未来の記憶



歪みを矯正する為…生きていく為に          2003・7





これから先の、「未来の記憶」を思う…


過去は忘れようとしても、自然に忘れない限り、忘れられない。

自然に忘れるまでは、もがいてもあがいても、どうしようもない。

無理出来ない事なら、最初から無理はしない。

せめて、一瞬一瞬、忘れたつもりになって、自分を誤魔化していれば、
前向きに、未来の思い出に向かえるだろう。


これから先の、未知の記憶を辿る。

それは、自分が作っていくと思ってもいいけれど、
思わなくてもいい。

ちょうど、思い出を振り返るように、
未来の出来事も、まるでなつかしい、とても愛おしい様な思いにかられて、
両手で、迎えるのも悪くない。

いや、悪くないというより、すごくイイかも知れない。

例えば、神様や運命に与えられたモノなんていうよりも、
未来は、自分の中で暖めてきた記憶だ。

真っ白な画用紙に、自由に思い描くというよりも、
既に体験した、大切な思い出なのだ。

嬉しい記憶を振り返る時の、豊かな気持ち。
その時の自分の表情は、満ち足りて、切なくて、複雑な顔だろう。

そんな迎え方をしたい。

必然とか、偶然とか、はたまた前世とか来世とか、言葉にするのはツマラナイ。

なつかしい未来の記憶。


そう思ったら、この先も見続けずにいられない気がしてきた。
出会わなくてはいけない気がしてきた。
宝物の様な、思い出達に。

もし、歩く先に、自由な可能性あふれる空間が、ふんだんに広がっているなら…
この未来を、自分の意志で自由に創造していく事ができるならば…、
私はこのまま、歩みを止めても構わないような気持ちに駆られる。

真っ白な未来に、思うような世界を創造していく元気も勇気も
今の私には、ない。

知恵も、生命力も、体力も、ないかも知れない。

世界を見渡して、絶望ばかりが目に映る。

決して悲観的なだけでいうワケではなく、正直な感想だ。


でも、もし「未来」が「思い出」のようなモノならば、
それが少々モンダイがあろうが、嬉しい事の連続でなかろうが、
暖かく受け止められる気がする。


忘れたいと思う過去のように、忘れたい避けたい未来もこよう。

そういうものに出会ったら、丸めて固めて、忘れるまで忘れたつもりになって、
記憶の一番隅に追いやるしかない。

逃げてもいい。
そういうものから逃げても構わない。

絶望の淵を、ヨロヨロと歩くよりは。


安全で大きな地面に両足を下ろし、時には腰も下ろし、
未来の記憶に思いを馳せよう。


とても大事な、かけがえのない、二度と感じる事のできない、
繊細で壊れ易い、思い出。
それを迎えるのと同じように、未来を進む。


それならば、生きていける気がする。


気力があるうちに、そう思っておこう。


大丈夫。
未来はすでに、それぞれの中にあって、
その記憶を辿るのだ。

自分の中に詰まっている過去の記憶と並んで、
ハッキリとよく思い出せるように、
目の前に現われるのだ。


…記憶を無くしたら、自分でない生き物に変わる。

それくらい、自分の中から出てくる、
とても馴染み深い、未来の記憶。


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