森茉莉 0
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この2つが結びつくなんてー想像だにしなかったけど、結びつくとしたら、あれだなあとすぐピンとくる。HIV感染だ。→「フレディ・マーキュリーと世界エイズデー」(IDESコラム vol.37 IDES養成プログラム3期生 西島健)厚労省のHPにコラムが載っているなんて知らなかったー。なんでも「感染症エクスプレス@厚労省」っていう医療従事者向けの情報提供メールマガジンがあって、そこに掲載されているコラムなんだそうだ。登録、コラムのバックナンバーはこちら →感染症エクスプレス@厚労省IDESっていうのは「Infectious Disease Emergency Specialist」の略で「感染症危機管理専門家」。平成27年から始まった危機管理専門家養成プログラムで養成するんだってさ。西島さんはその3期生。彼は結婚式に”Born to love you”を使ったそうだ。またHIVの専門医だとのこと。この2つの理由から、”Bohemian Rhapsody”を観に行き、その感想から、コラムは「世界エイズデー」のお話に。12月1日なんだそうですね。(あらー…フレディの命日から1週間後なのねえ…もう30年も経つんだ…)その時、西島さんが「世界エイズデー」制定30周年にWHOで作ったのが(すげーな。西島さん。WHOですよWHO。なんか世界規模)下記のポスター。男性同性愛者、薬物使用者、女性セックスワーカーがHIV新規感染者の大半を占めることから、それまでWHOが広報としてはあまり取り上げてこなかったセクシャルマイノリティーの人たちを対象にこのポスターを作ったんだそう。リアルというか、生々しい。美しいワケじゃない。でも、2人の愛情が伝わって来る感じ。あなた達がずっと愛に満ちて幸せでありますようにって祈ってあげたくなる。このコラムによると、1996年、フレディがHIV感染による肺炎で亡くなった5年後、3剤カクテル療法が確立しエイズは死に至る病ではなくなっていったそうです。今では早期発見早期治療でHIV感染していない人と同じくらい生きることが出来、治療を受けていれば人に感染させることもないとのこと。(つまりは一生治療受けなきゃならない)近年(このコラムが掲載されたのは2019年2月)はエイズから人々の関心が薄れ、報道も減ってきてしまった、そんな中で”Bohemian Rhapsody”が話題になっているこの時期にエイズデーを迎えられたのは幸運、と結ばれてます。フレディ、すごいなあ。(まああの、結局これが言いたいワケで。)下のyoutube。こんなセクシャルマイノリティの表現もありました。ロマンチックで美しくて…んでもって思い切り悲しい。それにしてもさっ。平成27年から感染症危機管理専門家養成してたのよね?感染症エクスプレスで医療従事者に情報提供してたのよね?コロナって感染症じゃないの?薬開発できません(てか大幅に遅れてる)、薬調達できません、やっと調達出来たら打ち手いません、打ち手確保できたら薬足りなくなりました4回目の緊急事態宣言やります飲食店に酒売るなって、何なの?
2021年07月11日
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(恋チョコドラサン、好評のうちに確か2月いっぱいくらいで販売終了しました。今は「春風のドラサン」な筈です)ぶっちゃけショックだった。美青年菓子職人さんの動画が欲しいとは言いました。でも、あたしが欲しかったのはこんなんじゃない何故職人さんが薄着の子どもみたいな恰好して飛んだり跳ねたりせねばならんのだ彼はバレリーナじゃないのよ。菓子職人なのよ。ちゃんとしたズボンはかせなさい厨房でばたくた跳ねたらホコリが舞い上がって衛生上よくないんじゃない?なんか栄養状態悪いんじゃないかって心配になるくらいスリム。一所懸命餡を練ってるとことか、生クリーム泡立ててるとことか、味見して首傾げてるとことか、そーいう厳し目のカッコよさを想像していたのよ。そりゃさ、カワイイけどさ。軽々画面のあっちからこっちへ飛び跳ねるのは、ふわふわなお菓子のイメージにあってるんだけどさ。あんで?まあいい。これは、美味しかった(いや、このシリーズは旨いんだけどさ)「チョコバタークリームとガナッシュの二層仕立て」だったそうで、おいしかった。中のクリーム挟んでるパンケーキみたいなの(どら焼きの皮?)がふわっふわでした。くるみも入ってたような気がする。オレンジピール…もう覚えてないけどきっとそんな香りもしてたと思う。こんなにキリっとしたイケメンなのに。お願い、踊らせないで。(こんどはセリフ言わせてくださいセリフ声優さんには凝ってくださいね)春風のドラサン、一応柳月のHP貼っときます。ピスタチオ&ベリーでございます。もう出てるんですね。買ってこよっと→柳月 ドラサンの商品一覧
2021年03月28日
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これが旨かった。土日に行くスーパーのワゴンの中にちょこんと、「半額」の値札をつけられ転がっていたのだけれど。旦那の酒の肴になるかな、くらいの気持ちでカゴに入れた。安かったし。もう何日も前に食べたからどうこう詳しくも言えないのだけど、辛さが程よかった。わさび風味が口のなかで清らかな沢のようにちょろちょろ流れるというか。マメ味もしたぞきっとご紹介しようと思って袋取っておいたもん。作っているのは「春日井製菓株式会社」。名古屋の会社です。1928(昭和3)年 名古屋市西区輪の内町で創業だそうです。その時の名前は春日井商店。春日井製菓有限会社を経て、株式会社になったのは戦後の1948年。それからキャラメル、ゼリービーンズ、甘納豆、焼き菓子、豆菓子、キャンディ、粉末ジュース(懐かしいなあ1958年の事だそうです)と次々製品製造開始。「グリーン豆」は1973年製造開始ですって。半世紀近くのロングセラーなんですねこのお菓子。きっと今までにも食べてたんだろうなあ。会社HPの「沿革」にわざわざ製品名を載せているのはヒット商品なんでしょうね。経営理念は「おいしくて、安心して多くの人々に愛され続けるお菓子作り」。商品情報見たら「キシリクリスタル」とか「つぶグミ」とか結構知ってる名前がありました。金平糖なんて、懐かしいなあ。会社HPでの販売は電話かFAXみたいです。販売単位はケースまたはボール単位(*)で、と書いてあるので大人買いとか小売りする人向けなのかな?(*1袋とか1個とかをピースと言って、そのピースがいくつか入ったのがボール、ボールがいくつか入ったものがケースなんだそうです。物流業界の言葉らしいです。スーパー行くとガムとか紙の箱にそのまま入ってふただけ開けて陳列してあるでしょ?あれってボール紙で作られてて、あれが1ボール、そのボールをいくつか段ボールに入れたのがケース。)詳細はHPどうぞ「知る・楽しむ」タブの「おいしい情報」では商品のおいしさの秘密や製造過程を解説しています。「こんぺいとうができるまで」の動画「こんぺいとうの神秘」の金平糖がすごくきれい。「こんぺとうは作るものではなくて育てるもの」なんだそうです。(こんぺいとう製造の御手洗さん)→Kasugai春日井製菓株式会社春日井製菓 グリーン豆 わさび味 40g×3袋
2021年03月27日
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何年か前。臨時アルバイトさんの送別会だった。こぢんまりしたレストランの1階を借り切り、同じ係10人程度の集まり。となりの課の某女史が、ある資格を持っていると話題になった。彼女、業務知識も客あしらいもすばらしいけれど内輪で話をするときはちょっと言葉遣いが荒くて、目下に厳しいと言うか、罵倒に近い物言いをすることがある大柄で、ぽっちゃりよりもう少しボリュームも迫力もある風貌を持つ彼女は、ウチのセクションでなくとも話題になりやすい人だったとは思う。「あの人、○○検定持ってるらしいですよ」ある女子が言う。「1級でしょうかね、2級でしょうかね」「1級って言ったら英検の資格も要るらしいよ」「へええー あの人が」ぽつぽつ口を挟む人がいて、なんとなくあまり宜しくない雰囲気の、どよんとした笑いが広がる。「あの人が○○?へえぇぇ、いがあぁあーい」大手取引先のコネで入った何でも野放図に言いたい放題の若いコが大袈裟に驚いてみせる。そして続ける。「○○検定って1級とか2級とかでしょ?特大ってあるのぉ?ギャハハハハハ!」男性陣の笑い声がすっと消える。慌てて女子達が笑うのを止める。最後まで自分の後輩の容姿を貶められてウフフフ、ウフフフ、とお上品に、さも楽しそうに笑っていたのはカワイくてスタイルもいい、五十路に手が届くリーダー。私、こういう若い社員やリーダーの行為を「容姿を侮辱する」って言うんだと思っていた。だから、オリンピッグというキャラクターを作って、ぽっちゃり体型のタレントでコメディエンヌで女優の渡辺直美さんにぶたの耳をつけるという発想(後述するようにそれだけじゃなかったみたいですが)を聞いて最初に思ったのは、「容姿を侮辱」じゃなくてああ、かわいいだろうなあだった。いきいきして、いろんな表情をして、広いステージを所狭しと走り、踊り、任された役目を十二分に果たすんじゃないかって思った。このアイデアは東京オリンピックの開会式と閉会式の企画を考える人たちのグループラインに上がったメッセージ。渡辺直美さんは、過去のオリンピックのハイライトシーンを空から飼い主の宇宙人と一緒に観て興奮している檻の中の豚という役回り。その豚が、地上に降臨するんだったらしい。(→文春オンライン「渡辺直美をブタ=オリンピッグに」東京五輪開会式「責任者」が差別的演出プラン」)グループラインに上がった途端に「容姿のことをその様に例えるのが気分よくない」「女性目線かも知れないが、理解できない」「眩暈がするほどヤバイ」等々批判され、発案者はアイデアを撤回。いろんな意見があるのは構わないと思う。でもこれって「容貌への侮辱」とか「女性蔑視」なのかな。じゃあ私は、かなりズレてるんですね。人間の尊厳にかかわる大切な事を慮る前に、オリンピッグになった渡辺直美さんのキュートさや笑顔、揶揄する人が居たって、そんなの跳ね返すだけの彼女にしかできない(彼女に似た容貌を持っている何人にもできない)圧巻のパフォーマンス、檻を破り、解放や克服、自由、差別撤廃のアイコンとなること、それらがぽっちゃり体型や+サイズの人たちの新しい魅力を発掘し、彼ら彼女らを励ましたり、活動の場が広がったりすることを夢見た私は差別に鈍感な前時代の遺物ってことなのかな。ブタの演出→容貌(太目ってことよね)を侮辱したって、ちょっと短絡的な気がするのだけど。結局このアイデアは発案段階で撤回したにも関わらず外に漏れ、発案者が辞任。どのみち、日の目を見る企画ではなかったのに。3月19日、渡辺直美さんが自らの公式youtubeチャンネルでこのアイデアについて「もしも、その演出プランが採用されて、私の所に来た場合は、私は絶対断ってますし、その演出を私は批判すると思う。…言い方は悪いですけど、普通に面白くないっていうことと、意図が全く分からないっていうこと。これはシンプルに思う」(→HUFFPOST「【否定】渡辺直美さん「絶対断るし、批判する。」容姿侮辱演出「芸人なんだから」「何とも思ってない」の声に)さらに「決めるのは私、決めるのはあなた。自分自身なんだということも伝えていきたい」(前掲記事)とも言っていたそう。内輪の発案段階で否定され、撤回したアイデアが外に晒されて炎上して企画倒れになるんじゃなくて、廃案は廃案のまま葬られるか、渡辺さんがご自分の判断でお断りする、という形で終わるのが一番よかったんじゃなかろうか。
2021年03月20日
