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岸田政権が新潟県の柏崎刈羽原発周辺の避難道路整備について、国庫から予算を出すと決めたことに島根県知事が疑問を表明したことを、14日の東京新聞は次のように報道している; 岸田政権が6日に開いた原子力関係閣僚会議。東京電力柏崎刈羽原発(新潟県)の再稼働に向け、避難道路などを国負担で拡充する方針を決めた。そこに異論を呈したのが、島根県の丸山達也知事だ。同じく原発を抱える県のトップが怒った理由とは。丸山知事の主張をどう評価すべきか。(中川紘希) 原子力関係閣僚会議には、8月の段階で退陣を表明した岸田文雄首相のほか、林芳正官房長官や斎藤健経済産業相らが出席した。再稼働に向けて地元同意が焦点となる柏崎刈羽原発について、6方向で30キロ圏外へ避難するための道路整備の費用を確保することを决めた。県の負担を極力減らし、道路拡幅や橋の耐震化を進める方針という。 岸田首相は「東日本の電力供給構造の脆弱性、電気料金の東西格差などの観点から、再稼働の重要性は高まっている」と強調。関係閣僚に「避難路の整備など避難対策の実効性を高めて」と指示した。 国の方針を巡り、丸山知事は11日の定例会見で「住民の避難対策は柏崎刈羽だけに求められるものではない。なぜ新潟だけ特別に対応するのか」と口にした。 島根県は政府に対し、要支援者を含めた住民避難の円滑化のため道路整備の拡充を訴えてきた。県の担当者は「具体的に建設や拡幅をしてほしい道路を明示しているわけではないが、避難経路の充実の支援を求めている」と話した。他に地域振興の交付金の拡充、中国電力への事故発生時の汚染水対策の指導も求めた。 県都の松江市には中国電力島根原発がある。2号機は8月の再稼働か計画されたが、工事の長期化で12月に延期された。丸山知事は、島根原発は30キロ圈に人口約45万人が集中する特殊性があると指摘。「なぜ新潟の豪雪地帯という特殊性だけに対応するのか。説明がないのは問題だ」と語る。 特別扱いに首をかしげるのは知事だけではない。 島根大の保母武彦名誉教授(地域経済学)は「原発は沿岸部や過疎地に建設される。道路は少なく、避難路の確保の問題は全国共通だ」と話す。 それなのに、政府が新潟に重きを置くのはなぜか。 新潟国際情報大の佐々木寛教授(政治学)は「政府にとって柏崎刈羽の再稼働は悲願だ。事故を起こした東電の原発で再稼働が認められれば、他の再稼働に向けても弾みが付くという期待もあるのでは」と話す。 「東電も原発を再稼働すればもうけが増える。福島原発の処理費などを負う立場としては一日も早く動かし利益を出したいのだろう」◆費用投じたら解決できるの? 新潟県内で支援を厚くしても懸念は残るという。 2021年に県が行った避難計画の検証では、原発30キロ圈の住民が一斉に避難すれば放射性物質の検査地点で大規模な渋滞が起き、圏外への避難完了までに130時間かかるとされた。 佐々木氏は「地震などで損傷する道路の位置や数によっては、避難時間がより長くなる。道路を拡充し、その時間を少し削ることができても、焼け石に水だ」と語る。それでも「支援」をうたう政府については「道路の建設費を地元に差し出すことでリスクをのんでほしいだけだ。本当に安心安全につながるかは考えないといけない」と訴えた。 他の地域でも住民避難は容易ではない。 前出の保母氏は、島根県の避難計画でも道路寸断や土砂崩れといった複合災害のリスクが十分に検討されていないと批判。風向きによっては放射性物質が同県の隠岐島を覆い、島民は逃げようがなくなることも例に挙げ、「どれだけお金をかけても、避難にまつわる全ての懸念を解消しきれないのが原発の問題。安全な再生エネルギーの活用へと転換すべきだ」と話した。2024年9月14日 東京新聞朝刊 11版 18ページ 「こちら特報部-島根県知事、怒ったわけは」から引用 政府が新潟県の原発事故避難道路にはカネを出すのに、なぜ島根県の事故避難道路には出さないのか。政府は言い訳として「電力需要の違い」とか「柏崎刈羽の原発が稼働できれば、周辺の再稼働にも弾みがつく」などと言ってるが、本当のところは自民党に対する東京電力と中国電力の政治献金額の差ではないかと思います。それにしても、政府が莫大な予算を支出して避難道路の幅を広げて耐震性を強化したところで、いざ事故ともなれば、それでも避難を完了するまで130時間かかるということが、今から分かっており、この問題はどうにも解消のしようがありません。と言うことは、やはり、発電事業に原子力を使うのは「邪道」であることを意味しており、このような「一度使ったら、使用済み燃料を20万年も『保管』しなければならない」などという原子力発電は、経済原理にそぐわないものであり、人類が手を出してはならないものであることを、私たちは知るべきだと思います。
2024年09月30日
昨日の欄に引用した「前衛」の記事の続きは、防衛省がかつて自衛隊員が宗教施設へ出かける際の「隊員としての心得」を作成し、参考書として出版社から出版されていること、靖国神社参拝は陸自に限らず、海自も遠洋航海に出かける前に、毎年参拝しており、これも違法性が疑われること等について、次のように書いている;■違反を見逃す防衛省 陸幕副長らの靖国参拝の話に戻ろう。 防衛省の調査では「私的参拝だった」「部隊参拝や参加の強制には当たらないことから、宗教的活動に関する事務次官通達の違反は無かった」とした。 しかし、防衛省の調査がずさんだったことが徐々に分かった。その端緒は、防衛省が日本共産党の穀田恵二衆院議員に提出した「令和6年の年頭航空安全祈願実施計画」と題した一部黒塗りされた文書だ。内容は、小林弘樹副長を委員長とした陸自航空事故調査委員会による靖国参拝の日時や集合時間、記帳はどの肩書きで行うか、などが事細かに記されている。そして、提出されたのはもう一つ。「令和6年の年頭航空安全祈願ロジ」という文書がある。「実施計画」と内容が重複しているが、勤務員の配置図や小林副長を案内する際の動線を記したものとなっている。 これらは、防衛省の説明によると「私的文書として作成され」たが、陸自幹部らの所在等を共有する目的で、「陸上幕僚監部内に共有されたため行政文書になったもの」との主張だ。 しかし両文書を見れば、「私的文書」のはずがなく、これだけ綿密に計画した参拝が「私的」参拝なわけがないと思うだろう。 実際、2月13日の衆院予算委員会で資料として配布された際、委員会席から与党の議員からも「これは(私的参拝で通すのは)無理だろう」といった声があがった。 穀田議員は両文書を示し「(事務次官通達が禁じる)部隊参拝以外の何物でもないじゃありませんか」と迫った。 対する木原稔防衛相は「参拝案内を41人に対して行いまして、そのうち22名が参加したものです。19名は不参加の意思表示をしたということであります」と答えた。参拝に誘った者のうち19人が参加しなかったから、通達違反ではない、という理屈だ。 ここで穀田議員が切り返す。 「自衛隊は、当時、能登半島地震の対応で非常勤務態勢が発令されていたわけです。19名が参加しなかったのはそのためなんですよ。小林副長ら幹部は、そうした非常事態の最中にもかかわらずその参拝を行った。つまり、震災対応より靖国参拝を優先させたということが大事なんですよ」 そして穀田議員の質問で、もう一つの焦点は文書の黒塗り部分に何が書いてあるのかだ。 穀田議員は「部署の名前が記されているとすれば、『実施計画』は私的文書として作成されたものではなく、航空事故調査委員会の庶務を担当する部署が公務として作成したことになります。木原大臣は黒塗りが外れたものをごらんになっているはずですよね。ですから、そうした記述があるのかないのか、明確に答弁すべき」とたたみかけた。 木原防衛相は「隊員それぞれにも信教の自由があります。したがって、隊員が特定され得る情報につきましては、その信教の自由を侵害する恐れがあることから、極めて慎重に取り扱うべきだ」と、答弁を拒んだ。さも、黒塗りの下には隊員の個人名でも書いてあるかのような言いぶりだった。 しかし、木原防衛相のごまかしはすぐに破たんした。4月3日の衆院外務委員会で、穀田議員は独自に入手した黒塗りが外れた「実施計画」を示したからだ。 黒塗りで隠されていたのは、隊員の個人名などではなく、「装備計画部」という航空事故調査委員会の庶務を担当する部署だ。 この日答弁に立った鬼木誠防衛副大臣は「防衛省としてこれまで公表した資料であるとは承知しておりません。どういった経緯によって入手されたものか明らかでない限り、当該資料の性質や位置づけについてお答えすることは困難でございます」とまともに答えなかった。木原防衛相も鬼木副大臣も、黒塗り前の文書を見ている。本来なら、小林副長らの参拝が「部隊参拝」であるとして、指導・監督すべき立場にありながら、国会での追及に、ごまかしの答弁で陸自幹部らの言い逃れを見逃そうとしたのは情けないと言わざるを得ない。■防衛省ルールでも”アウト” そして、この質疑でもう一つ明らかになったのは、今回の参拝が防衛省で積み重ねてきたルールから見ても「公的参拝」となるということだ。先に紹介した文書「安全祈願ロジ」には、陸上幕僚監部の担当者が防衛省人事教育局からの聞き取り内容をまとめたものがあった。それは「私人としての参列については、以下の要件を満たす必要がある」として、「私的参拝」の6要件が書いてあった。この一つにでも反すれば「私的参拝」と見なすことができない。「1、記帳に関して、職名、肩書を記載しない。2、玉串料等については、私費で支弁する。3、官用車の使用を控える。4、随行者はつけない。(以下略)」 本稿冒頭の参拝当日の様子を思い返していただきたい。小林副長らは官用車を使い、随行者を伴っていた。これは”勝負あった”というべきだ。公的参拝以外の何物でもない。 この穀田質問に続いて「しんぶん赤旗」(4月7日付)は、陸上幕僚監部の人事部が監修した本でも、小林副長らの参拝が”アウト”になることがわかった。その本は『陸上自衛隊 新服務関係Q&A』(学陽書房)という自衛隊員向けの本だ。 この中で「神社の例大祭に招待を受けた場合、これに参加してよいか」という問いがあった。これへの答えは「次の事項に留意することが必要」として「官用車を使用しないこと」「随行者は伴わないこと」などの4点をあげていた。こうした本にまでまとめられている服務関連の”イロハ”を陸自幹部が知らないことはないだろう。小林副長らの参拝は、明らかな「部隊参拝」だったと言える。 これだけ明らかな通達違反を防衛相が先頭に立ってごまかしにかかることに危惧せざるをえない。 山口大学の纐纈厚名誉教授は「しんぶん赤旗」(1月17日付)のインタビューで「今回の行動は、こうした文民統制が全く機能していないことが明らかになった事件として厳しく批判されるべき」と述べた。文民統制(シビリアンーコントロール)とは「自衛官は文民統制に服し、軍事組織としての自衛隊が再び戦前の軍隊のように政治介入し、侵略戦争へと誘導した歴史を繰り返さないよう」にした仕組みだ。自衛隊を旧日本軍のようにはさせないための歯止めが、ここでも掘り崩されようとしている。■”忠誠心”試す海自「研修」 靖国神社への集団参拝が、陸自だけにとどまらない。 「しんぶん赤旗」(2月17日付)は、昨年5月に海上自衛隊の練習艦隊が遠洋練習航海を前に司令官(当時)の今野泰樹海将補はじめ、一般幹部候補生課程を修了した初級幹部ら165人が正式参拝したことを報じた。 靖国神社の社報『靖国』(2023年7月号)には白い制服姿の海上自衛官がずらっと並び、頭を下げる写真が掲載されていた。 海自の広報文書によると、この遠洋練習航海に派遣予定者数は「約160人」となっている。『靖国』には参拝者数が165人となっている。派遣予定の初級幹部全員が参拝したのではないのか。 陸自の参拝で、木原防衛相は参拝に不参加だった者がいたことをあげて、隊員の自由意思による「私的参拝」だと強調していた。とすれば、海自の場合は「部隊参拝」にあたるのではないか。社報『靖国』をさかのぼってみたところ、新たな事実がわかった(「しんぶん赤旗」2月26日付)。少なくとも1998年から海自の練習艦隊はほぼ毎年、靖国神社に集団参拝をしていたのだ。参拝が確認できなかったのは新型コロナウイルスが世界的に流行していた2020年から22年の3年。それを除いて毎年、集団参拝をしていたことが確認できた。海自の広報文書で、遠洋練習航海の派遣予定の初級幹部の数が確認できた2015~19年、22年の参拝者数を比べてみた。それを見ると、参拝者数が初級幹部の人数を下回ることはなかった。 取材班が防衛省に取材すると、木で鼻をくくったような回答だった。昨年5月の参拝について防衛省は「歴史学習のため九段下周辺にある史跡等を巡る研修を実施しました。この際、当該研修の休憩時間を利用し、個人の自由意思により靖国神社を参拝したと承知しています」というのだ。 また公用車を使用したか尋ねると「練習艦隊が停泊していた晴海ふ頭から九段下までは官用バスにて移動、その後、史跡等の間は徒歩で移動しました」と答えた。遅くとも1998年から靖国参拝が行われていることを尋ねると、「練習艦隊として、靖国神社を参拝した事実は確認していません」とした。 とんでもない回答だろう。「史跡等を巡る研修」という名目をつけて、靖国神社が近い千代田区九段下まで初級幹部らを公用バスで運んだという。これは、靖国参拝に仕向けるためのお膳立てと言われても仕方ないだろう。しかも防衛省と海自は、休憩時間中の”自由意思”による参拝ということで、責任逃れができるということだ。 想像してほしい。「研修」と称して、靖国神社のそばまで連れていかれ、これから数力月の遠洋練習航海を前に、航海を共にする司令官や同僚から「みんなで参拝に行こう」と誘われたら、それを断ることがどれだけ難しいかを。 恵泉女学園大学の斎藤小百合教授(憲法学)は「自衛隊という上意下達の組織で、どこまで個人の自由意思が守られるのか。忠誠心をあおり、従わない者をあぶりだす役割を果たしていないか」と「赤旗」のインタビュー(5月3日付)で語っている。海自の事例は、まさに靖国神社が「忠誠心」を試す場に利用されていないだろうか。(つづく)月刊「前衛」 2024年8月号 58ページ 「自衛隊と靖国神社の点と線」から一部を引用 かつて防衛省は防衛庁だった時代に、新しい憲法の下で民主主義国にふさわしい組織として実力部隊を文民統制の立場から運営するという「自覚」をもって、自衛隊員が宗教施設を訪問するには、どのような点に留意する必要があるのか、子細な規則を定めたのであったが、戦後80年に近くなって与党が世襲議員だらけになると、文民統制の意味を理解せず、自衛隊員のルール違反を諫めるどころか、必死にごまかして、明らかなルール違反も「問題なし」として片付けるということを、今後も繰り返していけば、やがては国を亡ぼすような大惨事を引き起こしかねません。このような問題を、軽視せずに「非」は「非」として厳正に対処していく必要があると思います。
2024年09月05日
カネに汚い自民党の政治家の「問題」について、政治資金報告書に不記載にした「裏金」が1542万円もあることが発覚して自民党から離党勧告を受け、党には離党届を出したのかまだ未提出なのか不明であるが、自民党和歌山県参議院選挙区第1支部の代表者は今だに世耕弘成氏本人であることが、和歌山県選挙管理委員会の調査によって判明している。この問題について、17日の毎日新聞は次のように報道している;◆企業・団体献金の「抜け道」 国会議員が、自ら代表を務める政党支部に寄付して所得税の控除を受ける「税優遇」問題。その舞台となった政党支部は、これまでも政治資金に関するルールの「抜け道」として使われてきた。 6月に成立した改正政治資金規正法には税優遇の見直しに向けた規定が設けられたものの、政党支部の在り方を巡る議論は手つかずのままだ。 自民党派閥の政治資金パーティー裏金事件が2023年12月に発覚し、国会は規正法改正を議論した。パーティー券購入者の公開基準を「20万円超」から「5万円超」に引き下げるなどの項目が盛り込まれたが、企業・団体献金の見直しや政党支部の在り方には踏み込まなかった。 政治家の側の意識も変わっていない。 組織的な裏金づくりを続けてきた安倍派参院トップだった世耕弘成前参院幹事長。自らも1542万円の不記載が発覚しながら、「秘書に任せきりだった」などの釈明が批判を浴び、離党勧告を受けて24年4月に自民党を離党した。 ところが今も、世耕氏が党支部の代表にとどまっている疑いが浮上している。 世耕氏が代表を務める党和歌山県参議院選挙区第1支部は20~22年、日本薬剤師連盟から計260万円、22年に日本医師連盟から100万円の寄付を受領している。県選挙管理委員会によると、今月15日時点で支部の解散届や代表者を交代する異動届は提出されていない。 離党後も支部の代表に就いていれば、企業・団体献金を受け取ることは可能だ。毎日新聞は世耕氏側に解散届を提出していない理由や提出予定の有無などを質問したが、期限までに回答はなかった。 税優遇問題では、国会議員が自ら代表を務める政党支部に寄付し、所得税の控除を受けていた事実が相次いで発覚した。 控除は有権者の政治参加を促すため、租税特別措置法で定められた制度。政治家が自身の資金管理団体や後援会に寄付する場合は「特別の利益」が生じるとして対象外になる仕組みだ。しかし、政党支部のみが規制のない「抜け道」になっているのは、企業・団体献金と同じ構図だ。◆進まぬ制度設計の議論 安倍派からの還流(キックバック)を原資にした寄付で税優遇を受けた自民の菅家一郎元副復興相は、問題発覚後に「何ら法に違反していない」「私だけじゃない」と開き直った。 6月に成立した改正政治資金規正法は、付則で税優遇の見直しを「検討事項」としたが、具体的な制度設計の動きは見えない。 改正法の責任者を務めた自民の鈴木馨祐(けいすけ)氏は6月の参院審議で野党から秋の臨時国会までの見直しを求められた際、「税制改正と一緒にやっていく認識だ」との考えを示した。税優遇を認めない範囲に親族からの寄付を含めるのか、税優遇を受けた場合の開示ルールを定めるか、などの論点が想定されるが、税制改正大綱が策定される年末まで本格的な議論が先送りされる可能性がある。2024年8月17日 毎日新聞朝刊 13版 3ページ 「世耕氏、離党後も自民党支部を維持か」から引用 政権を担う天下の自民党が、政治資金規正法に抵触した党員に離党勧告をしたというのに、勧告を受けた本人が表向きは「勧告を受理」したような顔をしながら、実は裏では自民党和歌山県参議院選挙区第1支部の責任者として大きな顔をしてふんぞり返っているというのは、実に有権者を馬鹿にしている。離党勧告を出した党中央はメンツにかけても和歌山県警を動員して党和歌山県参議院選挙区第1支部を家宅捜索し、離党後も同支部に届けられた政治献金を、相変わらず世耕氏本人が着服しているのかどうか、徹底解明するべきだと思います。本人に質問をしたが期限までに回答はなかった、で終わりにしてはならないと思います。
2024年08月30日
鹿児島県警で生活安全部長をしていた人物が守秘義務違反で逮捕された事件は、実は県警本部長の不正を暴露したことに対する組織的報復であるらしいという疑惑もあり、前文科事務次官の前川喜平氏は、9日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 守秘義務違反で逮捕された鹿児島県警の前生活安全部長・本田尚志氏が、裁判所の勾留理由開示の場で、野川明輝県警本部長が警察官による盗撮やストーカー犯罪を隠蔽しようとしたことが許せなかったと語った。事実なら本田氏の行為は犯罪どころか、警察の不正を糾す正義の行為だ。 野川本部長は「隠蔽の意図」を否定し、露木康浩警察庁長官は盗撮やストーカーについて「必要な対応がとられた」と説明したが、本田氏が隠蔽に関する文書を某記者に送ったのが3月28日、盗撮警官が逮捕されたのが5月13日だから、「隠蔽しようとしたが、露見しそうになったので、慌てて逮捕した」というのが真相だろう。警察は長官以下組織ぐるみで「隠蔽を隠蔽」している。 日本の警察は政治権力に従属し、上には弱く下には強く身内には甘い組織に成り下かっている。そんな警察に我々の安全を託すことはできない。 警察を民主的に統制するのは公安委員会の任務のはずだが、国家公安委員会委員長の松村祥史国務大臣は露木長官と同じことしか言わなかった。国家公安委員会の委員は年間2千万円以上の報酬を得る常勤職だ。県の公安委員は非常勤だが、その報酬は年間200万円を超える。彼らはその報酬に値する仕事をしているのか。警察の不正を見逃すだけなら報酬は返上した方がいい。(現代教育行政研究会代表)2023年6月9日 東京新聞朝刊 11版 23ページ 「本音のコラム-公安委員会は何してる?」から引用 警察官の不祥事というのは、神奈川県でも時折発生しているが、県警本部長ともなればこれは地元の生え抜きではなく、国家公務員が出向という形で勤務している可能性もあり、だから警察庁長官もコトを荒立てないように「必要な対応がとられた」などと無難な答弁をしたように見える。しかし、本田氏が北海道の知人ジャーナリストに電子メールで送ったという「事件の概要」を綴ったファイルは、鹿児島県警がメールを受領したジャーナリストの事務所を家宅捜索してパソコンごと押収してファイルは削除したという念の入れようからして、もっと深い「闇」があるのか、警察庁長官の立場も危うくなるような大事件が隠れているのか、実に怪しげな事件である。
2024年06月25日
