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きのう、娘がしみじみと私に言った。「ほんと、このウチ大好き。いつも帰ってくるとき、角を曲がってウチが見えると嬉しくなるの。おっきい家なんだよなあ~って。前住んでたアパートに帰って来る時とはまるで違う。玄関入って、カワイイモノたちがいっぱいあって、また嬉しくなるし家に入ると誰もいなくてしーんとしてるんだけど、すごくホッとして。ほんと、幸せだなあ~って思うんだよね」・・・・・大きいっていっても3LDKの古い昭和な貸家(;^ω^)でも、思い切って引っ越して良かったなあ~ってしみじみ思った。そして、娘がこんなにも日々のちょっとした幸せをかみしめてくれてることがなにより嬉しかったのです。中学生のとき、辛いことがあって。高校生になって、すごく頑張ってそれを乗り越えて…の今。そうやって日々を幸せに過ごしてくれてるだけで、もう充分。その日常の繰り返しが、確かな幸せをかたどっていくんだね。
2022.01.26
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わたしたちのカメムシずかん やっかいものが宝ものになった話 (たくさんのふしぎ傑作集) [ 鈴木海花 ]価格:1430円(税込、送料無料) (2021/12/9時点)楽天で購入
2021.12.09
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* * * * * * 近所の小学校で図書ボランティアをやっています。毎週月曜日の朝には、15分の読み聞かせ。今年は6年生と特別支援学級の担当です♪ここでは、読み聞かせした絵本の紹介をしていきます。* * * * * * 岩手県の北上山地山麓に暮らしていた頃、小中学校の学校図書館支援員という仕事をしていました。2つの小学校と1つの中学校の担当で、図書室の整備、装飾、読書支援の取り組み…など、幅広く子どもたちと本を繋ぐことに携わらせていただた幸せな時間でした。そこで月1で通っていた山の中にある小さな小学校では秋の終わりごろから冬の初めにかけて、カメムシが大発生します。大・・・と一口に言いますが、ちょっと通常では考えられない規模で(;^ω^)体育館の床一面に降り積もり・・・かき集めれば45リットルのごみ袋いっぱい!というレベル。当時、その学校の児童数は2名だけだったのですが、2人ともカメムシなんぞは平気でつまんで外へ出すといった強者(つわもの)の子どもたちで、先生方もまた、カメムシの種類別にテープで紙に貼って標本を作ったり…というなんともおおらかで素敵な学校だったのです。それと全く同じ状況の、岩手県葛巻町の小学校が、絵本の舞台です。嫌われものもカメムシだけど、せっかくだからどんな種類がいるのか、カメムシを徹底的に調べてみよう!と校長先生の発案で始まった活動を追ったドキュメンタリー。最初はしかめっ面だった子どもたちも、実は身の回りにいろいろな種類のカメムシがいると分かってくると、次第に新種探しに夢中になっていきます。そして、それらを図鑑にしたり、カメムシ研究者を学校に呼んだりして、いつのまにか「やっかいもの」だったカメムシがみんなの「宝もの」になっていく…というおはなし。カメムシの生態が詳しく分かる内容はもちろん、子どもたちの興味をうまく引き出し徹底的にバックアップする大人たちの姿が感動的。「こころを動かす」ためには「本気」が大事!という真実が見えました。後日、たまたま平日の仕事休みの日、小学校の帰宅時間に6年生のクラスの子達と道路でバッタリ。こちらとしては、マスク顔しか見たことないし、一人一人の子どもたちを覚える時間もないのですが、向こうから私を見つけてくれました。その第一声が「あ、カメムシの・・・」それが何より、とんでもなく嬉しかったのです(o^―^o)わたしたちのカメムシずかん(福音館書店)
2021.12.08
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かぜひかりそらこのブログのタイトルが、実はすごく好きだ。フェイスブックやツイッターなどのSNSに移行して数年。棲家も生活形態も使用するデバイスも変わり最後の投稿をしてから、なんと6年もの年月が経ってしまった。いろいろなことがすっかり変わってしまった。本当に、笑っちゃうくらいに。「変化することを恐れない」と過去の記事にも得意げに書いているけれど様々な変化の度に、悩んで、オロオロしてた自分にももう笑うしかない。歳もとった。変わっていないのは私と二人の子ども達と3人で暮らしていることくらいだ。金沢の街の小さな3DKのアパート。今、ここ。それでもやっぱりかぜひかりそら、は自分の心にぴったりしっくりくるタイトルだから。また、始めようと思う。ここに綴られたちっぽけな歴史の果てに今の自分がいるのは確かだから。綴り始めたい。これからの自分の進むべき道をしっかりと見つめ直すために。
2019.07.25
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中3の息子は、よく自分で髪を切る。 3次元の造形に弱い私としては、よくやるよなあ…と感心するばかり。 彼が幼い頃、私が髪を切ってやるといつも、バッツリと平面的にまっすぐラインで仕上げられ(どんぐり坊主と呼んでいた)そういえば嫌がっていたっけ。 だから今は、自分で切る。 なかなかどうして、けっこう上手い。 対して、私は お気に入りの美容師さんが見つかれば、その人に頼りきり。 長年ショートヘアだったこともあり、実は美容師さんの腕にはうるさい。 宮古で1人、いい人が見つかったのでずっとその人に任せていたのに、半年前、その人が仕事を辞めてしまった。 以来、ずっと、髪を切っていない。 どうにも最近、まとまらないし髪型が決まらない。鏡を見るのが鬱陶しいくらいに。 なんとか新しい美容師さんを探さなきゃ、と思いながらも、つい放ったらかし。 髪型がヘン。気持ちも、なーんか憂鬱。 今日、風呂上りに 洗いたてボサボサの髪で ふと鏡の前に立ったとき。 そうか、自分で切ればいいんだ。 いつもこの場所で髪を切る息子の姿が浮かんだ。 中途半端な長さの前髪を、思い切って、バッツリ。 なあんだ、そうだったのか! 自分で自分の髪を切ることを ずっと怖がってきた。 自分の感覚を信じてなかった。 できない、と思いこんでいた。 やってみればできる。 こんな歳になっても、なお、 すごく当たり前のシンプルなことに ハッとする瞬間があるんだな。 そんなことを思った、夜。
2013.10.26
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「かぜひかりそら」ブログ。気がつけば2年近くほったらかし!!すっかりフェイスブックに移行してしまった感があるわけですがここを閉鎖してしまうには余りにも忍びないので「使い分け」をしながら継続することにしたいと思います。かなり長期間の私の歴史を綴ってありますからねえ。貴重な記録でもあるわけです。にしても、こんなに長期間ほったらかしてもちゃんと存在しているのってすごいな、って思いました。(当たり前!?)ほんとに失礼いたしました・・・と誰にともなく詫びてみる。フェイスブックでは、日常の細々としたことをアップしているのでこちらでは、やや心情的に奥深く迫ったところを書いてみようかな、と思ってます。よろしくお願いいたします!!
2013.09.03
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最高気温が0℃を超えることのない毎日。早池峰山麓、冷え冷えの2月です。今年は近年にない豪雪と低温だとか。「あ~カメムシ予報は大当たりだなあ」などとしみじみ思いつつ薪ストーブの周囲から動きがたい日々を送っています。編み物は、そんなときにも都合のいい言い訳になります。指を動かしていれば、「何もしていない」という状況ではないという・・・(^^;)秋に教えてもらった、簡単オーバーソックス。覚えたらこればっか!というパターンですがせっせと編んでます。あとは読書。今ハマッてしまってるのは「平家物語」。これは、大河ドラマの影響もあって再び・・といったところなのですが初めて読んだのは小学4年生のとき。「武士」というものたちが少しずつ力を持ち始めてきた時代。その「在り方」のようなものになぜか幼い私は感銘を受けたのでした。例えば、合戦の際にはいちいち名乗りを上げたり先陣争い、などといってとかく「名」を挙げて「名」を惜しむ。カッコいい!と思ったんですね~・・なぜか。源平合戦の様々な戦いも、いちいちエピソードが面白くて惹き込まれました。さらに、この物語には様々な人間性も描かれていて登場人物の「キャラが立ってる」とでもいいましょうかそういうところにも、惹かれた覚えがあります。あまりに面白かったので、続きが読みたくて「平家が滅びた後は源氏の世の中になったのだから」と「源氏物語」がその続きだろうと思い込み、あやうく買いそうになってしまった・・という後日談もありますが(^^;)小学4年生の時に買ってもらった本。(小学生用に易しく書かれてあります。)ずっと大事に持ってました・・・)おかげで、平安末期から鎌倉時代のことに関してはちょっと詳しくなりました。鎌倉は憧れの地でした。ちょうど今、中1息子が歴史でその辺りのことを学んでいるので「読むべし!」と薦めています。思えば、「あさきゆめみし」「日出処の天子」・・・などといった漫画によって歴史を学ぶことって多かったなあ。歴史(日本史)が面白いのは、この日本という国の流れの中で何度も大きな変わり目があってその時代ごとに、様々な魅力的な人物が精一杯その「生」を燃やし尽くした、という事実に現在を生きる同じ日本人として爽やかな感動があるからです。今、おそらく大きな変わり目を迎えているこの国のこれからの歴史が後世、どんなふうに語られるのか。ふとそんなことを考えたりもして・・・。・・・・・名ばかりの立春も過ぎ寒さの緩急もつき始めてくるのかな。室温が15℃にまで上がると天井裏で冬篭りしているカメムシたちが動き始めポタポタ落ちてきてちょっとあり得ない状態になります。(いったい天井裏に何匹滞在しているのか・・・??おそらく万単位!?)彼らの冬篭りが無事終わることも祈りつつもう少しの間、この時間を味わうことにいたしましょうか。
2012.02.05
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川井生涯学習センター主催の「かわいっ子・わくわくしぜんワンダーランド」が12月3日の土曜日に実施されました。講師として関わるのは今回が2回目。ですが、講師・・・というのはおこがましい、ほんとにただ単に子ども達と一緒に遊びたい!という案内人です。今回は、冬のタイマグラまでわざわざバスで子ども達がやって来ます。天気がよければ森遊びなどもやりたかったのですがあいにくの冷たい雨。そこで、ガレージを会場にして寒いときにはやっぱり火を囲むのが一番!と決め込み今回のテーマは「正しい火遊び」です。火を使うことになったことで「ヒト」となった我々人間。その歩みと関わりについてちょっと思いを馳せてもらうための紙芝居的説明を少々。火を使うことのマナーと注意も付け加えて「さあ、火遊びしよう!」まずは、マッチを全員に使ってもらいました。さすがかわいっ子だけあって、家に薪ストーブがある子どもがほとんど。マッチでの点火もお手の物!という上級生の男の子達、「こわ~い!」と腰が引ける低学年の女の子達。百戦錬磨の焚き火マスター・渓雲荘主の指導のもとまずはバーベキュー台で焚き火をおこしてみました。なんとか焚き付けの白樺の皮に点火したもののなかなか枝に火が移っていきません。空気の量、焚きつけと枝の位置、などちょっとしたコツを伝授してもらいながら煙にむせつつ、やっと炎が立ち上がってなんとか焚き火ができました。「もしも、山の中で遭難したときに自分で火を焚けることが命をつなぐことになるかも」なんて話も。震災のことなどを考えてもいつ何時、非常時というものが訪れるかわからない。大げさかもしれませんが、火を操り、火とうまくつきあって、正しく利用してこそ一人前の「ニンゲン」といえるのかもしれませんよね。そして、そんな焚き火をさらに進化させたもの、としてロケットストーブの登場!ここしばらく主が集中して開発?に取り組んできたロケットストーブとは、「煙突部分を断熱して煙を温めることで空気の強い「引き」を生み炎が「ロケットのように」ゴーゴー燃える」といったストーブ・・・です。(合ってるかなーー??)※一番最初につくった試作品。一斗缶に煙突を通して、周囲を断熱材(バーミキュライト等)で埋め、焚口を作るだけ。※上部に蓄熱させオーブン機能をつけた進化形うちわで扇いだりする努力無しに安定した強い火力が得られる、ということで屋外での調理用途にぴったり!と例えば避難所での煮炊きなどに適しているといって、震災後にちょっと注目されているようなのです。(なんだかいっぱいあるロケットストーブ・・・。主のここ1ヶ月程の試行錯誤が詰まってる!!)その威力?を試してもらうべく二つの同型ロケットストーブで、同量のお湯を沸かす競争をしてもらいました。まずは、前日に拾っておいた枯れ枝をパキポキ。(雨じゃなければ森で拾ってもらうつもりでした)自分の焚き木を用意して、いざ、点火。ところが、枝が湿っていたらしくなかなか思うように「ゴーーー!」とならずちょっと時間がかかってしまいました(><)ロケットストーブの素晴らしさ、伝わったかな???そして最後は、お楽しみの「美味しいもの」。枝パン、空き缶でポップコーン、焼きマシュマロを味わいました。子ども達の「おいしいーー!」の笑顔がいっぱいでとっても嬉しかったです。2時間のプログラムでしたが、時間めいっぱいにちょっとあれこれ詰め込みすぎて最後はちょっと慌しかったかもしれません。いつもこの企画を楽しみにしてくれている担当のKさん、バスの手配、子ども達のまとめなど本当にありがとうございました!またぜひ、森遊びしましょうね。今回、娘の通う江繋小学校だけでなく交流のある小国小学校の子ども達もたくさん参加してくれました。みんな目をキラキラ輝かせていろんな体験に臨んでくれたことがとても印象的でした。この子達に、もっと自然の中でワイルドな遊びをさせてあげたい!と心から思いました。かわいっ子たち、素質十分!といった手ごたえです。あーー、それにしても楽しかった!!やっぱりこーいうことって、自分が楽しまなきゃダメ!と思ってます。もっともっと、楽しいことやりたいな。
2011.12.08
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水の流れが、不思議な砂と小石の塔を作ってました。こびとの世界に迷い込んだよう・・・。流木を集めて、木琴づくり。たまに、すごく澄んだ美しい音色を出す木があります。向こうで大人が焚き火を始める・・・工作用のどんぐりを大量に集める、という目的もあったのでこの日はずいぶん長く河原で遊びました。日が陰ると少しひんやりしてくる秋の山。澄んだ空気に、心も体もクリアな感じになりました。「すきとほったたべもの」ふと、賢治先生のそんな言葉を思い出したりもして・・・。娘は、それから雨が降るたびに「秘密基地のケーキとか、流されちゃったかな??」と心配してましたが後日、大雨のあとに行って見ると案の定、砂の工作はきれいになくなっていました。それもまた、自然の中の出来事・・・なのです。「子どもには、自分達だけの家が必要です」と語りかける絵本があります。例えばそれは、テーブルの下であってもいいし木の上であってもいい。自分がホッと落ち着ける、自分だけの空間。子どもの頃って、そういう場所がたくさんあればあるほどいいような気がします。それが自然の中だったら、なお・・・。秘密基地探しの毎日は、まだまだ続きそうです。
2011.11.10
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なんと!気づけば更新なくして2ヶ月余!!季節はもうすっかり秋を通り越して、冬の入り口・・・のタイマグラ。今朝は初めて気温がマイナスになりました。真っ白な霜が一面を覆って、薄氷が張って。いよいよ来ました!って感じです。少し季節を遡りますが秋の盛りの頃、薬師川の河原で素敵な場所を見つけました。広い河原には、トチの実や楢のどんぐりがたくさん落ちていて流木や倒木、石や砂、などなど子どもと遊ぶのに盛りだくさんなパーツが揃っているのでした。秘密基地へ、ゴー!!カツラの葉っぱは、スイーツのにおい・・・まずは、しなっている木の枝にぶら下がったり登ったり。おサルの気分?河原の砂で、いろんなものを作って遊びます。ケーキおんなのこ階段秋の頃なので、木の実やきれいな葉っぱがたくさん落ちていて創作意欲をかきたてます。<続く>
2011.11.10
