揮する。期待したい!
2006/06/30
息子が自閉を伴う発達障害と知り、中学を特殊級にと考え始めた頃、情緒級という言葉を初めて知った。それでも、情緒級の対象の多くが自閉症児だと分かるまではそれなりに時間がかかった。自閉症が情緒?どうも、しっくりこなかった。実際、ある自治体の情緒級の紹介には以下のような記述がある。”様々な原因によって、楽しいはずの学校生活になじめずに、学校を嫌がったり、情緒不安定になったり、 友達とうまく関われなかったりすることがあります。通級制情緒学級は、このような生徒に対して、本来もっている自分の力を発揮し、自信をもって楽しい学校生活が送れるように援助することを目的とした学級です。”先日日記にも書いたけやきの郷理事長(日本自閉症協会副会長)須田初枝さんのお話に情緒級の成り立ちについて、触れられたところがある。やまびこ作業所で働く須田さんのお子さん達は40代が中心らしいが、この年代の自閉症者の中で義務教育9年をまっとうできた方はいないという。長らく就学猶予の名の下に義務教育の外に置かれていた知的障害者が受け入れられるようになってからも重度の自閉症児を受け入れてくれるところはなく、須田さんたち親の会の働きかけでようやく、従来の知的障害とは別の障害として対応されることになり、杉並区立堀之内小学校に情緒障害級が設けられたのが1969年。そのときに親達は自閉症級としてくれと強く求めたのだが、受け入れられず、それは返す返すも残念だった、との言っておられた。自閉症の診断ができる医師も少なく、自閉症ではなく、知的障害でもない身体面以外の障害というものがあることを思えば行政としてもやむをえないものもあったろうが、自閉症級というものが誕生し、全国の都道府県に生まれていれば自閉症の認知も飛躍的に向上していたのではないだろうか。今度、情緒障害と自閉症を分ける方針が決まったと言う。歴史のページが進む。ゆっくりではあるけれども。
2006/04/08
けやきの郷理事長(日本自閉症協会副会長)須田初枝さんのお話を聞いてきた。須田さんは現在80才、日本の自閉症児を社会的に(家庭の中だけではなくという意味で)支えてきた親の第一世代ともいうべき方だろう。息子さんはIQ30以下という最重度自閉症であり、現在けやきの郷が運営するグループホームに住み、やまびこ製作所で働く日々だという。そのやまびこ製作所の様子を記録したビデオを見せて頂いた。そのきびきびした働きぶりに驚く。息子の特殊級の様子を見ていても思うことなのだけれど、障害児でも体操などで決められたプログラムをこなしているときにはその他の子とあまり、変わりなく見えることがある。休み時間などになると身体を揺らしたり、視線がふらふらしたりと、特徴が現れるのだ。しかし、ここの方達はそのギャップがさらに大きいとでもいうか、作業所へ行く様子(グループホームから歩いて通う)を見ると自閉症者の特徴が顕著なのに、作業中は自閉症に慣れてきた目で見ても、これが自閉症の人?というか重度の知的障害者なのか、と思うような動き方を見せている。(ここの方達は最重度から中度自閉症)パレットというとお分かりだろうか。コンテナ輸送でフォークリフトで持ち上げるときに使用する風呂場のすのこのようなもので、これがこの製作所のメインの製品になっているのだが、作業は釘打ちのエアガンや裁断のためのチェーンソーが回るかなり危険とも思える作業だ。それらの器具を操り、リズミカルに作業を進めていく彼らの動きは無駄がなく、視線も手元から外れない。事故の発生は過去十数年において2件の極めて軽微な怪我だけだそうで、むしろジョブコーチの職員の方が怪我をすることが多いと言う。しかし、何が驚いたといっても、驚いたのは2人一組になってあ・うんの呼吸で仕事をしますとうかがったときだ。釘打ちの作業は交互に行うのだが、当然、人によってスピードが違う。上手な人がリードして、遅い人のリズムに合わせて作業を進める。ペアはその日の都合でよく変る。そんなことが???これがどれほどすごいことか自閉症に慣れていない方には分かっていただけないだろうけれど、自閉症というのはコミュニケーションの障害なのだから、あ・うんの呼吸で動くし自閉症児では矛盾を起こしてしまう。いくら24時間生活をともにしている仲間の間のこととはいっても、生まれたときから一つ屋根の下にいる家族とでもコミュニケーションが困難なのが自閉症というものだ。私の驚きが間違いではない証拠に太田ステージで有名な太田先生がここを見学した際に、「どうして、こんなことができるようになったんですか!?」との問を発したそうだ。「どうしてでしょう?私達は実践家ですから、説明は付けられません。それは先生のお仕事でしょう。是非、研究して発表してください。」と言われて(頭を抱えて?)お帰りになったとか。須田理事長の息子さんは48才。作業所でもらう給料で生活をまかない、親の仕送りは元より障害者年金にも手を付けず、受給額が2000万円を超えて、過去の高金利もあったから総額は倍以上になっていると言う。規則正しい肉体労働で身体は健康であり、家では掃除、洗濯を各自が行い、余った時間はそれぞれの余暇(テレビを見たり、お気に入りの本を朗読したり、ぬいぐるみと遊んだり)を過ごし、年に何度かはイベントとして、スキー教室やディズニーランドに行く。自閉症の診断さえもままならず、療育という言葉はおろか障害者級にも入れず子供時代を過ごして来たIQ30にも満たないという人がこういう生活が送れるようになった、それはほとんどが親の力だった。この先、やらなければならないことを思うと重さに押しつぶされそうになるけれど、もしかしたら自分が期待した以上のものが手に入るかもしれない。須田理事長によれば現在日本の施設で成功しているのはほとんどお母さんが起こしたところで、何故かお父さんが作った施設はなくなってしまったそうです。それは違うの世代のお話ですよね。頑張れ!21世紀のお父さん達!