自民党で秘密裏に裏金を党から議員個人に支払っていたことが発覚して以来、国会では政治資金の透明化について議論が続けられているのだそうだが、野党各党が主張する常識的な対策(案)が提案されているにも関わらず、長年莫大な「裏金」で潤ってきた自民党は、政治資金の透明化には絶対反対を主張していると、2月18日の神奈川新聞が報道している; 自民党派閥パーティー裏金事件を受け、政治資金透明化の議論の中で「政策活動費」に焦点が当たっている。使途を報告する義務がなく、かねて不透明さが指摘されてきた。自民以外の各党が廃止や使途公開を主張する一方、岸田文雄首相は「政治活動の自由」を盾に指摘を受け止めず、かたくなな姿勢を通す。■合法的裏金 政策活動費は、政治資金規正法など法令で位置付けられたものではない。政党から党幹部ら主に個人に宛てた支出のことで、費目として便宜的に政策活動費と呼んでいる。寄付とは別の扱いだ。 受け取ったのが政党支部や政治団体なら、政治資金収支報告書で支出をうかがい知ることができる。だが個人で受領していれば、使途の報告義務はない。ブラツクボックスと呼ばれるゆえんだ。 裏金事件では「派閥から還流された金は政策活動費だと思った」と収支報告書に記載しなかった釈明にも使われた。 5日、立憲民主党の岡田克也幹事長は衆院予算委員会で「領収書が要らない巨額の合法的裏金だ。政治資金を国民が不断に監視するという規正法の考え方に反している」と廃止を訴えた。■自民が突出 2022年分の政策活動費を各党の収支報告書で見ていくと、突出していたのが自民党だ。執行部15人に計14億1630万円が渡った。筆頭は茂木敏充幹事長の9億7150万円で、遠藤利明選対委員長(当時)、麻生太郎副総裁らが並ぶ。 野党が目を付けるのは二階俊博元幹事長。16年8月~21年10月の在任期間中に受け取った額は約47億8千万円に上る。衆院予算委では「果たして使い切ったのか」「幹事長を通じて派閥に渡ったのではないか」などと疑義が呈された。 桁は小さいが野党にも支出はあった。事件を受けて立民、日本維新の会、国民民主党は廃止や禁止を主張。公明党と社民党は使途公開を唱える。■「適切」処理 「歴代の党幹部は党勢拡大など適切に処理していると認識している」。14日の衆院予算委で首相は、選挙買収に充てたことはないか問われ、確認していないが正当だという曖昧答弁に終始した。 立民の階猛氏から、まず資金管理団体に入金して収支報告書に記載するよう促されても「政治活動の自由との関係、個人のプライバシーや企業秘密」を理由に事実上拒否。「政策の方向性が外部の勢力や外国に把握される」とも付言した。 「党に代わり役職者が党勢拡大や政策立案、調査研究のため支出する」(首相)という使途。複数の政党幹部や関係者は実態について(1)選挙の陣中見舞い(2)国会対策として与野党議員の会食(3)無所属議員の支援(4)報道関係者と会食-などと証言する。陣中見舞いは候補別に額が異なるので、収支報告書に載せないよう念を押すという。 政党には税金を原資とする政党交付金が投入されている。自民ベテランは「内閣官房報償費(機密費)と並ぶ『最後の聖域』だが風当たりは強い。手付かずで済むとは思えない」と漏らした。2024年2月18日 神奈川新聞朝刊 7ページ 「政策活動費 首相かたくな 『自由』盾に指摘聞かず」から引用 「政治活動の自由」という概念は、権力の座にある者が己の統治支配の体制を強力なものにするために反対勢力の活動の自由を奪うときに、弱者の側が自分たちの権利を守るために主張する概念である。それを、権力の座にある者が自分の不正を隠す目的で「政治活動の自由」を言うなどは、噴飯ものと言うほかはない。例えて言えば、岸田首相が「政治活動の自由」と言うのは、泥棒が「窃盗活動の自由」を主張するようなものだというポイントを、しっかり認識した上で、野党は論戦を挑むべきだと思います。立民の岡田幹事長のような「合法的な裏金だ」という表現は、それ自体が矛盾した言葉であり、その矛盾を強調して「問題である」とアピールする作戦かも知れないが、いかにも弱い表現で、岸田首相にしてみれば黙って受け流せばそれで終わりという楽な論戦である。そうではなくて、政策活動費などという法律の規定にない用語をでっちあげて裏金を正当化する策略を粉砕するために、野党は「自民党の政治活動の自由は、泥棒の窃盗活動の自由と同じだ」とズバリ切り込まないことには、岸田首相の理屈にならない理屈を容認する結果になる危険性が高いと思います。
2024年03月12日
同性愛は気持ち悪いなどと差別的な発言をして首相秘書官が更迭されたことに関連して、多様性を尊重する法案にことごとく反対する自民党保守派について文芸評論家の斎藤美奈子氏は8日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 性的少数者への差別発言で荒井首相秘書官が更迭された。当然の措置である。だが「多様性を尊重し、包括的な社会を実現していく内閣の考え方には全くそぐわない」ともっともらしく述べた岸田首相にはムカついた人が多いのではないか。 多様性を重視するというなら、あの法案もこの法案も早く通せよ! 7日の本紙1面が報じたように、同性婚もLGBT平等も選択的夫婦別姓も日本ではいまだ法制化されていない。 これを阻む壁として必ず出てくるのは「自民党の保守派に配慮」という文言である。国民的総意に近い多様性に抗う「保守派」とは誰なのか。 昨年夏、旧統一教会問題が顕在化すると同時に大きな疑惑として浮上したのは、自民党の家族政策・ジェンダー政策に対する同教会および関連団体の影響だった。 教団の関連紙・世界日報が「同性婚は決して認めるべきではない」と主張していること。関連団体・勝共連合が選択的夫婦別姓を「日本の家族制度を根本から変えるもの」と位置づけ、通称使用の拡大を訴えていること。彼らの主張と自民党の政策が重なることは何度も指摘されており、野党側も質問している。 だが、教団と政治の癒着問題はウヤムヤにされつつあり、議論はまたも空回り。謎の保守派の妄言を打破しない限り未来はない。野党は正念場である。(文芸評論家)2023年2月8日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「本音のコラム-保守派って誰?」から引用 多様性の尊重に反対する「保守派」というのは自民党の安倍派であることは、安倍晋三議員が夫婦別姓に反対であったことや統一教会と三代に渡る長い付き合いがあったことなどから、明らかであるが、それを斎藤美奈子氏は何故はっきり表現しないで「謎の保守派」などとソフトな言い回しをするのか、不思議です。また、斎藤氏に限ったことではありませんが、メディアが国会論戦について「議論は空回り」と表現するのも、これは与党に対する「助け船」の役割を果たしているように見えます。これは代議制民主主義を空洞化させるものであり、国民は厳しくその責任を追及するべきだと思います。国会の論戦は「空回り」しているのではなく、野党の追及に対して与党が誠意の無い「はぐらかし答弁」を繰り返しているのであって、野党は国会で「今のような答弁では、まったく答えになっていない。本当のところを正直に言ったらどうなんだ」と厳しく追及しなければならないと思います。それを、国会審議には如何なるルールがあるのか知りませんが、野党の議員は「一応、質問はしましたから、後は与党がどう答えるのか、与党次第ですから、私は知りません」という態度のように、私には見えます。そんな無責任な質疑ではなく、「間違いを糾す」「真実を明らかにする」という責任感をもって国会審議を行なってほしいと思います。
2023年02月25日
昨日の欄に引用した日本大学・蟻川教授の記事の後半は、今開かれている国会に於いては何を争点として議論が重ねられるべきなのか、次のように述べている; 政治家たちの浮かれ騒ぎは、今日、「敵基地攻撃能力」という新たな題材を得て、ますます盛んである。その始まりが、退陣を表明した後の、したがって政治責任を負わずに済む条件下での、首相(安倍氏)の談話であったことは、兆候的であった。現政権が、表現を「反撃能力」に和らげた上で、野党からの追及を免れた昨年の臨時国会閉会後に、その保有の必要性を文書化し、これを、あろうことか国会審議に先立ってアメリカへの手土産としたのは、その手法も含めて、元首相の政治を継承するものであった。 2022年12月16日のこの国家安全保障戦略の閣議決定は、憲法9条への言及を欠く。相手国内の軍事施設を攻撃することが、「武力の行使」の必要最小限度性を厳しく求める憲法9条1項に違反しないか、また、抑止力を至上課題とし、軍事衝突のリスクを高め、際限なき軍拡競争を必然化する国家戦略が、「戦力不保持」を定めた憲法9条2項に違反しないかは、通常国会の不可欠の争点である。 だが、それ以前に、このような「戦後の安全保障政策の大転換」を、岸田文雄首相が、憲法9条に即した説明をしないまま、国会審議を待たずに、それどころか、臨時国会閉会後を待って、閣議決定したことそれ自体が、最大の争点でなければならない。なぜなら、違憲の疑いが濃厚な既成事実を一方的に作出した上での国会審議となれば、9条は既に死文化したとの印象が植え付けられ、政権は、不当に有利に憲法論を主導することが可能となるからである。 政治(「現実」)は憲法(「規範」)に従って運営されなければならないという原理を立憲主義という。その核心は、「現実」は「規範」によってコントロールされなければならないという点にある。けれども、「現実」があまりにも「規範」から乖離(かいり)すると、その「規範」は、もはや「現実」をコントロールしているとはいえないとして、立憲主義を立て直すためには、「規範」を「現実」に近づけることが必要であると考える余地が生ずる。立憲主義は逆機能を果たし、「規範」が「現実」に乗っ取られることが正当化される。この考えを、私は「立憲主義の逆説」と呼ぶ。 一般論としていえば、「現実」の変化を受け止め、「規範」を更新する道をひらくことは、むしろ社会にとって必要なことである。けれども、当該社会の「道義」の根幹を支える「規範」についてまで、その一般論を及ぼすことは、社会が、「自己」の同一性を自ら放棄するに等しい。憲法9条は、日本社会にとって、そういう特別の「規範」であったはずである。 国家安保戦略の決定以後、憲法9条は「現実」に対する統制力を失ったと捉えれば、その先に待つのは、9条改正である。「立憲主義の逆説」を踏まえるとき、重要なことは、9条の死文化を言い募ることではなく、「敵基地攻撃能力」の保有は9条違反の疑いがあると告発し続けることである。 * 「悲劇はついに来た。来るべき悲劇はとうから預想(よそう)していた」 「悲劇は喜劇より偉大である」 「十年は三千六百日である」 「三千六百日を通して喜劇を演ずるものはついに悲劇を忘れる」 「道義に重(おもき)を置かざる万人は、道義を犠牲にしてあらゆる喜劇を演じて得意である。ふざける。騒ぐ。欺く。嘲弄(ちょうろう)する。馬鹿にする。踏む。蹴る」 「道義の観念が極度に衰えて、生を欲する万人の社会を満足に維持しがたき時、悲劇は突然として起る」 「始めて悲劇の偉大なるを悟る」 これは、『虞美人草』の結尾に置かれた、物語の総括の言葉である。だが、それだけであるはずがない。これは、うわべだけの「一等国」の意識に浮かれる日本に宛てた、漱石の手紙であったと私は思う。 15年戦争という大悲劇を世界と自らにもたらした日本は、世界も目を見張る復興を遂げた。憲法9条は、「偉大」な悲劇の記念碑である。だが、少子高齢化が加速するなか、日本は、経済が縮小し、国民1人当たりのGDPが指標となるような「国力」において明らかな翳(かげ)りを見せている。さらに、文明の世界標準というべき、性の平等や報道の自由度の点では、目を覆いたくなるばかりの国際的低順位に燻(くすぶ)っている。そのことに抜本的な対処ができぬまま、しかし大国意識からは抜け切れず、再び空騒ぎを始めたのが、この10年間のこの国の政治であった。 この10年間を経過した後の、2023年1月の日本はどうか。政治権力の掌握を志向する旧統一教会と日本政界、とりわけ自民党・現最大派閥(安倍派)との関係を自己点検しようとする政治の動きは、すっかり沙汰やみになったかに見える。「敵基地攻撃能力」の保有の必要性を力強く語ったこの国の首相は、「戦争放棄」を定める憲法9条との関係には言及することがない一方、「継戦能力」という言葉を当然のように使った。 空騒ぎの神輿(みこし)に担がれ続けた元首相が横死してもなお、この国の政治は、けじめをつけるどころか、新たな亡国の遊戯を始めようとしているかのごとくである。 この悲劇からすら学びえないとしたら、この国には、一体どれだけの悲劇が必要だというのか。 「ここでは喜劇ばかり流行(はや)る」 ◇<ありかわつねまさ> 1964年生まれ。日本大学法科大学院教授。著書に「憲法解釈権力」「尊厳と身分」「憲法的思惟(しい)」など。朝日新聞で「憲法季評」を執筆した。2023年1月24日 朝日新聞朝刊 13版S 13ページ 「オピニオン&フォーラム-新たなる政治の空騒ぎ」から後半を引用 この記事が述べるように、岸田政権は昨年12月に国会が閉会になった直後に「安保3文書」の改訂を行ない憲法の「平和主義」に背いた、歴代政権の「専守防衛」の政策をも逸脱する「政策」を勝手に閣議決定して「防衛費倍増」を既に決めてしまった政策であるかのように振る舞っている。このような勝手な行動は許さないという観点から、野党は政権を追及するべきであるし、新聞やテレビもそういう観点から政権の暴走を批判するべきであるところ、戦前からあまり進歩していない日本のメディアは、「議論」がどのように転がるのか「風向き」ばかりを気にして、野党議員が「敵基地攻撃能力を行使すれば、相手側の反撃で日本国内に相手のミサイルが着弾して大きな被害が出る危険性があるのではないか」と糾したのに対し「その危険性は否定できない」と認めたにも関わらず、そのシーンはテレビに映さないという「態度」で、このようにして国民は「目隠し」をされたまま、この国の政治は「空騒ぎ」になっていく。「こんなことではダメだ」と言って立ち上がる時にきていると思います。
2023年02月09日
自民党の政治家の中には、選挙に勝つために統一教会の推薦確認書にサインして、統一教会の基本理念セミナーに参加する約束をした議員が数十人いる可能性があることが発覚した。そのことについて、元文科事務次官の前川喜平氏は、10月30日の東京新聞コラムに次のように書いている; 「統一教会」と一体をなす「世界平和連合」と「平和大使協議会」からの「推薦確認書」に署名していた自民党の議員の名前がだんだん分かってきた。閣内では大串正樹内閣府副大臣や山田賢司外務副大臣が署名していた。署名議員は数十名に及ぶ可能性があるというから、今後もぼろぼろ名前が出てくるだろう。 推薦確認書が制定を目指す家庭教育支援法は、教団にとっては一世信者に従順な二世信者を育てる法律だ。青少年健全育成基本法は恋愛を禁じて性の自己決定権を奪い、教団が配偶者をあてがうまで純潔を守らせる法律だ。「LGBT問題」や「同性婚合法化」を「慎重に扱う」のは、現代的な人権観念の欠如を示している。「文化共産主義の攻勢を阻止する」の意味を理解して署名した議員はいるのだろうか。署名議員たちはさらに「基本理念セミナー」への参加まで約束していた。 自民党の世耕弘成参議院幹事長は「こういう普通のことならサインするというレベルだ」「当たり前のことが書いてある」などと嘯(うそぶ)いたが、こんな文書に署名するのは普通ではなく異常、当たり前ではなくあるまじきことだ。しかし彼らにはそれが普通で当たり前なのだろう。選挙に勝って権力を維持するためにはどんな毒饅頭(まんじゅう)も平気で食らうことができるのだ。腹の中は毒饅頭でいっぱいなのだ。(現代教育行政研究会代表)2022年10月30日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「本音のコラム-毒饅頭を食らう政治家」から引用 政治家であっても信教の自由はあるのだから、どのような宗教を信仰するのも当然自由であるが、統一協会の場合は、これは宗教ではなく宗教を装った反社会的団体で、1960年代から今日に至るまで数限りない事件を引き起こしては有罪判決が出されている。選挙運動を手伝ってくれるので有りがたいとは言え、暴力団やヤクザに選挙運動を頼む人はいないが、一見して分からないのであれば献金は受け取るし、ボランティアの選挙運動も頼むというのは、やはりあってはならないことです。世耕弘成議員のような「認識」は、世間の常識からかなり逸脱していると思います。
2022年11月20日
統一教会と接点がある人物を閣僚にしておいては政権批判を抑えきれなくなると考え、新しい組閣を前倒しして実施したにも関わらず、教会と接点のある閣僚がかえって増えたという「問題」を、メディアはどう報道したのか、ジャーナリストの臺宏士氏は8月21日の「しんぶん赤旗」に、次のように書いている; 第2次岸田改造内閣が発足した10日夜、NHKと民放の主な報道番組では、旧統一協会(世界平和統一家庭連合)と関係を認めた閣僚の取り上げ方が対照的でした。 「news zero」(日本テレビ)、「報道ステーション」(テレビ朝日)、「news23」(TBS)は、旧統一協会と閣僚の関係についてイベント参加も含め詳しく報じました。「zero」が紹介した82%の自民党支持者が「(政党や国会議員が説明責任を果たしていると)思わない」という世論調査(5~7日)結果は興味深い内容です。辻愛沙子氏(クリエイティブディレクター)の「第三者も入れて調査した上で説明責任を果たさないと、国民の信頼を取り戻すのは難しい」とのコメントは、国民を代弁した意見です。 12日には副大臣、政務官の発表があり、先の3局は旧統一協会と関係のあった政治家を実名と顔写真付きで取り上げました。自民党は組織的関与を否定していますが、「報ステ」で梶原みずほ・朝日新聞編集委員が「これだけ内閣に入る政治家が接点を持っていたということは、組織的に関わっていたと言わざるを得ない。内閣が最優先課題の一つとして対処する問題だ」と指摘したのは当然です。 一方、NHKの「NW9」は、旧統一協会と関係のある閣僚を政治資金収支報告書に記載された関係団体への支出に限りました。山際大志郎経済再生担当ら3人の釈明も批判的視点を欠いた報じ方でした。副大臣・政務官については個人名も人数も明らかにせず、松野博一官房長官が語った「(旧統一協会との関係を)厳正に見直すことを了解した人だけ任命」との政府方針を短く伝えただけでした。組閣報道をめぐってもNHKの政府・自民党に寄り添う体質が浮き彫りになりました。報道の原点である権力監視の役割について、NHKの存在意義が問われます。(だい・ひろし=ジャーナリスト)2022年8月21日 「しんぶん赤旗」 日曜版 35ページ 「メディアをよむ-問われるNHKの姿勢」から引用 自民党と統一教会の癒着の問題は、非情に根が深く規模の大きい「問題」であり、本来は、わが国の政権を担う責任ある公党として、第三者委員会を立ち上げて徹底調査を行ない、国民が納得するような「反省」と「今後の対策」を発表できると、理想的な「解決」に至ると考えられます。しかし、実際の自民党は、そもそもの出発点が岸信介がCIAの手先となってCIAの金で創設した政党であるという「事情」があるため、調べ出すとどんな「大問題」が発覚するかもしれず、岸田氏としては必至でとぼけて時間が過ぎるのを待って、国民が水に流してくれることを期待しているのだと思います。しかし、それでは問題は何も解決しないのですから、一人一人の自民党員が心から反省する方向に、世論を導いていくのがメディアの仕事ではないのか、と思います。
2022年09月08日
自民党の議員と旧統一教会の癒着問題について、元文科事務次官の前川喜平氏は7月24日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 安倍元首相銃撃事件をきっかけに、旧統一教会と政治家の癒着の実態が次々と明るみに出ている。中でも所轄庁トップの文部科学相と旧統一教会との関係は問題だ。 末松信介文科相は、旧統一教会にメッセージを送ったことやパーティー券を買ってもらったことを認めながら「何らやましいものは一切ない」と開き直った。所轄庁だという自覚が欠如している。即刻辞任すべきだ。 旧統一教会の名称の「世界基督教統一神霊協会」から「世界平和統一家庭連合」への変更の認証申請は、僕が文化庁宗務課長だった1997年以来受理していなかった。 ところが下村博文氏が文科相だった2015年に突然受理、認証した。このような方針変更は、前例踏襲を常とする官僚だけでは起きない。下村氏は、事前と事後に報告を受けたことは認めたのに、認証は文化部長の判断によるもので、自分は「全く関わっていない」と説明する。そんなことはあり得ない。文化庁は事前に大臣の指示を仰ぎ、指示どおり処理したことを事後に報告したということだ。 明覚寺や法の華三法行のように、霊感商法が詐欺罪で摘発され、解散を命じられた宗教法人はある。現在も被害者を生んでいる旧統一教会がなぜ摘発されないのか。旧統一教会と癒着した政治家がそれを阻んできたのだとしたら大問題だ。(現代教育行政研究会代表)2022年7月24日 東京新聞朝刊 11版 21ページ 「本音のコラム-旧統一教会と政治家の癒着」から引用 統一教会にメッセージを送ったりパーティー券を買ってもらったりしておきながら「何らやましいものは一切ない」と開き直ってはみたが、しかし、常識的に考えればこれは「即刻辞任すべき」事態であったわけで、他にも教会との繋がりが判明した閣僚が複数いたため、岸田首相は9月と見られていた「内閣改造」を、いきなり8月に実行したのであった。そして、人心を一新して再スタートと思いきや、実はその新内閣が発足したその日から、新閣僚の中から「統一教会との接点」が取りざたされる人物が続々と出る始末で、改造した意味が全く無いという結果になっている。 しかも、それ以前の問題として、上のコラム記事は統一教会の名称変更の認可は文化庁の部長が一存で出来るものではないこと、当時文科相だった下村博文氏が文化庁の「お伺い」に対し「認可するように」との指示を出した疑いは濃厚であるが、下村氏がそういう指示を出した理由は何か、安倍首相(当時)からの「圧力」(または、指示)はなかったのかどうか、究明しなければならない問題は残ります。
2022年08月13日
JR川崎駅前でヘイトスピーチを繰り返しているレイシストの一人が先月、数本の包丁を手にして川崎市内の外国人襲撃をほのめかす発言をする動画をツイッターに投稿しました。共産党川崎市議団は、これを放置せずに「差別は許さない」という断固たる声明を出すよう川崎市長に要請したと、2月20日の神奈川新聞が報道している; 在日コリアン集住地区の川崎市川崎区桜本で差別主義者がヘイトクライムの実行を示唆している問題で、共産党市議団は18日、差別を非難する声明を出すよう福田紀彦市長に要請した。 外国人を敵視するヘイトスピーチを市内で繰り返してきた澤村阿万氏は、包丁を手に「武装」宣言し、桜本の地名を挙げて「抗争したい」とツイッターに投稿。地域住民から「桜本を守るため、多くの市民の支援と協力を」という呼び掛けがなされている。 「差別的な脅迫に対し『差別は許さない』との表明を求める」と題した要請では、澤村氏の発信は「不当な差別的言動を禁止した川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例に正面から挑戦するもの」と非難。共生のまちづくりに取り組んできた住民の思いに触れ、「多文化共生の取り組みを進め条例を制定した市長が、名指しされた地域社会の痛みに寄り添い、『差別は許さない』と明確な立場を表明することを求める」としている。 澤村氏が所属する差別者集団「日の丸街宣倶楽部」(渡辺賢一代表)は20日、JR川崎駅前でヘイト街宣を行う。同党市議らは差別に反対する意思を示す街宣を同駅東口で行うとしている。(石橋学)2022年2月20日 神奈川新聞朝刊 25ページ 「『差別許さぬ』表明を 共産党市議団が市長に要請」から引用 差別主義者の澤村阿万(仮名か?)は買ってきたばかりの包丁をカメラの前で振り回して「抗争したい」と、暴力事件を示唆する発言をしているのでから、警察は犯罪予防のために本人を任意で事情聴取するべきと思います。昔、学生運動が盛んだった時代は、学生がプラカード用の角材を集めて「安保反対」のメッセージを書き込んだプラカードを作ろうとすると、警察は「凶器準備集合罪」などという法律を適用して大学のキャンパスを捜査したりして、大学の自治を侵害すると批判されたものでしたが、差別者集団「日の丸街宣倶楽部」の澤村阿万も「凶器を準備」しているのだから、警察もこれを放置してはいけないと思います。事件が起きる前に、打つべき手は打っておくべきです。
2022年03月12日