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なんてったって福田進一さんですからね日本が世界に誇るギターのマエストロ、ファンタジスタ。「マチネの後で」で福山雅治のギターをやっていた人、と言えばピンとくる人いるでしょうか。映画撮影中、一番困ったリクエストは「下手に弾いてください」だったそうCDもハズレないですどこまでも清く美しい音色です。素人耳なんですが、「はかなさ」を表現できる稀有な奏者だと思っています。この動画で使ってるギターも驚き。なーんと、ミゲル・リヨベートが使っていた楽器とのこと。(ギターを作ったアントニオ・トーレスって言う人も有名だそうです)「ソルの弟子コスト」「タルレガ、セゴビアの間の人」なんて聞くと、ああクラシックギターにも連綿と続く歴史ってものがあるのよね、と嬉し懐かしい思いになってしまう。むかし、習った事があるのですよ。弟と一緒に。ていうか、ギターが弾けるようになりたい幼い弟が先生の所に通うのに、私が付き添いでつけられたってワケ。オマケで習わせてもらいました。父が病気で入院中、母はパートで習いにいったのは土曜日。その頃は土曜は午前中だけ授業があって、給食ナシで家に帰された。子供が下校してきた時家にオトナが働いてて家に居ないと、子供は「カギっ子」と呼ばれ、「お母さん働いてるのね、可哀そうに」と憐れまれた。(いまじゃ当たり前のことなんでしょうけどね。何せウン十年前ですから)「カギっ子」の姉弟が家にいて何か事故でも起こすよりは、多少カネはかかっても外に習い事に行かせた方が安心だと母は思ったらしい。弟は弾きたいと言っただけあってメキメキ上達し後にエレキギターに転向してアマチュアのコンサートに出たりしていた。私は-付き添いは付き添いだったなあ。練習嫌いで先生の前で冷や汗かきながらギター弾いてました。全然練習してないってわかっただろうなあ。でも、ギターやっててよかった。今でもクラシックギターの曲、好きだもの。音楽って、世界中に通じるしさ。福田進一さんの繊細で美しい音色も好きだし、セゴビアのしたたかで重厚な、人生を感じさせる音色も好きだ。クラシックギターをやっていたからリッチーブラックモアの繰り出すフレーズをカッコイイと思えるし、ブライアン・メイの音色の情感に驚愕もできたのだ。音楽に触れさせてくれた母に感謝している。マズルカ・アパシオナータ〜ベスト・オブ・バリオス〜 [ 福田進一 ]おすすめでございます。パラグアイのギタリストにて作曲家、バリオス(*)の曲ばっかりです。(アウグスティン・バリオス・マンゴレ 1885~1944)美しい音色、甘い音色、激しい音、楽しい音…聴いてると、心が悦ぶのがわかる。んでもってぜんぶの音が美しい。きらきら、ガラスの繊細さ、つぼみの初々しさ、雷雨の激しさ。そんな感じ。一人の部屋で、本でも読みながらでもいいし、寝そべっててもいい。時々、ほうっとため息ついたりしちゃう。ラスト、「大聖堂」圧巻のド迫力です。
2021年01月23日
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アロマテラピーの試験勉強中、あんまり実践はやらなかった。やったのは芳香浴法、足浴法、吸入法くらいだ。あ、試験終わってからアロマスプレー作った。石鹸やスキンローション、入浴剤、蜜ろうクリームなんか作れて、通信教育の教材にも材料送られてきたんだけど、どうも私は敏感肌なようだし、5〜6年前いつも使っている化粧品を切らしてスーパーで売ってる化粧品を使ったら顔中真っ赤になって腫れて、それ以来、洗顔クリームもクレンジングクリームもダメ基礎化粧品もいっさいダメ、フツーの石鹸で洗った後、保湿のためにワセリン塗るだけになりました。精油(エッセンシャルオイル)もやっぱり合わない人はいるらしくて私が受けた資格試験を主宰している団体では、トリートメントオイル、ボディスプレー、スキンローションなど直接皮膚に塗るものは、皮膚の弱い人は事前にパッチテストすることを勧めてました。あとは、濃度を通常より薄めるとか。それでなんとなく作ってない。あの、化粧品に書いてある「肌に異常がある時は使用をおやめください」ってありますでしょ?あれは異常の出た化粧品だけ止めろって事じゃなくいっぺん全部やめてみて、ってことらしいです。私がかかった皮膚科の先生が言ってました。私、以上の出た化粧品止めて元の化粧品に戻し、それでも症状が治まらなかったので皮膚科行ったら言われました。オカゲで私、今ワセリン生活です。白色ワセリン、あっているらしい。「なんの化粧品使ってるの?」ってたまに聞かれる。母が喜んで使ったら、色が黒くなったと言っていた。太陽に当たると黒くなる?【第3類医薬品】健栄製薬 ケンエー 日本薬局方 白色ワセリン (50g)商品より送料の方が高い。お近くのドラッグストア・薬局でー。んで足浴(そくよく)法。芳香浴法、吸入法とならんで、私がやった数少ないアロマテラピーの利用法だ。足(くるぶしまで)を温めて、体に負担をかけず血行をよくし、全身を温めることができます。(テキスト受け売り)精油さえあれば家の中にあるものでできるので結構お気軽にできます。やけどにはお気をつけて。用意するものはくるぶしまで浸かる洗面器かたらい、足浴専用機器(フットバス)なんかでも可。バスタオルお湯お湯を継ぎ足すヤカンとか。あ、精油合計1〜3滴。無水エタノール(*)5mlていど。合計っていうのは、精油は1種類でもいいですが、好きなの数種類選んでもいいと言う事。この「好きなの」が大事です。香りの情報は脳に届き、視床下部などの機能を整えるそうです。(→「アロマ話OUTPUT」におよその事書きました)やり方は、お湯をわかし、適切な温度にして器にくるぶしまで浸かるお湯を入れ、お湯に、無水エタノール5ml程度にお好きな精油を1〜3滴混ぜたものをいれる。椅子に座り、両足を入れる。体が温まったら出る。下半身をバスタオルで覆ったりするとより温まりやすいそうです。(またまた受け売り)精油、私はジュニパーベリーばっかり使っている。お酒のジンの香りづけにも使われるヒノキ科この植物、精油は実から採ります。紫色のかわいい実。香りはそんなに似てるとは思わないのだけど、足浴やるとヒノキに似た香りが立ち上るような気がする。気分は檜風呂〜(*)無水エタノールですが…これは今年の6月からの改定です。精油の性質の1つに水に溶けにくいというのがあり、無水エタノールに混ぜてからなら水に入れても分離しないことが検証されたため、以前の「お湯に直接数滴入れてよく混ぜる」という使用法を見直したとのこと。無水エタノールはドラッグストアなら大体置いてるはずなんですが、今コロナの消毒で、無水エタノールなかなか売ってないよね。あたしは改定前の試験を受けて、実際お湯にそのまま精油数滴いれてたけど結構楽しめました無水エタノール 70ml一応貼っとくけど。どうなんだろう?今日見た所では、品切れとか書いてなかったけど…。ジュニパーベリーエッセンシャルオイル/JP 10ml【アロマオイル】【精油】【1500円以上はメール便送料無料】ご注意香りや刺激の強さにより滴数を加減しましょう→柑橘系・スパイス系は皮膚刺激を感じることがあるので滴数は少なめに皮膚に何らかの刺激を感じた場合はすぐに洗い流しましょう長時間は身体に負担がかかるため、体調に合わせて行いましょう
2020年11月29日
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プチ体調不良。「どこも悪くありませんよー」のあとに続くのは「加齢です」他に言う事無いんかい。あ。あった。「老化を治す薬はありません」そりゃあね、大病だったりするよりはずっといいけれど。『ヘルプマン!』っていう介護ヘルパーの青年を扱った漫画で、福祉系の専門学校に通う青年が知り合った老婆(これがまた素敵なんだなハイヒール履いてお化粧して、バーにジャズ歌いに行く。)に今日の体調か何かきくと、面白くもなさそうな顔で「この歳になるとね、体調がいい時なんてないんだよ」みたいな事言って、-ああそうなんだなあなんて思った。10年くらい前の話だ。今なんとなく分かる。誰だっけなあ、歳とってきたら「治らない事と向き合わなくては」みたいな事いってたの。職場行けば若造たちの意見に押し切られ、家に帰ると部屋は散らかってるし疲れてご飯作るのもおっくうだ。ご飯食べたら眠くて眠くてちょっと15分ばかし目つぶろうかね、って横になったらたっぷり2時間ちょい。ぼーっとネットサーフィンして目覚ましてこれ入力してます。あああっちもこっちも面白くない気に食わないなんか不安だ嫌な事ばかり毎日四面楚歌もう疲れた何よ私だけが悪いってのなんでこんなことになるの?こういう時、「笑顔だよ 笑顔」とか言われるムカつく。一体どういうつもりで言ってんだ?笑顔でいると、状況が打開できるって書いてた本もあったなあ。こう言う人、いないだろうか。-コイツはオレに笑顔しか向けられない立場のヤツだなと足元みて付け込んでくるヤツ。ワンマン社長が連れてきた倒産した会社の元ぼんぼん。社長が言ってた「すっごくいい人」っていうのは「いたぶるのにすっごくいい人」って意味だよね?無理難題ふっかけて、お育ちがいいせいなのか怒る事もせず「いやあ、それはー」なんて困り果てながら愛想笑いしてる。その愛想笑いを舌なめずりして嬉しそうに見てるのが社長。薄い唇の口角思い切り上げて言う「それ、君の仕事でしょおー?」オレに拾われなかったらお前ら家族路頭にまよってたよな?って口には出さないけど思ってるのよく分かる笑顔がぜんぶ解決するなんて嘘だって思った。Twitterにあった。「傷つけられても、できるだけ早く忘れ、いつも笑顔でいる」それはりっぱなことかもしれないが、それによって、あなたがあなた自身の心をなくしてしまうのなら、本末転倒だ。— モラル・ハラスメント (@mayawhite222) November 3, 2020だよなあって思った。何言ってやんでぇ!って腹の底で毒づきながら、ニコニコ穏やかな笑顔を浮かべて話聞いてる事、ないよなあ無表情のままやっていたことの手をとめて立ち上がり、ふっとその場を離れたって、いいよなあ。ある場所でそれをやり、次にそこへ行くときすっごく気が重かった。しかもどうしても行かなくちゃならなかった。玄関出て、外の空気に触れる。薄曇り。無理矢理口角上げてみる。-ふふっこうして脳をだますのよああこんな時にも笑顔をつくれる私あたしって大したもんじゃない?と思うと幾分気持ちが上向いた。笑顔が解決するって、こういうことなのかな?【中古】 ヘルプマン!(1) イブニングKC/くさか里樹(著者) 【中古】afb確か資格全然持ってなくて、ヘルパーやってるんだけど、天才的に介護が上手くて(これ上手いっていわないか…)好きで情熱を傾けられる男子が主人公だったかな。彼の友人がかっこいい。以前は介護度って要介護と経過的要介護だったんだけど、平成18年に要支援1、要支援2ができたのね。地域包括支援センターの創設とか。そんな歴史も当時の内情的なものも分かる内容だったと思います。途中までしか読んでないけど。27巻もあるのか。
2020年11月21日
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昔、タモリの番組(ボキャブラ天国、通称ボキャ天)の中にドラマコーナーがあって『愛と言うの名のアローマ』だった。アロマはこの場合コーヒーの香りのことだったと思う。喫茶店のマスター役のタモリが万田久子さんにちょっとえっちな言葉をささやかせるんじゃなかっただろうか。その時の、恥じらいながらささやく万田さんがとっても可愛かった。ずーっと何故か頭に残っていて、んでアロマテラピー。去年、もしかたしたら仕事クビになるかも知れないって事になって、(去年はなりませんでした。去年は。)それならばーんとお金を使おうと思って通信教育を受けた。情報処理も、簿記も、ファイナンシャルプランナーも、何一つ役にたっていない。マイコン検定なんてものも取ったな。(マイコンですよマイコン。何だかわかりますか?)役に立ちそうなものさえ役に立たないんだから、どうせなら、全然役に立ちそうもないもの受けて見よう。そう思った時、この「アロマ」って言う言葉が、浮かんで来た。職場でも若い職員たちがなんか喋っていたのもありました。一人がもう一人の趣味を当てようとしていて、楽器とか、手芸とかいろいろ言ったあと、「じゃあ、アロマテラピー!」と言って何故だか2人笑っていたのだ。それで何となく。それに、香りで人を穏やかにすることができる、そんな方法を介護に取り入れていると、聞いたことがあるから。やってみました。意外な事に(と言っちゃ失礼だが)役に立った。特にコロナ禍で。aromaって香りって訳されるんですね。アロマテラピーにも定義があって(*)「精油を用いてホリスティック(全体的)な観点から行う自然療法」だそうでございます。あいまいな感じがしたけれど、精油の香りをかぐと、その情報ってちゃーんと脳まで行くんだって。鼻の奥にある「嗅覚器」っていうとこから電気信号になって脳まで届くんだそうだ。大脳辺縁系とか、視床下部とかまで。大脳辺縁系って情動脳と呼ばれていて、海馬(記憶の中枢)や偏桃体(好き嫌いの感情を起こす部位)のあたり。視床下部は理科でやりましたね、自律神経とかホルモン分泌をやってるとこ。この視床下部っていうのは香りの影響を受けることがもうわかってるんだそうだ。んで芳香を嗅いで心地よい、と思うとそのことで視床下部の機能が整ってくるとのこと。「アロマ?ははーんなんかいい臭い嗅いでなんとなくいい気分になるのねー」なんて逆「病は気から」くらいにしか思っていなかったけど、科学的な研究もされてるんですね。(「オレンジ・スイートのにおいが要介護高齢者の就寝前不安にもたらす生理的影響」松永慶子氏などなど)知らなかった。ごめん、アロマテラピー。<(_ _)>オレンジ・スイートは私も寝る前に枕に仕込んで(通信教育始めたら貰える枕)寝ることあります。ラベンダーと合わせて仕込むことも。「仕込む」って言っても、あれなんですけどね、コットンあるでしょ?あれに、ラベンダー2滴とオレンジ・スイート1滴とか垂らして備え付けの小さな袋に入れて、それを枕の端にある袋を入れるための隙間に挟んどくだけなんだけど。なんとなく、よく眠れるような気がするの。いい匂いするし。ペパーミントと、かつては世界のメントールのシェア7割を占めていた北海道北見のジャパニーズ・アロマ「薄荷」はマスクの表側にちょっとつけるだけで結構いい感じになります。(ペパーミントは皮膚刺激あるので直接肌に触れる中側には塗らない方がいいと思う)私はペパーミントをティッシュに1〜2滴垂らし、マスクと同じ袋に入れて置いて使ってます。あ、これどこかに書いたなあ)ペパーミントより薄荷の方がいくぶんマイルドな感じがするような気がします。そこはお好みですね。コルクに100均のストラップ付けて、暑い日なんかペパーミントをしみ込ませて風の通るところに下げておくとすーっとした空気が流れてきて気持ちよかった。(*)AEAJ(公益社団法人 日本アロマ環境協会)の定義。【在庫あり!】北見ハッカ通商 ハッカ油 ボトル 28mL→北見ハッカ通称公式サイト