2006/04/05
姉娘は季節行事が好きで、花見はいつだとうるさい。家族揃っての花見にコンビニなんてもっての他という視線に押されて、作りましたよ、5時半に起きて。おにぎりに玉子焼き、ソーセージをゆでて、これは前の日に用意した筑前煮、トマトのサラダに大人用にスモークサーモンのマリネとデザートのオレンジまで添えれは文句はあるまい。お天気はよかったけれどあいにく風が強く、けれどまさに絵に描いたような桜吹雪だった。葉が全く出ていない時の桜吹雪も珍しい。日本人の桜観を私の拙い文章で表現しようとは思わないけれど、春にどれほど花が咲き誇ろうと例えばあたり一面のポピーに感嘆することはあるにしても、桜に魅せられる気持ちとはどこか違う。やはり、小さい頃からの思い出なのだろうか。家族で花見ということはあったけれど、あまりはっきりとした記憶がない。印象深いのは学校の桜か。入学式、卒業式、新学期しかし、お昼ごろになると桜吹雪と喜んでいる度合いを超えた強風となり、早めに帰ることにした。夕方にニュースによれば都心の最大瞬間風速31.4mとか。今年も天気が荒っぽいのだろうか。
2006/04/03
春休みに入り、それでも部活やら何やらで登校の機会が多いが、今日は何時に行けばいいの?持ち物は?とうるさい。登校してからやることを考えれば想像はつくだろうという理屈が通らない子だということは分かっているから、それじゃ、友達に電話して聞いてみたら?と言ってみる。でも、本当にかけるというとは思わなかった。中1、もうすぐ2年生になるというこの年まで、家族以外に、つまり私の携帯等にかける以外、人に電話なんてかけたことはないのだから。土壇場でやっぱりできないというかとも思っていたけれど、電話機を手にして、しばらくためらってから、教えられたとおり、名前を言って、○○君、いますか?とうまく友達を呼び出し、必要なことを聞いていた。その後、いきなり切りそうになったので、ありがとうは?と慌てて停めたけれどそれでも、進歩だわ。本当に、この年にしてのささやかな進歩だけれど、人並みのことをやらせるときに何度も練習し、お膳立てを整えてとやってきたことを思えば、一人で経験を増やして行けるのかと期待も生まれる。
2006/03/19
日本選手団が帰国した。当然とはいえ、報道陣がマイクを向けるのは荒川選手だけ。成田を出国したときは数人の方のお見送りでしたので、うれしいです。と当人も語っているけれど、本当に違う、違いすぎだわ。スポーツ選手としての栄誉は世界選手権でもオリンピックでも変わりないはずなのに、世俗的な意味は全然違う、それは分かっていたけれど、、荒川選手は2004年の世界チャンピオンだったというのに安藤、浅田と比べれば事前の露出度は1桁違っていたように思う。もう少し気配りというものがあってもよかっただろうに。手のひらを返したようなといっては言葉が違うだろうけれど、よくこれだけ臆面もなく扱いを変えられるものだわ。私も浅田真央がオリンピックに行けないのを残念に思った一人だったけれど、この騒ぎを見ると、若い彼女がもし金メダルを取り、この無責任な扱いにさらされなくてよかったとさえ思う。金メダルを取った瞬間から寝る時間も、折角現地に来ていて何より喜びを分かち合いたいだろう家族との時間も取れずにそれでも、疲れた様子も毎回同じような質問にもいやな顔一つ見せない荒川選手は本当に大人だ。この人が金メダルでよかった。安心してみていられるもの。
2006/03/01
特殊級教育のベテランの先生とお話しする機会があった。その先生が現在担当しておられる小学校の特殊級は軽度のお子さんばかり、IQでいえば80~90代で一見すると普通級と何も変ることがないのだそうだ。去年、別の学区から移られたのだそうだけれど、以前の学区は養護学校すれすれの子供が多く、そのギャップに苦労しておられるという。私みたいにボーダーの子供の親からすれば、軽いといってもその子の苦労は大きいのだから、特殊級に居場所があるというのはいいことだと思うのだけれど、それによって本来特殊級にいるべき子がはじきだされてしまうとか、障害ではなく不登校の子供のケアまでが安易に特殊級に回るというのはやはり問題があるのだろう。軽度発達障害が日の目を見たのは本当にここ2、3年のことだけれど、不登校は大きな問題になって既にゆうに10年は経つだろうに今だにこういった対応というのなら、発達障害の子供達の教育に日が当たるのはまだまだ遠い先のことな野だろうな。息子の教育は自分で考えるしかないということか。
2006/02/27
きゅうりがまだあったはずと野菜室を探してみると、2本ほど入ったジップロックが見つかったが、これがきれいに空気が抜いてある。りおは野菜を保存するとき、チャックを最後に閉じるとき口を空気を吸い出しておくのだ。「こうすると長持ちするんだよ」その通りです。こういうところを見ると頭が悪いようには思えないのにねぇ。自分が興味があれば周りから知識を拾ってこれるのに。それともこれがボーダーレベルというものなのかしら。注目の女子フィギュアこれまでも渡辺恵美や伊東みどりなど世界レベルの選手がいなかったわけではないけれど、これだけレベルが上がったことはなかったなぁ。しかも、この後に浅田真央がいるなんて、、、華麗なフィギュアは昔から人気種目だったから、子供のときから見るのが好きだったけれど日本選手が登場すると子供心にも画面から目を遠ざけたくなった記憶がある。技術的にも世界レベルとは程遠かったし、スタイルが全然違っていたもの。