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夜も更け、眠りに落ちて、一番心地よい時間。ちょうど22時くらいでしょうか。「ワワワワンワンワンワン!!!」外の小屋に繋いである犬(カエデ)が、突然激しく吠え立てます。同時に、家の中の土間で寝ている犬(クリ)もウウウ~~~と唸り、矢継ぎ早に「ワンワンワンワン!!」寝ている我々は、一気に叩き起こされます。前足をしっかりと踏ん張って裏山のほうを見据えながら犬達が対峙しているのは最近、裏山に夜な夜な訪れるお客様、クマです。ヌカを食べてますね。(撮影・渓雲荘主)まだ奥山の実りもないこの季節、タイマグラには、けっこう頻繁にクマが出没します。一番おなかが空いている時期なのでしょう、お目当ては、クワの実や、植えてある桃の木生ごみが入っているコンポストなど。どんぐりなどが実り始めるまでの間だけ、いつものことだから・・・と聞いてはいたのですが今年のクマの動きは、ちょっと違っているようで。まず、2週間ほど前。近所の家で飼われているチャボが夜中に小屋ごと壊されて、食べられてしまいました。そして、1週間前。我が家のすぐ前にあるごみ集積所。その金属製の入れ物を壊して中のごみを引きずり出して物色ししかも、散らかしたごみの側に山盛りのウンチを!!入れ物の前面に貼ってあるステンレスのプレートをメリメリと曲げて外す、というその執念。ちょっと今までとは違う、ということで我々住民の間では、要注意警報が出ていたのですが次は、我が家の敷地内、離れの子ども部屋に行く途中辺りで出没したのです。犬が吠えるので主が出て行ってライトで照らしても少しも逃げる様子がない。どうやら、その辺りに以前捨てた油粕にご執心の様子。裏山に出たときも、堆肥場のヌカをペロペロなめていたといいます。場所が場所だけに、子ども達が行き来する時に鉢合わせでもしたら大変です。試しに、クマよけスプレー(唐辛子エキスの強力なやつ!)を吹きかけてみましたが、効き目は無い・・・。(離れすぎてた??)もともと、標高500mのタイマグラはどう考えても、クマの領域。人間がお邪魔してます、ってことなのでウロウロしてたって文句は言えないんですけどね。しかも、最近は、人間を怖がらない遺伝子を持った「新世代」のクマが出てきているとか。もともと、ツキノワグマは、ひどく臆病な動物です。人間を怖がっています。人身事故が起こるのもお互い近づくまで気づかずバッタリ出会ってしまいクマが驚いて、反射的に自己防衛のために引っかいてしまう、ということがほとんどだとか。時々、泊まりに来たお客様に「クマが家まで襲ってくることはないんですか??」と聞かれることがあるのですがまずそんなことはない、とハッキリ言えると思います。でも、北海道やカムチャッカのヒグマなどは少し違うようです。人間の手が加わったことで従来の自然環境を壊し、結果、クマたちと人間の不幸な衝突を生み出している昨今。有害駆除の対象にされて殺されていくクマ、ある地域では絶滅してしまったという日本のツキノワグマの運命はどう考えても「不幸」としかいいようがありません。タイマグラに来て、暮らしのすぐ側にクマの息遣いを感じるようになってその思いは、ますます強くなりました。と同時に、同じ森に暮らすもの、として存在している私たちのありように、ちょっと嬉しい感じもしたりして。だからこそ、事故は決して起こしてはなりません。これだけ近くで犬が吠えているのだからウチのニワトリ小屋を襲うこともないでしょう。(ご近所さんの場合、母屋から離れた畑の隅にニワトリ小屋があったのです)一度、餌の匂いで執着してしまった場所には何回も訪れるらしいので、その場所に木酢液を撒いて匂いを消す。音でびっくりさせる。考えうるすべての知恵を駆使して(それこそが人間の役目!)小さな工夫の積み重ねで、衝突をさけて奥山の実りの季節を待つしかありません。「クマが近くにいる暮らし」を選んだのは私たちなのですから。
2011.08.18
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下の子が通う小学校のPTAでのお役目だったのですが1、2年生の「放課後こども教室」のお手伝いに「しぜんとあそぼう」のプログラムを実施してきました。久々の、インストラクター・モードにちょっとドキドキしつつ、それでも、子供達と自然との橋渡しをすることのワクワク感で準備をしているときからとても楽しみでした。自然豊かな山間に住む子供達。周囲の自然とどんな関わりをしているのか?とっても興味があります。あいにくの雨模様だったので教室内での活動プログラム。1年生4名、2年生3名、合計7名の子供達。下の子の同級生ともあってみんな顔なじみで、和やかな雰囲気で始まりました。まずは、それぞれの自然との関わりを、みんなで共有するためのインタビューゲーム「はじめまして」。Q1:何か生き物を育てたことがありますか?Q2:自然の中で動物に会ったことはありますか?Q3:自分の近くの自然で好きな場所はありますか?Q4:野山に咲く花で好きな花はありますか?という質問を、それぞれ相手を変えながら聞きあっていきます。サルやカモシカやクマに会ったことがある、という回答にはさすが!と思いきや、花の名前で出てくるのは、コスモス、マリーゴールド、バラ、など。でも、終わった後、みんなで丸くなって見せ合いっこをしているとそれ以外の答えも飛び出したりして、面白かったです。親が生き物嫌いで・・・という子も。それぞれが、自然というものをどんなふうに意識しているかということが少し見えた気がしました。次のゲームは「私は誰でしょう?」。いろんな生き物の絵と名前が描かれたカードを背中に見えないように付けて人に質問して、自分が「誰」かを当てるゲームです。動物なのか虫なのか?どこに住んでいるのか?大きさは?羽はあるのか?しっぽはあるのか?色はどんなか?などなど。「大きさは?」「長~いです!」というやり取りで、すぐに「蛇だーー!」と分かってしまったり「何を食べますか?」「・・・???」(答えはとんぼ)と聞かれたほうも分からなかったり。ワイワイと盛り上がって、結局、2回戦までやることになりました。最後、「コウモリ」が答えの1年生の女の子がどうしても分からないので、しまいに泣き出してしまうというハプニングもありました。確かに、これは難しい・・・。コウモリ、という名前は知っていても姿を見たこともなければ、どんなふうに生活しているか?なんてよほど興味がなければ知りませんよね。しまいには、みんないろんなヒントを出し合ってましたが「吸血鬼!」とか「洞穴に住んでる!」とか言っても1年生さんには分かるはずもなく・・・。でも結局、私が言ったヒント、「洞穴の中でさかさまにぶら下がっているよ」でズバリ正解!してくれて、ホッと胸をなでおろしました。そこですかさず、みんなにコウモリのことを少しだけ説明。鳥じゃないこと、おっぱいで子供を育てること、血を吸うというのはウソだということ、害虫を食べてくれる人間にとっては役立つ生き物だということ・・・。話を聞くみんなの真剣な眼差しが素敵でした。これを機に、コウモリをもっと身近に感じてもらえると嬉しいな。(タイマグラで毎年実施されている「コウモリ観察会」に招待したい!!)その後、ブナの木を輪切りにしたものに絵を描いてオリジナルコースターづくり、というのを用意していたのですが1時間はあっという間で、時間切れ。また来週も、一緒に遊ぶことになりました(^^)。嬉しい~!一緒に企画してお手伝いしてくれたSさんや、地元の大人の方々に聞くとやはりこの辺りの子供も外で自然と遊ぶ、ということは滅多に無いとのことでした。田舎に行けば行くほど顕著なこの現象。(むしろ、都会の子供達のほうが自然体験は豊か)やはりここも例外ではないようです。我々が子供時代に外で遊んだ豊かな体験を少しでも、今の子供達にも伝えていけたらいいね、ということを話し合いました。子供時代を過ごした風景や自然を好きになる、ってことはふるさとを好きになる、ってことに繋がると思います。ひいては、地域の再生、過疎や自然破壊を食い止める力にもなると・・・。もし許されるなら、今後もこういった活動を継続したい、ということをお願いしてみました。自分の知っている限りではあるけれど自然の中で遊ぶ術や、楽しさをここの子供達の「子供時代」にもほんの少し分けてあげたい。そんなふうに思います。・・・といいつつ、実は、私自身がただ「楽しい!」というそれが一番の理由なんですけどね(^^;)準備等でいろいろ気を遣っていただいたSさん、子供達ひとりひとりへの目配りがさすが!の安全管理員のHさん、そして、前日、ブナとケヤキの木をひたすら輪切りしてくれた主様、感謝しております。これからもよろしくお願いいたします!!
2011.07.20
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5合目に到着。ここからは少しなだらかな歩きになるのですが風の強い時は、まともに受けてしまう場所で以前、ここで強風のためまともに歩くことができず敗退したことがあります。チシマフウロ この五合目辺りにしかない花です。ここから折り返して下山しようと思っていたらちょうど、パトロールの仕事で山頂に行っていた夫と仲間の管理人の方々が降りてきました。ベテランの山人おじさま達。傘を杖代わり、長靴で・・というのが、なんともツウな感じがします。いったい、何回この山を行き来していらっしゃるのだろう・・・??時間は3時過ぎ。そろそろ下山しないと、という頃に日が翳って、雲が出てきました。前日は、こんな感じで急な雨が来たとか。こうして、雲の近くまで来てみるとほんとに雲の動きで天候が著しく変わる、ということが実感できます。今回は5合目までで大満足!の山行でしたが早池峰は頂上の風景も、とても素敵です。次は、そこまでのレポートをお届けできるよう、精進いたします(^^;)最後はやっぱり・・・ハヤチネウスユキソウ
2011.07.13
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2011年7月11日。第1のピークを迎えているという早池峰の花に逢うべく、5合目まで登ってきました。初登頂は昨年秋。以来、まったく訪れていなかった早池峰山を自分なりにじっくりと捉えてみたい、という思いもありました。早池峰をまだ知らない方、どうぞ、花の百名山・早池峰をご一緒に登っている気分になってみてください(^^)*****登り始めの時間は、非常識にも午後2時近く。頂上から下山する登山客と多くすれ違い「今から頂上まで???」と心配そうに声をかけてくれる中、「いえいえ、お花を見に途中まで・・・」というやり取りを何回もしながら一人、小田越ルートの樹林帯を行きます。しっとりした樹林帯の中は、ミヤマカラマツの白い花が出迎えてくれました。汗をかき始めた頃、木の下にぽつんと置かれた手作りベンチが休息を誘います。途中、何度か見かける謎のナンバープレート。かつて国体が開催されたときの名残だそうです。56を過ぎると、そろそろ樹林帯を抜ける気配です。空が見えてきた!樹林帯を抜けました!見上げると、これぞ早池峰!といわんばかりの岩肌が。振り返ると、今歩いてきた樹林帯が。はるか下に小田越の管理人詰め所の屋根が見えます。ここからは、いよいよ高山帯の花がいくつもお目見えします。ミヤマハンショウヅル シックなワインカラーナンブトラノオ 早池峰の特産種です。咲き始め、のようでした。ミヤマオダマキ 美しいブルー 随所に咲いていました。ミヤマアズマギク 群落が大きいお花畑、というスケール感は少ないのですが早池峰の場合は、とにかく種類が多いのが魅力なのだそうです。確かに、次から次へと、いろんな花が咲いています。周囲は、蛇紋岩のゴツゴツとした風景。陰のない斜面に日差しは照りつけますが、涼しい風が心地よく汗を乾かしてくれました。ここで、時間を気にし始めます。14時46分を目指して、海の方角が見える場所を探します。そう、ちょうど4ヶ月前の3月11日。あの大震災が発生した時間。きっかりに、沿岸の方角を望んで、ひとり黙祷を捧げました。それが、今日のもうひとつの目的。ここから、沿岸を望みました。突き立った岩が、なんとなく海のほうを見守っているように見えました。目を閉じると、風の音。彼方には、苦しみを抱えきれないままのたくさんの人たちがいらっしゃる。そして、空へとのぼったたくさんの魂。何にもできないちっぽけな自分自身だけど確かにこうして側にいて繋がっている。これからもずっと、心を、行動を通わせていきたい、と思いを新たにしたのでした。*****さて、お待たせしました。さきほどからずっと随所に見かけつつ歩いてきましたがハヤチネウスユキソウが、見ごろです。早池峰山にしかない、特産種。もっともエーデルワイスに近い種とも言われる人気ナンバーワンの花。この季節、早池峰を訪れる人は、ほぼ間違いなく全員がこの花を見に来るのだと思います。その姿は、確かにハッとする魅力があって出会えたことがとても嬉しい。おおげさでなく、一本一本が可憐に風に揺れている様がいいのかもしれません。ひとつひとつの花に立ち止まり、もう少し先へ、先へ・・・と歩みを進めるうちにいつの間にか5合目まで着いてしまいました。登り始めてから、ちょうど1時間半くらいでしょうか。もう少し続きがあるのですがそれはまた明日。(写真のアップロードが一日の限界を超えてしまいました^^;)
2011.07.12
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3.11地震のとき。怖かったことのひとつに「山鳴り」があります。地震の揺れではなく、どこからともなく山の上のほうから低く「ゴーーーーー・・・」というなんともいえない不気味な音が響くのです。地震以後にも、数回聞いたことがあります。おそらく、どこかで土砂崩れが起きている音なのでしょう。特定はできないんですけどね。そんなひとつか?とも思える崩落の現場です。<以下、主からの報告>森林基幹道 タイマグラ-横沢区間の土砂崩落(のり面崩壊)の状況2011年7月9日現在場所は、静峰苑の上流約4kmほど行った所。(タイマグラからは林道分岐から12km地点)事故現場の両側は木製バリケードでガードされている※このバリケードならびに崩落現場は、徒歩・自転車での通行のみ可能。立ち木もなだれ落ちてます。この辺りの林道では、あまり特別なことではない、と主は言いますがもし通行中に・・・とか思うとやっぱり怖いですよね。みなさま、ご注意ください。※この道路は、タイマグラから国道106号線に直接つながる大規模林道と呼ばれる道路です。(冬季は閉鎖)タイマグラまでの通常ルート(106号から340号経由)(遠野から荒川高原を越える道路)は、通行できますので、念のため。
2011.07.09
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我が家のウコッケイの夫婦、ひとつきほど前から、卵を10個温め始めました。(ウコッケイは夫婦ともに温め作業をします。)そして孵ったのは、5羽のひよこ(ぴよ)達。一番のお気に入りは「茶ぴよ」真っ白な両親から生まれたのはなぜか、黒と茶色のぴよばかり。調べてみると、純血ではない外国種のウコッケイの場合こういうことは多々あるのだとか。つまり、今の親達の親、は白でなかった可能性もある・・・ということで納得。ところが、生まれてすぐにちょっと弱々しかった1羽が死んでしまいました。2年ほど前までは、ペットの死にひどく心を痛めていた小2娘ですが最近は冷静なもの。というかタイマグラに来てからというもの生き物達が周囲にあふれんばかりで(ペット含め、ネズミや野生動物、野鳥達)生死の繰り返しに、いいかげん、慣れてしまった・・・のかも。野生とは、自然とは、そういう厳しさもある・・・ってことまで理解したのか、しないのか??それでも、神妙な顔つきで死んだぴよをそ~っと両手で抱えて裏の畑の脇にお墓を作ってあげてました。花の少ない季節。それでも、シロツメクサやコンフリーの花、クサノオウの黄色を集めてお墓を彩ってくれました。目を瞑って、手を合わせて「ぴよの花、咲くかな?」「黒い花、って・・・あるかなー?」って、真剣に言ってるところが、まだまだかわいい。4羽のぴよたちは、みな元気いっぱい。親達の後をついて回って、土の中のちっちゃな虫などを一生懸命ついばんでいます。水を飲むときは、上を向いて・・・ゴクゴク。どんな仕草も可愛くてついつい時間を忘れて見入ってしまい主からあきれられてる(^^;)私です。。。
2011.07.01
