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2月15日しいちゃんのアトリエ舞踏707浜松餃子宇都宮に勝つ静岡駅アスティー 石松餃子昨日のニュースだ。今年は浜松餃子が宿敵宇都宮に勝った。毎年のデットヒートは結構楽しい。その浜松餃子が広くなり新装開店のJR静岡駅の食堂街アスティーにテイクアウトと食堂を出店した。最初見た時、広いがずいぶん地味な店だなと思って入って食べてみた。さっぱりと女性向けの味だ。三方ヶ原の白菜をふんだんに使うそうだ。次の週に用事で娘がきたので、夕食に間に合うようにマグロとたくさん生餃子と焼き餃子をもたせた。家族になかなか好評だったらしい。このアスティーは値ごろな料金の街中にない和食屋が何軒もあり、なかなか楽しみだ。広い通路に新装の店店・・気もちがいい。とんかつも蕎麦も洋食屋もそろい、街中の店を喰ってるなと感ずる。コロナで店屋さんは苦労してるから、いまここで差がつく。老舗より新店とは昔から言われた諺。老舗もうかうかしてると危ない。家は街の小売屋だったから、母のあの笑顔が店の資本金だったと今ならわかる。40年続けてわけって閉店した。今続いてれば75周年だったなあと・・思い出す。そう笑顔・・笑顔こそ人生の資本金かもしれない。
2021年02月15日
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2月11日しいちゃんのアトリエ舞踏706早春の駿府城跡鬼滅の刃早春の駿府城跡春は名のみの風の寒さや・・早春賦の歌の出だしだ。夏は6時30分、冬は7時、日の出に合わせて公園をひとまわり歩く。梅の香る道を過ぎて、標準木の桜の蕾の膨らみ具合を確かめる朝の駿府公園の散歩も、もう手袋がいらないほど十分暖かい。古い着古した厚手の純毛のジャンバーを着こめば、寒さは消えてしまう暖国静岡だ。犬の散歩の飼い主たちの集会も、人数というか犬数と言うかコロナの1月より少し増えてきた。アメリカでは前からネットで全米同じ犬種の集まりがあると聞く。飼い主の会議をよそに、犬たちは騒がず互いの友好を確かめあっている。息子と老婆の我々の散歩に、おおむね高齢の飼い主からオハヨウの声がかかる。犬はいくつかなあ? お髭が白いからおじいさんかな?元気だしなね・・と私。白いロン毛の雄と雌の兄妹のピジョンフリーとよく出会う。紅いリボンをつけたのが妹だ。妹が飛び上がって挨拶してくれる。「おお 妹よ元気だな・・」と人間と犬の会話だ。しばらく会わないでいたらご主人から息子さんに散歩担当が変わった。毎朝会わなくなって、あんなに遠くから飛び上がって喜んでいたのに離れてアレッと不思議そうにこちらを見ている。「妹よ元気か」と聞くとはじめて思い出すのか、私と挨拶を交わす。犬の記憶の海馬の数は、朝たまに出会う人間を記憶するほど多くはなさそうだな。しかし母をオートバイからかばい亡くなった愛犬プーのことは今でも忘れない。今はお寺に犬猫の共同の墓があるが、当時はなかった。娘のところではアラモと言う猫を葬儀をして寺に葬った。今いる二匹の猫もいずれそうするだろう。プーの最後の首輪と鑑札が家の仏壇の戸棚に入れてある。私には人格と犬格はなにも変わらない。ただ有難い。鬼滅の刃戦後最大のヒットらしい。私は老人になるまで長命の母に守られ子供のままに生き、人を恨んだことはなかった。母の死後いっきに始まる異変の連続・・いや前からそうだったのかもしれない。だた守られていたのだ。人間結局全部体験してから死ぬのかと、今ごろおバカな人生に苦笑する。しかしこのヒット作を生んだ若者の社会現象は、私が今頃わかった愚かな無防備の人生に、若者たちはとうに気づき戦っているということなのか。いつかこの映画を観てみようと思う。
2021年02月06日
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12月5日しいちやんのアトリエ舞踏705独居世帯がどんどん増える独居世帯がどんどん増える日本の独居世帯はどんどん増加している。都会はいずれ50%を超すだろうとまで言われている。地方に仕事がないから若者が都会に出ていくこともある。結婚しない人が増えた。若い夫婦が親と住まないこともある。長生きして連れ合いに死なれた独居老人も増加している。家余りの時代、これから金さえ払えば住む家には困らないだろうが。とにかく一人世帯は増加し、人口減で家余り現象は続きそうだ。たしかに夫婦でも親子でも、同居にはいい面もあれば面倒はある。人間はややこしい動物だ。顔に出ていることと腹のうちが違う。実は猫もその一面があって、昔、夜布団に誘うとしばらく入っているが人間が寝たとみるや出ていく猫がいた。一応つきあうのだろう。そのへんの呼吸が人間同士は面倒だから、離れて暮らすのが良いと思うのか。べつに家余りでバラバラに暮らしても、いいのだが・・逢いたい人とは外で会い、SNSの仲間もいて、家に帰れば家庭の人・・そうか多面体の人生を楽しんでいるのか。SNSで写真を公開する気持ちを・・ブロガー歴の長い私がやっと腑に落ちた。85歳の独り暮らしの老人は、やはり退屈し夜は寂しいらしい。人間同士の面倒くささと、同居のにぎやかさと比べて、どんなものだろう。私は相手と気さえ合えば、複数で暮らすのがよい気がする。SNSは退屈や寂しさを解消するのだろうが実際は同じ部屋にいないが、気の合うだれかと一緒にいる感覚がもてるのか・・私はブログを長く書いているが、誰にも話さないことを聞いてもらつているのかもしれない。書くことで、なにか心の整理がつく。若いメル友とは、不思議と本音の深い話をする。そうか。話す手段が沢山出来たのか。人間はいつも誰かと話をして、たがいにわかってほしい動物なのだろう。同居でも、会えなくても、メールかSNSで繋がっているのだろう。
2021年02月05日
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1月27日しいちゃんのアトリエ舞踏704スイトピースイトピー花屋に可憐なスイトピーがいっぱい。街に春を告げる一番乗りの花だ。天に星地に花人に愛 懐かしい実篤の言葉。そうなんだよ。人にとって美しくて一番大切なことは愛なんだなあ。その愛の双子の片割れが憎しみだってこと・・を85年生きてきて、今頃やっと身にしみてわかったところだよ。愛してくれた人はいっぱいいた。嬉しかった有難かった・・ただただ感謝感謝。だが強烈な憎しみにさらされた悪魔の片割れもいた。一人二人三人・・いや今最後の4人目が立ちはだかっている。愚かな私はいともやすやすと運命の泥沼に墜とされ、長く地獄を彷徨った。いつも私の横には母がいた。その母も今はいない。自分の最後の小説を書くとしたら、タイトルは4人の悪魔とでも名づけようか。80歳を過ぎてうっすら人間の本質は悪魔だと、頭の隅で思い始めて今小説を書くとしたらこれしかないと思う。そしてその小説の中には、相手を許す自分がいるのだ。怠け者がはじめて自分の心の小説を書く気になった。もちろん親切にしてくださった皆さんには、心から感謝して・・書く趣味があって本当によかった。書くことで恨みも霧散するだろう。静岡には何処より早く光の春が来ている。紅梅は咲き、桜の蕾がぐんぐん膨らんできた。光の春だ。今朝の学校の花壇の霜柱が嘘のような、暖かな昼間の堀端の風景だ。今日は土曜日、昼過ぎにぶらりと駅ビルの日比谷花壇にあふれている七色のフリージャを見にいこう。天に星 地に花人に愛だ。
2021年01月26日
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1月26日しいちゃんのアトリエ舞踏706静岡駅ビルアスティー vs 市中レストラン戦争静岡駅1階のアスティーにある石松餃子店静岡駅ビルアスティー vs 市中レストラン戦争2020餃子消費日本一の浜松の石松餃子がJR静岡駅アスティーに開店しばらくごたついてた駅ビル西側のレストラン街アスティーの改装も終わり昨年売り上げが宿敵宇都宮市を征して日本一に輝いた浜松市代表の石松餃子が出店した。今年の西と東の二市の餃子販売額即ち市民消費額デットヒートは僅差で浜松がリベンジを果たした。静岡駅駅ビルでその浜松餃子が買えるようになつた。さっそくレストランで食べてみた。三方ヶ原の甘い白菜がいっぱい入っているそうですっきりして甘みもありコクもあり、脂っぽさを嫌うご老人にもむきそう。この間来た娘にその石松餃子をどんと土産に持たせてやった。駅の市場のマグロも喜ばれるが、孫には餃子の評判がよかったらしい。この駅のレストラン街の店の出店数も多さと、なにより通路の幅の広さが大通りを歩いているよでくつろぐ。市内の蕎麦の名店2店、寿司の名店も三店、小料理屋も三店・・他ほか・・・私は銀座ライオンのビーフシチュウが好きだ。その寿司屋だが、今週祖さしぶりに東よりのもとの店で980円の寿司を食べた。でかいでかいシャリもでかい。吸い物に魚がどんとこれまたでかい。江戸前が好きな私にはちっとでかいなあ。それで980円。このコロナのせいかすごいダンピングだあ。とにかく店舗数が多い。街中のレストランを喰っているだろう。王将の餃子を食べ夏までスタンプをためて、餃子わ食べるのもいいがヤマザキのシールを貯めてスープ皿を二枚貰うことにしよう。住んでいる城址からスーパーが遠いので買い物は散歩をかねて歩いて街に出る。変わるのが街と言うか飽きないことがない。街育ちにはやはり街があっている。聖人にはなれない
2021年01月23日
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1月22日しいちゃんのアトリエ舞踏704浜松餃子 宇都宮餃子に勝つ※JR静岡駅内アスティーの浜松餃子石松浜松餃子 宇都宮餃子に勝つ宇都宮と浜松の日本一を賭けた餃子売り上げ合戦は今年は浜松餃子の勝ちだった。店販の額を競うのだが、この二市のデットヒートはなかなか面白い。その浜松餃子が面積を広げた駅ビル一階西側の新装開店のアスティー食堂街に初出店した。餃子屋が餃子を売る・・それだけの出店は当地では珍しいから開店したばかりの週は、通りかかっても客がみあたらない。店に入り一人前食べてみた。さっぱりして女性むきだ。ラーメン屋の餃子は食べるが、白菜のふんだんに入った浜松餃子は意外といけそうだ。次の週に用事で娘が来たのでマグロと生と焼いた餃子をいっぱい持たせた。評判はなかなかのようだ。家は城址にあるがスーパーが遠いから、歩いて買い物に出る。暇があれば歩いて駅ビルに来る。魚は焼津からぴんぴんしたのが入る。あれこれ仕事が終わった息子とみて回るのは、ちょうどいい運動になる。食べたいものを食べる・・これがなによりの馳走だろう。高価なものでも特別なものでもない、食べたいもの・・それが馳走だと老人は考える。そのための買い物や料理が味を高めると・・一緒に食べる人がいればよりおいしいものが食べられるというものだろう。ただいま4時。。ちなに今夜のおかずは決まっていない。
2021年01月20日
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12月19日しいちやんのアトリエ舞踏703コンビニで野菜が100円ヌコンビニで野菜が100円コンビニで野菜を100円で売り始めて一と月ちかい。飲食関係が出ないから、余った野菜が農協からコンビニに出回っているらしい。とにかく100円。はじめは近くの農協だったが、今は千葉の見事なイチゴまで200円で並ぶ。ついつい買いすぎて野菜に追われる贅沢な冬だ。レストランや飲み屋がなくなると、ずいぶん流通が止まるものだと驚いた。安い白菜を娘のとこで漬物にしたと少し分けてくれた。漬かりすぎのうまい白菜付けで、白いご飯をぞんぶんに楽しんだ。それにしても、コロナもいつまで暴れ回るのか・・気の遠くなるような2021年の幕あけだ。とりあえずなるべく飽きずに家の中で過ごすしかないだろう。時間があるから新聞はよく読むようになった。とっているのは読売だが、気になることがあると朝の散歩で日経を買う。そんな朝は家勤の息子とコーヒーにパン、野菜に卵とソーセージの朝食をすませて二紙読む。世界はコロナで騒然としている。二紙読み終わると10時ちかくなる。それからラベンダーの香りの風呂に少し浸かる。まだ左足の都合で椅子にかけて入るから、上半身は湯に浸からない。肩に湯をかけて温める。なんとなくのどかな時間だ。なんの役にもたたない老婆の、ひょっとしてこれが幸福というものかと考える。だいたい世間の役にたつことをしたり、人に喜ばれることを真剣に考えたとしてそんなこと少しも考えず勝手に生きた人間と、どちらが幸福なのか。けっこう自分勝手に生きても、大差ないのかもなあ。などと無為徒食の老人は、今日も飽きもせず誰にも命令されず自由勝手に生きているのでありました。神様沢山たくさん有難うございました。
2021年01月19日