肢体の美を競う場に出るには正直辛かった。今大会、私の注目は村主章枝。あれ程、表現力のある選手は珍しいわ。演技を終えた後、くずれるようにコーチの胸に飛び込んだ様子を見ると耐えていた緊張の大きさが分かる。しかし、それにしても安藤美姫の扱いには首をかしげてしまう。数回に1度しか成功しない4回転を飛んで当然とでも言わんばかりの報道は彼女を苦しめてはいないのか。若い彼女が将来を目指して大技に挑んでみたい、それを応援しようというなら分かるけれど、4回転を成功させてメダルをというメッセージを繰り返すメディアの神経を疑う。怖いもの知らずでいられる年ではもうなく、それを乗り越えるだけの経験を積めない時期にオリンピックの大舞台を踏む彼女の表情が笑顔を作りながらも引きつって見えるのは私だけではないだろうに。
2006/02/22
学校の用事で何組かの親子が一緒に帰ることになった日のこと、息子が私から離れて級友と肩を並べて歩いている。普通の中学生のように会話を弾ませているわけではないけれど楽しそうな表情でぼつぼつと言葉を交わす姿を見ると変わったな、と思う。半年前、やはり同じような状況ではそれぞれの親のそばにいるか、一人でどんどん歩いていってしまうか、あるいはそばにいても顔も合わせないというような感じで、同じような障害を持つ級友に友達付合いを期待していた私は内心落胆していた。ほんとに社交性が弱いんだなと。社交性が弱くても、友達を求めないわけでない。半年かかってようやく親近感を育ててきたのか、あるいはそれだけの時間をかけないと友達だと認識できなかったのか。どうにせよ、楽しそうな息子の姿がうれしい。
2006/02/17
先日、今の子は本をよまないらしいと書いたけれど、それは始まってから既にかなりの時間を経過しているのかもしれない。美容院へ行ったとき京極夏彦を持って行ったら、「すごいですね。そんな厚い本よく読めますね。ぼく、活字は全然読まないんですよ。」といわれる。確かに京極は厚いけれど、全然かぁ。それで思い出したのが今、放映中のドラマ白夜行で、スタート時の主演俳優のインタビューで、原作はベストセラーですけれど読みましたか?と聞かれて、読んでいません。原作とドラマはイメージが違うことがあるので読まないようにしています。と答えていたことだ。それはもっともなことなのだけれど、この原作は上下巻になっていないのが不思議なくらいな大作の上にかなり意欲的なストーリー構成で活字慣れしている人間にとっても決して読みやすいものではない。そうか、原作だから読めと言われても読めない人もいたりするだろうな、と思う。あっ、もちろん、彼がということではありません。原作とドラマの違いというのは普通あるものだから原作のファンだとドラマは見たし、怖しという気持ちになるし、白夜行も原作の二人はもっと非情で卑劣で、ドラマはやはり甘く作ってある。ただ、この原作の特徴は主役二人の心理描写や二人きりの会話が全くなく、100%周囲の描写だけで二人の輪郭を描くところにある。二人のスタートとなった殺人事件の内容も本の大詰めでようやく明らかとなるくらいで読み手の想像力が大きく試される作品なのだ。となれば、ドラマはミステリにおいて親殺しに次ぐ大罪とされるネタバレのオンパレードなのだけれど、原作とドラマが陰と陽、それぞれが描いていないところを表しているという点で、私的にはぎりぎりOKのドラマの甘さを許容すれば、ドラマの後に原作を読み返すと楽しみが広がる。
2006/02/16
姉娘は来年受験、そろそろ本格的に予備校もと思っていくつか周ってみた。その一つで学力テストの結果を説明しながら、先生が「お嬢さんは本は読まれますね」とおっしゃる。「ハリーポッター・レベルなら問題ないんですが、、、」(もう少し複雑なものも読んで欲しい!!)先生はそれはうれしそうに「いやー、いいですね。本を読んでいるかどうかは大きな分かれ目ですからね。読まないお子さんは本当に読みませんから。読解力は受験勉強だけでは無理がありますから、これだけ読解力があるのは本を読んでいるからだと思いますよ。」(この程度の読解力が???)先生は続けて最近の子供は書く力も衰えている。作文を書かせる先生が減ってきて、、、作文を書かせない?どうも、子供にとって面倒なことは避けたがる傾向があるらしい。周った中には“受験生の皆様、ゆとり教育のつけをまわしてごめんなさい”と文科省の役人らしき人が頭を下げているイラストを載せたものもあった。もちろん宣伝と割り引くとしても今の子供の学力低下は相当深刻らしいと感じる。今朝、事実上のゆとり教育の変換という記事を目にした。ある社会統計で見ると私は受験戦争のピークのときに子供時代を過ごしたらしい。教育の大切さより勉強の弊害を言われることの方がずっと多かったような気がする。行き過ぎた振り子が今度こそ適当な位置に来てくれるといいのだけれど。
2006/02/09