安倍晋三議員の出鱈目な日本語話法について、前文科官僚の前川喜平氏は2月13日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 安倍元首相は9日、自民党の「責任ある積極財政を推進する議員連盟」設立総会でスピーチし、首相在任中に2025年度中の基礎的財政収支(プライマリーバランス)の黒字化目標を設定したのは「国際約束ではなく、コミットメント(決意)だ」と述べたという。 久しぶりにこの人の詭弁(きべん)的言辞を聞き、どっと疲れる既視感を覚えた。20年1月、衆議院予算委員会での桜を見る会をめぐる質疑。宮本徹議員が、首相の地元事務所が桜を見る会を含む観光ツアーヘの参加を募集していることをいつから知っていたのかと質問したとき、安倍氏は「幅広く募っているという認識だった。募集しているという認識ではなかった」と珍答弁をした。それを思い出したのだ。 試みに僕が長年愛用してきた「カレッジクラウン英和辞典」(三省堂)を開いてみると、commitmentの訳語は「約束、言質、言明、誓約、公約」とあり、同義語としてpromiseという単語も掲げられている。つまりコミットメントとは約束のことなのである。どこにも「決意」という意味はない。 一万歩譲って彼のコミットメントが約束ではなく決意だったとしても、決意ならいくらでも反故にしていいわけがない。こんな無責任な人物を8年間も首相の座にとどまらせた日本の不幸を改めて痛感した。(現代教育行政研究会代表)2022年2月13日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「本音のコラム-コミットメントは約束」から引用 「あれは『約束』のつもりではなく、単なる『コミットメント』だった」と安倍氏が説明したとき、日本人の記者であれば漢字の言葉とカタカナの言葉で書き分けることが出来るが、アメリカやイギリスの記者は英語でどのように表現したのか、日本語を英語に直訳したのでは漫才の台本みたいな文章になって、読者には「真意」が伝わらなかったのではないかと思います。しかし、それもそのはずで、発言した本人には「人々に自分の真意を理解してもらおう」などという気はまったくないのであって、記者団の前で偉そうに説明したような「格好」がつけばそれでいいのであって、彼の支持者もまた、安倍の言ってることがウソであろうと出鱈目であろうと、さして気にするわけでもない人たちばかりなので、平和主義の憲法を奉じておりながら、気がつけば世界でも有数の防衛費を消費する国になっている。これは見過ごしてはならない重大な問題です。
2022年03月06日
岸田首相が憲法改正に意欲を示していることを、立憲民主党の前代表・枝野幸男議員が批判したと、2日の東京新聞が報道している; 立憲民主党は1日、党憲法調査会の会合を国会内で開いた。枝野幸男前代表が講演し、岸田文雄首相が意欲を示す改憲論議に関し「権力側から積極的に憲法を変えようと言うのは変だ」とけん制した。憲法は権力を縛るもので主権者である国民から提起すべきだと強調。一方、首相の解散権制約などは論点になるとの考えを示した。 自民党の改憲4項目に含まれる教育の充実を巡り、高等教育の無償化は改憲しなくても実現できると指摘。「憲法に触れずに簡単にできることを一生懸命、議論しているのは憲法をおもちゃにしているとしか考えられない」と批判した。2022年2月2日 東京新聞朝刊 12版 3ページ 「権力側からの提起-立民・枝野氏が批判」から引用 一国の首相が職務権限を利用して憲法改正を働きかけるというのは、公務員の憲法遵守義務を定めている憲法に違反する行為であり、その意味から言って立憲民主党・枝野議員の主張は「正論」である。聖徳太子の「十七条憲法」であれば、その昔、国の在り方を示す文書というだけのことであったが、近代国家の「憲法」は国家権力が国民の権利を侵害することを防ぐために、国家権力に対して「あれをしてはいけない、これもしてはいけない」という数々の「規制」を定めたものが憲法なのであって、例えて言えば、総理大臣や国家公務員と憲法の関係は、刑務所に収容された囚人と刑務所の管理規則のようなものだ。つまり、総理大臣が「憲法を変えよう」と言い出すのは、囚人が「この刑務所の決まりは厳しすぎるから、改正しよう」と言い出すようなもので、不謹慎この上ない事態である。これが、国民の間に「憲法改正を」という声があって、それを国会議員が聞き届けて大きな国民世論にするというのであれば、話は別であるが、権力の座にあるものが言い出す「憲法改正」に対しては、国民は厳しい監視の目を向ける必要がある。
2022年02月19日
新型コロナウイルスの感染が始まって間もなく、人々がマスク購入に殺到して日本中のドラッグストアの店頭からマスクが姿を消したとき、当時の安倍内閣が全国民にマスクを無償提供するとの「大英断」を下したのは政府判断として妥当であり、多くの国民の支持を得るものと思われたのでしたが、そのようにして出来たマスクが、何故かサイズが小さめで、材質がガーゼのため人体へのウイルス侵入を防ぐ効果が弱いもので、しかも、どうやら普段衛生用品を製造するような業者とは異なる業者に作らせたらしく、製品に虫の死骸やらホコリやらが混入しているという代物で、結局、政府も途中まで「全国民への送付」を実行したものの完遂は諦めて、倉庫に保管し、後は「誰も知らない」という状況で数年放置した時点で人事院の検査が入り、保管料の倉庫代が毎年数億年かかる実態が公表されて、岸田政権がようやくこの「不良在庫」の処分をすることを決めました。その件について、次のような投書が8日の毎日新聞に掲載されています; アベノマスクの在庫8000万枚が廃棄されることになった。そのために6000万円かかるが、2021年3月までの保管料が6億円にもなるから、廃棄した方がいいと、岸田文雄首相は考えているらしい。 だが、なぜもっと前に廃棄しなかったのか。そもそもマスク製造費用は常識からかけ離れて高く、しかも配られたのは普通に買える時期だった。後藤茂之厚生労働相は「マスクが入手困難な状況の中、感染防止に一定の効果があった」と言っているが、本当だろうか? 何百億円も税金を使う必要があったのだろうか? 後藤氏の記者会見と同じ日、貧困に関する政府の実態調査結果が出され、多くの貧困世帯、ひとり親世帯が食料を買えない経験があったと答えた。そんな人たちにこそ税金は使ってほしい。アベノマスクに限らず、ウヤムヤにされることが多い。きちんと検証し、無駄なこと、ダメなことは責任を明確にすべきだ。2022年1月8日 毎日新聞朝刊 13版 8ページ 「みんなの広場-アベノマスクの責任明確に」から引用 岸田政権が今まで無駄に倉庫料を払って保管していたマスクを処分することに決めたのは当然であるが、あのような粗末なマスクの製造に、何故あのような法外な経費がかかったのか、何故サイズの小さいマスクを発注したのか、製品に不純物が混入したのはどうしてだったのか、国民はいろいろ疑問をもっている。政府自体、そういう疑問を今ここで明らかにしておけば、今後同じ失敗を繰り返すことを防ぐのに役に立つと思われるが、岸田政権にはそういう疑問を解明しようとする「誠意」がまったく感じられず、ただひたすら波風立てないように済ませようという姿勢である。これでは国民は政府を信用することができないわけで、野党にはこの問題についても、しっかりと責任の所在を追及してほしいと思います。
2022年01月25日
会計検査院が調べたところによると、安倍政権末期に始まった新型コロナウイルスの感染拡大を予防するために政府が計画し発注した「ガーゼ・マスク」の一部が、国民に発送されずに倉庫に保管されており、その保管料が6億円になっているとのニュースが報道されたその日に、東京都世田谷区の区長である保坂展人氏が、次のようにツイッターに投稿している; 安倍政権は元々記者会見をやりたがらない政権であったが、新型コロナ感染症が流行り出すとますます寡黙になったような印象で、よっぽど困り果てているのだろうなという雰囲気が濃厚であった。専門家会議なども直ちに立ち上げたと思ったら、どうも専門家会議の発言をストレートに聞くと何か不都合なことでもあるかのように敬遠して、会議の位置づけを変更するようなこともあったように記憶している。思いつきで全国民に配布することにしたマスクも、専門家の意見を聞いて予防効果の高いマスクを発注すれば良かったのに、いかにも素人が考えそうな、サイズの小さいガーゼのマスクで、素人目にも「感染症を予防する効果はほとんどナシ」というマスクでは、途中で発送が中断されたのも分かるような気がする。この役に立たないマスクを、税金を使って保管する意味はないのだから、廃棄処分する意外に方法はないと思われるが、保坂氏が言うように、どのような経緯でどういう業者に発注されたものなのか、という段階から再検証して、税金の無駄遣いを無くしてもらわなければなりません。岸田内閣で出来るのかどうか、場合によっては政権交代したほうがいいのではないのか等々、考えなければならない問題です。
2021年10月31日
菅首相が次の自民党総裁選に立候補せず退陣することについて、東京新聞の常連コラムニストは、次のようにコメントしている;◆肝心な時 専門家の意見無視 「え! 総裁選出ないのか」。講演直後に「こちら特報部」からの電話で辞意表明を知った青山学院大名誉教授の三木義一さんは、菅政権への信頼をなくした決定的な出来事に五輪の強行を挙げた。「コロナの感染状況を考えれば中止すべきだった。国民の命を危険にさらしても経済を優先する姿勢があらわになった」 昨夏から実施された旅行や外食を促す「GO TO キャンペーン」も年末からの爆発的な感染拡大につながったとの見方は根強い。「観光業とつながりの深い二階俊博氏(自民党幹事長)の要望もあり、固執したのだろう」と振り返る。 そのうえで、菅氏が残した問題は「専門家の軽視」だと指摘する。「五輪もGO TOも、当初から多くの専門家が懸念を述べていたのに耳を貸さなかった。政治家が肝心な時に専門家の意見を無視して恣意的に政策を進める危うさは、菅氏が辞めた後もある。自民党総裁交代という小手先の変化では変えられない。政権交代が必要。衆院選で国民の判断力が問われる」◆みっともない政権の末路 ルポライターの鎌田慧さんは「菅氏は安倍晋三氏が決めた五輪の一年延期を受けて開催にこだわり、中止を決断できなかったのだろう。結局、安倍氏の『呪縛』から抜け出せず感染を拡大させた」との見方を示す。 「ワクチンに頼るだけでなく、医療体制の充実を図るべきだった」とも。総裁選不出馬の理由を「コロナ対策と両立できない」と述べたことにも、「この期に及んでとんでもない世迷い言だ」とあきれる。 オリパラを巡り、国立競技場など7会場の総整備費用は約2900億円に上る。無観客となったためにチケット収入はほぼなくなり、大会後は各会場の維持費もかさんで「負の遺産」になりかねない。 「開催で東京都や国の財政は相当、厳しくなった。巨額の借金を抱えた上、国立競技場などは赤字が続く恐れもある。そうした失政の責任を最後まで認めず、みっともない政権の末路をさらした」◆政権の1年間、スカでした 文芸評論家の斎藤美奈子さんは「菅政権の一年間はひと言で言うと、スカでした」とばっさり。「目に見えてやったことはGO TOと東京五輪くらいだ。いずれもコロナの感染拡大を招き、火に油を注ぐ結果にしかならなかった」 退陣表明した菅氏の姿は、体調悪化を理由に首相を辞任した安倍氏にも重なると斎藤さんは言う。「安倍政治の基本は森友・加計学園問題などに象徴されるような『利権・友だち優遇』だ。コロナ禍という有事にこうした政治は通用しない。菅氏も安倍氏と同様に、利権政治で乗り切ろうとしたものの、にっちもさっちもいかなくなり退陣を決めたのだろう」 菅政権の残したものは何だったのか。斎藤さんは「国民の間で『このままではだめだ』と危機感が広がり、意見を表明する人が増えたことかな。コロナ禍で政治のひどさが自分たちの生命や生活を脅かすと実感した人は少なくないから」と語った。2021年9月4日 東京新聞朝刊 11版 22ページ 「菅首相へ『本音の』送辞」から引用 菅氏が自民党総裁選に出馬しないことになった経緯は、五輪を開催したのに金メダルラッシュが政権支持率を上昇させなかったので、これでは総選挙を戦えないから、それじゃあ内閣を改造して新しい顔ぶれをアピールして選挙を戦おうと思ったのだが、党内の有力者の協力が得られず内閣改造は無理となった時点で、菅氏としては「詰んだ」ことを自覚したということだと思います。そこで総裁選には4人の新顔が立候補してますが、そもそも党内若手が「これでは総選挙が戦えない」と言い出したとき、その若手の皆さんは「国民は安倍・菅政治の継続を支持していない」という危機感があったはずです。にも関わらず、立候補した4人とも「安倍・菅政治」の転換を言わず、「森友問題の再調査はしない」とか「原発ゼロ政策はとらない」とか、安倍前首相を忖度したような発言ばかりですから、これでは菅さんが引っ込んだ意味がないし、いっそのこと、ここで突如菅氏も思い直して総裁選に出馬、と言い出せば、話題作りにもなり一挙に活性化するのではないかと思います。
2021年09月18日
政府主催の「桜を見る会」に「首相」の地位を悪用して自分の後援会会員を招待し、「前夜祭」の費用を一部負担しておきながら政治資金報告書には記載しないという「不正」を、首相在任の間繰り返していた安倍晋三議員が「不起訴」になったののは「不当」であるとの検察審査会の議決について、7月31日の毎日新聞社説は次のように主張している; 「桜を見る会」前夜祭の費用を巡る問題で、安倍晋三前首相が不起訴とされたことについて、検察審査会が「不当」と議決した。 東京地検特捜部は、前夜祭の収支を政治資金収支報告書に記載しなかった罪で秘書を略式起訴し、捜査を終えた。安倍氏の関与を裏付ける証拠はないと判断した。 これに対し、くじで選ばれた市民で構成する検察審査会は、「捜査が尽くされていない」と指摘した。疑念は払拭されていない。特捜部は捜査を徹底し、真相を解明しなければならない。 前夜祭は安倍氏の後援会が主催し一昨年まで毎年行われた。桜を見る会に招待した支援者を集め、高級ホテルで開いた宴会だった。 参加者の会費で賄えなかった費用は、一昨年までの4年間で約700万円に上り、安倍氏側が補填していた。 公職選挙法が禁じた有権者への寄付に当たる可能性がある。しかし、特捜部は参加者側に寄付を受けた認識がなかったと判断した。 検察審査会は、一部の参加者に事情を聴いただけでは、結論を出すのに不十分だと指摘した。安倍氏の関与があったかどうかについても、関係者間のメールなどを入手した上で判断すべきだとした。 特捜部は安倍氏に事情聴取したが、事務所の捜索など強制捜査はしていない。再捜査では、検察審査会の指摘に応える必要がある。 安倍氏の説明責任も改めて問われる。 補填分は会場費などで寄付には当たらないと主張する。だが、野党からホテル発行の明細書を示すよう求められても応じていない。 原資についても疑問が残る。私的な支払いのため事務所に預けた資金から、秘書が独断で支出したと説明しているが、不自然だ。 収支報告書に記載してこなかった経緯も不明のままである。 疑問が解消されていないにもかかわらず、安倍氏は昨年末に国会で釈明し「説明責任を果たせた」と強調した。それまで「虚偽答弁」を繰り返したことの重大さを自覚しているとは思えない。 検察審査会は「首相だった者が、秘書がやったことだと言って関知しないという姿勢は国民感情として納得できない」と付言した。安倍氏は重く受け止めるべきだ。2021年7月31日 毎日新聞朝刊 13版 5ページ 「社説-捜査徹底が検察の責任だ」から引用 この社説が指摘するように、安倍氏後援会の「前夜祭」が参加者の会費では賄えなかった費用の不足分を、安倍氏個人の資金から秘書が勝手に補填して、その合計が4年間で700万円にもなっていながら、安倍氏本人は気付かなかったというのは、あり得ない話で、1回目の「前夜祭」をやるに当たって、優秀な秘書は当然「一人5千円では足りない」ことを察知して事前に安倍議員に「どうしますか?」と相談しているはずで、「個人の資金から出すにしろ事務所の経費から出すにしろ、政治資金報告書には記載しないと、後々問題になりますけど・・・」という発言も、プロの議員秘書ならしないわけがありません。しかし、そういう真面目な秘書の問いに対して「いや、大丈夫だよ。『当日、その場で集めて、その場でホテルに払って、プラマイ・ゼロだから、報告書に記載するまでもなかった』と言えば済むから」というようなやり取りがあったことは想像に難くありません。もし、これまでの安倍氏の説明で、安倍氏自身が「十分に説明を尽くしており、自分は潔白である」と言うのであれば、後は野党のどのような要求にも、自信をもって応じることができるハズであり、ホテルの請求書の明細など、安倍議員が頑なに提出を拒んでいるのは、取りも直さずそこに「見られては不都合な」重大な事実が記載されているからにほかなりません。したがって、検察の再捜査には家宅捜索が必須と言わざるを得ません。
2021年08月12日
神奈川県川崎市内で頻発する外国人差別事件について、4日の神奈川新聞は次のように報道している; 川崎市で横行するヘイト行為の監視活動が3日、市民有志によってJR川崎駅などで取り組まれた。毎週土・日曜の駅前で目を光らせる姿は差別を許さないというメッセージを発信してきたが、いつも以上に伝えたいことがあった。ヘイトクライムにさらされた在日コリアンが命まで脅かされ、今こそ連帯を示さなければならないと感じていた。 川崎駅から約2キロ、差別をなくすための多文化交流施設「市ふれあい館」に崔江以子(チェカンイジャ)館長宛ての差別脅迫文書が送りつけられたのは3月18日。同館は2020年1月、在日コリアンの虐殺宣言と爆破予告の標的にもされており、「ヘイトパトロール」の呼び掛け人の男性(48)は「卑劣なヘイトクライムが止められておらず、被害者の恐怖は増すばかり。犯行のエスカレートを防ぐためにも強いメッセージが必要だ」と差別を動機にした犯罪が強いる苦痛と絶望に思いを寄せる。 実際、人間を人間と認めない差別的な文言に続けて14回も「死ね」と書き連ねた脅迫文に、崔さんは防刃ペストを装着する生活を余儀なくされている。 小田急線新百合ケ丘駅前で見張りを続ける男性(47)も「在日コリアンというだけで身の危険にさらされる。あり得ない状況だ」と憤る。「差別の悪意は差別を裁く法を整備し封じ込むしかない。私たちのまちが築いてきた多文化共生への攻撃でもあり、市長や川崎選出の国会議員、県議、市議は危機感を持ってほしい」 脅迫文には菓子の空き袋も同封され、「コロナ入り残リカスでも食ってろ自ら死ね」などと書かれていた。 横浜市戸塚区の高畠悦子さん(67)は「言葉で表せない卑劣さ。安心からは程遠いだろうが、本物のお菓子を館に届けて同じ仲間だと伝えたい」と話す。新型コロナウイルス禍でアジア系市民ヘヘイトクライムが増加する米国のバイデン大統領の姿勢が頭にある。銃殺事件の現場へ赴き非難を表明し、被害者支援や取り締まり強化の対策を指示する。「崔さんが直面する命の危機は米国の状況と変わらない。国のトップである首相がふれあい館に出向いていいレベルで、そうしてこそ安心と抑止力は得られるはずだ」(石橋学)※おことわり※ 記事には差別的な文言がありますが、そのまま報道します。差別の実態を共有し、あらゆる差別を許さない社会をつくっていく一助にするためです。2021年4月4日 神奈川新聞朝刊 24ページ 「崔さん孤立させまい」から引用 川崎市内の主要駅の駅前広場では市民ボランティアがヘイト団体の無届け街頭宣伝を警戒して連日パトロールを実施しています。脅迫状送付は明らかな犯罪で、警察はしっかり捜査してほしいと思います。ちょっと10年くらい前は「外国に住んでるのだから、多少の不便や不都合は我慢してもらうしかないだろう」などと言う人が私の周りにも普通にいましたが、今ではそれはとんでもない暴言であるということで、世の中は変わっているのだという認識が重要だと思います。
2021年04月23日
長年にわたって自分の選挙区の有権者を政府主催の「桜を見る会」に不正に招待し、前夜祭と称して違法な接待をして公設秘書が略式起訴されたことについて国会で説明した安倍晋三議員の言動を、山口県の地元の有権者はどう見ているのか、12月25日の毎日新聞は次のよう報道している; 安倍晋三前首相の国会での説明には、地元・山口県下関市の市民からも不満の声が上がった。飲食店を経営する女性(75)は「地元選出の総理として誇りに思っていたが、あれだけ騒がれながら事実を知ったのは報道後というのにはあきれた。これで説明責任を果たして幕引きというのでは、誰も納得しないのでは」と話す。 「秘書が数百万円も勝手に使い、報告していないなんてあり得ない。このまま終わりにすべきではない」。そう語気を強めるのは「桜を見る会」に出席した経験のある元市議。市内の無職男性(80)は「安倍さんが知らなかった可能性もあるとは思うけれど、テレビを見ていても説明は分かりにくかったし、その場しのぎだよね」と語った。 一方で安倍氏の説明に理解を示す声も。支援者の男性(56)は「秘書の説明を信じたことは、問題があったと思う。だが、東京地検の捜査が尽くされた結果であり、国会の場に立ち、しっかり説明責任も果たした。もうこの問題は終わりにして、(国会は)新型コロナウイルス対策に集中してほしい」と注文を付けた。【佐藤緑平、部坂有香】2020年12月25日 毎日新聞Web版 「『あきれた』『その場しのぎ』 安倍氏地元・下関市民も不満 「桜」補填国会釈明」から引用 やはり、この記事に登場する市民が言うように、数百万円も勝手に使って、そのカネの所有者である安倍晋三議員に報告をしないなどということがあるわけがありません。それも、一度ならまだしも8年間繰り返していながら、気が付かないわけがないのであって、これは安倍本人と公設秘書が入念に打ち合わせをした上での計画的な犯行であるとみるのが自然というものでしょう。新型コロナウイルス対策も重要ですが、安倍議員にまつわる不正や疑惑も、民主政治の根幹を揺るがす不祥事として徹底究明が必要です。
2021年01月03日