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晴天の6月20日。今シーズン初の薬師岳登山に行って参りました。登山道整備&パトロールの夫のお供、です。<薬師から見た早池峰>早池峰山の真向かいにあるこの山は三角の円錐型で、きれいな稜線を持ち遠野側からだと、早池峰の前にこの薬師岳が重なって見えます。早池峰の全貌を捉えたいなら、薬師に登るのが一番。1時間程度で頂上まで行けて子供連れでも、山経験初心者の人でも気軽に登れます。しかも、小田越登山口からヒカリゴケなども見られる樹林帯、ハイマツなどの低木と花崗岩が連なる見晴らしのよい登山道、頂上につながる緩やかな庭園のような美しい稜線・・・と短い中ながらも、実に豊かな表情を見せてくれる山です。<オサバグサ・小さく白い愛らしい花の連なりです>登山道に入ると、オサバグサの群落が出迎えてくれました。少し季節の遅いサンカヨウやショウジョウバカマなど里のほうではもうすっかり終わっている花々が鮮やかな彩を見せてくれます。山頂につながる稜線に出るとお弁当を食べるのにちょうどいい岩の広場があります。ここからの真向かいにある早池峰の眺めが素晴らしい!(一番上の写真がそれです)双眼鏡を持っていけば、早池峰登山道を歩く登山客の姿も見えるほどの、本当の真向かいです。<小2娘が見つけた岩に浮かび上がるハート模様・ぜひ見つけてみてください>広場から5分ほど稜線を歩くと、山頂です。この途中には、巨大な花崗岩が造る天然の庭園が続いており岩肌に咲くイワウメなど、高山植物にも出会えます。<イワウメ>青い空に流れる白い雲。眼下には、荒川高原などの牧場が広がり遠く、花巻辺りまで見渡せる眺望。さわやかな風が吹き抜ける中、お弁当を食べて岩の上でちょっと昼寝をしてゆったりとした時間を過ごします。この日は、ここでじっくり腰を据えて「宴会」を決め込むグループもありました。ほんと、のんびりしていたくなる場所なのです。1時間ほどのんびりした後、夫が登山道の整備などをしながら、の下山です。薬師岳、実は民宿・渓雲荘の女将としてイチオシ!おススメの山なのです。小さなお子さん連れの親子もよし、(ウチの子は3歳くらいに登頂してます)小学生くらいのグループで行くのもよし、山初心者の女性も安心、山ガールの初チャレンジにもぴったり!早池峰山は、比較的簡単な山とはいえ3時間はかかりますし、途中、鎖場などの険しい箇所もあります。もちろん、ハヤチネウスユキソウに出会うためには早池峰に登らねばなりませんがちょっと足に自信がない方は、まず薬師に登って早池峰を真正面から見て、次のチャレンジに備えてみるのもいいのでは?健脚の人は、早池峰と薬師を一日で登っちゃいますけどね~~。一気に満喫できるのも、真向かいにあるからこそ、です。また、薬師岳の裾をぐるっと歩ける登らなくてもよいトレッキングコースもあります。今後、いろんなコースを提案しつつ渓雲荘での宿泊とセットでプランを考えるのもいいなあ~、なんて。みなさま、ぜひ!薬師岳に登ってみてください!!※簡単、とはいえ標高1600Mの山ですので、ちゃんとした登山装備は必要です。
2011.06.24
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今日は震災から100日目。海に消えていったそれぞれの命、そのひとつひとつの行く末に、心から祈るばかりです。先だって某新聞の記事でお寺の住職さんが語られていた言葉ですが、100日目のことを「卒哭忌」というのだそうです。犬のようにわんわん泣くような悲しさからは卒業する・・・といった意味だそうで、確かにひとつの区切りなのだけれど、決して悲しみが終わるわけではない、と。。。大切な人を亡くした方々とは到底同じ気持ちには成り得ないとは分かっていますが、悲しみが癒えるには時間と段階があるのだろうな・・・と、私にもほんの少し推し量ることができた気がしました。「慟哭」という言葉の激しさから想像する、直後の鋭く痛い悲しみが、薄皮が剥がれたように、ほんの少しだけなくなってくる。100日かかって、ようやくそんな段階なんでしょうね。。。通園バスに乗ったまま津波に流された保育園児たちの母親が、現場で子供たちの形見を探しているニュース映像を見ました。もし、自分の子供が・・・とちょっと想像しただけでも、喉元から押し上げてくる苦しさに、たまらない気持ちになります。よく耐えて、そこに立っていらっしゃる。それだけでもう、彼女たちの姿が気高いものに感じられました。人間の強さ、とも言えるのでしょうか。悲しみを身に刻み、乗り越えた者にしか与えられない「強さ」。どうか「時」が、彼女らの側に寄り添い、少しずつそーっと、悲しみを剥がしていってくれるよう、祈ります。
2011.06.18
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昨年夏、タイマグラにやってきて、はや9ヶ月。いろいろなことがある中で民宿の仕事、というものを「自分主導」でやったのはほんの数えるほどで(特に冬場はゼロに等しい。。。)それも、なんとなく夫の手伝いというか見よう見まね、というか、そんな感じでしかありませんでした。女将、と呼ばれることは軽く茶化されているような気分すらしてそんな自分の身の置きどころの悪さに実はちょっと悶々としていたこともありました。そんな中、起こってしまった東日本大震災。かつてない衝撃の中で「今の自分にできること」を精一杯やる、という思いでボランティア特別宿泊受け入れを始めました。主の知人関係を中心に、たくさんの有志の方々のご利用があり被災地を訪れた方々の様々な思いを汲むこともできとても有意義でした。5月には、復旧工事関係の業者さんや仮設住宅建設作業員の方々が1週間単位で連泊される、という対応に追われました。沿岸部の宿泊施設の不足によりどこもかしこも作業員の人たちで満杯状態だったとか。布団部屋に押し込まれ、食事も満足に出なかった・・・などという話も。ご自分の生業を活かして、急務である復旧工事や仮説工事をされている方々です。何週間も家族のもとに戻れず、混乱している現場と上からの指示の間に挟まれて・・・。ふと、福島原発の中で働く作業員の方々のことなども思い出し少しでも快適に休んでいただけるよう精一杯の対応をさせていただいたつもりです。というわけで、否応なしに民宿業にどっぷりと漬け込まれた2ヶ月間。少しは「女将」としての自信と自覚が生まれたか?というところですがなかなか、まだまだ・・・。ただ、お客様がいらっしゃる、ということに対する「怖気付き」みたいなものはなくなったかな?少しは度胸がついた、とでもいいますか、まあ、それだけでも良しとしようかな、と。******震災当初から現地に通い、積極的に活動されていた10年来の友人のMちゃんご夫婦。単身でボランティアセンターに常駐して、目覚しい活躍ぶり。現地で知り合った仲間を連れていらしてくれたOさん。地元の「山の会」メンバーを多数集めて乗り込んできてくれた頼もしいアウトドアマン(ウーマン)の方々。みなさん、過酷な作業(被災した冷凍倉庫からあふれ出たサンマの回収側溝さらい、泥だし等々)を黙々とこなし疲れたの一言もなく、生き生きとしておられたのが印象的でした。当宿の常連様ともなった?青森の電設工事会社の方々。長期にわたる滞在、おつかれさまでした。黙々と仕事に通っていらした真面目な仮設作業員の方々。今度は是非、遊びにいらしてください。そして、被災された方々もお見えになりました。宮古在住の大工の親方。海と自然のこと、これからの街づくりのこと、熱く語ってくれました。大船渡で会社が流された、鳶職人の方々。津波から危機一発で逃げた時の様子を、ひとりひとりが饒舌に語ってくれました。皆さんの口から出た「なして・・・?」という言葉。目の前の命を救えなかった体験、身内を一瞬でなくした体験、そのどれもが、不条理で、でも誰を責めることもできない辛さ。ただただ、頷いて聞くしかありませんでした。実家を流され、母親と妹の行方がわからないまま地域の合同慰霊祭に参列された女性とそのご家族。私より少し年上くらいの彼女は、当日から今日までの流れを淡々と語ってくれました。でも、側にいてくれる旦那様と子供たちのおかげできっと救われているんでしょうね・・・近くに宿泊場所がなくて、やむを得ず当宿にいらしたのですが子供たちが自然や動物に喜んでくれて皆さん、思いがけず楽しそうに過ごしていただいたご様子。なんだかとっても嬉しかったです。おばあちゃんちは無くなっちゃったけど、故郷は変わりません。今度はウチに泊まってゆっくり里帰りしてほしいな、なんて思いました。つい最近いらしたのは、主の友人の朝日新聞記者のNさん。海中に潜っての撮影と取材、ということでカメラマンさんと重装備の機材と共にいらっしゃいました。水中のガレキの中で見つけた1枚の子供の写真。記事になってから、写真の持ち主が名乗り出て(無事だったのです)その子供とも巡り会うことができた・・・というドラマもあったようです。・・・・・そんなこんなの1ヶ月余り。実に様々な出会いがあり、感動があり、民宿業の楽しさ、みたいなものがやっと分かりかけてきたような・・・そんな気持ちです。ボランティア特別宿泊の受け入れはまだ続けています。早池峰山の山開きも行われ、7月になると高山植物の見どころもピークになって登山のお客様も増えてくるのかな?引き続き、頑張ろう!と思います。季節は移り変わり、すっかり初夏。一面の緑の中にあるタイマグラ・溪雲荘は今しばらく、静かにエゾハルゼミの鳴き声に包まれています。
2011.05.27
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地震後のルポを、と思っていたのですが更新が遅れてしまいました。。。結局、福井での滞在は3週間。最大余震直後の4月10日に、岩手に戻ってきました。福井滞在中、日に日に少なくなってくる地震関係のニュース、あまりにも普段通りの周囲の生活になぜかひどく違和感を感じどうにも落ち着かず、悶々と日々を過ごしました。地震は恐く、原発の事なども考えると北陸の地にとどまったほうが良いのでは?という思いも、周囲の声もありました。でも、やはり「現地に戻って、何かしなければ」という思いも、同時に存在したのです。今、自分がいるべき場所。今、自分ができること。その中で、生業である民宿を活かした形で、ボランティアに訪れる人たちの宿泊拠点として特別受け入れをする、という私達なりの支援の形を模索しました。通常の半額近い料金で長期滞在にも負担のない形で利用していただいては?と。早速、主と相談してHP等で告知したところ、知人からの申し込みや問い合わせがありました。それで、俄然やる気が湧いてきたのです!帰ってすぐの1週間、主は仕事でまるまる不在。その条件もまた、さらに私を奮い立たせてくれました。余震や原発などへの不安も消えた気がしました。寝台特急「日本海」、秋田新幹線、106急行バスを乗り継いで3週間ぶり戻ってきたタイマグラ。雪はすっかり融け、季節は確実に春に移っていました。凍りついた世界があまりにも長かったので3週間ぶりのタイムスリップは、ちょっと不思議な気分。最大余震はあったものの地震直後の1週間に比べれば、余震の回数も減り規模もずいぶん小さくてまずは一安心。中学校の入学式は4月25日。入学する上の子は、11日から午前中だけの登校。小学生の下の子は月・木だけの午前中登校。そして、12日から連日の来客。沈みがちな気持ちで停滞していた福井での日々からようやく心機一転です。ここに、私自身のやるべきことがある。私の生活がある。当たり前のことなのかもしれませんがそのことが、恐怖や戸惑いで弱っていた私の心をどれほど勇気付けてくれたことでしょう。今回の地震であの凄まじい揺れの中で今まで信じきっていた安心感が足元から崩れ去るような不安に襲われ被災地の哀しいさまざまな光景を見て何かしなければ!という焦躁感と何もできない自分自身の無力感にとらわれ。。。でも混乱する中でひとつだけ、確かに気づいたことがありました。今、自分自身にある日常と時間を大切にしなければならない、ということです。それは、いつどうなるかわからない本当に不安定なものである、ということです。それって実は当たり前のことで「無常」という言葉であらわされるこの世の真実であるわけですが実は、そのことを私はまるで実感していなかった、ということにしみじみ気づいたのです。大切な人たちへの愛や感謝の気持ちをちゃんと態度で表すこと。今与えられている日常を、大切に、有意義な時間として過ごすこと。後悔のないように、生きること。あれ?。。。言葉にするとよくあるキレイごとにすぎないんですけどね(^^;)。でも、本当に心から私はそう思ったのです。気持ちの浮き沈みは相変わらずあるけれど大切なことを忘れずに日常に臨んでいます。子供たちへの「大好きだよ!」という言葉。夫への「信頼してます」という気持ち。大切な友人たちへの「ありがとう!」という思い。そして、被災したたくさんの人たちの思いに少しでも添えるように自分の身の丈でできることを今、淡々とやっていきたい。そんなふうに思ってスタートしています。
2011.04.20
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ご心配をおかけしてました。3月11日に発生した東北関東大震災。大地の揺れは、とても恐ろしいものでしたがおかげさまで、私たちは家族ともども無事です。ニュースで流れる「宮古市」など沿岸の状況を見るにつけ一応宮古市住人である我々のこともずいぶん心配されているのだろうな~と外部に連絡のしようがなかった数日間、そのことが一番気がかりでした。(タイマグラは旧川井村という内陸の山間部。最近合併して宮古市になったばかりなのです。)停電は3日目に復旧。電話やネットがずっと使えない状況でしたが、昨夜、ネットも復活。電話だけ、まだ不通といった状況です。でも、水はあるし、薪も、食料も十分に備蓄があったのでタイマグラでの籠城?生活は、けっこう余裕、なのでした。18日に上の子の卒業式があってその後、私と子供たち3人は、福井の実家に避難してます。ご心配のメールやコメントを寄せていただいた皆さん。本当にありがとうございました。この場をお借りして、感謝の気持ちを伝えます。ーーーーーその日。地震の揺れが来たとき、家の中にいた私は「あ、まただ」と思いました。2日ほど前に、ちょっと大きな地震があったばかりだったのです。いつものように、ガタガタと揺れが来てしかし、その揺れはなかなか終わらない。そのうち、さらに激しくなって「これはヤバイ!!」と思ったのと部屋履きのまま外へ飛び出したのは同時でした。凄まじい音と地鳴りと揺れ。外に出ても、電線や車や何もかもが揺さぶられしかも随分長く感じられました。もしかして、このままずっと揺れているのではないか?と思うほど。「どうしよう!子供たちは!?」揺れの中で、学校にいる子供たちのことが真っ先に脳裏に浮かびました。小学校は、家から車で20分ほどの道(けっこう崖崩れとかある)を降りたところ。建物も、鉄筋とはいえそんなに新しくない感じです。やがて揺れがおさまって、灯油ストーブを消していないことに気づき慌てて家の中に入ると、ストーブは自動消化されており(よかった~。。。)部屋にはいろんなものが散乱。電気も止まっていました。お隣の澄川さんの家に走ると、留守。電気がなくても通じる電話が、少し上手の家にあったはずと思い車を走らせました。みんな青い顔をして外に出てました。まずは無事を確認して、すぐに電話を設置してもらい小学校にかけるのですが、話し中。何度か試みますが、どうにもつながりません。夫の携帯も、だめ。(でも、電話自体は、この時点では使えたのです。)車のラジオからは、津波が来る、というニュースが。マグニチュード8、という言葉、巨大地震、という言葉。これは大変なことが起こったのだ、という実感がじわじわとこみ上げてきてますます、子供たちのことが心配になってきて。。。夫はイヌワシの調査で沿岸部の山に入っているはず。でも、どこの山だったかはハッキリとは知らなくてこれもまた、不安だけど、どうにもできず。。。その間も、余震が続けてくるので、そのたびに外に飛び出して。どれくらいの時間が経ったのか。道路を、留守だったお隣の澄川さんの車が上がってくるのが見えました。そしてそこには、子供たちの姿が!!思わず、力が抜けて、涙が溢れました。タイマグラの小学生たちが、全員無事で戻ってきました。ちょうど図書館にいた澄川さんの奥さんが小学校に寄って、子供たちを連れて帰ってきてくれたのです。途中の道路も、不思議と崩れも落石もなかったそうで孤立していないこともわかって一安心。宮古の町に買い物に行っていた、という、民宿フィールドノートのご夫婦も帰ってきて「4mの津波が来るとか言ってた」とか。(まだこの時点では、沿岸部があんな恐ろしいことになっているとは思いませんでした。)そして、家に戻ったとき、夫が帰ってきました!聞けば、もっとも危機一髪だったのは彼だったようで。。。山の斜面にいた時に地震。凄まじい山鳴りと落石、崩落。立ち木にしがみついて乗り切って幸い、林道に停めてあった軽トラも無事で途中の道路でも、落石なんかを除けながら降りてきた、と。話を聞いてゾッとしました。もし、あのまま帰ってこなかったら私はどうしたらよかったんだろう。。。なんて考えると。とにかく、家族全員が揃って無事。それが何より。あとは、これからしばらくを乗り切るしかない。それはそれで一安心、だったのですが。気になるのは安否を心配している県外の身内の人たちのこと。地震後しばらくは通じた電話で171の災害ダイアルにかけるのですが「混み合っているため使用できません」とのメッセージ。被災地の人が使えなくては何の意味もないじゃないか!!と、憤りを感じつつ。そのうち、電話線も機能を失って受話器をとってもシーンと沈黙してしまったのです。ラジオからは、激しい津波の被害の状況が伝えられ、携帯電話も使用不可能という情報もきて外部との連絡手段は一切閉ざされてしまいました。そして、静かで真っ暗な第一夜が訪れたのです。(続)ーーーーーー地震後のドキュメント?は、また追って綴らせていただきます。
2011.03.23
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昨日、1週間ぶりに下界?に下りてきました。道路、融けてました~!私の見立てではほぼ96%程度は普通路面に戻っている感じ。といって油断してると、ハイスピードのまま氷部分に突入!ってこともあって危険なのでまだまだ運転は慎重に…ですがそれでも、なんだかちょっと嬉しかったです。住人の間では、まだこれからも「3月のドカ雪」の可能性はある、と慎重論が出ているのですが案の定、昨夜は湿った淡雪が降って今朝は辺り一面銀世界。それでも、日中は気温が上がるのでまたすぐ融けてしまうところが真冬とは違うところ。じわじわと、それでも確実に春は近づいているのですね。(記録のつもりで書いて来た「道路事情」も、今回で終了でーす!)