ドラゴン桜を見ていた方は覚えておられるだろうか。頭の体操のため、トランプを全部足していくというものだ。1から13までの4組を全部足すと364になる。とてもそれは無理なので、1組でたまにやらせていたのだ。この答えが91なので我が家では91と呼んでいる。好きなドラマでやっていたものだとのりやすくて、なかなか真剣に取り組んでいたけれど、残念ながら一度の91になったことがない。りおは計算能力に問題はない。課題は集中力と頭の中にいくつかの記憶をためておくこと(ワーキングメモリと呼ばれるものだろう)、この場合だとそれまでの合計を頭のどこかに記憶しておかないといくつに足せばいいのか分からなくなってしまう。「31と7で38! 48と12で60!」なんていうことが少なからず起こるから、計算がどう正しくても最後は正しい結果にならない。根気よく続けようと今日もはじめたら、「これができたらボールバイソン(ニシキヘビの一種!)買ってくれる」「いいわよ。一発でできたら、何でも」といいかけて、一応「クワガタ、もう一匹なら」といったら、「ヤッター」と張り切る。と、ほんとに一発で正解してしまった。よかった。変な約束しなくて。「ちょっと、もう一度やって!」といったら、これも正解。ほんとにこいつって、動機付けがあるのとないのと大違いなんだ。こういうのをみると改めてなんとかならないものかと思うけれど、学校の勉強なんて強い動機付けがないものがほとんど。とにかく勉強しなさい、と知識を押し込まれるものが大部分だ。その知識自体に面白さを見つけられる、あるいは現実との結びつきがイメージできる子供が勉強が好きになる。付いていけないよね。これじゃ。
2006/02/03
アメリカの牛肉が輸入開始された途端、危険部位の背骨が混ざっていたということで輸入が再禁止になった。日本をなめているのか!という街の声も紹介されていたけれど、違うと思う。アメリカの品質管理ってああいうものだ。いやそれにしても一目で分かる背骨がどんと入っていたのはさすがに驚いたけれど。アメリカで生活で生活を始めたとき、色々な家電を買った。日本で家電を買って、1週間たたずに壊れる(あるいは最初から壊れている)ということはめったにあるものではないけれど、アメリカでは珍しいことではない。長く暮すわけではないからと安いものを買ったせいはあるだろうけれど、我が家では細かいものを入れてだけれど5つ位買って、2つは返品しなければならなかった。我が家がたまたま運が悪かったわけではない証拠に家電量販店の返品・交換をするカスタマ・サービス・コーナーはとても大きい。恥じることもなく、淡々と交換に応じている。もう一つ印象的なのはスーパーの商品だ。例えば封が切られているものなどがある。買うときにはしっかりチェックし、できるだけ奥のものを取ってくる。これなどは客のモラルの問題なのだろうけれど、卵などは5パックに1つは中が壊れている。日本のように透明なパックではないので、必ずあけて中身を確認しなければならない。知人はアメリカで暮らし始めた当初、レジで中身を確かめたかといわれ、明けてみたら本当に壊れていたので、教えてくれてありがとうといったのだが、後で日本なら私が感謝する筋合いではないわよね、といっていた。確かにそうだ。製造も流通サービスの品質管理も日本とは比べ物にならない。去年の今頃はアメリカで牛肉を食べていた私が気にするのも意味がないのだけれど、品質管理の問題は除いてもアメリカ牛肉の輸入はやめるべきだと思う。危ないと思うなら食べなければいいという人もいるけれど、食用肉だけならともかくコンソメスープや薬にカプセルのゼラチンまでとなると、加工品は避けようがない。その程度の量なら危険は低いとは思うけれど、そうまでしてアメリカ牛を入れて物価を少しばかり下げることが本当に必要とも思えないわ。
2006/01/22
夕食をテーブルに並べながら、姉娘が口ごもりながら話しかけてくる。学校の先生が心臓発作で急死されたと話し終わった頃には涙をこぼしている。担当ではなかったけれど好きな先生だったらしい。夕食の間中涙ぐんでいた。姉娘が今まで出合ったのは二人の祖父の死で、しかもまだ小さい頃だったから死というものをはっきり認識するのは初めてなのかもしれない。親しくしていた人がある日突然いなくなって、二度と戻ることはない。私の年になると既にいくつもの野辺の送りに立ち会っているし、当然天寿を全うしたという人だけではない。18歳で交通事故で死んだ従姉妹もいた。30代で3人の子供を残して癌で逝った同僚もいた。学校時代の級友も一学年に1、2人位の割合で既にいない。最近物騒といっても日本で死は日常的なものではないけれど、確率が低かろうと不慮の死に見舞われた時、周囲の痛みは果てしなく大きい。避けられないものだけれど、せめてあまり理不尽なものに出会いたくはない。でも、それは人智の外の事なのだよね。元気付けというほどのものではないけれど、今朝の朝食は姉娘の好きなクラムチャウダーを作る。お陰で遅くなってしまったけれど、ブランチもいいでしょ。しっかり食べて、日々の生命力を養ってくれ。それが辛さに耐える力を作ると思うよ。
2006/01/15
最近もう一つできるようになったことが、単語、あるいは漢字でもそうなのだけれど、離して書けるようになったことだ。何度言ってもapple apple apple と単語を離して書くことができなくて、appleallpealle 文を作っても Iamhappy.となってしまっていたのが、やっと離して書けるようになった。まだ、一文字分あけてバランスよく離すというところまでは行っていないのだけれど、それ以外にもノートのぎりぎり端から書いてしまうとか、見やすく書くということができない。こちらはノートがもったいない!という本人なりの理由があるらしい。「何度言ったらわかるの!」と声を大きくしたことも随分あって、本当に側について、ほらそこで1cmあけて!って怒鳴っても、鉛筆の先が前の文字のすぐ後にとまっていたりした。特殊級のママ友に聞いたら結構そういうお子さんは多いのだそうだ。案外息子の頭の中では単語がはっきりわかっていて、わざわざ離して書く意味がないのかな、などと想像してみる。