新年おめでとうございます。昨年、暮れも押し詰まった12月25日に公設秘書が「桜」問題で起訴されたことを受けて、安倍晋三衆議院議員は衆参両院の議員運営委員会に出席して、与野党議員の質問に答えるという一幕がありました。翌26日の毎日新聞は、次のように書いています; 実に残念な年の瀬である。今年こそ旧年中のモヤモヤを振り払い、さっぱりとした気分で新年を迎えたかったのに。昨年から追い続けている「桜を見る会」のことだ。安倍晋三前首相が25日、政治資金規正法違反で公設秘書が略式起訴された前夜祭について、国会で説明に臨んだのだ。もちろん記者も駆けつけたのだが、すっきりするどころか、モヤモヤばかりが膨らんでしまった。【吉井理記/統合デジタル取材センター】「なんで記者会見したんだろう?」 師走の寒風の中やってきた国会議事堂。国会議員や政治部記者にはなじみ深いだろうけど、私のような「部外者」の記者には迷路のよう。 というのも、国会中継でおなじみ、衆参両院の「本会議場」のほか、予算委員会が開かれる「第1委員会室」をはじめ、議事堂内には各党や各会派の部屋や控室、議長・副議長の部屋、はては「第3理事会室」「第8委員会室」「第17控室」といったナンバーだけが表示された部屋がごろごろしている。しかも、地下街によくあるような丁寧な案内表示はほぼ皆無。国民のための施設なのに、何だか不親切だなあ。 この日、安倍氏が釈明するのは衆参両院の議院運営委員会(各1時間)。同業者らしき人に道を尋ねつつ、会場の衆院第1委員室にたどり着いた時には早くもぐったり。半ば仕事を終えた気分である。 前日の24日、安倍氏は記者会見を開いたが、記者の脳裏の疑問は膨らむ一方だったのだ。 例えば――。(1)そもそもなぜ、桜を見る会前夜祭の収支を政治資金収支報告書に記載しなかったのか(2)前夜祭の費用が参加者の会費だけでは足りず、安倍氏側が補填(ほてん)しなければならないのに、なぜ「5000円」という格安の会費を設定し続けたのか(3)そもそも会費はだれが設定したのか(4)前夜祭会場となったホテルが保管している明細書を安倍氏らが確認していれば「補填」の事実はもっと早く判明していたのに、なぜしなかったのか――などなど。 何より「私の政治責任は極めて重い」(24日の記者会見)のなら、どう責任を取るというのだろうか? 国会での説明は衆参各1時間の計2時間。これだけ時間があるのだから、モヤモヤはかなり晴れるのでは? そう期待して記者席にどっかと腰を下ろし、安倍氏の登場を待ち構えていたのである。すると、近くにいたカメラマン同士がヒソヒソ小声で話し合っていた。 「今日国会で説明するのに、なんで昨日記者会見したんだろうね? まずは国会で説明するのが筋だろう」「きっと世間の反応を見てみよう、と思ったんじゃないか。会見を観測気球にしたんだな」 ふむふむ、なるほど。さもありなん、という気がしてきた。◆またも登場「責任を痛感」 さて、その安倍氏。定刻の午後1時直前、衛視やSPに囲まれて登場した。早く、さっそうとした足取りで、居並ぶ記者団には目もくれず委員室へ。安倍氏のための「釈明国会」の幕がついに開いた。 まず冒頭、約2分半の安倍氏の弁。24日の会見の言葉をほぼそのまま流用した。 「道義的責任を痛感」「深く深く反省し」と言いながら、「私が知らない中で行われていたこととはいえ」「結果的に」と、ホントは自分に責任はないんだけど、とでも言いたげなセリフを挟むのも同じ。「責任を痛感」という言い回し、首相時代から繰り返し使ってきたが、ここでも登場した。冒頭からイヤな予感がしてきた。 疑問を解明するための質疑が始まった。予感は的中した。 まず衆院の議運委。 立憲民主党の黒岩宇洋氏から「前夜祭は実際には1人あたりいくらかかったのか」と問われたのに、安倍氏は「収支報告書におきまして、会費収入が229万3000円、宴会費は355万1100円……」などと、なぜか各年の報告書の訂正金額を答える。何度かのやりとりの末、「一人頭いくらというのは質問通告を頂いてないので(不明だ)」。ここまでで黒岩氏の質問時間15分のうち、4分あまりを消費。「自分でホテルの明細書をなぜ確認しなかったのか」という問いにも、「(ホテル側が)公開前提では出せないと説明している」と正面から答えない。なんだか既視感がある。 その後同党の辻元清美氏は「民間企業なら社長辞職。議員辞職に値すると思わないか」というシンプルな問いをしたが、安倍氏は「初心に立ち返り努力していく」。明細書の提出を求められると、「明細書の中がどうあれ、検察の判断は変わらない」と、ついには国会での説明責任を放棄するかのような答弁まで登場した。 「なぜ不記載にしたのか。これは質問通告している」と核心に切り込む問いを投げたのは共産党の宮本徹氏。だが「当該秘書(今回、政治資金規正法違反罪で罰金刑を受けた公設第1秘書とは別に、最初に前夜祭の不記載の判断をした元秘書)は何年も前に高齢を理由に退職している。経緯を聞こうとしたが、元秘書の代理人弁護士から『答えられない』ということだった」。 ……一体、安倍氏は何をするためにここに来たのだろうか、と思ったのは記者だけではあるまい。 参院でも、安倍氏の姿勢は変わらない。最後に登場したのは、共産の田村智子氏だった。 昨年11月8日の参院予算委で、桜を見る会追及の火の手を上げた田村氏。もう一つの核心である「なぜ5000円という格安の設定で宴会を続けたのか。桜を見る会に地元有権者の参加者を広く募ったのはなぜか」と問うたのだが、安倍氏は「毎年過去長年にわたって慣行として行われてきた」と、文字通りのゼロ回答。 かくして「釈明国会」は幕を閉じた。 ここで筆をおいても良いのだが、やはり記しておかなければならないことがあった。◆「首相礼賛」する場なの? 桜を見る会や前夜祭を巡る数々の疑問を、安倍氏に直接質問できない国民に代わって、与野党議員が問いただしてくれるはず、と多くの国民が信じていたはずだ。 だが――。 参院の自民党・高橋克法氏の持ち時間は5分だった。 記者はあきれた。 のっけから「安倍総理が総理大臣として上げてきた成果は枚挙にいとまがない。各国首脳との信頼関係の外交、デフレ脱却のための経済政策、思い出深いのは徹夜国会、あの平和安全法制を安倍前総理がやられたからこそ、厳しい安全保障環境の中で日本の安全が保たれ……」と、3分あまりを費やして、どこかの国のような礼賛演説をぶったのである。 いや、礼賛したければどこか別のところで好きにすればいい。でも国会で安倍氏が釈明する場がようやく実現したのだから、疑問を一つでも晴らしてほしい、と国会議員に切に願っている国民に対して、一体どう考えているのだろう。 さらに首をひねるのは「(収支報告書への)計上についてはっきりしたガイドラインがない」などと述べ、今回の事件が政治資金規正法の「わかりにくさ」のせいで起きたかのような論理を展開したのだ。 この「政治資金規正法が分かりにくい論」は、衆院では日本維新の会の遠藤敬氏、参院では公明の竹谷とし子氏も唱えていた。今回の「不記載」がなぜ生じたのか、安倍氏ですら「(『不記載』を始めた)元秘書と接触できず、分からない」と首をひねっているのに、なぜ同法の問題に話が飛躍するのか。法律が分かりにくいというなら、国会議員が法改正なり何なりすればいいだけのことだ。安倍氏の答弁のあり方にも増して、国会議員のあり方そのものに、モヤモヤを感じてしまったのだ。 「釈明国会」を終えた田村氏に聞いてみた。「で、今日分かったことって、何かあるんですかね?」「何にも。こんなので納得できるわけがありませんよ。来年また徹底追及しなければ」 同感である。 ちなみに「責任を痛感」という言葉。安倍氏はこの日だけで、7回使っていた。2020年12月26日 毎日新聞Web版 「『桜を見る会』のモヤモヤまたも年越し・・・安倍前首相の『釈明国会』を見に行った」から引用産経新聞や読売新聞ならまだしも、毎日新聞がこんなとぼけた記事を書いているのでは、新年が来てもろくな一年にはならないな、ということが実感されます。記事の筆者は政治部の所属ではないとは言え、安倍政権の7年8か月を知らないわけではないのですから、この期に及んで>何より「私の政治責任は極めて重い」(24日の記者会見)のなら、どう責任を取るというのだろうか?という疑問はあり得ないでしょう。史上最長の安倍政権で「私の政治責任は極めて重い」というセリフを、国民は何十回聞いたことか。しかも、そういいながら、ただの一度も「責任を取った」ことはない。そのことを、私たちは忘れてはならない。新聞記者なら、安倍は口ではこう言っても、本音は全然違うのだということを念頭に、「彼は一度も責任をとったことがない」という事実を元に記事を書くべきでしょう。そもそも、記事の冒頭に>「なんで記者会見したんだろう?」などと書いてますが、安倍氏はこの一連の茶番劇を演ずることによって、立派に「アリバイ作り」に成功しています。共産党の田村議員が言うように、何一つ明らかにならない記者会見であり議院運営委員会であったにも関わらず、どの新聞もテレビも「安倍氏は説明した」と報道しているのですから、これで安倍氏は9月の自民党総裁選へのパスポートを手にしたと、今頃自信を深めており、総裁選が近づけば「桜問題については、私は逃げも隠れもせず、堂々と国会で説明をし、多くの国民の皆様のご理解をいただきました」と堂々と宣言することでしょう。実際は、共産党の田村議員が憤るとおり、何一つ明らかになっていない不誠実な釈明国会だったのに、そういうことにはほとんど神経を使わない、政治的な正義感には鈍感な民族性を、今年も引きづっていくことになりそうです。
2021年01月01日
会計検査院はまじめに仕事をしているのか。タレントの松尾貴史氏は、11月22日の毎日新聞日曜くらぶに、次のように書いている; 米軍普天間飛行場の移設計画で、建設が強行されている沖縄・辺野古の工事現場の警備費に、日当が1人当たり4万~6万円近くも出ているという。ところが警備員本人には1万円しか渡されていない。2年間で77億円も使われている計算になる。入札は1社応札で、しかも業者の言い値だったとも伝えられている。政府が「税金は湯水のように自由に使わせてもらえる金だ」と思っていることの結果だろう。 遠く離れて、東京電力福島第1原発の事故による被ばくの除染をする作業員にも同じようなことが行われていた。作業が始まってからも汚染の解消は遅々として進まないが、除染会社の利益率は8年間、5割を常に超えている。 新型コロナウイルス対策の持続化給付金の事務委託団体「サービスデザイン推進協議会」は、事務費を落札率99%の約769億円で受注したことについても、同じような意識が通底している。電通、パソナ、トランスコスモスの3社で設立したこの会社から、ほぼ丸投げで電通に再委託している。一体何のための迂回なのか。もちろん、多くの人が想像する通りなのだろうけれども、こんなばかげた金の使い方に、国民は是認・看過しているかのようなのんきさだ。この団体の所在地には機能の実態はない。一般人は給付金などについて、必死の思いで申請しているというのに、どういう神経の逆なでか。 また、マイナポイント事業の事務委託では、事務費140億円を、一般社団法人「環境共創イニシアチブ」(SII)から、そのまま電通に再委託され、そこから電通の子会社に再々委託され、トランスコスモスや大日本印刷に再々々委託している。これも持続化給付金と全く同じ構図だ。 このたび、会計検査院が官庁や政府出資法人による税金の無駄遣いを指摘したり、制度の改善を求めたりしたのは248件で、総額297億円だと報告した。 一見仕事をしているかのように見えるが、アベノマスクだけで当初466億円を計上、実際の経費は260億円の見込みとなったが、あれだけわかりやすい無駄遣いに関して指摘できないのなら、ガス抜き、アリバイのために297億円の報告書を出しただけ、ということになる。あまりにもばかにした話ではないか。 菅政権発足前から騒がれている、菅義偉氏が官房長官の期間に使った宣房機密費78億円の使途は何なのか。用途を明かす義務はないというが、だからといってなぜ明かせないのか。これほどさまざまな隠蔽が問題視されているときに、義務がないという理由だけで隠し続ける理由は何なのか。 そして、まだまだ忘れてはならない加計学園への支援440億円も、会計検査院の勘定には入らない金額のようだ。 さらに、学園理事長の「腹心の友」、安倍晋三前首相には、辞任してから2ヵ月もたっているのに、東京都渋谷区の私邸の警備が異例の継続状態になっている。首相経験者には通例として1人SPが付くこともあるけれど、細川護煕氏や村山富市氏は煩わしいからと断っていた。私邸の警備には年間2億円かかる計算だが、それくらいの「はした金」(と思っているのだろうけれども)を浪費することについて、関係者は何とも思わないのだろうか。それとも、来年の自民党総裁選に出て「再々登板」を狙っていることが決まっている(?)ので、警視庁も忖度しているのだろうか。 かたや、日本学術会議の「年間10億円」である。全体の予算で、それも半分は人件費だ。菅首相がそれについて「国民の納得が」と難癖をつけていることとの整合性はどれくらいあるのか。これは、令和の怪談ではないか。(放送タレント)2020年11月22日 毎日新聞日曜くらぶ 2ページ 「松尾貴史のちょっと違和感-会計検査院はガス抜きだけか」から引用 会計検査院は日本学術会議のように、政府から独立した機関であり広く国民的立場から税金の無駄遣いをチェックする組織なのだから、本来は国民が疑問に思うような問題に厳しい検査の目を注ぐべきところ、国民の関心が薄いのをいいことに、何かと政府関係者に愛想よく振舞って、あわよくば何処かの検察官のように、特別な定年延長を適用してもらおうとばかりに、上の記事が列挙する問題は「なかったこと」にしている。検査院がこんな調子では政権が腐敗するのは無理もない話で、国民はもっと政治感覚を研ぎ澄ます必要があるのではないでしょうか。
2020年12月10日
戦前に「満州国」で生活した日本人の体験談を、8月22日の「しんぶん赤旗」が掲載している; 1924年12月生まれの川本サチさんは今年6月、95歳で永眠しました。戦争の惨禍を体験した世代。お話を伺っだのは92歳の時。何度も「いやねえ、記憶がはっきりしないわ」とため息をつきました。無理もありません。70年以上も前のことですから。ただ、サチさんが生まれ育った懐かしい故郷は、日本の傀儡(かいらい)国家「満州国」(現中国東北部)だったのです。サチさんの記憶に残る「満州」の暮らしとは-。(青野圭) <サチさんの父親は、大学卒業後、奉天にあった国策会社「東亜煙草」に就職。その後、旅順に置かれた日本の統治機関「関東庁」の専売局に勤めた公務員でした。サチさんは5人姉弟の次女でしたが、長女は17歳、弟は生後6ヵ月で亡くなりました。>◆母が家庭教師に 生まれたのは母の実家(愛媛県)。実家でお産する方が楽でしょ、実家に帰って産んでくる人も多かったのかな。 旅順の住まい(官舎)は、通っていた小学校から約1キロの所。真ん前に粛親王(しゅくしんのう)の邸宅があってね。内地の小学校で教員をしていた母が、家庭教師で日本語を教えてたの。粛親王のおうちじゃなくて、少し離れた所に第4夫人がいたらしいのね。いつも着物を着てた母が、洋服着て茶色の中ヒールの靴をはいて出かけたの。 <当時、映画館や喫茶店は「監視する役の人がいて」なかなか入れなかったようですが、子どもたちは元気に遊んでいました。妹の敦子さんの手記に「母は夏休みになると、旅順港の中に作られた海水プールに…毎日のように連れていってくれました」とあります。> 小学校の校庭の真ん中に蛇口があって、冬の朝、”小使い”さんが校庭に水をまくの。きれいなスケート場ができた。 旅順は学校と役所ばっかりの街でね、バスで1時間の大連はにぎやかな商業都市なの。「満州国」(32年)ができあかって関東庁が、ちょっと小さな関東州庁になって大連に移ったから、尋常小学校の5年生までいた旅順から大連に引っ越した。 大連の官舎はレンガ造りの2階建てで、1階と2階に6畳間が2つずつ。ペチカ(暖炉)のほか石炭スチーム(蒸気)で家全体が温まった。どの学校もスチームだったわ。 普通の家でもクーニャン(若い女性)とかボーイとか、中国人を雇おうと思えば、いくらでも雇えた。日本語ができなきや働けないけど、中国人は日本語ができるもんだと思いこんでね。うちは女の子が3人いたから雇わなかったけど。 <「同じくらいのとしの子」の満蒙開拓青少年義勇軍を大連港のふ頭で迎え、「頑張ってー」と大連駅で見送ったこともありました。>◆試験受けず入学 官立の高等女学校は入学試験があったの。正月に”受験を取りやめた、内申だけでいい”ということになって”試験受けずに、私たち得したね”つて喜んだけど。戦争が激しくなってきてたのね。女学校では俳優のブロマイドを買うのがはやってね、デパートのブロマイド売り場にいって、原節子、上原謙とか集めたわ。 女学校は1学年5クラス(松、竹、梅、菊、桜)、1クラス50人だけど、1クラスに1人ずつ中国人がいたわね。親日家で金持ちの娘。休み時間には、クラスをこえて廊下でよくおしゃべりしてた。ああ、中国人同士、おしゃべりしたいんだなって思った。 <4年生になると、母国見学旅行と呼ばれる修学旅行が。23日間かけて下関から京都、東京など、各地の観光名所を軒並み巡ったといいます。戦争が激しくなり、サチさんたちが行ったのが最後に。> 新調の外套(実は母親がリフォームしたもの)、革靴を履いて下関に上陸したら、ヨレヨレの服を着た中学生が素足に下駄で歩いてて本当にびっくりした。女の人が道路工事してたり、人力車を日本人が引いてたり-とても乗れない。中国人なら平気で乗ったよ。伊勢神宮の鳥居の下で日本人が乞食をしているのを見て、”先生、日本人が乞食しています! なんで日本人が”って。(つづく)2020年8月22日 「しんぶん赤旗」 11ページ 「見学旅行で知った”母国”との違い」から引用 戦前の日本人はタバコ会社のサラリーマンでも、満州国ではエリート並みの生活ができて、家政婦とか人力車を引く車夫というような仕事は朝鮮人か中国人がするもので、日本人がする仕事ではないというのが「常識」だった様子が分ります。恐らく学校でも、日本人は優秀な民族だから朝鮮人や中国人の上にたってリードしていくのだ、というようなことを教えていたのでしょう。それが、たまたま日本本土に修学旅行で来てみたら、なんと日本人が乞食をしていたというのですから、びっくりしたに違いありません。この記事は末尾に「つづく」と書いてあるので、引用文もそうしてますが、私はこの「つづき」を掲載した新聞は入手できていないので、当ブログにこの記事のつづきを引用する予定はないことを、予めお断りしておきます。それにしても、「松・竹・梅」のその下に「菊」「桜」という順になっていたとは知りませんでした。
2020年09月02日
ホテル・ニューオータニで「桜を見る会」を開いたときは、参加者一人一人が個別に会費5千円を払って領収書をもらったから、安倍事務所は関与していないわけなので、政治資金報告書にも記載はしなかったと安倍首相が言い張るので、野党議員が別のホテルに「おたくの場合は、そういうことってあり得ますか?」に聞いたら「それはあり得ません」と明快な返答があったのだが、それで安倍首相はどうしたのか、12日の東京新聞は次のように書いている; 「桜を見る会」の前夜に安倍晋三首相と地元支援者が東京都内で開催した懇親会を巡っては「明細書の発行を受けていない」などとする首相の主張を、開催ホテル側か否定した。野党は首相の虚偽答弁の可能性を指摘している。 首相は、懇親会の運営について、主催は自身の後援会だとしながらも、ホテル側との契約主体は個々の参加者だったと主張。一人5千円の会費は「集金した全ての現金をその場でホテル側に手渡す形で、参加者から支払いがなされた」と説明してきた。 だが2013、14、16年に懇親会場となったANAインターコンチネンタルホテル東京(東京都港区)の広報担当者は、立憲民主党の辻元清美衆院議員の問い合わせに対し、13年以降に開かれたパーティー・宴席では、見積書や請求明細書は主催者に発行していると回答。代金は主催者がまとめて支払い、政治家や政治家の関連団体でも「例外はない」とした。 ホテル側の回答通りなら、懇親会を開催した首相後援会には収支が発生。政治資金収支報告書に記載がなければ、政治資金規正法違反に問われかねない。 首相は2月の衆院予算委員会で、ホテルの営業担当者の話として「個別の案件は営業の秘密に関わるため、回答には含まれていない」と反論した。首相答弁の翌日にホテル関係者が自民党本部を訪問。ホテル側はその後、コメントを控えた。(中根政人)2020年4月12日 東京新聞朝刊 12版 2ページ 「会場側が首相の説明否定」から引用 ANAインターコンチネンタルホテルが「パーティ参加者に個別に領収書を出すことはない」と証言して数日後に、自民党は同ホテルの責任者を呼び出して、どんな話をしたのかは明らかになっていないが、おそらく「これからも東京で商売をしていく気なら、滅多な情報をメデイァに流してはならん! わかったかっ!」というような恫喝があったに違いないと思います。そうでもなければ、それまでは隠し立てをしないで明朗に取材対応していたホテルが、急に黙り込んでしまうはずがありません。なにしろ安倍事務所というのは、例の火焔ビン事件でもわかるように、暴力団との付き合いもあったようですから、その辺のノウハウにも事欠かないのだと思います。そういうふうにして支えられている「政権」でいいのか、国民は真面目に考えてみるべきではないでしょうか。
2020年04月24日
ある日、ツイッターを眺めていると、つぎのような投稿が目にとまった;安倍首相が言う「議論しない野党」とは、国会に設置された憲法審議会の議論が進まないことを指して「野党が審議会の開催に協力を拒否しているから、改憲の議論が進まない」ので、「議論しない野党」と安倍氏は言うわけである。しかし、それは安倍氏の勝手な言分に過ぎず、実際には野党は憲法審議会で「国民投票を行なう際のTVコマーシャルを規制する法案を審議しよう」と言っているのに、自民党はその審議を始めると改憲発議が遅れるので、野党提案を受け入れず即座に改憲案を提示することを狙っているため、与野党折り合わず憲法審議会の議論はまったく進まずに前回の会期を終えたのであった。したがって、野党は議論を避けているわけではない。それどころか、安倍政権は今年の3月に新年度予算が成立した直後から、予算委員会の開催を拒否している。国会内で一定数の議員の要求があれば予算委員会は開催されなければならないのに、ルールを無視して安倍政権が予算委員会の開催を拒否するのは、実に不当な行為である。そのことを棚に上げて、どの口から「議論をしない野党」などと言えるのか、というのが上のツイッターの主張である。選挙活動でも、この点は野党候補は積極的に取り上げて与党攻撃の材料にするべきだと思います。このツイートもなかなか「攻撃力」があると思います。安倍首相の発言には、これまでの自民党内の憲法論議の蓄積など皆無で、自分ひとりで考えた「憲法改正が必要な理由」であり、自分の支持団体が作ったパンフをチラッと見てその場限りの思いつきで言い出すから、こういう赤っ恥をかくような発言が何度も繰り返される。有権者もそろそろ、こういうレベルの低い人物には見切りをつけて、もう少し「総理の座」に相応しい人物の登場を期待し実現するためには、少々野党の議席を増やすという荒療治をするべきではないかと思います。
2019年07月10日