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1月15日しいちやんのアトリエ舞踏702ジョージヤマモトの世界今年はコロナ籠りでコートが売れて、高いものから安い2000円のバーゲンものまであふれたせいか若い女性のオーバーコート姿が目につく。新しい伝統的なクラシック・ファッションもうまく身につけている。北風が三回吹けば春になる当地静岡では、とても珍しい現象だ。 ちなみに静岡県の家庭の主婦様のオーバーコート所有率は日本中でも低いほうだろう。暖地で車移動が多いからともいえるが。私は40年間着つづけたコートが何枚もあるが、だいぶ娘にやったがまだ残っている。もったいないので、冬の外出に家着の上にぼろ隠しに着ることが多い。ほかにも古いものはたくさんあるが、年代ものでは毎日外出にかぶる黒い帽子のブランドが、この間死んだタカダケンゾーでなんと40年間も冬が来れば毎日被っていたことになる。ボロにもならず、たいして汚れもせず・・多分死ぬまで被りそうだ。おなじく40年着続けている超寒さしらずのウールの黒白杉綾のジャンバー。これはモリハナエ・ニューヨーク。このパリとかニューヨークは冬が寒いのでおなじモリハナエでも素材が絶対的暖かい。娘が若い時、スキー場で腰のところにストーブの焼け焦げをつけたが母が繕ってくれ延命、いまだ朝晩の冬の散歩にかかせない。母と私の和服がタンスひとさおある。着るわけではない。娘も着ない。どうしたものかと考える。売って家族旅行もいいが、あまり安いと・・全部洋服に作り替える案もある。ぶかぶかのロングの老人服だ。ずっとファンのジョージヤマモトの今年のカタログみたらワンピもパンツもブカブカドントン・・・こんなブカブカドントンは私の85年のファッション記録にはなかったことだ。一度だけぶかぶかパンツと、ぶかぶかワンピの時代があった。しめた。これだ。和服布のブカドンワンピを洋裁屋さんに頼んでみよう。友達にも分けてやろうか。などと本気で考え初めている。同じ服を40年も50年も着続けたわたしにできないことはない。なんて・・コロナ籠りで勝手な瞑想は続くのだった。
2021年01月12日
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1月 11日しいちゃんのアトリエ舞踏7012021静響ニュー・イヤー・コンサート2021・静響ニュー・イヤー・コンサート恒例地元企業提供のニュー・イヤー・コンサート、去年は抽選に外れたがコロナの今年は、市民会館大ホールに半分の客を入れる席数に、友人分と二枚当選した。地方交響楽団はくんぐん実力をつけて、ステージ数も増え後は客席の客の感動だと言うところまで成長した。プログラムのオープニングはベートーベンの田園。正月気分で編成するにはコロナもあり、日頃の実力発表のベートーベンときたか。ウイーン在住のソプラノ歌手梅津碧が喜歌劇「こうもりより」侯爵様あなたのようなお方は、詩中娘を演ずるには・・と色を添える。ニューイヤー・コンサートの楽しさは怒涛の様に、ウィンナワルツが押し寄せるのだが・・昔サントリーホールで本場のウイーンオーケストラを聞いた時はバレーもあり豪勢だった。大晦日の翌日の元旦の公演だったが、恒例とおり真夜中のホールで突然ドラムが鳴り渡り爆竹がバンバン爆ぜると天井のくす玉が割れ、すごい分量の紙吹雪が客席に舞った。みんな互いにとなりの席同士ハツピー・ニュー・イヤーと声をかけあう。あちらではハグやキスもありという。客席は全席降りやまぬ紙吹雪の中。ニューイヤーだあ。その夜は娘と初詣客に交じり電車で娘の家に帰った。その後見た国立劇場でのウイーンのオーケストラのニューイヤーコンサートではバレエの小さい舞台がみられた。越年のお祭りだから、もっとワイワイしていい。日本人はいつもつつましい。その夜のコンサートは町内のホールだったが、間違ってグランシップに行ってしまい、あわてて戻ったがベートーベンの田園は聞けなかった。面倒なベートーベンを聞きにきたんじゃないワイワイ、ニューイヤーだい・・ものすごい紙吹雪が舞う舞台は歌舞伎の若かった玉三郎の鷺娘、雪吹雪の中で死んでいく白鷺がとにかく美しかった。このあいだテレビで久しぶりに玉三郎の鷺娘を観たが、息を飲むあの激しい踊りはなかった。そして歌舞伎18番の劇場版、猛吹雪の山中腰紐で女の首を絞める「封印切」。番頭が女郎を受けだすためにお店の集金の小判の封印を切ってしまう。逃げる二人、大雪の山中の場、首をしめてくれと紅い腰ひもを解きせがむ若かった小柄な寺島しのぶの白い裸足の足が背伸びをする。二人の亡骸にしんしんと雪が降り積もる。ヒロインがすごい大量の雪の中に埋もれて死ぬ中国バレエ団の紅いランタンのラストシーン。倒れたバレリーナがみえなくなるまで雪は降り続く。その間いっさい音楽はない。妙に感動したが、あの後舞台の紙吹雪はどうして集めるのかと気になった。今年のニューイヤー・コンサートは家から5分の町内のホールだったが、間違ってグランシップに行ってしまい、あわてて戻ったがベートーベンの田園は聞けなかった。いや面倒なベートーベンを聞きにきたんじゃないわい・・ニューイヤーだい・・ウインナワルツだい。
2021年01月05日
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1月6日しいちやんのアトリエ舞踏701成人の門出閉店する丸井で初買い成人の門出今年の成人式の若者6000人が県営の野球場で集まるはずだったが、コロナ禍で代表だけが集まり式典が行われた。そのせいか駅前広場は和服の成人式の娘さんで埋め尽くされた。ちょうど買い物で駅にいつていたから、その派手さにはびっくり仰天。私はこの光景を見て日本の和服が世界で一番素晴らしい服装だと確信した。同じ柄や色は二人といない。それぞれが自分らしく最高に着こなしている。これぞ日本の文化のすごいところだ。男子の袴姿はみかけなかった。それなりに凛々しいはずだ。この和服文化は大切にすべきものだとつくづく思った。閉店する丸井で初買いセノバとトーキューと松坂屋を結ぶ洒落たケヤキ通りに丸井がある。閉店がきまり年末から大安売りの最中。息子と初詣に出ての帰り道にフラリ入ってみる。いろんな雑品のバーゲン中。箸と箸置きとしゃもじと、知らないデイズニーキャラクターのカラフルなヌイグルミを買う。くじ券をもらったが3回外れて、テイッシュペーパーを3個もらった。ヌイグルミは抱き枕用。闇に長い鼻を探りながら寝ていた灰色の象は、もうくたくたになってきた。今度のこの名無しのクニヤクニャ物体は、単に空色の丸まった塊に紫の斑点が散り頭はなく背びれと尻尾にも紫のヒレがついている。柔らかだがなんだか芯のありそうな感触が抱き枕にぴったりだ。だいたい市販の抱き枕は大きすぎるるしとても硬い。なによりすごく高価だ。この名無しさんは閉店割引ですごく安かった。これから私の睡眠パートナーだ。長く一緒に寝た象さんだって捨てないよ。右向きに寝る癖の私はどうしても左腕が宙に浮いてしまう。その左腕でふにゃくにゃの抱き枕を抱え込めば、即座に入眠できる。そのせいでもないが、85年生きて眠れなかった記憶がほとんどない。かなり太い神経かもしれない。その点だけは美人じゃないが嵐が丘のスカーレットのように明日は明日の風が吹くと、運命には逆らわず夜は寝てしまう・・有難い息子から老母へのお年玉だ。丸井のむかえのスパゲティー屋でワインとボンゴレを頼む。いつまでたってもボンゴレがこない。しかたないからポテトフライを食べる。店員に聞くと店長がすつとんできた。すぐお持ちして代金はいらないと言う。新年早々スパゲテイーのただ喰いとは・・どうせ暇な一日こいつぁー春から縁起がよいわいと言うわけでなかなかうまいボンゴレを食べて、夕暮れの駿府公園を歩いて帰宅した。どうということもないこんな一日が、実は幸運の一日だったと、年ごとに思いだすに違いないと、ぼんやり考えながら・・
2021年01月04日
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12月31日しいちゃんのアトリエ舞踏700年内初詣コロナ禍の年内初詣、85年の人生はじめてのことだ。今日は近くの天満宮で丑の背を撫でて御籤を引き、歩いて浅間神社にも参る。二つの御籤の良いほうを財布に入れ、残りは古いお札所に収める。家の新しいお札も買い、古いお札は収める。長い習慣だ。今年はコロナで年内にやってしまうのがおかしい。けっこう人出があるだろう。混んで悪いが神様も勘弁なさるだろうから。歳をとっても、年々すごいドラマがある。知らなくて死んでしまえばよいものを、ながなが生きているばかりに好むと好まないにかかわらず、人間の裏側をみてしまい時に敵役にされて、長い不遇の時代も送る。ああ これが人間の本能なのかと、老いて思う。それでも清く正しく美しく・・少し宝塚に似た昔の女学校のモットーを思い出しこの忌まわしい人間の悪性を、少しばかり憐れに愛おしくも思うのだ。シスターの病状が不明のままの越年。生きておられるのか。コロナで今年はなかなか会いたい人と会えなかった。会わずにいると、会う遇うとは心のことで、逢いたければ逢えることに気づく。メールやラインや電話が変わりをする。SNSも問題を起こしながら、代理をしている。それでも逢いたいとは、愛したいのだと思う。そうして人間はずっと昔から、たがいの心を温めあって、生きてきたのだと・・すべてが不確実の時代に、せめて互いの心を温めあう愛の世界を大切に生きたい。人と逢う、人とすれ違う、人と会話する・・・みんな心の温もりを求めている。それだけは確かだ。一年の計は元旦にあり、私の新年の計は人を愛して生きていこうと決めた。たとえ不幸なめにあおうとも・・
2020年12月27日
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2月24日しいちやんのアトリエ舞踏707チャンバラ時代チャンバラ時代実際、幾たびか強大な敵に囲まれ、さんざんな目に合うと事実は小説より奇なりと考えるようになります。チャンバラ時代の仇うちみたいなことが、この世で行われているとは皆さんもまづ考えられないでしょう。なんの因果か、それが実際おきるのですから混乱します。こまかいことは書きませんが、なにゆえにこうも戦の対象にされるのか言えることは、たしかに私の権限なりキャッシュなりが突然無法に奪われ、丸裸にされたということでしょう。これまでに男女2名づつ・・4人の敵に無法に金銭や仕事を奪われました。突然ある日、大勢の部下を従えた相手に襲われたこともありました。気が付けば真冬の野原に丸裸でほおりだされたのですから私はよほど馬鹿なのでしょう。それにしてもその部下の人たちが、ちゃんと考えて行動したのかは今もかわかりません。近頃snsの言葉の暴力で自殺者が出た事件で、真犯人を特定できる法や無責任に参加する人たちの行動が社会的に問題になっています。実は私も以前何回か、その無責任に参加する人達.について不信感を持ちました。いろんなことがあれましたが今も元気に人間を信じて生きているのですから、よほど私は馬鹿かとんまです。そして私自身けして人を傷つけずに生きてこれたことを誇りに思うのです。そして気づいたことは、まだまだ日本はチャンバラの国ということです。多くの人がとりあえず権力に従うことで、無法が存在し続けるのですから.わからないことを書きましたらごめんなさい。愚かな私にはこの後もまだまだ事件は起きるでしょう。もうへこたれません。私は自分の信じた道を歩き続けます。昨日静岡市の市会議員選挙の看板が町内に建てられました。どんな議員が選ばれるのでしょう。女性の社会参加が世界で122番目の日本の選挙です。去年の赤ちゃん誕生は最低を記録しました。人口がマツクスを迎えて老人が増えると当たり前のことですが、国家の総生産量はさがっていくそうですね。それが国力の低下です。赤ちゃんは女性が産むんですよね。そして育てるのもおもには女性です。ここの問題を解決しないとなかなか良い国になるには時間がかかりそうです。大金を握ったオリンピック代表も、怪物を先生と呼ぶ国会議員に変わりました。なにごともあまり変わりません。122番目の女性解放の遅れた日本の未来は果たしてどうなるのでしょう。私は何も考えず黙ってついていく群衆こそ海に向かって溺れるレミングの鼠だと思います。そろそろ日本の女性も、自分で考えなくてはならない時にきているのではないでしょぅか。なんて今夜は老婆が言いたい放題でした。ごめんなさい。
2020年12月22日