2006/01/09
「君を生んだとき私は何歳だったでしょう?」これを聞いたときにつっかえながらも引き算を持ち出してくれたのはうれしかった。発達障害のりおは概念の取得がむずかしい。計算は同年齢の子にそれほど遅れることはなかったけれど、計算の概念を理解するのが容易ではない。文章題でまず登場するのはりんごをいくつ持っています。3つもらうと全部でいくつですか、というようなものだけれど、これさえもちゃんと理解したのは5、6年生になってからだ。しかも、低学年の文章題は同じパターンの問題が並ぶために、出てくる数字を足せばいい、ということには気づいてしまい、私もきちんと理解していないということを見過ごしてしまっていた。個数の足す、引くが分かり、やっと距離、年齢に応用できるようになったんだなぁと思う「5年前、君はいくつでしょう?」というのが1年前は答えられなかったんだもの。何年前というのがどういう意味かから説明しなければならなかったし、それが分かっても、そこから引き算を使うということに進むのはまた、時間がかかった。今、挑戦しているのが掛け算、割り算で同じ数の塊がいくつかあって、というのがまだきちんとイメージ化されていない。もう少し時間がかかりそうだ。
2006/01/06
明けまして、おめでとうございます。日記を始めて、2回目のお正月を迎えました。拙い日記ですが、私にとっては心の支えであり、振り返れば息子の成長を知るよすがともなっています。これも、暖かく見守ってくださる皆様のお陰と感謝申し上げます。皆様、そしてご家族のご多幸を心よりお祈り申し上げます。新年初の日記ですが私らしく愚痴モードです。おめでたい季節に申し訳ありません。元日、実家へ行った。弟一家も来ており、子供の多いにぎやかな正月で楽しいひと時ではあったのだけれど、健常の子供達の間に入ると息子りおの課題がはっきり分かる。これはやはりへこむ。りおは「部活に入ったんだよー。」などと話題自体は適切だったのに、話すタイミングが分からない。相手がこっちを見ていないときにいっても誰も聞いてくれないってば。トランプを始めると低学年の子供より付いて行けない。まず、手先が不器用なのでカードを揃えるのが遅い。私が相手をしているときはもう、慣れているからゆっくり待ってやるのだけれど、他の子供って本当にあっという間にカードを揃え、不要なカードを捨ててみせる。遅い子には小さい子が相手でも容赦なく、「おまえ、おそいよ!」と声が飛ぶ。もちろん、りおにも。知っているゲームだったけれど、8切りだの5飛ばしだのローカルルールが加わって、りおは混乱する。何回かはやっていたけれどついには切れて、別の部屋に行ってしまう。一つ違いの男の子は頭もよく、少々生意気なところもあって、ここ1,2年りおをバカにするようになってきているし。りおは成長している。そもそも、低学年の頃は一緒に混ざることもできなかったのだ。子供達が集団でテレビを見ているときでさえ、隅で絵本を見ていたり、プラレールで遊んだりとマイペースだった頃に比べれば格段に人とのかかわりに関心を持ち、一緒に遊びたいと思っている。ただ、混ざるとできないことに一杯ぶつかる。離れていれば一人が好きな子ですんでいたのだけれど。これが普通の社会というものだ。学校を出たらこういう、いやもっと厳しい人間関係が待っている、と改めて感じさせられる。
2006/01/02
今宵はクリスマスイブ、去年は夫不在だったけれど、今年は4人揃ってだし、土曜日ということもあって、母を呼んで食事しようということになった。せっかくだからと楽天ランキング牛肉部門で最高級のステーキを取り寄せ、念のため前日に届くように指定したのに、来ない!配達状況をチェックしてみると、まだ現地の配達センターになっている。前日、関東以外ほぼ日本全国を襲った吹雪のために交通網が混乱しているのは知っていたけれど、取り寄せた先は高知だったから、まさか、と思っていたのだ。それでも、翌朝チェックしたら9時前に市内の配達センターを出て、配達中となっていたのでほっとした。これなら昼過ぎには届くだろう。しかし、オードブルやサラダ、ステーキの付け合せにと思って用意したポテトグラタンなどの用意が整い、さあ、いつでも始められるという時間になっても来ない。6時頃にやってきた母が道路がすごく混んでいたわ、というのを聞いて、最悪の事態を予想する。来なかったら近くのダイエーに走るか、と覚悟して7時にシャンパンを抜く。そうしたら、8時にピンポーン!間に合ったわー。何度かうちに来た感じのいいヤマトのお兄さん、何度も謝っていた。大変だったろうなぁ。クリスマス・ディナーで当てにしていたのが届かなかった怒るものね。うちにしても、ステーキだったからすぐ焼けるけれど、冷凍の七面鳥だったら、食べられるのは5時間はかかるもの。年末、クリスマスイブ、悪天候とここまで悪条件が重なっては世界に冠たる日本の宅配サービスもお手上げ、というより、普段が高水準のサービスを提供しているだけにとんでもないことになるのだろう。この10年、ネットを含む通販ビジネスの急成長に伴って、宅配で動くものの量は激増したはず。道路は倉庫と豪語したのはヤマトの社長だったかしら。この時期、日本全国で1日に吐き出される物がどこにあるのかと想像すると私でもめまいがする。「大変でしたね」と声をかけたけれど、お兄さん、表情が引きつったままだった。
2005/12/24
