自由に生きていくって?





いわゆる「昔」みたいに、不自由な束縛の無い時代。勉強も仕事も恋愛も自由にできる。

せいぜい、自分達の政治が悪くて問題があるとか、
自分達の生活で環境を悪くして自分達の身に返ってきてしまうとか。
そんな生意気な「不自由」しかナイ。

なんと贅沢なのか、とも思う。

けれど、
よく「どうやって生きていったらいいか、ワカラナイ」という言葉を聞く。

元気な時は、どうとでも理由も意味もつけられた。
泣いている人を励ました。
そのままでいい、と。
ただ死ぬ迄生きるのだ、と。
悩む事も多いけど、そんなに振り回される事はない、
どうしたって問題は降りかかってくるのだから、と。


以前、数々のトラウマを抱えた友人から、聞かれた。

「自由には生きられるけど、自由には死ねないの?
 例えば、死ぬのだって、選択の一つじゃないか?」

…迷惑がかかるから、私は嫌だな。死んだ後は、誰かしらが片付けなきゃならない。
周りの人に、絶対、大なり小なり影響を及ぼしてしまう。
他の人まで巻き込んで、悲しくさせたり苦しくさせたりするのは、本望じゃない。

当時、その友人は、力なく
「自分はその時いないんだから、関係ないじゃん」と笑っていた…。
ま、そういうのがぶっ飛んでしまって、死を選んじゃう人がいるんだろうけどね。

なんか、自由を逆手に取ってて、究極のワガママだし、メイワクだし、
自分が嫌だと思う。

■■
私は今年の春、引越をした。

平静を保ちながら生きる為に、必死な行動の一つだった。
そんな深い意味は、自分もひっそりオブラートにくるんでいたけれど。

そして、私の中でほぼ初めて、この言葉がリアルに胸に浮かんだ。
「どうやって、生きていったらいいか?」


…その後、気紛れに風の便りが届いた。

去年の春、一緒に部屋を借りようか、と言った人が
知らない土地で他の人と暮らす、と。
「人生めちゃめちゃだよ」と返事したが、反応するような人じゃない(笑)。

…さらにしばらくして、メールがくる。

「今の人は、あなたと別れる原因になった人じゃない。今度の人と結婚を考えている。
 なぜ、こんな事を言ってしまうのだろう?
 あなたを傷つけるつもりはないが、言いたかった。
 ずっと仲良くしたいと思っているから…。その人にも、あなたの事は言ってある。
 次の休み取れたけど、予定どうしますか」

他人から見たら、なんと都合の良い言い草と思うだろう。
でも「私達」は、こういう「兄弟」みたいな繋がりだったのだ。
レンアイ臭くないつきあい方が、心地良かった。

このメールをもらい、頭の中が真っ白になった。
運悪く、引き止めてくれる要素がナイ。
のろのろと着替え出している自分を、遠くから見ている気がした。
深夜、スクーターを走らせた。
霧雨。見知らぬ道。
能面のような表情、抜け殻のような体、貧血のような意識。

会える保障はないのだが、会えた。

半年ぶり位だったが、何も変わらない。
おかしいほど、何も変わらない。会話も、動作も。
知らない場所へ行った話題と、カーナビの知らない登録が、少しだけ違和感…。
(そーゆーの、本人は全然無防備な人だ。
 ココロ許してる、とも言えなくもないが…あまり関係ないかな)


ナニガ、カワッタ?ナニガ、イケナカッタ?

夜更けの空に、愚問を繰り返す。



私の中で生まれた
「どうやって生きていったらいいか?」は、
その後も、塊になってココロの底を転がる。ごろごろごろごろ。

自由すぎる世界で、自分が見えない。
自分に自信がない。
これで良いのだ、と思っていた自分が、頭から漂白剤を掛けられてしまった。

自由に生きていた自分が、否定された気さえする。

今までの自分が、見つからない。
消えた誰かの存在が大きかった、という事ではないと思う。

ゆっくり形成されてきた自分という存在が、
あまりに無意識に、
あまりに広い空間で、
のんべんだらりん、と呼吸していたものだから、
ちょっとした歪みに対する力が備わっていなかった。
いや、備わっていたのに、忘れ去っていた。

…必要なかったから。
これでいいのだ、としか、思えなくなっていたから。


そういう空間は、とてもありがたかった。
私は、たっぷり「世の中への疑問」や「人の生き方・考え方」や
「環境」「地球」「恋愛」「ニンゲン」等々について、
体一杯で考える事が出来た。

これでいいのだ、という地に根を下ろした自分は、
安定して、不安定な事を思い巡らせられた。

今。
それでも思う事は尽きないが、
ハレーションを起こしたような自分の思考を持て余す。

いろいろ思うけど、果たしてコレは「本当」だろうか?
本当に私が自分で、公平かつ公正なココロで思っている事だろうか?

こんなにココロがあやふやな状態で、
不安定な事を考えて、正しい自分なりの主張が出来るだろうか?

否、できない。


…一般論として。

挫折もない人生を送っている人は、他人にも優しくなれない、と言う。
自分が傷付いて、初めて人の痛みも知る、と言う。
失敗が無ければ、成功も成長もない、と言う。
修羅場を乗り越えた人にしかわからない到達感がある、と言う。


変だなぁ…。
根本的に、私と言うニンゲンは、歪んでいたのだろうか。

最近、人に優しくない自分に気付く。
心が狭い、醜い感情に支配されている自分がいる。

人を喜ばせたり、助けたり、協力したり、暖かい目で見守ったり、
自然に嬉しく思って行動できたのに。

確かに、世の中の流れやニンゲンの愚かさに嘆き、世間を斜めに見る事もあったけれど。


変、なのか。
自分が変わったのか。
余裕がなくなったから、変わったのか。
なんで、こんな意地悪な気持ちになるんだろう?と思う時が増えた。

(今迄も全く思っていなかったわけじゃないが、比ではナイのだ)



もし、人から自分が否定されたとしても、
自分が他を否定する事はないのに!