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12月22日しいちゃんのアトリエ舞踏698コロナの冬こもり遅い静岡の冬も今週あたりから、ようやく朝晩の気温が低くなつた。遅い日の出の7時頃に息子と駿府公園を散歩する。私が足を痛めたケアーではじめた習慣だ。城内の色ついた樹々の葉はほとんど落ちて裸木が寒そうにたっている。土手の大銀杏が、最後の頑張りをみせているが、早く葉を落とした桜は、すでに芽をつけもう春ははじまっている。土日ともなると、犬と飼い主の小さな集会があったり、見たこともない犬種の犬を颯爽と連れて歩く若い夫婦とすれ違い、にぎやかだ。アメリカでは前から犬種ごとのソサイティーがあり、情報交換や子犬のやり取りがさかんらしい。日本でも捨てられた子犬子猫や飼い主探しの活動がすっかり定着した。それでもかなり殺される犬猫が多いと聞くから、後ひとふんばりだ。鳩やスズメやカラスは相変わらず群れて飛び回り元気だ。元気なのだけ飛び回るのか、わからない。途中、一握りの鳩の餌をまく。待っていたのか、ひと群れの鳩が集まりついばむ。寒い冬でなければ、内堀のベンチでと一休みして、コンビニのコーヒーを飲んでいるときまって何匹か同じ鳩が来る。コンビニのハツシュドポテトをひとつ細かくして撒いてやる。御馳走なのだろう。すごくうれしそうなのだ。登校の小学生が低学年から高学年になる頃、同じ城内の家に戻る。堀に鴨たちがやってきた。群れをつくりのんびり移動する。静岡の冬は短い。一月がすぎるとアッというまの春だ。叔母が縫ってくれた絣の綿入れの半纏とちゃんちやんこを着ている。木綿の下着を新調した。厚い大きな靴下をはいている。コロナ籠りに暖房と加湿は十分だ。ふとコロナの冬を楽しんでいるのかと思う。
2020年12月22日
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12月14日しいちゃんのアトリエ舞踏697コンビニの100円野菜コンビニの100円野菜最近コンビニに百円野菜コーナーが現れた。立派に育った野菜だ。キャベツ、白菜、キュウリ、玉ねぎ、ジャガイモ、トマト、大根・・私のよく行くニツセキ前のヤマザキでは、静岡の海岸の久能の農協が出している。安いので思わず買いこんで、もてあます。しかしスーパー泣かせだ。そろそろ夜は寒い。そこで近頃家にいる息子と百円野菜の鍋もの。ブタ肉や鶏肉、豆腐、魚・・野菜、白滝・・なんでもいいから、切ってテーブルに置く早く食べたい息子が働く。ラクちんラクチン。しかし、スーパーの野菜売り場はどうなっているかなと、ふと気にかかるのである。冷凍技術が進み今は肉野菜の他、魚まで普通に大きな薬局で売られている。追われるスーパーも大変だ。ところでうまいものの定義は複雑だが・・私の場合毎日、目に触れるものは飽きることを発見した。その点、たまに行く広いスーパーでぐるぐる周り回って、迷い迷って籠に入れる野菜は新鮮にうまいのだ。その点コンビニの狭い棚に並ぶ野菜はどうしても飽きやすい。しかし100円だ。ただのようなもの。感謝することにしよう。高値の花のメロンの4分の1カット800円をちらちら眺めて行きつ戻りつ・・ああ 食べたい。食べたい。思い切って買う。一人で食べる。うまい。うまいなあ。うまいものの定義はなんだろう。芥川龍之介の芋粥はやはり名作だ。
2020年12月04日
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12月2日しいちゃんのアトリエ舞踏696クリスマス町内の教会のフェンスと教会にネオンがついた。ちかくの教会にも、長谷通りの角の喫茶店にも豪勢なネオンが今年もついた。クリスマス・シーズンだ。中学生から友人だったシスターがいる。東北の幼稚園から大学まである学園の総長を長くしていたがようやく今年で役を解かれるから、また会えるねと電話で話したばかりだった。なんでも事務室の前の池に白鳥が飛んで来るというから一度現役中に訪ねていこうと静岡の友人と楽しみにしていた。今年もクリスマスのケーキのシユトレーンを送ると手紙をだしたのだが県の文学連盟で出す本に私のショートが載ったので送ったところ今日突然シスターから電話がかかってきた。体調を崩して検査したところ難しい病気なので、飛行機に乗れる状態のうちに、東京の病院で治療することになるがまづ助からないだろうと。立場上知れると騒ぎが広がるので、いっさい内密にしていると言う。ただ私にだけ伝えておくと言う。私は咄嗟に゛でどうなるの?゛と奇妙な質問をした。シスターは淡々と答えた。そりゃぁ天国に行って長くお仕えした神様にお会いできるから心配はないわ。そしてずっとあなたのこと祈ってあげるわ・・ そうだった。シスターに祈ってもらうことで、どんなつらい時も私はいつも我慢できた。そして死んでも母や犬のプーのいる天国に行くのだから・・とシスターに祈ってもらうことで、不思議な安心があった。゛入院先や名前を出すと病院に迷惑かけるから、これで連絡は終わりよシュトレーン食べられなくて残念だわ゛電話は向こうから切られた。45年も前、ローマに行った私が、馬小屋のキリスト生誕の木彫りの飾り物を秋田のシスターに送ったら、クリスマスに教会に飾つたよとすごく喜んでくれた。それからクリスマスが来ると、今年も飾ったと電話をくれる。そういえば町内の教会にもないから、シスターは自慢だったのかもしれない。そしていつも終わりに、祈ってあげてますから安心なさい。と言ってくれた。シスター私はどうなるのですか? ずっと祈ってあげるから安心なさい。じゃあと電話はきれた。今年の夏の脚の入院では、涼しいし仕事はないし食べ物がうまいあなた天国よと笑ったばかりだった。来年必ず秋田に行くから元気でいてくださいと、話したのに・・シスター生きていて下さい。
2020年12月02日
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11月28日しいちゃんのアトリエ舞踏695ワイン屋さんがやってくる本屋さんが減ったワイン屋さんがやってくる時々若いワイン屋さんが家に見本の入ったクーラーをもってやってくる。どうやら次の訪問先との時間つぶしに電話してくるらしい。下戸の私がそれほど買うわけじゃない。かれこれ5年たっても名前を覚えられない。靴が妙にとがった靴をはいているから、何年たっても靴の尖ったワイン屋さんだ。下戸の私は、勝手に自分専用の脚の長いカットグラスを取り出してとりあえずドイツかハンガリーの甘いアイスワイン飲ませてもらう。うまい・・のである。がどれもけっこう高価だ。次は南米あたりの値ごろな出来のいい白ワインを飲ませてもらう。そして終わりにボルドーの高価な赤ワインを少しだけ飲ませてもらう。実は赤が好きなのだが、それも濃い味ですっきりした赤はなかなかないものだ。この間ボルドーの一万円の赤を飲ませてもらった。実にうまかった。いつでもこんな赤を少しだけ楽しめる暮らしがしたいと思ったものだ。今年のボジョレーが解禁した。今年はブドウがいい出来だったそうだ。娘の家に6本、その子さんに2本だけ解禁日に届くように送っといた。しばらくしてワイン屋さんから電話があった。今年のブドウは出来がいいそうだが、コロナでボージョレーが売れ残ったそうでかなり割り引くからいかがというではないか。コロナもボージョレーにまで影響したかと、少しだけこれは自分用に頼んだ。だいぶ夜も寒くなってきた。冬の夜長に少しワインでも飲むかと・・夢は歩けるうちに、フランスのワインの村を訪ねることだが夢は叶わないから夢なんだなあ。それでも夢わ口にしてみるとなんだか若やぐよ。本屋さんが減った9月街中から駅前の戸田書店が一軒抜けて不便になった。かつて静岡の街中の通りには、4軒も大きな本屋さんがあった。子供の頃、私は何軒もまわって一冊の本を読み終えたものだった。街中には駅ビルの谷島屋とショッピングセンター5階のジュンク堂の二軒だけになった。近くの5階のジュンク堂まで歩いて行く。戸田書店が閉店してキャッシャーが7台になり、繁盛している。5階フロアーの半分を使い、図書館なみに広く、廊下には読書用椅子も置いてある。夜は9時までやっている。家から歩いて片道15分往復30分の散歩コースだ。これと言って買う予定はないが、休みの日に息子と一緒の時が多い。よく買うのはミステリーの新刊だ。じっくり推理するより今は映画並みのスピードに疲れることがある。ドラマのテンポは時代で変わるものだなあ。ときどきクリスティーのミステリーを懐かしく思い出す。足の疱疹で長く家に籠って、暇つぶしにいろんな本を読んだが・・よくよく考えると脳みそは不思議な物体だと思う。どんどん本を読んでも読んでも、どこにいくやらけしてとどまらない。それが、ある時フラリと現れるのである。へんだなあ。本好きな息子が一緒の時が多い。店内をぶらりぶらりと回遊して夜の堀端を家路に着く。今は空が澄んで月がきれいだ。
2020年11月25日
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11月18日しいちやんのアトリエ舞踏694早朝の芦ノ湖遊覧船コロナよ老人の楽しい時は奪えないぞ85年の人生ではじめてのことだ。いつだって逢いたければ逢いたい人と、それが当たり前のように逢うことができた。コロナが長引いて、今はもうどんな顔をしていたか、どんな声だったか、ちゃんと覚えていない人もいる。メールする娘やその子さんなら、今までと何もかわらない気もするが・・ただ実物の顔はだんだん忘れていきそうだ。それでも娘家族と息子とはコロナの禍中を潜り抜けて、五月と11月の連休に近場の山中湖と箱根でのんびり会うことができた。いつものメンバー、どうと言うこともない旅だ。昼は車で走り回り予約制のプライベートの広い露店風呂に浸かり、紅葉の山や湖を愛でて、夜は満点の星を仰ぎ、なんと朝6時の日の出を露天風呂から見ることができた。そして旅のハイライトはなんてったって馳走。全員健康な胃袋の持ち主だ。わが家では、ゴーツー企画はなかなかの好評だ。コロナがなんだい。残り僅かな老人の月日を掠める権利はないぞ。正月のゴーツーを楽しみにしよう。
2020年11月18日
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11月13日しいちやんのアトリエ舞踏694高橋さんのおばさん高橋さんのおばさん忘れられない人に高橋さんのおばさんがいる。子供たち二人に私が仕事で留守の間ほんとうによくしていただいた。ご主人は北海道の炭鉱で働き、静大に来た息子さんに暖かいとすすめられて静岡にやってきた。お裁縫が上手で娘に可愛いい人形を作ってくれたり子供の好きなおやつや夕食まで用意してくれた。私の人生で一番有難かった人は高橋さんのおばさんだろう。忙しさにかまけて、申し訳ないが子供が巣立った後お会いしなかった。手があくとこどもたちによく本を読んでくれたり、いろんな話をしてくれた。ご自分の息子さんは二人とも学校の先生になった。そのおばさんがある時私にこんな話をしたのだ。いろんなことはありましたが、一生嘘をつかないように生きてきましたと・・私は40代で人生ごちゃごちゃしていて、えっそんなことと驚いたものでした。老人になって振り返ると、少しづつおばさんみたく生きていこうと考えていました。嘘をつかない生き方は、人とぶつかることもいっぱいあります。それでもそれでもです。こころが爽やかなのです。今はしみじみおばちゃんに会えてよかったと感謝してます。
2020年11月13日
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11月9日しいちゃんのアトリエ舞踏693月日のたつのははやいものだ月日のたつのははやいものだむかしの一口噺に。あるとき、年と月と日の三人が連れ立って旅に出た。日も暮れて山の麓の旅籠に泊まる。風呂に浸かり夕飯も食べ旅の疲れで年月日とも早く眠りについた。朝になり年が目を覚ますと、となりの布団にいるはずの月と日がいない。宿の女中さんに聞くと、二人とも早く出発されましたと言う。月日のたつのははやいものだなと、年は呟いたそうです。この話のように、月日のたつのは早いものです。暑い暑いと言ってる間に、もうすぐ北風が吹き始めます。不思議なのは、年が過ぎるのは早いものだとあまり言われないことです。時の単位が大きすぎて、子供や若い人には扱かいにくいのかもしれません。85歳の私でも、たぶん年の過ぎるのが早いとは言わないでしょう。月日のはんぱな時間ならどうでもいいのですが、大事な大事な年が早くすきることは老人には死ぬことですから。ところが生意気いうと、生きるとはズバリ現在のことであり過去や未来とはまた異なる気がします。その現在が過去や未来にしっかり繋がっている時間のカラクリ・・何年生きても不思議です。無声映画も百年たてば、自分の映画は芸術入りするだろうとは、セリフの入ったトーキーの初期にチャップリンが残した言葉です。そして今や彼の言葉通りになつたのです。明治にはいって話す言葉と書く言葉を同じにした、日本の現代詩や小説の文学作品も百年を経てようやく真の芸術入りをしたのだと思います。不思議ですが古典がなければ現代の芸術が光りを発揮しないと思います。屁理屈書きました。老人がいるから若者は美しい?なんてね、今朝は穏やかな小春日和です。皆さんお元気で。
2020年11月06日