ゆず風呂に入ると、縮こまった血管がじんわり広がるのを感じる。快感だー。日本のお風呂のよさを改めて実感する。今日はひとしお風がひどかったわ。今年が暖冬なんていったのは誰だったのか、それとも年が明けるといきなり春のようになるとでもいうのかしら。コンテナの寄植えにしたパンジーは毎朝かわいそうなほどしおれている。それでも、昼になるとしっかり顔を挙げてくるから耐寒性に感心するわ。9月に植えた秋海棠は最初の霜で完全に再起不能になってしまったもの。今週になって、年賀状を書かせるついでにりおに干支を教えた。昨日、アニメの日本昔話に干支とあったので、これ幸いりおに見せたら、こんな幼稚園のみるものなんか!と怒るんだから、全く、、、冬至、天皇誕生日、干支、今月教える一般常識はこんなところかしら。冬至といっても分からないくせに、地球の自転軸が傾いていることは知っているのよね。本当に知識がつながらない子だわ。
2005/12/22
子供が犠牲になる事件が続いている。全部が全部性犯罪ともいえないのだろうけれど、子供に対する性犯罪というのは純粋な性欲というより弱いものを相手に自分の力を誇示したいという意味では同種の根があるような気がする。先日、アメリカの小児性犯罪者対策の特集番組を見た。アメリカでは小児性犯罪者はその所在を公表され、近隣の住民は自ら警戒する権利を与えられている。公開の方法は各州で異なるけれど主にインターネットで検索することができる。ある州では住居と車に見過ごしようのない大きなサインを出さなければならないのだが、ここは小児性犯罪者の家です、というサインの下でどうやって生きていけるのか、不思議でならない。今回の番組で見たのはカリフォルニア州のある前科ある男性の例が紹介されていたのだけれど、数度の少女への暴行で懲役を受けた過去がある。GPSを足首に付けたり、化学薬品で性衝動を抑制する(化学的去勢)というあたりまでは聞き知っていたけれど、実際の監視、規制は想像以上に厳しいもので、上述したように家にサインを出すことは命じていないが、・ 毎週、一週間の予定を担当者に提出する。それ以外の行動をとる場合はスーパーの買い物であっても随時許可を受けねばならない。・ 食料、衣服といった日用品を越えるものはすべて申請した上で許可を求めなければならない。パソコンは悪用を恐れたのか申請して6ヶ月許可を得られなかった。・ 極めつけは人間関係に関する規制で、個人的な人間関係を築く場合は、単なる友人レベルであっても自分の経歴を書面で提示し、それを了承した上で付き合うという意味のサインをもらわなければならない。 アメリカというのは時に極端に走るから、これもその一つなのか。そうではなく、本当にここまでやらなければならないほど危険な人物だというなら、社会で暮らすべきではないだろうとも思う。しかし、この種の犯罪者の再犯率とその結果もたらされる悲劇を思えば、これも必要ではないかとここ数日思っている。日本でここまでできるとは思わないけれど、GPSと月毎位の行動チェック程度はやって欲しい。その次に矯正プログラムを大きく強化して欲しい。今回続いた事件の結果、通学路の案縁措置のための予算が組まれたと聞いたけれど、矯正関係にも是非予算を組んで欲しい。現在の矯正プログラムは貧弱というよりないに等しいレベルで、これが成功すればそれがなによりなのだから。ただそれでも、これを二番目としたのはこの種のことは効果が出るまで時間がかかるからだ。これから予算を組み、専門家を集め、効果のある方法を探し、それを全国に展開して、実を結ぶまで、どんなに順調にいっても5年、恐らく10年程度の時間がかかるだろう。その間のリスクは別の方法で減らすしかないもの。
2005/12/20
最近、発表された最も酷い偽装マンションの強度は0.15だとか。それ以前でも規定値の30%とか40%という数字を聞いたときには本当にびっくりした。だって、手を抜く、質を落とすというのはせいぜい、2割、3割の範囲のことで、ここまで粗悪な品物を売るのは明日行ったら店をたたんでいるというような者以外ありえないだろう。品質3割などという偽装がまかり通ると思っていたのだろうかと思ったが、詳細が明らかになると、一人一人(組織?)が1、2割ずつの手抜きをしていたということらしい。ヒューザの幹部社員も自社のマンションに住んでいたというから、まさかそこまで危ないものになっているとは思っていなかったのだろう。人間の集団というのは意識を肥大化させる。いい意味でも悪い意味でもとてつもない勢いで動いていくものだ。2割安くホテルを作れますよというコンサルタント会社がいて、その意識は設計会社に移り、下請けが染まっていく。一つの組織が2割品質を落としてそれが、5階層あれば0.33になる8×0.8×0.8×0.8×0.8=0.33ねえ、りお。君はこの計算式を解くことはできるけれど、この式にこういう意味があることは分からないよね。それをなんとか、教えてあげたいの。君には無理なのかもしれないけれど、まだ、あきらめたくはないの。
2005/12/15