2020年11月18日
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晩御飯を食べると眠くなる。いつの間にか服のまま布団に寝ていて(どんだけ眠くても布団は敷く)目が覚めると日付が変わっている。嫌になる。こうしてパソコン開いてFacebookだツイッターだとがやがややってるうちに返信してないLINEメッセージにこんな時間だというのに無性に返信したくなる。返信しちゃうと、これまた返事が返って来る。ありゃこれは私起こしちゃったかしらなんて思いながらなんどかやり取りするうち「既読」もつかなくなって、ああ無事おやすみになったんだなごめんなさいあ、もしかしたら寝落ちかも、やっぱりごめんねなんて思う。ちょっと思い出した。歩いて15分位のところにある駅前のラーメン屋。餅も売っている。力うどんに入ってる餅はすごくうまいらしい。年末には正月用に予約もとる。小さなディスプレイに、ごま、しょうゆ、あんこのだんごヨモギ団子、クルミ団子、大福、豆大福と並んでいる。季節のうぐいすもちなんかもあったっけ。早く行かないと売り切れる。5時ころ前を通るともう暖簾を下げて閉店していることがある。カウンターと、4人用のテーブルが3個くらいの小さなお店。お客は家族で来てテーブルでラーメン食べていく。コロナ禍でも似た感じだ。テイクアウトとデリバリー、席の少ないお店で家族に食わす、初めからこんな営業形態だとそこそこコロナ以前と変わらぬとは言えないまでも、影響を押さえることができるんだろうか。あそこは、ラーメン魚の出汁なのかなあ。面白いと言えば、若い頃関西で働いていた時、近所に昼は古本屋、夜はたこ焼き屋をやってる店があった。風呂帰りによって一人前買って帰る。(当時私が住んでいた社員寮には風呂が無かった。関西の銭湯はよかったです。安くて豪華。暖かい。漫画で読んだ、「髪洗いますぅ」と言って小さな券を番台に置くのができて、嬉しかった)上手かったなあ。今未だあるのかなあ。アマビエのお菓子。かわいいなあ。おいしかったです。北見の「御菓子處 大丸」(「ほっちゃれ」というお菓子が有名。ほっちゃれは、産卵を終えた鮭のこと。)
2020年11月12日
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これ観るといつも思うんだ。へんなこと。Def Techのシェンさんは、ハワイ育ち。生れは中国だそうだ。(Wikipedia Shen)真珠湾攻撃されたハワイで育ったシェンさんが、日本で唯一白兵戦の行われた沖縄でライブするそれはどんな気持ちだろうなんて思ったりする。でもそんなこと、全然関係なく若い観衆たちはステージの2人のメッセージと送られるパワーを受け取ろうと手を挙げ、体を振り、瞳を輝かせる。パワーを何十倍にもしてステージの2人に返そうとしている。なんて素晴らしい夕暮れだろう。雲間から金の滴したたる素晴らしい夕暮れ。確か、風車(オランダのじゃなくて、風力発電に使う細いポールに白い長いプロペラがついてるやつ)が回っているCMに”MY Way"が使われてたの聴いて気に入り、ファーストアルバム買った。なんのCMかは忘れた。風車を宣伝するCMじゃなかったと思う。”My Way”もちろん好きだけど、”High on Life”も次に好きな曲だ。浜から見えるviewもいいけど 海側から見えるこのロケーションすげえよ スケールでけえよ デ・キエロ (High on life)海側の眺め、あんまり見た事無い。下のyoutube映像には「スケールでけえ」海からの美しい眺めが出てきます。すごいなあ。海沿いの町に長く住んだと言うのにあまり海には入らなかった。そういえば、小学生の時 「お盆には”引っ張られるから”絶対海に入っちゃいけない」と学校で言われたことがある。スケールでけえ海の眺めと浜からの胸キュンな眺めをサンセットが繋ぐ。切ない気持ちを胸に彼女を抱きしめるって言うこの人の心の動きが純でいいなあ。サーフィンはやったことが無いしやるのはコワい。でもこの歌詞にでてくる男の子(だと思う)はカッコイイと思う。悲しいことに、こんな感じの男の子は私の事を好きになってくれない。つーんとしてて、理屈っぽくて生意気だからだ。関心ない振りをしながら横目でみていて、生な気持ちを、傷つけられるのが怖くて論理武装して守ってたんだろう。「お前は理屈っぽくて意地っ張りだ」と言った高校の先生がいたっけ。一番嫌われる女の子だなあ。…って、こんな話、夏にすればいいのになあ。
2020年11月05日
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弟から珍しくメールの返事が来た。「マジ ショック」。エドワードヴァンヘイレン死んじゃったねって送ったのだ。E.Van.Halenは私が若い頃のギター小僧たちにとっては神でレジェンドで天才だったのだ。キンクス”You really got me"のカバーがメチャかっこよくて、ギターがとにかく超絶技巧。何やってんだかさっぱりわかんない。Queenのブライアン・メイでさえ(私にとってロックギタリストと言えば彼とエドワード・ヴァン・ヘイレンとリッチー・ブラックモア。とジェフ・ベック。かなあ)「エディ・ヴァン・ヘイレンは素晴らしい。どうやって弾いているのかまるでわからない、あらゆることを彼はやっているんだから」と言ったそうな。(Twitter ブライアン・メイbot)エディの威勢良くて迫力あって神がかったギターと、デイヴィッド・リー・ロスのなんとなくしどけなくてだらしなくて、エッチな感じのボーカルが大好きだった。弟と私はクラシックギターを習っていたことがあって、私は練習しないからいつまでも下手クソで、自分の出す音が嫌いになって益々練習も嫌いになってしまいには弾かなくなるという負のスパイラルどん底まで到達してしまったけれど、弟はクラシックギターからエレキギターへと進み、学生の頃はバンドを組んで人前で演奏してお金をとるようになっていたらしい。勿論、弟はE.Van.Halenにも挑戦した。隣の部屋で、よくSpanishFlyやEruptionのいろんな欠片がきこえてきた。よく練習していたのは当時「3連トリル」と呼ばれていた奏法。(多分「ライトハンド奏法」とか「タップ奏法」ってこの事だよね)早弾きも、3連トリルも、エディは人間離れしてスゴかった。弟が、ぜんぜんできねえとあきれていた。 死んでからだけど、彼らの生い立ちを少し知った。グループ名にもなったVan・Halen家はオランダ出身。父親はオランダ人で母親はインドネシア人。(インドネシアは1949年オランダから独立。)オランダでの子供達への差別がひどく、アメリカへ移住。アメリカへ行った時、アレックスとエドワードの兄弟は、英語が喋れなかったそうだ。エドワードを助けてくれたのは黒人の少年たち。彼ら2人と、ロシア系ユダヤ人のデビッド・リー・ロス、ポーランド系のマイケル・アンソニーで”Van Halen”結成。(彼らのデビューした時代は米ソの東西冷戦時代。ポーランドは東側。「ソ」ってソ連のことで、ソビエト社会主義共和国連邦。1991年崩壊。)彼らがデビューする前のアメリカで受けた差別って、どうだったんだろう。ヴァン・ヘイレン兄弟しかり、クイーンのフレディ・マーキュリーしかりで、植民地、移民、差別は世界史の教科書の中だけじゃなく、私の大好きな世界にもあって、私はそれを見てこなかった。彼らもそんなバックボーンを見せる事無しに(いえ、どこかで見せていたのかも知れないけれど…)彼らは私に喜びを与え続けてくれた。エドワードは笑顔がとても可愛くて、あどけない。あの笑顔に、どんな口惜しさを隠していたのかな。ギターを弾く時は、辛かったいろいろを、忘れられたのかな。 友人に、弟から珍しく返事が来たのが甥達の事でもなく母の事でもなく、Van・Halenの事だったと笑い話めかして話した。私と同じく弟のいる彼女から「弟さんと同じ趣味を持っているっていいね」と意外な返事が返ってきた。エドワードヴァンヘイレンさん、弟と私を繋ぎ続けてくれてありがとう。あなたのギターホントかっこよくていつも圧倒されてました。ありがとう、ありがとう。ご冥福をお祈りいたします。<参考>Wikipedia エドワード・ヴァン・ヘイレン下記のTwitter苗字からオランダ系とわかるヴァン・ヘイレン兄弟の母はインドネシア人。アムステルダム生まれで、子供のときに米国に移民したハーフ・エイジアンなのだ。小学校ではアジア系だといじめられることもあり、そんなときに味方になってくれたのは黒人の友達だったという。#RIPEddieVanHalen— tadd igarashi (@taddihno) October 7, 2020
2020年10月11日
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この人がこの歌を歌うなんて、考えてもみなかった。フレディのしなやかで、人懐こく、表情豊かな音域広く力強く情感あふれ美しい、迫力いっぱいの声にこそ、この曲は相応しいと思った。カバーしている人たちもいずれ劣らぬ実力者ぞろい(だと思う。)この人が下手だと言うのではありません決して。繊細で優しく、爽やかな声質にあうのかな、と思った。なんて優しくて、しみじみと語るんだろう。素直で、自分の弱さを知っているささやきかけだ。ゴスペル調の荘厳で重厚なオリジナルを、アコースティックとピアノだけで演りこなすなんて。いいですねぇ〜。会場が一体となってブライアン・メイに力を貸し、うんと力強くなって、歌がブライアンの手を離れる。ブライアン・メイは心から嬉しそうだ。この人はつねに、この人だったんだと思った。フレディの真似じゃなく自分ならどう歌うか、をじっと考え抜いて歌ったんだろう。フレディに比べられたらとか、酷評を受けたらとか考えるいとまもないくらい、きっと考えたんじゃないだろうか。どこまで行っても自分ならどうするかを考え抜く。きっとこれ大事なことなんだなあ、とフレディ亡き後の3人を見ていて今さら気づいた。少女の頃から幾十年。教科書に載っていない英単語、性的マイノリティ、エイズ、死、老い、美しさ。クイーンをどうするか。彼らが悩まなかった事なんて、なかったろう。ジョン・ディーコンは、フレディに殉ずるかのように早々とベースギターを置いた。ブライアン・メイとロジャー・テイラーはクイーンを続けることを選んだ。その決断の仕方。そして人生。彼らは未だに素晴らしい歌で私に元気をくれながら、いろんなことを教えてくれる。
2020年08月15日
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私がこの日記で取り上げるお菓子は大体駄菓子だ。その辺でよく見かけるんだけど、どこで、なんていう会社が作っているのかよくわかんないものばっかりだ。だって世の中(ってか北海道では)六花亭と柳月ばっかりじゃん。北海道中原のスイーツ王国発祥のこの2大メーカーは北海道各地の観光地で、土産屋の棚を席巻する。その土地の銘菓さえ追い出す勢いで席巻することも。おいしいし店員さんの接客態度もいいし、文句のつけようないですよ。だからブログに書く必要なんてないんだけど。柳月で作ってるドラサンのパッケージに描いてある若い職人さんがイケメンなのだ。粉雪のドラサン 春風のドラサンに続き、今年の夏は「涼風のドラサン」。シャインマスカットとあまおう2種類出た。信じられない事に、このお菓子アフィリエイトに見つかりません。(8月6日現在)えー…。まあいい。きりっとした、職人気質もうるわしい青年でございましょ?ちゃんと白衣に「柳月」って縫い取り入ってるし。このパッケージが欲しくて買っている。帽子とったところとか、色違いの制服着た所とか、オフスタイルもやってほしいないらっしゃいませーとか吹き出しで喋らせてくんないかなあ。着流しとかもいいんじゃないだろうか…妄想がどんどん広がる職人さんなんです。この人が「どら」って言う人なんだろうか。まさかなあ。全体「柳月」のパッケージデザインはとてもセンスがいい。お店や、スーパーの出店なんかでは売り切ればっかりの「あんバタサン」は昔懐かしいロイド眼鏡に八の字髭の学者風おじさまがパッケージキャラクターだし、これも週末に行くスーパーでは大体売り切れてる「TOKATIC BASQUE(バスキュー)」はちょっと渋めのスペイン人コックが向かい合って大きな手をこちらに向けてます。実際にご覧になるなら→柳月のサイトの方が大きくて見やすいですね。CM動画も観られるし。勿論「柳月」ですからお菓子だってハズレなしに美味しいです。【ふるさと納税】「柳月」あんバタサンセット(TOKATIC・BASQUEアフィリエイトに探せなかった。ないのかな?)