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11月5日しいちゃんのアトリエ舞踏692ゴーツー割引で箱根へ半額の旅※ 箱根大涌谷ゴーツー割引で箱根へ半額の旅娘家族と箱根にいってきた。二泊三日箱庭の箱根を駆け巡り和洋馳走攻めのゴーツープラン。これは菅さんの大ヒットだ。あれやこれや50%ダウンのめったにないデラ旅。。高級会員制ホテルに4人二泊朝晩の馳走攻めに、ウエルカムとディナーにシャンペンつき。薄の仙石原にも行った。珍しくケーブルで大湧谷に行き黒い温泉卵を食べた頃は山霧がすっかり晴れていた。二日目晴れ。ポーラ美術館はモネの水連を集めていた。芦の湖に降りて土産物屋で寄木細工の小箱を買う。湖岸のハム屋でいつものベーコンを買う。軽井沢にも特別うまいベーコンを売る店がある。流行ってなさそうだが、富士山の裾野にもベーコンを作る小さな工房がある。高いがじつにうまい。どうやら寒い時期は小さなムロで自然干しをするらしい。気温は暖かかった。芦の湖は海賊船も走りにぎわっていた。三日目、新しく川沿いにできたアメリカのホテルでビックハンバーガーとビールのランチを食べた。ハンバーガーが馬鹿でかい・・給仕はアメリカ人みたいデブな日本女性が二人。簡素なエントランスと建物・・ボーイも制服がなくシャツにジーンズ。いらっしゃいませもない。この文化に馴染むのは少し時間がかかる。そして小田原で娘と東と西に別れ帰路についた。よく食べたなあ。85歳はまだまだいけるぞ。自由な旅をしたいなら足は鍛えねばなるまい。なぞと25分ですぐに静岡着。家族とゴーツーに感謝。いい旅だった。
2020年11月05日
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10月31日しいちやんのアトリエ舞踏691時を超えて時を超えて9月下旬、足にできた腫物で体調下降、10月中家に籠つた。結果脚力の低下が激しく、朝晩二度の散歩ではなかなか回復しない。脚力の衰えは脳の思考力に直結し、半分無思考状態で30日を過ごす。遅れた小説仲間とのアンソロジー編集をやっと始める。人間最後に何をしたいかは、人それぞれだろう。私の別れた亭主は94歳にしていまだ老人ホームで、独り酒を飲み暮らしている。だれよりも酒の神バッカスに愛されたのだろう。人間の生きた最後として満願だろうと思うのだ。これほどに生きる目的が絞り込まれ生き続ける人間は少ないだろう。俗世のつきあいのあれこれに、振り回されてしたいことの一つもできず気づけば歩くこともままならないのが老人だ。そのことを考えると私は思い残すことはすくないことに気づくのだ。愚かな人間は、成功不成功を問わなければ、やりたいことはやってしまうものだ。それが失敗ばかりでも、なんの思い残すことはない。ただ老境に入り実は一番恐ろしいのが人間だと気づいたのだがそれもおくての私にとって貴重な体験だったろう。いまにそんな話はすっかり忘れて、この世は美しいと思いつつ死んでいけたら最高だ。娘からオモチャに貰った中古の馬鹿でかいワープロが、私の後半の嵐の人生を支えてくれたことに心から感謝して、これからもキイを叩いて生きていけたらと思う。この号打ちかけて公園のおでんやにでかけました。広場で母の里の村の若者が太鼓と踊りのパフォーマンスを盛大にやつてました。私は戦中山谷の村で母の叔父が主催した劇団の話を私の小説の師匠に書いてもらってましたが、やっと出版の準備にはいったばかり。広場のプフォーマンスを観た途端、その小説が、夢の舞台化につながる・・その時代を超えた人間の叫びをつないでみたい・・忘れられた村民の情熱が、80年の時を経てふつふつと迫ってきたのです。時を超え時代をよみがえらせる小さな仕事をしてみたいのです。私が師匠の原稿を受け取り出版を何か月もほおっておいたのは怠け者でもなかったのです。このチャンスを待っていたのです。ゴーツーバック金にお金を足して、今日から箱根に二泊でコロナでずいぶん逢っていない娘の家族に会いにいきます。その間、下の孫の就職も決まり、姉も仕事に慣れてきて娘夫婦もこれでやれやれです。箱根から帰ったら早く師匠にこのことを話し、この件で田舎の従弟と太鼓の会の会長を訪ねよう。後は亡くなった村の役者の魂が、ことを運ぶだろう。この件は静岡県の劇団スパックにも、話してみよう。あまりの行動の飛躍に自ら詐欺師と名乗る私だが最後の詐欺を働いてみたくなったのだ。
2020年10月31日
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10月22日しいちやんのアトリエ舞踏690やっと出た低気圧頭痛薬蕎麦屋の二階。やっと出た低気圧頭痛薬前々から低気圧の接近で体が不調になることは言われていたがひどい人は市販の普通の鎮痛剤ですませていた。それが先週名前は忘れたが、薬屋の店頭で低気圧頭痛薬なるものが、売り出された。濃い空気が体をしめつける感じがするのは事実だ。子供の頃雨が続くと長靴はいて傘さして、とりあえず町を歩くと、気分が晴れたものだった。年をとると横着になり家に座っているから、長雨には弱い。なんとか体を動かす手立てを考えないと、老化は進むばかり。どうにもならない時はこの新薬を飲むのもありか。なんだんかだありがたいことに生涯旅は晴れ女。傘のいらない女だ。駅についたらピーカン晴れ。なあんだホテルで待てばよかったんじゃん。人間ひとつくらいアタリがあるもんだと思う。珍しく体調崩して、コロナ籠りをしていたがぼつぼつ復活だ。脚力をつけないといけない。GOTOとやらの半額の旅にこれではいけないぞ。蕎麦屋の二階。蕎麦屋の二階で酒を飲んだ昭和は終わり、平成令和とせちがらい時代が続く。江戸の名残で東京の老舗のソバ屋は、昼から焼き鳥とイタワサがでる。今週息子と行った老舗ソバ屋で、いつもの天盛りにイタワサと焼き鳥を頼んでみた。焼き鳥はないが、厚切り蒲鉾が4切れに摺りたてのワサビが角皿に載ってきた。天盛りが来る前に、酒はないがワサビを聞かせてイタワサを食べる。うまいうまい。食は楽しまなければ、金を払う意味がない。娘の家の近くの民家風のソバ屋は、値段が高いがひととき長野の旅に出た感がある。これはけつこうはまる。単に空腹を満たすためのようだが、実はココロの風穴をふさいでいる。家族で食べればなおのこと・・人は何故日に三度も食事をするのか不思議だったがなあるほどね。少しわかったような気がする。
2020年10月24日
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米すみません。※689号同じ内容が二度出てしまいました。10月15日しいちゃんのアトリエ舞踏689スタンドデスクを買ったらスタンドデスクを買った。エンチョーで12000円で買った。原稿打ちも座り仕事で、長時間やると腰と足にくる。スタンドデスクはどうか。台所しごしをしながら、その辺に置いたデスクで芋の味をみながら横で気楽に原稿を打つ。キッチン・ライターは多いが、たいてい椅子に腰かけ食堂テーブルで打つ。我が家はワイハイだから、どこでも線をつなぐ必要はない。小さなデスクを転がして、どこでも行く。と言っても狭い家具がゴタゴタしている。さほど自由はない。だがだがである。意外な発見をした。ココロが自由なのだ。これは大事なことだ。もう40日ちかく左足の帯状疱疹で、なかながと家に籠っていた。心理的につらいものがある。気が付くとたいした変化はないのに、のびのびと心が自由になっていた。そうか。ちぢこまって閉じこもるのは最悪だ。ほんの小さな変化で情勢は変わる。立って自由な場所でパソコンを打つだけで長い蟄居暮らしの澱が溶けていった。きまりのないのが自由なら、自由でいれば幸福ならなあんだ、そうだったのか。これからは自由に自由に生きてみよう。
2020年10月15日
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10月9日しいちゃんのアトリエ舞踏688ご無沙汰しております俳句三句ご無沙汰しておりますコロナのせいではありません。左足にできた腫物で9月から蟄居してます。医者が人生で一度はなるものだから、気長に家にいるように、その年まで元気なのは上等だというのです。だいたい9月はじめの突然の連休で、抗生物質の使用が途切れたのが原因です。どうやら簡単に治るものではないらしく、覚悟をきめて籠っています。籠ってみると住まいから歩いて10分のデパートで息子の休日は一緒に買い物ができる程度の隠遁暮らしですが長期の引きこもりで、どんどん一人時間が増えていきます。薄められた時間がどんどん増えるわけで、脳の老化の過程がよくわかります。やっと9月末日締めの県詩人会の原稿を、30日に速達で送りました。これから遅れていた仲間のアンソロジーの編集出版にとりかかります。思えば85年生きて非生産的な下手くそなものを書くなぞという最後の楽しみに辿り着くとは、人生はおかしなものです。もうしばらく蟄居の身です。ひょっとして退屈かもしれない天国に行く練習だとしたら、まじめに退屈をしようと思います。駿府公園五句 境田静代一輪車舞うや十六夜体育館チビッコのサッカークラブ月あがる紅葉の公園会議犬と人鳩と顔見知りとなって秋にいる
2020年10月09日
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9月21しいちゃんのアトリエ舞踏689スタンディングデスクを12000円で買う 古いハリウット゛映画を観るスタンディングデスクを12000円で買う 前々から運動不足を補うためにスタンドデスクを買う予定だった。よそのデーケアーでスタッフが立ったままで事務処理をしているのを見かけてからパソコンの打ち込みも、立ってやれば台所仕事のさなかでも気軽にできるし、弱い足腰には運動にもなると、パソコンで価格を調べていたのだが今週家庭園芸用品のエンチョーにでかけたらなんと12000円で売っていた。迷わず買い届けてもらい、昨日組み立てた。キッチンとつながりの居間の窓際に置く。もちろん椅子は置かず気がむいた時にきままに打つ。夕飯の米をとぎジャガイモの皮をむく。そして原稿を打つ。立ったままだ。疲れるたらコーヒーブレーク。なんと快適。もともと足が弱いから、立っている疲れがでれば椅子に座る。ふと人間にとって、いや私にとって自由とは?少しだけ解けた気がしたのだが・・パソコンは椅子に座って打つ決まりはない。いつも読んでもらう下手なブログもなんの法則もない。時間と、人間と人間との関係に法則があるだけなのだ。慣れぬ立ち仕事に少し疲労。椅子に座りしばし今朝の新聞の読み残しを読む。と言うことで、突然広がった限りない自由をひととき楽しむ。新鮮なこの体験をこれからの自由な人生のヒントになればなんてね。充分自由人なのだが・・ニツケの香りの効いた紅茶を淹れる。ふとももの帯状疱疹からすでに50日、痛みは弱ったが後何日続くのか?すっかり腐っていたがようやく元気になれそうだ。スタンドデスクの12000円は効いたね。古いハリウット゛映画を観るBS午後1時から古いハリウッド映画をやっている。記憶に残っている名画だ。何本か観て感動した。映画つくりの本質がしっかりとあった。トーキーがまだ100年にならなかった戦後に言われたことだが、映画もやがて100年となれば、古典が残り映画芸術は深みをますます増すだろうと。文学も舞台も芸術はみんなそうだ。俳句と短歌は文語も口語もつかう道を辿ったが、小説だけはそうはいかなかったようだ。アニメ文化が広がったのは、日本の文学史の中の小説の特徴だろうか。私はアニメ映画を観ない。馴染まないのかもしれない。文字小説はしっかり本にして残してもらいたい。日本の文学芸術の多様性は大きな個性として大切に進むのがいいね。このコロナで委縮した文化が息を吹き返した時はどんな日本の文化になっていくだろうと、まだまだ元気に楽しみたい。
2020年09月21日
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9月15日しいちゃんのアトリエ舞踏687コロナ籠りでなくしたものコロナ籠りでなくしたものこの半年のコロナ籠りでなくしたもの、ズバリやる気と私の最後の時間。毎日なにもせず飯だけはちゃんと三食食べ続けた。この虚しさ。時は、サイレント映画のように音もなく私の残存期間を奪っていった。ああ人間はこんなにしても生きていくものだと、時の観念は人間にあって動物にはないなぞと、えらそうに言っていた自分が恥ずかしい。朝の日の出が少し遅れてきた。逆に日没はわずかに早くなってきた。このところ、夕方の散歩で城跡公園の広場のベンチに座り、夏の夕方の西の空の紅色のスペクタクルを、しばらく楽しんでいる。コロナ籠りで失くした習慣は多いが、これは新しい出来事だ。夕べは堀端の市民会館に何か月振りにともった灯りが、ゆらゆら堀の水面に揺れていた。半年ぶりのことだ。まだホールの予定は出てないから夜間の照明テストだろう。だんだん元の街に戻っていくのがなんだか嬉しかった。1945年私が10歳の6月、空襲で静岡市はすべて焼き尽くされた。姉と必死に逃げた大浜海岸の浜に上がった木船の下にもぐり海から頭上すれすれに飛んでくるB29の編隊に怯えて朝を迎えた。一夜のうちに町は焼き尽くされ、街から大浜海岸の松並木がはっきりと見えた。しかしすぐに焼け跡に闇市がたち、力強く街は復興していった。東大生女子の死者の出た安保デモの夜のことも忘れられない。私は日比谷公会堂で初来日公演を逃した二度目来日のボリショイレパレエを観て有楽町の駅に向かうと雨が降り始めていた。内回りの山手線に次々と学生らしい怪我人が友達に抱えられて電車に乗り込んできた。血を流して床に横たわる学生もいた。みんな必死の顔をしていた。神田と次の駅で彼らは降りていった。怪我人が横たわった床の部分が、雨の雫でびっしょり濡れていた。乗り合わせた他の乗客たちは無言だった。彼らは警察の追っ手を逃れられただろうか。家に戻りテレビで安保反対の国会議事堂前の学生デモを知った。あの夜の日比谷の堀は周りの光にきらきらゆらと美しく揺れていた。人間の復活のエネルギーはすごい。街がビルが工場が家が残っているだけコロナからの復活は早いだろう。85年の私の人生で敗戦の1945年とコロナの2020年は記憶に残る年となつた。さてもさても・・いくばくとない残り時間を感謝してゆっくりと味あおうではないか・・