16世紀末に朝鮮に出兵した豊臣秀吉の軍勢が、引き上げる時に連行した朝鮮人に関する資料展示が都内の博物館で開かれていることについて、5月30日の東京新聞は次のように報道している; 豊臣秀吉が16世紀末に朝鮮を侵略した文禄慶長(ぷんろくけいちょう)の役(えき)で捕まり、日本に連行された朝鮮被虜人(ひりょにん)たちの実像に迫る企画展が、東京都新宿区大久保の認定NPO法人高麗(こうらい)博物館で開かれている。「連行した陶工を保護育成したといわれるが、被虜人の大半は奴隷同然の生活を強いられ、まさに戦争難民だった」と考察した。 館の有志7人がこの4年聞、九州や韓国などで調査した成果。写真や図表も交えたパネル32枚を展示した。7年に及ぶ侵略で被虜人は推定7万人いたという。西国の大名らは陶工を連れ帰り、各地で窯業が発達した。「藩による窯業保護の確立は役後20年近くたってからがほとんど。その間、被虜人たちは難民として苦労しながら辛うじて陶工の生活を成り立たせていった」と指摘した。 女性や子どももいて、人身売買された。一方で加賀藩で町奉行に就いた金如鉄(キムヨチョル)のような例も。定住先で望郷の思いを託した朝鮮歌舞は九州に残る神事や芸能に影響を与えたという。被虜人の学者が「○有飛○返寓公」(もし飛○有(ひこうあ)らば寓公(ぐうこう)を返せ=飛ぶ船があるならば私を帰してくれ、の意)と慨嘆した詩も紹介した。(※引用者注:記事の一部に表示できない文字があったので○印にしましたが、正しい文字を画像ファイルで示します。) 展示メンバーの李素玲(イソリョン)さん(80)と遠藤悦子さん(76)は「今でも朝鮮半島で負の記憶として残る苦しみや史実を理解することが、隣国間の友好関係につながれば」と話した。展示は8月27日までで、月、火曜休み。入館料400円。問い合わせは同館=電03(5272)3510。(辻渕智之)2017年5月30日 東京新聞朝刊 21ページ「朝鮮被虜人 苦難と足跡たどる」から引用 私は社員旅行で有田焼の窯元を訪ねたときに、ここの窯業技術は秀吉の朝鮮出兵の際に連行された朝鮮人によって伝えられたものだという説明を聞いて、秀吉の時代にそういうことがあったことは知りましたが、朝鮮侵略が7年間も続いたとか、その間に強制連行した朝鮮人は7万人と推定されるとか、その中には出世して町奉行にまでなった人物もいるとか、まあびっくりする事実ばかりです。秀吉も、朝鮮出兵の費用を、そんなことに使わずに、豊臣家が末永く存続するような政策に使っていれば、徳川に天下を奪われるようなことにはならなかっただろうに、と思います。
2017年06月20日
戦争法を強行採決し、軍事国家への道をひた走る安倍政権を、前衆議院議員の佐々木憲昭氏は、6月19日の「しんぶん赤旗」日曜版コラムで、次のように批判している; 日本最大の財界団体である日本経済団体連合会(経団連)は、安倍内閣・与党が昨年9月19日、戦争法(安保法制)を強行採決したとき、ただちに「歓迎したい」とコメントを発表しました。その4日前には、武器輸出を国家戦略として推進すべきだとする「提言」を発表しています。 経団連が、戦争法を歓迎し軍需産業の振興を求めるのは、安倍内閣と結託して軍事国家をつくる野望があるからです。 もともと経団連は侵略戦争を遂行した戦時中の経済団体を引き継ぎ、戦後アメリカのアジア戦略に協力するなかで、1946年に創立されました。50年に勃発した朝鮮戦争を契機に、経団連の内部に防衛生産委員会を立ち上げ、朝鮮特需によって軍需産業を復活させました。経団連は創立当初から戦争と密接な関係をもっていたのです。 防衛省が武器・弾薬などの装備品を買い入れている会社の上位20社のうち、過去15年間に経団連の役員を務めた大企業(子会社を含む)は13社に上ります。 装備品中央調達の総額は2014年度で1兆5717億円。そのうち経団連役員企業の受注額は8416億円で、全体の53・5%を占めます。経団連と軍需産業は密接な関係にあり、軍事予算や装備品調達は巨額な利潤源になっているのです。 そのため日本の財界・軍需産業は、軍事費の増額、武器輸出の推進、宇宙の軍事利用を長年にわたって執拗(しつよう)に求めてきました。 安倍内閣は、その要望に応え、13年12月に国家安全保障会議を設置して「国家安全保障戦略」を作成し、防衛大綱や中期防衛力整備計画の改定を行いました。14年4月には、武器輸出を解禁する「防衛装備移転三原則」をつくり、15年1月には軍事利用を含む宇宙基本計画を策定しています。 さらに15年4月、日米で新ガイドライン(日米軍事協力の指針)をつくり、同年9月19日に戦争法(安保法制)を強行、10月1日には防衛装備庁を発足させました。 日本の財界・軍需産業は、アメリカの軍産複合体(軍需産業などと軍隊・政府の連合体)の下に組み込まれながら、他方でアジア諸国への軍事的援助を増やし武器輸出の拡大を狙っています。 武器弾薬などの軍需物資は、個人消費のためではなく、人間を殺傷し器物を破壊するためのものです。軍事費の増大は、社会保障・福祉を圧迫します。また「秘密保護」の態勢をつくりあげ民主主義を圧殺します。 財界の軍事国家づくりの野望のもと、戦争する国へと暴走する安倍内閣を打倒するたたかいをいっそう強めなければなりません。佐々木憲昭(ささき・けんしょう 前衆議院議員)2016年6月19日 「しんぶん赤旗」日曜版 20ページ「経済 これって何?-戦争法を歓迎する財界」から引用 軍需産業の復活は、平和を求める日本国民にとって由々しき事態であると言えます。とかく資本家というものは、世の中の平和よりも己の懐が豊かになることを優先する者で、資本の論理に支配された資本家は金儲けのためなら他人の命など一顧だにしない。だから、平気で自衛隊を海外に派兵し、武器弾薬を消耗させて、それにつれて生産高を上げて利益を獲得する、そのためには自衛隊員の命などは、莫大な利益の中から少額の保証金を出すだけで間に合ってしまうのだから、経団連にとってはまたとないビジネス・チャンスというものです。こういうことをやっている安倍政権を、私たちはいつまでも容認しておくわけにはいかないと思います。
2016年09月07日
ジャーナリストの林信吾氏は、イギリスのEU離脱を決めた国民投票と日本の憲法改正を決める国民投票の共通点について、7月22日の「週刊金曜日」に次のように書いている; かなりの程度まで予想されていたことではあるが、先の参院選において、自民党を中心とする改憲勢力が3分の2の議席を占めた。 今こそ、去る6月23日に英国で行なわれた、EU(欧州連合)からの離脱を決めた国民投票に、あらためて注目すべきではないだろうか。 言うまでもなく、わが国でも改憲の発議から国民投票へ、という動きになることが、現実味を帯びてきたからである。 なにより、離脱決定後の英国の混乱ぶりを見るにつけ、後悔先に立たず、とはこのことだ、との思いを強くするのであり、近い将来、改憲の是非を問う国民投票があったような場合には、断じて英国の轍(てつ)を踏んではならぬ。 まず、離脱派のスローガンは、「国家を我らの手に取り戻せ」であったが、ここで早くも、「日本を取り戻す」という安倍内閣のスローガンを連想した読者も、決して少なくないであろう。そう。両者の発想は、実はかなり似通っているのだ。 そもそもEUとはなにかと言えば、端的に、二度の大戦を経験したヨーロッパ大陸諸国が、戦争の恐怖から永久に解放されたいと願い、国家の主権を制限し、国境を有名無実化する「国境なき国家連合」を目指したというものである。 これに対して英国には、冷戦時代でこそ、西欧諸国がひとつにまとまることに意義があったが、今さら通貨や国境の管理権までEU委員会という官僚機構に譲り渡すべきではない、と言って憚らない政治家が多い。 事の当否を論ずる前に、占領軍に押しつけられたものだから、という理由で、まずは改憲ありきの議論を展開する人たちと、どこか似通って見えるのである。 始末の悪いことに、どちらも自分たちを真の愛国者だと信じて疑わない、という共通点もある。 さらに言えば、EUから離脱すれば、分担金を福祉に回せるとか、離脱派の主張は嘘八百と言って差し支えないようなものであったことが、今になって次々と暴露されている。◆投票率の縛りは国難 こうしたことを受けて、ハーバード大学のケネス・ロゴフ教授は、「投票率が70%だった現実を踏まえると、有権者のわずか36%が離脱キャンペーンに乗せられたに過ぎない」「英国のEU離脱について、ハードルはより高くあるべきだった」 と主張する(『週刊東洋経済』7月9日号より抜粋)。 たしかに日本でも、憲法改正をめぐる国民投票については、投票率の縛りをかけておくべきではないか、との議論はある。 仮に、昨今の国政選挙並みに、投票率が50%そこそこであったなら、有権者の25%程度の賛成でも「改憲派が多数」となってしまうからだ。 しかし、著名な憲法学者である石川健治・東京大学教授は、こう語る。「投票を義務化している国もありますが、日本はそうではない。純粋に権利ですからね。権利を行使しなかった者は黙って結果を受け容れる。そういう制度設計になっている以上、あらかじめ投票率の縛りをかけるのは、ちょっと無理でしょう」 今はなき菅原文太氏は、「政治の役割は二つある。ひとつは国民を飢えさせないこと。もうひとつは、戦争をしないこと」 と喝破した。 有権者の役割も二つあるのではないだろうか。 ひとつは、政治家の嘘に乗せられないこと。もうひとつは、自分の権利を国家に売り渡さないことだ。 しかも消息筋によれば、官邸は今後「9条は変えない。戦争はしない」と強調しつつ「震災を想定しての」緊急事態条項を通そうとする可能性がある。まずは改憲の既成事実を作りたいのだろう。はやし しんご・作家、ジャーナリスト。2016年7月22日 「週刊金曜日」 1097号 26ページ「自分の権利を国家に売り渡すな」から引用 イギリスのEU離脱は歴史の進歩という観点からみて「是」なのか「否」なのか、素人にはなかなか判断が難しいところであるが、林氏のように「国家連合を組織することによって国境をなくすことが歴史の進歩である」という明確な価値観を持っている人の目には、いろいろと見えてくるものがあり、EU離脱を主張する政治家は「国家を取り戻す」と言い、憲法改正を主張する日本の政治家は「日本を取り戻す」と主張している。そう言われてみれば、確かにこれは偶然の一致というにはあまりにも一致しすぎており、政治家の嘘に乗せられてはならないという「警鐘」は耳を傾ける価値があると思います。日本を取り戻すなどと言うと、まるで今は奪われているとでも言いたげですが、私たちの日本は誰にも奪われてはいません。安倍氏が取り戻したいのは戦争に負けて解散させられた軍隊なのであって、その本音を隠すために「日本を・・・」と言っているに過ぎない。そういう嘘に私たちは乗せられてはならないと思います。
2016年08月27日
イギリスのEU離脱は賢明な判断だったのか、愚かな選択だったのか、素人にはなかなか理解できない事例であったが、同志社大学教授の浜矩子氏は、この問題について7月17日の東京新聞に、比較的分かりやすい解説を書いている; この間、「プレグジツト」(Brexit)についてたくさんの取材を頂戴した。ご存じ、英国の欧州連合(EU)離脱問題である。懸命に対応しているうち、連想言葉が1つ頭に浮かんだ。それは”Brexodus”だ。「ブレクゾダス」と読んでいただきたい。 この連想言葉をもって考えたいのは、英国のEU離脱が英国からの企業や人々の脱出につながるかというテーマだ。”exodus”は脱出の意だ。旧約聖書中の「出エジプト記」の原題が”exodus”である。当時のイスラエルの民はエジプト配下にあった。彼らの大脱出物語が「出エジプト記」だ。 ブレグジツトは、ギリシャの脱ユーロ圏すなわち「グレグジツト」が取り沙汰される中で生まれた言葉だ。どっちも、誰が最初に使いだしたか分からない。だが、「ブレクゾダス」は、筆者が知る限り、筆者の発明だ。知的所有権を確立しておく必要ありか? それはともかく、ブレグジツトがブレクゾダスをもたらすか否かは一重にブレグジツト後の英国の対応いかんだ。そして、それを規定するのが何のためのブレグジツトだったかという問題である。彼らは開放を求めてEUからの離脱を選んだのか。閉鎖のための選択だったのか。 実をいえば、プレグジツトについて筆者はいささか複雑な思いを抱いている。離脱という選択は正しかったと思う。だが、この正しい選択は、果たして正しい判断に基づくものだったか。そこに、どうも一抹の不安が残った。 少し時間が経過する中で、不安の要因がかなりはっきり整理できてきた。要するに今回の離脱派の中には、二種類の離脱支持者が混在していたのである。名づければ、かたや「従来型良識的離脱派」。そして、かたや、「にわか型発作的離脱派」である。前者は、開放を求めてブレグジツトを選んだ。後者は、閉鎖願望にしたがってブレグジツトを叫んだ。 従来型良識的離脱派は、統合欧州がどんどん窮屈な均一化の世界になっていくことに懐疑の念を深めていた。海洋国である英国は、常にその内なる多様性と包摂性を誇りとしてきた。相異なる者たちが、相異なったまま、お互いを受け入れ合う。それができる経済社会の開放性に、英国らしさを見いだしてきた。 島国だからこそ開放的でなければ生きていけない。おおらかで融通無碍(むげ)でなければ、安泰ではいられない。そう確信する従来型のEU懐疑派には大陸欧州的「お仕着せワンサイズ」の秩序が、何としてもしっくりこない。世界に向かって常に開かれた英国を復権させたい。それが彼らの思いだ。 一方の「にわか型発作的離脱派」は、日頃の不満や不安をEUにぶつけた。犯人捜し型離脱派だ。押し寄せる移民に職を奪われる。彼らが英国の社会保障制度にただ乗りするのは、我慢ならない。いわば英国版ドナルド・トランプ信奉者たちだ。2つの離脱派のどちらが主導権を握るか。それで、プレグジツト後の展開が決まる。 ここで、日本に思いが及ぶ。「強い日本を取り戻す」ことばかりに政治が固執すれば、日本は共生のグローバル時代からジャバジットの道をたどる。そうなってしまったら、筆者はジャバゾダスを考えなければならない。問題は行く先だ。流浪の民にはなりたくないが・・・。(同志社大教授)2016年7月17日 東京新聞朝刊 4ページ「時代を読む-プレグジットの次に来るもの」から引用 EU離脱とは移民に開かれていた扉を閉じることだとばかり考えると、今回のイギリス人の投票行動を正しく理解することができないということのようです。「離脱」に一票を投じた人々の中には「移民のシャットアウト」を目的にした人たちとは別の、もっと世界に扉を開いて開放的にするべきだという正反対の「意志」を持つ人々がいる、そこを見落とすと「イギリス人は何を考えているのか?」という疑問に取り付かれるわけです。しかし、この先イギリスが正しい進路を辿るかどうかは、「従来型良識的離脱派」と「にわか型発作的離脱派」の、どちらが主導権を握るかにかかっているので、油断はできません。
2016年08月10日
天皇が生前退位を言い出したという問題について、雑誌編集長の篠田博之氏は、7月24日の東京新聞コラムに、次のように書いている; わかりにくいとしか言いようがないのが7月13日夜に始まった「天皇陛下生前退位の意向」報道だ。NHKの夜7時のニュースを皮切りに大量報道がなされ、生前退位がもう決まったかのように誤解している人も多い。でも、いまだに宮内庁は否定したままだ。 週刊誌も各誌特集を組んでいる。でも相反する見立てが披露されていたりと百家争鳴状態だ。例えば『女性自身』8月2日号では皇室担当記者がこう証言している。「安倍首相は、陛下が望まれる皇室典範の改正を、自らの”野望”である憲法改正への”追い風にしよう”と考えているように見えます」 しかし『サンデー毎日』7月31日号でノンフィクション作家の保阪正康氏はこう書いている。「日本国憲法の理念が危機にひんしている現在の状況に対して、今上天皇が不安感をお持ちになり、何らかの形で異議申し立てを表明なさったとしても不思議ではありません」「生前退位のご意思は、改憲の潮流に対して今上天皇が起こされた『たった一人の反乱』ということになります」 そもそも「退位の意向」が具体的に、誰にどんな形で示され、それがなぜこういう報道になったのか。背後の事情についても見方はさまざまだ。『週刊ポスト』8月5日号では皇室ジャーナリストの山下晋司氏がこう述べている。「宮内庁サイドが”公式には発表できないが、なんとかして陛下のお気持ちを伝えたい”と考え、NHKに報道させるかたちになった可能性はある」 近々天皇陛下自らが何らかの説明を行うのではとの指摘も多い。『週刊朝日』7月29日号で皇室担当記者がこう語っている。「すでに、陛下の文書の内容も大筋は固まっているとの情報もあります。あとは公表の時期。早ければ8月とも言われています」 こうした状況について『アエラ』7月25日号で作家の佐藤優氏がこうコメントしている。「天皇制という国家の民主的統制の根幹にかかわる重要なテーマについて、情報源が明らかでない報道によって世論が誘導されてしまうことは、非常に問題が大きいと思います」。同感だ。 この間題、これからどうなるのか。(月刊『創』編集長・篠田博之)2016年7月24日 東京新聞朝刊 11版 29ページ「週刊誌を読む-宮内庁否定のまま百家争鳴」から引用 この問題が報道された当初は、どのニュース番組でも一連の宮内庁からのリーク情報を披露した挙げ句「尚、宮内庁報道官は『陛下がそのようなご発言をなさったという事実はありません』とコメントしました」と言うものだから、視聴者は「なんのこっちゃ」という印象を持つのであり、この記事のように「わかりにくい」という状況になっているものと思われます。そして、宮内庁が一連の報道の中でいちいち「陛下はそのような発言はしていない」と断りを入れるのは、現在の憲法と皇室典範には「生前退位」に関する規定がないため、状況によっては今上天皇が「自分は生前退位したいから、そのように法律を整備しろ」と行政府に指示を出す、いわゆる「政治介入」ととられることを警戒している、そのために世論を煙に巻く「作戦」に出ているということだと思います。そういう観点から、佐藤優氏が言うように「情報源が明らかでない報道によって世論が誘導されてしまうことは、非常に問題が大きい」と言えます。
2016年08月06日
先月開催された「ジャーナリズムのあり方を考える」シンポジウムについて、7月24日の東京新聞は、次のように報道している; ジャーナリズムのあり方を考えるシンポジウムが23日、東京都千代田区の専修大神田校舎であった。ゲスト出演した東海テレビ放送(名古屋市)プロデューサーの阿武野勝彦さん(57)は「(政権側への)忖度は隅々まで行き渡り、無考(むかんが)えの自主規制もある」と危機感を訴えた。 3月まで報道番組のアンカーを務めた岸井成格(しげただ)さんら5人が発言した。高市早苗総務相は、政治的公平性を欠いたと判断した放送局に対し「電波停止」を命じる可能性に言及したが、岸井さんは「政権に都合が悪い情報は全て偏向報道になってしまう」と批判。参院選の報道を振り返り「公平を意識するあまり『めんどくさい』という考えがテレビにできた。(参院選の)放映時間が短くなり、争点が隠れてしまった」と指摘した。 阿武野さんは「自主規制の枠を打ち破っていきたい」と意気込みを語った。日本ペンクラブ会長で作家の浅田次郎さんは「空気に染まらないように、踏みとどまらなければならない」とメディアの奮起を促した。 シンポジウムは日本ペンクラブと専修大文学部が共催し、400人が集まった。2016年7月24日 東京新聞朝刊 11版S 30ページ「考えなしの自主規制ある」から引用 安倍政権は報道機関を弾圧したわけではありませんが、高市総務相は「放送法第4条を根拠として停波を命じる事態が、将来にわたって無いとは言えない」と、回りくどい表現をして、あまり興味の無い人にはなんでもない発言だったかも知れませんが、テレビ局に勤務する人たちにとっては、これはかなり大きな圧力として作用しています。その結果、岸井成格氏が指摘するように各テレビ局は参議院選挙の報道を少なくし、争点を隠すことに貢献し、結果として自民党圧勝をもたらした、これこそが安倍政権が狙った作戦だったと言えます。このような不当な事態を改善するには、高市発言の撤回を求めるか、さもなければ国連特別報告者がいうように、放送法第4条の削除を求めていくべきと思います。
2016年08月02日
憲法学者で日本大学教授の百地章氏は、産経新聞にもよく寄稿していますが、昨年7月に明成社から出版した「まんが 女子の集まる憲法おしゃべりカフェ」という小冊子の監修者でもあります。この小冊子は「憲法を改正しよう」という立場から、現行憲法の問題点を指摘するという内容で、憲法に「緊急事態条項」を加える必要があるという説明に、次のようなページがあります;百地章監修「まんが 女子の集まる憲法おしゃべりカフェ」(明成社)6ページ、7ページを引用 このマンガをうっかり読めば、あの東北大震災のときガソリンの買い占めが起きて救急車も出動できなくなって、そのせいで死亡した人が千人以上もいたんだ、と思い込んでしまう人も中にはいるのではないでしょうか。 そう思っていたところ、私がよく聞くTBSラジオの「Settion 22」という番組で、5月5日の放送でパーソナリティの荻上チキ氏がこの問題を取り上げ、震災関連死は千人以上いるのは事実だが、全員がガソリン不足で救急車が動けないために死亡したわけではない、それどころか、今年の春にTBSテレビの「報道特集」が岩手・宮城・福島の全消防署にアンケートをとったところでは、「ガソリン不足で救急車が出動できなかった事例は皆無である」という答えばかりだったことが放送されている、したがってこのマンガはデマだ、と批判しました。その時の荻上氏によれば、問題はこのページだけではなく、始めから終わりまで「疑問」や「問題」が数え切れないと言ってました。詳しくは、http://www.tbsradio.jp/32534 それに対して、百地章氏は5月17日の産経新聞・コラム「正論」でこれに反論し、5年後のアンケートよりも、当時の新聞報道が重要で、震災直後にガソリンの買い占めが起きてガソリン不足が問題だという記事はあるし、救急車を頼んだのに自分で運ぶように言われたという事例も報告されている、だから「デマ」という批判は当たらないというようなものでした。百地氏の主張では、こういう災害時には首相に権限を集中し、必要な食料や燃料その他を優先順位の高い順に供給できるように、非常事態条項を憲法に書き加えるべきだということのようです。しかし、百地氏の論法は、当時一部にガソリン買い占めの動きがあった、救急搬送を断られた事例があった、という断片的な事実を自分流に組み立てて、あたかもガソリン不足で救急搬送を断れて死に至った人が千人以上もいたかのようにマンガに書くというのは、これはデマと言われてもしかたのない所業と言わざるを得ません。荻上氏も、同じ17日の番組で、百地氏の記事を再び批判しました。詳しくは、http://www.tbsradio.jp/36194それによると、百地氏がガソリン不足を証明するために引用した資料を荻上氏が念のため確認すると、「・・・ガソリンが不足した。(不足の原因としては、メーカーが電気自動車の普及で生産を抑えたことも上げられる)」となっているのに、何故か百地氏は括弧内は引用せずに省略している、と皮肉まじりの批判もしています。このようなやりとりを見るにつけても、憲法改正というのは主権者である国民の間から出てきたものではなく、為政者の都合で勝手に変えようとする邪悪な発想であることが明らかだと思います。
2016年06月12日