2011.03.07
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民宿経営、炭焼きさん、動物カメラマン、などの多彩な顔を持つ溪雲荘主の仕事のひとつに猛禽類調査員、というものがあります。主に、イヌワシやクマタカなど希少猛禽類の保護のための生息・生態調査、繁殖調査です。日本国内でも、イヌワシが生息(繁殖)している地域は限られていて特に岩手県の北上山地は、日本一の生息地です。しかし、ここ20年で繁殖率はひとけた代に低下。(ある年の例をあげれば、32ペアのうち3ペアの雛しか巣立ちに成功しなかった)今年に至っては、年末の予想外の大雪で巣が痛みもしかするとゼロになるかも、という未曾有の事態になっているのです!イヌワシの寿命は30年以上と言われます。もしこのまま繁殖率の低下が進めば確実に近い将来、日本の空からイヌワシの姿が消えることになるでしょう。餌場(ノウサギなどが狩れる見通しの良い山地)と営巣地(岩棚や大木)の確保。この2点が並び立たないと、イヌワシは生きていけません。繁殖率の低下を招いている要因はいったい何なのか?その理由には様々な要素があるのですが、そんなことを議論している暇はないほど、事態は深刻なわけでとにもかくにも、人間が考えつけるだけの対策を実施している、のが現状のようです。彼の仕事は、委託を受けてイヌワシの行動を記録したり、繁殖しているかどうかを確認したり巣の補修をしたり、という先にあげたような、繁殖率低下になんとか歯止めをかけるための動きです。この時期は、繁殖に成功していれば抱卵(卵を温めている)の頃。調査の日数も増えてきます。調査、という仕事のほとんどは双眼鏡や専用の望遠鏡、撮影機材などを構えてひたすら空を見る。。。見晴らしのいい山の上に分け入り遠くの稜線上にいる小さな黒い点(となって見えることがほとんど)を見逃さないよう、ただ、空を見る。そんな長い時間の中で、イヌワシの姿が見えた時は本当に心が躍ります。※画面をクリックすると動画サイトにリンクします。主が撮影したイヌワシの飛翔映像です。イヌワシ飛翔イヌワシ飛翔2これは、求愛のための飛翔(波状飛行)をしている様子です。イヌワシ・ディスプレイ出現があれば、どのようなルートを飛行したかを記録したり(地図上に線で書き込む~トレースという)写真を撮ったり動画を撮ったり。個体識別をして、どこのなわばりの個体なのか推定したりペアで求愛行動をするなど、繁殖につながる行動を確認したり。私もかつて、下請けの調査員としてこの仕事をやったことがありますがとにかく双眼鏡に酔うのが(私だけ!?)つらかったです。。。ましてや、繁殖の時期は真冬。防寒対策をガッチリしても、しばらく外に立っていれば寒くて寒くて。岩手県では、イヌワシの人口巣を設営したり巣の補修(雪よけの屋根を設営)を人間の手で行う、といったこともやっています。写真は、断崖にある巣までロープワークで降りて行って巣の補修や調査をしてる時の様子です。高所恐怖症の私としては、もう絶句。。。の状況です。(崖の中程に人影が。。。見えますか?)巣の内部。小さなホネや羽が見えます。国内で650羽(2004年環境省発表)、絶滅危惧種、天然記念物のイヌワシ。このような地道な作業の積み重ねでイヌワシが護られている現実がここにあります。まずは一度、その姿を自分の目で見てほしい。「見たい」と思ってほしい、と主は言います。自分の住んでいるそばに、イヌワシという生き物がいること。見慣れた空に、飛んでいるということ。存在を強く意識する、ということ。それが、保護を考える時に、最も大切なこと、なのかもしれませんね。自分の頭上に広がる空がイヌワシが舞う空であってほしいとそう願う人が、もっと増えていけばいいですね。
2011.03.02
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ここ1週間、日中晴れ間が広がり気温もプラス5℃まで上がる日もあり雪解けがかなり進みました。極めつけは、夜中じゅう降り続けた雨。朝晩はマイナス5~8℃と下がるので要注意(雨が凍るとスケートリンク状態)なのですがそれでも日中の温かさで、確実に雪(というか氷)は少なくなってきています。前回アップした写真と同じ場所です。路面が見えてます。途中は、まだ氷の残る道が随所に。スケートリンク状態です。山を下りるこの道路だけが難所であるタイマグラにおいては日々刻々と変化する道路状況への関心が異様に高くなってしまう。。。のは、もしかしたら初めての冬を過ごした私だけなのかもしれませんが(^^;)先日の夜中の大雨の翌朝、子供たちを学校へ送るバスが時間になっても上がって来ない。どうしたことか?と思っているところに下のほうから民宿フィールドノートの陽子さんが歩いてやってきて道路に雪崩があって、途中でバスが立ち往生している、とのこと。幸い、500mほど下の場所だったので子供たちをそこまで歩かせて、バスに乗せましたがこれがもし、もっと下の方だったとしたら携帯電波も届かない道路の途中でバスも動けず、誰も状況が分からず、といった事態になってしまうのです。雪解けの季節は、こういった雪崩や崩落も起こりやすく心配しだしたらきりはないのですが、ね。3月に入ると、また寒の戻りなどがあるらしくまだまだ油断はできません。タイマグラ道路事情は、日々、住人の関心ごとのメインなのです。
2011.02.28
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私たちが住むタイマグラ地区は、最後の集落から20分程度車、林道(県道なのですが)を山奥に入ったところにぽっかりと開けた、もと開拓地です。その道路は、舗装こそされてはいるもののカーブの多い渓谷と崖に挟まれたぐねぐね道で途中、細くなったすれ違いの難しい箇所もあったりとなかなか運転に気を使う道程です。冬となれば、その困難は極まります。一日中気温がマイナスの真冬日続き。路面には積もった雪が凍って融けることはなくその上からまた雪が積もり、また凍って除雪車などに踏み固められてパンパンに固くなりいつしか路面はスケートリンクのようになってその状態は12月末から現在までまだ続いています。(写真のような感じです。。。石川弁で言うところの「きんかんなまなま」ですね~)また、積雪があり除雪車が入っていない状態だと車同士のすれ違いができず、一時は、片方が1kmくらいもバックで下がって広い場所を探しなんとかすれ違った、、なんてこともありました。2WDの普通車を持って来た私としては当初、もう冬はどこにも行けない~と諦めていたのですが最高に凍った状態の雪道というのは意外にも安定している、ということが分かり(とはいえブレーキはほぼ効きませんが^^;)除雪車が数回入った後なら、待避所もたくさんできて真冬でも、なんとか麓まで通うことが出来ました。むしろ、さらに困難なのはこれからの時期。分厚い氷だった路面が、日中の日差しや高温で融け始めて車の轍がデコボコをつくり夜にはまた氷点下で凍って翌朝は氷のデコボコ道ができあがる。。。という繰り返し。かつて、タイマグラ住人のOさんがこの道程で、50m下の崖に車ごと転落したのもこの時期だったそうです。(奇跡的に本人は無傷だったとか!)積雪は北陸に比べたら決して多くない。ただただ、ずーっと凍っている、という訳です。しかもそれは、麓の集落までの道だけ。国道に出れば、道路は乾いた状態であることが多いということです。雪は降っても、すぐにびしゃびしゃになって道路はほぼ融雪装置で整備されている北陸育ちの私としてはこの、太平洋側の北上山地の冬の路面状況、積雪状況というのは本当に新鮮なことばかり。ここ3~4日の日中の高温で道路はまた少し状態が変わっているようです。明日は1週間ぶりに麓に降りてみて道路状況を確認してこようと思ってます。山ごもりの冬も、もうちょっとの辛抱かな?※冬の晴れた日には神々しい姿でタイマグラを訪れる人を迎えてくれる早池峰山
2011.02.21
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リビングの窓辺、薪を積んであるところにヒマワリの種をまいて野鳥を呼んでいます。えさの少ない冬場は野鳥たちの憩いの場となるようで毎朝、いろんな鳥たちが訪れてくれます。(以下、写真部分は動画です。写真の上をクリックすると動画サイトにリンクします)いっぱい来たよ常連客は、3羽のヤマガラ。あと、シジュウカラや、コガラなどのカラ類がほとんどです。ゴジュウカラもいるようですが、今年はまだこの窓辺には来てくれてません。ヤマガラ・シジュウガラ「野鳥ってきれいな色だよなあ~」と、6年生息子が言いました。ほんとに、シジュウカラの羽にグラデーションしている何とも言えないグリーンやヤマガラのオレンジのお腹。はっとするような美しさです。お茶を飲みながら間近でその美しさに出会えるリビングは我が家の自慢、かな。※室内犬?クリと室外犬カエデ。その間に野鳥。位置関係はこんな感じです。犬~鳥~犬
2011.02.15
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最後に更新したのは、昨年の5月ですね。。。あれからいろいろありまして。(いろいろ、なんてもんじゃーないか~)このブログの行く末もどうしようか?と迷ってはいたのですがやはり私自身の歴史が綴られているということでもあり引き続き、やっていこうと決心しました。(大げさですがー)昨年8月に、岩手県に引っ越し、二人の子どもを連れて、再婚しました。現在、北上山地の最高峰・早池峰山(はやちねさん)の麓で民宿を手伝ってます。手短に言えば、以上です。住んでいるのは、このブログで一昨年紹介した「タイマグラ」という土地です。(一覧より「岩手の旅<1>」をご覧下さい。)そこでもお伝えした「溪雲荘」という宿の主とそーいうことになった、という訳です。。。はい。思えば、本当に慌ただしい状況でこちらに来てからも、いろんな気持ちの動きがあってどうにも落ち着く感じがせずそのまま、マイナス15℃を記録する極寒の冬に突入。現在に至ります。少しずつ、身辺のことや住んでいるこの場所のことなどをお伝えして行くつもりです。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
2011.02.06
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岩手で暮らしていた頃。借りていた畑の周囲に、ニホンハッカがたくさん自生していました。日本在来のミントです。私の住んでいた北陸では見たことがありませんでした。(あるのかもしれませんが…)葉をちぎると、芳醇に香るペパーミントの香り!お店で売っている外来のミントと何ら変わらないいや、それ以上です。感動しました。当時、ハーブなどにちょっと凝っていたこともあってその辺に自生しているものにこんな素敵なハーブがあるなんて!(しかも雑草扱い…)と何株かを家に持って帰り、庭先に植えました。夏には薄紫の花も咲き、葉っぱを摘んでお茶にしたり…と楽しみました。次の年の春。ハッカはさらに庭先で株を増やしていました。種がこぼれて、一気に増えたのです。それ以後、年々勢力を増し続けました。岩手を離れるとき。庭先に見事に繁ったハッカが惜しくて3株程、ポットに入れて持ち出しました。そして、福井で住んだ家の生け垣の下に植えてみたところ…。これまた抜群の繁殖力!ここでも見事なハッカ畑?が出来ました。北国のものだからどうかなー?根付くかなー?との不安もなんのその、どうやら、場所、土、気候などを選ばないようです。さらに4年後。福井から石川に移ることになって。私はまた、そのハッカを数株、持ってきました。庭の畑の周囲に植えて、次の年。今度は思ったより増えてなくて、それでも10株ほどは育って花をつけて。そして今年。北の国からやってきたハッカの末裔?達は石川の白山麓の我が家の庭に、見事によみがえりました!昨年より格段に増えて、ハッカ畑となっていたのです。本当にたくましい、在来種の底力とでもいうのでしょうか。10年近くもの歳月を、北国から旅してきたハッカ。これからも、私と一緒に旅を続けることになるでしょう。茎の切り口、よ~く見ると四角。シソ科の植物は大体そう…みたい?