2020年09月15日
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9月6日しいちゃんのアトリエ舞踏686蕎麦 うどん蕎麦 うどん堀に囲まれた静かな家康公の城跡に住んで15年、四季折々の風情のある城址公園の散歩を楽しみ、買い物は日が沈み少し涼風がたつ頃に堀の道を歩いて15分の街に出る。伊勢丹前の四国の丸亀うどんのお持ち帰りのできる冷たいかけうどんと揚げたててんぷらは、夏の夕食に便利だ。たっぷり大きなサツマイモの天ぷらが実にうまい。いろいろ天ぷらスタンダードはあるが、どれも大きくてうまい。うどんは毎日粉から作って注文を受けてから茹でるからうまい。なんてっても安い。昔、亡き勘三郎の四国金毘羅歌舞伎を観に、列車を乗り継いで行ったことがあった。とにかく宿で朝も夜もうどんが出た。帰ってしばらくはうどんを食べなくなった。浜松あたりを越すと寿司も蕎麦うどんの味も変わってくる。どんどん甘くなる。私はやはり寿司も蕎麦うどんも江戸風がいい。東京暮らしは20代に10年池袋で子育てしたが、味はそまま江戸風になった。昔、その子さんと江戸のソバ屋に挑戦しようなどと思いたったのだが5軒で終わった。大江戸のこと暇もお金もなく無理な話だった。ところで東京の古いソバ屋は酒の肴に蒲鉾と焼き鳥を出すことを思い出した。これが乙なもので、酒を飲まない客には蕎麦屋は半分の仕事しかしていないと思った。最近街中に出店してすぐに店を畳んだ不思議な老舗ソバ屋がこの前北街道の通り添いに広い駐車場のある大きな店を出したのを発見した。寄ってみたら、さすが老舗のソバ屋、天ぷらがいい。蕎麦もいい。デザートの茹で小豆もよかった。次回使えるビールをくれた。さっそく涼しくなつたら友達と食べにいくことにした。哲学者のヨウロウさんが人間は目的に向かって生きる動物だという。としたら老人が今度蕎麦を食べに行くべか・・と先の相談をするのはいいことだ。
2020年09月04日
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8月21日しいちゃんのアトリエ舞踏685壱太郎愛之助の連獅子壱太郎愛之助の連獅子歌舞伎座も苦戦のコロナ禍中。先月、明治座に出ていたが歌舞伎座は実に一年ぶりの壱太郎。谷に落された子獅子が断崖をはいあがり、父と子が赤と白のかしらを揺らす豪快な舞。関西歌舞伎の名家、歌舞伎界長老の孫、中村扇雀の息子。小柄な壱太郎は女役をやらせたら別格、踊りは祖母の吾妻流を継ぐ。コロナ騒動の8月、半年ぶりに一幕ごと空席にしての開演。愛之助と組んだ連獅子。壱太郎と愛之助のコンビは何年も前に和製ミュージカル「美女と野獣」を観た。和洋混載と言うか、奇妙な不思議な舞台だったが・・テレビで人気沸騰中の二倍返しの芝居で、おおいに存在感を増した愛之介。歌舞伎の家の生まれではないだけに苦労もあったろうが、とみに貫禄がついた。世の中、仕事はワンチームでなくちゃ、うまくいかないもの。舞踊の名手の壱太郎が、谷に落とされても父を慕う愛らしい子獅子を充分に表現できなかった気がする。高度の踊りのあまり、前から二番目で観たのだが、花道で息をきらしかなり汗をかいていた。父獅子に許された喜びが伝わらなかったのだ。ここは親子の情愛の踊り、深い情を見せなければいけない。名門の壱太郎であっても、外から入った愛之助であっても足を運んでくれた客のために、二人は気を合わせて踊らねばならない。愛之助は観客に大きな父親の愛を語り、壱太郎は父に認められた子の喜びを観客に伝えなければならない。役者は客の前に常に最高の舞台を演じなければならない。実に難しい職業だと思う。そしてファンはいつも最高の演技を期待するもだ。壱太郎がんばれ。愛之助がんばれ。長生きしてまた観にいきます。
2020年08月21日
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8月17日しいちゃんのアトリエ舞踏684静岡発ハンバーグハウスさわやかの快進撃静岡県限定ハンバーグハウスさわやかの快進撃開店した御殿場アウトレットの新店がすごい。12日山中湖の朝の赤富士を見てホテルの朝食をとり、御殿場のアウトレットに回ったのは、昼を少し過ぎていた。コロナ休みも明けて、新しいビルに新店が入店し賑わいをみせる御殿場アウトレット。その中でも人気店が静岡発のハンバークのさわやかと、沼津の魚河岸すし。さわやかは県内中心に快進撃を展開しているが県内を出ないのが、逆に噂を呼び御殿場には神奈川東京勢が来るという。10日コロナで山中湖のホテル初日の夜は夕食がなかった。腹ごしらえだ。3時過ぎ、立ち寄った御殿場店は二時間待ち。客は携帯で入店の時間を確認する。早く着いた娘家族が予約をとり、ようやく話題のハンバークにありついた。12日帰りに寄ったアウトレットで、新開店のさわやか支店がまたしても人気炸裂。午後の2時には予約終了。店内は客が満杯。もはや伝説のハンバークとなり県外の人から、尊敬の念をもって語られるのだ。静岡市の近くのショッピングセンターにもあるが、いつも2時間待ち、今は携帯連絡だから行列は少ないが以前は5階の食堂街を待ち客がワイワイしていた。われわれはアウトレットの新レストランの比較的待ち時間の短い魚河岸ずしに入った。静岡市の店と違い、ネタが新鮮で超でかい。こちらも勝負かけている。私は江戸前が好きで野暮なネタが大きい寿司を嫌いだったが、ご存じテーブルのパッドでオーダーすると、寿司を乗せた皿がレールを走ってくる。食べて驚いた。暖かい寿司飯、超新鮮なタネ・・これはいくらでも食べれる。大事なのはそこそこの値段。みんなこの旅をおおいに満足して、御殿場駅で別れた。コロナ騒動でホテルの食事がない日もあったが、たまにはよいものだ。娘はフリードリンクのラウンジが好きで、暇があれば正面の富士を見にいく。それと山の中の林に囲まれた小さな野天風呂も、客をしぼったせいか娘と二人だけ、朝の太陽の光の中で小鳥の声を聴き木漏れ日の中でゆつくりした。コロナの旅も悪くはなかった。
2020年08月17日
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8月23日しいちゃんのアトリエ舞踏685山中湖朝5時の赤富士SNS自殺の深い闇山中湖朝5時の赤富士 北斎の赤富士は朝描いたものか夕方描いたものか、よくわからない。写真は山中湖のホテルから歩いて10分湖岸から、娘が撮った紅富士だ。10人ほどの写真好きらしい男性が、静かに撮影をしていた。黙ってシャッターチャンスを狙う。長寿時代の写真好きは実は一瞬見せる人間やマチの姿を固定しようとしているのかもしれない。ゆつくりと紅富士に染まる富士を見てホテルに戻り、眠りなおした。何十年、家族で山中湖には来ていたが、早起きして紅富士を観たのははじめてだった。同じところを飽きず旅すると意外な発見があり、楽しいものだと思った。SNS自殺の深い闇スマホやSNSで噂を拡散されて自殺に追い込まれた事件が続く。犠牲者の親族が訴えても今の法律ではSNSの一番沢山打った人間を特定できるものの、捜査は世界の法律にひっかかるらしい。新たな人の殺し方かと言えば、下地は電話時代にあった。85歳の老婆の告白だが、私事とは言え私は電話時代に三度殺された。誰が仕掛けたのか証拠を残さない集団犯人が、この殺人の特徴だろう。40年も前になる。40年親から続いた店は、古株の扇動で全員が不正にはしりあっけなく潰れた。経営者の私が悪いから遣いこんでもいいと言う根拠だった。家が三軒とアパートが一棟、新車は3台、月一のボスの台湾旅行・・人を疑うことをしらない愚か者であった。母と私は訴えなかった。趣味の世界も同じだ。気が付けば私はまたも危険に囲まれていた。事件はある日突然起きた。一体オールのしかけられた事件に一人私は去った。当時は電話時代である。仕掛け人から何百回電話がまわったことか・・SNS殺人について私は、日本人の特徴かと思っていたが・・世界的な問題でもあるらしい。電話時代から逃げ場がないまでに、情報のネットを張り巡らすのがやり方だ。絶対絶命逃げられない。仕掛け人の快哉の声が耳に残る。現在は一番SNSを流した人間の特定はできるがまだ法律ではできない。今後もSNS自殺いや殺人は続くだろう。日本の長い歴史の中で根付いたみんなと同じにするのが無事と意見を言わない集団・・証拠の残らない電話やSNSの拡散で追い込まれたターゲットの孤独・・新たな犠牲者を出さないように、電話相談窓口を作ってやれないものかと思うのだ。
2020年08月09日
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8月7日しいちゃんのアトリエ舞踏682ソーシャル・ディスタンスソーシャル・ディスタンス日清食品のインスタントラーメンがよく売れて業績がいいそうです。私はと言えば続くお籠りでブログを怠ける癖がついてしまいました。家にいる時間が長いと、いつでも出来ると思いがちですがずるずる時は過ぎゆき、雨の毎日が暮れていきました。さてさて怠け癖はここまで・・書きましょう。ソーシャルディステンスとか、わけがかからないですね。人とあまり近づくなと言うことですか。夏休みの家族旅行、やっぱり二泊三日で行くことにしました。いつものホテルに電話しました。軽井沢はとれなくて、山中湖が5人で二部屋とれました。ところがところがです。初日の夕ご飯がありません。と言うのです。二日目は和式朝食は5人とれました。五時から天ぷらでよろしければ?4人だけ食べれます。三日めの朝ご飯は中華で5人とれました。かまいません。かまいません。てんぷらはジャンケンします。なんともおかしな話です。理由はソーシャルディスタンス。食堂の椅子をへらしたら、客数をへらすことになったのです。部屋も調理場も万全なのですが、席数がありません。そんなことニュースにでませんよね。これも驚きの話です。その子さんに頼んどいた8月再開の歌舞伎座の券が娘のところに二枚届きました。一人の席の周りを空席にするから、半分どころか三分の一の客です。そのせいで常連に切符が売れないのか舞台近い席がとれました。またプログラムも昼、夜ではなく4分割で一席8000円のバラ売り。休憩を長くして換気をします。入場も人との距離をとるので、おはやめにと注意事項。これではアフリカのジャングル探検の気持ちです。久しぶりの歌舞伎座、壱太郎の連獅子を観たいだけなのですが。外にでるだけでも怖い。娘のとこでは、パパと娘も月の半分は小田急と地下鉄で都心勤務。孫も寮から都心・・危険な毎日です。どうすりゃいいんだと・・日曜人気ドラマの半沢もどきに、大声で叫びたいのが現実でしょう。ところで半沢ドラマの香川照彦が、本当の銀行員はこのような言葉は使いませんと7日詫びたそうですね。 あれこれ気をつけろと言いますが、もう運が悪い人がコロナにかかるのではないかと思うのです。でもでも、そうして悪運を使い果たしてしまえばその後は安全、幸運が舞い込むかもしれませんよと言ったところで、なんの慰めにもなりませんね。
2020年07月28日
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7月22日しいちゃんのアトリエ舞踏681コロナの夏ラッキー ハッピーコロナの夏コロナの夏だ。感染すれば個人の日常はいっきに破壊される。伝染病の一番恐ろしいところだ。いつもの朝、目覚めれば変わりない一日のはじまり・・じつはみんなそう思っている。85歳の老婆の私さえ朝目覚めてベッドの中で無事な一日を信じている。実はそんな朝は誰も保証されてはいないことだと、コロナが語る。うっかり忘れていたが、人間は必ず死ぬ。必ずだ。年取れば必ず近いうちに死ぬだろう。時間の不思議なところは、だからと言って時計のように持ち時間を測れるものでもなくただ厳然と死は待っているということかもしれない。そうだな・・幸福な人生だったと、きざに言って死んでいくのもいいか・・外出もままならず、こころならず蟄居、いろいろ考えるのでした。ラッキー ハッピー以前、友人に「あなたはラッキー・ハッピーね」と言われた事は書いた。老人がこう言われたら喜ばねばなるまい。金も才能も美貌もないが、なぜかハッピーに生きているということだろう。もう一人の独身の友人もこう言った。あなたは子供たちが良い子だから、恵まれてるのよ。それって愚かな私が幸運や子供のおかげがなければ、アンハッピーな人生のはず?私はずっとそのことを気づかずにいたのだが・・人間は結構、面とむかってズバリ本当のことを言うものだなあ。人は勝手に生きてるから他人の人生について、私はあまり言わないわ。幸福は自分一人の努力で手にはいるものとも考えていない。すごく長い長い箸でご飯を食べようとして箸の先が口に届かない。互いに食べさせあったら食べられたお釈迦様の話、愛はお釣りのようなものかもしれない。まづ自分が払わなければお釣りはこない。その戻ったお釣りを大切にすることかもなあ。説教できるような立派な婆じゃない。コロナの夏は少し語りたい。ありがとうね。