そして、自分も自分を否定する事はないのに!

…あぁ、そうだ。
今の私の歪みの根ッコの部分は、ココだ。

私は、私を否定している。


自由な空間に放り出されて、上も下もわからずに、もがく事もせず、
夜更かしをし、人に迷惑をかけ、部屋の片付けもせず、
自分だけで手一杯になり、優しい気持ちが保てず、
文句だけは一丁前にほざき、涙だけは一丁前に流している。

(卑屈なワケじゃなく、ありのまま、ね(笑))


テキトーにも、具体的にも、思う。

果たして私は「どうやって」生きていけば、良いのか?

そんな事わざわざ考えなくとも、時は勝手に進み、
分岐点は自然と出現し、
その時その時で選択していく事にはなるのだが。

承知の上ですよ、と自分(笑)。


未来のコトは、誰にもわからない。

…情熱的な恋人が現れて(もうたくさんだけど)海外に移住(おぉ)とか。

…突然、縁者に不幸があり(これももう当分結構だが避けられんだろう)、

今の家を引き払わねばならなくなる(引越もパワーいるよな)とか。


「明日がある」「明日を信じて」そんな歌詞や台詞を、数知れず聞いてきた。

そうか。
皆、こんな風に考えて、
こういう言葉に繋がってきたんだな。

子供の頃は「そのまんまじゃん」と、一種反発したい気になったものだ。
明日はない、なんて思いようもなかったから。

テストの点が悪かろうと、友達にいじめられようと、明日はくる。
そして、また点を悪く取り、友達は変わらずにいじめてくる。
信じようと信じまいと、明日はくる。
同じような苦しみが繰り返されようと、
新しい希望が舞い降りようと、とにかく明日はくるのだ。

(だから、そういう歌詞を共感して歌えなかった)


シツレンして凹んでいた私に、友人から言われた言葉。

「たまには努力してみようよ?」

「嫌!」…おいおい。

大人になって自覚する自分の性質の一つに、この「無努力家」がある。
それから「超面倒臭がり屋」。
なぜかは、わからない。

もちろん、他人の尺度で見ると違うかもしれないけど。

「頑張って勉強して自分の能力を伸ばし、成長した自分に喜ぼう」
なんて、絶対思えない。
「何日迄に提出」「人に連絡」「整理整頓」なんかも、
「ついついメンドくさ」という言葉にかき消されてしまう。

そんな自分に嫌になる、なら、直せばいいのに!
それさえ「努力すんのメンドくさ~」と、終了してしまう。

なぜなのだろうね?
育った環境?学んだ教育?生まれ持った性分?




現代の、自由の中の不自由。

(わざわざ了承を得る事でもないが、この小さな島国だけの現代ね)


もうずっと、言われ続けている話ではある。
ニンゲンが、何不自由なく生まれ育っている。

物の少なかった時代(現在70~90歳台)からは
厳しい中にも「自分のような貧しい思い、ひもじい思いをさせないように」と、愛され、

そんな両親を見て育った時代(現在50~70歳台)は
「自分はシアワセな家庭を築くぞ」と、懸命に働き、甘やかし、自己満足し、

さらにそんな親を持つ時代(現在20後半~40代後半)が
「こんな感じでしょ。カワイイカワイイ」と、自由に子育てをしている。

(もちろん、あくまで非常に巨大な社会の流れの話、とお断りしておきますが(笑))

「今はあらゆる事を自分で決めねばならない。
 いい大学へ行ったからシアワセになれる、大きな会社だから安心できる、
 なんて幻想は、全て崩されてしまった。

 赤紙がきたから戦争へ行かねばならない、という規則もない代わりに、
 何もない所へ自らアクションせねば何も起こらず、
 なし崩しに一生を過ごしてしまう事も可能。

 結婚も、顔も知らない者同士が一緒になり、多くの子供を作り
 幾多の困難を乗り越えながら充実して過ごす、という事が無い代わりに、
 なにがホンモノか?理想と現実は?なんて
 考えて苦しんでばかりで、人生が進まない状態も多い」

…小耳に挟んだ教育の現場の方の講演で、こんな話をされていたっけ。



今、
がらんどうな宇宙に浮かんでいる自分を想像する。

小さな、皮膚に包まれた生き物。

そんな自分というモノ。

プツッと針を刺すと、そのわずかばかりの穴から
とめどなくいろんなモノが流れ出て、
何もなかったハズの空間が、メチャメチャな色で染まる。

喧騒と。

…これ、自分??

孤独と。

…これも、自分???

手に負えない。

自由でただ無心に呼吸していた頃が、懐かしいくらいだ。
今でも自由には違いないのに、
心臓さえ、意識して動かしているような気がしてくる。

もっと、安心していいのにね。

食べて、寝て、動いて、笑っていれば、何事も万事うまくいくのにね。

そう。万事。
人は誰でも、自分の思った通りの人生を歩めているはず。
もし今の瞬間、痛い思いをしてるとしても。


わかっているはずなんだが…。


手に負えません。


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