【銀河ヒッチハイクガイド☆】航海日誌

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2005/02/19
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カテゴリ: 徒然~つれづれ~
『不思議なチョコ館』1



図書館はいつもよりもしんとしていた。
ぼくはそのとき新しい革靴を履いていたので、灰色のリノリウムの床を歩くと、こつんこつんという硬く乾いた音がした。
貸し出しコーナーには、女の人が一人でカウンターに座り、うんざりした顔でコーラを飲みながら伝票をチェックしていた。彼女を見るのは初めてだった。ふつう左手の小指のない女性に会ったことがあったら、まず忘れることはないだろう。ぼくは本を返したあと彼女に言った。
「図書館の本を借りたいんですが」
「どういった本?」彼女はぼくを見上げて言った。
「オスマントルコ帝国の税金の集め方について」

「階段を下りて右。107号室」と言ったあと、唇を丸くすぼめたまま4本の指で伝票の束をパラパラと操った。

ぼくは階段を下りて、小指のない女の人が言ったとおりに進んだ。この図書館に地階があるなんていままで気がつかなかった。たしかに107という表示があったので、ぼくはノックして中に入った。

部屋の中には小さな古い机があり、そのうしろには女の子が座っていた。見ているだけで目が痛くなるくらいのきれいな女の子だった。年は僕と同じくらいだろう。手足も首も、ちょっと力を入れただけでぽきんと折れてしまいそうなくらい細かった。長いまっすぐな髪は、宝石でも溶かしこんだみたいにきらきらと光っている。

彼女は細いブルージーンズをはいて緑色のトレーナを着ていた。ロゴにはイギリスのロックバンド『ジェネシス』の文字があった。

『Genesis』-起源-


ぼくはきれいな娘の前でいつもやるように、最上級のレベルの笑顔を見せた。
「本を借りにきたんだけど」
「聞いてる。閲覧室はこっち」女の子は無表情で立ち上がった。
「ぼくは五反田亮一」ぼくは自己紹介した。
それから笑顔のレベルをもう一段上げて、ラジオドラマの主人公のように落ち着いた声で彼女に言った。
「君の名は」
普通ならここで世間の女の子はみんなぼくにぼーっとして、

とかなんとか、自分の名前をうっとりしながら言うはずだった。まあ小林緑以外は。

でも女の子は、馬鹿みたい、と言いそうな顔でぼくを見つめているだけだった。少しして彼女は黙ったまま、壁にかけられた額の写真を指差した。

それはちょっと不思議な写真だった。北海道の山の中だかどこかの牧場の写真で、一面雪景色だった。雪が降っているにもかかわらず羊が放牧されていた。ほとんど同じ種類の羊だったが、一頭だけ、背中に星の模様が見えた。そんな模様の羊は見たことがなかった。もちろんぼくには羊に関する知識なんてウールの毛先ほども無いのだけれど。
手前のほうでは、管理人らしき人が雪かきをしていた。よく見ると村上君そっくりな顔をしていた。

「ひつじ、・・いや、雪?」ぼくは言った。


ぼくはユキのあとをついて、閲覧室に入った。そこは小さな部屋で、簡単なベッドと、机と洗面台と、水洗便器があった。机の上にはぶ厚い3冊の本があり、部屋の隅には羊男がいた。
ここは閲覧室というより牢屋だ。ごく控えめに表現して。

「やあ、君が五反田君だね。待ってたよ」羊男は言った。

「何なんですか、ここは」ぼくは羊男に抗議した。「ぼくはただ本を借りに来ただけだ。しかも本がちがう。『オスマントルコ帝国のチョコレート事情』それから『オスマントルコ帝国のチョコレート職人の日記』もうひとつ『オスマントルコ帝国のチョコレート不買運動とその弾圧』どういうことですか、これは」
「だってここは『チョコ館』だからね。君がそれを望んだんだろう?」羊男は不思議そうな顔をしていった。
ぼくは受付の小指のない女性のことを思い出した。おそらく彼女が聞き間違えたのだ。コーラなんか飲みながら仕事しているからだ。ぼくは羊男に言った。
「これは何かの間違いだ。ぼくは帰ります」
「それは駄目だよ」羊男は言った。「一度この部屋に入ったものはこの本を全部覚えるまで部屋から出ちゃいけないんだ。それがこの『チョコ館』の規則だからね」
ぼくはそんなのあんまりだ。と思った。
「大丈夫、食事はちゃんと一日三回届けるよ。3時にはおやつにドーナツも出してあげる」羊男はなぐさめた。
そしてぼくが唖然としているうちに、部屋を出て鍵をかけてしまった。ユキも羊男と一緒に部屋を出たが、彼女は部屋を出るとき「馬鹿みたい」とつぶやいた。

「まったく馬鹿みたいな話だ。どうしてぼくがこんな目にあわなくちゃいけないんだ」
ぼくは口に出してみたが、一人ぼっちの部屋の中では誰も答えてくれなかった。ぼくは狭い部屋の中を見回したが、もちろんどこにも答えらしきものは書いてなかった。

おそらく本の内容を覚えたところで、この部屋を出してはくれないだろう。本を覚えたら、のこぎりでぼくの頭を切り開き、知識でいっぱいになった脳みそを吸おうとしているのかもしれない。そんな予感がした。そしてぼくのそういう予感というのは、たいてい当たるのだ。

なんとかここを逃げ出さなきゃいけない。どんなことをしてでも。

羊男が言ったとおり7時になると、ドアの鍵がまわされ、ワゴンで夕食が運ばれてきた。
夕食を運んできたのは、二人の女性で、一人は飛びきり美人で、一目で高価とわかる服を着ていた。なんかすごいゴージャスな娘だった。もう一人は、どちらかというとカジュアルで地味な服を着ていて、化粧もほとんどしていなかった。でもその娘も魅力的だった。なにかわからないけれど惹かれるものがある。そんなものを持っていた。
「ありがとう」ぼくは言った。「君たちはなんていう名前なの」
「メイ」ゴージャスなほうが言った。
「キキ」カジュアルなほうが言った。