2020年08月06日
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コロナふっとんでお菓子だけになっちゃった。今日はメーカー見るのにご近所のちょいサビれたスーパーでわざわざ買ってきた。(いや、あの、食ったけどサ)だってね、棚からとって、メーカーだけメモして戻すってすっごく怪しいでしょ?ポリコーン170g(坂金製菓)これだよあってよかったー…。硬さと甘さとなんとなく焦げたにおいがして口の中が香ばしくなるの。牛乳に入れた時のふやけ加減がねぇ…ふわふわしてきてはかなく甘く溶けていく。スプーンですくいつくした後の牛乳の甘さも楽しめます製造元の坂金製菓は「さかきん」と読むんですって。1934年創業の、愛知県名古屋市のお菓子屋さんです。愛知を代表する流通菓子の老舗だそうな。 ※流通菓子 製造会社から卸売業者を経て、コンビニエンスストアやスーパーなどの小売店で 販売される菓子。 だそうです。卸売菓子とも言うらしい。(コトバンクほか)「ポリコーン」の製造は1960年から。この会社のHPは見つけられなかったんだけれど、「お菓子何でも情報館」というサイトには、名前の由来、沿革、人気商品の紹介もあり。「もぐナビ」に坂金製菓の商品一覧あります。ああここ「麦スナック」もつくってたんだポリコーンって、老舗のロングセラーだったんだなあ。(何せ私が生まれる前からあったっていうのが嬉しいじゃないの)知らなかったなあ。みんな美味しいってわかってんだなあ。嬉しいなあ。こういう、テレビCM流れないお菓子が売れて(愛知県ではながれてるのか?)、生き残って行くと言うのがすごく嬉しい。大事にしましょう、地元のお菓子。近所のスーパーでお菓子の棚を見て、もしあったら1袋買ってみたらおいしいですよでん六のチョココーンと坂金製菓のポリコーン。(あらどっちもコーンだわ。でん六は以前にもご紹介したような気がします。山形のお菓子屋さんで、大正13年創業。もうすぐ100年じゃん。チョココーン…いえ、あっ これってコーンチョコなんだコーンチョコは昭和55年発売なのねーこっちは会社HPから商品買えるみたいです。→マメに生きるDENROKU
2020年06月19日
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(落語ファンからも、QUEENファンからもクレーム来そうなタイトルかなこりゃあ。)(Killer Queenご本家でございます。素敵ですねーカッコイイですねーあの眼差し、フレットに指を這わせジョンにちょっかい出すところ、毛皮、黒いマニキュアの人差し指。かっこよすぎ。ジョン、かわいいですねー。若い頃はみんな大人のお兄様だったのだけれど、何年も経って、若い彼らをいい歳の今の私が見ると、ジョンってば一生懸命で凄くカワイイ。クイーンの動画一つ見ると次々見ちゃって軽く30分ぶっ飛びます。)芝浜のおかみさんを、林屋たい平が、お侠(きゃん)な若妻で演るのを観たことがある。一途で健気で、とってもかわいいおかみさんが目に浮かんだ。10年以上前に観た春風亭小朝の「芝浜」は、中年の、しっかり者で肝の据わったおかみさんだった。迫力と凄みがあってしかもエレガント、圧巻のおかみさんだった。(→「しろうとの見た落語-芝浜-」ブログ開設した時に書いてましたね)どっちもキメのセリフは「殴られてもいい、蹴られてもいい、魚屋のあんたと一緒に居たかった!」おかみさんが若くても中年女でも、この噺はいいのだ。笑って泣いて、胸がすく。「芝浜」って、腕のいい噺家がどんなふうに味付けしてどんなふうに料理してもいい、とてもよくできた「素材」もしくは料理を入れる「容れ物」なんだと思う。んでKillerQueenもそんな器だと思うワケですよフレディ・マーキュリーによると高級娼婦を歌った曲とのこと。(えーと確か、「どんな女でも娼婦になれるっていうこと」みたいな言い方だったと思うけど)その語り方がアダム・ランバートの、朋輩娼婦または娼館のおかみ風語り口でも、フレディ・マーキュリー風彼女を買ったことのある金持ち・紳士(と言うふうに私には見える)であっても、いいでしょ?アダムの醸す淫猥な娼館風も、フレディの醸す遊ぶにはいい女さ、的な語り口もどっちもKillerQueenのストーリーを大いに語って美しく、聴く人の頭の中に、それぞれの彼女の像が結ぶような気がしませんか?私なら、アダムが歌うのはフランス革命くらいの時期の豪華に着飾ったエレガントな娼婦、(まーその頃はダイナマイトもレーザービームもなかっただろうけど)フレディが歌うのはボディ・コンシャスなドレスを身につけた知的でグラマラスなフォクシーレディ。(ちょっと高級感ないか)「芝浜」が噺家によっておかみさんを自由に創り、聴く人の頭の中におかみさん像を結ばせるように”KillerQueen”も歌い手によって彼女の像を自由に創り、聴く人の頭の中にKillerQueen像を結ばせることが出来る。”KillerQueen”は器なんだな、って人情噺屈指の名作を思い出しながら思った。あ、”KillerQueen”の「キメのセリフ」って何だろう。”Wanna try?”【芝浜】棒手振り(ぼてふり:天秤棒1つで物を売り歩く行商人)の勝さんは目利きの魚屋。腕はいいが酒癖が悪く、酒を飲んでは仕事をサボって寝てばかり。ある朝早く、おかみさんにドヤしつけられていやいや家をでたものの魚河岸は未だ店を開けておらず、浜辺をうろついていると財布が落ちています。中には大金、よろこんだ勝さんは仲間を呼んで飲めや歌えのどんちゃん騒ぎ。目が覚めるとおかみさんが突然豪勢な宴会を開いて何のつもりだと怒ります。大金を拾った、と言うとそんなものはどこにもない、浜で寝ぼけて夢でもみたのだろうとおかみさんは言う。財布は家じゅう探しても見つからず、酒に酔って眠りこけ、夢を見て大金を使い果たした勝さん、心を入れ替え酒を断ち、猛然と働き出した。もともと腕のいい魚屋の勝さんが性根を据えて働いたので3年後には店を構え、金もたまります。大晦日、ツケもすべて払い終え、その年の仕事も終えて夫婦そろった時。おかみさんが差し出した財布を見て勝さんびっくり。あの時浜で拾った財布だ。実はあんたは財布を拾ってきて、みんなに大盤振る舞いして寝てしまったんだよ…10両盗めば首が飛ぶご時世、困ったおかみさんは大家さんに相談。役所に財布を届け、財布を拾ったのは夢だったと勝さんに思い込ませた。結局落とし主は申し出てこず、財布が下げ渡されてきた-驚き顔をゆがめる勝さんにおかみさん、勝さんをずっと騙していたことを詫び、首を深く垂れる。「殴られてもいい、蹴られてもいい、魚屋のあんたと一緒に居たかった!」勝さん「頭をおあげなすって下せえ。」よくぞ騙して下すった、とおかみさんにお礼を言う。おかみさん、もういいだろうと酒を差し出す。なみなみ注がれた盃を勝さん、口元まで持って行く。手が止まる。「よそう。また夢になるといけねえ」つたないあらすじではナンですが、名人の「芝浜」を聴くと泣いて笑って、胸のあたりがスーっとします。大晦日に掛けられることの多い噺だそうです。youtubeでは古今亭志ん生、古今亭志ん朝、立川談志、先代三遊亭円楽、柳谷小三治等、落語会きっての名人の映像を観ることが出来ます。
2020年06月14日
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私って、結構遠慮深い方だと思うの。罪悪感感じすぎっていうか?モラハラに負けないために、ずうずうしくする練習。いつも行くスーパーに、カンジ悪い女がレジやってる時がある。そいつ、私がカゴの中の物エコバッグに詰めてる時に、ときどき私の後ろ通るんだよね。カゴからエコバッグに品物移す台の後ろにはもう一つ台があって、私と、もう一つの台の間を、カンジ悪い女は通りたいらしい。まーそこしか通路ないんだけどさ。よけろとでも言いたげに私の脇に立ちどまって通ろうとしない。私いつも手を止めて、「あ、すみません」とか言ってよけてあげるんだけど、よく考えたら(いえパッと見ただけでも)私がよけなくてもあんたが体横にすれば、ラクに通れるよね?こっち客なんだからさ。今度から、あ、すみませんじゃなくてさっさと行けよこのデブてめーが突っ立ってっとマジウザいんだよボケって思ってエコバッグ詰め作業を止めないことにした。予習職場にもいるやたら体格のいい兄ちゃん。後ろ通る時、必ず私の椅子に引っかかって行く。身体大きいし(この頃太って来たし)、職場は狭い。仕方ないよね、キミだって窮屈だろう。タダでさえ下っ端で、あっちの仕事デキる系先輩から小言を言われ、こっちのお局様(あたしのことじゃありません)に服従し、後ろ通る時位気を抜きたいんだろう。そう思って我慢していた。彼より背の高い、大柄な男性が異動してきた。後ろ通っても引っかかったことが無い。やっぱこれって当たり前の気配りじゃなかろうかって思うようになった。小言を言われようが、服従させられていようがここは職場だ。あんたん家じゃない。小言言われんのも、服従させられんのも、アンタの問題だ。神経擦り切れそうになってもあたしの椅子に引っかからないよう気を使えって、職場の人に呆れられないよう、かつ効果的に分からせる方法はないもんだろうか。椅子の背もたれの後ろ側に画びょうでも仕込んだ方がいいだろうか。誰かいい方法あったら教えてください。
2020年06月05日
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(またこのギターソロが、いいんだよなあー…なんて爽やか、なんて爽快、天に突き抜ける聖と俗のアンビバレンツー!…意味ないっすよ)この人の、”Killer Queen”の解釈は、どれだけ深いんだろう。グランドピアノの上に腰かけ脚を組み、シルクハットをかぶって真紅の扇子を持つ。それだけで彼は、正体不明、国籍・性別不明でも仕事だけははっきり分かる。淫売。やり手婆かも知れないし、朋輩かも知れない。娼館のマダムかも知れない。色を売る卑しめられるべき仕事だ。「そうねえ、あの娘がキャビネットに入れてるお酒は、モエ・エ・シャンドン」と小首をかしげ思い出す仕草をしながらいかに彼女が「そそる」女なのかを大袈裟に、驚きをもって語り始める。『悪徳の栄え』の主人公ジュリエットを父親が亡くなるや追い出した淫蕩と背徳にまみれた修道院長デルベーヌ夫人が「なんてこの娘は綺麗なんだろうね、あたしのジュリエットや」「なんてこの娘のかわいいお乳は弾むほど張り切ってるんだろう!おまえさんのより大きいじゃないのさ…まだやっと十三だというのにねえ」と感嘆するみたいに。(『悪徳の栄え』M・ド・サド 川で文庫 澁澤龍彦訳)娼婦たちの吸う煙草のけむり、ヨーロッパの猥雑な色合い、淫猥な雰囲気、扇子をひらひらさせると立ちのぼって来る軽薄なジャポニズム。扇子の端から見える美しいが得体の知れない”女”の語り口がKillerQueenのただ事ではない魅力を際立たせる。解釈を完璧に表現できるアダム・ランバートをフレディを喪ったブライアン・メイとロジャー・テイラーが”神様からの贈り物”と呼ぶ理由が。”彼女”を見てわかる。アダム・ランバートさんはアメリカ人男性ということだけれど、"Killer Queen”でめくるめくようなヨーロッパの淫蕩、背徳、悪徳…悪の華を見せてくれたんじゃなかろうか。※そういえば、『悪徳の栄え』の作者サドは、バスチーユ牢獄襲撃を、牢獄の中からみたんだっけ。いや、マリーアントワネット繋がりなんだけどさ。関係ないか。
2020年02月29日
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毎週金曜日にブログ更新用メールを送ってもらうよう設定しなおしたのだけど、金曜日に更新したのは数えるほどだ。以前は水曜日で、水曜より金曜の方が更新できると思ったんだけどなあ。ま、いいか。うーん。いい事があったんだけど、すごくたわいもない事。日曜日(9日)、「噂の東京マガジン」の中吊り広告大賞で「AERA」の中吊りが映った。どの記事の見出しの事を話していたのかさっぱり聞いていなかったけれど「クイーン」の文字が入っている見出しが映っていたので、本屋に「AERA」を探しに行った。櫻井翔くんの表紙で、あれ?この本こんなに薄かったっけっていうくらい薄かった。厚み、ないんだもん。今回のラプソディ・ツアーについてだった。うんうん、そうだよね、納得と堪能。最近すごく寒い。オマケに下の階の人が引っ越してしまったので余計床が冷たい。アロマテラピーの入浴法に「足浴」というのがあって、やってみた。くるぶしまで浸かる器を用意し、お湯を張り、精油を1〜3滴入れてよくかき混ぜる。座って足を浸す。使ったのはジュニパーベリー。これヒノキ科なんだよね。果実はジンの香りづけに使われてて、精油の香じたいはそんなにヒノキに似てる感じはしなかった。でも、立ち上って来る香気は、ヒノキに似てるような気がする。足を浸して目を閉じれば、檜風呂だわ、なんて思った。日曜日の満月がきれいだった。寒いせいか空気も澄んでいて夕暮れの空が紫がかっていていっそうきれいだった。昨日、地酒を飲む会に出かけた。会場係の女の人がきて、「こちらのテーブルに移られませんか。ある職場の方々が団体で申し込まれたのですが、仕事の都合で来られない可能性がでてきました」移った。10人のテーブルに数人。ドタキャンだったらしく、料理は10人前。立ち並ぶ地酒の数々、たっぷりの酒にあうごちそう酒池肉林…
2020年02月07日
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全員夫がいて子供を産んだ人2人、産まなかった人2人。(これから産むというのはもうないですね)子無し子あり、分断も対立もせず、いい女子会だったと思う。子供の無い女たちは、へええ母親ってこういう心配するんだな、とかこんなに子供の幸せを願っているんだな、と子供がいないと持てない感情を知ることが出来、子供のいる女たちは、え!?子供を産んでいないことでそんな事言われるの!?とかそんなことする親戚いるの!?と驚きがあった模様。それぞれそれなりの苦労あり喜びあり哀しみあり、だよね。どっちがどれだけ大変とか、価値があるとか決められるもんじゃないだろう。そう信じたい。クイーンとアダム・ランバートが埼玉でライブをする土曜日、私は母の所にいくだろう。(まあ、チケットの抽選全落ち…だろうなあ。)そして、私がクイーンが好きで、その事を母もよく知っていて、そんな思い出話をするのかも知れない。テレビで、クイーンの到着とか、記者会見とか、映らないかな。テレビ観ながら娘だったころを母と思い出すの。元気で日本にきてね。あなたたちも、あなた達のライブに来た人たちもみんな楽しめるよう祈ってるよ。そうだ。日本のファンが選んだ曲で作ったベストアルバム、車でかけた。10年乗っていて、車でCD聴いたの初めて。…右のスピーカーが故障してる事がわかった。March of the Black Queen が入ってるのにちょっと感動。(私が投票した曲は入ってなかったけど)Queen クイーン / Greatest Hits In Japan: Selected By Japanese Fans 【SHM-CD】【送料無料】 Queen クイーン / Greatest Hits In Japan: Selected By Japanese Fans 【SHM-CD】
2020年01月17日
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みなさま穏やかな新年をお迎えでしょうか。今年もよろしくお願いいたします。大晦日から行っておりました主人の実家からついさっき戻ってまいりました。主人の母が作ったごちそうを食べ、紅白を視て、ゆく年くる年を見ている時に日付が代わり新年のご挨拶をして就寝。翌朝初日の出を拝み、主人の母が作ったお雑煮を(お餅2つはやめてくださいと言えずに)いただき、茶の間のテレビ画面に映っている番組を日がな眺め、あんまり退屈になったので近所のそこだけ開いていたセブンイレブン、ちょっと歩くとまたそこだけ開いていたローソンとコンビニをはしご。夜はまた格付けで鬼龍院翔くんの犠牲(?)ぶりを観たあと相棒でてっぱん以降久しぶりの美織ちゃんを観て就寝。翌日と本日は箱根駅伝、今日の夜は嵐のスポーツ選手を呼んでのゲーム対戦とババ抜き。あ、孤独のグルメも3が日やっていたはずだったけど見逃した。街にもちょっと出かけた。初売りやっていたけれど、福袋は買わなかった。こんなにテレビをぶっ続けに観るのは久しぶり。主人の実家はネットが繋がらないし私はガラケー民。テレビの中の世界は、なんて豪華で高級そうな世界なんだろう。食っちゃ寝してたので明日体重計に上がるのが怖い。(まああの、これだけ読めば、不平不満言ったらバチがあたる超恵まれた嫁だわなあ。)
2020年01月03日
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メール投稿の曜日を、水曜日から金曜日に変えた。さっそくすっぽかした。だって忘年会だったんだもん。毎年、若手の方々が趣向を凝らしたくじびき大会を開催してくれて、今年は某ホテルのケーキ引換券が当たりました。ありがとうございます<(_ _)>そんなに遅く帰ったわけじゃないけど、寝ちゃったー宴会会場は数件のチェーンがあるお店。間違えて会場じゃない店に行ってしまった。絶対ここだって言う自信があったから、時間ギリギリに出てきた。頭パニックでどこにいるかわからなくなった。近くでトラックからビールの大きな缶(?)の積み下ろしをやってるおじさんがいた。「おじさん、○○屋ってどこにあるの?あたし間違えて××屋に来てしまったの。びっくりしてどこにいるかわかんなくなっちゃった」おじさん、積み下ろし作業の手をとめてわざわざ〇〇屋のある通りまで出てくれて「ほら、あそこに〇〇屋って看板見えるでしょ?あそこだよー」と笑顔で教えてくれた。「お仕事中にごめんなさい。これどうぞ」ってこれしかもってなかったからのど飴2粒出したら「いいよいいよ」ってお仕事に戻って行かれた。ありがとう!親切な方!……ってか、あたしってまだイケルかも(何に?)、なんて一瞬思った。追伸 今朝の体重がメチャ増えてて驚愕した。あれしか食ってないのに。
2019年12月20日
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ほんとは11日に来たメールで日記更新してるんですけれども。これは一週間にいっぺん来るメールなのかな?水曜日は、止めて欲しいなあ。。水曜日は私、夜遅いもの。「産まない方が問題」産みませんでしたー。何と申しますか、「社会保障や財政の持続可能性」を守るために子供産むわけでしょうか。ノルマ?んで、育てるのもこっちですよね。会社が、いくらいくら増収達成するためには、○○を何本売らなくてはいけないっていうアレみたい。ノルマ達成したらご褒美なあに?子供少なくなってきたら、それでも暮らせる社会保障制度や財政を考えるのが国じゃないのかと思ってましたが、既存の制度を持続させるしか能のない、というか既存の制度を持続させるために予定数生産させればよいというお考えを人間が人間に使うのは、不愉快だからやめていただきたいと思いますがいかがでしょうか。どうしても頭数そろえたいなら、人工子宮まず作りましょう。筒井康隆のSFみたいに。そして試験管でばんばん受精卵作って人工子宮にぶっこんで、出てきたらAIに育てさせたらいいや。金儲けの上手い、国好みの下卑た思考停止人物を作って、お山の大将やっていたいんでしょ。そして人工子宮組と女性の子宮組に分断して差別させて対立させておくと管理もラクよね。一体誰のために国政とかやってんの?