2010.05.22
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新緑が色を濃くして濃密な空気をまき散らす頃になると、道路脇の山肌に、一斉に咲くシャガの花。私は、この花が子どもの頃から好きでした。私が子どもの頃に心惹かれた花、というのは園芸種でない、人が植えたものでないのに見事な美しい姿をしている花…だったように思います。カタクリもしかり。シャガの花も、見た目が派手な割には山際の緑の陰にひっそりと(集団だけど)咲いてるのでもちろん名前なんて知らなかった当時は野草なのか?誰かが植えたものなのか?と迷いつつおそるおそる摘み取って、家に持って帰った覚えがあります。その名前がシャガというのだ、と知ったのは大人になって自然に深く目がいくようになった随分あとのこと。ルーツは中国から入ってきたものらしくやっぱりもとは園芸種だったのかもしれません。植物観察を始めて、図鑑を片手に野山を歩くようになって身の回りにある全ての野草に名前があるんだなあ~、という当たり前のことにしみじみ感動したこともあります。名前を知ることで、その植物とぐっと近くなれたような。幼い頃からずっと身の回りにあったものたちが名前を知って、より新たな存在になったというか。シャガを見るといつもそんな気持ちを思い出してまた、幼い頃に野山を駆け回って遊んでいた頃の優しい記憶がよみがえってなんともいえない心地よさに包まれるのでした。今年もシャガの頃。タニウツギの鮮やかなピンクと一緒に摘み取って玄関に飾りました。
2010.05.21
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「ぶなもり自然塾」の活動拠点となっている丸山の森にこの春初めて訪れました。まだ雪解け直後といった感じで湿った落ち葉が張り付いている地面。オウレンの白い花が所々に顔を出しています。昨年12月に完成したツリーハウスも、この冬の豪雪に耐えました。それでも、雪の重みに耐えかねて折れた枝、倒れてしまった木があちらこちらに。そして、もしかしてそろそろ…?と思って森の奥へと足を運ぶと…。ありました!カタクリの群生。1枚だけの葉っぱが地面を覆い尽くすように顔を出しています。中には、2枚の葉がついて花を咲かせようとしているものも。すごいすごいー!と地面に気を取られて歩いていてふっと顔を上げると…目が合ったのが、カモシカくん。ごく至近距離。5mくらい?「わっ」と思わず声を上げた私にも動じずじーーーっと佇んで私をガン見(ていうらしいです、こういうの)してます。デジカメを持って来なかったのを悔やみつつ携帯で写真を。シャッター音にも動じません。ソロリソロリと近づくと、向こうもさりげなく距離をとる。木の幹に顔をこすりつけたり、笹の葉の先っちょをかじってみたり。本当に、私の存在なんて気にしてないような感じでのんびり先を歩いています。でも、ちょっと近づくと、確実にそれだけ離れていく。。。そんなことを繰り返してるとまるで一緒に森の中を散歩してるみたいでなんだかとても楽しい気分になりました。しばしのお散歩を楽しんだ後、カモシカは渓谷に続く崖を軽やかに降りて行ってしまいました。長かった冬を越えて、やっと巡り来た今年の春。このごく自然で当たり前な季節の巡りが最近はとても貴重なことのように感じられます。人生80年、と多く見積もったとしても私にとっての春は、あと30回余りしかないんですよね。だから、精一杯?この春の訪れを楽しみたいなあ、と思ったそんなひとときでした。
2010.04.14
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いつもより長く感じた今回の冬。暖かくなったかと思うとまた寒くなって…。三寒四温という言葉とおりの季節の移り変わりがあってそれでも、雪が融けたかと思うとあっという間に春は訪れました。フキノトウ、オオイヌノフグリ、タネツケバナ、スミレ…。いつもの道路脇にも、春の花がちらほら。まだ我が家の周囲の桜は開いてませんが車で15分も海側に走れば、桜はすっかり満開。満開に咲き誇るソメイヨシノもいいものですが私が一番好きな春の景色はまだ色の無い山に、所々ぽつん、ぽつんと咲くタムシバや山桜。その情景に、なぜかとても心が惹かれます。幼い頃、杉の木ばかりの実家周囲の山の中に時々、雑木のエリアがあって春先になると真っ先に白い花が咲く木がありました。父に聞くと「コブシの花だ」と教えてくれました。私は、どうしてもその木の下に行きたくてその花が近くで見たくて連れて行け、だったか、とって来て、だったか父にねだったことがあります。たいていその木がある場所は急峻な山肌で幼い私が行く事はできないようでした。ところが、ある日父が山から帰ってきて(林業者だったので、よく山に入っていました)その花を一枝、持ち帰ってくれたのです。ものすごく、嬉しかったことを覚えています。ずっとコブシだと思っていましたが日本海側にあるのはほとんどタムシバだと大人になって知りました。十分な山の中に住んでいながらもそうそう山に入って行ける訳でないこともあって遥かな山の中の様子や、山の頂の様子にとても憧れがあったようです。周囲を全て山で囲まれているのにその山のことをほとんど知らない。そんな暮らしに、なんとなく物足りなさを感じていました。大人になって、山に登る、という世界を知って私が夢中になったのは北アルプスなどの高山に行くことではなくて身近な地元の山々に登ることでした。たいてい1000m以下の名前も聞いたことのないような低山。登山道がついているなんて思いもしなかった!ということが最初の感動で地元の愛好会が出版したマイナーなガイドブックを片手に一人で登りまくりました。多分、幼い頃に感じた「そこにある山」への憧れがそうさせたのだと思います。今日も、遠くの山肌に白い山桜の姿が、ぽっかりと浮かび上がっていました。やっぱり今でも「あの木の下に行きたい」と憧れのような気持ちが沸き上がるのでした。※もうひとつの春下の娘がピカピカの1年生になりました!6年生になる兄と通学のヒトコマ。ケンカの絶えない二人ですが、やっぱり兄も嬉しそう…??
2010.04.10
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久しぶりの更新に、言い訳もございません。。。この日記を下書きしていたことをすっかり忘れてました。少し前の事になりますが、遡って聞いて下さい。年明けに、6歳の娘が可愛がっていたセキセイインコのぴーちゃんが死にました。朝、突然冷たくなっていたぴーちゃん。昨夜までは元気に餌も食べていたのに。。。娘は号泣。「いやだ~!!!」とポロポロ涙をこぼして泣き止まない。つい私までつられて涙・涙…。「どうなるん?死んでしまったらどうなるん?ぴーちゃん、どうなってしまうん?もうぜったい生まれて来れんの?私もママもいつか死んでしまうん?」矢継ぎ早にいきなり飛び出した、めちゃ重い質問。。。半年程前の金魚の時とは、訳が違うのでした。自分の誕生日にやってきたヒナのインコ。すり餌を与えて、世話をして、心の交流ができていた初めてのペットだったのです。不覚にも、私はその重い問いかけに立ちすくみました。なぜなら、その問いには私自身、明確な答えを見いだせていない状態でしかも、自分自身にとっても「死への恐怖」というものはいまだ克服できていない命題とも呼べるものだったからです。「生きてるものはぜったい死ぬんよ。でも、からだは動かなくなっても、”たましい”っていうものはずっと生きてると思う。”こころ”のことだよ。ぴーちゃんの”たましい”はずっとあなたのまわりにいるよ。それからお空へとんでいくんだよ。からだは、土にうめてあげて土の中でえいようになって、そこから草や木や花がはえてくるよ。」苦し紛れでそんなことを言うと「じゃあ、ぴーちゃんの花、咲く?」と娘。「うん、きっと春になったらぴーちゃんと一緒の青い花が咲くよ」と言うと「じゃあ、わたし、ぴーちゃんの花咲いたらそれとって、お部屋にかざるう~~~(再度泣き)。。。」そうやって身を震わせて泣いている娘が愛おしくてたまりませんでした。かつ、こんな大事な場面で一緒に泣いちゃってる母親って情けないよなあー。。と思ったり。そんな答えでいいのかなー?って悩んだり。いつ頃からか。私も子供心に「死」のことを思う時がありました。ここでこうして考えてる自分がいつかなくなってしまう!?その後、一体どうなってしまうんだろう???そんなことを考え始めるとすーっと胸の奥が冷たくなって、たまらなく不安になったものでした。私と似たところがあって繊細な部分を持つ娘。これからいらぬ心配とかして苦労する事もあるだろうなー…と何となく申し訳なくなりつつもできれば、そういった不安や疑問をなるべく寄り添って共感してあげたい、と思うだけの未熟な母です。空き箱にお花を敷き詰めてあげてぴーちゃんのからだは庭の木の根もとの雪を掘って掘って、やっと見えて来た土の中に埋めました。「くまとやまねこ」という絵本のワンシーンをふと思い出しながら…。相変わらず大きな涙粒をポロポロこぼして娘はぴーちゃんにサヨナラを言いました。春になったら、きっとオオイヌノフグリの青い花が辺りに咲いてくれるでしょう。ぴーちゃんの花だよ、って娘と一緒に摘んで部屋に飾りたいと思います。
2010.01.22
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月1死守!…と、滑り込んでいたのは9月の終わり。はや時は師走の半ば過ぎとなりました…。長らくのご無沙汰、すみません。前回紹介した森での活動も、実にいろんなことがありました。○ツリーハウスづくり(~めでたく完成!)○雑木林フェスタ(~初めての試みでしたが、とても素敵な催しとなりました。)楽しいことがいっぱいあった1年でした。森に集まった子どもや大人達の笑顔と、嬉しい時間を共有できました。ひとつひとつ、またできればアップしたいと思ってます。今回は、ひとつ。私事ですが、大きな変化があったことをご報告します。12年間の結婚生活にピリオドを打ちました。離婚届をイズさんと二人で提出してきたのは、2週間程前のことです。この季節にしては珍しく真っ青な快晴の空のもと。二人とも、清々しい気持ちで臨むことができて、本当に良かったと思ってます。離婚にいたった経緯についてはこの場ですべてをお話することは到底不可能なのですが我々夫婦が最初から抱えていた問題がやはり時間によって解決できるものではなかった、ということ。そして、その対処策として、今ここで出来る限りの最善の行動をした、ということです。離婚したい、と彼から切り出されたのはもう1年半以上も前のこと。そこから長い時間をかけて、距離を置いたり試行錯誤したり話をしたり。じっくり考える時間をそれぞれが持てたと思います。また、その期間は当初、それなりにショックを受けていた私が、自立を模索しようと奮起して動き出して今やかけがえのない存在になっている人たちと出会う奇跡のような期間でもありました。二人の子ども達のことを考えると離婚することが果たして良いのかどうか?ごく当たり前の誰もが考える壁が、やはり私の中でも一番のハードルでした。でも、このまま夫婦として機能できない両親とぎくしゃくした中で一緒にいるよりも夫婦でない新しい関係になって、いつも笑顔の両親と一緒の時間を過ごすほうがきっと子ども達にとっても良いに違いない…と思うようになりました。それが正しいのかどうかは、全くわかりません。親の勝手で子どもが悲しい思いをするのかもしれません。答えが出るのはこれからです。子ども達にも、ちゃんと「離婚」という言葉を使って理解できそうな範囲で説明しました。あなた達のママとパパであることはずっと変わらないけどママとパパは「夫婦」をやめて「友達」になる、と…。分かってくれたのかどうかはわかりませんがただ、我々がここしばらく笑顔で穏やかでいる姿を見てそんなに不安に思っていないのではないか…と、感じています。実際、離婚を決めてからというもの私達二人の関係は、今までになく良いものになりつつあります。お互いが独立した他人であることを前提に尊重しあい、言いたい事もハッキリ言い合って、二人の子どもの両親として子ども達の将来を支えてゆく協調体制の構築。今までの「寄りかかる」だけの依存し合った関係から少しずつ変化できているような気がしています。そんなことが「夫婦」である間にできればもちろん一番良かったのでしょうけど、ね。こればっかりは、関係性の不思議、男女間の心理的な微妙さ…とでもいいましょうか?ーーーーーー変化する、ということはたいてい大きなエネルギーと葛藤と軋轢を生むものです。その煩わしさゆえに、できるなら変化を求めたくない…という人もいます。逆に、変化があるからこそ人生は面白い…と思う人もいます。自分は、どちらかといえば前者だったような気がします。人と違うことを望んでいるわけではない(つもりですが、けっこう人と違うことが多かった??)し、常識というものに捕われている部分もありました。ただ、近頃は自分も含め、世の中の全てのものは常に変化し続けているものである、という真実がよりリアルに実感できるようになってきたのです。そして、それを受け入れて生きてゆきたい。変わり続けることが当たり前なのだ、ということに気づくこと。それが「真実」なのだ、ということをもっと意識したいのです。変化の大小に関わらずどちらであっても、変化を変化として受け入れる。そして、それをプラスの方向にもマイナスの方向にも向けてゆくのは、全て自分自身のそれからの動き次第なんですよね。今私は、とても大きな変化の中にあります。挑戦してみたい「新しい道」も見えてきています。幸せと戸惑いと希望と。そんな混沌とした感じが渦巻いています。でも、確かなのはこの変化によって、私はきっとまたひとつ成長してゆけるんだろうな、ということ。そして、そのきっかけを与えてくれた全ての人たち、全ての事柄は私という存在にとって、決して欠かせないものであったのだな、と今、心から感謝しています。本当に、ありがとう。これからも変化し続けます。※活動拠点の森に完成したツリーハウス
2009.12.18
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9月も終わろうとしています。すっかりご無沙汰してしまったこのブログ。。。9月に入ってからは、仕事も活動も何もかもが押し寄せて来てちょっと身動きとれなくなってた感じです。かろうじて9月中の更新。月1…は死守!そういえば、この場ではちゃんとお伝えしていなかったのですが今年の4月から「白山麓ぶなもり自然塾」なるものを立ち上げて息子の通う学校や地域と連帯しながら、子ども達にもっと深い自然体験を薦める活動をやっています。活動拠点となっているのは学校裏に広がる丸山の森。かつて森林公園だったこの場所は、今は使われておらず素敵なログハウスなどの施設も、そのまま放っておかれたままになっています。学校の裏手から歩いて入れる雑木林にはコナラを中心として様々な広葉樹があってすっきりとした林床に、広々とした広がり、生き物達の気配もいっぱいで子ども達を思い切り遊ばせるにはうってつけの場所。現在、自然塾のほうで3つの助成金を受託して子どもも大人も一緒になって自然と触れ合う活動を定期的に実施しています。なんと!ツリーハウスも建設中。この夏には、学童保育の子ども達も定期的に森に遊びに来て焚き火をしたり、木登りをしたり、という時間を過ごしました。私は、ただただ何もせず子ども達が好き勝手に遊ぶのを眺めているのが好きです。火が思うように燃えない、と言えばちょっと手伝ってやる。適当な木を探して、ロープを安全にひっかけてやる。崖のほうに行ってる子どもはいないか気を配る。それだけ、です。そして、いつも自分の幼い頃の事を思い出してます。まだまだ身の回りに、雑多な自然が残っていたあの頃。子ども達は大人達の目の届かない場所にでも平気で分け入って行って自分のお気に入りの場所を見つけたりしていました。電設会社の資材置き場にこっそり入って、秘密基地ごっこをしたり裏山に探検に行って、秘密の滝を見つけたり竹やぶを駆け抜ける風の音に心を惹かれて聞き入ったり。。。季節の変わり目や訪れをちゃんと肌で感じることができていました私が見る限り、今、身の回りにいる子ども達はそんな体験をほとんどしていないように思います。こうやって、無理にでも連れて来ない限りもしかすると一切そんな体験をせずに、大人になってしまうのかもしれない。それはとても悲しいことじゃないでしょうか。そんな思いから、こうやって活動を続けています。こういってはナンですが、それほどまでの使命感というものでもなくただ単に、私の中にいる「子どもの私」が一緒に遊びたい、と言っているだけ…だからかもしれません(^^)この森を見つけたのは、ちょうど1年前の秋。二度目の秋が巡って来て、今ここに子ども達の笑い声が響いていることにこのうえない幸せを感じている、今日この頃です。拠点として借り受けている「森林生態学習舎」。写真は春の頃。森を望むテラスが素敵です。