期末テスト只中のこと、息子の勉強を見ていて久しぶりにいらだった態度で接してしまった。息子のペースもそれなりに分かってきて最近はまあまあちゃんと教えられるようになったと思っていたところだったのに。息子のりおは中学1年だが特殊級のことなので、やっているのは5,6年生レベルの内容だ。ここが課題だと最初から意識しているところは問題も細かく用意するし、辛抱強く相手ができるのだけれど、こんなのが!っていうところに出くわすとつい乱れてしまう。今回は分数と少数が中心で、分数を少数に直したり、その逆にしたりという問題が多い。それは計算方法として分かっているので、計算ミスは別とすればたいして問題はない。分数と少数を比較して、どちらが大きいかという問題も、分数を少数に直して比較できる。次にいくつかの分数が並んで、小さい順に並べなさいという問題がある。1/2と1/3がどっちが小さいくらいは迷わず選べるのだけれど、3/7と1/2となると分からない。両方とも小数点に直すという手順にしてしまえば問題ないのだけれど、こんなのってぱっとわからない?このぱっとわからない?っていう所にぶつかるとこっちが混乱してしまうのだ。自分でもどうやっているのか分からないのだもの。だから、そういう時は切り上げなければならないのだけれど、明日が試験だしと思うとついあせってしまって、こんなこといわれたって余計混乱するだろうというような説明になってしまった。7の半分は3.5でしょ。だから1/2は3.5/7と同じだからといいかけて、分子に小数点なんか持ってきたら余計混乱するだろうと思い、直線を引いて、3/7ってどこか印を付けてってやってみたり。でも、そもそも直線を大まかに7等分するということができないのだ、この子は。手先の不器用さもあるのだろうけれど、分数の概念が分かっていない。ああ、もう一度気持ちを切り替えなくちゃ。
2005/12/07
知り合いの親御さんから、とてもよい歯医者さんを見つけたお陰で、なかなか治療が受けられなかった息子さんが普通の治療はもちろん、抜歯でもなんでも受けられるようになったという話を聞いた。例えば空気を当てる機械はまず、手に当ててみせ、次に頬にあて、それから口の中に入れていくのだそうだ。もちろん、その都度丁寧に説明してくれて、最初は怖がって口をあけなかった息子さんもすっかり落ち着いたのだとか。我が家の息子は特に知覚過敏な様子は見られないのだけれど、5年生の時に乳歯を抜こうとしたら頑として応じなかった。その時はそのまま、帰り、次のときによくよくいいきかせてなんとかなり、その後は抜歯もOKになって問題はないのだけれど、歯医者で苦労する親御さんは多いと聞く。実際、その歯医者さんも障害を持つお子さんの予約が一杯なのだそうだ。是非、そういう歯医者さんが増えて欲しいと思うのだけれど、そこで治療を受けるためには障害者料金が必要で通常の治療費のほかに2500円かかるという。障害者料金か。確かにサービスを提供する相手としては格段に手がかかる相手に対して、料金を要求するのは仕方がないことだ。お金を払ってもやってもらえばありがたいということは確かなのだし。でも、でも、合理的な説明以外の部分でひっかかりを感じてしまう・・・歯医者さんが悪いわけでは決してないのだけれど。
2005/11/25
ハンバーガーだけを食べて1ヶ月暮らしたらどうなるか、そんな馬鹿げた?画期的な?ドキュメンタリーがあったことは記憶にあったので、準新作のコーナーに見つけたのを機会に見てみることにした。そうしたら、姉娘、この映画は抜粋だけれどアメリカで生物の授業で見たという。あちらでは科目が細かく分かれていないので、家庭科、保健の多くの内容は生物で教えられる。栄養学や性教育もそうだ。お陰で避妊具の付け方もちゃんと習ってきたとか。この映画を見たときはご丁寧にその後に脂肪切除手術の映像も見せられて、それはそれは気持ち悪かったそうな。「真黄色の脂肪の塊がサクサク切られたんだよ!」と思い出して、顔をしかめていた。姉娘に言わせれば残酷コードにあれ程うるさいくせに、こんなものを授業でいきなり見せるのが信じられないのだそうだ。こっちが信じられないのはそういう肥満教育をしていながらどうしてあんなに肥満体が多いのかということだけれど。豊かな社会が続けばおのずと食べ物は量より質を好む成熟した嗜好になるのだろうと思っていたけれど、どうもそれほど簡単なものではないらしい。未だにアメリカではあふれるばかりのポップコーンや様々なトッピングで飾ったアイスクリームは幸せの象徴に位置づけられている。このドキュメンタリーはアメリカで二人のティーンエイジャーがハンバーガーを毎日のように食べたために超肥満となり、健康を壊したとマクドナルドを訴えたことから(訴え自体は棄却)、では毎日ハンバーガーを食べたら本当に病気になるのか、とある若手監督が自らを実験台に撮ったものだ。1ヶ月間のルールは以下の通り(書いているだけで胸がやける!)・ マクドナルド以外で買ったものは食べない、飲まない・ 3食必ず食べる・ 全部のメニューを試す・ スーパーサイズを薦められたら断らないこのスーパーサイズという言葉に代表されるのがファーストフード文化の異常サイズ(アメリカ人にとっても!)で、ドリンクのスーパーサイズは半ガロン(約1.8リットル)となる。こういう生活を1ヶ月続けたらどうなるかって、そりゃ、一回り太り、以降ハンバーガーショップの前を通ることさえイヤになることは容易に想像できて、さて、この切り口からどの程度アメリカ社会の食生活の偏り振りを描いてくれるのかしらと思っていた事前の私の予想は前半は大きく上回られ、後半については充分に応えてくれた。身長180cm、体重80kg、体脂肪率11%という日米どちらの基準に照らしても人もうらやむ理想体型、加えて3人の医者と栄養士、運動トレーナーに完璧な健康体とお墨付きをもらい、知的美人でベジタリアンの恋人が作った心づくしの夕食を食べて、ハンバーガー三昧をスタートした監督の1ヵ月後は?
