【2003・生きていく】



『2003年上半期におけるジブン探し』      2002・7

2001年、2002年、と…
生命力が低下して、足が地面をシッカリ踏んでいないような…

地球の上にキチンと乗っていないような気になる事が多かった。


じゃあ、自分はドコにいるのだろう?

わざわざ確認しないと息をする事を忘れそうになる…

こんなアヤフヤな生き物は、何という星の、何次元の世界に存在しているのだろう?



他の生き物は、頑張って生きている。
他の人間達も、厄介な社会の中で、なんとかかんとか生きている。

それなのに、この私は、それらを遠くから眺めている傍観者のようだ。



生まれたら、死ぬまで生きている。
寿命が尽きたら、死んでしまう。それまで、ただ生きる。


それだけの事なのに、とても不思議な気持ちになった。

なぜ、生きているのだろう?

そもそも、私は今、「生きて」いるのだろうか??



言葉にすると、実に幼稚で陳腐で情けないのだが、
他人から自分を否定される事で、私も自ら私を必要としない、と思ってしまった。


一度でも「アナタが必要だ」と言ってくれたニンゲンが、
時が経って「アナタが必要ではなくなった」と言うようになる。

それは、私にとって恐ろしい現実だった。
理屈ではなく、理性も働かず、他の誰が「アナタが必要だ」と言ってくれても、
全然耳に入らない。ただ、吐き気がする。

それこそ、世界中の人が私に背を向けても構わないから、
もう一度「アナタが必要だ」と、言って欲しい。


許して欲しい。

…??

なぜだろうか、コチラに落ち度があったからであろうと、なかろうと、
私はこう思ってしまったのだ。




この4、5年の間に、三、四回。これに似た出来事があった。

友情、恋愛、そしてライフワークの芝居の場でも。


そして、覚えたのは、
この先、生きていくと、こういう恐ろしい感覚を避けられないのだ、という事。

ならば、生きていたくない、と。

短絡的で愚かだと解っていても、どうしようもない。
他の出来事で気を紛らわせても、また津波が襲ってくる。
何度も、何度も。
何ヶ月、何年経っても。




だが、私には見えない根ッコのようなものが生えていたようだ。

どんなに宙に浮いていても、実は、根ッコが地球にくっついている。

嵐で足元の土が流されても、幹である自分がなぎ倒されても、
見えない根ッコは、しっかり地面に繋がっている。


枝(腕)が折れても、葉(髪)が落ちても、イヤ、自分本体が枯れて死んでも、
根ッコはずっと大地に生きている。




凄いな。
生き物は、カタチが違っても、全部繋がっているんだな。

でっかいイノチの中で、ちまちまとくっ付いたり離れたり、
仲良くなったり喧嘩したり、病気になったり戦争したり、増えたり減ったり…


良い悪いではなく、好む好まないでもなく、
世の中も自然も自分も他人も、そんな風にイモヅル式になっている。

よく「生かされている、と思え」とか「全てに感謝して生きよう」とか
カッコイイ教えが説かれるが、それに少し似て、でも少し違う。


私は、生きていくしかない。
生かされていようと、いまいと。

ありがたい、と思うかどうかは、重要ではない。

重要なのは、その先だ。


私の、見えない根ッコに、どうやって感謝をするか?


全ての源である、でっかい星を、どうやって生かすか?



「地球」だって、きっと同様に思っている。
ボロボロで、もう嫌になって、生かされようと愛されようと、もうどうでもよくて…
でも、ただ自分なりに生きていくしかない、と。


「私」は、他人で、社会で、地球そのものなのだ。
このカラダをもし傷付けたら、他人を怪我させたり、自然を破壊したりしたのと変わらない。


…そんな事に、今更気がついた。

イヤ、忘れていて、思い出したのかも知れない。


こんな屁理屈を並べなくても、フツウに一生懸命頑張って生きている人は、
とっくに解っているコトなのだろうな。


無意識下であっても。

充分だ。

それで。

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