2009.09.29
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岩手旅レポートが止まったまま、夏休みが終わろうとしていました。。。更新できずにごめんなさいー。夏休み中は学童保育も毎日終日だし、また何かとイベントや活動続きでほんと慌ただしくしておりました。ここ(30日)に来て、ようやくゆっくりする時間が。最終日にもつれこんでジタバタしている小5息子の宿題の追い込みを横目に久々のブログです。さて、早池峰神社例祭の続きです。宵宮の次の日は、本祭。まずは神社から神輿が担ぎだされます。先頭を歩く天狗の面は、おそらく「山の神」。神輿行列の後を、神楽や鹿踊りの列が続き要所要所で舞いながら進みます。境内は、巨木が立ち並ぶ鬱蒼とした森。その中を鮮やかな衣装をつけた行列がゆっくりと進む様子がなんとも自然と一体になった土着的な雰囲気をかもし出しています。やがて行列は、境内を出て近くを流れる猿が石川の川原に出ます。そして、そこで神輿を清めるのですが周囲の人たちが、川原に生えている草を手に手にとって川の水で濡らし、その雫で神輿の周りを払うのです。それを見た時も、なんだかとても素朴な感じがして感じ入りました。清められた神輿は境内に戻り本殿の前で鎮座。それからまた、神楽や鹿踊りの出番です。行列は、舞いながら本殿の周囲を3回周ります。これは「しんがく」といって、比較的簡単な舞い。獅子の頭についているのは、木のカンナくず。これを身につけると安産のお守りになるとも言われています。背中に立つのは、ヤマドリの羽根。最後に、また神楽の舞いが本殿前で奉納され祭りは終了です。最初から最後までちゃんと見たのは実は今日が初めてだったかもしれません。住人として参加するのでなく、観光客の目線で見る、というのはまた新鮮なものです。なんとも素朴で味わい深いお祭りだなーと改めて思いました。いろんな神社を訪れていますがこの早池峰神社の境内ほど霊気に満ちた場所を他に知りません。幽玄な森、土の匂い、清冽な空気、そして静寂。。。かつて自然と共に生きた山の人々の思いや願いが今もまだ、その場に息づいているようなそんな感じがするからだと思います。本祭の夜、遠野は土砂降りの大雨にみまわれました。水の神様である、早池峰神社の神様が喜んでるから。当たり前のようにそう言う遠野の人たちはきっと、山の神と共に生きる民の末裔なんですね。
2009.08.30
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岩手をはじめ、東北地方は伝統芸能が人々の暮らしにとても身近に寄り添っています。例えば、我々家族が住んでいた遠野。各地区にそれぞれ、神楽や鹿(しし)踊りが伝承されていて少しずつ振り付けや衣装などが違って存在しているのです。しかも、年に何度かあるお祭りの機会には子ども達もみな、踊り手として参加するのでおそらく、遠野に住んでいる人はほぼ全員がそれぞれの地区の伝統芸能に携わっている、ということになるかも。私が住んでいた「附馬牛(つきもうし)」地区にも2つの神楽と1つの鹿踊りの団体がありました。そのひとつ、大出(おおいで)神楽が伝わるのが、遠野の最も早池峰山の麓寄りにある大出地区。そこに鎮座する「早池峰神社」の例祭の宵宮が7月17日の夜。今回私がどうしても訪れたかった、神楽奉納のある日です。少し遅れて境内に入った頃には辺りは宵闇に包まれようとしていました。本殿の手前にある古い神楽殿。松明の炎と裸電球の黄色い淡い光。人々のざわめきと共に流れる笛と太鼓の音色。「ああーやっとこの場所に来れた!」という嬉しさが沸き上がってくる瞬間でした。舞っている演目は、日本神話に基づいたものや山の神、翁、三番叟など、能や狂言の世界に近いものなどがあります。その振り付けはその地域によって様々で例えば、やはり早池峰山の反対側の麓にある大迫(おおはざま)地区に伝わる岳神楽などは、テンポがかなり早くて、踊りもダイナミック。対照的に、大出神楽は少しゆっくりめのテンポで、踊りも優雅な感じです。翁舞。動きがゆっくりな上に中腰の姿勢が多く、舞い手はかなりハードとか。。。実は私も、少しだけこの大出神楽をやっていた時期がありました。鶏舞(とりまい)という、基本の舞いのみでしたがこれがまたけっこう難しい!恐れ多くも、何度か本番で舞わせて頂きましたが結局最後まで、ちゃんと覚えるに至りませんでした。。。一緒に踊る人のを見ながら、やっと、でしたね。早池峰神楽・映像へジャン プこの大出神楽の伝承を、一手に支えているのが遠野在住の千葉さんという方。我々家族が遠野に来るきっかけともなった方で移住に際してとてもお世話になった恩人です。「パハヤチニカ」(アイヌ語で「早池峰」の意味)という地域に根ざした質実剛健な冊子づくりを続けて来られていて大野平(おおのだいら)という、遠野では最も早池峰山に近い最後の集落のこれまた最奥部に自分で家を建ててご夫婦と子ども達3人、あと動物多数…と一緒に住んでおられます。千葉さんご自身は、「デクノボーブラザーズ」というバンドのボーカルもされていて宮沢賢治先生へのオマージュを込めたCDアルバムも出したり神楽では、一番の見せ場である「山の神」をそれはもう精魂込めて演じる、素晴らしい舞い手です。宵宮のクライマックスは千葉さんの「山の神」。鬼気迫る舞いは見る者を惹き込む。まさに神が降りて来てます。。。今回も、横浜から「神楽をやってみたい」という女性が来られていて1週間程滞在して練習を重ね、宵宮に出ていましたがそういった、遠野を訪れる人々をいつでも温かく気軽に迎え入れてくれるのも千葉さんご一家の懐の深いところ。私もその女性と共に、1泊お邪魔しましたがここでも、ウチの息子を可愛がってくれていた二人のお姉ちゃん達が素敵な中学生になってて、びっくり!娘さんも二人とも、立派な神楽の舞い手に成長していました。奥さんのあっちゃんは、実におおらかでユニークな魅力的な女性。ご家族のあったかい雰囲気は以前と少しも変わらずとても居心地が良く、楽しい時間を過ごさせて頂きました。早池峰神社の神様は、水の神。宵宮の夜には必ず雨が降るのですが(実際、神楽の最中に突然スコール!ということも過去にはありました)今回も、案の定。次の日は、午後から大雨になりました。日本の原風景がある遠野の地、そして古式ゆかしい神楽。天と地が、神と人間がかなりはっきりと繋がっているのだろうなあ。。。と思わずにはいられません。宵宮の次の日は、神社の本祭です。つづく。。。
2009.08.10
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岩手の旅から帰って来て、はや1週間。戻ってすぐに、やり残した事や行事や仕事が怒濤のように押し寄せてきててただいまーも言えず、なかなかここにたどり着けなかったこと、お詫び致します~。岩手の空は広かった。岩手大陸、というコピーもあるようですがほんと、面積が広いだけあって移動時間の感覚がこの辺りとは違うんですよね。「1時間」というのは近いレベル。。。そんなことも久々に思い出してました。そして何より、まったく自分自身だけで過ごした6日間。そんなことって、思えばもう10年以上ぶり!というわけで…ほんとに伸びやかな瑞々しい気持ちで過ごす事ができました。申し訳ないのだけど、子ども達のことを思い出す事もあまりなかったなー。。。ゴメンよ!金沢から仙台まで、夜行バスに乗って8時間余り。仙台から盛岡まで、さらに高速バスで2時間。盛岡からさらにJRローカル線で2時間近く、降り立った小さな駅から車で30分。。。の奥地北上山地の最高峰、早池峰山の麓にある川井村・タイマグラという場所が今回の最初の目的地です。タイマグラHPへジャン プJR山田線の車窓にて。山際から張り出す木の枝をかきわけて汽車は進みます。まさしく緑のトンネル抜けて行く。。。状態。ーーーーーーー遠野に暮らしていた頃、私達夫婦は「早池峰の自然を考える会」「クマタカ研究会」という団体に属して活動していました。その会の中心となっていたのが、ここタイマグラに暮らす人たちでした。開拓団の最後のひと家族、映画「タイマグラばあちゃん」の主人公であるマサヨばあちゃんとそのご主人だけが暮らすタイマグラに単身で入り込んで民宿「フィールドノート」を始めた奥畑さん。そこのお客であった山代さんと結婚して、3人の子どもがいます。そのマサヨばあちゃんの存在を映画にしたくて東京から移り住んできた、もとNHKディレクターの澄川さんとその家族。大手メーカーのエンジニアを辞めて動物写真家になり世界を巡った末にタイマグラに民宿を建てて、今は炭やきも営んでいる井上さん。桶屋職人の奥畑さんの弟さんと、奥さんのちほさん。その他に2世帯、現在は6世帯が最後の集落から10km離れた山奥のタイマグラに暮らしています。遠野からは高原を越える林道を通って40分程で来られるとあって当時は、観察会やなんだかんだと言ってはけっこう頻繁にタイマグラを訪れていました。上記の皆さんは、その時にとてもお世話になった方々です。もう5~7年ぶりくらいになるでしょうか。近年は、映画「タイマグラばあちゃん」や雑誌などの連載、特集などで取り上げられることも多くもはや全国区!?ということで何か変わってしまったところもあるのかも、と思いましたがやはりタイマグラには、以前と変わらぬゆっくりした穏やかな時間が流れていたのでした。行けども行けども山道。こんな先に人が住んでるの!?と不安に見舞われる頃タイマグラはぽっかりと現れます。炭やきさんもいるよー。ーーーーーー初日にお世話になったのは、井上さんが営む山岳民宿「渓雲荘」。野生動物をはじめ、自然科学、物理工学…など、全てにおいて精通している彼はいつも熱血講義で、この世の中の「真実」について教えてくれます。当時も、「早池峰の自然を考える会」の会報づくりを一緒にやらせていただき随分いろんなことを学ばせて頂いた、私の師とも呼べるお方です。家もほとんど自分で建てたし、除雪車や薪割り機やなんでもかんでも作ってしまう。とことん物事を突き詰めなければ気が済まない、という性格らしく3年程前から炭焼きにのめり込み、現在は、なんと炭から発生するガスを利用して、自家発電システムを作っているとか!井上さんが紹介されたTV番組の案内HPへジャン プ奥畑さんと山代さん夫婦が営む民宿「フィールドノート」は古い家に少しだけ手を入れた、冬ともなると室内も氷点下!となる希有な宿。でも、その不便さと向き合って昔からの知恵を活かしつつ季節を過ごす家族の暮らしぶりが何とも素敵で訪れる人は後を絶たない様子です。縁側に座って畑を見ながらのんびりお茶。。。それが「フィールドノート」極上の過ごし方。3人の子ども達も、当時はウチの息子とよく遊んでくれました。その成長ぶりを見てビックリ!(当たり前ですが。。。)その点だけは、やっぱり過ぎた時間の大きさを感じずにいられませんでしたねー。渓雲荘のお隣に住んでいるのが映画「タイマグラばあちゃん」の監督である澄川さん。数年前、福井で上映会があった時には、わざわざ私達の家を訪ねてくれたこともありました。とっても穏やかで優しい、そしてお茶目な方です。新作「大きな家」をDVDで見せてくれました!タイマグラに暮らす子ども達の生き生きとした姿を追ったドキュメント。これはぜひ、白山麓の子ども達に見せてやりたい!と思いました。自主上映、いつか実現させたいです。そして、最後に訪れたのは桶屋を営むご主人と、娘さんと3人で暮らす、安倍ちほさん。昨年、その暮らしぶりを綴ったエッセイ集が本になりました。とても素敵な写真と、優しい文章。彼女の独特の視点から描かれるタイマグラの暮らしはどこに暮らす人にも小さな幸せを届けてくくれる…そんな感じです。「森の暮らし たいまぐら便り」/アノニマ・スタジオHPへジャン プそんな素敵な人たちと、久しぶりに再会して、じっくりおしゃべりして本当に豊かな時間を過ごせました。タイマグラの人たちの暮らしは、いつでも私の中にある「理想」。今の私ではとても近づけてないけれどいつかそんなふうに暮らしたい。。。とやっぱり今もそう思っているんだな、ってことを再確認できました。タイマグラのみなさん、本当にありがとう。いつまでも、私の「心の隣人」であってください!渓雲荘のおかみ?犬・「クリ」ちゃんと散歩する至福のひととき。。。最近、クマが頻繁に出没するらしく、各家を巡る時には必ずご一緒してもらいました。道の脇、薬師川の河畔にはブナの巨木が立ち並びます。岩手の旅・つづく
2009.07.29
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私達家族が4年程暮らした岩手県。離れてから、かれこれ5年ほど経っていますがこのたび、久しぶりに訪れることにしました。しかも、なんと一人旅です!!当初、家族全員で車で行く予定をしていました。この時期にした理由としては、7月17日の夜に私達が暮らしていた遠野市にある早池峰神社例祭の宵宮があってそこで神楽が奉納されるのですが、それをどうしても見たかったので…。実は、今思えば非常に畏れ多いことなのですがかつて私も、その神楽を舞っていたことがあるのです。ところが、イズさんが仕事の都合でダメになって一度は白紙に戻ったのですがなんとなく私の中に、岩手に行く気持ちが満々になってきて結局、私一人で行くことになりました。個人的な理由としてひとつには現在携わっている活動が急激に大きく膨らんできていて多分、これからしばらくは(多分来年の3月まで)突っ走るしかない!という状況です。「自然と人をつなげる」という今後の人生の指標において自分自身の「軸」を、もっとブレないよう確固としたものにしておきたい、さらに自分自身が自立してゆくための基盤を作りたい、という思いが強くなってきている今日この頃。思えば、「自然との関わり」において私の中で本当に濃密な時間だったと思うのは岩手に暮らした時期でした。そして、そこで出会った人たち、その暮らしぶりはいつでも私の中で「憧れ」であった気がします。そこに今、立ち返って憧れ?の岩手の地に立ってどんなことを感じるか?ということにとても心惹かれるのです。これからの自分の生き方のようなものを手探りしていく中で今一度、岩手の風を感じてみたい、と強く感じているからです。ずっとつながっていたい場所だからです。私の今回の旅の話を聞いて友人(尊敬すべき先輩)の一人が、とっても素敵な例えで私の気持ちを代弁してくれました。『今回の旅は、尚子さんにとって、自分の根っこを確認する旅なのかな、と。ひょっとしたらひとりでこれまでつながってきたご縁をもう一度しっかりと結びなおしたり、確かめたりする時間のように感じました。ちょうど、しゃがみこんで靴の紐を結びなおすような、そんなひとときになりそうな気がします。この旅から帰ってきたら、また更に前へ進めますね、きっと。』宮沢賢治を生んだ岩手の風土。強く吹く風、広い空、牧場、草原、遠くに白く輝く早池峰山の峰。。。上の子は、幼児期のほとんどをこの地で過ごしました。住んでいたウチの窓からオシッコしてたこと(人里から離れた牧場だったので…)里まで降りる長い坂道を、冬にソリで滑り降りて保育園まで通ったこと、覚えてるのかな??今回は連れて行けなくてごめんね。きっとまた一緒に行こう!やり残した仕事、何かと慌ただしいこと子ども達のこと、家のこと…全てを放っておいたまま、行ってきます。迷惑かけてごめんなさい。そして、こんな機会を与えてくれてありがとう。家族と、大好きな友人達すべてに感謝しつつ…行ってきます!!早池峰神楽早池峰神楽・映像へジャン プタイマグラ(最初の日はこの土地に滞在します。)タイマグラHPへジャン プ