2020年07月22日
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8月23日しいちゃんのアトリエ舞踏685山中湖朝5時の赤富士SNS自殺の深い闇山中湖朝5時の赤富士 北斎の赤富士は朝描いたものか夕方描いたものか、よくわからない。写真は山中湖のホテルから歩いて10分湖岸から、娘が撮った紅富士だ。10人ほどの写真好きらしい男性が、静かに撮影をしていた。黙ってシャッターチャンスを狙う。長寿時代の写真好きは実は一瞬見せる人間やマチの姿を固定しようとしているのかもしれない。ゆつくりと紅富士に染まる富士を見てホテルに戻り、眠りなおした。何十年、家族で山中湖には来ていたが、早起きして紅富士を観たのははじめてだった。同じところを飽きず旅すると意外な発見があり、楽しいものだと思った。SNS自殺の深い闇スマホやSNSで噂を拡散されて自殺に追い込まれた事件が続く。犠牲者の親族が訴えても今の法律ではSNSの一番沢山打った人間を特定できるものの、捜査は世界の法律にひっかかるらしい。新たな人の殺し方かと言えば、下地は電話時代にあった。85歳の老婆の告白だが、私事とは言え私は電話時代に三度殺された。誰が仕掛けたのか証拠を残さない集団犯人が、この殺人の特徴だろう。40年も前になる。40年親から続いた店は、古株の扇動で全員が不正にはしりあっけなく潰れた。経営者の私が悪いから遣いこんでもいいと言う根拠だった。家が三軒とアパートが一棟、新車は3台、月一のボスの台湾旅行・・人を疑うことをしらない愚か者であった。母と私は訴えなかった。趣味の世界も同じだ。気が付けば私はまたも危険に囲まれていた。事件はある日突然起きた。一体オールのしかけられた事件に一人私は去った。当時は電話時代である。仕掛け人から何百回電話がまわったことか・・SNS殺人について私は、日本人の特徴かと思っていたが・・世界的な問題でもあるらしい。電話時代から逃げ場がないまでに、情報のネットを張り巡らすのがやり方だ。絶対絶命逃げられない。仕掛け人の快哉の声が耳に残る。現在は一番SNSを流した人間の特定はできるがまだ法律ではできない。今後もSNS自殺いや殺人は続くだろう。日本の長い歴史の中で根付いたみんなと同じにするのが無事と意見を言わない集団・・証拠の残らない電話やSNSの拡散で追い込まれたターゲットの孤独・・新たな犠牲者を出さないように、電話相談窓口を作ってやれないものかと思うのだ。
2020年07月11日
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7月10日しいちゃんのアトリエ舞踏679雨 雨 そして遠い日※山本容子 ロミオとジュリエット雨 雨 そして遠い日雨雨雨雨 もっと降れは矢代亜紀のヒット曲だ。コロナで今はコンサートもままならないが当分歌うわけにはいくまい。今後九州のコンサートで歌おうものならすごいブーイングがはじまるだろう。昭和の時代の雨を歌った巨大バストの名歌手に淡谷のり子がいた。雨よ降れ降れ悩みを流すまで♪・となかなかの名曲だった。雨雲は西の空から流れてくるものとばかり思っていたが恐ろしいことにどんどん毎日いくらでも、生まれ続けるものだった。 以前からパソコンネットで、アジアの日本の静岡の雲の動きを見ていたのだがこう次々と雨雲が日本列島で生まれるとなると予報はもはや不可能だろうし、24時間避難命令発令になるだろう。雨がやんでもふにゃふにゃになった崖は崩れやすい。東名高速の道路が豪雨で崩れたことがあった。山間を走る箱根登山鉄道の線路はようやく治ったばかりだ。住民の危険問題だけではない。交通全般が危うい。東海の名所だった静岡市から焼津に抜ける、絶景大崩れ海岸の道路はとうに廃止されバイパスを海に通した。妻を車に轢かれた雄狸が、毎夜道路に立って待ち続けた話も懐かしい。雨の夜タクシーの運転手が、大崩れでずぶ濡れの女を乗せたが街につくと誰もいず、座席がびつしより濡れていた話は有名だ。崖の道の真ん中ほどのところに、古い木造の喫茶店があった。ママが魔法使いめいた黒服を着ていたから、いろんな空想をした。崖の下の深海はソ連の潜水艦の秘密基地で、ママはソ連の諜報員だと本気で話していた。満月の夜の月が昇るとき海が光る黄金の月の道には、みんな興奮した。なんだか不思議な喫茶店だった。もう亡くなった画商が若かった若かった画家の山本容子と私と三人で、月の明るい夜にその喫茶店に行ったことがある。すでに山本容子は人気美人画家として有名だった。その夜私は一言も話せなかった記憶がある。彼女の田園という名のリトの大きな絵を一枚買って娘に持たせたが、娘の家ではなかなか出さない。この間山本容子がノーベル賞童話作家とジョイントした本と新作展が、丸の内の丸善本店であった。本と葉書を買い、東京駅のステーションホテルのティーサロンで娘としばらくぶりにゆっくりお茶の時間を楽しんだ。ざわざわと日常は過ぎていく。あれは久しぶりの優雅な一日だった。
2020年07月09日
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6月6日しいちゃんのアトリエ舞踏678小さな劇場国の国民になると小さな劇場国の国民になる実は老人は家に籠っていても、忍者のように現在過去未来をひとっとび。18の娘時代にもかえり、あの世の愛犬や愛猫とも会う。そんじょそこらの若もんより、退屈もせず異次元世界を飛び回っている。過ぎてしまえばたいがいのことは脳の海馬にしまいこまれるから、嫌なことは忘れて後は楽しいことばかり引っ張り出し懐かしむのだ。日常の煩いごとが減ったぶんだけ、ぼんやり思い出にしたっている。呆けたわけではない。これは老人の特技なのだ。いくつになっても人と人の摩擦はけっこうこたえる。腹立たしい。気の合わない人と離れればよいとようやく知恵もついた。なるほど。ソーシャルディスタンスである。増えてきた一人の時間、自由に現在過去未来へとんでいくのだ。とくに子供のころから観続けた映画や舞台は忘れないものだ。俳優の一番美しい時を忘れず、ずっとファンでいる。ところで小さな劇場の空間は、観客という国民が制限のある時間だけ住まう国家だ。しかもその小さな劇場国家の記憶は、特別の海馬にしまわれ、永遠なのだ。ハムレットの話。ずいぶんいろんな俳優のハムレットをみてきた。芥川龍の介の息子文学座を率いていた芥川ひろしのハムレットは父親似のやせ型足長の早く病死したのが惜しい憂鬱なハムレットだった。平幹次郎のハムレットはあまりに短足頑固な体が、なんとも・・声はいいのだが・・この間観た若手の岡田将生のハムレットは、やっぱり婆はしびれた。なあんだ。ようするに悩める美しい青年が好きだったのか・・ファンになると5000円の切符の価値は一万円にも10万円にも変わるから私は舞台を見るためには、ファンになることにしている。ところで静岡市にもベルテックスとかいうプロのバスケットチームができた。全国大会のテレビ中継を見ると、地元後援会がすごく熱い。まだ試合は見てないが、まづはファンクラブに入ることに決めた。サッカー、バスケット、ラグビー 時間で勝負をきめるスポーツは中継時代むけだと思う。高校野球で延長の果て日が暮れて引き分けてのも興奮するが、現代人はまづ忙しい。まだまだあれこれまだ見たい欲がある。年とり暇な分だけ欲が増えたかもしれない。さんざ苦労した結婚だったが、芝居がみたくて東京の人と結婚しただよと85歳の今なら、堂々言えそうな気もする。
2020年07月04日
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7月2日しいちゃんのアトリエ舞踏677コロナがいる夏コロナがいる夏今年の夏はとんでもない夏になりそうだ。コロナも鎮まったかと恒例の夏休み家族旅行に出かけることにした。先週いつも行く会員制ホテルグループに予約をいれると近県三県のホテルがぜんぶキャンセル100番待ちだった。驚いた。どうやら国民一人10万円の効果はあるらしい。それにしても暑い夏休みを、コロナで家に籠りまたまた籠るのもなあとあてもなく9日まで100番待ちをすることにした。それはそうと老人は自分で気づかずに、どんどん老いていく。働きもせず社会的な価値も失せた人間だ。そんなことも忘れ、気ばかり昔と変わらない。この激変する社会的精神環境に、変わらず元気に暮らすには一人の精神世界を構築しないと難しい。最近の出版に人それぞれと言うか、あまりまわりに振り回されず独自の世界を持とうというメッセージの本が出ている。死ぬときは一人だしなあ、そうかもしれないと思ったのだ。でも寂しい。今まで培った友情というか、愛情の木を大切に水をやり肥料をやり、太陽にあて大切にしていこう。あの世でも、たくさんの人が待っていてくれる。犬のプーも猫のミルミルも待っていてくれる。全然さびしくなんかないさと・・そう思うことにした。コロナの夏の大きな発見だ。
2020年06月25日
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6月20日しいちゃんのアトリエ舞踏676写真のコピーがしにくくなり、文章だけになる日があります努力するのですが難しい日はつまらなくなりますが御勘弁願います。だんまりの猫の集会梅雨に入る 静夜遅くや空き地や駐車場で猫が集会を開いている。それぞれ距離をおいて円陣を組み、別にニャーニャー鳴くけでもなくただだまっている。マスクこそしないが、猫のソーシャル・ディステンス?家で飼っていた猫をみかけて「オーイ ミイや」と声をかけるのだが・・聞こえぬふりをする。町内に来た新入りの紹介や?起きた事件の注意なのか・・意外と猫同士の連携があると思っていたのだ。住んでいる町内に、キジ猫の親子三匹飼っている家がある。時々外に出して貰う。よくメスの猫は家の前で前足を少し交差して座っている。私は声を出してオハヨウと挨拶をするのだが、聞こえているのかいないのかツンと黙っている。しかし目がほんの少し瞬いているのを見逃さない。じゃあなと声かけて通りすぎると、そっと目が私を追っている。なかなか猫の行動はおもしろい。三年目の娘の家の二匹の飼い猫の、ドナの尻尾は送ってくるスマホ写真がコロナで会わないまにずいぶん大きくなったようだ。私が行くと二階に逃げるから幻の猫だが・・朝の公園で会うご主人と散歩している犬族とも猫は性格が違う。猫のほうが勝手が強そうだが、行動が静かだから老人が飼うのにむいている。しかし人間への忠誠心と感情表現の豊かさはなんと言っても犬族の性格だろう。朝の散歩で会う白いふわふわの毛のピジョンフリーの兄妹・・妹がピンクのリボンをつけて可愛いい。最初に逢った時から私は「妹よ 元気か?」と頭を撫でたのだが・・昨日の朝、立ち話をしているご主人と二匹の兄妹を遠くにみかけたら私に気づいた妹が喜んでジャンプして声をたてた。ずいぶん離れていたから、私はとても驚いて駆け寄ると妹の頭に触れた。犬は目がいいのだ。隣の兄にごめんなと声をかけた。積極的な犬の感情表現は嬉しいものだが家猫ならご主人の足元にすり寄り、抱かれて喉をゴロゴロと鳴らす。21年ともに生きた老犬プーや猫のミルミルを懐かしく思いだす。考えると子供たちが私とともに暮らした年月よりも二匹と過ごした年月が3年も長かった。犬や猫は飼ったほうが、たしかに人生は豊かになると思う。孤独な老後ならなおさらだ。英国の諺にも、老後に大切なものは貯金通帳と老犬とある。
2020年06月11日
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6月9日しいちゃんのアトリエ舞踏675駿府公園の噴水池に亀がザリガニが蛙がへこたれない駿府公園の噴水池に亀がザリガニが蛙が朝の散歩の駿府公園の小さな噴水池に、亀がザリガニが蛙が・・いました。大きな亀は噴水のすぐ横にポケッとしていました。一緒だった息子が亀のいる園内の池に移してやりました。小さな蛙はなぜ一匹でいるのか・・そのまましときましたが翌朝は見えませんでした。紅いザリガニは何匹か藻の下に隠れていましたがだんだん死んで亡骸が水の底に沈んでました。ある朝清掃の人がゴミや藻をとり、噴水の底をきれいにしました。とても不思議な噴水です。へこたれないへこは褌(ふんどし)のことだそうです。褌がたれないとは中身が元気がよいことでちっとばかりのことでは、へこたれないと続けます。長く生きればいろんなことが起こります。愚かな私は何回も何回も難事件に出会いました。その度に一人見た真夜中の半月や、人のいない深夜の街を歩く自分の靴音・・夜が明けないことを願ったこと・・それでも朝はきて、私は今も生きています。へこたれなかったのです。この間女子プロレスラーが自殺しました。SNSの書き込みに絶望して亡くなったそうです。この名乗らない集団パワーを私は何回も体験しました。チカラに従うのが安全なのは理解しますが、それが暴力に変わることがあることを承知してるのでしょうか。この同調は徳川時代の負の遺産と思うことがあります。世界の中で生きていく時代に、ただ同調でおしきっていいのでしょうか。自分で考えなくていいのでしょうかと、思うのです。ここまできました。後少しひとり自分で考えてへこたれず生きていこうと思うのです。