2005/11/23
中学生の息子は給食があるからいいけれど、姉娘は毎日お弁当だ。私はおかずを作ること自体はさほど苦にならないのだけれど、昔から詰めるのが苦手で、満足いくようできたためしがない。別にきれいに飾りたいというのじゃないけれど、お弁当というのはピシッとぎっしり美味しいものが詰まっていなくちゃ、という思いとはうらはらにどうも隙間ができてしまう。ましてや、最近店頭をにぎわせているおせちの見本など見ているとこれだけ多種の料理をどうしてこんなにピシッと詰められるのか、見ては参考にしようと試みるのだけれどやっぱりダメ。もしや、私は空間配置能力が低いのか今朝のおかずはシュウマイに玉子焼き、ほうれん草とベーコンのソテーの付け合せ。シュウマイがおかずのスペースに縦に2つは並ばないし、斜めにすれば隅に空きができるし、玉子焼きを入れるとなおさら、隙間が複数になってほうれん草だけじゃ埋まらない。何かヒントはないかしらとネットを回ってみたら、、、、世の中にはすごい方がいらっしゃるものだぁ信じられない! 虐待弁当!私の目指すお弁当とは全然違うけれど、いやー、それにしても、、、
2005/11/17
中一の息子が先日ほめられて突き飛ばされたと混乱したという話を書いたけれど、叱られ方は課題の一つだ。最近、ある先生によく怒鳴られるという。「ぼくはちゃんと返事をしているのに(言っていないと)怒った」と恨みがましい目をする。学校に用事のあったついでに担任の先生に、どうなんでしょうか、と伺ってみると、あの先生は片っ端から怒鳴りますから、という、要は体育会系の先生なのだ。誰かに怒られる、うまく行かないというときに、この人は他の人とどう接するのかと観るようになったのはいくつくらいからだろう。誰にでも怒鳴るというならそれは自分が悪いんじゃない、怒鳴っているのは本当は怒っているんじゃなく頑張らせようとしている、そんなことを思うようになったのはいくつくらいなのか。「怒鳴って気合を入れる(この言葉は分かっているかな?)先生もいるの。他の子が怒られていないかどうかみてごらん」段々、覚えていってね。
2005/11/09
9月に作った秋の寄せ植えがまだまだきれいだけれど、園芸店に行くと早パンジーの海でこういうのを見ると飾りたくてたまらなくなってしまう。園芸店のご主人曰く、冬を飾るものは早めに植えてやって根を充分に張らせないと本当に寒くなってから植えてもだめですよ、と言われて、やっちゃうことにした。さて、冬の寄せ植えにはやはりパンジーを使いたいけれど、これは本来春の花だから、冬らしさを演出しながら、春にも似合うようにというと結構悩む。春の色をそのまま使ってはやはり冬にはちょっと軽く映る。冬は少し暗い赤が似合うかと以前、ボルドー色のパンジー中心にしてみたけれど、これは沈んでしまった。最近のパンジーは花色が豊富なのだけれど、とはいってももとが黄色と青が中心なので赤系にはくすみが残る。赤はシクラメンに頼ることにして、白と青で周りを飾ってみようかしら。冬らしさを演出するにはやはりシロタエギクかヘリクリサムの白っぽさがよいけれどどちらにしよう。あれこれ組み合わせを考えるのは楽しくて園芸店で1時間くらい過ごしてしまう。しかも、最近の冬の店先の豊富なこと!実家を出て以来庭と呼べるものを持ったことはないので、もっぱらコンテナが相手だけれど、ガーデニングを始めて15年位だろうか。始めた頃はパンジーを使うといっても冬は本当に凍えて、霜で葉の先を縮らせていた。彩りに入れていてもかなりを葉牡丹などに頼らなければならなかったのに、今ではストックまで“冬の間もよく咲きます“とポップ広告付きで並べてある。ガーデニングが盛んになって、品種改良が進んだこともあるのだろうけれど、やはり暖冬が大きいらしい。園芸店のように植物を扱っている人たちははっきり感じるらしく、「最近、庭木の手入れにいってもびっくりしちゃうんですよ、この木がこんなに大きくなるのっていうくらい育っていて、10年前とは全然違いますよ」と話してくれた。異常気象というのは30年に1度位の現象をいうのであって、毎年のように何年も続いたらそれは気象変動というのだそうだ。冬暖かいのはうれしいけれどこの変動をうまくのりこえられるのかどうか。私のような長期の考えが苦手な人間は目先の花選びの楽しさに浮かれてしまうのだけれど。
2005/11/03
息子の診断名は特定不能の発達障害。この名前って、よくわからないけれど発達障害なんだろう、という意味にしか読めません。本当は障害の現れ方が定型的ではないということなのらしいけれど、本当にわかりにくい!軽度時自閉症という言い方もあるけれど専門家のお話によれば軽いというよりもその現れ方が典型的ではない-例えば話し方ならオウム返しがあるとか―いうことではないという。いつもいつも、これは障害なのか、性格なのか、なぜこれができて、こっちができないのか悩んでばかりなのだけれど、今日のは分かりやすかったわ。学校から帰ってきたりおが憮然とした面持ちで話してくる。「今日、先生にほめられたのにつきとばされた!」要は先生がほめたときに、ドンと肩だか背中だか強くたたいてきたのでよろめいたということなのだ。あー、これだけ状況が分かるなんて本当にめずらしい、うれしくなっちゃうくらいだわ!幸い、ほめられたと突き飛ばされたということの主体はほめられたということにあるのだということは認識できていたので、そういうこともあるのよと話して、納得はしていないけれどそういうこともあるのか、という顔をしていた。これから段々慣れてくれるといいわ。
2005/11/01
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