2009.07.13
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先日、我が家で飼っていた金魚が死にました。5歳娘と一緒に「お墓を作ろうね」といって庭の木の根元に金魚を埋めようとしました。穴を掘って土をかけようとしたとき娘が「なんで土かけてしまうん?かけてしまったらもう出てこれんやん。」と言うのです。ハッとしました。思わず息をのみました。そうか…この子はまだ分かっていないんだ…。「死ぬ」ということがどういうことか。お兄ちゃんや大きい子ども達と一緒にいるしどこからかの情報で分かっているだろうと思っていたし、私も教えた気になってたところもあった。父親がよく冗談で「オレが山で死んでも…」なんて話をするとすぐに娘が反応して「パパ、死んじゃやだ~」とベソをかくように言っていたのでわかっているのだろうと…。なんというか…油断してました。「あのね、金魚さんはいっかい死んだらもう生き返らないんだよ。虫も犬も人も、みんなそうなんだよ。」と彼女の目を見ながら言いました。「ニンゲンも?」「そうだよ。」「………。」娘は、少し考えるような不思議そうな表情ででも、哀しむわけでもなく「ふ~ん。」と言いました。「なんで土に埋めるの?」「土に埋めるとね、また金魚さんも土になるの。そして、土の栄養をもらって草が生えたり、木が大きくなったりするやろ?だから、他の生き物に姿を変えて、また生きる事ができるっていうか…」そんな説明でいいのかどうか?は自信がありませんでしたがその後、土をかけて、石をいくつか置いて、お花をたくさんお墓の上に飾りました。そして二人で手を合わせ、私は先に家の中へ入りました。と、しばらくたっても娘が入ってくる気配がありません。?と思って、窓から外を見ると木の根元のお墓の側で、娘はしゃがんだままじっとしています。いろんなところからたくさん集めてきたお花を飾りながら彼女は何か話しかけているようでした。時折、歌も口ずさんでいるようです。何を話しているかは分かりませんでしたが私は声をかけるのをためらいました。娘に気づかれないように、そっと見ていました。木漏れ日の中で、娘の髪が風に吹かれています。とても静かな、穏やかな時間がそこに流れていました。ようやく腰を上げた彼女は立ち去ろうとして、ふと立ち止まり後ろを振り返ってお墓に「バイバイ」と手を振ったのです。腰の辺りで小さく。そしてまた歩き出し、もう一度立ち止まってまた「バイバイ」。それをもう一回繰り返してあとは元気よく走って行きました。彼女の小さく柔らかな感性は「金魚のお墓」に何を感じたのでしょう。生きるとか死ぬとか、そんなことはなかなかイメージできない小さな心でもその意味を考える土台になる出来事のひとつになったのでしょうか。日々変わってゆく小さな人たちの心。ちゃんと心の目も開いて見守っていかないとな~などと感じたひとときなのでした。
2009.07.03
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我が家のツバメたち。ず~っと静かで、下から見る限り何の動きもないようなので「ずいぶんのんびりだなあ~」と思っていたら…。なんともうとっくにヒナは孵っていてしかもかなり大きくなっていたことが判明。スズメの巣の場合、ヒナが産まれればそりゃあ~もううるさくて、親鳥が来る度に顔を突き出してピーピー餌をねだります。それをイメージしてたものだから、つい油断してました。ツバメは用心深い!近くの柱によじ登って覗き込むとヒナの姿は2羽。我々の顔が見えると、そ~っと自分の顔を引っ込める。その「そ~っと」さ加減が、いかにも用心してます!って感じで笑えます。もうこんなに大きくなってた!燕尾の長さは短めです。そして、ヒナの存在に気づいて間もなく巣立ちの時は訪れました。ヒナが巣のふちに上がっていると親鳥が周囲を飛び回って「ピピッ、ピピッ」と鳴いて、巣立ちを促します。でもなかなかヒナは動かない。こっちもつい力が入って子ども達と一緒に「頑張れ!頑張れ!」と応援。そこへ、通りかかったイズさん(夫)が「お~!ヒナおっきくなったんや~、どれどれ」と、無邪気に柱によじ登って巣を覗き込もうとした瞬間、ヒナはサッと飛び立ったのです!親鳥と一緒に辺りを飛び回るヒナ。風を切って、とても気持ち良さそう。。。よかったね~とみんなニコニコ。直接の巣立ちを促したイズさんもちょっと得意気?こうして1羽目の巣立ちを見届けた後いつのまにか2羽目もいなくなって巣は空っぽになりました。ちょっと寂しい気分もします。どんな生き物も、産まれて育って、やがて独り立ちすることを本能が知っている。野性から遠くなりつつある我々人間の遺伝子の中にもきっと同じものがプログラミングされてるはずで。子育てって、頭でっかちになって色々迷ったりしちゃうけど本来は、もっとシンプルに子どもの本能を信じて、ただ手助けしてやる。そんなスタンスでできれば、一番いいのかもしれませんね~。
2009.07.03
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市営住宅の我が家の車庫に巣を掛けたツバメたち。その後の様子をレポートしますと…巣作りが終わるまでは、つがいの2匹が辺りを飛び回っていました。どちらも余り人に警戒していない感じでけっこう近くまで寄っても、平気で羽を休めていたりしました。仲良しの2羽。いつも一緒です。最近では、どうやら卵を産んだようで時折、母親?が巣の中にじっとして温めている様子が見られます。ちっさいけど分かりますか??初めて巣を確認したのが5月10日頃。約1ヶ月経ちますが、まだヒナは確認できません。けっこうじっくり…なんですね。(お気に入りブログに登録してある「とりのなくぞうさん」ち~金沢~のツバメの巣はもう子育ても終わって空になっているそうですが)いつヒナが孵るかな~と心待ちにしている毎日です。
2009.06.17
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ところで、私はカエルが好きです。ヘビが大嫌いなので、多分前世はカエルだったのかもしれません。3人の女の子の母親である、友人のまあこちゃん。彼女も最近、カエルのことを考えて夜も眠れなかったことがあるとか。それっていったい…!?2番目の娘さん、さきちゃんが先日、山でニホンアカガエルを捕まえて家に持って帰りました。命名「にぽりん」カエルを飼う、ということは生きた餌を毎日与え続けなければならない、ということ。そして、子どもが飼うと決めた生き物というものはたいていはその世話をしているのは、最終的に母親です。つまり、その日からまあこちゃんのカエルとの生活が始まったのです。虫取り網を草むらで振り回し、小さなバッタを捕まえてにぽりんの入っている水槽に入れる。にぽりんが、パクッと食べる瞬間を見たときの衝撃!もともと、そんなにカエルが得意だったわけでなかった彼女もしまいには、水槽に手を入れてニポリンの頭をなでるまでになっていました。そして、草むらを通りかかれば目の色が変わりバッタなど、跳ねている小さな虫は全て「エサ」に見える、という「カエルの目を持つ女」になりつつあったのでした。そんなある日またも!さきちゃんが新たなカエルを家に連れてきました。でっかいモリアオガエル(名前はもりちゃん)です。学校で飼っているものを土日だけ預かるということで持ってかえってきたのだとか。にぽりんと同じ水槽に入れて、「また餌の量が増えるなあ…」などとぼんやり考えてふと気がつくとそのもりちゃんが…卵を産み始めたのです~~!!(陰でニポリンが固まってますね…)最初は白っぽい泡のようなものだったのがよく見るとねばっこくて、しかもどんどんお尻から出てくる。もりちゃんは後ろ足を器用にさばきながら卵を包む泡を少しずつお腹の中から出しているのです。カエルの産卵シーンなんぞ、見ようと思ってみられるものではない、と図鑑にも書いてあります。しかし、普通、産卵シーンでは必ずオスがメスの上に乗っかって受精させるわけで…。それができなかったこの卵は孵ることはないわけで…。捕えられてきて、まあこちゃんちの水槽に来るまでこの母親カエルは、でっかいお腹をかかえて産むのを我慢していたのでしょうか。きっちり産まれた卵。。。しかも、図鑑を見ているうちにもしかしてこのカエルはシュレーゲルではないのか?という疑問も浮上。ちょっと待て、そしたらこのこは「もりちゃん」じゃあないぞ~と識別のポイントである目の周りの色をしげしげと確認したり…。その夜は、カエルのことが気になって眠れなかったということです。短期間でここまでカエルと密度の濃い生活をしてカエルにかなり詳しくなったまあこちゃん。今後、さらにカエルの家族は増えてゆくのか??…と、若干のフィクションを交えつつ書かせて頂きましたが彼女の生き物の飼い方の丁寧さといったら、すごいんです。私と息子が続けて来たテキトーな「生き物飼い」の様子とは雲泥の差。どうも、彼女には「生命を育てる」という素質があるようです。野菜にしても庭木にしても…ひいては子育てにおいても然り、だと思います。小さな虫一匹の事で、子どもと一緒に本気でキャーキャー言ったり疑問を感じたり、とことん調べてみたり…。その姿が、本当に素敵だなあ~と思います。自然の虫や生き物を捕まえて飼うことってたとえ死んでしまうから可愛そう…という側面があったとしても私は、子どもにとってはすごく必要なことだと思っています。そして、その場面に、まあこちゃんみたいな一生懸命に生命を繋ごうとする母親の姿があったとしたら…。それって素敵ですよね。頑張れ、まあこちゃん。ニポリンを長生きさせてね!また、おみやげにバッタ捕まえていくよ。
2009.06.14
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庭の畑。今年も懲りずに、やってます。いつもながら、雑草に囲まれてその合間に野菜が育ってる…といった感じの私のお気に入りの畑。今のところ、キュウリとトマトとジャガイモと枝豆。少数精鋭…でなくて、少ない種類を確実に収穫、という目標です。おそらく前に住んでいた人が育てていたのであろうミントがこんもりと繁っている一角が山との境目になっていて匂いのかく乱プラス目隠しになっているのか我が家の畑には獣害はありません。(というか、猿くん達もこんなところに何か育ってるとは思えないのでしょう~)知人が昨年、この畑を見て「ほほ~、アフリカン農法だね…。」と一言。詳しくは聞かなかったし、調べてもいないのですがなんとなくこの言葉がすごく気に入って「そっか、アフリカン農法!それでいこう!」と悦に入っているのです。ジャガイモの畝の中に、ボタン?シャクナゲ?のこぼれ種が育って今年は見事な花をつけました。あまり放っておくと雑草と畑部分の区別がつかなくて鬱蒼とした感じになってしまうので少し草抜きをしたりジャガイモの畝に土を寄せたりしていると…漂ってくるのが、シロツメクサのにおい。ほとんどがシロツメクサで覆われている我が家の庭。そのにおいと共に土いじり。なんとも最高に幸せを感じるひとときなのでした。今年は、去年よりも少しはマシな収穫を目指します…。一度、しろつめくさを本当に箱に詰めて贈り物をしてみたい…。
2009.06.14
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息子の通う白嶺小学校では、春の遠足は「山菜遠足」です!その名の通り、山菜を採って食す。何とも山麓の学校ならではの企画。昨年、転校して来て初めてその遠足を知ったときは「さすが!」と感心していたものの、実態は知らなかったので、今年は「お手伝いボランティア募集!」の呼びかけに応え、一緒に参加してきました。場所は一里野スキー場。やはりまだ少し春も遅くて山の中に入れば、コゴミ(少し伸びちゃってたけど)やアザミゼンマイやワラビ、タラノメ、コシアブラなどけっこう豊富に見つけられます。子ども達は、縦割りの班に別れ指導の先生や地域の方々と一緒に、スキー場のゲレンデあとを登り林の中に分け入って、自分が食べるだけの山菜を採って集めます。小1時間ほど採り集めたものを調理する場所に持ち寄って種類別に選別するのですがいやはや、なんともたくさん色々な種類が集まり見てるだけで、なんだか嬉しくなりました。山菜達人の先生にかかれば、どんな植物も一目で選別。しかも、意外とどんな植物も、食べようと思えば食べられるとのことで野山はほんとに宝物だらけなんですね。6年生が調理担当。先生方も一緒になって、一生懸命、油の入った大鍋で天ぷらを揚げたりアザミ汁を作ったり…。しかも、先生方!毎年やってるからか随分手際がよろしいのでこれもびっくりしました。気がつけば、校長先生も!どうやらけっこう野外活動はお好きなようで…。頼もしく嬉しい限りです。ずら~っと揚がった山菜の天ぷら!圧巻。お日様と爽やかな風のもと、お腹いっぱい春の恵みをいただきました。お手伝い、なんていいながらもほとんど食べに来ただけのような私でしたがこの、素晴らしい山の遠足に「ああ、山の学校で良かった!」としみじみ感じたのでした。こんなふうに、山麓ならではの特色のある学校行事をもっともっと増やしていってほしいと願うばかりです。
2009.05.15
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キャンプのこと、山菜遠足のこと…。レポートしたいことはたくさんあるのですが今日はさておきとっても幸せ気分になったことがひとつ。私が住む市営住宅の駐車場。10戸近くのガレージが並んでいるのですがその中で、たったひとつ。我が家のガレージの入り口にツバメが巣をかけてくれました!まだ卵は産まれていないようで親ツバメ達がせっせと巣材を運び込んで巣づくりの真っ最中といったところでしょうか。なんだかとっても嬉しいです。思い出すのは、実家のガレージ。よく天井付近にツバメが巣をかけていてフンで車を汚さないように、といって父親が、コンパネを上手に車と巣の間に吊るして大げさなフン受けを作っていたっけ…。子ツバメの巣立ちまでそのフン受けは、ガレージに宙ぶらりんと浮かんでいる。それを見る度、なんとなくいつも優しい気持ちになっていたものです。そんなふうに、さりげなく自然と寄り添っている両親のことをいいなぁ、と幼心に思ったのでしょう。そして、我が家にも(といってもガレージなのだけど)ツバメがやって来てくれた。ほんとに小さなことだけど幼い頃の心地いい気持ちがよみがえってくるようでなんだかとっても幸せ、なのでした。(※ツバメレポートは、随時お伝えしたいと思います!!)