2019年12月11日
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前々から気になってたんだが…なんだぁ?これ。返信しても日記を更新することはできませんって。じゃーなんで送って来るんだ。まあいい。寒いやね。風が強くて冷たい。当たり前ですが、当たり前の事を書いて気を紛らわせていないと居ても立っても居られないくらい寒いのです。4月に階下のご夫婦がお家を建てて出ていかれました。それから入居者なし。下の人がいないとこんなに寒いなんて。誰か頼むから入居してください。今日あたしをバカにして鼻先でせせら笑ったあの人が、滑って階段から転げ落ちてそんでもって…と脳内残酷大会をやりながら、送信するのであった。ブログがどうなってるかメチャ楽しみ^^
2019年12月04日
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実家に帰った。自宅に帰る途中で友人と会う約束をしていたので地元の老舗レストランが出しているお菓子を買おうとデパートに入った。無い。土産物店に入った。無い。駅のキオスク無い。あるのは、スイーツ王国と呼ばれる北海道某地方の特定の銘柄。無残なほどに、そればかり。道外から来た人にはいいだろう。確かに旨いんだから。待っている人たちは喜ぶだろう。でも道民はどうするんだ。故郷のお菓子をおみやげに持って帰ろうにも探すのに苦労するとは。そりゃ確かに、あちらのお菓子の方が、旨いのかも知れない。でも、地元の菓子にも、あちらのお菓子に引けを取らないくらい旨い菓子があったのだ。美味しいお菓子を美味しい美味しいと言って喜んで食べているうちに懐かしいお菓子を喪ってしまった。いつもは喜びの眼差しで眺める綺麗な色の可愛らしいパッケージがサンゴ礁を喰い荒らすヒトデのように見えた。
2017年11月20日
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北海道だけでしょうかね。私の親の世代とか、私の世代とかまででしょうか。「うちは青森、弘前だよ」「へーえ、うちは富山」なんていう会話。ご存知の通り北海道は内地から明治維新以降に入ってきた人が多いんですね。(これもご存知の通り、北海道以外の日本の事を道民は「内地」って呼びます。)私の世代だと、ちょうど入ってきた人たちは曾祖父母の世代。私の親の世代だと祖父母の世代で同居が多く、私たちの親の世代は、自分の親たちや、入ってきた人たちご本人から聞いた話を私達に話してくれたりします。私たちの親の親たちの世代だと北海道に入ってきた世代の人たちから直接教育を受けているから言葉を受け継いでいたりします。遊びに若い頃遊びに行った道東の家のおじいさんが後藤田官房長官(徳島県出身)の喋り方そっくりだったり道南で、津軽弁の言い回しを聞いたりしました。道内に北陸銀行がやたら多いのも北陸からの入植者が多かったから、と聞いています。今でも釧路・根室の道東地域の次に北方領土返還運動が盛んなのは、北陸の方らしい。北海道に入り、そこから北方領土に渡った人が多かったそうです。どんな思いで、どんな未開の北海道に入ってきたのかな。うろ覚えですが北海道は気候が過酷で入植者に多くの死者が出ると言う声に対し、肥料になっていいだろ?みたいなことを言った高官も居たそう。父方も母方も、江戸時代にまで遡って調べ上げた親類の話をよく記憶している母に比べ私の父。「三代前は、知りまっしぇえ~ん」と、おどけていました。「なんでも北陸のほうだったらしいけどな」と付け加えて。いろんな人が、いろんな理由で来たんだろうな。新天地だもの、知っててもいい、知らなくたってもちろんいい。ここからだ。過酷な気候、過酷な大地、多くの犠牲の上に立って日々養ってもらっている私たち。なんてことを、静岡の御茶をいただきながら六花亭「ひとつ鍋」をぱくついて考えたりするおばさんでした。六花亭 ひとつ鍋 ギフト プチギフト プレゼント スイーツ セット ギフト 最中 小倉餡 こし餡 白餡 ハロウィン お菓子 【北海道お土産探検隊】本場十勝人の話だと、「小さくなった」そう。お菓子の名前の由来は俳句「開墾のはじめは豚とひとつ鍋」(依田勉三)からとったのだそう。十勝の人たちはお菓子には、厳しいぞ~お菓子愛半端ない。だから十勝は「スィーツ王国」になれるんだね。旨いよ
2017年10月08日
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明治の末期生まれ。90歳の天寿を全うしました。でも晩年、病の床につき「死んだら兄貴に叱られる」としきりに言っていたそう。長兄、次兄両方とも結核で20代半ばにして死去。彼ら二人が弟に託したものが思われます。「死ぬな」「継いでゆけ」だったんではないのかな。それとともに、若くして逝かなければならない無念をも弟は背負ったんではないでしょうか。戦争をくぐりぬけ子供や孫に恵まれ仕事でも地元に大きな足跡を残してでもこんな言葉を言うなんてよほど兄二人が怖かったんでしょうねとその人を看取った人は言っていました。子供や若い人が死ぬ事がよくあった時代年寄りたちの語る思い出話の中の「死」は語り口とは裏腹に胸の中には深く、情け深く、刻印されているんだろうな。
2017年10月03日
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きっと明治時代のことだろう福井の人だったそうだクマがでる危ない所なんてやめろと周囲の人がいうのも聞かず北海道にわたり入植、一男を設けるその一男の嫁生まれる子供生まれる子供みんな女児夫は優しい人で「男が生まれるまで5人でも10人でも産んだらいい」と言ってくれた(…)そうだ。「謝りながら産んだんです」結局夫婦の間には女児5人。「でもね、一人しか産めない人も、一人も産めない人もいる」私は恵まれていると思う、と続ける。こんな話をある場所で、腰の曲がった畳の上でも杖が無ければ歩けない眼病に罹っていると言う娘のうちの一人に連れられてきた老婦人から聞きました。どうしてそんなに男の子が欲しかったんですかどうして謝りながら産んだんですか産まなきゃいけなかったんですか5人でも10人でもなんて、そんな旦那さんのことどうして優しいなんて思うんですかそんな疑問が出るような時代にもうなったでしょうか。鶏でも牛でも、私は好きで愛情かけると動物もわかるのね。とも言っていた。こんな小さくなった老婦人が自分のかけた愛情のことを微笑みながら話す。きっと、温かい愛情だったんだろうな。産む、育てる、誰から教わるわけでもないでもこの老婦人は知っていたんだろうな。
2017年09月28日
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自分と仲の良い人が誰かと争ってそこに加勢するのではなく仲の良い人が仲違いした相手の所へ行き どうぞあの人と争うのは傷つけあうのは止めて下さい仲直りの仲介をいたしますみんな愛する人のもとで贅沢でなくてもいい、ささやかだけれどつつましい、平穏な、毎日を過ごしたいはずです。そういう生活を私、あなた、そしてあなたと争っている彼みんなができるような方法を争いでなく、対話で探しましょう。といのちがけで言いに行くことが私たちのいきかたじゃないんでしょうか。それじゃ、だめなんですか? 自分たちがどんな尊い、二度と出してはならない犠牲の上にたって一体何に守られて70年もの間争いに巻き込まれずやってこられたのかもう一度考え直してみませんか。お願いですから
2015年07月14日
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桜前線が北海道に上陸しましたね今年は例年より北上が早いそうです。私の住む所に桜前線が来るのは5月上旬~中旬くらいかなー… 昔、数十年前、私が結婚した時、新婚旅行に着ていくスーツに母がブローチを買ってつけてくれました。多分プラチナのオブジェにきれいなめのうが涙の滴のように下がっていました あるとき気が付いたら そのめのうだけが無い。 落とした‐ それから、落とすのが怖くて イヤリングも、ブローチも、ペンダントも、 身につけるのは結婚式とお葬式だけになりました。 ある方とお話していて、「アクセサリーはね、つけたいんですけど、…」と、ブローチの話をしたら「あら、石だけ落とした?もしかしたらそれ、小烏丸さんを、守ってくれたのかもしれませんよ」守る「あなたが災難に遭う身代りになってくれたのかもしれません。そういうことがあるんですよ、石って。」へぇー…同じ世代の女性の結婚年齢の平均よりは少しばかり早く結婚し、郷里から遠く離れた知り合い一人、親戚一人いない小さな町に嫁ぐ頼りない私の事を母は心配したんだろうな。その心配が、きれいなめのうに結晶していたのかもしれない。 そして、私の気付かない何かから私を助けて、身代わりになってくれたのかもしれない。石を落とすって、そういうことなんだ。不注意とか、管理不行き届きとかそういう、自分を責める材料ではなくて、守ってくれる、飾ってくれる、母の気持ちをその中に閉じ込めて、私を助けて、行った。そういうご縁だったんだな。ありがとう。 そう思ったらですね、俄然勇気が湧いてきて、桜の花をかたどったペンダントなど手に入れて 気持ちだけは春らしく華やかに 遅い春を迎える準備をしたことです ひゃーおはずかしい^^;セーターは私のご愛用で初冬~晩春までの間、何年も着ています。多少ヘタってますがたっぷりしていて、裾が長く、大きめのポケットもついているので職場に着ていって重宝しました。今は部屋着にしたり、一人の時は、これを着て外出したりします。 桜のペンダント:アトリエMichi★
2015年04月25日
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主人の受け売りですが…夏目漱石が学校で"I love you"を「我汝を愛す」と訳した生徒に「日本男児はそんなこと言うもんじゃありません。『今夜は月がきれいですね』とでもしておきなさい」と言ったそうな。 日本男児はそんな軟弱な事をいうもんじゃない、ということではなく常に周囲に眼を向けられる男になれということじゃないのかな… 電車に乗っていました。若いカップルが座席の端にいまして男性が女性の肩に腕をまわして長い髪を撫でつけている。女性がバッグからスマホを取り出してミニスカートから伸びた脚の上で操作を始める。男性、その手に自分のもう片方の手を添えるようにして彼女の脚の上に自分の手を載せる。まるで周囲を気にせず彼女と出来るだけ広範囲に接触することが彼女への愛情を示す一番の方法だと固く信じているかのよう。 カップルが座っている座席とは反対側のドアが開いて家族が乗ってきた。父親は3歳くらいの眠ってしまった女の子を抱いていて母親はお腹が大きい。空席はなく、夫婦は扉近くの座席の横に疲れた顔をして寄り添って立っている。私は旅行鞄の他に2つ荷物を抱え座席から動けない。さっき、カップルの前に立っていた子供を抱いたお母さんに席を譲り、そのあとの空席にやっとありついたばかりなのだ。車両の中は空いていて、そのカップルには、扉近くに立っている家族のがよく見える位置にいた。でも、気づかない。相変わらず男性は彼女の髪をまさぐり、彼女に話しかけ、彼女の脚の上に手を載せている。そのうち男性が彼女の肩に腕をまわしたまま二人は立ちあがり、扉が開くと、降りていった。彼氏、見えなかった?彼女もだ。一言、「ねぇ、譲ってあげよう」って席を立つこと出来なかった?「月がきれいですね」っていうのはたとえ最愛の人が目の前に居ても夜空の月の美しさを愛でるくらいの心の余裕を常に持っていなさいって言うことなんじゃないか。そのくらいの余裕がなくてはその人を幸せにすることも、守ることもできないよって言うことなんじゃないか。それとも。見えないフリしていちゃついていたか。子供を抱いた夫と身重の妻に席を譲るより、人前で身体を触れ合わせることの方が大事だって思ったか。もし、本当にそう思ったのなら、お互い恋人なんて持つには10年早いぞ。世間様にこれ以上恥ずかしいとこさらけ出す前にさっさと別れちまえ。
2014年11月03日
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物が捨てられない性質(たち)だ。洋服が捨てられない。何年も着ないのに、「もしかしたら今年着るかも!!」なんていうあり得ない妄想のもとに箪笥の底に敷いておく。あんまりだから整理整頓の本など読んでみる。何ていう名前の本だったか忘れたけれど「無理にすてなくていいんですよ」というような事が書いてあった。「着る」と「捨てる」の間にグレーゾーンの箱を設けておき、そこに踏ん切りのつかない服を入れておく。そのあとに、「着ないけれど捨てられない服はおもいで箱へ」グレーゾーン箱はさておいて、「おもいで箱」はさっそく作る。今のところの内容物。母の手編み。青いカーディガンとっても気に入っている青。それを、学校の先生から、「ちょっと、そこのくすんだ青色の服着た人!」と呼ばれて腹立たしく思ったっけなあ。「好きなボタンを選んでいいよ」と言われて飴いろに光る丸いプラスチックの周りを木の丸い枠で囲った大きなボタンを選んだらあとで母から「毛糸代よりボタン代の方が高かった」と苦笑いされた袖の短いカーディガン。着ていけば「あたたかそうね」「素敵ね」と称賛された素敵な縄編み模様のベスト。安い毛糸で作ってあるせいか、寸法が合わないわけでなく、いまでも暖かく、着心地いいのだけれどなぜか肌をちくちく刺して、着られないのだ。数年前まで、私のためにせっせと編んではポンチョ、ショール、セーター、ベスト、帽子何か送ってきてくれた。母の技術は確かで、高いものらしい。職場に着ていけば、手芸好きの人達が集まって「ちょっと後ろ向いて」「これ、どうやってるの?」「すごいー」私が着ている母の手編みのあちこちをひっぱったり、裏返して見たり。私の郷里まで習いに行きたいと言うひとまで。それだけの技術はあっても母は、お金にはとんと縁がなかった。これからもなんだろうなあ…きっとおもひで箱はそのまま形見の箱になるんだろうな…なんて考えたら今日は母の誕生日だった。おめでとう、お母さん。79歳のお誕生日おめでとう。 一年でも、一日でも長く、元気でいて。