2020年05月15日
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※静岡県の景勝地5月12日しいちゃんのアトリエ舞踏674ご無沙汰しましたお元気でしたかご無沙汰しましたお元気でしたか読んでくださる皆様におめにかかることがないのですがパソコンが壊れたことで発信できなくなって私はとてもさびしかったのです。今日、今は深夜の2時です。新しいパソコンのさくさくと表現されるキイの快感を味わっています。以前も書きましたが思えば35年前、50歳の頃でした娘から事務用の古いワープロを送ってもらったのが第一号でした。なにしろテレビくらい大きな上に、スクリーンと本体が二段に分かれていて田舎住まいの玄関に置きました。老親も寝てしまい、夜ぼつぼつ一人でキーを叩いていると、冬の寒い日はぐんぐん冷えてきました。外の小屋にいる犬のプーにミルクをやりに外に出ると狭い山間の空に北斗七星のヒシャクの柄がかかっていました。ヒシャク全部が見えないほど、細い狭い村でした。熊のように重ね着してかじかんだ手を時々擦り温めてキイを打ちました。何を打ったかというと・・短い詩やエッセー、ショートショートをハガキの裏表に打ちました。読者は饅頭をもって読んでくださいと頼みにいった友人親戚の20人。月に2回か3回送らせてもらいした。ある事情で東京の会社社長の未亡人の家に家政婦として働きにいきました。広い芝生の庭のある市ヶ谷の邸宅の家政婦の部屋はバストイレつきでした。古いばかでかいワープロを持ち込む事はできません。はじめて箱形のぎりぎり持ち運べるワープロを買いました。未亡人おひとりの暮らしに仕事はあまりありません。部屋で小説を書いてました。その時はハガキからコピー紙になり、下手な小説を読者に勝手に送ってました。楽しく下手な小説をわくわくしながら書いていました。半年もたたない初夏、奥様が娘さんとイタリアに長期旅行をすることになり広い庭と広い家の掃除をして待てと言われました。それも退屈だろうと家に帰ってきました。この体験でお金持ちの暮らしがそれほど楽しいわけではないことを知りました。イセエビか10匹歳暮に届いたことがあります。イセエビを嫌いな奥様は人にはわけられず私になんとかしろと申しつけました。食べきれるわけはありません。ちょうど来た娘は、茹でた赤い10匹のイセエビの目玉を見たとたん悲鳴を上げて帰ってしまいました。忘れられない事件でした。実はバブルの金満家の家にも家政婦として働いてみたかったのです。30年もたったのですか?今はなんだか懐かしいですね。というわけで、85歳婆のくりごとを読んでくださいませ。
2020年05月12日
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5月3日しいちやんのアトリエ舞踏673すみませんが5 月半ばまで新しいパソコンに変わるまで休ませてもらいます。年をとって最高に楽しい体験でした。必ず元気に戻ってまいりますのでまたよろしく見てくださいませ。
2020年05月03日
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※静岡県の譲渡猫 4月23しいちゃんのアトリエ舞踏673誰も考えなかったこと パソコン買い替えまで画面不良お許しください誰も考えなかったことほんとうに、こんなことになるなんて誰も考えませんでした。食料品を買いに歩いて街にでました。目に見えない細菌の恐怖に戸を閉めた店が多く街は突然様変わりしました。歩いている人も少なくなり、休みの店が目につきます。こんな時は映画゛バック・ツー・ザ・ヒューチャーのパート2を思い出します。街の賑やかだった広場に人も消え、北風が吹いています。広場の大時計だけが、確実に時を刻んでいます。絶対に忘れられないシーンです。まだまだ患者は増え続けるのか、あの巨大な千葉の幕張メッセがベッドを並べた病院になるそうです。泥沼に両足突っ込んで抜けだせなせくなったような感じです。それでもみんな生きていきます。人間は強いものだと思います。家族友人ご近所みんなで助け合い、危機が過ぎるのを待つことにしましょう。 パソコン買い替えまで画面不良お許しください。そろそろ限界のパソコンでした。もらったパソコンに内容を移してもらったつもりが、移ってません。それで店が料金はいらないと言ったのか、今頃わかりました。わかったことは、パソコンがすでに自分の脳細胞の一部分になっていて考えたことを書き留める海馬の役目をしていたことでした。もはやパソコンなしで物事を考えるのが難しいのです。ですから、このパソコンが壊れかけてから私の脳細胞は思考を休んでいます。すっかり怠け癖がついてしまい、ボケ老人状態です。おまけにコロナ騒ぎで、その子さん親子と行く予定だった横浜の森下洋子バレエ団の「白鳥の湖」も娘と予定していた新装の日本橋ブリジストンの絵画展や川崎市芸術祭のオペラ「カルメン」など全部中止になりました。新幹線に乗ることも危険です。近場の箱根も台風で線路も道路も壊れました。近くの市民会館も何ケ月も予定が空白です。この春はただただじっとしています。住んでおります駿府城址の桜も花見客もまばら、花だけが長いこと無心に咲いていました。落下の日に雨が降り豪勢な花吹雪は、とうとう見られませんでした。若者のように、私もパソコンと脳細胞が一つになっていることがわかりました。いいとか悪いとかではない、新しい暮らしの習慣です。ここ二ケ月はまるで体の一部が壊れたように不安に過ごしました。パソコンを新しくして元気を出して、婆のくり言を続けますのでよろしくお願いします。
2020年04月16日
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お詫び コピー機能不良につき写真ありません4月14日しいちやんのアトリエ舞踏672蘭の恩返しサイレントキラー蘭の恩返し昔もらった見事な蘭の鉢が庭の隅に転がっていたが今年は三鉢そろって花が咲いた。なんと律儀なものだ。黙ってじっとしているが、人の情けに応える。いや人の情けなどなかったのだが、太陽と雨と季節に感謝するのだろう。この無心の生き方は人間には無理だなあ。サイレントキラー世間に法はない。数の力で相手を消し去る集団行為だけがある。またの名を民主主義とも呼ぶこともある。小学校や中学校、会社はたまた小さな集団で起きる事件がそれだ。私はその現象をサイレント・キラー現象と命名したい。一人の人間が、一つの団体が消え去る・・たいがい追われた者が消えることで、企てた者の目的は完了する。なにも考えない集団パワーが利用される。ここで問題なのは追われた人間が、その後も生き続けることだろう。殺さない限りその人間の記憶は生き続ける。小説モンテクリスト伯はまさにそんな小説だ。なんでこんなことを書くかと言えば、私にも死ぬ前に片づけたい感情がある。だれも一つや二つは持っているものだろうが・・日曜日突然の訪問者。私が記憶を書くのは迷惑だと玄関で宣言するや立ち去った。私は犯罪を犯しているわけではない。一対一なら直接戦えばいいわけだ・・が使者の後ろの群れを考えると難題だ。この地から引っ越すか死ぬほか、逃れる手段はないだろう・・ふと現代は細菌か言論が、人を犯すと思った。まあ大げさに書くと先週はそんな事件がありました。
2020年04月14日
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※静岡県の譲渡猫4月11日しいちやんのアトリエ舞踏671マスクブンチャン共和国マスクマスクを全国民に郵送するそうだ。歩いて近くで買い物をすることが増えて意識しなかったが前ほど屋根のあるデパートにいかなくなった。人間が互いに怖い不思議な世の中になってきた。なにしろその目に見えないウイルスは人間が運ぶのだから・・ソーシャルディスタンスって、互いに何メートルか離れる距離をさす英語だという。前の日曜日に駿府公園でジュースを売る車から、手製のマスクはいかがと声がかかった。外出を控えているから、マスクもいらないのだが300円だというので手製のマスクを三枚買った。黒いのもいいと思ったが、老人には少し無理だから裏が花柄のベージュ色のと、裏が黒白のウシ柄のグレーともう一枚裏が花柄のブルーの3枚買った。裏がウシ柄のグレーが気にいっている。土曜に帰る息子がいうには、低い鼻を隠すからいいと言うマスクにつばの深い帽子をかぶれば、顔はほとんど隠れるからよいかもな。めずらしくグレーの裏がウシ柄のマスクが気にいっている。ブンチャン共和国所属の文芸団体の雑誌に全員参加の母に関する短い原稿を書くことになった。締め切りも近づき、何を書こうか迷っていたがとりあえず題名ができた。ぶんちゃん協和国だ。明治生まれの母は名前をぶんといい、ぶんちゃんと呼ばれていた。私はそのぶんちゃん共和国を離れて暮らしたのは東京にいた10年と、静岡に戻ってから別々の家に暮らした10年だった。104歳でぶんちゃん共和国総統が逝くまで、実に長い間私はぶんちゃん総統と暮らしていた。なんという自由で暖かな共和国だっただろう。どんな事件が起きても総統は落ち着いて解決してくれた。もう戻れない共和国の暮らしを今も思い出すと不思議な幸福感に包まれる。大人になりきれなかったオバカ老人かもしれない。それでもこんな幸福な人生を送れたなら、オバカでよかった・・と書こうかなと考えている。
2020年04月11日
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※静岡県の譲渡猫4月3日しいちゃんのアトリエ舞踏671老人とドリルひとり暮らしでやること老人とドリル私の行くデーケアーでは、午後になると全員でドリルをやる。私は遅れていくので、席につくやドリルにとりかかる。得意な単純計算をやり、漢字や地理は後にしての間違い探しにとりかかる。難題を最後にもっていくのがコツだ。本屋で本を買ってきて、数ドクや間違い探しをやったこともある。そのせいでもないが、タイムがぐんぐん上がった。いささか快感だ。デーケアーが楽しくなってきた。いつ家でドリルをやるかと言うと、テレビが面白くないとか新聞を全頁読み終えたとか・・なにもすることがないとか・・けっこうマメなのかなと、自分で思う。なら学校の勉強をどうして嫌いだったのか?あれは順位をつけるための勉強で、支配されるのが嫌だったのかな。わがままな人間はいくつになっても困ったものだ。目は使えば使うほど、いいような気がしてきたから、不思議だ。そして脳も使えば使うほど元気がいい気もしている。なんていい気になっていたら、とんでもないことが起こった。一昨日駅のスーパーに買い物にいったのだが、七千いくらの買い物をして釣り銭をもらった。ふいに私は釣り線は七千いくらのはずだと、キャッシャーに言う。そんなことはありせんときっぱり言われた。何を勘違いしたのか。バス二駅乗り降り際、小銭入れを道路に墜とした。夕闇が迫っていた。なんということだ、私はとうとう老人になってしまった。その通りだが、なかなか受け入れがたいものだ。これから日に日に老い続けていくだろうな。ところで仏様はくるくる巻き毛だが、菩薩さまは長い髪なんだって。なんだかはじめて知ったよ。この年まで知らなかった。そろそろ食べたい冷やし中華ひとり暮らしでやることいまさら間に合わないが、幸福への投資ってなになのか。お金、健康はもちろんだが、忘れていけないのが人間かもしれない。一人世帯が増え続けているが、実は一人暮らしはつまらなそうだ。人間いつでもものごとを選択し決定の連続で生き続ける。一人は選択も決定も自由、家族や友人との同居はそれなりのルールがある。その窮屈さが実は規律と健康を作り出している。老人になって思うのは、病気になってもボケても動けなくなっても人の助けがいる。その時まっさきに助け合うのが同居人即ち家族だろう。いまどきの嫁はといった話も今は普通になった。急の助けが必要になった時の制度や商売が繁盛するだろう。それでもそれでもだ。緊急の事態に誰もいない人生はやはりつまらないだろう。だからひとり暮らしが悪いとは言わないがどうか人間元気なばかりじゃありません。なんかの形で人と繋がっていてください。人と繋がる温かさ・・を大事にしてください。何が楽しいかって、人間仲間と集まってワイワイするのが楽しいですよ。仲間はいろんな仲間でいいです。二人でも百人でも・・年取っていろんなことを思いですとき、不思議と楽しいことばかりですよ。思い出を共有できた仲間のことをいつも思い出します。嫌なことはごく少数の人です。しかたありません。みんなみんな大好きな優しい人ばかりです。長い人生は仲間といい思い出を作るためだと思ってください。