2009.05.12
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GWに休みが合わなかった父親の指令?でこの週末は家族でキャンプすることになりました。行き先は、福井県大野市の「麻那姫湖青少年旅行村」。以前に、私達夫婦が働いていた場所でもあり管理人のおじさん達とも親しいので毎年一回は必ず、ここで過ごす事になっています。今日の夜から出発です。まずは着いたら、バンガローに1泊。次の日にテント設営して、丸2日半くらいはのんびり過ごす事になるでしょう。携帯も通じない山奥、ダム湖の奥にある穴場のキャンプ場です。連休明けということもあってさっき電話で聞いてみたところ、誰一人いない、とのこと。貸し切り状態ですね、きっと。世間日常から全く離れてしまうのもまたちょっと特別な時間。借りっぱなし、買いっぱなしでずっと読めてなかった本などをこの機会に一気に読んでしまうつもりです。子ども達は、川で釣りをしたり広場で遊んだり…かな。近くの平家平という山にも登ってみようかな。今回は、親しい友人達も訪れてくれる予定になっているのでそれも楽しみです。あとは天気だけ、ですが去年の夏はほとんどが雨の中のキャンプでした。雨の音を聞きながら読書をしたり、とそれはそれでけっこう楽しかったものですが。自然の中で過ごすちょっと非日常な時間。そんなキャンプの醍醐味を味わえるよう日常のあれこれは忘れて?のんびりしてこようと思ってます。
2009.05.07
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なんと気がつけば、もう4月も終盤。すっかりご無沙汰してしまいました。春の深まり、山の木々の色合い、生き物達の気配。季節はめまぐるしく移り巡っている今日この頃です。そんな今日。久しぶりに顔を出した学童保育。新しい仲間が増えて、10人近くになった児童クラブは去年に比べてとっても賑やかです。新1年生もそろそろ学校や学童の毎日にも慣れてきて2年生になった子ども達も含めてさらにパワーアップ&羽目を外しっぱなしで指導員の仲間達も、ちょっと手を焼いている様子。学校の緊張感から解き放たれた放課後。学童の現場というのは、子ども達が最も「ムチャクチャ」になる、とも言われていますがそれも無理もないなあ~と思います。本来なら、思いっきり解放感に満たされ遊び尽くしたいはずなのにやっぱり監視の目があって「あれしなさい」「これはダメ」と言われ続けるわけで…。約束、決まりごと、ルールなどはもちろん大切だとは思うのですが私はなんとなく、学童保育での子ども達にそんなものを強いるのは、無理、というか無駄、というかそんな気がず~っとしているんですよね。1年間ずっと指導員をやってみて実感したのだけど子どもって「絶対しなさい!」って押さえれば押さえる程逆に絶対しない。かといって放っておくと、やっぱりしないこともままあるのでこのあたりが難しいところなんですけどね~。もちろん、そんなことは自分の子育てで体験済みなはずなんだけど他のいろんなタイプの子どもを一緒にみる、というのはまたちょっと勝手が違います。思えば、あれこれ試行錯誤した1年でありました。おやつの時間。子ども達にとっては嬉しい時間のはずですが児童館の調理室を使わせてもらっている、ということもあっておやつの後には必ず当番制で掃除をすることを約束にしていたらそのうち、掃除がイヤだということになってじゃあ、おやつなんて食べなくていい、という事態にまでなったこともありました。その辺りから、ちょっと私も現場に来られなくなっていたのでその後どうなったか分かっていなかったのですが。掃除のことを気にかけつつ、ま、別にいいか~と(指導員の仲間達、ゴメン)今日もおやつの時間を迎えました。子ども達は、それぞれ好きなお菓子を嬉しそうに食べています。私は、そんな子ども達の様子を見るのも久しぶりだったのでなんとなく微笑ましくて、隅っこのイスに腰掛けてにやにやしながらじ~っとみんなを見ていました。そのうち、一人の子どもが「はい、あげる」とお菓子を一つ私の手に乗せてくれました。「わ~うれしい!!ありがと!」といいながら食べるとまた別の子も、私にお菓子を持ってきます。「なんだか、お地蔵様気分だね~。お供えもらってるみたい~。」と、私が片手を出してもう片手で拝むポーズ(お地蔵様ポーズ)をしたらみんなニヤニヤして、次々とお菓子を持ってやってきます。「お~、ありがとありがと!みんなにいいことありますように、祈ってるからね~ナムナム。」とやると、「じゃあお願いごとしよう~」とか言って、またお菓子を持ってくる。「ありがとう~ナムナム。君にもいいことありますように」そのうち、片手がいっぱいになったので「じゃあ、持って来てくれた子にはここにあるのから好きなのと交換~」というシステムにしたらチョコボールを手に乗せて、えびせんをとっていく、というふうに今度はお地蔵様のおやつ交換所になりました。ふと、道ばたに佇むお地蔵様というのも実はこんな気分なんじゃないかな、と思ったりして。こんなふうに子ども達を見守ってるのってなんだかとっても安らぎます。おやつを食べ終えて、みんな台所を出て行く時。最後まで残っていたYくんが「オレ、掃除してい~こうっと。」といって一緒にいたKくんに「オイ、Kもいっしょにやろうぜ」って。びっくりしました。だってYくんって、2年生の中でも一番やんちゃでいくら言っても叱っても聞かない子で。周囲の子達を自分の思い通りに動かしていないと気が済まないタイプ。掃除だって、いつも率先して逃げてたのに。二人は、用具置き場から掃除道具を取り出して来て協力しあって、床に落ちているお菓子クズなんかを掃き集め今まで見た事もないような丁寧さで、きっちり掃除をしたのでした。私はほんとに感動して「わ~~~!ありがとう!!お地蔵様、もっともっと君たちの幸せを祈るよ~!」ってぎゅっと二人を抱きしめました。そんなときの、ちょっと照れたようなはにかんだ子どもの顔。でもとっても嬉しそうで。ほんっとにカワイイ。子どもって気まぐれなのがホントだからたまたま気が向いただけかもしれませんがやっぱりこれって「お地蔵様パワー」???ただ、その子の神性を信じて見守る。子育てにおいては、実は難しいことのひとつだと思います。でも、やっぱりそれが紛れもない「真実」なのだとしみじみ実感した出来事なのでした。
2009.04.22
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ぽかぽかと日差しの温かな休日。今年初めて、庭にイスを持ち出してみんなでひなたぼっこしました。エナガやシジュウガラの混群のピチピチ鳴きに混じってホオジロも鳴き出していて…。いよいよ春の気配満々です。子ども達はフキノトウ探し。最初はなかなか見つからなかったようですがやがてコツを会得。雪解けすぐで地面にぺったり張り付いた落ち葉の下にチョコっと顔を出しているフキノトウの芽を、たくさん見つけてきました。フキノトウのことを、岩手の遠野地方では「バッケ」といいます。ちなみに、カメムシは「ヘッピリ」キジバトのことを「ででぽぽ」(鳴き声そのままですね~)カモシカのことは「アオジシ」…などなど。けっこう可愛い言葉が多いんですよね。以来、我が家ではフキノトウは「バッケ」。早速「バッケみそ」を作りました。ショウガとニンニクを炒めて味噌とみりんとてんさい糖を加え、よくなじませる。さっとお湯に通したバッケを細かく刻んで甘味噌と混ぜればできあがり~。甘辛い味噌に、バッケのほろ苦い味。ご飯何杯でもOKです。ただ、子ども達はちょっと苦手?かな。そういえば、私も幼いときは不味くて食べられなかったっけ。大人の味なんでしょうかね~、やっぱり。冬眠から覚めたクマたちはまずフキノトウを食べて、お腹をととのえ毒出しをするとか。季節の恵みを取り入れて来る春に向けて始動!したいものですね。5歳娘が見つけた、クモちゃん。動いている虫を見かけるようになったのにも、春を実感します。「カワイイ~」と連呼しながら手のひらで遊ばせる。カエルもヤモリもテントウムシもアオムシも…。みんなみんな、友達だね!
2009.03.02
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私のご近所には白山を撮り続けているカメラマンが住んでいます。友人ゆかりさんの旦那様・木村芳文さんがその方。白山に魅せられて、この地に移り住んで来られました。写真のことは無知な私なのでうまくは言えないのですが彼の写真は、なんというか自然の中に身を置いて、ただひたすらに一瞬を捉える。その一枚に、とても多くの事を蓄積させているのだけどでも多くは語りたくない…というかそんな力強さと孤高の意志に満ちている気がします。そんな彼が、この冬は白鳥を撮り続けている…ということは伺っていたのですがふとしたきっかけで、先日、その撮影場所である柴山潟に連れて行って頂く事になりました。白山を背景にした白鳥の飛翔や夜明け前の身じろぎの気配が伝わってくるような白鳥達の活き活きした姿を捉えた木村氏の写真。この冬は、なんと30回近くも通っているとのことでびっくり!です。柴山潟といえば片山津温泉、といった印象しかなかったのですがその本来の潟の半分以上は干拓され区画整理された田んぼになっています。その田んぼの中に、白鳥達が500羽以上も飛来しているというのはまったく知りませんでした。白鳥というと、ナントカ湖の餌付けの様子、とか川や湖に優雅に浮かんでいるイメージ…だったのですがここにいる白鳥達は、その印象をガラッと変えてくれました。この日見つけた白鳥の群れは、ざっと100以上はいたでしょうか。乾いた田んぼの中で、二本足でシッカと立って歩き一生懸命、稲の根っこを食べているのです。顔や腹などは泥で汚れていたり地面にどっしりと座り?くつろいでいたり餌の取り合いでつつき合いをしたり。それは、餌付けされて優雅に池に浮かんでいるものとは違う本当に「野性」を感じさせる白鳥の姿なのでした。ある一定の距離以上近づくと逃げてしまう、というその距離を熟知している木村氏に、いろんな説明を伺いながら車の中から観察しましたが、ずっと見ていても飽きないくらい白鳥達の様子が面白い!!夜は水を張ってある田んぼの中で眠り朝になると家族単位で移動し、一日えさ場で過ごす。犬が嫌いだから水の中で眠る。この冬は、700羽を数えたこともあるとか。10月頃にはシベリア辺りから越冬のために飛来して3月頃からは少しずつ北へ帰るのだといいます。野鳥は好きなので、冬場も鴨池などに行ってガンカモ類を見てることもありますが実は白鳥のことって、ほんとに知りませんでした。感心することしきりです。そして、この柴山潟の白鳥に魅せられて長年、この地で白鳥達を熱く見守っている、という方にも会いに行きました。「白鳥おじさん(スワンじじいともいう)」を自称するその方は数年に渡って、この地に飛来する白鳥の数をカウントしその生態、白鳥が好む自然環境までをも調査し、データを蓄積し、果ては、白鳥をもっと地域おこしに役立てていけないかということまで模索しておられました。この冬、湖畔に「ホットハウス」なる観察小屋をもうけ情報発信や、訪れる愛好者の方々を案内する活動も始めています。木村氏は、この白鳥おじさんに撮影中に知り合い撮影のポイントなどについてもアドバイスを受けたりして親しくなったようです。とにかく、「これだ!」と思った事はとことんやらねば気が済まない!というご性分の白鳥おじさん。損得考えずに突き進んでしまい、現在は、白鳥に没頭するあまり仕事もできずにけっこう極限状況の生活をされています。(ちょっと心配…)その熱い情熱に圧倒されながらもこういった「愛」のある人の存在というものはここに訪れる白鳥にとっても、地域の人々にとっても実は本当に貴重なものなのではないだろうか、と思いました。何かのために、損得考えずに突き進む。それはボランティア…という言葉よりももっと深い「生き方」の部分に関わる事だと思います。そんな生き方ができるかどうか…?「何を馬鹿なことをやってるんだ」と一言で片付けてしまう人もいるでしょう。でも私は、こういった「強い思い」こそが何かを変える原動力になってきたのだと思うしこれからもそうであるはずだ、と信じたい。だから私は、白鳥おじさんを応援します!白鳥が見られるのは、おそらく3月半ば頃まで。それまでにぜひとも、柴山潟の白鳥をそして、白鳥おじさんを訪ねてみてほしいです。長くなってしまいましたが、最後にもうひとつ。帰りの車の中。雑談の中で、木村氏に聞きました。「数ある山の中で、なぜ白山を選んだのか?」彼は、少し考えた後ポツリと言いました。「白山が、自分を写真家にしてくれる。そう思わせてくれた山だった。」おお~……(カッコよすぎる)ここにも、強い思いを秘める人がいた!柴山潟の豊かな自然と、素敵な人たちの熱い心に触れた爽快な一日なのでした。※白鳥の写真も、こちらから↓木村芳文氏のHP「2702.jp」へジャン プ
2009.02.14
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先週の日曜日、ふとしたご縁があって「白山ネイチャーゲームの会」の定例会に飛び入り参加させていただいて来ました。地域で活動する、日本ネイチャーゲーム協会のリーダー資格を有する方々が定期的に開催している自主学習会なのですが今回のテーマは「春の息吹きを感じよう」ということで場所は獅子吼高原です。どうにもゴンドラが得意でない私にとって初めて訪れる獅子吼山頂。そこからの眺めは、ゴンドラの恐怖を克服した(大げさ…)ご褒美にふさわしい素晴らしいものでした!これぞ「THE・扇状地」!とうなりたくなるような山麓から海へ向けて扇状に広がる平野。ゆっくりうねりながら海へと注ぐ手取川の勇姿。そして、彼方で空ににじむように緩い弧を描く水平線。白山麓に越してきて初めてこの地のありさま、というものを感じた瞬間でした。霊峰白山と海とのつながりも感じられました。雲の影が地上に映っている、というのもかなり絶景。いつも獅子吼上空を舞うパラグライダーを見てトンデモナイ!と思っていましたが飛びたくなる気持ち…だけは分かった気がします。まずは山頂の神社にお参りしてプログラムの方はゆったりと進みました。まだ雪の残る林道を歩き、動物の足跡を探したり意外な色を探したり。ウサギの足跡を発見したのでその走りを再現しようとしてみましたがやっぱり前につんのめる…。かなりの勢いがないと、あのようには走れないことが判明。前へ前へ!そうやって動物達は生きている。フィールドビンゴでは、自然の中のグーチョキパーを探したり春を探したりしました。私の見つけた春はショウジョウバカマの葉っぱ。ロゼッタ状で地面に這いつくばっていたのがすこ~し起き上がってきてた様子をみて一番に咲いて春を告げるピンクの花を思いとっても嬉しくなりました。まだ雪の残る山頂付近でしたがけっこう春の予感は見つかります。そして最後は「雪像づくり」。雪像…というと雪を積んで、細かに細工して…とどうしてもさっぽろ雪祭り的なものを想像しがちですがこの雪像は実に簡単!足下に30センチ直径ほどのまあるい雪山をつくってそこからイメージを広げて形を作っていくのです。この方法は、かなり目からウロコ!でした。地面に這いつくばる感じから私が作ったのは「ヤモリ」。我が家に住み着いてる愛すべき住人の一人なのでよ~く観察しているつもりはあったのですがいざ、その形を再現するとなるとなかなか難しい…。出来上がったものも、ナンカ変!?ネイチャーガイド・たかさんのアドバイスによるとは虫類の場合、胴体がもっと長くてその両端に手足がついている。そんなふうにすると、確かにそれっぽい!なるほどなあ~と思いました。雪像づくりの仕上げには「魔法の水」(塩水)をスプレーしてきっちり固めて出来上がり。それぞれの個性豊かな作品を鑑賞しあいました。その後は、雪上でのお昼ご飯。お湯を沸かしてカップラーメンとおにぎりでくつろぎました。最高にいい天気でお日様が出ていれば、ぽかぽかとあったかい。でも、ちょっと日が陰って風が吹くとけっこう寒い獅子吼山頂。春は少しずつ近づいているようでした。白山麓に引っ越してきて、ちょうど1年。こうやって、自然の中に分け入りその楽しさや美しさを感じて誰かに伝えたいと願っている。そんな人たちに出会えた事が何よりも嬉しかったです。自然と遊ぶ人…と書いて「自遊人」。語感通りの自由な感覚で、風に吹かれている仲間達です。日本ネイチャーゲーム協会HPへジャン プ
2009.02.10
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