官庁からネタをもらうのをやめ、調査報道で紙面をつくるという東京新聞の方針について、「新聞報道のあり方委員会」は次のような議論を交わしている; -今年から東京新聞は「読者とともに」の6文字を一面の題字の下に掲げている。本紙の報道姿勢についてご意見を。 魚住 菅沼局長が3月18日朝刊一面で「あの日々から、私たちは明確な意思を持って新聞をつくっています」と書いた。その通り東日本大震災が起きた「3・11」以来、東京新聞は明確な意思をもって紙面をつくっている。それまでのように官庁からネタをもらってつくる紙面をやめ、調査報道で紙面をつくってきたと理解している。 つまり東京新聞は新聞業界の運命を左右するような大規模な実験をやっている。毎日が勝負だ。しかし、各記者がちゃんと分かっているのかと言いたくなる紙面も時々ある。緩みが紙面に出てきたら終わりなので、気を付けてほしい。読者応答室の「応答室だより」が本質を突いた文章で楽しみにしている。東京新聞の肝だ。これからも大事にしてほしい。 吉田 3月5日朝刊「考える広場」の記事には戸惑った。福島第一原発事故による放射線被害の現状について3人の論者にインタビューしていたが、放射線の影響が科学的に大丈夫と考える方と、逆に危ないという方、福島に住んでいる方の話をまとめて投げられても、読者はどう考えればいいのか。 デー夕と生活実感が矛盾しているということだろうが、取材した記者がどう思ったか聞きたくなった。矛盾した現実は丁寧に伝えてほしいが、時には記者の生の声、感覚で書き切った方が分かりやすい。 田中 「読者とともに」という6文字は、どんな紙面にしたいのか分かりにくい。いろいろな読者がいるのだから。価値観を共有できるキーワード、たとえば「声なき声を聞く」「読者の近くに」「心に刺さる新聞」ならイメージできる。 見やすさと読みやすさも気にしてほしい。数字は表にするとか、文章に数字を入れないとか試みてほしい。記者が何を書きたいのか分からない記事もある。記者が本当に書きたい記事なら、おのずと分かりやすくなり心にも刺さる。 木村 テレビで仕事する立場からすると、新聞がうらやましい。テレビのニュースが低迷している理由は分刻みで出る視聴率のせいだ。コマーシャルを挟むタイミングとか、小手先の競争ばかりしている。 新聞は定期購読者がいて、少しぐらい脱線しても読者は逃げない。安定した経営基盤でニュースを伝える新聞が、読者におもねったら終わり。むしろ読者にどんどん挑戦していく紙面をつくったほうが新聞も活性化するし、結果的に読者に喜ばれる。分刻みの視聴率に左右されないメディアなのだから、ぜひ好きなようにやってほしい。 菅沼 3・11以降、読者が知りたがっているのは、お上の発表ではなく、本当のこと。当局の発表に依存せずに、自分たちの伝えなければならないことを独自取材で掘り下げるよう言い続けている。5年がたち進化していると思うが、まだまだと思うのもある。読者の支持を励みに、信頼される新聞をつくりたい。実験の失敗は許されない。戦争中のような「大本営発表」の報道になったら終わり。新聞の原点、本来の使命に忠実になれるよう取材・編集態勢をしっかり構築していきたい。 深田 3・11は本当に緊張した。あの緊張を思い起こすため、5年前の一面に掲載した評論「原発に頼らない国へ」を2月8日の社説に再掲載した。自分たちの変わらない意思を読者に伝える意味もあった。当時、読者からはたくさんの反響が届いた。繰り返すが、読者の知る権利を行使します、という意識を再確認したい。論説は「権力に厳しく、人に優しく」、権力を監視し、弱者の目線をもつということです。2016年4月6日 東京新聞朝刊 11ページ「『心に刺さる』記事を」から引用 福島第一原発の事故による放射線被害について、我々はどう考えるべきなのか、これは大変難しい問題です。政府は原発事故で汚染された地域の放射線の安全基準を、それまでの倍以上の値に偏向して、一通り除染作業を終えた地域に、以前よりも測定線量が多くても安全だと言って近々避難生活にたいする補償を打ち切る方針ですが、本当に安全かどうか、10日や一ヶ月で結果が分かるものでもないため、不安は残ります。 また、この記事で東京新聞の担当者は「権力に厳しく、人に優しく」やっていきたいと述べており、私は大いに期待したと思いますが、当ブログのコメンテーターの中には、「権力に厳しいヤツはサヨクだ」などとワケの分からないことを言い出す人もいるようで、この際、こういう記事をよく読んで誤解を解いてほしいものだと思います。
2016年05月01日
シンガーソングライターのさだまさし氏は、原子力発電について、3月20日の東京新聞コラムに次のように書いている; 東日本大震災から五年。 軽々しく「もしも」などと言うべきではないが、今でも思うことがある。もしもあの時、東京電力福島第一原発の事故がなければ、と。 この国で暮らす人たちは、地震災害も心のどこかで覚悟しているだろうし、大津波だって頭のどこかでは警戒しているはずだ。 実際にそれが起きた時に身を守れるかどうかは別だが、わが身を襲う危険の一つとして想定しているだろう。 しかし、想定外のものがある。それがあの福島第一原発事故だった。 僕は長崎市出身で、原子爆弾が投下されてわずか7年後に爆心地近くで生まれていることもあり、放射能災害は決して「人ごと」ではない。 そして、かつて長崎でそうだったように、最初は強い怒り、悲しみを持って心を保つことができても、やがて心は折れ、諦め、それを「人ごと」と思っている人々の心ない差別を恐れて、「その町の出身であること」を隠すような悲しいことが起きる。 これほど悔しくて切なく、腹立たしいことはない。 原子力発電が行われるようになった40年以上前のこと、僕のラジオ番組で日本のロケット開発の父、糸川英夫先生に原子力発電とはどういうものなのかうかがったことがある。「ざっくりとおおらかに説明します。仮にスイカを想像してください。核分裂というのは、丸い核の球を、つまりスイカを包丁で割るとイメージしてください。割る前の重さより割った後の方が、切られた分、ほんのわずかに軽くなっているはずです。その減った量がエネルギーとして取り出される」 糸川先生はさらに続けた。「ただし、このスイカを割る前のようにきちんと閉じる技術がまだありません。この開いたまんまのスイカ、つまり核廃棄物が放出する放射能は半減期までに数十万年かかる。その処理方法を持たない以上、原子力発電は不完全な技術です」。心に残る言葉だ。 大地震や大津波は抗(あらが)いようのない自然災害だが、原発事故は防ぐことが可能な「人災」だろう。 原子力発電については利害、利得を超えて賛否さまざまなご意見もあるだろうが、こういう事故が二度と起きない、と安心できる材料が僕にはまだみつからないでいる。 糸川先生の言葉を思い出すまでもなく「人が制御できないもの」を、人が動かすべきではないと素朴に思う。 大災害から数年をへて着々と復興する町もあり、まだまだ手つかずの町もある。地震や津波の心の痛手から立ち直ろうとする人もあり、いまだに痛み続ける人もある。 ただ「人災」だけは二度と起こしてほしくないと、震災5年の春に心から願う。(シンガー・ソングライター、小説家)2016年3月20日 東京新聞朝刊 16ページ「つれぐれ-『不完全な技術』への不信」から引用 さすがに人気のシンガーソングライターが書いた文章だけあって、不思議と心に訴えかける説得力のある記事だと思います。地震や津波というような災害については、耐震建築とか高台に引っ越しするというような「安心できる対策」が可能ですが、原発事故については「これで大丈夫」と言える「安心できる材料」がまだ無いというのが実情です。人が制御できないものを人が動かすべきではない、正にその通りです。
2016年04月13日
拉致問題をうまく利用して最大限のスタンドプレーを行い首相の座を手に入れた安倍晋三を、1月22日の「週刊金曜日」は、次のように批判している;「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」元副代表の蓮池透(はすいけとおる)氏が出版した『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』(講談社)が、話題になっている。 1月12日に開かれた衆議院予算委員会では、民主党の緒方林太郎(おがたりんたろう)議員が同書を取り上げ、「今まで拉致問題はこれでもかというほど政治的に利用されてきた。その典型例は実は安倍首相によるものである」という一節を読み上げて、「首相は拉致を使ってのし上がった男でしょうか」と質した。 これに対し、安倍首相は声を荒げて「ここで私の名誉を傷つけようとしている。極めて私は不愉快ですよ」と反論したが、同じパターンが以前もあった。2006年10月11日の参議院予算委員会で、民主党の森ゆうこ議員(当時)が、同年発売された『週刊現代』10月21日号掲載の、「安倍晋三は拉致問題を食いものにしている」という表題の記事を取り上げたのだ。 この記事は、中国朝鮮族の実業家で、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が他国と交渉する際の「大物ロビイスト」とされた崔秀鎮(チェスジン)氏のインタビュー。崔氏は安倍首相から北朝鮮との秘密交渉を依頼されたというが、そこで首相について「単に政治的パフォーマンスとして拉致問題及び北朝鮮問題を利用しているにすぎないのです」と述べている。 森議員が「この記事の事実関係」を質しただけで、首相は「一々コメントするつもりはまったくありません。事実、食い物にしてきたということをこの委員会で言うのは失礼じゃありませんか」と、興奮した口調で発言している。 今回、蓮池氏が同書で首相の「ウソ」として取り上げている主な点は、以下の二つだ。(1)2002年9月に小泉純一郎首相(当時)が訪朝した際、官房副長官として同行した安倍氏が、「『拉致問題で金正日(キムジョンイル)から謝罪と経緯の報告がなければ共同宣言に調印せずに席を立つべき』と自分が(注=小泉首相に)進言した」。(2)蓮池氏の実弟の薫氏が同年10月に「一時帰国」した際、安倍氏が「帰国した被害者5人を、北朝鮮に戻さないように体を張って必死に止めた」というもの。◆首相の拉致問題の「政治利用」 蓮池氏は同書で(1)について、「席を立つべき」という方針は安倍氏が言い出したのではなく、当時の政府の共通認識だった。(2)については、安倍氏は北朝鮮に戻ることに当初反対しておらず、5人の帰国を引き止めたのは蓮池氏自身だったと指摘。 だが安倍首相は、緒方議員が「蓮池氏がウソをついているのか」と迫ったが、「(自説が)違っていたら国会議員を辞める」と反論した。 これについて、拉致問題が安倍首相や右派によって「政治利用」されてきた経過を追った『ルポ拉致と人々』(岩波書店)の著者で、今回の蓮池氏の近刊にも著者との対談が掲載されているジャーナリストの青木理(あおきおさむ)氏は、「おおむね、蓮池氏の指摘が正しい」と断言する。特に(1)については、小泉政権時代の田中均(たなかひとし)元外務審議官のインタビューで裏付けを取っており、「安倍首相だけが一人、独自の主張をしていたのではない」と述べる。 また青木氏は、「首相は副官房長官当時、周囲の”番記者”にベラベラと拉致に関する情報を話していました。拉致問題を最大の跳躍台にして駆け上がり、首相の座まで射止めたのは間違いない」と指摘。さらに、「実際首相がやったことは蓮池氏も指摘するように『北の脅威』を煽って制裁を強化するだけで、問題解決のために何もしてはいない」と述べる。 蓮池氏もツイッターで安倍首相の答弁に対し、「私は決して嘘は書いていません」と断言しているが、確かなのは首相はこれまで、さまざまな事実無根の発言を繰り返してきたという事実だ。福島第一原発事故後の汚染水流出について「アンダーコントロールにある」だの、日本軍「慰安婦」問題は「『朝日新聞の誤報から始まった」だのと、上げればキリがない。首相が拉致問題についての言動を批判されると感情的になるのも、本人のやましさのためではないのか。<成澤宗男・編集部>2016年1月22日 「週刊金曜日」1072号 5ページ「暴露された安倍首相の『ウソ』」から引用 小泉首相(当時)に随行して訪朝した安倍議員は、その後ことあるごとに拉致問題でテレビに採り上げられ、傍目に見ても、この人は拉致問題で手柄を上げて出世するつもりなのだなということは分かっておりました。その安倍氏が遂に首相に就任したのだから、当然のこととして安倍氏は、これまで以上に拉致問題解決のために努力するだろうと、私も思っておりましたが、どういうわけか、その後一向に事態は進展せず、政府がやることと言ったら、制裁を強めたり弱めたり、それ以外は何もしていないように見えてましたが、まさか、救出されて感謝しているはずの人物からも批判されるような実態であったとは、まさに「青天の霹靂」です。無策を指摘された安倍首相は「(自説が)違っていたら国会議員を辞める」と断言したそうですが、これは複数の証言があるのですから、安倍さんは潔く議員辞職するべきです。
2016年02月11日
俳優の津川雅彦を座長とする政府の有識者懇談会が、「天孫降臨」のアニメ映画を制作して「日本映画の世界市場開拓を目指す」という構想をまとめつつあると、16日の東京新聞が報道している;東京五輪も視野に入れ、日本文化の海外発信について提言する首相直轄の有識者会議「『日本の美』相好プロジェクト懇談会」(津川雅彦座長)が昨年、10月に発足した。メンバーの構成は首相との「お友達」色が濃い。そもそも「美」という観念を国家が語りだすと、ろくなことにならないのは歴史が証明している。公表されている懇談内容について、識者の皆さんに検証してもらった。(木村留美、榊原崇仁) 有識者会議である同懇談会は、日本の文化芸術や美意識を内外にアピールする施策などについて検討することを目的とする。2020年の東京五輪も文化発信の機会と捉えており、開会式のイメージをも視野に入れた議論を進めるという。首相の私的懇談会のため、開催費用などは内閣官房の予算から出費される。 昨年10月に、第一回会合を開催。当初は4~5回の会合を経て、今年6月に報告書をまとめ、首相に提言する予定だった。だが、長期の議論継続を望む声がメンバーから上がり、先行きははっきりしていない。 首相官邸のホームページにある第一回会合の議事要旨を読むと、右派色の強さがよくうかがえる。 象徴的なのが、座長を務める俳優の津川氏が「日本映画の世界市場開拓の一作目」として提案した「天孫降臨」の映画化だ。 「天孫降臨」は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫のニニギノミコトが日本の国土安定のために地上へ降り立つという神話。津川氏は「日本は神の国」の寄る辺となる神話を、政府が関与する形で世界に発信することを提案した。 国内外の映画祭に造詣が深い編集者の内田真氏は「これが世界に出たら一笑に付されてしまう」と語る。 「日本には、世界的な評価を得た映画作品がある。黒澤明監督の『七人の侍』はハリウッドに、人々の日常の情緒を扱った小津安二郎監督や成瀬巳喜男監督の作品は欧州の監督らに影響を及ぼした。これらとあまりにかけ離れている」 「天孫降臨」はアニメの形で制作することが想定されている。内田氏は「アニメの方が作り手の意に沿う形で表現しやすいからではないか」と指摘する。 こうしたカラーは懇談の随所に顔をのぞかせる。 津川氏は「日本の美は縄文時代から始まっている。縄文の大自然の中で、生きとし生けるもの全てに命が宿り、神が宿るという自然を愛する心が今日にまで至っている」とし、縄文文化に着目する意義を説く。 国立歴史民俗博物館の松木武彦教授(考古学)は「縄文の文化を最も象徴するのは、土偶や環状列石などに代表される精神活動。豊作を願って行われた」と解説する一方、弥生時代との違いを強調する。 「対外的な関係が大きく動いたのが弥生時代。この時代に大陸からの渡来人によって稲作が伝えられた。中国の皇帝から金印などをもらい受け、彼らの権威を借りて、日本国内をまとめようという勢力が出てきたのもこの頃からだった」 「大陸に学び、従う」という構図が弥生時代から鮮明になったわけだが、津川氏が「縄文」を前面に押し出すのは、右派が嫌うこうした構図を持ち出したくないからのようにも映る。2016年1月16日 東京新聞朝刊 11版S 25ページ「復古主義と勘違いに彩られ・・・『日本の美 懇談会』の拙さ」から引用 津川雅彦という俳優が日本の伝統とか「美」について、どのような見識をもっているのか、甚だ疑問である。私が思うに、彼は晩年になって急に「祖国のために散った特攻隊は美しい」などという映画に出演して、そういう物言いが好きな安倍氏のお気に入りになっただけの男であって、三船敏郎のような日本を代表する俳優というわけでもなく、それほど深い内面世界を持つ人物というようには見受けられない。だから、急に「座長」とか言われて、日本の伝統文化を世界に、と言われて「天孫降臨」を持ち出すというのは、あまりにも荒唐無稽、抱腹絶倒というものではないだろうか。津川氏のような人たちは「天孫降臨」などという文字を見て、こういう神話をもっているのは日本民族だけだと思っているのかも知れませんが、この手の話はどこにでもあるもので、ノルウェーでは「昔、人々はせっかくの秋の収穫物をシロクマに奪われて、生活に苦しんでいました。それを見た天国の神様が、地上に降りてきてシロクマを北極に追い払ったところ、人々の生活は豊かになりました。そこで人々は神様に、天国に戻らず地上に住んでいただくようにお願いしました。こうして、神様は私たちの国の王様になりました」という物語を、オスロの民族博物館でみたことがあります。この博物館では、この神話に小学生くらいの子どもが書いたと思われるような可愛らしい絵を添えてあって、ほほえましい物語といった風情でしたが、大の大人が真面目くさって「天孫降臨」のアニメを作ったところで、国際社会の関心をひくことができるのか、甚だ心配です。
2016年01月30日
日本政府は国連人権理事会が任命した調査官の訪日を、土壇場になって突如キャンセルしたと、11月20日の朝日新聞が報道している; 12月に予定されていた「表現の自由」に関する国連特別報告者の来日調査について、日本政府が今月になって延期を要請し、先送りされたことがわかった。特別報告者は特定秘密保護法などの情報収集のため、省庁担当者や研究者らとの面談を希望していた。 特定秘密保護法については、前任の特別報告者が2013年11月、「秘密を特定する根拠が極めて広範囲であいまいなようだ」と懸念する声明を発表。日本政府が特別報告者の調査を警戒した可能性がある。 訪日を予定していたのは国連人権理事会が任命したデービッド・ケイ氏(米国)。外務省人権人道課によると、ケイ氏側の希望に沿って12月1日から8日までの訪日で調整していたが、11月中旬に同省から「予算編成などで担当者のスケジュールが合わない」と延期を求めたという。その際、「国会などの時期は避けてほしい」とも要求し、事実上、来年秋以降の時期を提示した。 ケイ氏は朝日新聞の取材に「日本側とはとてもいい対話を重ねてきたが、先週末に延期の連絡があり、びっくりした。日本では特定秘密保護法など多くのことを調べる予定だった。訪日はあきらめていない」と語った。外務省幹部は「調査の中身で不都合なことがあるから、延期を求めたわけではない」と話す。 岸田文雄外相は20日の記者会見で、「日程の再調整を申し入れた結果、先方の理解を得た。現時点で新たな日程は決まっていないが、引き続き調整していきたい」と語った。(武田肇、パリ=松尾一郎)2015年11月20日 朝日新聞デジタル 「日本の『表現の自由』、国連調査が突如延期 政府要請で」から引用 岸田外相は「日程の再調整を申し入れた結果、先方の理解を得た」などと必死に取り繕う様子であるが、「水際で訪日を食い止めることができてホッとしている」というのが本音に違いない。ということは、安倍政権としては国連の調査に対し相当の後ろめたさがあり、予定通り調査を受け入れれば来年の参院選での自民党の惨敗は避けられないからである。それというのも、国連は日本の秘密保護法について「秘密を特定する根拠が極めて広範囲であいまいなようだ」と懸念する声明を出しており、これは国会審議でも各野党が何度も追求した問題であり、なおかつ政府・与党はこの問題についてまともな答弁を避けて、はぐらかしたりとぼけたりという誤魔化しを繰り返し、挙げ句の果ては数の力で強行採決するというデタラメをやったのであるから問題は深刻である。予算編成のスケジュールなどと、子どものような言い訳をしているが、それなら予算編成が済んだらすぐに春にでも来てもらうことは可能なはずだ。自民党としては選挙の後でないとまずいというのが本音だ。 岸田外相も、元々自民党内ではリベラル派で頭の回転も速いと評判の人物であるが、妙な弁解ばかりしていると、そのうちにっちもさっちも行かない状況にはまる危険があるのではないだろうか。先月はTBSラジオの早朝番組に出演し「野党は臨時国会の開催を要求してますが・・・」とアナウンサーに問われて、首相の外遊日程云々と言い訳したところ、「一定数の国会議員が要求した場合は開催しなければならないと、憲法に規定されてますよね」と突っ込まれ、「もちろん、憲法は尊重するべきです。政府としてもまだ、開かないと決めたわけではありませんから」などと、もしかしたら開くかもしれないみたいな応答をしていたが、その数日後には首相自身が臨時国会は開かない意向であることを明言している。岸田氏も、自らの将来を考えれば、安倍政権とはそろそろ一定の距離をおいたほうが得策ではないか。
2015年12月07日
集団的自衛権の行使は憲法違反ではないという独自の憲法解釈を行った安倍政権は、今後米軍の艦船を防衛するにあたって、軍事予算はどの程度の増額が必要になるか、10月4日の「しんぶん赤旗」は有識者のコメントを紹介して、次のように予測している; 安倍自公政権が強行成立させた戦争法。これにより軍事予算が膨張し、国民生活をさらに苦しめることになるのは必至です。戦争法は廃止しかありません。坂口明記者 安倍晋三首相は、集団的自衛権の「限定的行使」の事例として米艦防護を挙げています。では本気で米艦防護をするには、どれだけの軍事力が必要か-。 安全保障担当の内閣官房副長官補を務めた柳沢協二氏は、中国側が標的とする米空母を西太平洋地域で守るには、自衛隊は次の戦力が必要だとします。 護衛隊群を現在の4個から最低2個増やす▽船に搭載するミサイルや弾薬は数倍増やす▽日本防衛が手薄になるので、その分の戦力も増やす。 護衛隊群1個は護衛隊2個からなり、護衛隊1個は護衛艦4隻で構成されます。護衛隊群を2個増やすには、護衛艦16隻が必要です。現在護衛隊群に1~2隻配備されているミサイル防衛対応のイージスシステム搭載護衛艦は1隻1500億円。16隻増備には2兆円規模の予算増が必要です。 柳沢氏は言います。本気で米艦防護をするには「大規模な軍備の増強と防衛費の増加を見込まなければならないはずですが、その財政的裏付けはどこにもありません」(『亡国の集団的自衛権』) この点を追及されても”防衛費は増えない”と繰り返した安倍首相ら。しかし首相は4月の訪米時には「私の外交・安全保障政策はアベノミクスと表裏一体」だとし、こう語っていました。 「デフレから脱却をして、経済を成長させ、GDP(国内総生産)を増やしていく。当然、防衛費をしっかりと増やしていくこともできます」(4月29日、笹川平和財団米国主催シンポジウム) 実際、2012年の第2次安倍政権発足後、軍事費は毎年増加。16年度の概算要求は過去最高の5兆911億円となりました。 安倍首相は戦争法案の審議で次のように答弁しています。 「確かに軍事力を増強している国があります。南シナ海で起こっていること、東シナ海で起こっていること、この中において、しっかりとした軍事バランス(均衡)を保っていくことによって平和と安定を維持していく」(5月27日、衆院安保法制特別委) この「軍事バランス」論こそ、際限ない軍拡競争の合言葉です。米国は「対テロ戦争」で肥大化した軍事費の削減を迫られています。そこで中国と均衡を保とうとすれば、日本の軍拡は必至です。2015年10月4日 「しんぶん赤旗」日曜版 6ページ「戦争法で軍事費拡大」から一部を引用 「軍事バランス」論は武器が大砲や軍艦だった時代の理屈であって、現代のように「もしそれを使えば敵を殲滅できるが自分も生きてはいられない」事態となってしまう核兵器が出現してからは、単なる机上の空論と化したものと考えるのが妥当です。これからの世界は、わが国が70年も前から地道に築いてきた非軍事の平和を求める活動が主流となるべきで、時代遅れの政策を志向する安倍政権は早めに退陣させるべきです。