2014年08月10日
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『アナと雪の女王』(”Frozen”)、すごい人気でしたねー。私もYOUTUBEで”Let It Go”の動画、何度も観ました。宮廷の舞踏会でチョコレートの匂いがすると言って妹と喜んでいた戴冠式を終えたばかりの若い女王が誰をも傷つけたくないと女王の地位を捨て、人里離れた山岳で一人暮でらそうと決心する場面。美しく、強い意志に満ち溢れた場面として描かれていましたが、女王の健気な心にちょっと泣けました。 その動画で女王がマントのボタンを外し、マントが風ぱぁっと飛んでいく、そんな場面がありましたでしょ?それを観て、ある友人を思いだしました。20年以上前、夫婦別姓を法律として定めよう、という運動がありました。憲法ではどちらかの姓を名乗る、とあるけど実際は夫の姓を名乗るのがほとんど。何故女だけが結婚によって慣れ親しんだ苗字を捨て旧い家制度の中に組み込まれ苗字を変えることによって仕事上の不利益を被らなければならないのかという疑問を呈した人達が居たと思います。その時、結婚相手の決まっていた友人は「冗談じゃないわよ!」と怒った。「なんで結婚してからまで、あの家の苗字を名乗らなきゃいけないの?」自分の育った家族が嫌いなわけではない、父も母も、兄弟たちも大好き。でも、何故か家の家系は病人と妾ばかりなのよ、と少々口の悪い彼女は言いました。「あの人と結婚して、そういうものを全部脱ぎ棄てて、新しく二人で始めるのよ?」大した仕事もしてこなかったんだから名前が変わったって面倒なんてないわ第一引っ越して新しい所に行くんだもの。それより田舎だからクルマの免許が要るの。バスも鉄道もそんなに本数がないのよ。とてもきれいな、白鳥の飛来する湖があるんですって。冬はとても寒いみたい。きっと海産物がおいしいわ。 ああそういう考えもあったんだなあ、と思いました。新しい生活をどう作っていくか彼女の関心は、そこにばかりあったようです。既存のしくみの中でのかなりいい位置から、これまた別の既存のしくみのどんじりに組み込まれる移動と考えずに新しいものを二人で作っていく、と考えたのかもしれません。女性にとって、結婚って多くのものを失うこと、ではなく多くのものを新しく作りだすこと、となってほしいものですね。勿論、政治家さんたちの考えるような人口維持のための「出産機械」と言うような意味ではありませんよ。 エルサ女王の作った美しく壮大な宮殿とまではいかなくとも二人で、身の丈にあった家庭を築いているといいなと思います。もう何年も、連絡をとりあっていない友人の夫婦別姓に然と抗議した印象に残るお話でした。
2014年05月11日
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失業中に友人に誘われ、某施設喫茶店でボランティアしていたことがありました。コーヒーや紅茶、オレンジジュース等々飲み物とパンとポタージュのセットなど。粉末をお湯で溶く、レンジで温める等、火を使わない軽食をお出しするウェイトレスです。お金の計算もあり、経理関係の仕事を全くやったことのない私には売上の計算や、計算金額通りのお金がちゃんとあるか数えたり、金種ごとに数を記録したりするのをやらせてもらえてとても嬉しかった。勉強になるなあ。もうひとつ勉強になったのはメンバーさんたちの嗜み。この私がメンバーの中で若いほうです。「私はあの日、親戚の家に遊びに行っていたので、助かりました」と話して下さった、服のセンスがとってもよい、いつもにこやかな方。「あの日」って、原爆投下の日です。七夕にはその施設の一角を借りて、抹茶を振舞いました。お菓子を食べてお茶をいただくしか知らない私は、勿論お薄を一服いただいておしまい。そんな時に、普段はそんなことができるとも自慢一つなかった人達が当然のようにきりっとした着物姿で、お抹茶を運び、立ち働いています。毛氈を敷いた露台(?)に腰かけ、笹に掛けてある短冊を読み、どなたが提供して下さったのか、お道具も拝見できるようになっていました。 写真は、喫茶店の夏のテーブルです。これだけ見ると、何の変哲もないですよね。施設の花壇から、季節の花を少しばかり分けていただいて花瓶に飾る。いつもは陶器等の、小さな花瓶が使われます。私の住む所は夏は冷涼で、エアコンがついていない施設が多い。いくら冷涼でも夏の盛りには締め切っていれば暑くなる。なのに施設の性格上、窓やドアを開け放って風を通すことができません。そんな時に、少しでも涼気を取り込もうと、グラスを花瓶がわりに使い花瓶敷きにも、普段は裂き織り(*)のコースターを使う所が簾風のコースターに変えてある。テーブルの、ほんの小さなスペースへの気遣いがなかなかできず、こうして飾られているのをみてああこういう用意のある人ってどなたなんだろう、とちょっとゆかしい気分になったりします。その場での当意即妙の行動・気配りというのはなかなか出来るものでもないと思うし、いつも穏やかに、頬笑みを絶やさずにたち働くというのはとても難しいもので、エレガントな大和撫子たちの立ち居振る舞いをいつも頭の下がる思いで観ていました。*裂き織り 古くなった衣類・着物を細かく裂いて織る布。 繊維が手に入りにくい時代に興った仕事だそうで、明治以降の 貿易振興後、あまり見られなくなりましたが、近年、創作活動 として、見直す動きが出てきたそうです。(参考:Wikipedia) 私の住む町では、この技法をとり入れ、コースター、バッグなど を製作し、販売している共同作業所があります。
2014年02月16日
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(下記のイベントは11月30日無事終了いたしました。) さて、下記の要領にて、Cocoronオンライン同窓会を開催いたしますのでみなさま万障お繰り合わせの上、ご参加くださいますようお願い申し上げます。【2013年も冬真っ盛り♪オンライン同窓会】 日時:2013/11/30(土) 21:00~ 終了に伴い、同窓会の詳細について削除いたします。 ご参加下さいました皆様ありがとうございました。
2013年11月06日
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主人と私の実家へ帰った時。父にお供えする花を買うのに、電車道路を コンビニかスーパーがないかと探して車を走らせた。こんなにさびれてたっけ?シャッター街のシャッターがどこも錆びて色あせ、歪んでいる。1軒、小さなお店に、古びた大きな「大黒餅」の重々しい看板。お店もかなり古いみたい。がたぴし言いそうな木造の、ガラスの嵌まった戸を開け放っている。ガラスケースが正面に一つ置いてあり、中に何か白いものが入っている。餅?「後で寄ってみよう。何か面白いものがあるかも」と主人。 車を小路に止め、先程の店へ。古い木枠のガラスケースに2段、お供え用の落雁が並んでいた。ケースの上に、大きな分厚い板が置いてあって、その上に平らにならした豆餅が置いてある。豆餅の周りには白い粉が散らばっている。お店と言うか、工房と言うか…それでも小さなショーウインドウがあって、そこにはそれぞれ丸いお皿に載せて、豆餅とべこ餅と、もうひと種類、笹の葉を敷いた、見たことのない餅。人気がない。少しおおきな声で「ごめんくださーい」白髪頭をさっぱりと刈り込んだ、白いシャツ、白い前掛けの男性が現れる。さっそく見たことの無い餅を指さして「これ、なんですか?」「くじら餅です。漁に出るときだとか、子供が生まれた時、人が死んだ時にも食べる」縁起ものらしいけれど…お葬式にも使う?「死んだ時?じゃあ、普段はいただかないものなのかしら。」「いやー、普段でも食べていいんだよ。焼いて食べるといっそううまいですよ。これは、道南でも、森から南のほうにしかないんです。青森にも、富山の方にもあるけれど、みんな形が違いますね。こっちでは、死ぬことを鯨に乗ってゆく、と言います。青森でも、大間ってあるでしょ?」「あーまぐろで有名な…」「あそこは昔はくじらで有名だったんだ。」豆餅3つ、くじら餅2つ買う。いまどき珍しい、竹の皮に餅を包んでくれながら話してくれる。しらなかったなあ。くじら餅は、確かにちょっと鯨肉の色に似ているけれど、味はべこ餅に似ていた。 生まれてくる子供が元気に育つように豊漁であるように安楽な旅路となるように。人のだいじな節目に、何を願うにしてもちょっと前までの日本人にとってはくじらくらい頼もしい生き物はなかったんだろうな。そういえば、私の小さな頃、お雑煮にくじらの脂が入っていた。一年の始まりのだいじな日に、くじらをいただいていたんだ。黄色い、ぷるぷるした、細かいぶつぶつしたモノ。よそではあまり入れないらしいということを二十歳すぎてから知ったっけ。
2013年08月26日
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元Cocoronユーザのみなさま、お久しぶりです。Cocoronがサービス終了してもう一年あまりが経ちましたね。皆様いかがお過ごしですか?さて、もうご存知の方いらっしゃるかなーと思いますが元Cocoronユーザーのための情報交換の場が提供されております。
2013年07月14日
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札幌の某アーケード街の路上販売。「旅行先で買ってきました。」と言良く通る声。敷物の上に並べられたこまごました商品の中に南米の神鳥、ケツァル。足を止める。 石を真鍮か何かでつないだブレスレット、アルパカを彫った銀の指輪コインケースやバッグ皮のベルトの縁に何か刺繍が施されている「ブレスレットはおもにアフリカですねーアルジェリアとか。布と指輪は、グラテマラです」 定期的にグラテマラへ行って品物を買いつけてここで販売し、一緒にケツァルのタペストリーの注文をとるボランティア。売上は、全部グァテマラに置いてくる。飛行機代は自分持ち。だから、タペストリーも「普通ならこんな安値では手に入りませんよ」外国人観光客が足を止め、ブレスレットに見いる彼女の口から、流暢なスペイン語が飛び出す観光客、日本語で「私英語しか分かりません」そんなやりとりもあった。 私の住む町で観光施設の催し物スペースで手芸品や陶芸、工芸品を販売して利益を震災被害者への寄付をするという催しの中。やはりあまり見慣れない配色の布で作られたコインケースや布、エプロン。はちみつ、紅茶もある。布を折ってエプロン代わりに腰に巻きつけた女性が出てくる。「ブータンで、修学できない児童に技術指導をしています。この品物の売上利益はすべてブータンに寄付します」やっぱり、手がかかっている割には随分安い。そのことを言うと、ちょっと詰まったように、でも元気な声で、「飛行機代は私持ちです!」あ、ここでもなんだ…。ご本人は陶芸家らしい。隣の机に、生活に使うような落ち着いた色の、使い勝手の良さそうな碗や皿が並んでいた。 どうしてこの人達のことをいままで書かなかったのかな。出会っているのに。
2013年05月26日