「ねえ。ぼくは間違いでここに入れられたんだ。ぼくは家に帰らなくちゃいけないんだ」
ぼくは必死になって二人に訴えた。
「いいじゃない。たまにはこうやって外泊するのも、林間学校みたいで楽しいわよ」キキが言った。
「かっこう」とメイが言った。

「そういう問題じゃないんだよ」僕はあきらめずに言った。「ねえ。君たちはここの鍵を持っているんだろう。それをぼくに貸してくれるだけでいいんだ」
「ここの鍵は私が持っているわ」キキが言った。「でも他人に貸しちゃいけない規則になってるの。どうしても鍵がほしいのなら私を殺していくしかないわね」

ぼくはそのとき躊躇しなかった。ぼくは2時間ドラマの犯人のようにキキの首を絞めた。そうしなくちゃいけなかったからだ。ぼくはキキを殺さなくちゃいけない。ここを出るために。
キキは静かにぼくに首を絞められるままになっていた。
ぼくの仕草は人を殺すときでさえ優雅だった。メイがうっとりとぼくを眺めていた。

ぼくはキキを殺したあと鍵を探した。それはスカートのポケットに無造作に入っていた。それを取りながら、ぼくはとうとう犯罪者になってしまったなと思った。きっと船越英一郎みたいな探偵に追い詰められて、室戸岬の岸壁で逮捕されることになるのだろう。何で犯人はいつも岸壁に逃げるんだろう。ふと、ぼくは不思議に思った。砂浜だったら泳いで逃げるのも容易なのに。

「大丈夫。これは現実じゃないから、あなたは逮捕されないわ。心配しないで」メイが言った。「現実になるのは、そう、20年もあとの話よ。そのときだって五反田君は岸壁に追い詰められるなんてことはないから。せいぜいマセラティに乗ったまま東京湾に突っ込むくらいね」
ぼくにはメイの言っていることが理解できなかったが、いずれにせよこんなところで愚図愚図している暇は無かった。ぼくは鍵でドアを開けて、もとに来た道を走った。でもそこは迷路のようになっていて、どこが出口かわからなかった。
出口とおぼしき突き当たりのドアを開けると、目の前を不思議な光景が広がっていた。

そこは体育館くらいある広場で、チョコレートのにおいであふれていた。まわりに小さな入り口がいくつもあり、そこからチョコレートがとぼとぼと列を作って広場の中央に向かって歩いていた。
まんなかに大きなくぼみがあり、チョコはそのくぼみのところまで歩いて来ると、力尽きたように倒れた。
くぼみの底は倒れたチョコが溶けてどろどろになっていた。
それでもあとからあとからチョコレートはやってきて、くぼみに倒れこんでいった。


「しようがないなあ。部屋から逃げ出して来ちゃったんだ」
声のするほうを見ると羊男が立っていた。そばには受付にいた小指の無い女性もいた。
「ここはなんですか?」ぼくは訊いた。
「ここは行き場の無いチョコレートの墓場だよ」羊男は言った。「『義理チョコの墓場』なんていう人もいるな。バレンタインのあと、行き場の無くなったチョコが眠る場所だ。あんたのところからも毎年どっさりやって来る」
「チョコレートに墓場なんてあるんですか」ぼくは訊いた。
「あたりまえじゃないか」羊男は言った。そういう疑問を持った、ぼくのほうが不思議だという顔をした。
「何にだって墓場はある。人間だって、象だって墓場はある。ピンボールにも墓場はある。チョコレートだって行き場が無くなったら最後にここに来るんだ。普遍的でどこにも不思議の無い話だ」


「ぼくは『チョコ館』に来たんじゃない。図書館に来たはずなのに。そもそもどうしてこんな所があるんですか?」
「ここはもともとチョコレート資料館だったのさ。それを市が買い上げて市立図書館にしたんだ。買い上げのとき良くない筋も動いたって話だ。おいらも詳しいことは知らないけどね。『チョコ館』の館主は買い上げに同意するかわりに、裏で図書館と『チョコ館』と繋げることを条件とした。市はこれに同意した。それでその繋げる役目がおいらってわけさ」
「じゃあここは裏の世界で現実じゃないんだね」ぼくは言った。
「ここはここで現実さ。あんたの世界とは違う現実だけどね。おいらもあんたもちゃんと実在している。まあ並行宇宙とでも言うのかな。量子力学でいうシュレーディンガー波動方程式{ ih×∂/∂t(ψ)=H(ψ> }の虚数(i)の世界といえばあんたにもわかるだろう」
もちろんぼくにはさっぱりわからなかった。

ぼくは小指のない女の子に言った。
「ぼくはちゃんと君に言ったよね。『ぼくは図書館の本を借りたいって』ねえそうだろう?」
「さあ、記憶に無いわ」彼女は言った。
「そんな・・」
「でもね。これだけは覚えといて。記憶をなくした女の子と寝るような奴は・・・最低よ」
「ぼくはそんなことはしない」ぼくは言った。「そんなことするような人間に見える?」
「信じられないわ」彼女は言った。
「信じるしかないさ」
いったい何の話をしているのだ?ぼくは何かどうでも良くなってきた。でもぼくは帰らなければならない。ここはぼくの世界ではないのだ。
ぼくはそう自分に言い聞かせた。

(またまたつづく)








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Last updated  2005/02/20 04:56:52 PM コメント(2) | コメントを書く


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