2015年11月21日
戦争法案をろくな審議もしないで強行採決した日本について、アメリカの産軍共同体の手先であるヘリテージ財団上級研究員ブルース・クリングナーは、東京新聞のインタビューに応えて、次のように述べている; 集団的自衛権の行使容認は、米国が長年、日本に要求してきたことだ。だが、日本側はいろいろな理由を挙げて「難しい」と譲らなかった。だから安倍首相が容認に動いた時は、良い意味でとても驚いた。 米国は日本防衛のためにわが子である米兵が血を流すことを誓った。一方の日本は互恵的な責任を負わず、日本防衛に当たる米兵を守る能力も制限してきた。 国連平和維持活動(PKO)でも、日本の参加は他国にとってはむしろ負担になった。集団的自衛権の行使が認められないことや、厳格な交戦規定のために、自衛隊は他国部隊に守ってもらわねばならなかったからだ。自衛隊は有能なのに、その能力に見合った仕事をできなかった。 だが、これからは自国防衛だけでなく、地域と世界の利益のため、より有用な貢献者になれる。燃料に加え弾薬輸送という後方支援ができるようになる。中東の石油に依存度が大きい日本は、海上交通の安全確保に率先して取り組む時期にもきている。能力に応じた貢献を期待している。 ただ、安保法制は日本からすれば安保政策の歴史的転換であっても、世界的に見れば、哀れなほど小さな変化にすぎない。 日本が集団的自衛権を行使できるのは敵対行為に対応する場合に限られ、PKOでも応じるのは後方支援ぐらいだろう。日本政府は国益や世論の動向によって、貢献の幅を広げるのを保留することもできる。 軍国主義復活を危倶する人も日本にはいるが、戦後の70年で日本社会は変わった。そうした声は、アルコール依存症患者の孫が「祖父は依存症だったので、私に酒を飲ませないでほしい。私も飲んだら何をするか分からない」と言っているように聞こえる。(聞き手=ワシントン・青木睦、写真も)2015年9月20日 東京新聞朝刊 12版 6ページ「哀れなほどの小変化」から引用 ブルース・クリングナーの素性は「米中央情報局(CIA)で20年、北東アジア情勢を分析。朝鮮担当も。55歳。」ということで、下の写真のような顔をしている。 彼は日米安保条約について「米兵が日本防衛のために血を流しても、日本は互恵的な責任を負わない」などと言ってるが、これは事実に反するもので、とても元CIA職員とは思えぬお粗末な認識で、共和党の大統領候補のトランプと同じレベルだ。戦後の70年で日本社会は変わったなどと言ってるが、それは戦争の惨禍を知っている人間がいなくなっとこと、誤った国策をとるに至ったいきさつを知る人間がいなくなったことが原因で、再び国策を誤る危機に見舞われているということである。やはり、この戦争法は可及的速やかに廃止法を成立させて、日本はこれまでの70年間とってきた「平和国家」としての国際貢献の道に戻るべきである。
2015年10月02日
戦争法案がまだ「法案」として審議中だった今月5日、在日コリアンの人々も「法案反対」のデモを行ったと、6日の東京新聞が報道した; 「せんそうはんたい」。川崎市で5日、日本の植民地支配や朝鮮戦争に翻弄(ほんろう)されてきた在日コリアン一世の高齢女性たちが、安全保障関連法案に反対するデモを行った。プラカードには、70歳を超えて通い始めた識字学級で苦労して覚えたひらがなのメッセージ。「戦争は、本当に嫌だから」。その一文字一文字に、ハルモニ(おばあさん)たちの平和への思いが宿る。(横井武昭) 「平和が一番、子どもを守れ」。韓国の伝統打楽器チャンゴの音に合わせ、ハルモニたちの声が響いた。色鮮やかな民族衣装を着るなどした約40人は大勢の支援者らとともに、同市川崎区桜本の商店街の約800メートルを練り歩いた。 デモは地元の在日コリアン交流グループ「トラヂの会」が企画した。同会の趙良葉(チョウヤンヨプ)さん(78)は「国会の審議を聞き、戦争を体験した身として反対しなくてはいけないと、皆が思った」と話す。メンバーには80代、90代も多く、国会前のデモには参加が難しいため、地元で声を上げることにした。 この日のデモの列に、徐類順(ソユスン)さん(89)の姿もあった。植民地支配下の韓国南東部の出身。幼いころに父を亡くし、日本で働いていた兄を頼って14歳で来日したが、生活は苦しく、学校に行けないまま旋盤工場などで懸命に働いた。 戦後に朝鮮半島に戻ったが、母と夫を亡くし、間もなく朝鮮戦争が始まった。幼い娘を連れ、ゴザ一枚とアルミのおわん一つを手に戦火の中を逃げ回った。「人が死んで倒れているのが動物のように見えた」。恐怖が今も目に焼きつく。 その後、仕事を求めて再び来日。読み書きができず、ビル掃除や焼き肉店の皿洗いをして78歳まで働き、娘や孫を育てた。 デモで使ったプラカードやうちわは、仲間と手作りした。表面には識字学級で覚えたひらがなとカタカナで「せんそうはんたい」「せんそうイヤダ」と、素直な気持ちを表現した。 「日本は故郷と同じ。だから、これからの若い人に私たちのような戦争を経験させないよう、声を上げ続けたい」2015年9月6日 東京新聞朝刊 12版 31ページ「翻弄される人生、私で終わりに」から引用 戦争法案の国会審議をみて、これは反対の声をあげなきゃだめだと思ったというのは、まさに切実な思いだったに違いありません。政府側のあの答弁の姿では、口では「抑止力が増す」といくら繰り返しても、とても信用できる状況ではありませんでした。日本人の誰一人無駄な血を流すことのないように、戦争立法には次の国会で廃止法を提案するべきです。
2015年09月24日
文部科学大臣が国立大学に国旗掲揚と国家斉唱を要請した問題について、東京新聞・出田阿生記者は6月30日の紙面で、次のように文科相を批判している; 下村博文文部科学相は六月中旬、全国立大に卒業式と入学式で国旗掲揚と国歌斉唱をするよう要請した。実態は、「お上の言うことには何も考えずに従え」という踏み絵にみえる。「物言えば唇寒し」の空気がじわじわ広がるのが怖い。 下村文科相は「大学の自治とか学問の自由とかに抵触するようなことはない。介入ではない。お願いしているだけだ」と強調した。本当にそうだろうか? 「国立大が国からの運営費交付金に依存する以上、要請が『圧力』になるのは明白だ」。危機感を覚えた学者らは要請に先立ち、こんな声明を出した。大学側が「言う通りにしないと、国からの交付金に影響するのではないか」と疑心暗鬼になってもおかしくないからだ。そうなれば、実態は要請よりも「脅し」に近い。 大学関係者によると「すでに国立大の8割で国旗掲揚を、2割で国歌斉唱をしているが、ことは『日の丸・君が代』問題にとどまらない。国がここまで大学の教育内容に介入することが異常だ」という。しかし、国立大側から抗議の声はあまり聞こえてこない。「波風を立てたくない」と黙り込む空気を感じる。大学だけでなく、こうした自粛の風潮は社会に広がりつつあるように感じる。 周囲で見聞きするだけでも、たとえば-。本紙で毎日一面に掲載する「平和の俳句」の掲載作に選ばれた作者から、「親戚に公務員がいるので辞退したい」と連絡があった。「九条は民の命」と詠む内容だった。 都内のある私立大では、学生たちが日本の加害の歴史を扱う展示会を開催しようとしたところ、大学当局から「政治色が強い」と難色を示されたという。 シベリア抑留や空襲をテーマにする作家を取材した時、編集者に「先生を政治的なことに巻き込みたくないので、事前に原稿を見せてほしい」と言われた。 背景にあるのは、「政治的」問題に関わることへの過敏な警戒心だろう。「政治的」という言葉は「反政権的」と言い換えてもいい。「争い事を好まない」「お上に従う」「空気を読む」-。そんな日本人の性向があるのかもしれない。 「要請」という巧妙なやり口に、強い違和感を覚える。「最終的には各大学の判断」というポーズによって、論争が起きにくくなった。現政権は、自主的な思考や判断を捨てて国に従う体質を社会に醸成しようとしてはいないか。「触らぬ神にたたりなし」と見て見ぬふりをしたら、その先に何があるだろう。(文化部)2015年6月30日 東京新聞朝刊 11ページ「記者の眼-実態は学問の府に『圧力』」から引用 下村文科相は「これは介入ではなく、お願いしているだけ」だと言ったそうであるが、まるで体罰を指摘された暴力教師が「これは体罰ではない。教育的指導だ」と言ってるのと同じだ。やっていることは暴力でも、上辺の言葉だけ変えればそれで通ってしまうとは、恐ろしい社会になったものだ。文科相が何故こんなことをするかと言えば、それは首相が安倍晋三だからだ。早めに辞めさせるべきだ。
2015年07月07日
政府の方針に反対する新聞は懲罰として企業広告を止めるべきだなどという暴言に対して、安倍首相は「そのような発言が事実であれば大変遺憾だ」などととぼけた国会答弁をしていたが、その日のうちに「これはさっさと処分しないとヤバイ」との進言があったらしく、翌日になって自民党は、責任者と問題の3人の議員を処分すると発表した。6月28日の東京新聞は、次のように報道している; 自民党の谷垣禎一幹事長は27日、党本部で記者会見し、党内の若手議員による勉強会で安全保障関連法案をめぐって報道機関に圧力をかけるような発言が相次いだ問題で、会を主宰した木原稔青年局長(衆院熊本1区)を一年間の役職停止とし、事実上更迭する処分を発表した。問題発言をした大西英男(東京16区)、井上貴博(福岡1区)、長尾敬(比例近畿)の各衆院議員も厳重注意処分にした。今国会成立を目指す法案審議への影響を懸念し、早期の事態収拾を図った。 谷垣氏は会見で、3氏の発言について「自民党の報道の自由、言論の自由に対する基本的な精神を誤解させるものだ。国民の信頼を大きく損なうもので看過できない」と説明。「与党の政治家は、自分の思ったことを言い募ればいいという責任の浅いものではない」と強調した。 勉強会は「文化芸術懇話会」で、木原氏が代表を務める。25日に党本部で開いた初会合には、作家の百田尚樹(ひゃくたなおき)氏を講師に招き、加藤勝信官房副長官や萩生田光一総裁特別補佐ら首相側近を含む37人が参加した。 大西、井上両氏は、マスコミの広告料収入を断つべきだと発言。長尾氏は沖縄県の地元2紙を「左翼勢力」などと非難した。会議は冒頭以外は非公開だったが、発言者と内容はマイクを通じ、室外まで聞こえていた。 首相は26日の安保法案に関する衆院特別委で、関係者の処分に否定的な姿勢を示していた。だが、野党側は首相の自民党総裁としての責任を追及する構えを強めており、党執行部は「違憲立法」と批判されている安保法案の審議がさらに停滞しかねないと判断した。◆「広告なくせ」は大西氏 昨年、女性蔑視やじで謝罪 自民党の若手議員の勉強会で報道機関に圧力をかけるような発言をしたとして27日に厳重注意処分を受けた衆院議員3氏のうち、大西英男氏(東京16区)は昨年、国会審議中に女性蔑視のやじを飛ばして謝罪に追い込まれたのに続く問題発言となった。 大西氏は昨年4月、衆院総務委員会で野党の女性議員に「早く結婚して子どもを産まないと駄目だぞ」とやじを飛ばしたことが7月になって表面化。女性議員への電話と自身のホームページ(HP)で謝罪し、党執行部から厳重注意も受けた。大西氏は今回勉強会については、26日のHPで「マスコミを規制したり党内議論を封殺することを目的に開かれた会合では決してない」と説明していた。2015年6月28日 東京新聞Web版 「『報道圧力』問題 4氏処分 自民、主宰の青年局長ら」から引用 新聞の報道や論調が気に入らないから懲らしめる必要があるという発想は、民主主義の否定である。この問題が発生した直後には「言論の自由」を持ち出して発言者をかばうような向きもあったようであるが、それは筋が違う。「あいつを殺せ」という暴言が許されないのと同じように、民主主義を終わらせるような暴言は許されないのは当然だ。にも関わらず、世論の動向次第では不問に付すつもりだったような自民党の姿勢は疑問である。これが何度も処分されている大西英男議員大西英男議員は以前にも問題を起こしており、政権政党からなぜこのような不良議員が出るのか理解できない。江戸川区の有権者は、こういう人物に二度と投票するべきではない。
2015年07月03日
明治維新以降の日本の資本主義はどのようにして発達してきたか、キリスト教徒である犬養光博氏は4月25日の東京新聞に、次のように書いている;◆市民犠牲に富国強兵 遠賀川流域に広がった筑豊炭田には、多いときは300を超える炭鉱(坑)がひしめき合っていた。しかし、その炭鉱が、零細・小・中・大手に分かれていたことを知る人は少ない。 大阪生まれのぼくが、初めて学生キャラバンに加わって筑豊の直方(のうがた)駅に着いた時、「なんや、大阪や京都とあんまり変わらんな」と思った。『筑豊のこどもたち』や『追われゆく坑夫たち』を読んでいたぼくには、筑豊中がどこも、その本に描かれている悲惨な状態だという思い込みがあったからだ。 土門拳の『筑豊のこどもたち』の写真展が地元田川(福岡県田川市)で開かれた時、かなりの批判が寄せられた。それは、「あの時代、われわれはあんな惨めな状態ではなかった。土門拳は悲惨な所ばかり撮ったのだ」という類いのものだ。決して間違った批判ではないが、大手の炭鉱労働者には1950年代の後半から始まっていた小・零細炭鉱の閉山がどんなに悲惨なものであったか、理解できなかったのだと思う。 あの有名な三井三池闘争(1959~60年)は総資本対総労働の対決と言われ、大きな影響を後の歴史に与えたが、ぼくたちがキャラバン活動をした元炭鉱はすでに閉山していたし、もし活動していたとしても、労働組合などつくれる状態ではなかった。 先に触れた黒い羽根募金運動は1959年9月に東京都と福岡県から始まって全国に広がったのだが、全国から多くのお金や物品が集まった。三井三池闘争に加わった労働者からも多くの支援があったと思うのだが、その時の気持ちはどんなものだったのだろうか。自分たちと同じ炭鉱労働者が、失業に追い込まれている、同じ労働者としての支援だったのだろうか。 ベトナム戦争を取材したジャーナリストの岡村昭彦は「同情は連帯を拒否したところに生まれる」と言っているが、「黒い羽根募金」によって集まった膨大なお金や物品は「かわいそうな筑豊の失業者」を憐(あわ)れんで出されたもので、同じ炭鉱労働者に連帯して、その権利を守る闘いに参加するものではなかったのではないか。 土門拳は「悲惨」な所ばかりを撮ったかもしれないが、その「悲惨」さが筑豊の零細炭鉱で起こっていたことが大手の炭鉱労働者には認識できなかったのだ。しかも、多くの場合、その大手の炭鉱のすぐそばに小・零細炭鉱が位置しているのだ。筑豊の炭鉱数は景気が良い時には増え、景気が悪くなると減る、減るのは小・零細炭鉱だ。 ぼくが住んだ金田町(現在は福智町)にもそんな小・零細炭鉱が2つあったが、町の多くの人に、名前は知っていても一回も行ったことがない、と言われたことに驚いた。 労働者の連帯のことを先に書いてしまったが、三井・三菱をはじめとする財閥や筑豊御三家と呼ばれる麻生・貝島・安川そして籾井炭鉱に至るまで、今財界や政治分野で活動している多くの人々が、筑豊で得た資本のおかげを受けている。 ”不慮の事故”という形で、一体、何人の人々が筑豊で命を落としていっただろう。上野英信先生は「わが国の石炭産業史は、まさしく炭鉱労働者の血をもって書かれた日本資本主義発達史そのものである。これより深い血の海に浮かぶ歴史は、戦史以外にない」(写真万葉録・筑豊7)と書いておられる。 何故、こんなに多数の犠牲者を出しておきながら、企業側は生きておれるのだろう。後にカネミ油症事件に遭遇して、公害被害者が死んでいくのに、どうして企業は生き延びられるのだろう、と同じことを考えさせられた。 市民が殺されれば、殺害者は確実に罰せられる。それを当然だと思っているぼくたちが、企業の犯罪にどうしてこんなに寛容なのだろう。近代日本の歩みを振り返って、明治以来の国是「富国強兵」がその原因だと思い当たった。富国(企業)と強兵(軍隊)が国是で、企業と軍隊の犯罪はこれを罰しない。いちいち罰していたら、国が成り立たない、と考えてしまったのではなかろうか。 「富国強兵」は日本の敗戦でも崩れることなく国是となって、ぼくたちはそれ以外の国是を考えることもできなくなってしまったのではないか。 筑豊はぼくにこんなことを考えさせた。(いぬかい・みつひろ=日本基督教団無任所教師)2015年4月25日 東京新聞朝刊 12ページ「市民犠牲に富国強兵」から引用 私たちは学校教育で、明治政府の政策が「富国強兵」であったことを学んでも、国が豊かになって兵隊が強くなるのは結構なことだといった程度の認識しか持たず、実際にはそれがどのようなものであったか、その本質を知ることは中々難しいのではないでしょうか。その点、ここに引用した記事は「富国強兵」の本質をズバリ抉り出していると言えます。明治の政府は、国の経済を支える大資本の育成のために労働者の命と暮らしを犠牲にしたということです。戦後は公害に対する企業責任の追及が行なわれるようになりましたが、しかし、「富国強兵」の思想もまだまだ生き延びており、原発事故で10万人以上の市民が住む家を失っても誰一人責任を追及されることがないのは、その良い例ではないでしょうか。このような悪弊も、これからの人たちは克服していかなければなりません。それにしても、私が学生だった70年代では、こんなことを書くのは歴史家の羽仁五郎先生くらいのものでしたが、時代が進んで、東京新聞にもこういう記事が出るようになったとは、実に感慨にたえません。
2015年05月31日
自民党が社民党・福島議員の質問について、表現の自由を侵すかのような議事録修正を要求したと、4月18日の朝日新聞が報道している;<自民、異例の議事録修正要求 福島氏の「戦争法案」発言> 社民党の福島瑞穂氏が参院予算委員会で安倍晋三首相に質問した際、政府が提出をめざす安全保障関連法案を「戦争法案だ」などと述べたことについて、自民党の理事は17日、一方的な表現だとして修正を求めた。国会発言を削除・修正するのは国会の権威や人権を傷つけたり、事実関係を間違えたりした例が大半。政治的な信条に基づく質問の修正を求めるのは異例で、論議を呼びそうだ。 福島氏は1日の参院予算委で、与党が協議中の安保関連法案について「安倍内閣は14から18本以上の戦争法案を出す」などと質問した。 安倍首相は「レッテルを貼って、議論を矮小(わいしょう)化していくことは断じて甘受できない」と反論したが、福島氏は重ねて「戦争ができるようになる法案だ」と指摘。この質疑を受けて、岸宏一委員長(自民)は「不適切と認められるような言辞があったように思われる。(予算委)理事会で速記録を調査の上、適当な処置をとる」と述べていた。■福島氏、修正要求拒否 自民党は、福島氏の質問について「『戦争法案』と再三決めつけており、レッテル貼りだ」(予算委委員)と問題視。自民の堀井巌・予算委理事が17日、福島氏と面会して「戦争法案」とした部分を「戦争関連法案」などに修正するよう要求したが、福島氏は拒否した。 福島氏は面会後、朝日新聞の取材に「国会議員の質問権を、こういう形で抑え込もうとするのは極めておかしい。表現の自由に関わる」と語った。 質疑の動画は現在、ネット上で公開されているが、文書として記録した議事録は公開されていない。今後、自民が福島氏の対応に納得せず、記録の修正を求めれば、一連の質疑が「未定稿」として扱われ、議事録は公開されない可能性もある。 自民はまた、民主党の小西洋之氏が3月の参院予算委での質問で、安倍内閣が集団的自衛権の行使容認を閣議決定したことに絡んで「安倍総理を支える外務官僚を中心とした狂信的な官僚集団」などと発言したことについても、削除か修正を求めている。■専門家「議論の抑圧につながりかねない」 政府提出の安全保障関連の法案について、野党が国会質問で「戦争法案」と批判する例は過去にもあったが、与党側が修正を求めたことはなかったとみられる。1999年の周辺事態法案の審議では、共産党議員が同法を「戦争法案」と批判。当時の小渕恵三首相は「御(おん)党から言えば、戦争法案ということであると思うが」と答弁していた。 そもそも、国会での発言が問題視され、議事録から削除・修正されたのは、国会の権威や人権を傷つけたり、国民の権利を侵害したりしたと受け取られるような例にほぼ限られてきた。 2010年には、民主党政権の仙谷由人官房長官が中国漁船衝突事件に関する資料を、国会内で写真記者に撮影された。仙谷氏が委員会で「とう撮された」と発言したため、与野党が問題視。「とう撮」ではなく「撮影」との表現に修正された。 前田幸男・東京大准教授(政治学)は「与党にとって都合が悪いから直せと言うのであれば、国会の議論の抑圧につながりかねない。『言論の府』である国会で、あってはならないことだ」と指摘する。 ◇ 1日の参院予算委での質疑は次の通り。 社民・福島瑞穂氏 安倍内閣は14~18本以上の戦争法案を出すといっている。集団的自衛権の行使や後方支援という名のもとに戦場の隣で武器弾薬を提供することを認めようとしている。 安倍晋三首相 そういう名前をつけて、レッテルを貼って、議論を矮小(わいしょう)化していくということは断じて甘受できない。我々が進めている安保法制は、日本人の命と平和な暮らしを守るために何をすべきかという責任感の中から、しっかりと整備をしていきたいということである。 福島氏 これは集団的自衛権の行使を認め、後方支援という名のもとに武器弾薬を提供するわけですから、戦争ができることになると思う。これを戦争法案、戦争ができるようになる法案だから、その通り。 岸宏一予算委員長 福島瑞穂さんの発言中、不適切と認められるような言辞があったように思われるので、後刻理事会において速記録を調査の上、適当な処置を取ることとする。2015年4月18日 朝日新聞デジタル 「自民、異例の議事録修正要求 福島氏の『戦争法案』発言」から引用 野党議員の言葉が自分たちの悪政を暴く表現だから変えさせようというのは、正に言論の抑圧で、議事録修正とは歴史修正以前の目の前の事実の隠蔽であり、政権党の横暴極まれりである。こんなことがまかり通れば、日本の民主主義は終わりだ。それにしても、安倍首相は福島議員の質問を「レッテルを貼って議論を矮小化」するものだと批判するから、それでは首相はどのような高尚な理論を持っているのかと思ったら、日本人の命と暮らしを守るために自衛隊の海外武力活動を可能にするのだと言う。そんなことをしたら日本を敵視しない国まで敢えて敵に回すことになって、かえって日本人の命と暮らしは危険になる。結局、安倍晋三のアタマは相変わらず空っぽで口先だけの屁理屈であることを露呈している。この一件がどういう結果になったか、4月29日の東京新聞が、次のように報道した;<「戦争法案」発言の修正要求、自民が取り下げ> 社民党の福島瑞穂副党首が参院予算委員会で安全保障法制を「戦争法案」と呼び、自民党が不適切な表現だとして議事録の修正を求めていた問題で、岸宏一委員長は28日、発言をそのまま議事録に記載することを決め、各党に伝えた。自民党が事実上、要求を取り下げた。 これを受け、福島氏は記者団に「表現の自由へのすさまじい侵害だ。なぜ野党の質問を検閲し、今の段階で取り下げるのか直接聞きたい」と語った。 問題になっていたのは1日の質問で「内閣は5月に戦争法案を出すと言われている」と述べた部分。安倍晋三首相が「典型的なレッテル貼り」と反発し、自民党は発言撤回や議事録修正を求めたが、福島氏は拒否していた。2015年4月29日 東京新聞朝刊 12版 6ページ「『戦争法案』発言の修正要求、自民が取り下げ」から引用 自民党が議事録修正を言い出したのは、極めて重大な憲法違反の事案で、言い出した自民党が取り下げたからというので終わりにするべきではない。国会は第三者委員会を設置して、どのような経緯で自民党から憲法違反の要求が出たのか、その責任の所在を明らかにして責任者を処分するべきである。※お断り 引用した記事中に「とう撮」との記述がありますが、これを原文の通りの標記にすると楽天ブログではエラーになるので、一部をひらがな標記にしました。