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(ひゃー。だいぶご無沙汰してしまいました。以下は昨年書いたものらしく、「下書き」残っていたし、今すぐアップできるネタもないということで…。季節ははずれではありますが掲載します。…と言っても、昨日北海道では積雪を観測した地域もあるそうな…。こりゃあ桜はまだまだだなあ… 2013.5.6) ペーパードライバーだった私が会社の意向でマイカー通勤して半年した頃。会社は、所謂、保険屋さん。車は社長宅の敷地に駐車。朝晴れていたのに、夕刻になってどっと雪が降りだした。社長:「雪降ってきたねー。車、どうするの?」 私:「??乗って来たので、乗って帰ろうと思いますが...。」社長:「そう、じゃあ何かあっても、ぼくには連絡しないでね。 (君の教育係の)専務に連絡して」 私:「......(なんだそりゃ。)はい。では専務、もしものときにはよろしくお願いします」頭を下げると、それには答えず専務氏、向かいの席で書類を作っている男性社員に、専務:「××君、君頼んだよ!」社員:「...は?はい?」社員氏、急に呼ばれて驚いて頭をあげる。仕方がないので 私:「××さん、よろしくお願いします。では、携帯番号教えていただけますか?」専務:(笑いながら)「冗談だよ、冗談。××君に迷惑がかかるだろ。 僕に連絡してきなさい。」迷惑って何よ。私は事務パートではあったけど、この会社を通して某社の自動車保険加入してんのよ。顧客でもあるんでしょ。私の納める保険料からだって手数料とってるじゃない。そりゃいくらかは私の賃金にもなってるけどさ。保険屋さんは、万一の時こそ腕の見せ所って言うわよね。あんたたちフツーの顧客にもそんな言い方するの?とても不愉快だった。何かあったら直接保険会社の事故係に電話しよう。連絡なんて絶対するもんかと思った。突然の大雪の中除雪されていない道を、ハンドルを取られ、積もった雪を愛車の腹がこする音に悲鳴を上げながら、制限速度マイナス10キロでいつもの倍の時間かけて帰宅した。 この会社は1年でクビになった。 「何かここはこうした方がいいとか、我が社に言うことはある?」最後に社長が私に聞いた。私をクビにする会社によくなってほしいなんていう気持ちは毛頭なかった。それでも、上に書いたことを苦情として「たらいまわしにされたような気がして不愉快だった」と言った。社長曰く。「それはねえ、あの時はね、運転、大丈夫?何なら僕の家に、車置いて帰ってもいいよって言う意味で言ったの。君の取り方がわるい。」は?んで、私の取り方が悪いから、たらい回ししたのか。もしかして、こんな会話を期待してたのかしらぁ?社長:「雪降ってきたねー。車、どうするの?」 私:「はい。こんな雪の中、運転する自信ないんですぅ。 私怖くて。どうしたらいいかしら」社長:「いいよいいよ。今日は僕の家の敷地に車置いて帰りなさい。 後で誰かに家まで送らせるから。」 私:「キャー、社長。嬉しーい。ありがとうございまぁーす!!」私、両手を胸で組み合わせて、お目目うるうる。...おあいにく様だったわねえ。そんなこと、私みたいな40過ぎの中年女に、期待してないわよねえ、まさか。私:「それ、今思いついた理屈じゃないんですか?」どうせ辞めるんだからと思って言った。答えなし。少しして、社長:「でももし、僕や専務が、 君がたらい回しと思うような扱いをしたとしても、 万一何かあったら 僕達がちゃんと処理するんだから、 それでいいと思わない?」 私:「…(思うわけないだろ)私は契約者ですから、 そのような扱いを受けること自体、不愉快です。」社長:「君は頑迷...いや頑固だな」頑固で結構。いいえ頑迷でも結構。それでいいなんて思うかってんだ。最後に社長。「これで退職するわけだけれど、人間関係は今まで通り良好で...」 私:「人間関係が良好だったら、こんなことにはなってないんじゃないですか?」社長:「いや、プライベートの...」あなたとプライベートで持った人間関係はこれっぽっちもありません。誤解を招くような言い方しないで。はっきり、会社はクビにするけど保険契約はつけといてくれって(ムシのいいこと)言えば?この頃凍結した路面に雪が降って滑るわ轍が出来るわで路面状況が悪く、イラつきながら運転しているうちに嫌な事まで思いだして、ここに吐き出しちまいましたっ^^;
2012年12月13日
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マイアミ7というアメリカの番組を観ていた。ホレーショっていう警部補だったか警部がチーフのあちらの刑事もののドラマらしかった。(こちとらホレーショで思い出すのが藤村操の華厳の滝に書いた遺書ですからねぇ…。)最初はすかした野郎だなって思ったけどなかなかいい上司だった。そのなかのメンバーのデルコとカーリー(カッコイイ!男前の女刑事)が出来ちゃってあらー、って思ってたら番組終わっちゃった。 その次の番組も惰性で観ている。これがなかなか。10年くらい前に行方不明になったイラクから帰還した女性兵士の義手(イラク戦線で左腕を失う)が海だったか川だったかから見つかる。多分体もそのあたりに沈んでいるだろうことが予測され捜査開始。彼女の周辺の何人かの人物が疑われ、真犯人にたどり着くまでの捜査で得られる回想・述懐・その光景。 ひじから下の左腕をなくした彼女に彼女と同じ任務についていた夫が戦死してしまった妻の言葉。酒に酔った拍子に「あなただけ生きて還ってきて!」娘の通う学校での講演。戦争の無意味さを講義したあと自席に戻ると後ろの座席に居た軍人が「そんなことを言っていいと思っているのか。戦役に言っている親の子供もいるんだ」一緒に戦った帰還兵。戦役で脚を失った。「戦線に復帰させてくれとたのんだが却下された。ここでは何もすることが無い」病院は戦役で手足を失った人々ばかりでまるで地雷を踏んで四肢を失った人たちが往来するカンボジアの街。彼女の回想に出てくる銃を担いだイラクの少女。10歳にも満たない。イスラム教徒らしく髪を隠すように頭から布を被って彼女の運転する戦争物資を運ぶ車の通る道の真ん中に彼女を見つめるように立っている。どんな障害物があっても決してスピードをゆるめず走りぬけろ人であっても轢き殺せと命令されていた。スピードをゆるめたとたん、イラク兵による機銃掃射攻撃があるから。自分の娘と同じくらいの娘が目に入り、彼女はついスピードをゆるめその途端道の両側から機銃掃射。仲間の一人は死に、一人は脚を失い、自分は腕を失った。(多分道の真ん中に立たされていた少女も、撃ち殺されたんだろうな…)PTSDっていうのは、こんな経験による心の傷。生き延びた人はこんな傷を抱いて還ってくる。左ひじから下を失った母親の姿に立ちすくんでいた彼女の娘。遺体が見つかり埋葬され墓前に飾られた軍服姿の母親に喪服姿で敬礼する。 年に一度作られる戦争特番、または巨費を投じ、有名俳優が出演し、大々的に宣伝して作る太平洋戦争を扱った作品と同じようなテーマをアメリカは、1時間の連ドラの中の1話として放映しているんだな。取り調べをする刑事もベトナム戦争に従軍したと言っていた。澤地久枝さんの本に(※)太平洋戦争に従軍した男性の息子はベトナム戦争に従軍しそのまた子供はイラクとの戦争に従軍。そんな家族の話が載っていたっけ。一代に、一つは戦争があってそのたびにアメリカの人達は私たちの親、祖父母たちが経験した苦しみ・悲しみを味わわされそして心のどこかで苦しみ続けながら生きているんだろう。戦争の苦しみ・悲しみがいつも身近に当たり前のようにして、隣にある。多分。この人たちに、いえ、戦争が日常茶飯事になってしまっている国々の人達に平和が一番尊いんだと日本人が説得していつか分かってもらえるのかな。日本国って一体、どういう風にみられてるのかな。発言が真摯に受け止められるだけの信頼や威厳ある存在感のようなもの、あるのかな。※『私のかかげる小さな旗』(2000年10月 講談社)【中古】afb【古本】私のかかげる小さな旗 / 沢地久枝
2012年08月12日
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楽天プロフィールでお付き合いのある方の中にはご存じの方もいらっしゃいますか。2月の中頃つぶやくところで泣きわめいていた私。闘病中の友人の携帯からご主人が連絡してきて友人の意識が無くなった、もう戻ることはないこの次連絡が行くときは…連絡がきました。蓮の花をあしらった葉書が届きました。四十九日の法要を終え少し落ち着きましたので…と。連絡が来た、その日のうちに息を引き取っていました。北海道に居て九州に住む彼女の消息を知るのは私にとってはとても難しいことでした。あの時は泣きわめいたのだけれど今はそんな気にもなれない。葉書の「逝去」の文字を見ると体中の力が抜ける。あまり自分の事を語ることは好きではないようでした。でもこのくらいなら許してもらえるかな。彼女が生まれた時、彼女の国はイギリス領でした。その国の人と、中国系の人の間に生まれたと言ってました。少女の頃から家事をこなし、兄弟姉妹の面倒を見、そして働いて学費を稼ぎ、大学を卒業したそうです。お仕事は通訳。中国の24の言語のうち半分を理解し、そのほかに英語・日本語に堪能でした。私との会話は、もちろん日本語(^^;)仕事の関係で来日し日本人のご主人と結婚。彼女は中国名・英語の名前、日本名、3つの名前を持っていました。病魔が襲ったのは約6年前。たまに話ができるほど体調の良い時があってその時に掛かってくる電話で彼女がだんだんに弱っていくのが分かりました。割と彼女も冷静に自分の体の事を把握していたようでした。自分の体の様子を克明に感情を交えずに話す彼女に私は返す言葉をほとんど持ちませんでした。葉書に書かれた言葉。「一緒に過ごせた時間は、私の宝であり、誇りであります」私にとっても宝であり、誇りでしたよ。泣きだす前にこれを書き終わろう。御冥福をお祈り致します。あと一言。ありがとう。
2012年04月11日
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あの日。津波警報が出た途端に退勤中のバスが止まって2時間バスの中にとどまらざるを得なくたってあの日からしばらく。スーパーというスーパーからペットボトルの水が消えたって私は帰宅できたし水は蛇口をひねれば出てきた。家族を失ったわけでなく家を失ったわけでなくそれなのに心を寄り添わすこと、出来てなかった。テレビを見てみぞれの降る中逃げる人々自分の家が流されるのをなすすべなく口を押さえて見詰める人々がれきの山、ビルに乗り上げた船泣き悲しむ人々。これだけ見て見せつけられて。したことと言ったら募金。毎日新聞の片隅に掲載される死亡者数と行方不明者数を確かめること。そして毎日ほんのちょっとの間胸を痛める。今日、その時間に黙とうしました。心から。ご冥福をお祈りするとともにどうぞ残された人々をお守りください。と。私はこれからも自分の、自分第一の醜い自分を心に抱き続けます。そういう自分があることを否定しないことで出来ることが見つかるかもしれないなんて思います。甘いですね。いい歳をして。どうしようもない。どうぞ被災された皆様が希望を持って歩んでいけるよう色々なものが一日も早く整いますように。
2012年03月11日
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25年も前に勤めていた会社の元同僚。関東在住。感心に、毎年年賀状をくれる。私も出して、所謂「年賀状のやり取りだけのお付き合い」。 震災後暑中見舞いが届く。「皆さまのお気持ちの温かさが身にしみております。」地震見舞い一つ出さなかった私に。「あれから4カ月、放射線の量も横ばい、…未だに魚の類は気にしているけれど…」こちらはさびれているけれど美味い魚だけは手に入る街。 でも、「年賀状のやりとりだけのお付き合い」だし…。何もしなかった。でもずっと引っ掛かっていた。 お歳暮シーズン。結婚・転勤で道外にでた友人に送るついでと言っては何だけど鮭の切り身を加工したものを、水産加工会社から送ってみた。 「ありがとう!」電話が来た。「震災、大変だったわねぇ」「そっちはどうだったの?」25年の年月が吹っ飛んだ。 ○○さん(私の旧姓)が退職してから、私7年勤めたの。貴方が転勤でいくはずだった××へは私が行ったわ。そこで一緒に配属になった人と結婚して…その後の彼女のお話、当時の職場の人達の思い出話。彼女、私が勤務していたころの職場の人々の近況を驚くほど知っている。25年も前に二人新人として配属された時のこと、どうして?「私、返事が来ようと来なかろうと、みなさんへは年賀状は毎年出していたの。そしたら、大抵の人はいろいろ近況を書いてくれて、それで…」 そうか。このたび彼女との「年賀状をやりとりするだけのお付き合い」が、電話で話し合う、近況報告をしあう関係になった。こういうこともあるんだ。 「来道の際には立ち寄って下さいって書いて下さったから、今年旅行した時行こうと思ったのだけど…」どしどし来て下さい。私も、そちらへ行った時には是非お会いしたいわ。ゆっくりお話ができるといいわねぇ。年末に彼女から、彼女が大好きでお取り寄せしていると言う東北地方のある県のかまぼこがとどきました。普段は使わないし、あまり好きな言葉ではない昨年 よくつかわれた言葉。絆…はきっと地味で、ささやかなことを続けていくことで培われていくものなんだな。出来ることから。まずは、ご挨拶。 新年あけましておめでとうございます。昨年は大変お世話になりました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
2011年12月18日
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私の住む町出身の写真家が撮り続けた「バンシールの獅子」アフマド・シャー・マスード(*)の言葉。「自分が一生懸命に生きることで神が喜ぶ」神が喜び給う。神様はいつも私たちを見ていて下さり、その行いの一つ一つを気にして下さる。「聖母の道化師」(*2)慎ましく、尊い真心の物語。貧しい道化師が、聖母子像への贈り物が何もない。聖母子像の前で、精一杯の芸を披露するとイエスさまの、きまじめでおごそかなお顔がにっこりとした微笑を浮かべる。そう言えば天照大神の籠る天の岩戸を開けたのも、神々の笑い声。神様が喜ぶと光が差してくる。無宗教な私にも、分かること。楽しいクリスマスになりますようにとそして、世界中が、神様の喜び給うような出来事でいっぱいになりますようにと柄にもなくつるつるの氷の上に薄く雪化粧した自分ちの駐車スペースを見て祈ったりするのだった。さて。 ※アフマド・シャー・マスード(1953~2001)アフガニスタンの政治家。1975年、アフガニスタンのバンシール渓谷に本拠地を築き、1979年のソビエト連邦のアフガン侵攻後は反ソ連軍ゲリラの司令官となる。ソ連の大規模攻撃をも撃退し、「バンシールの獅子」と呼ばれる。 タリバーンが勢力を拡大すると、対向する勢力「北部同盟」の副大統領・軍司令官・国防相として活躍。2001年9月9日、自爆テロにより暗殺される。(参考:Wikipedia)※2『神の道化師』トミー・デ・パオラ作ゆあさ ふみえ訳(ほるぷ出版)
2011年12月06日