2020年04月03日
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※静岡県の譲渡猫3月30日しいちゃんのアトリエ舞踏672ユーチューブが世界を駆け巡る4月の静岡市美術館ユーチューブが世界を駆け巡るこの週末はユーチューブで流れた中国江南省の境界の橋の上で起きた事件のニュースがアッと言う間に世界中を駆け巡った。外出行動が許され車で他省に買い物にでかけようとした江南省の人たちの車を来るなと橋の上で押しとどめる戦いに、出動した警察車がひっくり返された。その実況中継が何度も何度も繰り返し流された。息子が大笑していたが、私はパソコンで別のことをしていて見たわけではない。見ないからなおのこと、第三者の世界中の人間が、大笑するのがわかった。この話は中国の痛々しい喜劇として終わったわけではない。トランプ大統領が突然ニューヨーク市民の外出の禁止を終了することを考えていると発表したのだ。ニュースが世界をす速くまわることに私は驚いた。彼は中国のようにアメリカ人同士が争うことは良くないと考えたのか。コロナ菌戦争は自国の作戦だけでは終わらない。地球人全体の問題として協力しあわなければならない。これから南半球にひろがる脅威を考えると、WHOは対細菌地球防衛戦争をリードできなければ薬屋の代表団と化してしまうのだが・・4月の静岡市美術館だいぶ前になる、上野でジャポニズムと西洋美術の企画展を見た。珍しく館長企画の絵画展だった。ほぼ同時代に描かれ、互いに影響を与え合った日本画と西洋画が一堂にならんだのだが・・西洋画は大型作品が多く堂々としている。葛飾北斎の大波に船と富士を描いた画は、段違いに小さい。並べて展示するには、少し無理があると思った。版をおこし何枚でも刷ることが出来る日本の版画が実は美術館で見る西洋画より、絵の庶民化におおいに働いたと思った。静岡の駒形通りに老版画家がいた。江戸の版画を扱う浅草の店で、長く奉公したと言うその老人は刷り師も大事だが、なんて言っても原画を彫る彫り師が大事でその版画の板が盗まれたり、写楽贋作事件が起きたのだと言う。美大出の息子さんがローマのバチカンの壁画の修理に行っていると自慢そうに話していたことを思い出した。何十年も昔の話だ。版画は独自の発展をして、油絵の一点きりではない多数刷りが絵画をポピュラーにし、画家と刷る枚数で高額作品も当たり前になった。今回はチェコ交流100周年記念展覧会だ。障害手帳のある人と介助者一人は無料とあるから、友人といくことにしよう。一般の1300円二人分の2600円ただになる。二人で2600円でランチをするかと・・
2020年03月30日
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※静岡県の譲渡猫 3月26日しいちゃんのアトリエ舞踏671彼岸コロナ彼岸3月、家と師匠の墓詣りに行く。家の墓はかつては賑わった映画街のある七間町通りの裏手、伊勢丹に近い上石町にある。以前は映画見物や伊勢丹の買い物ついでと言っては先祖様に悪いのだが・・とにかく以前はまめに墓詣をした。映画街がひっこしてから七間町通りもすっかりさびれてしまい、今は伊勢丹地下で買い物をして呉服町をひやかすコースになった。ひやかし、ひやかす・・とは静岡弁で何も買うわけではないのに店に寄り一回りすることを言う。店側は下見と云うか客に店に馴染んでもらうために歓迎する。江戸に半分移して二丁になり、二丁町と呼ばれていた今の川辺町にあった遊郭で、このひやかしと言う言葉が使われた。遊郭に行くが女郎を見るだけで買わないことを言う。廓言葉は株の相場の表現にも使われているところをみると昭和22年に売春禁止法が成立するまで、れっきとした女の職業だったのだろう。話は彼岸詣でだった。天気のいい日だ。娘さんと愛宕山にある師匠の墓に行く。東に雪の富士山を見て、西にはるか雪を置く南アルプスの山々・・いつ来ても気持ちの良い景色だ。師匠も浮世を離れて、のんびり俳句でもひねっているだろう。娘さんは用事があるらしく墓参りして別れた。空腹に気づいてフラリと駅のレストラン街のライオンに入る。ワインとスパゲティーを頼む。赤ワインはまあ。ペペロンティーノはやけに塩辛い。にんにくのでかい塊がはいっている。オイル過剰。人手不足で新人コックなのか。まあしかたない。シチュウは前は銀座ライオンの名残があったのにな。食鮮館で買い物して帰宅。こうして自由に自分の足で街を歩くのは当たり前のようで当たり前ではない。私も何回か杖をついていた。友人はずっと杖をついている。この自由な時間を有難いと思わねば・・ コロナコロナで突然世界は大混乱。目に見えない細菌に無抵抗な地球人。こうして人類は何回も滅びかけ、生き残った人類がやがて増え続けて現在になったのだろうか。人間と言う地球人の繁栄と滅亡のカラクリは・・神のみぞ知る。戦争で人殺しをしなくても、細菌でみごとに人を殺せることがわかった。問題は細菌だ。互いに武漢細菌研究所から細菌が流れたとも言うし米軍が武漢に撒いたとも言う。両者互いに信じてはいない。もしも両者のどちらかが言うことが真実なら地球人ゼロ計画も簡単な気がしてきた。おそろしいことだ。
2020年03月27日
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※静岡県の譲渡猫3月17日しいちゃんのアトリエ舞踏620生き残れるか高級レストラン映画館が空いている生き残るれるか高級レストラン新しく新宿伊勢丹本店に開店した資生堂パーラー。その子さんの旦那さんが若いボーイさんたちを束ねている。アメリカ旅行から戻った孫の梨花の就職祝いに空いてる平日のランチに娘と三人で行く予定だった。コロナ騒ぎで私は休み、二人で行って来たとメールに写真が送られてきた。私の家族には旅行に行かれなかった家族や友人に旨そうな料理をリアルタイムで沢山メールで送る悪い癖がある。メールがない頃は食事になると電話が来た。私だけ健康の不安でハワイにおいてかれた時なんか、これでもかこれでもかと三食食べ物写真ばかり送ってきた。これは実は今度は一緒に行こうねと言うメール。いないと寂しいよと言うメール。資生堂パーラーからリアルタイムであいしそうな、流行の美しい料理とデザートの画像が届く。その子さんから就職祝いまでもらって梨花は大感激。おいしくて素晴らしいサービスだったと二人大感激。よかったよかった。その日のパーラーは、東京のお金持ちがコロナなんのそのと大繁盛。さて私の話です。昨日は落語会がコロナで中止した返金3600円で友人と駅前のホテルでイタリアンを食べてきた。高階から静岡の市街地と遠くみなみアルプスの雪のかかった山々、雪の美しい富士が見える。イタリアのあまり高くない赤のグラスワインと2800円のランチコース。いやあ 驚いた。なかなかの充実したコースだ。ワインはすっきりした赤、なかなかのもの。来月まで置くそうだ。仲間とワイン飲みにくるのもよさそうだ。菜の花と浅蜊のボンゴレもうまかった。最近流行りかままごとみたく料理が小さいことをのぞけば100点満点。昨日はメールのフレンチ写真を羨ましがっていたが、まづは私も満足満足。※アカデー賞受賞 韓国映画パラサイトより映画館が空いている近所の87歳のおばあさんとの今朝のたち話。ハリウッドのアカデミー賞クグランプリ作品韓国の映画を観てきたと言う。客が全然いなくてコロナなんか大丈夫だと笑う。どんな映画だったかは聞かない。観るなら自分で観る。貧乏人家族が金持ちにパラサイトする映画らしい。あまり社会現象につきすぎるのもしつこい感じがして私は観ない。貧乏人がテーマの映画ではアランドロンの「太陽がいっぱい」を思い出す。金持ちの友人との屈辱的な毎日、ヨットで海洋に出るとランドロンは友人を殺してしまう。港に上がり友人になりすまし、贅沢な生活をするのだが・・最後は執拗な刑事に捕まってしまうストーリー。真っ青な空と海、金髪に瞳はブルーの貧しい美青年アランドロン、そして殺人・・あんなに美しい殺人ミステリー映画はなかった。今も家からは子供の頃と同じ徒歩15分なのに、ずっと映画館に行ってない。最近の映画はリアルか、ファンタジーか二つの流れがあるようだ。うーむ。映画の美学っちゅうもんがあって、別の世界に遊ぶ楽しみが私は好きだ。今年はコロナがおさまったら、老人割引きで映画でもみることにしよう。
2020年03月17日
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10月23日しいちゃんのアトリエ舞踏690低気圧不調の薬新発売蕎麦屋の二階低気圧不調の新薬の発売名前は忘れたが、今日薬局で発見した新薬。今まで出なかったのが不思議だった。手ごわい低気圧の接近はなかなか厄介なものだ。どーんと全身が重くなり、雨が降り出すまで体調不良と頭重に悩まされることがある。空をすっぽりと覆う暗い雲に、降り出すまでひとつ方法がないでもない。外に出てなんでもいいから歩くのだ。そのうちポツリポツリと振り出して、気がつけば何故歩いているのかと・・体がすっきり軽くなる。さて街に出ついでだデパ地下にでも寄ってみるかと・・若い頃ほど低気圧の影響は受けにくくなったが、新薬の発売は素晴らしい。蕎麦屋の二階息子と昼、街の蕎麦屋に行く。珍しく待たなかった。天モリを頼む。ついでにいたわさを頼んでみた。酒は飲まない。厚きり4枚の蒲鉾が四角い皿に載ってでた。うまい。東京では昼の呑兵衛のために焼き鳥と板わさが出る。焼き鳥はないそうだ。だいたい酒飲みは昼蕎麦屋の二階で飲むものだが静岡に二階のあるソバ屋も消えた。静岡市では落語会を開く老舗ソバ屋もあって、文化の香りがしたものだが・・忙しい時代なのだろう。だいたい暇な老人がもっと人生楽しまなくちゃなんのための長生きかって・・若いもんが絶望するよ。
2020年03月15日
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5月3日しいちやんのアトリエ舞踏パソコンの取り換えで少しお休みします。いつも読んでくださり有難うございます。富士山より高い感謝感謝です。アクセス数が30万回を超えました。信じられない喜びです。新しいパソコンが稼働するまでお休みさせてもらいます。5月中旬再開の予定です。また読んでくださいね。よろしくお願いします。 しいちゃんより
2020年03月15日
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※静岡県の譲渡猫3月13日しいちゃんのアトリエ舞踏619小さなバックダボ服小さなバック今年に入り外出には、10㎝の17㎝の小さな肩掛けバックを使っていた。余分なものは持たない。スマホ、カード、小さな小銭入れ・・以上。ハンカチは服のポケットにいれる。両手が自由で実に快適。まだまだ売場には出ていない。だが少しばかり窮屈だ。今度は18㎝の12㎝のブルーの皮と布のポシェットを買う。一万円。スマホとカード入れ、紙幣と小銭入れが分けて入るポケあり。なかなか軽快に歩ける。気に入っている。今日伊勢丹の入り口の催事で、小型バックを沢山並べて売っていた。なかなか色がきれいで可愛い。が私はすでに使っているよ。家に帰ったらY紙夕刊に全頁使った海外ブランドの小型バックの紹介があった。カラフルでデザインが可愛い。値段はかなり高い。カードとスマホ時代は、大きなバックはいらなくなったと書いてある。アクサリーとしても可愛い小さなバックはこの夏人気でますよ。ダボ服それはそうとノーウェストのガバガバワンピをお店屋さんでみかけます。あれは若い人にはよくありません。脚を出すおしゃれは女性の基本です。できればヒールを履いて下さい。ヒールを履いているだけで尊敬しちゃいます。豊かな胸も細いウェストも脚まで隠して、何が女の魅力だと思ってるんでしょうか?世の男性たちが嘆きますよ。私は思わず街を歩いているブカブカ服の女性に小声で15点いやいやマイナス30点なぞと採点をしてしまいます。姉さん、聞いて下さいセックスアピールって言葉が昔はありましたよ。てなことを呟きながらおばあさんは街を散歩するのでした。縫製は直線縫いで簡単だし素材も綿、アジア製で安い。パンツまでだぼだぼだ。殿方のみなさん、これでいいんですかね。若い女性のみなさん、世の中不景気でも、おしゃれくらいしましょうや。これじゃ結婚も出産も遠のきます。日本の人口問題とも関わります。もしかして女性の賃金差別への深層心理のデモですか。それならオトコになってやるとか・・だぼ服は家庭着にして冬も終わりますから、おしゃれして恋をして結婚しましょう。結婚している方もおしゃれして、ずっと魅力的な女でいましょうよ。85歳のおばあさんが心配をしてます。
2020年03月13日
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