2015年05月09日
慰安婦めぐり日本批判も=終戦70年で識者討論―NY- 時事通信(2015年2月27日17時55分)Infoseekニュース【続きはInfoseekニュースへ】戦争が終わった直後には、多くの国民の間に従軍慰安婦の問題は認識されており、小説の題材になったり映画にもなりました。しかし、政府は東京裁判で取り上げられなかったせいもあって、長い間慰安婦問題には触れず、そのうちに人々の意識からも遠ざかってしまいました。それが90年代になって韓国で被害者が実名で名乗り出ることによって、改めて人々の前に問題提起されることになり、政府も慌てて残り少ない史料を調査した結果、日本軍や政府の重大な関与は否定しがたいことが明らかになり、当時の政府は法律上可能な限りの償いをしようとしました。そのような日本政府の対応は、一応国際社会の評価を得たことは、上の記事からも理解できます。しかし、現在の安倍首相は、首相就任以前から「強制連行を示す公文書は見つかっていない」などと問題の本質からはかけ離れたポイントをつっついて、そこから政府責任を可能な限り軽いものにしようとする魂胆は見え見えで、そのような不誠実な姿勢は経済大国として相応しくないわけで、国際社会から批判されるのも無理のないはなしです。
2015年02月28日
文芸評論家の斎藤美奈子氏は、暴走する安倍政権への懸念について、7日の東京新聞コラムに次のように書いている; なんとなく憂鬱(ゆううつ)な2015年が幕を明けた。 安倍普三首相はあいかわらずやる気満々だ。年頭所感でも「今年は、さらに大胆に、さらにスピード感を持って、改革を推し進める」「私たちが目指す国の姿を、この機会に、世界に向けて発信し、新たな国づくりへの力強いスタートを切る」などと威勢がいい。 ついつい横やりを入れたくなる。「それ以上のスピード感はいらないから」「力強いスタートも切らんでよろし」 理由は単純。首相がハンドルを握るバスはもっか高速道路を逆走しているからである。大企業と富裕層の優遇に偏った経済政策。武器輸出を解禁し、集団的自衛権の行使に向かう安全保障政策。原発の再稼働と原発輸出への意欲。すべて暴走というより逆走だ。 高速道路会社各社の調査によると、逆走事案でもっとも多いのはインターチェンジやジャンクションでの進路の選択ミスらしい。ミスに気づかず走行を続けるドライバーもかなりいるみたい。 あと、このバスは年中アクセルとブレーキを踏み間違える。交通ルールの解釈も平気で変える。誤りをただすナビゲーター役の野党は居眠りしているし、メディアは後部座席で遊んでいる。このぶんじゃ、早晩、交通事故は免れまい。せめて対向車との正面衝突だけは避けたい。いかに被害を最小限に抑えるか考えないと。 (文芸評論家)2015年1月7日 東京新聞朝刊 11版S 25ページ「本音のコラム-逆走にご注意」から引用 やはり、この、年中アクセルとブレーキを踏み間違えていては、国民は安心できません。憲法解釈は閣議決定で変更するし、立憲主義について質すと「王権時代が・・・」などと言い出すし、漢字を書かせると下の写真のような有様ですから、どうしてこういう人物を首相にしたのか、憂うつになるのも無理ありません。
2015年01月14日
米国テンプル大学ジャパン教授のジェフ・キングストン氏は、朝日新聞が慰安婦報道の一部を訂正したことを機会に「慰安婦問題など濡れ衣だった」という話にしてしまおうという安倍政権や自民党政治家、彼らに追随する右翼勢力に対し、国際社会の立場から次のような論評を19日の「しんぶん赤旗」紙上で行っている; 朝日新聞の記事取り消しを契機に、「慰安婦」問題で日本軍の関与と強制性を認め、謝罪した「河野談話」(1993年、河野洋平官房長官の談話)に対し、右派勢力からの攻撃が強まっています。しかし、この動きは国際的には大きな反発を呼んでいます。現代日本とアジアの関係に詳しく、各国メディアにしばしば見解を表明している米テンプル大学ジャパンのジェフ・キングストン教授に聞きました。 坂口明記者 安倍音三首相が吉田清治氏の虚偽の「証言」や、「朝日」報道を理由に日本の「慰安婦」問題の責任をあいまいにするのは間違っています。◆事実わい小化 日本の植民地支配そのものが根本的に強制、暴力、威嚇に基づくものでした。その支配のもとで、軍の命令で女性を集めた軍「慰安婦」制度が存在したことは事実です。 「慰安婦」の募集で兵士が銃剣を突き付け連行したかどうかなど、安倍氏が強制の程度を問題にして反論すればそれだけ、日本の尊厳は損なわれます。 だまされて連れてこられても「慰安婦」としての性こう為を強制されたのは事実です。日本が責任逃れをしようとしていると世界に思われるだけです。安倍氏らが「慰安婦」制度で日本の責任を否定し、軽視しようとすること自体、世界で日本のイメージを悪くすることになります。 「河野談話」は日本の尊厳を高める役割を果たしました。安倍氏は、尊厳を損なう行動を繰り返しおこなっているのです。 「慰安婦」問題で日本政府を批判した2007年の米下院決議(HR121、注参照)は、「吉田証言」や「朝日」報道に依拠したものではありません。長年蓄積された、日本の「慰安婦」制度への関与を示す膨大な証拠に基づくものです。 ジェンダー問題は今や21世紀の課題の主流なものとなっています。戦時中の女性への性暴力、女性を強制的に「慰安婦」にすることはあってはならない世界的な懸念事です。 日本は、責任を全面的に認め、公式に謝罪することで、この問題の対処において、世界のリーダーになることができます。◆歴史書き換え 米政府は、安倍氏が安全保障問題に関する米国の長年の要求で期待に沿った結果を出しているため、ほぼ満足しています。しかし、同氏が歴史を書き換え、日本の戦争犯罪を消し去り、靖国神社を訪問しようとすることで、不必要に地域の緊張を高めていることを快く思っていません。 ドイツは戦争責任を無条件に認めることで、国際社会に再度受け入れられました。 今日の日本の戦争責任回避には、日本に対する戦争中の責任追及をあいまいにした米国にも責任があります。 日本の市民社会が開花しつつあるのに、日本の指導者たちは、日本の利益と尊厳を損ねようとしています。今の大きな危険は、安倍氏らが国をハイジャックし、国民感情とは裏腹に日本のアイデンティティーをシフト(変化)させようとしていることです。<「アジアに緊張と混乱招く」米議会報告でも批判> 韓国の朴糧恵(バク・クネ)大統領は9月24日ニューヨークで、日韓両国の「歴史(問題の)核心には慰安婦被害者問題がある」と発言。「日本の政治指導者は、被害者が生きている問に名誉回復の措置をとるべきだ」と述べました。 「(日本が)国ぐるみで性奴隷にしたという、いわれなき中傷」と述べた安倍首相の国会答弁(10月3日、衆院予算委)に対しても韓国外務省当局者は、「過去の過ちを縮小、隠蔽(いんぺい)しようと試みても国際社会の厳しい批判を招くだけ」と語りました。 米議会調査局の日米関係に関する報告書(9月末)は、「『慰安婦』性奴隷などの問題についての安倍首相の対応は域内の緊張点となっている。安倍首相は…歴史的憎悪を蒸し返し、域内の安全保障環境を混乱させうる」と指摘しました。(注)米下院決議HR121(07年7月30日採択)の要点○日本政府は、日本軍が慰安婦制度を導入したことを認め、謝罪し、歴史的責任を取るべきだ。○日本政府は、性奴隷化と人身売買はなかったとの主張こ反論すべきだ。2014年10月19日 「しんぶん赤旗」日曜版 4ページ「『慰安婦』問題 世界はこう見る」から引用 吉田証言は虚構であったが、だからと言って強制連行が無かったというわけではないのであって、慰安婦問題を否定したい人たちが「強制連行は無かった」という主張の立証に成功したわけではないことは論を待たない。それどころか、インドネシアでは日本軍将校が実際に強制連行したことを示す公文書が存在するのであるから、吉田証言は虚構であったが、それに似たような事象は東アジア全域にあったであろうことを推定することは可能である。しかし、問題の本質は「強制連行があったか、無かったか」ではないのであって、本人の意思を無視して慰安婦になることを強制した責任は、軍を解体してしまった今となっては日本政府が負うのが当然である。 また、慰安婦問題は日本だけではないと主張する諸君は、韓国軍が編纂したという『後方戦史(人事編)』を紹介してくれて、そこには「慰安所」という言葉は書かれているらしいが、「我が軍は慰安所を設置した」とか「慰安所の運営規則を、このように定めて各部隊に通知した」などという記述はないらしく、民間業者が軍の基地周辺に勝手に売春宿を開業したことを記述しただけのようである。これをもって「韓国にも、日本軍と同じ慰安所があった」とは言えない。日本政府は、将来の子孫のためにも公式に慰安婦問題の責任を認め、被害者に対し謝罪するべきである。
2014年10月29日
戦争の記憶が次第に薄れていく世相を批判する投書が、21日の東京新聞に掲載された; 8月15日が終戦記念日だと知らない若者が、NHK特番で50%を超えていた。私は終戦記念日という名称が悪いと考えている。終戦は、日本が敗戦を認めた日であるから、敗戦記念日と言うべきである。 韓国では独立記念日として皆で喜ぶ日だ。日本では終戦ということにして、侵略戦争を起こした責任等をあいまいにする。これでは皆が何の日か忘れてしまっても当然だ。敗戦記念日として、新たに不戦を誓い、今後の日本の発展を願う日にすることが重要だ。 終戦と考える限り、安倍首相のように集団的自衛権を考え、日本を戦争のできる国にしようという勢力はなくならない。2014年8月21日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「発言-敗戦を意識し平和を誓おう」から引用 終戦記念日という呼称が日本人の戦争責任に対する自覚を軽減する作用があったのは事実と思われます。しかし、今さら「終戦記念日」を「敗戦記念日」と呼び変えても人々の歴史認識を改善する可能性はあまり期待できないのではないでしょうか。それよりも、我々は河野談話に述べられたとおり、研究・教育活動を通じて侵略戦争の実相を将来の世代に伝えることが大切であり、特に学校教育においては、通り一辺の歴史の授業とは別に、日本近代史を中学・高校の必修科目として学習する必要があると思います。また、巷に散乱する「自衛のための戦争」論などの不規則発言については、政府は逐一責任をもって反論することが大切で、常に政府の立場というものを国民に説明することが必要と思います。
2014年08月30日
立憲主義を無視して集団的自衛権の行使を容認するという安倍政権を風刺した、宮沢賢治の名作を真似た詩が、6日の朝日新聞投書欄に掲載された;雨にも負けず風にも負けず降り注ぐ銃弾や地雷にもひるまずいつも兵器を持って身構えるよく見聞きもせずに同盟国に同調し東シナ海で紛争あれば海上交易の要所なので安全が脅かされる国民の権利が根底から覆されると言ってこれに参戦し中東で紛争あれば石油の確保はわが国の存立に関わる明白な危険と言ってまた参戦する不戦の誓い、平和主義はつまらないからやめろといいもうでくのぼーとは呼ばせないと一部の国に褒められ周辺国の脅威になるそういう国にわたしたちはなりたい?2014年7月6日 朝日新聞朝刊 12版 9ページ「声-『雨ニモマケズ』こんな国に?」から引用私たちの日本は、いつも兵器を持って身構えている国であってはなりません。戦争は外交手段の中の一つであると言われますが、私たちの憲法は、その外交手段の中でもとりわけ戦争はしてはならないと規定しております。したがって、政府はこの規定を厳格に守って、戦争以外のあらゆる手段を用いてわが国と近隣諸国との間の平和のために尽力しなければなりません。実際に、わが国は戦後70年間、これを実践してきました。東西冷戦の厳しい時代もこれでしのいで来たのですから、それが現代に通用しないわけがありません。現在政府が進めている日朝間の話し合いが進めば、わが国は全ての近隣諸国との国交が樹立されますから、歴史認識などによる対立を乗り越えて、世界の平和に貢献したいものです。
2014年07月30日
前東海村村長の村上達也氏は、3月11日の朝日新聞インタビューに応えて、原発と電力会社のあり方について、次のように述べている;■実態は準国営、市場から退場を <前東海村村長・村上達也さん> いまの東京電力の原発再稼働に向けた動きは、「株式会社の論理」を振りかざしているように見えてなりません。燃料価格が高い火力発電に頼っていては経営が立ちゆかない、銀行から支援を受け続けるには原発を動かして稼がねばならない、という理屈です。 原発事故で大損害を与えた住民や地域への賠償資金などは十二分に必要ですが、それを原発に頼るのは本末転倒です。いまだ将来を見通せない多くの避難者がいるのに、原発が引き金になったという認識や責任感がうかがえません。汚染水漏れを含め事故そのものが3年経っても収束していないし、原因究明も完全とはいえません。 * <リスク大の原発> にもかかわらず、株式会社を起点に考えると原発再稼働に行き着くというのなら、東電は株式会社をやめて市場から退場すべきです。社会正義に反する企業の存続など許されない、のですから。 そもそも東電を頂点とした電力会社は、純粋な民間企業ではありません。かかった費用を原則料金に上乗せできる「総括原価方式」に守られ、地域独占でまともな競争もない。原発の存廃が問われる瀬戸際になって、「やはり株式会社は利益追求が必要だ」と資本主義の原理を声高に掲げるのは、正体を隠した「擬態」です。 少なくとも原発は準国営が実態です。こんな事態になっても東電が潰れないのは国が支えてくれているからだし、廃炉に欠かせない放射性廃棄物の処理だって自力ではできないでしょう。 原発は民間単独ではリスクが大きく持続可能性がありません。損害保険会社も全損害をまかなう保険は引き受けない。初期投資の大きさ、事故が起きたときの損害対応など、民間事業として、あまりに問題が多い。米国で広がらないのも経済合理性からブレーキがかかるからではないでしょうか。 存続不能の株式会社の処理には、投資家や債権者が応分の責任つまり損をかぶることが市場の掟(おきて)です。東電の全資産を売っても損害賠償や除染、廃炉などの費用をまかなえないのなら、メーンバンクや株主も損をかぶらねばならない。負の遺産処理に巨費が必要な実態を考えれば、東電は解体し、電力の安定供給は別の資本でつくる会社に担わせるべきです。 * <脱原発工程表を> 福島第二原発の再稼働を求める声が地元経済界の一部にあったと聞きます。とんでもないことです。福島の復興には相当の期間が必要です。目先のことより、長い視点が必要です。原発依存から脱するには、痛みはあっても、自分の足で立つしかありません。 ただでさえグローバル経済のもと、地方は衰退していかざるをえない。それを覚悟しながら、生まれ変わっていかねばならない。幸い、自然エネルギーの電力供給基地になれる資源が地方にはたくさんあります。もちろん、発電、供給態勢の確立には自治体の役割が重要ですが、地元の金融機関など資金の出し手も、地域経済の再構築に貢献しなくてはなりません。 原発の立地で東海村にも、交付金や固定資産税収入、あるいは関連産業への恩恵はありました。しかし、それ以外の産業は育たず、むしろ既存の産業が消えていきました。工業品出荷額などは、同規模の自治体に見劣りしています。 こうした状況を、私は「原発による金と権力の暴風雨」と呼んでいます。一時は潤いますが、後になって気がつけば何もない。福島第一周辺では、何もないどころか、故郷さえ失う結末になった。 暴風雨は立地地域だけでなく、電力会社にも吹いています。会社や組織で、極端に強いグループがあると他のものが育ちませんね。その結果、会社の平衡感覚がまひし、企業文化が衰えるからです。 この原子力村という利益共同体は、国家ともつながって権力を持った別世界でした。他のビジネスモデルを探したり、自然エネルギーへ注力したりするのはタブーになります。仮に取り組もうとしても排斥されるでしょう。 原発依存から自立するには大きな絵図面が必要です。再稼働などという誤った選択に熱意を燃やすのではなく、国全体の原発の退場に向け、しっかりとした工程表を描くことこそ求められています。 (聞き手・駒野剛) * むらかみたつや 43年生まれ。常陽銀行支店長を経て97年茨城県東海村村長。JCO臨界事故や東日本大震災に直面。昨年9月退任し「脱原発をめざす首長会議」世話人。2014年3月11日 朝日新聞朝刊 12版 17ページ「オピニオン-東電は株式会社でいいか」から一部を引用 村上氏は銀行出身であるだけに、経済的な視点もはっきりしていて原発が経済原則にそぐわないことを見抜いている。原発を誘致して目先の交付金などを当てにしても、そんなもので地方経済が発展するわけがないことも体験的に認識しているだけに説得力がある。やはり、今後は原発を保有する電力会社は全て破産処理して、安全な火力・水力発電を新会社に引き継いで、国民が安心して暮らせる国にしていくべきである。
2014年04月05日
現職の名古屋市長やNHK経営委員が公の場で「南京大虐殺はなかった」などと公言して責任を追及されることもない日本人社会の歪みを是正するために、16日の「しんぶん赤旗」は在野の歴史研究家の地道な調査を紹介している; 「南京大虐殺はなかった」-。安倍晋三首相が任命したNHK経営委員の百田尚樹氏が、東京都矢口事選の応援演説という公の場で行った発言です。自民党内などからも同趣旨の発言が出ています。大虐殺があったことは、すでに歴史的には決着がついている問題です。兵士の陣中日記やさまざまな資料からあらためて検証すると-。 本吉真希記者 虐殺の事実を生々しくつづった記録に、戦闘に参加した兵士らが個人的に記録した陣中日記があります。南京大虐殺を調査している福島県の小野賢二さんが二十数年間かけて、30冊超の陣中日記を入手しました。 南京攻略戦に参加したのは、中支那方面軍(松井石根(いわね)大将)配下の第十軍と上海派遣軍。上海派遣軍の直轄になった山田支隊(基幹部隊は福島・会津若松の歩兵第65連隊、新潟・越後高田の山砲兵第19連隊第3大隊)の下級将校や兵士たちの日記です。 日記には、日本軍が南京陥落の翌14日から大量の捕虜を捕獲・収容し、16日から3日続けて大量虐殺をしたことが生々しく書かれています。【37年12月14日=南京陥落の翌日】 「午前五時出発夜明頃より敵丘〔兵〕続々と捕虜とす、幕府山要(ばくふざんようさい)塞を占領し午後2時戦斗(せんとう)を中止す、廠合(しょうしゃ)に捕虜を収容し其(そ)の前に宿営警戒す、捕虜数約1万5千」(菅野嘉雄さん=歩兵第65連隊・資料1)【15日】 「今日も引続き捕虜あり、総計的弐(に)万となる」(菅野さん)【16日=虐殺1日目】 「・・・二三日前捕虜〔虜〕せし支那兵の一部5千名を揚子江の沿岸に連れ出し機関銃を以(も)て射殺す、其(そ)の后(ご)銃剣にて思う存分に突刺す・・・。 ・・・うーんうーんとうめく支那兵の声、年寄りも居れば子供も居る、一人残らず殺す、刀を借りて首をも切って見た・・・」(黒須忠信さん=山砲兵第19連隊・資料2) 「・・・捕虜総数1万7千25名、夕刻より軍命令により捕虜の三分の一を江岸に引出し1(大隊)に於て射殺す。・・・兵自身徴発により給養(※)し居る今日到底不可能事にして軍より適当に処分すべしとの命令ありたるものの如(ごと)し」(遠藤高明さん=歩兵第65連隊) ※衣食などを供給すること 【17日=南京入城式の日】 「未曾有の盛儀南京入城式に参加、一時半式開始。朝香宮殿下、松井軍司令官閣下の閲兵あり、捕虜残部1万数千を銃殺に附す」(菅野さん) 「・・・午後5時敵兵的1万3千名を銃殺の使役に行く、2日間にて山田部隊2万人近く銃殺す、各部隊の捕虜〔虜〕は全部銃殺するものの如(ごと)す〔し〕」(目黒福治さん=山砲兵第19連隊)【18日=死体処分1日目】 「朝より小雪が降った、銃殺敵兵の片付に行く、臭気甚し」(菅野さん)【19日=同2日目】 「・・・昨日銃殺せる敵死体一万数千名を揚子江に捨てる・・・」(目黒さん) 「・・・揚子江岸の現場に行き、折重なる幾百の死骸に警〔驚〕く、石油をかけて焼いた為悪臭はなはだし…」(大寺隆さん=歩兵第65連隊) (注)『南京大虐殺を記 録した皇軍兵士たち』から。元兵士は大寺さん以 外、仮名。現代かな違いに直してあります。 ◇ 小野さんは元兵士約300人に証言依頼の手紙を出し、約200人が証言。証言を拒んだ一人に、原発を推進してきた木村守江元福島県知事がいます。 同氏は軍医として従軍中、軍事郵便を地域紙に送付。南京の状況を伝えた中に「捕虜をどうしたかと言ふことは軍司令官の令に由った丈・・・」(「夕刊磐城時報」38年1月24日)と記述。同紙を発掘した小野さんは「当時の軍司令官は朝香宮鳩彦(やすひこ)王中将。皇族の命令で大虐殺を実行したことになる」と指摘します。 小野さんはいいます。「殺した数が多い少ないの論争で『虐殺はなかった』と否定するのは許せない。殺されたのは、一人ひとり生きた人間なんです」2014年3月16日 「しんぶん赤旗」日曜版 18ページ「これが南京大虐殺」から引用 日本人がそんな悪いことをするはずがないなどと単純な思考回路の者の中には「あれは中国軍がやって日本軍の仕業に見せかけた陰謀だ」とか「事件の前後で南京市の人口に変動がないから、そんな事件は無かった」などと根拠のない風説を信じる者もいて、大学の歴史学の講義でもそういう質問をする学生は結構いるらしいが、そういう学生を説得するのに日本軍兵士の陣中日記を引き合いに出すのは大変効果があるそうです。これからは益々グローバル化が進むわけで、私たちはいつまでもガラパゴス化した歴史観に惑わされることなく、歴史の真実に正面から向き合う態度を身につける必要があると思います。
2014年03月30日
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