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健康診断でコレステロール値が高かったので念の為病院で再検査。結果を聞きに行った日。マスクした老若男女がベンチにすずなりになっている待合室で某女性雑誌を読む。「ギリシャの老若男女は、2日に1度は"愛し合っている"計算になる。ユーロ圏の国々ではギリシャ問題に頭を抱え、眠れない夜を送っている男たちが大勢いるというのに、だ。…祖国が破綻寸前でも、日本人の3倍強も"夜の営み"にいそしむギリシャ国民。世界各国からは、彼らへの落胆と怒りの声が空しく響き渡っている。」(上記はネットからの引用です)これを書いた人、恥ずかしくないか。戦争で太平洋のあちこちを荒らしまわって、アジアの国々では日本兵の蹂躙に頭を抱え、眠れない夜を送っている老若男女が大勢いたというのに、日本兵は自国の女性ばかりか植民地とした他国の女性まで戦地に連れ出してセックスしてたんじゃなかったの?土地の女性に乱暴もしたわよね?経済破綻よりももっと祖国の存亡にかかわる戦争をしている時だって、子供は生まれていたわよ。昭和17年~21年くらいまでに生まれた方々のご両親は国家が存亡の危機に直面していても「夜の営みにいそしむ非国民」か。経済危機で他国に迷惑をかけているからって禁欲して経済状態がよくなるのか。他国に慮って禁欲したら、他国は満足してじゃんじゃん支援してくれんのか。そもそも2日に1回セックスしているからと言ってそのことが、世界各国のギリシャ経済に対する落胆や怒りと何の関係があるのか。何処の国がそんな声明発表した?誰かからコメントとったの?国が経済破綻しそうなのに普段と変わらぬ日常生活を営む胆力、立派だろっ。日本人は、ギリシャ人の3分の1しかセックスしないから経済大国になれたのか。そう思うんなら証明してみろってんだ。今なんて、セックスの回数も経済も最低じゃないか。何さえらそうに。他人さまの、しかも他所の国の他人さまの房事のことなんてこんな扱いすることじゃないだろ。ギリシャにも、世界各国にも失礼だ。いろんな意味で恥を知れ。恥を。※こんなこと書くと、あーてるさん欲求不満?なんて思う奴いるんだろうなー。けっ。余計なお世話だ。
2011年12月01日
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強風で雲が吹き飛ばされて西日がとてもまぶしい。がらんとした部屋の中がやたら明るくて、畳のささくれがくっきり見える。風の音。どこかのベランダから、何か飛んだ音。この季節だったっけな、今の住居のひとへやが私の嫌いな部屋になるのは。 独りで、居てもたってもいられなくなる。叫び声は上げずに部屋の隅で体を丸めて震えている。お願いだから誰か来てと念じる。部屋は明るい光に満ちているというのに、日の光の温みがあるというのに、風の音に揺さぶられて泣きだしそうになるくらい不安になる。そんな夢を見たのかもしれないし、そんな部屋でそんなことを思ったのかもしれない。どこでこの光景に出くわしたのか覚えていないけれど、似たようなお天気の日、思い出して、胸がざわつく。今日は、ブローヴェルの「11月の或る日」(*)なんて聴いて暗欝だなあ、私と同じ心持の人がどこかにいるのかもなぁ、なんて思って気を紛らわせて、心を落ち着けようとしてみる。 * * *なんて、今月は遊び過ぎて疲れ溜まってるし、職場で、自分で自分が許せないようなことをしでかしてもうなにもしたくなくて家事をさぼる言い訳にしてるだけなんだけどね。お粗末さまでしたーえへへっ^^; (写真は今年2月はじめに撮影したものです。雲の様子が面白かったので、近所の川を橋の上から撮りました) ※YOUTUBEで聴くことができます。http://www.youtube.com/watch?v=XaI4h_aU14w&feature=related(大萩康司さんのギター演奏:この間私の住んでいる街で福田進一さんと彼のコンサートがありました)
2011年11月26日
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S・ジョブス氏の訃報報道で「音楽をインターネットで購入できるようにし」という一 節がありました。IT史に大きな足跡を残した方の業績を聞きながらジョブス氏とは全然関係ない購入代金の決済の方法のことを考えました。クレジット・カードでしょ? 私、カード持っていません。収入や雇用形態で多分審査を通らないでしょう。カードでしか決済できない、カードで決済した方がお得、カード持っていないと言うと、先方が一瞬微妙な顔をする。増えましたねえ。PCのプロバイダだって、口座引き落としにしたいと言った途端選択肢はかなり狭くなった。 IT難民、地デジ難民…カード難民はこれから増えるんじゃないでしょうか。遺族年金頼みの、一人暮らしの女性。(私のように)収入の少ない人。非正規雇用者。審査、通りますかね。カードが無ければ、高いものが買えないと文句を言っているうちはまだいいかも。カードが無ければ何も買えない時代が来たら。 実際に、CDショップは減ってますね。行って買う人が減ったからではないでしょうか。ネットで購入できない人はいるでしょうに。その人たちのための存続方法は無いのかな。携帯電話が普及したら、ケータイ持っていない人もいると言うのに公衆電話がどんどん撤去されましたね。 これを、日常無くては生活ができないものにまで拡げられたらどうするんだろうと思います。 「PCの画面から選んでクリックすると、その日のうちに商品が届きます。」わー便利。購入者が配送センターのお兄ちゃんに代金払ってるうちはいいですよ。業者が運送会社と契約結んで特別安い運賃で商品を配達できるようになったら購入者は、代引き払いかクレジット・カード決済。業者側は、配送用トラック、その維持費、ガソリン代、そして配送のお兄ちゃんの人件費を削ることができる。しかも業者には、代金は自動的に全額振り込まれるから、回収と入金管理の手間がいらないという嬉しいオマケ付き。これじゃネットスーパーが増えてリアルスーパーはどんどん減って行くんじゃないか。 誰でも享受できるかのように宣伝している便利さが実はいくつかの条件をクリアした限定された人々しか享受できないのは仕方ない。でも、生活必需品が限られた人々しか、買えないとかそこから漏れた人は限られた人より多くお金を払わなければならないとしたら凄く困るんじゃないか。 技術革新で便利さや時間の節約が飛躍的に進むのはいいけれど、それを享受できない人たちが生存できないようなシステムは、やめてほしいと思うし、開発者たちだってそんなこと望んでいないと思う。と。まあ、ぼやいておいてまずはスマホ難民になりますか。お悔やみS・ジョブス氏のご冥福をお祈りいたします。Macコンピュータとのお付き合いは職場で、ごく短いものでしたが、楽しいものでした。天国でも、素敵なものを生み出して、神様や天使の皆さんを喜ばせていらっしゃることでしょう。心よりお悔やみ申し上げます。 蛇足「やめてほしい。」2010.9.11の日記。チンパンジーに人間と同じことさせる実験やめてっていう内容だった。確か。
2011年10月07日
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都合により内容を削除しました。コメントを下さった皆さま申し訳ございません。
2011年10月01日
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(1)の続き。次は、六車商店ここは、今住んでいる町では手に入らないお酒が手に入るので、旭川滞在中は、主人のお気に入りになっていました。 「参の越州」と「封印酒春鹿」をえらぶ主人。春鹿純米吟醸『封印酒』 1800ml【朝日酒造】参乃越州 特別純米 720ml 新潟の日本酒こちらではとにかく奥様が働き者。遠くから来たと聞けば、「あら保冷剤、お父さん、奥にあったでしょ」「この酒は暑さで味は劣化しないから...」ご主人動かない。奥さん、保冷剤と、酒をいれるパッケージを探しに行く。「いや~参の越州は、飲みやすいよね~女の人にも人気ありますよ~(^^)」酒談議がほんとに好きなんだそうだ、このご主人は。 両手にそれぞれパッケージと保冷剤、発砲スチロールを持ってきた奥さん。「これに氷を入れて...」「氷は溶けるからだめだ」とにべもなくご主人。奥さんがテキパキ酒と保冷剤をパッケージにつめて、「折角遠くからわざわざ当店に来てくださったんですから」とカップに入ったおつまみをオマケしてくれる(「こざかなとアーモンドとこんぶ」)。 会計の時、主人がスタンプカードを出したのにはびっくり。そんなもん作って、何年も持ってたのかい。あと2,000円でカードがいっぱいになるんだそうだ。お目当ての酒だけ買い、2マス空欄にしておくのはあっぱれ。ストイックだのう。カードが埋まるまで、何年かかるやら。 最後は男山酒造り資料館。ここは、写真ではわかりませんが、資料館玄関の右手にお酒に使う水が飲める所があり、土地の人がポリタンクに水を汲みにきていました。 主人。「ああ~、クセが少しも無いっ!」酒も飲めず、これからの車の長旅、欲求不満と苦難を背負って無邪気に水で喉をうるおすいたいけな中年男の姿、いみじうあはれなり。私は例のごとく試飲。甘口の酒を3種類試飲させていただき、「北のあじさい」という蔵元限定・季節限定酒を買いました。甘口の中で一番端正な気がしました。(あと2、3日で無くなりますよーという声にも負けましたが)↑このラベル、手作りだそうです。資料館前庭に咲くあじさい(写真右下隅に少し写っています)の花びらを染料の一部にしているとのこと。主人は、「木綿屋」を。男山特別純米『木綿屋』720mlこれで気はすんだよう。真昼間から酒の試飲で酔っぱらった古女房と好きなお酒を乗せて主人の愛車は旭川を後にしたのでした。男山酒造り資料館旭川市永山2条7丁目URL http://www.otokoyama.com/※なお旭川には他に「大雪乃蔵」(地酒蔵)、大雪地ビール館があります。オマケ。↑帰途、トイレに寄った大雪防災ステーションで。出るんですよ~出る所には。幸い遭遇せず無事帰宅しました。
2011年08月26日
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旭川には数年前、1年間だけ住みました。主人の仕事の関係で、長期出張ということで。富良野、美瑛、大雪山系、層雲峡、旭山動物園、旭川ラーメン、幌加内そば、三六街…周囲に観光名所・うまい物は事欠かない。 居られるのは1年、と限られているというのに、旦那ときたら、このわたくしを、何処へも連れて行こうという気配がない。「何で行かないの?あっち帰ったら、なかなか来られないんだからねっ!」しばしの沈黙の後、彼は静かに、しかしきっぱりと「俺は、男山があればいいから」「…あ…そ、そう…」そんなに好きか。酒が。 そういやあ、時々酒瓶ぶら下げて嬉しそうに帰ってきてたもんなあ。コンビニからつまみに、袋菓子だのマメだのいかのくんさきだのちまちま買ってきてたもんなあ。酔っぱらって幸せそ~に、正体なくして茶の間に転がって眠っちゃってたもんなあ。 「男山があればいいから」はやがて「男山と高砂と、六車商店があればいいから…」になりました。と、いうワケで、今年の夏休み最終日は旭川酒買いツアー。まずは、高砂明治酒蔵。 入ってすぐ、酒に使う湧水を試飲できる。「う~ん、やわらかいっ!!」うっとり感心している主人。かわいそうに、運転手だから酒の試飲は御法度。そのせいかしきりと水に感動する様子が、いとあはれである。店内で私はお酒を試飲し酒粕アイスをいただく。主人は冷蔵ケースにへばりついて酒の物色。↑この季節、酒粕アイスなんてのもあります。ほんのり酒粕の香り、甘酒の味。酒粕はたいそう体にいいそうです。購入したお酒は「吟醸本当の生酒」、「純米蔵酒一番しぼり」。クール便で送ってもらいました。上の写真は「純米蔵酒一番」。どちらも蔵元限定酒。「吟醸本当の生」飲んじゃったので写真ありません。ホームページで見られます。濃厚で芳醇、すばらしかった~※高砂酒造株式会社 北海道旭川市宮下通17URL http://www.takasagoshuzo.com主人の名誉のためにその後観光名所へは各1回、うまい物は複数回、行きました。優しい優しい主人の家族サービスのお陰で、楽しい1年でしたーうふふっ。
2011年08月24日
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サンマ漁の季節です。港には、あちこちから船が集結しています。今集まっているのはサンマ漁船とイカ釣り漁船。 ↑イカ釣り漁船内部。ぶら下がっているガラスは集魚灯 北海道はもちろん青森、宮城、新潟、富山、船尾に、鳥取県と書かれた船もありました。町の名前は、厚岸、函館、松前、寿都(すっつ)。輪島、大津、境港。石巻。陸前高田と書いた浮輪を取り付けた船もありました。震災がなければ、それぞれの港からの出発だったのでしょうか。 ↑さんま漁船 大漁のおまじないと、大漁旗を掲げた船が岸壁に整然と並んで、どこまでも続いているのは壮観です。その先は太平洋。日焼けした屈強そうな男たちが岸壁を慣れた様子で歩き、お国訛りのある言葉で話しているのが、いかにも頼もしい。こんな感じ。(文部省唱歌「われは海の子」) 幾年ここにきたえたる 鉄より堅きかいなあり。 吹く塩風に黒みたる はだは赤銅さながらに。 浪にただよう氷山も 来らば来れ恐れんや。 海まき上ぐるたつまきも 起らば起れ驚かじ。さんま漁船は、大きさによって入漁期が違うそうです。今は、小・中型船の時期。最盛期には100tくらいの大型船も入港するそうです。もうすぐ、くちばし(?)の黄色い*立派で、世界一美しく輝くさんまがこれらの船と、彼らの手で、届けられるんですね。私は刺身が一番。(だんなに)包丁研いで(もらって)、待ってるよ~!!※脂ののったさんまは、口の先が黄色くなっています。
2011年07月30日
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